CROSS ROAD ディール急襲 第2部1章 6話11
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 陽暮れた林の暗がりで、どっと笑いがわき起こった。
 賭けで大勝ちした者でも出たのだろう。チラチラまたたく木立の炎。黒林を覆う低いざわめき。
 鬱蒼とひろがる夜の林で、いくつものかがり火がまたたいていた。
 暗がりに沈んだ木々の根元で、複数の人影がうごめいている。部隊の簡易テント郡。黒々とした木立にまぎれて、傭兵の影が移動する。
「みだりに奴をけしかけるなよ」
 仏頂面で苦情をねじ込み、ファレスは暗がりの木幹にもたれた。
 夕飯の途中で呼び出されたバパは、バレたらしいな、と肩をすくめ、溜息まじりに短髪を掻く。「いいじゃねえかよ。どのみち奴には、何もできっこねえんだからよ」
「なに寝ぼけたこと言っていやがる。相手はあの・・ウォードだぞ」
「ああ。いかにもウォードだな。だからこそ、もったいねえだろう? 他人に関心のないあのウォードが、せっかく興味を示したのによ」
 ファレスは眉をひそめて煙草をくわえ、その先に点火する。「だから手引きしたってか」
「手引きとは穏やかじゃないな。俺は助言をしただけだろ。年長者として、ごく普通に。ただちょっと"花でも持って、見舞いにでも行ったらどうだ?"ってよ」
「それがまずいってんだろが!」
「そう怒るなよ。他意はない」
 丈高いどこかの草むらで、夏虫が静かに鳴いていた。
 宵の暗がりで、篝火がゆらめく。闇に沈む林をながめて、バパはおもむろに腕を組む。
「あの晩、お前も見ていたろう。ウォードがすぐに手を離したのを」
 ファレスはいぶかしげに目をすがめる。
「忘れたのかよ。止めなきゃ、修羅場と化してたぜ」
「──ああ、初日の召集の。そういや、あんた、妙なことを言ってたな」
 この部隊の主だった顔が客のゲルに会した晩、いわく奇妙な出来事があった。ウォードが客を引っぱりこんだが、あわやのところで手を引いたのだ。この首長の一言で。
 そのきっかけは"卵"の一語。
「奴は話なんざ聞きやしないが "卵"と認めたものは潰さない。何があろうが絶対に」
 目線で説明を促すファレスに、ちら、とバパは目配せした。
「奴には、こう教えてある。"自分よりも小さな相手は、鳥の卵を・・・・持つように扱え"」
「──ああ。それで"卵"ってわけか」
「見たろ、お前も。たった一言で腰砕けだ。引かれた線の向こうには、奴にはしょせん踏みこめやしねえよ」
「ウォードのことは置くとして」
 ファレスは身じろぎ、仕切り直す。「あんたの部隊そっちにもいたよな同類が」
「多少のことは仕方ないだろ。うちは若い連中が多いし、部隊じゃ珍しい女の客だぜ。騒ぐなって方が無理な話だ。ま、さりとて何ができるでなし。指をくわえて見ているのがオチだ。かわいいもんじゃねえかよ」
「よく言うぜ」
 ファレスは顔をしかめて紫煙を吐き、事もなげな首長を見返した。
「要は、押し倒したくてウズウズしてるって話じゃねえかよ。標的まとがあんたの身内なら、それがてめえの娘なら、血相変えるくせしてよ」
 バパが面食らった顔で見返した。「あの子は俺の娘じゃないだろ?」
「わかってる! だから例え話をしてるんだろうが。連中が娘にちょっかい出したら、あんただって、ぶちのめすくらいはするんじゃねえのか」
「……俺が? あいつらを? まさか」
 何を言っているんだか、といわんばかりの顔で、バパはやれやれと首を振る。「そんな無様で野蛮な真似を、この俺がするとでも?」
「なら、黙って見てるってか」
「むろん、俺なら──」
 にこり、と快活な笑みを作った。
「ぶっ殺す」
 ファレスは溜息まじりに脱力した。「──冗談に聞こえねえよ、あんたが言うと」
「もちろん冗談なんかじゃない」
 真顔できっぱり、バパはうなずく。「うちのパムに手ぇ出してみやがれ。ギッタキタに切り刻(んで──)」
「もういい」
 軽い溜息でファレスはさえぎる。「やっと、わかったかよ、あんたにも。──ああ、勘違いするなよ、色恋そっちの話をしてんじゃねえぞ」
「しかし、珍しいこともあるもんだな」
 バパが意外そうにつくづく見やった。
「真夏に雪でも降るんじゃねえのか? 普段なら仕事の後は、さっさと娼家に引きあげるお前が、骨休めを返上してまで残業するってんだからよ」
「余計なお世話だ」
「なにを熱くなってんだ。"ウェルギリウス"ともあろう男が。高々女一人のことだろ。いつもはあんなに疎んじるくせに」
「客はこっちの領分・・だ。それにほいほい手を出されたとあっちゃ、この俺の面子にかかわる。首長あんたといえども、それは然りだ」
「了解、副長。肝に銘じる。お前の縄張りは荒らさない」
 宣誓するよう軽く手をあげ、バパはあくび交じりに踵を返す。「話はついたな。じゃ、お疲れ」
「まだ、あるだろうが。とぼけんなよ」
 そそくさ歩き出したその背を引き止め、ファレスは苦虫かみつぶす。肩越しに振り向いた横顔に、真っ向から目を据えた。
「確約してもらおうか。分別のねえ部下どもに、きっちり睨みをきかせると」
「──ああ。アレな」
 上目使いで頬を掻き、バパが観念したように向き直った。真面目な顔で腕を組む。
「先の協力要請については、諸事情を勘案し、俺も早急に検討した。で、当方の結論としては、だ」
 おもむろに真顔で見返した。
「答えは"否"だ」


 寝具の上に座りこみ、わたわたエレーンは肩を引いた。
 影絵ゆらめく暗がりの中、膝を立て、黒い輪郭が立ちあがる。
(──な、なんで!?)
 あたふた寝具に滑りこみ、毛布をつかんで引っかぶった。
 ひとまず寝た振りを決めこんで、そろりと縁から盗み見る。ケネルの黒い輪郭が、壁伝いに移動していた。ゆっくり運ぶその足は、戸口の靴脱ぎ場へ向かっている。まさか今から外出する気か?──いや、そうか! 用足しか! そうだそうだ用足しだ──っ!
 すっ、と影が、靴脱ぎ場の前を通りすぎた。
 不気味な影を壁にゆらして、ケネルはまだ歩いている。ゲルの丸い壁伝いに。つまり、こっちに
 ──やってくる。
 ぎょっと目を見開いた。
(なななんで、くんのよ……?)
 まさか。
 ちら、とよぎったなまめかしさを、ぶるりと首振り、追い払う。いや、ケネルはそんなことはしない。彼の人となりは知っている。鈍感を地でいく朴念仁だ。頭の中は常に部隊のことばかり、自分こっちのことなど荷物くらいにしか思ってない。連れてきたから、そばに置く、その程度の了見だ。でも、もしも、あの彼に、
 ──知らない一面があったとしたら?
 ちらと懸念が脳裏をよぎり、エレーンは唇を噛みしめる。なんとなく、気づいていた。あの落ち着いた佇まいが、時おり不意に変わることに。
 今日がまさにそうだった。ゲルにいたのを見咎めて、ウォードを理不尽に恫喝した。領邸襲撃のけじめの為に皆がゲルに集った晩も、思わぬ剣呑さに背筋が凍った。たまにケネルは近寄りがたいほど怖くなる。いや、それについては知っていたはずではないか。手放しの信頼を阻む壁、開戦初日の蒼闇の街道、夕暮れに起きたあの・・一件。
『あの女とガキ、始末してやろうか』
 見せないようには、しているようだ。だが、ふとした拍子に顔を出す。あの荒ぶった一面が。何食わぬ顔は上っ面で、粗暴な気性が本質だとしたら。周囲に誰もいなくなるこうした好機の到来を、密かにうかがっていたのだとしたら──。
 ふと、異変に気がついた。
 なにか、おかしい。そう、いやに時間がかかりすぎる。
 怪訝に視線をめぐらせて、身を硬くして固唾をのんだ。
 ──ケネルが立ち止まっている?
 胸が早鐘を打ち出した。
「もし」と「まさか」がせめぎ合い、もう何も考えられない。くるまった毛布を握りしめ、端からそちらを盗み見た。
 土間で弾ける炎の揺らぎが、壁に影を躍らせていた。
 ケネルはまだ動かない。なぜ、止まっているのだろう。あんな所に突っ立って、何をしているのだろう。こちらの様子をうかがっている? 何か用でも思い出したか? ならば、どうして声をかけない──
 絨毯を踏んだはだしの足。そのつま先が、向きを変えた。
 足が再び暗がりに踏み出す。一歩。そして、また一歩。
(──え?)
 エレーンは呆気にとられて目で追った。
 ケネルの背中が離れてゆく。そのまま端の壁まで歩き、水瓶に置かれた木蓋をあけた。背を向けたまま水を汲み、湯呑みに注いで飲んでいる。
(……水?)
 ほ〜……と密かに息をついた。
 なんのことはない、水を飲みに来ただけではないか。どこのゲルでも戸口は東、かまは土間のある中央と、物の配置が似ているが、水瓶や湯のみや皿や布巾ふきん、炊事道具の類いなどは、すべて北側、つまり、こちら側に集まっている。
 ケネルは湯呑みを元に戻して、同じ道筋で戻ってきた。自分の寝床に戻るのだろう。
 一件落着やれやれと、エレーンももそもそ起きあがる。ほ〜ら、言わんこっちゃない。また勘違いをやらかした。大体そんなこと、あのケネルがするわけがないのだ。
 脱力して首を振り、ふと、気づいて顔をあげる。土間の炎の揺らぎがかげった?
 ケネルがかたわらに膝をついた──と認識したその刹那、右の肩をつかまれた。
 なに、と尋ねる暇もなく、手荒くそのまま突き飛ばされる。
「──ちょっ──ちょっとケネル。なにふざけてんの……」
 あえなく床に転がされ、エレーンは顔をしかめて起きあがる──いや、起きあがろうとした。
 肩が、床からあがらなかった。
 寝転がった寝具の上で、あぜん、とエレーンは天井を見あげる。
 仰向けの肩を押さえつけ、ケネルが顔を見おろしていた。肩のみならず、頭を動かすことさえ、ままならない。背中の下敷きになった髪を、ケネルが腕で押さえつけているからだ。
 混乱をきたしてのぼせた脳裏を、幾多の感情が瞬時に飛び交う。驚き、怖れ、怒り、羞恥──。自分が置かれた状況を、エレーンはじわじわと理解した。これはもう、間違いや遊びの範疇ではなかった。逃げられない。ケネルは
 ──本気だ。
 とっさに手を突っ張った。
 全力で押しのけて、なんとか抜け出そうと、がむしゃらにもがく。だが、すぐに思い知らされた。ケネルとの力の差を。肩を押さえて馬乗りになったケネルは、蹴ろうが叩こうが、びくともしない。両方の手首をケネルにとられて、全く体を動かせない。
 指の先が小刻みに震えた。すくみ、強ばった喉元に、かすれた悲鳴がほとばしる。
「どうした」
 あざけるような揶揄まじりの笑い。
「そんな小声で助けを呼んでも、外の奴まで聞こえやしないぜ?」
 ケネルが身じろぎ、体重がかかった。
 背中に腕が滑りこむ。必死で肩を押しのけるも構わず、ケネルは苦もなく身を伏せる。
 ぱちぱち炎が弾けていた。
 灯かりを落とした暗がりに、衣擦れの音が入り交じる。ケネルが軽く耳を噛んだ。肌を這う唇の感触。耳裏を滑り、首筋を伝い、そのまま鎖骨に顔をうずめる。
 のしかかったケネルから精一杯に顔をそむけて、エレーンはきつく目を閉じた。
 
 

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