CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章 2話2
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「……クレストの領主が来ていたようだが」
「ええ、父上。今、帰ったところです」
 重厚な扉を静かに閉めて、アルベールは声に微笑みかけた。貴公子然とした端然とした所作で、ゆっくりそちらに足を向ける。
 窓に寄せた寝台で、初老の男が身を起こしていた。髪に白いものが入り混じる彼こそ、ラトキエ領主クレイグ=ラトキエ、この国の首都の統治者だ。面持ちは至って穏やかだが、内外から独裁者と恐れられる大領主だ。わけても、人望の厚い辣腕徴税官ドロッギス=ロワイエを、造反を企てた廉で厳しく処罰し、多大な業績を残した首をいともあっさりすげ替えてみせた、就任当時の一件は有名だ。以来、反逆の汚名を着たロワイエ家は、代々受け継がれた特権的な地位役職を剥奪され、長らく不遇の扱いを受けた。ようやく復権が許されて、明るい日の目を再び見たのは、まだ、ここ数年の話だ。
 頬のこけた青白い顔に、それでも穏やかな笑みをたたえて、クレイグは我が子に目を向ける。
「ダドリー=クレスト、あれは大した若者だ。今はまだ荒削りだが、ゆくゆくはきっと、良い領主になる。無論アルベール、お前の次にということだが」
「お褒めに預かり光栄です、父上」
 そつなく優雅に一礼し、アルベールはそっと苦笑いした。「彼に、叱られてしまいましたよ。"臆病者の腑抜け野郎" だと」
 ドアを蹴り飛ばして出て行った客の剣幕を思い出したらしい。
「そうか、お前が腑抜けか。あれがそう言ったか」
 掠れた声で、クレイグも微笑う。アルベールは自分の服を眺め下ろして、嘆かわしげに嘆息した。「まったく無茶なことをする。あの乱暴者にも困ったものだ。お陰で服が汚れてしまいましたよ」
 窓の外に視線をめぐらせ、頬に苦々しげな笑みをのせる。
「周りの者にも、さぞや無能だと思われているのでしょうね、わたしは」
 クレイグは口端に苦笑いを浮かべた。
「──大した役者だな、お前は。人の悪い」
「貴方の血ですよ?」
 寝台の端に手をついて、アルベールは悪戯っぽく笑いかけた。言葉面の嘆きとは裏腹な、余裕さえも感じさせるその仕草は、手馴れた手品師のそれのようだ。
「……そうか、わたしの血か」
 困った微笑でクレイグは応え、我が子に穏やかに目を返す。「アレ は、どうしている?」
「元気ですよ。あの通りです。相も変わらず、花館に入り浸っているようですが」
「……困ったものだな、アレにも」
「まったくです」
 そつなく相手を務めつつ、アルベールは優雅な笑みを父に向ける。
「それで、お体の具合はいかがです、父上。お背中でも擦ってさしあげましょうか」
「──すまないな、アルベール」
「いいえ、今は、わたしも暇なもので」
「年はとりたくないものだ」
 寝台の端に腰をかけ、アルベールはガウンの背中に手を伸ばした。急に痩せて小さくなった父親の背を労わりながら、何気なく視線をめぐらせる。
 広い寝室のほの暗い壁に、大量の画布が立てかけられていた。使い込んだ絵筆、いくつもの画板、揺り椅子の背もたれにかけられた、えんじ色の彼のひざ掛け。うなだれたクレイグから声がした。
「……アルベール。お前もそろそろ、身を固めてはどうだ」
 困った笑みで、アルベールは返す。
「まだ、そんな気にはなれませんよ」
「そう悠長なことも言ってはおれまい。わたしもこの通り、明日をも知れぬ体だし、連れ合いを娶り、跡取りができれば、お前も安心して政務に邁進できるというものだろう」
「"明日をも知れぬ"だなどとお戯れを父上。ご安心下さい。わたしは与えられた役目に対して、手を抜いたりは致しませんから」
「おお、ドゴール商会の娘などはどうだ? 商家ゆえ家柄にいささか難があるが、あそこは商人会を取り仕切る商都きっての豪商だ。あの令嬢も活発すぎるきらいがあるが、なに、お前のような落ち着きすぎた男には、あれくらいで丁度いい。別棟の方にも遊びに来ていたようだから、お前も面識があるのではないか?」
「エルノアはロワイエ家次子の許婚ですよ。わたしはラルッカに殺されたくはありません」
 頬をゆるめて笑いつつ、アルベールはやんわり勧めを断わる。
 換気の為にと開け放った窓から、蝉しぐれが聞こえていた。窓の向こうでは、緑が瑞々しく梢を揺らし、季節の花があふれていた。領邸内の広大な敷地は、豊かな樹木で彩られている。
 日ざしの届かぬ片隅の画架に、絵が大切そうにかけてあった。他とは異なる扱いに、それが主の宝物とわかる。もっとも、高名な画家の作品ではない。彼の自作だ。
 目を細めてそれを眺め、アルベールは微笑んだ。
 それは淡い色調の優しい絵だった。薄茶の髪の白い服の乙女が、画布から微笑いかけている。今にも名を呼びそうだ。春風のような、柔らかいあの声で。
 よく似ているな、とアルベールは思う。父に政務は無理なのだ、とも。繊細な神経の持ち主に、主導権争いは向いていない。領主の政務は熾烈を極める。心根の優しいことそれ自体は罪ではないが、与えられた責を全うすること叶わねば、それ即ち罪となる。そして、宗家の血を継ぐ以上、常に争いを強いられる。
 返す返すも、祖父の判断は正しかったと思わざるをえない。優しく正しいというだけでは、領主の仕事は務まらない。政務を彼に委ねていたら、今日の繁栄は恐らくなかった。
 天は彼に領主の資質を与えなかった。だが、あたかもそれと引きかえのように、素晴らしく非凡な画才を与えた。もっとも、それを公にすることはできないが。そう、彼は家流を束ねる当主であって、一介の画家などであってはならないのだ。
 白服の乙女を改めて眺め、それにしても、とアルベールは思う。
 まったく大した才能だった。見れば見るほど、生前の彼女の生き写し。どれほど入念に掃き清めても病室というのは陰気臭いものだが、かの絵が置かれたそこだけは、ほの明るい光に包まれている。光が豊かにたゆたっている。今となっては寝床から離れられないこの父は、画布に佇むあの笑みに、どれほど慰められているだろう。
 そう、あの笑みに、彼女がいたあの夏に、僕らはどれほど心ときめかせたことだろう。もう二年もの歳月が経つ。月日の流れは驚くほど速い。知らず知らず笑みを浮かべて、アルベールは静かに目を閉じる。
 梢のささやく音がした。
 降りしきる強い太陽、全てが明るい夏の気配。蝉しぐれが、聞こえる。
 あの頃、僕らは、憑かれたように君を求めた。
 無邪気な君は知らなかったろう。緑を整える庭師から、調理の腕を揮う料理人から、医師の卵、警備の者、そして出入りの商人に至るまで、凡そ全ての周囲の者がこぞって恋焦がれていたことを。我がままで気まぐれなあの男が君の主などではなかったら、誰も彼もが我先に、君に声をかけたろう。
 衣装箪笥につめられた、あふれんばかりの白い服は全て、あの男が気紛れに買い与えたものだった。街に出る都度、頓着せずに買い求めては全て与えるものだから、小さな箪笥はすぐにいっぱいになってしまって、執事が入りきらない服を前にし、あれこれ頭を悩ませていたものだ。
 君の笑顔に惹きつけられて、あの男の友人までが南の離れにやってきた。ダドリー=クレストと、ラルッカ=ロワイエ。クレスト領家直系の末子と、廃れた家系ロワイエ家の次子、いずれもうだつの上がらぬ非嫡男で、いかがわしい盛り場に出入りしては遊惰に暇を潰しているような、いわば無為無策の穀潰しだ。よほど出入りを差し止めようかと思ったが、君が困った顔をするものだから、やむなく見て見ぬ振りをしたのだ。
 君の周りには、常にあの彼らがいて、君を買ったあの男がいた。そこにあの男にまとわりつく二人の女も加わって、毎日がとても楽しそうで、それはそれは賑やかだった。暇のない僕には、妬ましいくらいに。
 君を娼館から請け出した後も、あの男は朝帰りを繰り返しては、ふらりと気紛れに姿を見せ、あの別棟でたむろしていた。君に焦がれる彼らを見て、殊更に独占して見せびらかした。君を連れ去り、北方の田舎町に隠れてしまったこともあったっけ。だが、果たしてどこまで本気だったのか。そう、半年もすれば、病人の相手に飽きたと言って、どこかに姿をくらませた。君の深刻な病状を知りながら。
 彼女が一人で逝ってしまうと、皆、憑き物が落ちたように忘れ去り、別の女の元へと離れた。あれほどまつわり付いておきながら、人とはかくも浅ましい。
 僕の胸には、未だ君の笑顔が棲みついて、ともすれば後を追いたくなる。だが、それは、今の僕には許されない。この世に対する未練などではない。僕に与えられた人生は、君が消えたあの時に、とうに終わりを告げている。まだ、せねばならないことがあるのだ。守るべきものが残っている。それさえ片付いてしまったならば、喜んで君の元に赴くものを。
 引きかえあいつは、僕から全てを奪っておいて、取り返しのつかない真似をしておいて、自分だけしゃあしゃあと別の女を娶るとは。まだ数年しか経っていない。まだ、これほど鮮やかに君を思い描くことができるのに。
 こうまでやり切れない思いをしたことはない。これほど深く人を憎んだことはない。そうだ。悔やんでも悔やみきれない。せめて半年の猶予があれば!
 ダドリー=クレスト、知っていたかい? 僕は君が大嫌いだよ。
 僕は、君を、許さない。
 「……今でも恨んでいるのだろうな。わたしが、お前にした仕打ちを」
 ふと、アルベールは目を開けた。
 物思いから引き戻されて、ガウンの背中に目を戻す。「……突然、何を仰るのです、父上」
「今でも捜しているのだろう、あの子の行方を」
 背中をさする手が止まった。穏やかに作った表情が、止めようもなく凍りつく。
 窓辺のカーテンが、はためいた。
 壁に寄せられた画材たち。揺り椅子にかけられたえんじのひざ掛け。時がここだけ止まったような、どことなくほの暗く、ひっそりとした寝室。
 胸を揺るがす動揺をやっとのことで封じこめ、アルベールはゆるく首を振る。
「貴方は当主として当然の判断を下された。それだけのことです」
 表面的には肯定的だが、声はそれとは裏腹に硬い。
「……そうか」
 ガウンの背から、諦めたような吐息が漏れた。アルベールは静かに立ちあがる。
「もう横になられた方がいい。お体に障ります」
 上掛けをとりあげて、当主を寝台に横たわらせる。クレイグがたまりかねたように目を向けた。
「……皆は、どうしている?」
「大丈夫ですよ、父上」
 頑是ない子供をあやすように、アルベールはそつなく親をなだめる。クレイグは食い下がった。「もう、そろそろ良いのではないか?」
「まだ、早い」
「──だが、アルベール!」
 アルベールの服を必死につかみ、クレイグは我が子を凝視する。
「ひもじい思いをしてはおらんか? 怪我をしたりしておらんか? み、皆の様子は──!」
「市井のことは、ご心配なく」
 やんわりと、だが、きっぱりと、アルベールは詰問をやり過ごした。
 起きあがった肩を、寝台の枕にやんわり戻す。狼狽の隠せぬ当主の顔に、アルベールは密やかな笑みで微笑みかけた。
「今は、時を待つのみです」
 
 
 
 
 

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