CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章 3話4
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 ……ち! だっから言わんこっちゃねえ。
 
 件の連中が追いついて来ない。
 やはり、ペースを上げ過ぎたか。
 
「たく。トロ臭え野郎どもだな」
 案の定な光景に、思わず舌打ちした。振り返ってみた坑道に、追跡者の気配は、未だない。
 ここは、商都カレリアの地下坑道、いわゆる"抜け道"の只中だ。四方を岩石に囲まれた殺風景な光景が、何処までも延々と続いている。
 地中に穿たれた大空洞は、場所によっては白っぽく見えるが、他の岩壁の大抵は、地中を掘り返した土の色──赤茶けた大地の色だ。潜行当初は薄暗く感じた坑道も、目が慣れるにつれ仄かに明るさを帯びてくる。坑道内部に、照明の類いは一切設置されていないが、にも拘らず、進路が分かる程度には見通しが利く。どうした訳だか、常に一定量の光量が、坑道自体によって供給・確保されているのだ。無論、人間様の都合に合わせて、そうなっている訳ではないんだろうが、こうした大自然の仕組みには、まったく驚嘆させられる。
 
 商都の街中から、地下坑道へと潜行してから、しばらく時間が経っていた。
 鼻歌混じりの上機嫌でキョロキョロしながら歩いているのは、クレスト領家の当代領主、ダドリー=クレスト──つまり、この行程の、仮の主だ。馬の手綱をこっちに押し付け、脱いだジャンバーを左肩に引っ掛け、一人身軽になっている。同行していた部下どもは、外で待機中の仲間を誘導すべく、トラビア側出口方面へと先行させた。だから、後を追っかけて来る連中の"餌"として坑道内に残っているのは、ここにいるコイツと自分の二人だけ。
「──なあ、大将よお」
 落ち着きのない隣の癖っ毛を振り向き、堪りかねて声をかけた。
「連中ついて来てねえみたいだぜ。ここらで少し待ってみちゃどうだい。こんな所で迷っちまったら厄介だぞ」
 そう、何をはしゃいでいるんだか、こいつが早く早くと急かすから、地下に降りてしばらくは、結構な速さで飛ばして来たのだ。そして、案の定と言うべきか、あの連中はこっちに付いて来られなかった。
 だが、物珍しげな顔で、壁をペタペタ叩きながら歩いている北カレリアのご領主様は、
「チンタラ待ってる時間はない。説得してる時間もない」
「──だが、」
「だ〜い丈夫だって♪ だっから、パン屑撒いて来たんだろー? カーシュは意外と心配性だなあ」
 惚れ惚れとした感嘆と共に、坑道の天井を「へえ……?」と仰け反り見上げたままで、こっちのことなんか見向きもしない。──いや、パッとこっちを振り向いた。そして、
「なあなあ! 俺のアレ、いい案だったろー! きっと、あいつら必死になって、今頃地面に顔くっ付けてんぞー?──ああもう! ラルのしかめっ面が目に浮かぶなーっ♪」
 目を輝かせた満面の笑みで、ウキウキとこっちにまで同意を求め、挙句に「ああ、俺ってば親切!」と自画自賛する始末。まったく、何がそんなに嬉しいんだか。
 浮かれはしゃぐ連れを見やって、内心密かに溜息をついた。
「……そもそも、なんでパン屑なんだよ」
 なんだコイツは、と、ちょっと引きつつ、言いたそうなので訊いてやる。
「なんでって、」
 北カレリアの領主は、片脚に重心を預けて向き直ると、小首を傾げて顔を見た。
「だって、"迷った時の目印"っつったらお前、おとぎ話の昔から "パン屑"って相場は決まってんだろ?」
「……」
 それかよ? わざわざこっちに用意させた小道具の用途は。
 しかし、パン屑? おとぎ話? まさか──
 
『 ヘンゼルとグレーテル 』 か?
 
 作者不明のおとぎ話。継母に苛められた兄妹が、森の中に連れてかれて捨てられるってアレだ。しかし……
 発想のあまりの幼稚さに、内心密かに頭を抱える。絶対にそれを狙ったものだろう。"おとぎ話"がどうとか口滑らしてたし。
 カレリア南のレーヌの浜には、時化(しけ)のあった翌日なんかに、たまに奇妙な物が流れ着く。この『ヘンゼルとグレーテル』ってのも、その一つだ。金満家に見出され、瞬く間に世間に広く広がった童話集の内の一話だが、何故か、これを執筆した筈の"グリム"という作者が何処にも存在しないのだ。
 そういえば、ここに流れ着く物は、市井の暮らしに影響を与えることが多い。商都カレリアの盛り場辺りで、よく聞く定番曲なども、元を辿れば、薄汚れた布の鞄に一緒に入っていた歌謡集らしきものの一編が、節を付けて歌われるようになったものだし、両袖を通した足首までの長布を、腰の辺りで紐で結ぶだけの衣服は、"掛着"と呼ばれて、レーヌの漁師が好んで着る衣服ともなっている。
 と、それはともかく、大手を振って歩くご領主様は、喜色満面。どうも、この潜行を探検ごっこか何かと勘違いしている節がある。しかし、げんなりと嘆息するこっちに構わず、ダドリー=クレストは大口開けてカカと笑う。
「ちゃあんと手は打ってある。あれでついて来れなきゃ阿呆だぜ」
「……」
 ああ、ああ、そうだろうともさ。例え、おとぎの国に迷い込んだとて、コイツなら、しっかり逞しく生きてゆけることだろう。いたいけな住人どもの食い扶持までをも分捕って。
「──さ、行くぞ、カーシュ」
 癖っ毛の態度は、平然としたもの。気にした様子はサラサラない。
 馬の頭をニコニコ撫でてるその横顔をチラと見やって、肩をすくめて手綱を引いた。どんなに阿呆でも、今は主だ。コイツからの指示は絶対なのだ。
 仕方なく馬を引きつつ、肩越しに、振り返り、振り返り、歩いて行く。
 赤茶けた坑道の先を、矯めつ眇めつ見てしまう。やっぱり、連中が追いついて来ない。まさか──
 
 まさか、遭難 したか?
 
 ……縁起でもねえ。
 不吉な想像に、思わず、強く首を振る。
 しかし、さっきから、なんだか妙に胸騒ぎがするのだ。
 そう、くっ付いて来ない連中の様子が、どうにもこうにも気にかかる。この坑道は天井が高くて、視界も利く。馬を引いた人間二人が、横に並んで歩ける程度には横幅もある。だが、坑道内は複雑だ。何処かで道一本でも間違えようものなら、たちどころに迷い込んで出て来られなくなること請け合いだ。商都の立地は内海寄りに位置しているから、ずっと北上を続けていれば、最後には当然、断崖絶壁に突き当たる。突然地面が途切れて消え失せ、哀れ足を滑らせて、荒れ狂う内海にドボン……なんて笑えないオチも、あながち、ないとは言い切れない。そうなりゃ、内海を回遊している鮫どもの餌食になるのは、ほぼ確実で──と、ドンと何かにぶつかった。
「踏むなよカーシュっ!」
「……あー?」
 突如激しく抗議され、何事だ?と目を返せば、足元にしゃがみ込んだご領主様だ。一瞬、ふっ飛ばしちまったかと焦ったが、そういう話でもないらしい。別に尻餅はついてないし──いや、こっちの左脚を両手で掴んで、何故だか喚いているようだが……?
「──足だよ足っ! 早く退けろよっ!」
 舌打ちしてガナり立て、もう見るからに慌てた様子。なんだか知らんが、えらい剣幕だ。
「あ、ああ……」
 早く早くと急かされて、掴まれた左脚を持ち上げてやれば、焦げ茶の地面に転がっていたのは、一本の万年筆……?
 キャップが外れかけている。見るからに高価そうな黒光りする本体と金の装飾。慌しくそれを拾い上げ、ご領主様はパタパタ埃を払っている。キャップを外して、金のペン先が曲がっていないか確認し……
 どうやら余所見をしていて踏ん付けちまったらしいのだが、しかし、そんな剣幕で怒鳴るほどのことかよ。その凄まじい執着振りには、しばし呆れて物が言えない。そもそも、そんなに大事なもんなら、落っこち易い上着のポケットなんかに入れておくなよ、ご領主様。しかも、自分で散々振り回しておいて──と、キッとこっちを睨みつけた。
「これはタダ=サイテスの逸品なんだぞっ!」
 ……おい、涙目かよ。
 たかが踏ん付けられたくらいで情けねえ。しかし──
「へえ、タダ=サイテス。あの、彫刻の」
 その名がふと引っ掛かり、ご領主様の手の中にあるそれを、マジマジと眺めた。
 そいつは確か、高名な彫刻家の名前だった筈だ。近年、トラビアで病没したと《 書き売り 》の記事か何かで読んだ覚えがある。他界をきっかけに "サイテス・コレクション"の価値が急騰しているのだとか何とか……。しかし、そんな奴が、こんな実用品にまで手を出していたとは知らなかった。そういや確か、湯飲みみたいな壷一個に馬鹿みたいな値段がついてたっけな。
 そいつが作ったってんなら、確かに高価な物には違いない。しかし、金持ちのくせしてセコい奴だな。ペン一本踏まれた程度、そこまで怒ることでもなかろうに……?
 しかし、その疑問は、すぐに解けた。
 ご領主様は、プリプリしながらこう言ったのだ。
 
「これは、去年の誕生日に、かーちゃんから貰った命より大事なものなんだからなっ!」
  
 ……オーバーな。
 ペン一本が何ぼのもんだよ。
 しかし、向こうは至って大真面目なようで、大切そうに両手で包み込んだそれにフーフーと息を吹きかけ、シャツの胸にゴシゴシと擦り付け、挙句にハンカチまでも取り出して磨き始める始末。今にも頬摺りしそうな勢いだ。顔をくっ付けんばかりにして、大事なペンをキコキコフキフキ始めた領主は「壊れたら、どうすんだよー……」と、それはもう、いたくご立腹の様子。
「……悪かったな」
 そんなに、かみさんが大事かね。高々物一個の、いや、女一人のことじゃねえかよ。
 しかし、そんな小さな物が転げ落ちたくらいで、よくも間髪容れずに気付いたもんだ。普通は見過ごしてるぞ? そんなもん。そもそも養ってやってる女房の機嫌なんかを、そんなに気にしてどうするよ……
 ──ああ、そうか。
 ふと、気がついた。
 ──ご領主様は新婚だったな。
 いやはやなんとも気が抜けてしまい、やれやれと頭を掻いて苦笑いする。要は、大きなお世話ってヤツだ。軽く肩をすくめて、振り向いた。
「しかし、あの色男のお偉いさん、青白くて、細っこくて、如何にもひ弱なボンボンって感じだったぞ。地面にパン屑撒いた程度で、本当について来られるのかねえ」
 いささか疑問だ。
 おもむろに腕を組み、背後の道へと顎をしゃくる。
「あの調子じゃ奴さん達、途中で諦めて引き返しちまうんじゃねえか? だが、そんなことにでもなりゃあ、こっちはちっとばかり困ったことになっちまうんだよなあ……」
 嫌味混じりに言い置いて、隣のご領主様を見た。
「商都に戻って "抜け道" 潰しにかかったら、あんた、どうしてくれんだよ。"勝算はある" みたいな大風呂敷広げるから、あんたの酔狂に付き合ったんだぜ」
 ムッと口を尖らせて、ご領主様は肩をすくめた。
「あるさ、勝算なら。心配すんなよ」
「──だがよ、万が一ってことも」
「来るさ」
 きっぱりと断言。いやに自信満々の態度だ。
「ラルの奴は必ず来る。ああ見えて、あいつ、すっげえ負けず嫌いだからな。石に齧り付いてでも、絶対こっちに追いついて来る」
 力強く太鼓判を押す。確信ありげな口調だ。──と、癖っ毛の後ろ頭を片手で掻きつつ、相好を崩してにんまりと笑った。
「俺、アイツのそーゆうトコ、嫌いじゃないんだよなあ、たまにムカツクけど」
 ……そーかい。勝手にしろや。
 麗しの友情ごっこに興味はない。
 
 未だ人けなくシンと静まり返った坑道が、何処までも延々と続いていた。
 連中の姿は、まだ見えない。忌々しいほどに静かな背後を、肩越しに再度振り返り、もう何度目になったか分からぬ舌打ちをする。ご領主様は、湿った岩壁に両手を突いて、今度はクンクン嗅いでいる。──と、嬉しそうな至福の表情。そんなにいい匂いがするか? それ。
 手綱を引いて馬を止め、溜息混じりに目を戻す。グルリと四方の壁を見回した。コイツはこの地下道がいたくお気に入りらしいが、こういう狭っ苦しい所を延々と歩いていると、閉じ込められちまったみたいで気分が悪い。こんなに頑丈な造りなら、ちっとやそっとじゃ崩落したりはしないだろうが、四方八方から嫌な閉塞感をヒシヒシと感じる。ああ、早く明るいお天道様を拝みたいものだ。それにしたって──
 終わりの見えない道の先を眺めやり、相変わらず上機嫌な癖っ毛の横顔をシゲシゲと眺めた。ご領主様もああして壁にくっ付いちまったことだし、それなら、こっちも一服するかと、岩壁に寄りかかって懐を探る。
「……なあ。なんだって、あんた、そんなにあの色男の官吏に拘るんだよ?」
 こっちにとっては迷惑至極だ。お陰で、カレリアの官吏に"抜け道"のことまでバレちまったじゃねえかよ。確かに、コイツは、絶対に迷惑はかけないと誓ったし、部下どもが熱心に口添えするから、渋々話に乗ってもやったが──
「……る」
「あ──?」
 なんだって?
 とっさに、意味が掴めない。
 壁に向かって返事をしたから、聞き取れなかったのか。──いや、声量の問題じゃない。耳にはちゃんと入って来た。今の言葉が聞き取り難かったのは、声の調子に違和感を感じて、頭が意味を掬い損ねたからだ。
 今、コイツはなんと言った? 辛うじて聞き取った音声を、もう一度ゆっくりと再生してみる。普段の小煩いコイツには、何処かそぐわぬ硬い声……
 
 ──"金が要る"と言ったのか?
 
 奇妙な答えに、首を捻る。
 何の気なしに顔を覗けば、ご領主様は僅かに眉をひそめて、至近距離の壁を睨みつけている。俯き加減の強張った横顔は、苦虫噛み潰したような真摯な面持ち、思わぬ煩悶の表情だ。
 一本勧めてやろうと伸ばした利き手が、中途半端な空中で止まった。その気配に気付いたか、ふと瞬いた癖っ毛が、クルリとこっちを振り向いた。
「うん。ラルにはやって欲しいことがあるからな」
 ……あ?
 煙草を手にしたこっちの手から、何事もなく「サンキュ」と受け取り、いつものでかい態度で飄々と笑う。ああ、ラルがどうとか……は、さっきの続きか? 様子に変わったところは、別段ない。腕白さが隠し切れない普段の顔。
「……そうかい」
 なんだか、狐につままれたような気分だ。何かが釈然としなくて首を傾げる。指に煙草を挟んだご領主様は「なんだよー?」と怪訝な顔。
 ……なんだ今のは。こっちの見間違いか? ここ薄暗いし。
「カーシュ」
「──あ? な、なんだ?」
 唐突に名を呼ばれ、ハッとして顔を振り上げた。
 ご領主様が、こっちを見ている。しかし、何故だかキョトンとした顔をしているが……?
 何故か、クイと片手を持ち上げた。
「"なんだ"って……火は?」
「は? ひ?」
「そう。火」
「……」
「……」
 
 ちょっとの間、見つめ合う。
 
 ……なんだ。
 
 相手の意図を、ようやく悟る。
 火ィ点けてくれって催促かよ。
 
 脱力しつつもマッチを擦って、銜えた先に点火してやり、気付いて、自分も未点火の煙草に火を点けた。やれやれ……
 このご領主様は、人懐こい。無邪気と言ってもいい程に。ノースカレリアの天幕群に、領主直々、単身乗り込んで来た、と聞いた時には、どんな胸糞の悪い威圧的な野郎が乗り込んで来たかと、総員、俄然殺気立ちもしたが、いざ蓋を開けてみれば、この有様だ。まったく調子が狂うというか、力が抜けるというか。
 もっとも、随伴者達から総スカンを食らうかと思いきや、このご領主様は、今、部下どもの間じゃ、ちょっとした人気者だ。
 そう、偉い筈のご領主様に、何の衒(てら)いも頓着もなく、まるで親しいダチにでもするような自然な仕草で「よろしくな」と笑いかけられた時には、どれほど拍子抜けして面食らったことか。単身、初対面の相手を前にして、怯むでもなければ物怖じするでもない。いつだって、いつの間にか、人だかりの輪の中心にいる。身を低くして顔を寄せ「一緒に悪巧みしに行こう」と誘うかのように悪戯っぽい顔で不敵に笑う。
 別に握手されたからって訳じゃあないが、なんだか、それほど嫌じゃない。これが厄介事を持ち込んだ張本人であることについては何ら変わりはない筈なのに、なんというのか、妙に憎めない奴なのだ。
 岩壁にもたれて、ふぅーっと一服。出口まではもう一息、か。まあ、こんな狭っ苦しい所とは、さっさとオサラバして、思う存分新鮮な空気を──
「なーなーカーシュ! これ見ろよー!」
 癖っ毛が唐突に壁を叩いた。
「商都に入った時にも思ったけど、ホンっトすげえな、この"抜け道"!」
 嬉々とした絶賛が、坑道の天井に木霊(こだま)してクワンクワン響く。
「──かーっ! いいなー! この"抜け道"ィ! こーゆーのがガキの頃にも近くにありゃなあ……」
 さも残念そうに指を鳴らして、クルリと振り向く。
「なーなー、ガキの頃にさ、"基地ごっこ"とかして遊ばなかったー?」
「……(な、なんだ? "キチごっこ"って)」
 奇妙な名称に、たじろぎつつも小首を傾げた。何処となく惹かれる語感だが……?
 しかし、目をキラキラさせたご領主様は、そう言った傍から平手で岩壁をバンバン叩き、グルリと首を巡らせて、それはそれは嬉しそうな顔で、四方八方をワクワクと眺め回している。──かと思えば、ピンと突き立てた人差し指で、近くの壁をヒョイと掬って、マジマジと見ている。今にも舐めちまいそうな勢いで。
 ……ああ、また始まったか。
 密かにゲンナリと肩を落として、ついつい深く嘆息した。
 どうやら、ご領主様は、この地下坑道がいたくお気に召しちまったようで、商都へ侵入する際にも、中で目隠しを取ってやった途端に、"おー!?" とか "うー♪"とか言いながら、こんな調子で浮かれっぱなしだったのだ。どうせ、あの連中の話をしながらも、あちこち見て回りたくてウズウズしてたに違いない。
「カーシュぅー、なーなー、あの天井、何で出来てると思うー?」
 ──んなもん知るか!?
「なんか、ちょっと、しょっぱかったんだけど」
「……」
 舐めたのか。
 思わず絶句し、ぐったりと脱力する。まったく、いい年こいて、コイツは何を考えているんだ。
 嘆息した目の前を、天パー頭が、あっちをウロウロ、こっちをウロウロ。ああ、鬱陶しい。
「なー、こっから塩とか採れたりしねーかなー。あ、人体って塩分が意外と重要なんだって知ってるか? そーいや、こっち側って内海が近いし──あ、なーなー案外、ここの岩って海水が染み出て……」
 イラッときた。
 
 
 
 
──ちったあ、落ち着けや! ご領主様!
 
 
 何がそんなに楽しいのか、額に手を翳した癖っ毛は、目線の高低と首の角度を色々変えて、赤茶けた天井のあちこちを、うろうろソワソワしながら眺め上げている。風が動いた微かな気配に、ふと、そちらに目を戻し、ギョッと驚愕に固まった。
「──あ! おい! 勝手に行くな! そっちじゃねえ!」
 ホクホクと突出した癖っ毛の後頭部が、右の分岐へ入ろうとしている!?
 慌てて襟首掴んで引き戻す。「なにすんだよー?」と、ご領主様が不貞腐った顔で振り向いた。
「分かれ道は "常に左" だ! 出掛けにちゃんと教えたろう!」
 道の分岐は、全て左を選択しないと、トラビア側の出口には出られない。
 市中への出入りに厳しい検閲が課される《 遊民 》にとって、街壁の地下を潜り、市中への出入りに使う"抜け道"は、金銀財宝にも等しい命綱。よって、進路情報は機密事項だ。偶然、部外者が踏み込んで来た場合に備えて、目印になりそうな物は一切置いていない。漏洩防止の為、文書や地図の類いは残さない。仲間内での伝承も、全て口承のみで行われている。
「……んー?……そーだったかあ……?」
 名残り惜しそうに坑道の先を眺めて、ご領主様はボリボリと癖っ毛の頭を掻いている。ブツブツ言ってる文句の中に「あっちの方が面白そうなのに……」と、こっちの怒りをメラっと誘うとんでもない台詞も漏れ聞こえる。
「無闇に曲がるな。迷い込んじまったら、どうする気だ。……なあ、勘弁してくれよ。俺は隊長から、あんたの身柄を預かっているんだぜ。怪我でもされたら、こっちが頭(かしら)にどやされちまうわ」
「──あーもー! うっせーなあ! そんな口喧しくグダグダ言うなよ。すぐに戻って来りゃ問題はねーだろ。俺は "箱入り娘"じゃねーんだぞ」
 プイと横を向き、口を尖らせたご領主様は、もう見るからに腐っちまった様子。
 ……ああ、面倒臭せえ。
 まったく、聞き分けのねえ"箱入り娘"だ。この"抜け道"については、これまでも散々説明してきたつもりだが、又一から説明しなけりゃならないらしい。その煩瑣なやり取りを思って、虚脱の溜息が漏れる。
 しかし、このご領主様は、隊長から保護するよう言いつけられた大切な要人。ここで投げ出しちまって、取り返しのつかない事故にでも遭われちまっては堪らないので、ほとほと嫌気がさしかけていた気を取り直し、まるで可愛くもねえ"箱入り娘"に、厳しく説教の目を向ける。
「この"抜け道"内には、俺達だって知らねえ場所は幾らでもある。何処にどんな得体の知れねえ化け物が潜んでいねえとも限らねえ。この坑道を見つけた当初にも、奥の方の構造を調べに、仲間が何人か入って行ったが、結局、誰一人として、こっちに戻って来た奴はいなかった」
 そう、あたかも神隠しにでも遭ったかのように。
 奥深い坑道内を改めて見回し、顎をしゃくった。
「俺達が普段使ってるこのルートは、安全が確認された道だけを選ったもんだ。決まった道を外れると、いきなり地面が陥没してたり、天井に鋭い氷柱(つらら)がびっしり生えてたりするんだよ。そんなもんが上からいきなり降ってきてみろ。柔な人間なんざイチコロで串刺しに──」
「でもさあ、カーシュー」
 不貞腐ってそっぽを向いてた癖っ毛が、クルリとこっちを振り向いた。
「さっきから、あっちの方で、なんかチョロチョロ水の音がしてんだよなー。なーなー案外、泉か何かが湧き出してたりするんじゃねえか?」
「……」
 だったら、どーした。
 つまり、この阿呆は、水音につられて走り出したのか?
 まったくガキみたいなご領主様だ。そもそも矛盾してるだろ。ついさっさ「時間がない」と抜かしやがったのは、他でもないテメエの方じゃねえのかよ。
 悪びれた様子もない飄然とした顔を前にして、思わず片手で額を掴む。「観光スポットじゃねえんだぞ……」と脱力の溜息をついちまう。
「あれだけ説明してやったのに、あんた、ま〜だ分かってねえな? この"抜け道"が、どんなに危険な場所なのか」
「……分かっているさ、そんなこと」
 ご領主様は、ムッと口を尖らせる。
「こいつは、お遊びなんかじゃねえんだよ。出来れば俺らだって、こんな薄気味悪い場所になんか潜りたかねえよ。第一、先を急いでるんだろうが。外じゃあ手下どもも、暑い中あんたが出て来るのを待っている。寄り道してる暇なんかねえ筈だろう」 
 呆れて諭せば、本格的に不貞腐ったようだ。ガキみたいに口の先を尖らせるから、すぐに分かる。だが、どうせ素直に降参しないで、あくまで反論しようと突っ掛かって来るんだろう。ノースカレリアから同行した誼で、実は、コイツが結構な負けず嫌いであることは知っている。──と、案の定、クルリとこっちを振り向いて、
「でもさあ、カーシュー。商都に入った時には、ずっと左って訳でもなか──」
「トラビア側の出口に出んだよ! あんた、そっちに行くんだろっ!」
 侵入路と退出路なら、そもそも左右が真逆だろ!?
 巻き舌も交えつつ怒鳴りつけてやったら、プイっとそっぽを向きやがった。まったく、何をそんなにはしゃいでいるんだ。このアホは。
 ああ、まったく落ち着きがない。払っても払っても笑顔で脚に纏わりついて来るウザったいジャリどもの相手をさせられているようだ。
 それにしてもコイツ、絶っっ対に、遊んでいるよな。あんな撒き餌まで用意させやがって。如何にも真面目な顔で指示するから、まさか、あんな下らねえ用途で使うもんだとは、夢にも思いはしなかったが、まったく、な〜にがパン屑だ。──と、何かが意識に引っ掛かった。
 ふと、それについて考える。そう、『 ヘンゼルとグレーテル 』ってのは確か──
 そこに含まれる重大にして不吉なる瑕疵に、唐突に気付いて無言になる。そう、あれは確か、
 
 撒いといたパン屑を、鳥どもに食べられて、
迷子になる って話じゃなかったか?
 
「む……」
 
 まさか、ワザとやってんじゃねえだろうな、この天パー。
 思わず、肩越しに振り返る。
 人の気配は、未だ、ない。これは、やっぱり、……
 
 
 
遭難、か?
 
 ……
 
 ……
 
 ……
 
 
 
 ビバ、パン屑!
 
 
 
 
 

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