CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章 4話1
(  前頁 /  TOP /  次頁  )


 
 
 視界一面に広がったのは、生い茂る野草と石砂利の、殺伐と乾いた荒れ野だった。遠い西の地平の果てには、山の稜線がうっすらと見える。
 蒸し暑い。
 右手にある内海のせいだ。待ち侘びた筈の太陽が、あれだけ澄んでた青空が、妙に白々と色褪せて見える。
 降り注ぐ灼熱の下、額の汗を腕で拭って、背を肩越しに振り向けば、白茶けた断層が、威圧するように聳え立つ。天変地異か何かで山がポッカリと二つに割れて、その半分が何処かに消えてなくなっちまったような切り立った断面──カノ山の断層だ。
 ディール領に属する南部の町の大抵は、国土を東西に貫く街道の南に位置している。街道から北に離れたこの辺りは、不規則に点在する山林に邪魔され開発が思うように進まなかったのか、この蒸し暑い気候風土で断念したのか、人の手が入ることなく放置され、荒れたまま、野放しのままになっている。よって、この辺りには、民家もなければ、人もいない。商都からも死角にあり、つまり、潜行するにはもってこいの場所だ。
 僅かに西に傾いだ太陽が、ジリジリと照り付け肌を焼く。歩く都度、靴裏で踏みしだかれた石砂利が、ジャリジャリと耳障りな音を立てる。
 途端に汗の噴き出た腕や額を、海からの風が叩いていく。多分に湿り気を帯びた強い風、内海から吹き上げる潮風だ。巻き上げられた細かい砂と噴き出した汗とで、体中がザラザラ、ベタベタする。
 内海からの強風を受けて、断崖に設けられた風車の羽がクルクルと規則的に回っていた。常に聞こえる轟音は、大陸にぶち当たった内海が、切り立った断崖を叩く音。それに混じって、ザワザワと話し声がする。進行方向、断崖手前の右手の林だ。
 そこで憩っているのは、先行・待機させておいたこの行程の面々、林を丸ごと一つ占領しちまうほどの大所帯──五十騎から成る騎馬隊だ。さすがに、これだけの数の馬を、一度に街中に引き入れる訳にはいかず、商都から目立たぬこの場所で、ずっと成りを潜めていたのだ。野営は既に引き払っているようで、ザッと見たところ、テントの類いは見当たらない。すぐに出られる体勢を整え、各自めいめいに木陰で羽を伸ばしているようだ。
 ぽっかりと口を開けた断層面の坑道に、人の気配は未だにない。そして、再三にわたる救助の進言を徹底無視して、北カレリアの領主は、最後まで我を張り通した。
 そう、癖っ毛は、ただの一度も、後ろを振り返りはしなかった。
 
 
 
【 坑道前にて 】
 
 
 
「おう、どうだったい、大将。"抜け道"は」
 ポンと、隣の肩が叩かれた。
 帰還を目敏く見つけた連中らしい。近くにいたのか、リラックスした笑顔で、早速、声をかけて来る。
「やー! みんな待ったあ?」
 愛想良く答えた領主の気楽な返事が聞こえたのだろう。木陰で雑談に興じていた連中も「おお、やっと出て来たか……」といった顔で、ボチボチこっちを振り向いた。その多くが、よっこらせ、と腰を上げ、ワラワラと集まって来る。
「よお大将、"抜け道"は面白かったかい?」
「商都に入る時にも、あんた、目ぇ皿みたいにして見ていたもんな」
 瞬く間に領主を取り囲んだ連中が、次々に笑顔で労いの声をかけてくる。ちょっとした人だかりだ。生還祝いってか? "抜け道"から出て来ただけだぞ、オーバーな。
 癖っ毛は、いつものふてぶてしさで愛想良く頷いた。
「ああ! すんげえ面白かった! しっかし、いつ見ても、すっげえよなアレ! なんで、あんなもんが出来ちまうんだろうな。大自然の神秘ってヤツ?──ああもう、すんげえ面白かった! なーっ! カーシュ!」
 同意を求めて、こっちの名を呼び、いつものようにじゃれ付こうとする。
「──纏わりつくなよ、ご領主様」
 無下に、その手を振り払っていた。
 ハッと気付いて見渡せば、周囲はポカンと動きを止めている。小首を傾げた怪訝な顔、顔、顔……
「あ、暑苦しいだろ……」
 どぎまぎと目を逸らして、とっさに言い訳。
「ど、どうしちまったんです、班長」
「中で、何かあったんで?」
 一瞬の拒絶の内に刺々しい不快感を感じ取ったか、事情を知らない連中が、口々にそれを訊いてくる。
「──なんでもねえよ」
 機嫌を伺う上目遣いに急に気まずくなって、舌打ちして、輪から外れた。
 前にいた奴を無理に押し退け、人垣の外へ出る。腹立たしい。今では見慣れた馬鹿騒ぎが、今は、とんだ茶番に見えて、いやに空々しく、いやに虚しい。
 連中は怪訝な顔で首を捻ったが、些細な仲違いか何かだとでも思ったのだろう。特別それに拘るでもなく、取り囲んだ領主の方へと背を戻した。
 ──今、あいつ、どんな顔をしただろう。
 ふと、それが気になって、肩越しにそっちを見返せば、何のことはない。癖っ毛は普段と何ら変わらぬ飄々とした顔で、周りの連中との話に打ち興じていた。坑道での発見やら冒険談やらを、身振り手振りを交えて得意げに披露しながら、ワイワイ楽しくやっている。たった今、見捨ててきたダチのことには、一言も触れようとはしない。
 楽しそうに語る横顔に、一時怯んだ忌々しさが、急速にぶり返した。ほんの僅かではあったけれど引っ掛かるものを感じたから、少しでも罪悪感があるのかと思いきや、そういう訳でもないらしい。
 心中で、悪態を吐き捨てる。
 まったく、どういう神経だ。窮地にいるダチに背を向けておいて。一貫して変わることのない飄々とした態度が、──いや、全く動じていないからこそ腹立たしいのだ。そうだ。あんな真似を仕出かしておいて、何故そうも、何事もなく笑っていられる。何故そうも、平気な顔で話していられる。
 苦い諦念を、拳に強く握り締め、深呼吸して歩き出す。
 さっさと頭を切り替えなければならない。どんなに嫌な奴であろうが、あれは護衛すべき対象──この行程の雇い主なのだ。
 嫌なモヤモヤを吹っ切るべく、一つ、強く頭を振る。念願の明るい太陽の下、思い切り両腕を伸ばして伸びをした。陽光をまともに見上げてしまい、眩んだその目を眇めて返せば、群れから離れたこっちの姿を見つけたらしく、この馬鹿騒ぎにも混じらず木の下で休憩していたらしい連中が、腰を上げて、やって来るのが見えた。
「──班長っ!」
「お疲れさまです! カーシュさん!」
 笑顔で、労いの言葉をかけてくる。出発時に同行した件の三人──右から順に、アンガ、バサラ、ミルバ。古馴染みのこいつらは、幾度も戦場を共にしてきた古参の成員、最も信頼の置ける腹心の子分どもだ。
「留守中、何事もなかったか? 気をつけて見ておけよ。今はウチの隊だけじゃなく、"レッド・ピアス" んトコのも、少し混じっているからな」
「今のところ、揉め事は何も。──で、何を怒ってるんです、班長」
「……別に」
 元より愛想のあるよな顔でもないが、それに輪を掛けて仏頂面になっちまってたらしい。バサラにそれを指摘され、思わず元凶を振り向いた。領主を取り囲んだ部下どもは、相も変わらず、楽しくヘラヘラやっている。ああ、忌々しい。
ああ、いつまで、そんなことしてるんだ、お前らは。そんな奴と喋くると、薄情が感染うつるぞ?
「散れ! 散れ! 野郎ども!」と密かに妨害念波を送りつつ、ふと人垣の向こうに目をやれば、領主が小首を傾げて、こっちを見ていた。じっと、何かを量ってでもいるような眼──?
 ギクリと目を逸らした。
 あいつは、たまにああいう眼をする。本人にそんな気なんかはないんだろうが、何か観察でもされているようで居心地が悪い。無意識のようだが、あれはあいつの癖なのか? 
 なんだか負けたようで癪になり、もう一度強面作って、睨みつけてやった。それを待ってでもいたように、癖っ毛野郎が不敵な顔でニッと笑う。
 思い切り、顔を背けてやった。ほぼ反射的に、だったが……。ああ、なんて小生意気な奴なんだ。
 溜息が出た。
 あそこでふざけ合っている連中は、あの領主が自分のダチを、街から誘(おび)き出そうとしていたことを知らない。
 
「──で、班長、例の堅気どもは」
 名を呼ばれて我に返れば、事情を知る子分どもだった。
 早速、首尾を訊いてくる。頭を掻き掻き、脚を踏み替え、バサラが右手の"抜け道"を振り返った。
「姿が見えないようですが」
「出て来てねえってんなら、まだ中だろ」
「「「 まだ中!? 」」」
 ギョッと、三人が声を揃えた。他の二人も、坑道のある断崖を、唖然とした顔で振り返る。
「街に戻っちまったってんじゃねえでしょうねえ。──って、どうするんです班長! "抜け道"バラしたことが隊長に知れたら、自分ら、ただじゃ済みませんよ!?」
 そこに気づいたアンガの言葉に、連中の血の気がザッと引いた。途端に青ざめ、見るからに落ち着きをなくした様子。今にもあちこち駆け回りそうな勢いで、「フクロだ! 副長にフクロにされる!」とアワアワ忙しなく騒ぎ立てる。……まったく。そんなに吊り目が恐いかよ?
 ──と、ピタリと動きを止めた。
 キッと振り返ったどの顔も、決然とした真顔だ。一斉にコクリと頷いた六つの目が「逃げしましょう! 班長!」と切実に夜逃げを訴えてくる。
「ま、そう慌てんなって。そいつはねえよ、賭けてもいい。途中までは、確かに、こっちの後ろにくっついて来てたんだ。気配が消えちまったのは真ん中辺り。あそこからじゃ、街になんか戻れっこねえよ」
「……そ、それも、そうっすね」
 連中が、ホッと安堵の息をつく。だが、それも束の間で、ハタと、ミルバが瞬いた。
「でも、──てぇことは、奴さん達、ど真ん中で迷っちまってるってことですか。でも、それじゃあ……」
「……なあ」
 三人が互いの顔を見合わせる。
「ちとヤバくねえっすか? あいつら、かなり良い身形でしたぜ。戻って来ねえと向こうに知れりゃあ、仲間が騒ぎ出したりしませんかね」
「俺達が一枚噛んでる証拠は何処にもねえよ。無理に掻っ攫ったってんでもねえんだし……。あいつらが勝手に追って来たんだ」
 どこかで聞いた台詞だな、と、ふと、そこに気が付いた。
 あの領主の言い草だった。自分もそこまで墜ちちまったようで、苦々しいものが胸にこみ上げ、苛々と舌打ちする。
「でも、班長。自分らが出てから、もう随分経っちまってますよ。本当に大丈夫なんすかね、連中だけで」
「──さあてな」
 三人それぞれに言い募られて、坑道の入口をブラリと振り向く。白茶けた断崖は、何事もなく平穏無事に静まり返っている。だが、中では今頃、出口を探す四苦八苦の修羅場が、必死で繰り広げられているんだろう。
 癖っ毛の、あの冷たい言い草を思い出して、ムカツキが不意に込み上げた。
「──んなもん俺の知ったこっちゃねえよ!」
 言っちまってから気付いたが、これじゃあ、心配してやったコイツらの方こそ、いい面の皮じゃねえか。案の定、連中は、「でも……」と、互いの顔を所在なく見合わせている。
 不機嫌の顔を作った裏で、少々バツの悪い思いを味わっていると、肩越しに断崖を見た右端のアンガが、おずおずとそれを申し出た。
「ちょいと行って、自分そこらをザッと捜して来ましょうか」
「ご領主様は "必要ねえ"とよ」
「──けど班長」
「勘違いするな。この行程、隊を束ねるのは確かに俺だが、指示を出すのは俺じゃねえ。雇い主の、あの領主だ」
 人垣の外側で、大口開けたバンダナ男が、間の抜けた面で笑っている。踵を返してそこまで戻り、手頃な所にいたそいつと隣のノッポ、二人合わせて襟首掴んで引き戻した。
「おい、お前ら。一っ走り行って、西の方を見て来いや」
「……あ? ああ、はい」
 片手を上げて頭を掻き掻き、捕まったバンダナとノッポが、首の上だけで頭を下げた。
 人の輪から外れ、雑談しながら、モソモソと木陰へ歩いて行く。自分の馬を取りに行くのだろう。事情を察して、隣で見ていた子分どもが、ふと、こっちを振り向いた。
「──ああ、ここいらはもう、ディールの領土でしたっけね」
「途中で鉢合わせなんかしちまっちゃ、ヤバイっすもんね」
 そう、ここから先の道のりには、これ迄のような盾はない。街道に平行する山林もなければ、潜伏に格好な大樹海もないのだ。商都〜トラビア間は開戦地だ。いつ何時、向こうの軍兵と出くわさないとも限らない。
 山間(やまあい)の道を幾つか越して、更に西へと進んで行けば、やがてトラビア草原に辿り着く。その先がディールの拠点、国境の街トラビアだ。確かに辺りは荒れ野だが、暇なトラビア兵が出張って来ないとも限らない。情報が皆無で、今、どの辺りで、何がどう動いているのか皆目見当がつかない為に、この大所帯では、早々迂闊な動きはとれない。
 やはり、連絡員ワタリがいないと、どうにも不便だ。この行程、当初の話では、この戦には無関係なノースカレリア〜商都間の単なる往復──つまり、気楽なピクニックだけの予定であって、まさか、今まさに渦中にある商都〜トラビア間を移動するなんてことになろうとは全くの想定外だったから、そうした用意は何もしてきていない。もっとも、連絡員あれは副長配下の手駒だから、あの吊り目が向こうにいれば、必然的に向こうに付くことにはなるのだが──。情報が入らなくなるということは、手足をもがれちまうも同じこと。あの何気に意地の悪い副長が、自ら不利益を被ってまで、てめえの耳目を他人に貸し与えるなんて善行を、申し出るとは思えない。
 指示した二人が馬に跨ったのを見届けて、草原の南へと踵を返した。
「俺は街道の方を見てくっから」
「──あ、いや班長! ゆっくり、ここで休んでて下さい」
「そんなことは自分らの方で──!」
「いや、いい。俺が行く」
 慌てて替わろうとする三人を遮り、片手を上げて歩き出す。
「ついでに顔洗ってくっから。川があったろ街道手前に。──どうも潮風ってのは、ジメジメベタベタしちまっていけねえや」
「……はあ? 川、ですか?」
 怪訝な声に振り向けば、三人一様に「へ?」という間抜け面だ。唖然とした視線の先を辿ってみれば──ああ、川だったら、こっちにもあるか……
 デカイのが。
 しかし、それについては気付かなかった振りをする。
「連中が戻り次第、出発するぞ。あそこで騒いでいる奴らにも、引き払う準備をさせておけ」
 だが、言い渡された三人は、どうにも腑に落ちなさそうに小首を傾げて、互いの顔を見合わせている。日頃は不精なコチトラが偵察役なんかを買って出たもんだから、それが不思議でならないのだろう。だが、熱烈歓迎を続ける何も知らないあの連中と、冷え固まった不毛な不信を、腹の底に抱え持つこっちの身とでは、いささか温度差があり過ぎた。
 今、あの馬鹿騒ぎに混じるのは抵抗がある。いや、見ているだけで不愉快だ。少しでも早く、少しでも遠くに、あの目障りな喧騒から離れたい。
 何か言いたそうな面々を無視して、さっさと南へ踵を返した。
 草地に放れ、野草に首を突っ込んでいる自分の馬を取りに行き、引っ手繰るようにして手綱を取った。
 群れから離れて歩き出す。肩越しに振り向けば、領主の周りには相変わらず、楽しげな人だかりが出来ていた。
 苦々しい思いを吹っ切るように、南の街道向けて、馬を駆る。
 
 癖っ毛の鉄面皮には、僅かな動揺の影さえ見つけられなかった。きっと、あれの心臓には毛でも生えているんだろう。
 こんな時──ダチの遭難を知った時、並みの神経を持つ者ならば、とても雑談なんかしていられるものじゃない。あんな風に平静なんかじゃいられない。挙措を失い、あちこち駆けずり回って助けを求め、恐慌をきたすのが普通だろう。それが、何事もなかったかのような普段通りのあの態度。あの面の皮の厚さは並みじゃない。常人には到底真似の出来ない図太さだ。そうか、これが、これこそが──
 
 "クレストの血" を引く者、か。
 
 今になって、苦い笑いがこみ上げる。
 ノースカレリア指令棟、呼びつけられて客間に出向けば、中央のテーブルを挟んで、右手にあのご領主様が、その向かいで、脚を組んだ統領代理がにこやかに対峙していた。和やかに対応する代理のソファーの背後には、あの隊長が例の如くに無表情で立っており、綺麗な顔した副長は、態度悪く腕を組んで、後ろの壁に寄りかかり、彼らのやり取りに冷ややかな目を向けていた。幹部連中に愛想がないのは今に始まった話でもないが、しかし、あの領主も、まったく呆れた真似をする。
 そういう感覚は理解出来ない。いくら新婚だとはいえ、高々女一人の為に、そうまでしようとするものか? それを聞き、幹部連中もさすがに怪訝な顔をして、互いの顔を見合わせた。話をしていた統領代理など、唖然と絶句した後、領主にもう一度、念押ししたくらいだ。どうやら、こっちとあっちとでは、そうした価値観が大いに異なるものらしい。それもこれも、連中が置かれた安穏な環境の成せる業か。
 条件を詰めている間中、にこやかな統領代理と無表情な隊長の態度には、一貫して何の変化もなかったが、身を乗り出したあの領主に、友を助けに行くと熱弁を揮われた件(くだり)で、副長の口の端が少しだけ吊り上がったようだった。例の小馬鹿にしたような蔑みの嘲笑。
 領主の言葉にも顔つきにも、聞く者を納得させるだけの熱意と説得力があったから、副長の皮肉な調子には、柄にもなくムッとしたものだが、今にして思えば、あの反応は、正しかったかも知れない。
 多くの部下を見てきた副長は、この事態を見越していたんだろう。大層な口をきいてはいるが、いざとなったら、仲間を容易く見限る奴だ、と。
 
 確かに何を約束したって訳じゃない。だが、何かこっ酷く裏切られた気分だ。
 ……いや、それを怒ってみたところで、お門違いってもんだろう。こっちが勝手に"いい奴"だと期待して、それで勝手に裏切られた、それだけの話だ。
 それでも、あんな顔で笑いかけられると、どうにも調子が狂っちまう。無論、奴とは知り合いでもなんでもないが、何か昔からのダチのような気がしてならないのだ。何せあいつの態度には、気負いってもんが、まるでないから。そして、そうした事情は、他の連中にしても、こっちと同じであるようで──。
 今や、あの領主の人気はちょっとしたものだ。他の者が言うなら取り合わないような、どんなに下らない話にでも、皆、楽しそうに耳を傾け、嬉々として相槌を打ってやる。それは、あの気さくな性格もさることながら、本当の理由は、相手が "街の者" であるからだ。
 利害関係にある相手──例えば、あれが宿の親父なんかなら、ああした親しげな態度も頷けるが、別段何もない者から、こうも同等でまともな扱いを受けることなど、まずは、ないと言っていい。ゴミか何かを見るような──あの色男の官吏と取り巻きどもから向けられた不審そうな目つきの方が、むしろ普通の反応だ。そして、あんな風に敵愾心を剥き出しにして見下げ果てた視線を向けられれば、自然、大抵の者は身構える。
 それが、どういうつもりかあの領主は、頓着なく、分け隔てなく、まるで親しいダチにでもするように屈託のない笑みで話し掛けてくるのだ。こうなると、一人で気張っている方が馬鹿みたいに思えて、どうしたって心の警戒を解いちまう。ああして人懐こく笑いかけられると、うっかり同調しちまいたくなる。あの邪(よこしま)な正体は、知っている筈だ。なのに、それでも──
 
 それでも、どうにも憎めない。
 
 ……いや、分かっている。
 それを認めちまえば、膝を屈することになるようで、直視したくないだけだ。
 今は、笑顔を振り撒く癖っ毛の顔を見たくない。いや、本当に見たくないのは──
 ああも赤裸々に、はっきりと具現している以上、もう認めない訳にはいかないだろう。
 鈍く光を放つ"自覚"があった。
 心の深い奥底に埋もれ、底の底に沈んでいるもの。
 心に巣食う惨めな渇望を剥き出しのまま突きつけられて、こみ上げる苦々しさを噛み締めた。
 本当に見たくないのは、浅ましくおもねり癖っ毛にたかる、連中の、、、後ろ姿の方だ。それが突きつけてくるのは、他でもない自分の姿──密かに隠し持った本心だからだ。
 平気な振りして強がっちゃいるが、強面を作った肚ん中じゃ、誰もがそれを分かっている。誰しもそれを望んでいる。
 "対等な者として"接して欲しい、と。
 この存在を、認めて欲しい、と。
 自分らの声を、聞いて欲しい、と。
 
 俺達は、ここにいるのだと、、、、、、、、、、、
 
 
 
 
 

( 前頁 / TOP / 次頁 )  web拍手


オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》