CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章 4話4
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 虚を突かれて、立ち止っていた。
 原因は、癖っ毛の背中から漏れてきた押し殺した声。奴は今、こう言ったのだ。
「──何をグスグスしている! ラルの奴!」
 茶色の癖っ毛の後頭部が、前方の一点を睨みつけていた。視線の先には、断層の岩肌にぽっかりと開いた件の坑道の黒い入口。
 そろそろと更に近付き、風に弄られるがままの癖っ毛頭の背後に立った。後ろから辛うじて見えるのは、硬く強張った頬の線?
 意外だった。遠目では、ゆったり歩いている風だったのに。
 少々面食らった思いで、横から顔を覗き込む。
 思わぬ険しい顔つきだ。奥歯を強く噛み締めている。普段の表情を消し去ると、そいつの地の顔が現れる。つまり、コイツの地は、こんな面か、と、そんな埒もないことを、ふと思った。
 そこには、普段、部下どもに見せる愛想の欠片もありはしなかった。感情の起伏の窺えぬ茶色の瞳、何かを見極めんとするかのような温度の低い冷めた視線──ああ、常に他人を観察しているような、あの嫌な癖に通じるところがあるな……。そして、無言の内側から放たれているのは──
 意外なそれを、ふと悟って、妙に落ち着かない気分になる。
 
 午後の強い陽に晒されて、白茶けた断崖は、相変わらず閑散と静まり返っていた。当惑しつつも、背を向けた奴と同様そちらの様子を眺めやり、その目を返して顎をしゃくった。
「本当に、迎えに行かなくていいのかよ」
「──ああ」
 一瞬応えが遅れたのは、躊躇などではないだろう。どうやら、こっちが声をかけるまで、まるで気付いちゃいなかったようなのだ。その証拠に、声をかけた途端、ピクリと眉間に皺が寄った。
 さすがに身分の高い者らしく、この癖っ毛は日頃から用心深く抜け目がないが、勘の良いこの男にして信じ難いほどに無防備だ。特別足音を忍ばせているつもりはなかったが、こっちの問いかけに覆い被せるようにして、つっ返してきた返事には、忌々しげな響きが隠しようもなく混じっている。
 あくまで拒絶を貫く頑固な態度。それが無性に気に障った。
「もう一度言うが、中はかな〜りヤバいんだぜ?」
 意地悪く脅して、責めてやる。だが、聞いているのかいないのか、当の癖っ毛の方は、こっちに背を向けたまま返事もしない。
 甚振った自覚があるだけに、相手が無視すりゃ間抜けな茶番だ。
「──聞いてんのかよ。おい、何とか言えや大将よ。中は、かなりヤバいってんだよ! あの"抜け道"で迷った奴はな──!」
「ヤバい場所なら、」
 唐突に、癖っ毛が口を開いた。
 妙にチグハグな、割り込むようなタイミングだ。何事も飄然とこなすこの癖っ毛にして、らしからぬぎこちなさ。それを怪訝に思いつつ、とりあえず言い分を聞いてやろうと、口を噤んで先を待つ。
 こっちの出方を確認し、癖っ毛は観念したように溜息をついた。何かを思案するように、ゆっくりと目を閉じ、そして、おもむろに目を開ける。
「ヤバい場所なら尚更だろ。迂闊に捜索隊を出したりすれば、二次遭難の恐れがある」
「……あ?」
 言葉を失った。
 意外にも落ち着いた、冷静な声だった。ヘラヘラ笑ってかわすでもなければ、喧嘩腰で突っ掛かってくるでもない。いっそ、ぶっきらぼうなまでに淡々とした口調。内容は端的、そして、あまりの明快さに、まともに聞き入っちまってたことに、ふと気付く。
 我に返って、慌てて言い返した。
「慎重に捜しさえすりゃ、そんなもの、どうとでも回避出来る。やりようなんかは幾らでも──」
「時間がない」
 又も、ぶっきらぼうに遮られる。──いや、くだくだと言い訳がましい反論を、途中で跳ね除けられた、と言った方が正しいか。
 寸言は時として、巧言を弄した漫言に勝る。それは、ただの一言だったが、いや、緩衝材となる余計な雑音が皆無だからこそ尚のこと、こっちの口を仮借なく封じた。癖っ毛の声音に込められていたのは、確かな、、、手応え。それを覆す程の手札が自分の手の内にないことを、頭が一瞬にして感じ取っていた。突然のことで、その内容については、具体的な検証作業がまるで追いついてなかったが、感覚的に、今、やり込められたことだけは、はっきりと分かる。
 奇妙な敗北感に塗れて、忌々しい気分で口を噤んだ。一拍置いた癖っ毛は、遠く商都の方角を眺めやり、こっちに構うことなく淡々と続けた。
「そんな暇は何処にもない。ここらはまだ商都が近い。こっちはこれだけの大所帯だぞ。いつまでも、こんな所でモタモタしてたら、何れディールの哨兵に勘付かれる。お前ら、武装して集合しているのが連中に知れたら──そうやって徒党を組んでいるのが知れたら、まずいだろう?」
 到底年下とは思えぬ落ち着いた声だ。予め整理されてでもいたように、ポンポン理由を投げてくる。
 癖っ毛の口から出てきたのは、全く予期せぬ言葉だった。攻め立ててやるつもりが、一転、守勢に転落している。名指しで矛先が飛んで来て、柄にもなく、たじろいだ。
「──あんたに心配してもらうほど、落ちぶれちゃいねえよ、俺達は」
「そうか? 俺が向こうの指揮官なら、こういう不穏な輩こそ、即刻取り締まらせるがな」
 口の端で苦笑いして、穏やかに畳み掛けた癖っ毛が、おもむろにこっちを振り向いた。
「カーシュ。ここはシャンバールじゃない、カレリアだ。《 遊民 》の武器の携帯並びに集合・結集は重罪とされる。万一、こんなところが見つかれば、即刻投獄されて厳罰に処される。そうなれば、お前らに迷惑がかかる」
 真っ直ぐ茶色の瞳を向けてくる。言い聞かせるような落ち着いた口調。いつものヘラヘラした顔なんかじゃない。
真顔だ。
「カレリアの腰抜けどもに、この俺達が捕まるってのかよ。──は! そんなドジ、誰が踏むもんかよ」
 なんとか言い返しはしたものの、多少ぎこちなくなっちまったことは認めざるを得ない。
 素っ気ない口調。要点のみの指摘。だが、愛想はなくとも、癖っ毛の言うことは正鵠を射ている。口調こそぶっきらぼうだが、現状に即した的を射た指摘だ。
 確かに、置き去りにしてきた連中が、まだルート上でうろついているというならともかく、一旦道から逸れちまった奴なんか、あの複雑な坑道内で、早々捜し出せるものじゃない。連中発見の報を待ち、いつまでもこんな所でたむろしていれば、いつかは、こっちの気配を察して、見回りの哨兵がやって来る。開戦最中(さなか)のこの時期に、武器を携えた《 遊民 》が、選りにも選って軍の詰めてる商都近辺をうろついているのは如何にも拙(まず)い。敵対の意思ありと見做され、こっちの存在を見咎められた途端、即刻攻撃を受けるだろう。
 この癖っ毛の言う通りに。
 
 反論の余地もなかった。
 ぐうの音も出ない。しかし、如何にも平和ボケしていそうなこの癖っ毛から、まさか、それを指摘されようなどとは努々(ゆめゆめ)思いもしなかった。
 そうだ。
 あの時もコイツは言ったのだ。
 何よりも大切なのは時間だと。
 物事には優先すべき順位があって、これは自分にしか出来ないことだと。
 あの時は、単にディールの領主に対面出来るコイツの特権のことを自慢しているもんだとばかり思っていたが、しかし、他面、今、隊の指揮権は、紛れもなく、この癖っ毛の手中にある。それは、つまり、コイツが既に──
 目から鱗が剥がれ落ちた。
 そう、つまり、この癖っ毛は既に、薄暗い坑道出口で、へたり込んでボケっとしていたあの時から、荒れ野で待機していた部下どもの身の振り方まで考慮していたということだ。
 
 突如、目の前が大きく開けた。
 癖っ毛の手で押し広げられた色鮮やかな"未来予測図"。そこには、そのそれぞれについての可能性が書かれているだけだ。楽観もなく、悲観もなく、情に押し流されることもなく、ただただ忠実に、与えられた実情のみに即して。
 不測の突発事故に舞い上がっちまったこっちとは違い、コイツは何ら惑わされちゃいなかった。坑道の壁に寄りかかり、薄暗い岩天井を無言で眺めた身の内で、それらをずっと見比べていたのだ。
 それが惹起する影響の大きさを。連鎖して派生する事象の形を。
 息を詰めるような慎重さを以て、それぞれの重みを、左右の手で量りながら。
 コイツの天秤に掛けられた、両端にある二つの錘(おもり)。片方の皿に乗っているのは、迷宮の底で彷徨うダチの救出。そして、もう片方に乗っているのは、急を要するトラビア行き、そして、他でもない "俺達"、か。
 てめえを軸とする前後・両極に置かれた二つの切実な選択肢。そして、そのそれぞれに付随して引き起こされる諸々な様相。立ち現れては消える雑多な仮象。ディールの動静、官吏どもの行く末、潜伏中の手勢の対処、敵兵の動き、ラトキエの政情、この戦の大局。そして、残された時間──。だが、あの時コイツが量りに掛けていた比較検討の対象は、果たして、本当にこれだけだったろうか。
 不意に、克明に捕捉する。
 
 ──コイツの視野は、恐ろしく広い。
 
 愕然とした。
 飄々とした癖っ毛の顔を、思わず凝視してしまう。
 コイツの頭の中がどうなっているのか見当もつかない。近頃見慣れた顔つきが、まるで見知らぬ別人のそれに見える。如何にも軟弱そうな飄然とした面の裏で、そんなことを考えていたとは驚きだ。そんな素振りなんか、おくびにも出さずに、ただ一人だけで黙々と。
 そして、最終的にコイツがその手で掴み取ったのは、入念に検討されたこの選択肢。中の連中をこのまま見捨て、予定通りにトラビアへ向かう。だが、そういうことなら、つまりは、今──
 そこまで考え、胸に複雑な想いが湧いて出た。そう、つまりは、今、
 
 ──お荷物になってんのは、こっちの方、、、、、ってことなんじゃねえかよ。
 
 何ともお粗末な結論に、溜息が出た。
 しかし、まさか、二者択一を迫られたあの状態で、こっちのことまで計算に入れていたとは、まるで思いもしなかった。ボケっと岩壁に寄っかかったあのダレきった顔つきで、お気に入りの宝物を、指先でクルクルクルクル回しながら──
 
 そこまで考え、ハタと手の中の物に気が付いた。
 そういや、まだアレを手にしたままだ。
「──ほらよ、大将」
 ついさっき拾ったそれを、持ち主の胸元へ放ってやる。
 ふと振り向いた癖っ毛が、反射的に手を上げる。ちょっと急過ぎたか、と、投げちまった後で慌てたが、しかし、意外にも落としもせずに ちゃんと片手で受け取った。へえ、中々どうして反射神経はいいじゃねえかよ。
「え、何これ……?」
 癖っ毛は面食らった顔だ。物問いたげに首を傾げて、それを受け取った手を開く。
「──うわっ!? お、俺の!? なんで!? い、いつの間に──!?」
 ハッと気付いて遅まきながら上着のポケットをバタバタと慌しく点検する。──て今更かよ。どうも、どっか抜けてんなコイツ。
「大事なもんなら、落ちねえ所にしまっておけや」
「──あ、ああ。サンキュ」
 気まずそうな苦笑い。
 受け取ったペンをシャツの胸に擦りつけて拭き、よせばいいのに、又、上着のポケットにコソコソとしまう。まったく性懲りもない。
「……あ、……なんだかさ、落ち着くんだ、ここにあると」
 誰も訊いちゃあいないのに、引き攣り笑いの癖っ毛が、ボソボソと上目遣いで申告する。
「そうかい」
 定位置なのか?
 上着の左の内ポケット、心臓の真上ってことか。
 ん?……つまりは、お守りって訳かよ。なんだ。結構、小心者だな、この癖っ毛。 
 意外にも不器用な、そんな仕草を見ていたら、嫌な感じに胸が締まった。ふと、それを思い出す。
 坑道出口で話していた時、その間中、立て膝の上に伸ばした腕は、ずっと拳固を握ってた。平然とした、あのふてぶてしい態度とは裏腹に、額には汗を掻いていた。岩壁に張り付いていたあの時に、小さく漏らした奇妙な台詞。一瞬だけ見せた硬い表情。あれらは、いったい何だったのか──
 
 今何か、少しだけ、コイツのことが分かった気がする。
 
 だが、その正体が何であるのか、依然として分からない。幾重にもぼやけた輪郭。少しでも注視を逸らせば、すぐにも霧散してしまいそうな脆い霧。目を凝らせば凝らすほど、中心の核がぶれていき、輪郭が曖昧にぼやけていく。
 それは、ドス黒い不信の布地に、ぽっかり開いた小さな穴のようなものだった。
 突然、芽生えた一点の綻(ほころ)び。その異相が発する、ささやかな不調和。だが、どんなに硬く編み込まれた表層も、一つ解(ほつ)れりゃ、そこから自壊の波が広がっていく。あたかもセーターの編み目が解けていくかのように。
 加速する崩壊の連鎖。手が届きそうで届かない。何かを捕まえ損ねた気がして、もどかしい。
 
 草表を撫でる西風に、膝までの野草がサワサワと揺れた。
 ご領主様を振り返り、渋い顔を作って向き直る。訊きたいことがあったのだ。一瞬だけ見えかかったそれ、、の姿を、明確な形で固定してしまいたい。
 だが、口を開きかけたその矢先、
「カーシュ。俺はトラビアに行くんだ。だから、こんな所で、見張りなんかに捕まってる訳にはいかない。──もう行こう、日が暮れちまう。皆にも、そう言ってくれ」
 ──てめえの馬を取りに行く気か!?
「いいや、待機だ」
 とっさに、そう言っていた。
 足を踏み出しかけていた癖っ毛が、怪訝にこっちを振り返る。
「待機?……でも、こんな所で」
「ああ、今夜はここで野営する」
 頑として宣言していた。
「なんで?」と訊きたいのだろう。見るからに面食らった様子で、野草と石砂利しかない乾いた原っぱをマジマジと見回し、後ろ頭を片手で掻きつつ何事か口を開こうとする。だが、物問いたげな顔を無視して遮り、放り投げるように理由を連ねた。
「この行程、如何にもあんたが雇い主だが、隊を動かすのに、あんたは不慣れだ。偵察にやった連中が、まだ西から戻ってねえし、そもそも、これだけの大人数だ。無闇に薄暗い中を移動して、向こうの軍と鉢合わせしちまっても面倒だ」
「……カーシュ?」
「今、隊を預かっているのは、この俺だからな。こっちの指示には従ってもらう」
「カー──」
「うっせーな! 悪りぃかよ! こっちが疲れてんだよ! あんな狭っ苦しい所を、いつまでもチンタラ歩かせやがって!」
 動きを止めた癖っ毛は、唖然とした顔で見返している。
 とっさに言い切っちまったが、この言動は我ながら不可解だった。陽は傾きかけちゃいるものの、日没までには、まだ間がある。空はそこそこ明るいし、偵察に行った奴らも程なく戻って来るだろうし、この先の道にしたって、街道から外れたこんな荒れ野を隅々まで見回っているほど、軍の連中も暇ではあるまい。止め立てした理由なんか、どう考えても、ない。いや多分、きっと恐らく、コイツがあんまり生意気なことを言うもんだから、だから、せめて邪魔立てしてやりたくなった、だから、先を急ぐその足を、ここで足止めしてやることにした──うん。そうだ。きっと、そうだ。そういうことに、しておこう。
 幾度か瞬きを繰り返し、癖っ毛はポカンと突っ立っている。そりゃあ、そうだろうな。こっちだって、自分が今、何やってんだか理解不能の状態なんだからよ。それを、こんな青二才風情に、簡単に分かられて堪るかってんだ。
 しばらく癖っ毛は、ポケッと間の抜けた面で突っ立っていたが、だが、やがて、
「……了解。カーシュの指示に従うよ」
 意外にも、素直にあっさり頷いた。ガキみたいなコイツのことだから、てっきり、ムキになって突っ掛かってくるかと思ったのに。
 俯いた癖っ毛は、何故だか苦笑いを噛み殺している様子だ。──と、不意に、下から掬い上げるようにして顔を見た。
「ふーん。疲れてたんだー。意外となんだなー、カーシュって」
 ニッと笑って、不敵な面を突き付けてくる。
「ま、まあな……」
 言っちまった手前、否定も出来ずに、一緒になって引き攣り笑う。しかし、"年"って、お前──。
 ……お前もかよ、癖っ毛。
 さっきのガキんちょどもから年寄り扱いされるならともかく、てめえとは二・三歳しか違わねえ筈だろ。あ、いや、もっとか……? なんだか今日一日で、めっきり老け込んじまった気がするな……。
 どういうつもりか癖っ毛は、ふーん……とかなんとか言いながら、周りをブラブラと歩き回っている。ヒトの顔をニヤニヤ見ながら。
「うん。そうだよな〜。ここで下手に交戦しちまっても、そりゃあやっぱ、マズイってもんだよな〜?」
「お、おう……」
 な、なんだなんだ。その思わせ振りな面は?
 突然、スッと横に来る。
 ギクリと、思わず後退った。こっちの肩をポンと叩いて、片腕でグイと首を引っ張る。チビのくせして、こっちの身長に構わず力任せに引っ張りやがるもんだから、思わずたたらを踏んじまう。
 ──頬に、何やら気色悪い感触!? 
 ザワっと全身が粟立った。
 お、おい、今のチュッって音は……? このムニっとした薄気味悪い感触は……?
「な゛っ!?」
 それを認識すると同時に、自我の崩壊寸前で叫んでいた。
「な、何をしやがるっ! このクソガ(キ)──!?」
「サンキュ、カーシュ」
 耳元で囁いた間近の顔が、ニッと笑う。特別な仲間にするような不敵な笑みで。
「ば──っ!」
「馬鹿か! テメエは!?」と力一杯ドツいてやろうと思ったその刹那、おぞましい真似をしやがった癖っ毛野郎は、素早く横をすり抜けていた。
 捕まえ損ねて、唖然と固まる。ふと、我に返って言い捨てた。
「──別に、テメエの為にそうする訳じゃねえ」
 せめて、そこだけは、はっきりさせておくぞ!?
 そうだ。礼を言われる筋合いは、ない。
 だが、ふざけた癖っ毛野郎は、地団太を踏むこっちに構わず、ズボンのループに両の指を引っ掛け、ブラブラと脚を投げ出しながら、荒れ野の海を歩いて行く。さっきまでの硬さの取れた、幾分軽い足取りで。
 やがて仲間の待つ北の木陰に辿り着き、笑顔で迎えられた癖っ毛が、人垣の輪の中に引っ張り込まれて、あっさりと消えた。カレリア人ってのは小柄だから、すぐに見えなくなっちまう。まったく、訳の分からん奴だ。あんな顔して笑うから、だから、こっちは、そのお陰で──。
 そう、だから、こっちはお陰で、馴れ馴れしいあの腕を、振り払ってやる機会を失くしちまったじゃねえかよ。
 まったく、あんな野郎、領主でもなけりゃあ、何もこっちだって、こんな所で──。
 舌打ちして顔を背けかけ、ふと、何かが引っ掛かった。
 ずっと釈然としなかった、胸に燻り続けていたあの疑問あれだ。
 
 ……そうだな。
 領主でなけりゃあ、あいつは、どうしていただろう。
 
 
 
 
 

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