■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章 4話5
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「ああ、大将なら、さっき向こうの方に歩いて行きましたよ」
林の中にテントを張ってた奴が指差し教えるその方向へと、懐を探りながら歩いて行けば、大木の幹に両手で張り付き、器用にスルスルよじ登っていく、あの癖っ毛の背が見える。
「……アイツは猿かよ」
妙にサマになっている。
緑の梢にヒョイと隠れた靴裏を眺めて、額に手を当て、つくづく溜息をついた。どうやら、木登りは得意らしいな。領主のくせに。
幹に手を触れ、木の上を見上げれば、首尾良く居心地の良い座り場所を確保したらしい癖っ毛は、頭の後ろで手を組んで、投げ出した片脚をブラブラしている。
「何してんだよ、そこで」
「……んー? 昼寝……?」
のんびりした返事が返ってくる。
「な〜に、そんなとこで、サボってんだよ。さっさとテント張っちまおうぜ。今夜、何処で寝る気だよ」
「……ん〜……俺、昨日、あんま寝てねーんだよな〜。今日んトコは大目にみてよ」
木の上から、甘ったれた返事。
銜えていた煙草に、やれやれと点火した。幹に寄りかかって一服し、全く変わり映えのしない野っ原に向けて、紫煙を吐き出す。
内海の湿った潮風が、頬を撫でていく。辺り一面、石砂利の荒れ野、左手には、乾燥して薄茶色したカノ山の切り立った山肌。荒涼とした景色から首を捻って見上げれば、デカイ態度で幹に寄りかかった癖っ毛は、木陰の涼を味わうかのように両の瞼を閉じている。
陽射しの緩んだ木漏れ日が、青葉の間でチラチラ揺れた。
「──なあ、大将よ。もう、そろそろ、」
「引き返さねーぞ」
決然とした、ぶっきらぼうな声。
「あの"抜け道"には、引き返さない。俺は前に進むんだ」
癖っ毛は、前方の荒れ野を睨みつけ、口の先を尖らせている。
「……まだ、なんにも言っちゃいねえよ」
図星だが。
寝床設営に騒がしい北の林の手前から、こっちの名を呼ぶ声がする。口元に手を翳し、もう片方の手を振り回しているのは、腹心の子分の一人、バサラだ。自分のテントの設営は、もう終えたらしい。こっちの分はどうするのか、と訊いているのだろう。
とりあえず「今、行く」と大声を上げて返事を返し、頭を掻いて足を踏み代え、催促がてら木の上を見上げた。
あの甘ったれの癖っ毛野郎は、知らんぷりを決め込んでやがる。十分聞こえているくせに。
あの様子じゃあ、そうそう容易く降りて来そうにもない。変なところで頑固だから。
「なあ、おい、そろそろ──」
「だから不参加だって今言ったろ? 今日は俺、パスねパス!」
こっちの先を目敏く察して、高らかに宣言。頑として駄々を捏ねやがる。
「ほう? ついに、へこたれちまったかよ」
「……そんなんじゃない」
軽い皮肉でからかってやれば、憮然と口を尖らせた。まったく反応がガキそのものだ。
「あーあー嘆かわしいねえ大の男が。てめえの寝床くれえ、てめえの手で拵(こしら)えたらどうなんだよ。年寄りは大事にするもんだぜ〜?」
「いやあ〜。まだまだ若いぜカーシュちゃん。そう悲観すんなよ」
「……まったく、調子のいい野郎だな」
本当に、くたびれちまったらしいな。
もっとも、ひ弱な街の奴にしちゃあ、これでも良くもった方だと褒めるべきか。ノースカレリアを発ってからこっち、ずっと強行軍が続いていたから。
やれやれと肩をすくめて踵を返す。木陰を離れて歩き出しながら、癖っ毛に向けて等閑(なおざり)に手を振った。
「だったら、存分に遊んで気が済んだら降りて来いや、箱入り娘のお姫様? 向こうで、バサラとテント作ってっからよ」
「んまあ、助かるわ、力持ちの王子(おーじ)様。逞しい殿方ってマジ素敵」
「……」
──野郎。癖っ毛が。
上機嫌だな。こっちが諦めた途端、ここぞとばかりにピーチクパーチク返事をしやがる。
台詞は棒読みだが。
「──まったく」
自然と、頬に苦笑いが零れた。
こういう時だけ、素直な奴だ。
今夜は、ここで野営する。──そう告げてやったら、既に出立の用意を整えて待機していた連中は、皆一様に呆気にとられた顔をした。
その場に突っ立ったままポカンと阿呆のように口を開け、隣と顔を見合わせている。どの面も、見るからに何か言いたそうだ。
だが、文句があるかと凄んでやったら、皆一斉に目を逸らした。渋々といった足取りで、しきりに首を捻りつつ、それでも、それぞれの準備に散っていく。
どんなに理不尽な指示であろうとも、連中がこっちに従うのは、例え、それが仮の隊長から出たものであっても、あの隊長からの指示であるも同然だからだ。虎の威を借るナントヤラ……を地でいくようで少々何だが、これが隊長の権威ってヤツだ。そもそも、そうでもなけりゃあ、一見して腕力で劣る、あんな軟弱野郎なんかに、誰もこんな風に従ってやったりはしない。
やがて、西の山端に陽が落ちて、辺りは闇に包まれた。味気ない携行食で晩飯を済ませ、雑談していた連中も、賭け事に興じていた連中も、それぞれの焚き火を引き払い、テントの中へと引き上げていく。
降るような星空の下、辺りには深夜の静寂が舞い降りた。
背中の寝床が、空(から)になっていることには、随分前から気付いていた。
隣の癖っ毛は、散々寝返りを打っていたようだが、とうとう我慢が出来ないというように毛布を蹴って起き出すと、ハッと気付いて、こっちの様子をコソコソ窺い、足音忍ばせて出て行った。
そして、それきり戻らない。
「……何処行きやがった、悪ガキが」
蚊に食われたらしい左腕をボリボリ掻きつつ、欠伸(あくび)を噛み殺して起き上がる。
まあ、どうせ、こっちも、さすがに寝つきが悪くて眠れない。眠ろうとして瞼を閉じる度に、坑道に置き去りにしてきた連中の顔を、ついつい思い浮かべてしまうのだ。
一々ランプをつけるのも億劫で、テントを捲って腕を突き出し、月の明かりで腕時計を確認。時刻は深夜一時過ぎだ。しっとりと夜露に濡れた林の中は、静かな闇に包まれている。あるのはただ、虫の音だけが支配する懐深い静寂の闇。どのテントの火も消えて、もう誰も起きちゃいない。腕を引っ込め目を返せば、消灯したテントの中で、寝乱れた隣の寝床が、ひっそりと闇に沈んでいる。
「小便にしちゃあ長げえよな……」
誰に言うともなく呟いて、頭を掻き掻き無人のテントを見回した。
いくら眠れなくても、こんな荒れ野じゃ、気晴らし出来るような街娼もいない。人肌に温まった膝の上の毛布を片手で適当に脇に寄せ、よっこらせ、と腰を上げた。
「──さてと。どっちに行ったかな」
夜のしじまに耳を澄ませる。
川の流れる音がする。黄色い月が浮いていた。
気温が落ちて涼しくなった深夜の草原を、欠伸(あくび)混じりにブラブラと歩く。
夜風に草が歌っている。何処かで梟(ふくろう)が鳴いていた。バタバタと不規則に飛び回るあの黒い影は、多分、蝙蝠(こうもり)か何かだろう。黒い木々の根元で、何か白っぽいものがヒラリと動く。二つの点がキラっと光ったから、宵っ張りの兎か何かがいるらしいな。この辺りで、アレが見える場所ってぇと……。
冷えた夜風が心地いい。
ランプも持たずに出て来たが、月明かりだけでも、夜目は利く。
懐を探りつつ、寝静まった荒れ野をグルリと見回す。辺りは一面、群青の夜空と黒い草木のシルエット。人っ子一人いない。
風除けの片手で口元を囲い、銜えた煙草に点火して、寄りかかった木の上を振り仰いだ。
「──なあ、大将よ」
幹に寄りかかって一服すれば、揺らめき昇る紫煙の向こうに、一面、降るような銀の星空。
「……んー……?」
少し遅れて、木の上から返事。癖っ毛の声だ。
「向こうの領主を連れ出したら、すぐにトラビアから引き上げるからな」
「……ん、……ああ……」
心ここに在らずの、上の空。
「おい、聞いてんのかよ。あんた、本当に分かってるんだろうな」
「……だからあ、分かってるって〜……クドクド言うなよ、カーシュ……トラビアに潜入するのなんか、"抜け道"使えばチョロイだろ〜……」
胸に広がった苦い思いに、片頬を歪めて、長く、勢い良く紫煙を吐いた。
何処へ消えたかと思っていれば、案の定このザマだ。──ったく。夜中に一人で、痛ましい真似してんじゃねえよ。
吸い込まれそうな黒い夜空を横切って、星が一つ、唐突に流れた。後には、荒れ野一面、虫の音(ね)の静寂。
「おい、大将よ。くれぐれも念を押しておくが、危ない真似はご法度だぞ。俺は隊長から、あんたの身柄を預かっているんだからな。あんたの身に万が一のことでもあってみろや。俺が頭(かしら)にどれだけどやされると思って──」
「だーっ! わあってるってば! ウッセーなっ!」
頭上の梢が、ガサリと鳴った。
どうやら、枝をぶっ叩いたらしいな。ついに癇癪を起こしたらしく、癖っ毛の苛々した文句が、頭の上から降ってきた。
「そんなこと、今言う必要あるのかよ! こっちのことは放っておけよ! つまんねーこと、いつまでもウダウダウダウダ気にしてんじゃねーよ!」
「何カリカリしてんだよ」
空惚けて尋ねてやれば、ムッとしたような険悪な沈黙。そして、
「カーシュがそうやって、イチイチ俺の邪魔すっからだろー!」
何を、そんなに焦ってるんだよ。
「昼にも木登りしてたな、あんた」
「そー……だっけ?」
「何してんだよ、こんな夜更けに」
「……。天体観測」
ああ言えば、こう言う。
まったく、惚けた野郎だぜ。"昼寝" のお次は "天体観測"
かよ?
舌打ちして、寄りかかった幹で身じろぎし、星空に向けて顎をしゃくった。
「星、見るのに、なんだって、わざわざ木の上なんかに乗っかる必要があるんだよ」
「だってよー、原っぱのど真ん中に突っ立ってたら、俺、なんか不審だろー?」
「──どっちでも変わりゃしねえよ、そんなもん。てか、木の上にいる方が、よっぽど怪しいってもんだろうが、潜んでるみたいで」
「そーおー? 木の上ってのも、案外、綺麗に見えるんだぜ? 第一、枝に座れっから、楽チンだしさ」
「来たかよ、連中は」
フツリと、声が途切れた。
調子の良い飄々とした声の余韻を塗り潰し、夜を包み込む虫の声。何を考えているのか、しばし、そのまま沈黙した後、短い答えが返って来た。
「……なんの、話だよ」
憮然とした声音。
やれやれと嘆息した。暗くて見えねえとでも思っているのか?
──悪いな。ご領主様。
生憎と、夜目は利く方だ。
うつ伏せで、しがみ付くようにして、無様に張り付いた枝の上から、落っこちそうになるほど身を乗り出して、切り立った東の山肌に目を凝らす──そんな天体観測が、いったい、何処の世界にある。
まったく。今更 "なんの話" もないもんだ。フイとしゃがみこんでは、用もないのに足元の草をブチブチと引き毟り、ふと額に手を翳しては、草原の果てを爪先立って飛び跳ねるようにして眺めやり、ホイと投げてやった乾パンを至近距離で取り落とす。そうかと思えば、誰も見てねえと分かった途端、突然ガバッと幹に取り付き、両手でスルスル木登りだ。
しかし、この意地っ張りの相手をするのが、いささかタルくなり、「それなら結構、退散するか」と寄りかかった幹から背を起こした。
もう一度寝直すべく、テントに向けて歩きかけ、蹴り飛ばしちまった"それ"に気付いて、木の上の癖っ毛をマジマジと見上げた。
昼に捕まえ損ねたあの時の"何か"が──ずっと気持ち悪く燻り続け、軋んだ音を上げていた齟齬が、夜風に吹かれて霧散するかの如くに素早く広く拡散し、今、明確な形を取って、そこにあった。
思わず、頬が緩んで苦笑する。
人の眼(まなこ)は、正直だ。口ではどんなに暴言を吐いても、視線は切々と連中の姿を求めている。ひそめた眉、強張った頬、歯を食いしばり、神経を研ぎ澄まし、気配を探る真摯な横顔──。
「迎えに行くか?」
「──行かねーよっ!」
……これだ。ったく。この意地っ張りが。
やれやれと嘆息する。頭を掻いて、草の間を踏み出せば、少し遅れて声がした。
「──ラルの奴は、大丈夫だ」
怒ったような、照れたような声。
中途半端で、不要な付け足し。誰に言い訳してんだよ。
「そうかよ」
ガサガサと草を鳴らして、"それ"に向けて歩き出す。
ああ、そうかよ、ご領主様。
如何にもあんたは、カレリア三大公家の一、クレスト領家の当代当主で、ダチを置き去りにした冷血漢だ。
一刻も早くトラビアに向かい、ディールの領主と話(ナシ)つけて、こっちにさっさと戻って来なけりゃならない。
だが、それなら、なんで──
なんで、いっつも目ぇ逸らすんだよ。
なんで、拳固握ってんだよ。
なんで、そんなに歯ァ食いしばってんだよ。
なんで、あんなに、びっしょり汗をかいてたんだよ。
涼しい筈の坑道で。
そうだ。
なんで、一人で、あんな荒れ野に突っ立って、苛立った "気" を放ってた。
それは、暗闇の中でしか曝せない、不恰好な本心。
苦々しさと、もどかしさとが混じり合い、胸の内を静かに広がった。
身動きが取れない苦しい想い。その"苦さ"には覚えがあった。言わず語らず。だが、すべきことを背負った背中は、皆、何処か似通っている。例え無様に歪んでいても、それは自らに課した"責任"の形だ。
丈高い草中の"それ"が、静かに月光を弾いていた。荒れ野の夜更けに、利き手から上がる薄い紫煙が、月空の懐へと揺蕩っていく。
突っ立ったままの足元に、空いた手を伸ばして拾い上げ、持ち主のいる木の上を仰いだ。
なあ、本当に気付いてねえのかよ。
大事な "お守り" が落っこちてるぜ、ご領主様。
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