CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章 4話7
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 それは、紛れもなく複数の蹄の音だった。
 周囲に剣呑さを撒き散らして、荒々しく大地を蹴立てるその音が、どんどん大きく、近くなる。
 知らせを持って来た若い男が、片耳を指でほじりつつ、かったるそうに顎をしゃくった。
「軍の連中じゃないようっすがね。軍服じゃねえし」
「何人だ」
「四人」
 癖っ毛が、両目を大きく見開いた。鋭く息を飲んだのが、はっきりと分かる。
「──は、放せ! カーシュ!」
 いきなり暴れて、こっちの脛を思う存分蹴り飛ばす。
 不意を衝かれて、思わず、その手を離した途端、身軽に地面に飛び降りた。息を詰め、前のめりに足を踏ん張り、荒れ野の先に目を凝らす。
「ラル……」
 ポツリと、その名を呟いた。
 そして、次の瞬間、
「あー! ラルぅ! こっちこっちぃ!」
 部下ともども、ギョッと引いた。これまでの剣幕とは一転、癖っ毛の野郎が、とびきりの笑顔で大声を張り上げ、ブンブン両手を振り回しやがったからだ。
 大地を蹴立てて、馬群は一直線に突っ込んで来る。
 それに気付いて、木陰で休憩していた連中から「なんだなんだ?」と怪訝などよめきが湧き起こった。突進してくる先頭は、白い服を着込んだ黒髪の色男──かの名家ロワイエ家の次男坊、商都の上席徴税官殿だ。そして、後から、赤・青・緑の小っこい三人の取り巻きども。
 その正体を知らない連中が、唖然としつつも、ザワザワと奇妙にざわめく中、やがて、癖っ毛領主のダチご一行様は、無事、癖っ毛の面前へと到着した。
 何れも、既にヘトヘト、衣服はヨレヨレ、息も切れ切れ絶え絶えの見るからに悲惨な有様だ。だが、それでも、パタリと地面にへたり込んだ三人の取り巻きどもを尻目に、黒髪・長身の色男は、馬上からヒラリと飛び降りるなり、ヘラヘラ笑う癖っ毛の前まで、ツカツカと大股で歩み寄った。そして、
「ダドリー!──き、き、貴様という奴は〜っ!」
 開口一番、眦吊り上げ、猛然と詰め寄る。
 妙な迫力、今にも食い殺しそうな恐ろしい形相だ。まあ、この癖っ毛のせいで、危うく遭難しかけた訳だから、怒り狂うのも、もっともだが。しかし──
 ……なんだよ。元気だね、オイ。
 薄暗い"抜け道"の坑道に、一日中閉じ込められていたってのに、覇気の欠片も失っちゃいない。いいトコのお坊ちゃんのくせに、意外とタフだな、この男。これじゃあ、散々心配してやったこっちの方が、馬鹿みてえじゃねえかよ。
 こいつから見りゃ、一応こっちも共犯なんだろうから、要らぬトバッチリなんか食わねえように、明後日の方向にそっと視線を逸らしておく。
 一方、悪びれもせずに、まあまあと両手で宥める癖っ毛は、
「ラル〜! 元気だったあ〜?」
 にっこり笑って、余裕の態度か!?
 ……アホらしくって、脱力する。
 何処まで見栄っ張りなんだ、コイツは。今の今まで、今にも死にそうな面で、しょぼくれ果ててたくせしてよ。
 虚仮にされた色男は、当然気色ばんで食ってかかり、しかし、全身でワナワナと怒りに震えながらも、中で散々迷って消費した体力の回復が、やはり追いついていないのか、未だ忙しなく息を整え、汗だくでゼエゼエ言っている。
「き、き、貴様! さては俺が追って来るのを承知の上で、──それを承知で、こんな馬鹿げた真似を──!」
「そ。いーところに気がついたね」
 大正解! と癖っ毛はピンと人差し指を突き立てた。
「歓迎するぜラル。仲間は一人でも多い方がいいからな」
「な、な、な──!?」
 恐らく「仲間〜っ!?」と絶叫したいのだろう色男は、突きつけた人差し指をブンブン振って、今にも掴みかからんばかりの剣幕だ。
 一瞬、短く息を吸い、色男が鋭く目を向けた。
このド阿呆がっ! 悪戯にしては度が過ぎる! なんて質の悪い真似をするんだ! こっちは危うく遭難しかけたんだぞ!」
 耳が痛くなるような異様に高いハイテンション。
 そこで座り込んでいる部下達の手前、精一杯の虚勢を張って、外面を取り繕っていたらしいが、どうやら、本当は恐かったらしいなコイツ。
「んもう。やだなあ。なあに言っちゃってんの〜ラルってば。あんなガキの遊び場みたいなトコで遭難なんかするワケないだろ〜? ほんとラルってば、オーバーなんだからなあ〜」
 パチクリと目を瞬いたギャラリーの「いや、するって」という茶々は徹底無視して、癖っ毛はパタパタ手を振り、大らかに笑う。
「な、な、な、な──!?」
 最早言葉にもならないらしく、色男は絶句して立ち尽くしている。だが、癖っ毛は、怒り震えるその肩に、気安く片手を差し伸ばし、いなすようにポンポン叩いた。
「まあ、そう怒んなってばよ。アルの奴には、お前だって嫌気が差してたんだろ? なら、丁度いいだろ。こうして出て来られて良かったじゃねーかよ。──んなっ?」
「それとこれとは話が──!」
「言っておくが、」
「……なんだよ」
 人差し指をビシリと振り立て注意を喚起する癖っ毛に、色男は喉元まで出かかってたらしい文句を、とっさに呑み込む。癖っ毛は不遜な態度で言い渡した。
「お前らにはもう、選択の余地はないから」
「──どういう意味だっ!?」
 弾かれたように見返して、色男が再びキレかかる。
「だあってさあ、」
 癖っ毛は、シレッと東の断崖を振り向いた。
「そんなに怒って追いかけて来たんじゃ、"抜け道"が何処にあったかなんて、もう欠片も覚えちゃいねーだろ?」
「……あ?」
「外側から見ると、ホンっと分かり難いんだよなー。俺もアレ見分けるの、昨日すっげえ苦労した。まー、だからこそ "抜け道"って言うんだけどな?」
 愕然と絶句する色男に、癖っ毛はチラと目を向けた。
「どうする? それでも正面突破して引き返す? でも、コイツラの案内がなけりゃあ、ウロついてる途中で迎撃されて、商都に着く前に壊滅するぞ?──あ、俺はコイツラ貸さないから」
「──き、き、貴様という奴は〜っ!」
 手もなく引っかかった色男が、拳をプルプル震わせる。
 思わず、内心で十字を切った。
 ああ、まったくもって、ご愁傷様。なんて悪い奴なんだ。この癖っ毛は。
 俺は、この色男に同情する。どう贔屓目に見ても、コイツが悪い。──にしたって、しくじっちまったな、ご領主様。色男のこの剣幕じゃあ、この上こっちに協力しろ、だなんて、とんでもねえ話だろう。
 
「どういうつもりだ!」
 案の定、色男は食って掛かった。当然だ。
 しかし、意外にも静かに見返した癖っ毛は、気色ばんだ抗議に素っ気なく答えた。
「内輪揉めなんか、している場合じゃないだろう。こんな下らねえ戦、さっさと片付けて来なけりゃよ」
「──"下らない" だと」
 不躾な形容を聞き咎め、色男の顔から血の気が引く。
「何処が下らない! 現にラトキエはディールに潰されかけているんだぞ! それをお前は──!」
「そんなことは分かっている。だから、これから、向こうの領主を説得しに行くんじゃねーかよ」
「何を悠長なことを言っている!──交渉の余地など何処にもない。ディールは包囲を完了しているんだぞ。しかも圧倒的な優勢だ。現にラトキエには打つ手がない。それを今更、戦を仕掛けた張本人を翻意させに行こうと言うのか。何を寝ぼけたことを言っている。呑気なのにも程がある!」
「呑気なのは、お前の方だ」
「──なに!?」
 癖っ毛はおもむろに腕を組んだ。勢い込む相手の顔に、ヒタと茶色の目を向ける。
「あーあーイヤんなるねえ。こんな単純な理屈が分からねえとはな。──ラル。お前いつからそんな狭量な男に成り下がった」
「──なんだと!」
「お前の目は何処を向いている。カレリアさえ良けりゃ、それでいいのか。狭い領内が安泰なら安堵するのか。自分の足元だけ見ていれば、お前はそれで満足か。──情けねえな。お前はそれでも、かの偉大な徴税官ドロッギス=ロワイエの末裔かよ」
 言葉を飲んだ色男の顔に、更に鋭く目を据える。
「なあ、ラル、考えてもみろよ。この下らねえいがみ合いに、いったい、どれ程のリスクがあるのか。国が割れるのが、どれほど危険なことなのか。カレリアには碌な戦力がないんだぞ」
「そんなことは、お前に言われなくても分かって──」
「俺達は結束すべきだ。三つの領土が互いに固く手を繋ぎ、一瞬たりとも離さぬ努力をするべきだ。そうでなければ、この国は遠からず瓦解する」
「瓦解?」
「そうだよ。瓦解だ。──何故分からない。俺達の敵はディールなんかじゃない。隣の大国シャンバールだ」
「……シャン、バール?」
「ああ、如何にもシャンバールだよ。これで分からんお前じゃあるまい」
 色男は眉をひそめて口を噤んだ。じっと考え込んでいる。
 その反応を静かに見やって、癖っ毛は改めて口を開いた。
「俺は、トラビアの領主に会いに行く」
「──会って、どうする」
 ふと、色男が顔を上げる。
「商都を攻める理由を取り上げる。商都の商権が欲しいなら、領土を交換すれば済むことだ。ディールが国境を押さえたままで、距離のある商都の治世の隅々まで掌握するなんてのは、所詮、現実的な話じゃない。そもそも、そんなことを、国王が許す筈がない。考えてもみろよ、ラル。そうなりゃ、国を実質的に治めるのはウチとディールの二つだけ。ディールがカレリア・トラビアの二都を掌握するとして、ウチとディールの資力の差は歴然だから、詰まるところ、それは、ディールの単独統治に他ならない。そうなりゃ王を食おうとする。国に、王は二人も要らない」
 口調は冷静そのものだ。激した様子は、全くない。
 一旦、そこで言葉を切って、癖っ毛は、更に持論を展開する。
「それなら、現実的なアプローチはこうだ。それぞれの領土を交換し、商都をディールが、トラビアをラトキエが、各々治めりゃそれで済む。過去にも領土替えの史実はあるし、そもそも、ここでラトキエを根絶やしにしたところで、誰の得にもなりはしない。そんな愚行に意味はない。それどころか、力で不法に奪取すれば、潰された側には遺恨が残る。それが更なる遺恨を呼んで、事態は泥沼化するばかりだ」
「……それは、受け売りだろう」
「え──?」
 懇々と諭していた癖っ毛が、とっさに次の言葉に詰まった。
 怪訝に相手の顔を眺める癖っ毛の前で、色男の静かな溜息が、とある人名と共に零れ落ちた。
アディーからの、、、、、、、
 その名に反応して、癖っ毛の眉がピクリとひそめられる。
「以前のお前なら、とても言いそうにない台詞だからな」
 深く息を吐き出して、色男はゆっくりと、静かな瞳で癖っ毛に向き直った。
「あのは、俺達を許してくれた。自ら間に入って、遺恨の連鎖を断ち切ってくれた」
 突然息苦しくでもなったのか、眉をひそめて目を逸らした癖っ毛は、シャツの襟元に指を突っ込み、無言で首を緩めている。だが、次の瞬間には、
「そうだよ?」
 意外にも、あっさりとそれを認めて、平然と相手に向き直った。
「俺がディールの当主を説得する。あのジジイが何故こんな馬鹿な戦をおっ始めたのか、その辺りの事情については皆目見当がつかないが、あれは理屈が通じねえ馬鹿でもない」
 吐いて捨てるような苦々しい口調だ。未だ癒えぬ感傷を、敢えて自ら断ち切るような。
 白皙の額に長い指を押し当て、色男は息巻く相手に溜息をついた。
「"脅迫する" の間違いだろう。従わなけりゃ、ディールの軍前に引き摺り出して脅しをかけるつもりだな?」
「よく分かってるじゃないか。さっすがラル」
 幾分軽くなった相手の口調に、癖っ毛も元の調子で飄々と応じる。
「ラトキエがやらないなら、俺がやる。これでも一国を預かる領主の端くれなんでね。ま、どれだけの軍勢が押しかけようが、所詮、軍隊なんてものは団体行動。結局、最後はそいつらを指揮する大将次第だ。──だから、ラル、」
 最後の言葉で改めて呼びかけ、癖っ毛は相手に向き直った。
「俺と来い」
 命令調だが、荒っぽくはない。真摯で切実な口調だ。
 慮外の誘いに面食らい、色男はたじろいだように目を向けた。癖っ毛は、おもむろに腕を組み、相手に向けた目を冷ややかに眇めて、何処か剣呑に顎をしゃくる。
「そっちに打つ手はねえんだろ、どうせ」
 射抜くような挑発的な視線だ。非難というには当らない響き──だが、それは、不躾で投げ遣りな指摘だった。
 色男は不愉快そうに眉をひそめた。確かに、今の言葉には、街を出る際に挑発した時のような嘲りや揶揄の色はない。しかし、この色男は当のラトキエの官吏なのだ。例え、それが実情を忠実に写した現状確認ではあるにせよ、素直に頷けるようなものでないのは明らかだ。率直に過ぎる言い草は、弾劾以外の何物でもなく、ラトキエの無策に対する屈辱的な評価であることに、何ら変わりがあるでもない。
 しかし、癖っ毛は、相手の不快にもいささかも怯むことなく、向かいの顔から視線を逸らさない。
 真顔だ。
 二人は冷ややかに向き合った。しばし、無言で睨み合う。
 口を挟む者はいなかった。
 三人の取り巻きどもは、対峙した二人の顔をオロオロと見比べ、上司の下す判断を固唾を飲んで見守っている。
 タルそうに見物している部下どもは、それぞれ楽な体勢で、クレスト領主とカレリア官吏の降って湧いたこの対立を、興味津々の態で眺めている。何れの顔も、さも面白くなってきたと言わんばかりだ。
 ──と一転、ニカッと無防備に笑いかけると、癖っ毛は片手を伸ばして、冷ややかに身構える色男の肩をポンと叩いた。
「なら、いーじゃねえかよ、ちょっとくらい引っ掻き回してやったって」
 拍子抜けするほどの気楽さだ。
「今更何をどうしたところで、もうこれ以上は悪くなりようがねえってば。ここまで突っ走って来ちまったら、戻るったって大変だしよ」
「……ダドリー、お前という奴は」
 思わぬ肩透かしを食った色男は、唖然と目を瞬いた。脱力した様子で、相手を見つめる。癖っ毛の方に、喧嘩を売る気はないらしい。
「そもそも肝心のアルがあの調子じゃ、このまま商都に居残ってたって、良いことなんか一つもないぞ? どうせ何も出来やしないし、あれじゃあ、お前だって動けやしないだろ。だったら、いっそ、このまま俺と、さ」
「"これ以上は、悪くなりようがない"、か。──ま、確かに、それは、その通りだな」
 息を吐き出しながら、ゆっくりと腕を組み、色男は強引な誘いに苦笑いした。静かに目を閉じ、提案を吟味するように何度か頷く。
 そして、何かを吹っ切るように顔を上げた。
「いいだろう」
 降参の溜息を小さく落として、向かいの癖っ毛へと向き直る。
「分かったよ。まったく、言い出したらきかない奴だな。──ああ、ああ、貴様と行ってやろうじゃないか。そんなについて来て欲しいなら、何処へでも一緒に行ってやる。この悪ガキが!」
 ──行くのかよ!?
 突如、合意に達し、意気投合してしまったらしい。
 これには、開いた口が塞がらない。この癖っ毛、あれだけの目に遭わせておきながら、まんまと丸め込んで、色男を説き伏せちまいやがった。
 しかし、この色男の方も分からない。計算高い官吏のくせに、何故こんな無茶な企みに加担しようとする? 当初の硬直した空気と刺々しい態度が和らぎ、雲行きが急激に変化したのは、ナントカいう女の名前が出た辺りか。
「そうこなくっちゃ! さっすがラル!」
 この急転直下の展開に唖然と絶句している一同の前で、癖っ毛はにんまり笑って、自分の利き腕を持ち上げた。溜息混じりにそれに習った色男の腕へと、自分のそれを笑ってぶつける。
「引っ繰り返してやろうぜ! この劣勢!」
 
「「「 じょ、上席徴税官殿っ!? 」」」
 ギョッと裏返った声が上がった。
 見れば、脇に控えた取り巻きどもだ。そういや、すっかり忘れていたが、こいつらも、そこにいたんだっけな。話が不穏な方向へ逸れていくにつれ、口をパクパクしながら、成り行きを見守っていたようだが。
 それぞれ顎が外れそうなほどアングリと口を大きく開けて、愕然と固まっている。今の親密なスキンシップに驚いているのか? ──いや、お前ら、この程度なら軽いもんだぞ? なんたって、この癖っ毛は、いきなり他人の頬っぺたに吸い付くような奴だから──
 ──元(もと)い。
 この展開に誰よりも驚いたのは、商都から付き従ってきた色男の取り巻きどもだった。確かに、お付きのコイツラにしてみりゃ、この理不尽極まりない宣言は、まさに青天の霹靂、受け入れ難い事態の発生ってヤツだろう。
 だが、哀れな取り巻きどもの尻込みを他所に、おおらかにダチと語る色男は、
「さ、やるぞっ!」
 ……全く気にしてないようだ。
 さっきのスキンシップで持ってた方が良いものまで根こそぎどっかに吹っ切っちまったか、いやに清々した、こざっぱりした顔つきだ。傍らの癖っ毛へと高らかに笑いかける。
「腕が鳴るな! ダド!」
「おう♪ ──で、ラル。商都の方の蓄えは、どの程度もつ?」
 問い掛けられて色男は、フムと自分の顎に手を当てる。
「街に閉じ込められてから、既に十日あまりが過ぎているからな。今は夏場で買い置きが利かないから、一般家庭なら精々五日が限度というところだろう。倉庫の備蓄から配給を始めても穀類しかないし、第一あの大人数だ。市民の不満が噴出するまで、それほど時間はかからないだろう」
「トラビアまでは、あと二日ってとこか。こりゃあ急がねえとな」
「で、向こうについたら、どうするんだ? 正面切って乗り込むか? それとも罠でも張って一網打尽に──」
 何故か、ノリノリだが?
「じょ、上席徴税官殿!? それでは我々の業務に差し障りが出てしまいます!」
 驚いた取り巻きどもが、色男の無謀を俄然引き止めに入る。
 ふん、とあからさまに溜息をつき、色男はクルリと振り向いた。
「まったく分からん連中だな。何度も同じことを言わせるな」
「「「 は? 」」」
 なんだ?
 口調が、何処となく違ってきたようだが?
 ポカンと固まった三人を前に、言って聞かせる横柄な口調で、ピンと人差し指を突き立てて、連中の前をゆったり鷹揚に歩き出す。
「いいか、貴様ら。俺は上席徴税官などではない」
「「「 はあ? 」」」
 ──"貴様ら"ってオイ。
 あんたは軍人じゃねえだろう。そもそも、そうでなければ、あんたは、いったい何者だと言うのだ? 
 ひ弱な文官三人組は、呆気にとられて固まっている。そして、然る後に互いの顔をそっと見合わせ、長身の上司の顔をシゲシゲと仰ぎ見た。訝しげなどの面にも(何を言い出す? この男……?)と書いてある。
 部下の胡散臭げな上目遣いに応えるように、色男は足を止め、持ち上げた腕をおもむろに組み、そして、きりりと振り向いた。
「俺は "司令官" だ!」
 きっぱりと宣言。
「「「 ……。(なんのこっちゃ) 」」」
 一同、唖然。
 目ぇ据わってるし。
 あんまり関わり合いになりたくないらしい取り巻きどもが、引き攣り笑いで、ジリジリと引く。
 一方、変身なさったらしいご当人は、腰に手を当て気持ち良さげにカラカラと高笑い。どうも、何処かのネジが外れたらしい。まあ、それはともかく──。 
「どういう意味だ? シャンバールがカレリアの敵だというのは」
 銜えた煙草に点火して、用済みのマッチを草むらに投げ捨てながら、声をかけて話に割り込む。今の話に不審な点があったのだ。
 癖っ毛がこっちを振り向いた。言い合いを始めた四人のゲストを端から順に眺めやり、癖っ毛の顔に視線を戻した。
「カレリアはシャンバールの友好国だろ。現に二国間では領土不可侵の公約があり、多岐に亘る交易や日常的な流通がある。そもそもシャンバールにしてみれば、取引高の多いカレリアは良い得意先だろう。あの国はカレリアの落とす金で経済が成り立っている一面があるからな。好待遇を受けこそすれ、敵対などはしていない筈だぞ」
「ま、表向きはな」
 癖っ毛は肩をすくめて受け流す。一服した煙草を指の先に挟んだまま、腑に落ちない思いで首を傾げた。
「確かに、シャンバールは気の荒い国だが……。領土が僅かなりとも接していれば、かつては侵攻もあったろう。だが、実際問題、あの国は常に内乱続きで、他国の領土にまで手を出しているような余裕はない筈だが、」
「分かる奴には分かる。だが、これが分からない奴には、このカレリアは治められない」
「あの"司令官" 殿には分かる、という訳か」
 話題の当人に視線を向ければ、取り巻きどもに泣きつかれた"司令官" 殿は、しかし、全く動じていないようだった。その様子を眺めやって、癖っ毛も口の端で小さく笑う。
「ああ、ラルの奴には分かる。だからこそ、一緒に来る気になったんだ。そうでもなけりゃあ、連れては行かない。小煩い役人なんか足手纏いでしかないからな。しかも、あれは筋金入りだし」
「「「 あ、あの〜ぉ…… 」」」
 コソッと呼びかけられて振り向けば、こそっと近寄ってきたのは、あの"司令官" 殿が連れてきた例の取り巻きどもだった。
 よく似た顔の三人だ。上司への抗議は済んだのか?──というより、聞く耳持たない"司令官" 殿に突っぱねられて、諦めざるを得なかった、というのが実情か。
「なんだよ、お前ら」
 ほぼ初対面のそいつらに声をかけられる覚えのないらしい癖っ毛は、小首を傾げて話を促す。上機嫌で馬の首を撫でている上司の様子を盗み見て、互いに肘で突付き合っていた内の一人──緑の服を着た奴が、恐る恐る口を開いた。
「クレスト公はその、……上席徴税官殿とは昔から懇意だった、と伺っているのですが……?」
 困惑しきっているらしい三人組を、癖っ毛はキョトンと見ていたが、
「ああ。ラルは俺のダチだからな」
 すぐに顎をしゃくって得意げに笑みを作った。
 癖っ毛の奴、サバサバとした曇りない笑顔だ。まったく、ヌケヌケと調子のいい。本当は、最後の最後まで見捨てやがったくせしてよ。
「それで、あの〜……」
 相談でもするように額を寄せ合っていた三人が、やはり恐る恐るといった態で、やおら本題を切り出した。
「もしや、上席徴税官殿は、昔からああ、、なのですか?」
 三人して探るような視線だ。そこのところを、是非とも訊いておきたいらしい。
 確かに、上司殿の様子が、さっきから、ちょっと妙ではある。
「──あー、アレね」
 言い難そうな連中とは対照的に、癖っ毛は、"司令官" 殿を見やってカラカラと笑った。
「面白れー奴だろ、ラルってば」
 クイと立てた親指で、話題の主を指し示す。
「「「 は、はあ…… 」」」
 どうにも笑えないらしい連中は、それぞれ曖昧な笑顔で、ぎこちなく返事を濁した。
 大変好意的な見解ではあろうが、直接ダメージを被るこの連中にしてみれば、この際そういう問題ではないだろう。そりゃあ、これが赤の他人の話なら、笑って済ませられもするんだろうが、だが、如何せんアレは、コイツラの直属の上司。あの"司令官" 殿の下した判断のとばっちりは、悉くこいつらの頭上に降りかかってくるのだ。振り回される立場にしてみりゃ、そりゃあ、堪ったもんじゃない。どっちかといや、
大迷惑 に分類される話だろう。コチトラもしがない斬り込み隊長の身。そういう切実な柵(しがらみ)は、我が身に置き換え実感出来る。
 無論、大きな声じゃ言えないが。
「アイツってばよ、普段は取り澄ました面してるくせに、こと勝負事となると、俄然燃えちまう質なんだよな〜。ま、中々笑えっけど」
 ──だったら、あんた、アレの下に付いてみろ!
 そう切り返した連中の声なき叫びを、今、聞いたような気がする。
 しかし、胸中に噴出したろう諸々の感情を密かに丹念に握り潰して、三人組は、すぐさま揉み手で、営業スマイル。
「それで、あのぉ、"司令官" というのは、いったい、どういったお話で? どうして、いきなり、あんな(妙な)具合に……」
 豹変あそばしたのか、と、そこが訊きたい訳だろう。
 しかし、癖っ毛は、何を思い出したか「うんうん、そーなんだよ……」と一人満足げに頷いている。
「ラルの奴、缶蹴りが好きだからな」
「「「 かんけり? 」」」 
 突如湧いて出た脈略不明、且つ場違いな単語に、三人組は揃って目を瞬いた。こっちとしても、話がさっぱり見えてこない。
 三人組は、互いに顔を見合わせて、その場に呆然と立ち尽くしている。いっそ、コイツと一緒になって、笑い飛ばしちまえりゃ楽なんだろうが、しかし如何せん、目の前の過酷な現実が、それを許しちゃくれないらしい。
 一方、癖っ毛の方に説明する気はないらしく、唐突に話をぶった切るなり、ダチの元へと歩いて行った。つつがなく返答を終えたその顔は、至って晴れ晴れ上機嫌。今の答えは不適当極まりないのだが、しかし、あの癖っ毛の頭の中では、これら一連のバラバラな事象が、キチンと結び付いて、見事完結しているらしいのだ。
「しかし、待てよ。──てぇ、ことは」
 一件落着、落ち着いて、ふと、そこに気が付いた。こいつらが、今、ここにいるってことは、つまり──?
 グルリと首を巡らして、薄茶に聳えるカノ山の稜線を眺めやる。
「早まっちまったか……」
 遅まきながら失態を悟って、片手でポリポリ頭を掻いた。そう、今朝方、捜索にやったバサラ達と行き違いになっちまったらしいのだ。
 今頃ねぐら作成中のモグラよろしく薄暗い坑道の中を必死になって這いずり回っているであろう三人の壮絶な徒労を思い浮かべて、「すまん!」と内心で手を合わせる。しかし、その一方で、これからトラビアに向かうって段に、この件でこれ以上、人手をさくって訳にもいかねえ現実があるから、こうとなったら、連中が自主的に諦めて、速やかに撤退してくれるのを、遠い空の下から、切に希(こいねが)うばかりだ。──いや、でも、しかし、まさか本当に、自力であんな場所から脱出して来ようとは──。どうやら、奴らの根性を、大分見くびっていたらしい。
 最後まで「大丈夫だ!」と言い続けた癖っ毛は、ようやく再会を果たしたダチの背中を、大笑いしながら、平手でバンバン叩いている。若干引き気味な"司令官" 殿の実に嫌そうな顔に引き比べ、心底ホッとした面持ちで。作り物でない、まともな笑顔で。
 片手で懐を探りつつ、チラと横目で盗み見た。
 ──あんたの言った通りだったな、ご領主様よ。
 どうも、余計な真似をしちまったらしい。
 もっとも、アレの態度にしたって、慌てず騒がず泰然自若……なんて格好の良いもんとは程遠く、ポーカーフェイスを作った裏では、散々見苦しく狼狽えまくり、必死で願を掛けてたようだが。
「トラビア、か」
 実際のところ、他領の当主を軍前に引き出し、話し合いで事を収める、なんてのは、元より正気の沙汰じゃない。無鉄砲極まりない無謀な話だ。それでも、コイツを見ていると、やれそうな気がしてくる。
 ようやく落ち着き、もう一服つければ、木陰に寄りかかって見上げた空は、昨日からの不穏が嘘のように、青く高く澄んでいた。
 白く立ち枯れた野草の先が、潮風に緩くそよいでいる。一面に開けた石砂利の荒れ野が、陽光に晒され、明るい色彩で広がっていた。遥か目指す行く手には、低く連なる山林の稜線。
 そして、目的地は、国境の街トラビア。
「──さてと。行くとするか」
 ようやく面子が合流し、行程は更に西へと向かう。
  
  
  
  
  

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