【ディール急襲】第2部2章 5話「招かれざる客」1

CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章 5話1
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 一人、木立の中を歩いていた。アレ、、 の習得場所を探す為だ。
 出来るだけ開けた、広い場所がいい。怪我人が出ちまっても拙(まず)いから。木漏れ日差し込む木立の深部に奥へ奥へと分け入りながら、無人の周囲に視線を巡らし、適当な場所をさりげなく探す。事が事だけに、やはり、人目は出来るだけ──いや、絶対に避けたいところだ。
 
「あの取り巻き連中は、どこ行ったんです? 班長サン」
 
 ギョッと全身が凍り付いた。
 内心舌打ちして振り向けば、案の定、そいつが一人で立っていた。ひょろっとした細身の体躯に、色素の薄いサラッとした茶髪。のっぺりした細面の狐目の男。"鎌風のザイ" 。レッド・ピアスのところの配下だ。
 いったい、どこにいたんだか、ザイはこっちの手前まで歩いて来ると、上着の懐を探りつつ、手頃な倒木に腰をかけた。編み上げ靴の片脚を、腿の上へとかったるそうに持ち上げる。
「──何の用だよ。俺は今、忙しいんだがな」
「なに、すぐに済みますよ、俺の方の用件は」
 正直、コイツの相手は、気が進まない。得意じゃないのだ、この男。
 苦手意識が伝わったか、ザイは薄く笑って目を向けた。
「嫌な "気" を感じませんか」
 唐突に、それを問うてくる。
 改めて、辺りを見回した。木立は穏やかに静まり返り、これといって変わりはない。
「さあて、な」
「おや。とうに気づいているかと思いましたが。腕っ節に自信のある人は余裕っスね」
「……嫌味は、よせよ」
 腹に一物ありそうな顔だ。
 こういう肚の探り合いは、好きじゃない。(さっさと、どっかに行ってくれ……)と内心で念じる。
 ザイは銜えた煙草を片手で囲い、マッチを振り消しながら、顎をしゃくった。
「で、なんなんです。あの騒がしいお客さん方は」
 "お客さん"──つまり、後から合流した、あの四人の官吏のことだろう。片手間を装いながらも「こっちにも話を通せ」ってな意図がミエミエだ。
「ご領主様の、お友達、だとよ」
「へえ。この先も、ご一緒するんで?」
 ザイが一服、小馬鹿にしたように笑って見上げる。そのくせ薄茶の眼は冷めたまま。もっとも、コイツに限らずレッド・ピアスの部下どもってのは、みんな、こんな感じだが。
 向こうの連中は、個人主義だ。何事にも我関せずで、仕事が引ければ、さっさと好き勝手に解散し、てんでバラバラに散って行く。一旦休憩に入ったら、もう梃子でも動きやしない。男気・団結を旨とするウチの隊とは大分カラーが違うから、この別働隊でも、少数派のコイツラだけが周囲の空気から浮いている。そう、こんな傭兵部隊なんてものは、外面はどれも似たようなもんだが、それぞれの気風には、火と水くらいの開きがある。そして、このザイってのが、向こうの群れのリーダー格。
 いつも何処かが冷めている、得体の知れない男だ。癖っ毛を持て囃すあの馬鹿騒ぎにも、一切関心を示すことなく、歓談の輪の中に混じろうともしなかった数少ない例外。いつもヘラヘラ微笑っているのも肚の内が分かり難くて薄気味悪いし、何処かシャッキリしないこういう奴とは、──根が真っ直ぐじゃなさそうな、根性ひん曲がっていそうな、こういう奴とは、どうにも反りが合わないのだ。今だって、不満があるなら正面切って言って寄越せば良いものを、思わせ振りな、もって回った言い方をする。まあ、向こうの連中も、別段悪い奴らじゃないんだが──
 どうも、こういうビシっとしないタイプは苦手なので、出来れば、トラビア行きの面子には混ぜたくなかったが、コチトラの配下だけでは人数が足りないのだから、仕方がない。補充分を、戦力的にみて上から順に選んでいったら、こういう按配になっちまったって話だ。つまり、向こうの面子十人と、こっちの上から十番目までとは、実力的に大差ない。
 だが、そうした話も、このザイだけは別格だ。いつも、欠伸(あくび)をしながら、かったるそうに歩いちゃいるが、一度(ひとたび)事が起きれば、動きは機敏で飛び抜けて速く、刃の軌道は剃刀のように鋭い。その実力は、コチトラと比肩する。総隊の中で言ったら、上から数えた方が早い。本来ならば、こんな物見遊山の行程なんかには加わらず、首長に張り付いていて然るべき奴だ。向こうの首長が、何故コイツをこっちに寄越したのかは定かじゃないが、どうせ、何か魂胆あってのことだろう。もっとも、日頃から何を考えてるのか分からない、あの首長のことだから、案外、只の気紛れなのかも知れないが──。
「ノースカレリアを出てからこっち──」
 乾いた声音に気がついて、慌てて意識を向かいに戻した。かったるそうに煙草を吹かしていたザイだ。
「あんな気配は、今までなかった」
 梢の先の空を見上げて、独り言のように言う。
 返事に窮する。聞かせるつもりがあるのかないのか、よく分からない。
 ザイは僅かに目を眇め、声を落として呟いた。
「──どうやら、あのお客さん方は、妙なもの、、、、まで引きずって来ちまったらしい」
 背筋がヒヤリとするような、思わぬ固い声だった。そこには、僅かに忌々しげな色が滲んでいる。
 だが、コチトラには、さっぱり意味が分からない。いい加減焦れて「要するに、何の話だ?」と尋ねようとすれば、視線だけをこっちに寄越して、ザイは早口で続けた。
「厄介事はご免ですよ」
 切れ長の瞳で、冷ややかに鋭く釘をさす。
 突然のことに、呆気に取られて反応出来ない。
 だが、ザイの冷ややかな態度は、すぐに一転した。今の不躾さを補うように、口を歪めて、にんまりと笑う。
「班長サンも知ってるでしょう。ウチの頭(かしら)はマジ恐いんスから」
 得体の知れない笑み。肚の内が全く読めない。
 本当にやりにくい。人の目を見ないで話をする奴ってのは、どうも、苦手だ。
「それはそうと班長サン。いつまで、こんな所で遊んでる気です?」
 一服吐き出しサバサバと、気軽な口調に切り替えて、どうでもよさ気に話を振ってくる。
「雲行き、割とヤバいっスよ。さっさと北カレリアに引きあげて、向こうに突っ返して来ちまいましょうよ。そうすりゃ、こんな下らねえ任務から解放されて、こっちの肩の、荷も下りる」
「そう言わずに、もう少しだけ付き合えや。ご領主様はトラビア行きをご所望だ」
「──トラビアねえ」
 ザイはたるそうに復唱する。
「気が知れねえ。あんなタルい戦場とこ見たって、面白いことなんか、ありゃあしねえのに」
 吐いて捨てるように、口の中だけで呟く。
「なんで、わざわざ、そんな所へ行きたがるんだか。ま、こっちにとっちゃ正直なところ、カレリアの内紛なんざ、どうでもいいって話ですがね」
「気が合うな。俺もだ」
 ザイはやんわり薄ら笑い。
「班長サンも、そうっスよねえ。でも、それなら、なんで──」
 切れ長の目が一瞥した。
「そんなに肩入れ、、、するんです?」
 突然、切り返されて、言葉に詰まった。
「お、俺は、別に、──そんなことは、だな──」
 とっさにアタフタと言い繕う。
「曲がりなりにも雇い主だからよ。一応、意向も聞かねえと──」
 やっぱり怒ってんじゃねーのか!? この野郎!
 実に分かり難いが、文句をねじ込みに来たらしい。ザイの腹立たしげな声音には、咎め立てるような憤りが抑えようもなく混じっている。もっとも、抑えるつもりなんか端からねえのかも知れねえが。
 掴み所なく飄々と。まったく質が悪いったら、ありゃしねえ。
 空を仰いで仰向いたザイが、ふっと短く紫煙を吐いた。
「俺としちゃあ、ここらで引き返して、さっさと帰っちまいたいところなんスがねえ。頭(かしら)の機嫌、出来れば、あんまり損ねたくねえし」
 やはり、どうでも良さげな、それでいて気鬱そうな口振りだ。それ、、について訊いてみた。
あの噂、、、は、本当なのかよ」
 チラ、と目だけをこっちに寄越して、ザイが口の端で小馬鹿にしたように苦笑う。
「やっぱり気になりますか、班長サンも」
「お互い様だろ。そっちだってよ」
「そりゃまあ、俺はてめえの頭(かしら)のことっスからねえ」
「で、本当のところは、どうなんだよ」
「さあ。外から見ている分には、どうにも。なにせ隙ってもんがありませんから、あの人には。だが──」
 言葉を切って、大儀そうに紫煙を吐く。
「本当だってんなら、逆らいたくねえ相手ですね。まあ、どっちに転んだところで、ヤバイことには変わりねえが」
 口の端で薄く笑う。何処まで本気なんだか分からない。茶化しているようにも、誤魔化しているようにも聞こえる。
 ザイがスイと背筋を伸ばした。首(こうべ)をゆっくり巡らして、色素の薄い茶色の瞳を、東南の方角へと振り向ける。
「しかし、ラトキエもツイテない。本来、カレリアの国軍は、公家筆頭ラトキエの管轄だってのに、事もあろうに、そいつらに喉元押さえ付けられちまうたァね。まったく皮肉なもんスよねえ。ああ、こういうの、──ええっと、なんて言いましたっけね」
「"飼い犬に手を噛まれる" だろ。ラトキエの連中、さぞや腸煮えくり返ってるとこだろうさ」
「そうそう、ソイツだ。──ま、なんにせよ、パッパと済ませて帰りましょうや。あの坊やの生きてる内に、、、、、、
 唐突に立ち上がり、踵を返して歩き出す。用は済んだといわんばかりに。「じゃあ」でもなけりゃあ、「これで」でもない。まったく、手前勝手な奴だ。
「──おい、ザイ!」
「忠告はしましたよ。一応、頭(かしら)の言い付けなんで」
 足だけは止めたが、振り向きもしない。
「くれぐれも用心は怠りなく。あの"くるくる頭"を殺(と)られちまっちゃ、班長サンもそっちの頭(かしら)に合わせる顔がねえでしょう」
 背中で言い、ザイは木立を立ち去った。
 
 
 
【 招かれざる客 】
 
 
 
 必然的に、一人ポツネンと取り残される。
 途端に、どっと押し寄せる疲労感。凄く疲れた。もの凄く疲れた。
 静かな木立の中、脱力して溜息をついた。ああいうのは、本当に苦手だ。涼しい顔で笑っちゃいるが、本当のところは、何考えてんだか、全くさっぱり分かりゃしない。常日頃、ああいうのを何十人も束ねている向こうの首長に、ふと、同情と尊敬の念を抱く。
「──ああ。そうか。そういうこと、、、、、、、か」
 不意に、事情を納得した。今の、ザイの捨て台詞だ。
 そう、あの男がこんな寄せ集めの部隊に来た理由──やはり、只の気紛れなんかじゃなく、向こうの首長の差し金だろう。この行程には、三隊いる各部隊から同人数が割り振られたが、あの癖っ毛のお守り役にと、隊長がこっちを指名したもんだから、向こうの隊も対抗して、こっちが、道中、好き勝手なことをしないよう牽制する意味合いで、実力的に見合った奴を送り込んできたのだ。つまり、あいつはコチトラの、
「"お目付け役"って訳かよ……」
 しかも、選りにも選って、あんなのを。──いや、この人選は、絶対、趣味だ。
 その娯楽的、且つ確信犯的な意図を悟って、ゲンナリと溜息をつく。あんな顔して、なんて意地悪なんだ、あの首長は。今頃きっと、こっちの渋い顔を想像して、密かにVサインでも繰り出しているに違いない。きっと、そうだ。しかし、それはそれとして──。
 こりゃあ、下手には動けない。妙な動きをしたりすれば、逐一報告されちまう。だが、まあ、
「──さて、と」
 今更、気を揉んでみたところで仕方がないので、当初の目的に立ち戻ることにした。
 余計な邪魔が入っちまったが、何処か人目につかない場所を探していたのだ。又、部下なんかとひょっこり出くわしたりしないよう周囲をソロソロ見回して、木立の中を慎重に歩く。そうして、しばらく下草を鳴らして歩いていると、立ち並ぶ木立の視界の端で、奇妙なものを目撃した。
 口を尖らせた癖っ毛だ。
 顎を突き出し、ズボンのループに指を引っ掛け、足をぶん投げるようにして歩いて行く。賭けでカモられて負けでもしたのか、随分と不貞腐った様子──と、そこまでは、いつもと一緒なんだが──
 何か引っかかるものを感じて、何とはなしに足を向ける。
 そして、唖然と固まった。そう、それは、実に分かり易い異変だったから。
「……どーした、あんた。その顔は」
 左頬が見るからにプックリ腫れている。声を掛けられた癖っ毛が、足を止めて振り向いた。
「ラルの奴に、殴られた」
 無様に腫れたその口で、喋りにくそうに言いつける。
「……へえー」
 あの上品そうな色男が、ね。
 こいつは驚いた。あの細っこい"司令官"殿が、コイツをぶん殴ったってのかよ? 中々やるじゃねーかよ。ひょろっこいくせに。
「で、あんたはやり返さなかったのかよ」
「……うん」
 口を尖らせた癖っ毛は、憮然と左の頬を擦っている。
 結構、派手にやられたらしいな。まあ、どうせコイツのことだから、又、妙なチョッカイでも掛けて、逆襲されでもしたんだろうが。たまにコイツは、人懐こいのを通り越して、やりすぎるキライがあるからな──と、そこで、ふと、あの感触を思い出し、ゾワリと全身が総毛立った。
「……なにしてんだよ、カーシュ」
 張本人のくせに癖っ毛が、怪訝な顔で振り向いた。
「別に」
 きっぱりと話をぶった切り、今更ながら、頬をゴシゴシ擦り落とす。あまり、あの過去には触れたくない。
 正直、野郎の面なんか、多少デコボコしようが、どうでもいいが、そこに至った経緯とやらを、一応訊いておいてやろうかと、不審そうに首を傾げている癖っ毛頭に話を振った。
「で、なんだって殴られたんだ? まあ、いくらダチだからったって、あれだけ虚仮にされりゃあ、あの色男が怒るのも無理ねえけどよ」
 癖っ毛は「そんなんじゃねーよ」と不機嫌そうに吐き捨て、更に口を尖らせた。
「ラルは、そんなことで怒ったりしない」
「そりゃあ、殊勝なこったな。なら、なんで殴られてんだよ」
 そんなもん、あれの腹いせ以外に、何があるってんだ。
 癖っ毛は憮然と前を向いたまま、至極当然のように答えを投げた。「部下を連れてたろ、あいつ」
「それが?」
「あそこにいたのがラルだけなら、──危険な目に遭ったのが自分だけなら、殴ったりしない」
 憮然としていた目元を和らげ、「そういう奴だからさ、ラルは」と呟くように付け足す。と、クルリと唐突に振り向いた。
「ありがとな、カーシュ」
「──あ?」
 急に笑顔で礼を言われて、とっさに話についていけない。
 コイツに礼を言われるようなことを、何かしただろうか。「なんの話だ……?」と一人密かに首を捻っていると、ツツッと寄って来た癖っ毛が、横目でチラと流し見た。
「ラル達の捜索、差し向けてくれたんだろう? あの"抜け道"に」
 ニッと笑って、こっちの脇腹を肘で小突く。
 不覚にも、頬が引き攣った。
「な、なんの話だァ? お、俺は別に、そんなことは──!」
「バサラ達が、いない」
「……む」
 野郎。
 知ってたんなら、先に言え。そっぽを向いて口笛の偽装をする前に。
 きっぱりと、それを指摘され、もう口を噤まざるを得なかった。素っ気なく言い切りやがった癖っ毛が、「やっぱりな〜……」と溜息混じりに頭を掻いた。
「そーじゃないかと思ってた。カーシュってば、ホントは、すっげえ、いい奴だからさ」
 何の衒(てら)いもなく断言されて、反射的に何か反論しようと口をパクつかせるが、最早、何の言葉も出て来はしない。
 おぞましい何かが、ゾワリと背中を駆け抜けた。日頃から鍛え上げてる第六感が、切迫した緊急事態を大音量で告げる。コイツの魂胆にハッと気付いて、即刻、その場から飛び退いた。
「"礼"はいいから!」
「──む!?」
 発動寸前ピタリと停止した癖っ毛と、若干の距離を挟んで、じぃ……っと不穏に睨み合う。
 第二次カレリア戦線、勃発。抜き差しならない硬直状態に突入し、双方、前傾姿勢で動きを止めた。
 あ、危ねえところだった。
 やっぱりコイツ、アレ、、を狙っていやがったか……
 ジリジリと牽制しつつも、難を逃れて、ひとまず胸を撫で下ろす。
 冗談じゃねえ。
 あんな気色悪りィもんは、二度とご免だ。ガキのすることなら、まだ許せるが、コイツは正真正銘どっから見ても、同類、男。──い、いや! それに、あんなハナたれ小僧でも、あっちは一応、女の範疇だったし──!
 引き合いに出せる手持ちがいささかショボくて思い切り凹むが、突発事故に遭遇し動揺した頭の中では、無駄な思考がめまぐるしく無脈略に駆け回る。時の迷路で迷走しつつも、断固たる拒絶の意思表示と、ただならぬ(後ろ向きの)闘気だけは、全身から溢れんばかりに立ち昇らせて、眼(ガン)を飛ばしつつ、ジリジリと後退。
 ビシバシ牽制していると、ムッと小首を傾げた癖っ毛が、あろうことか不届きな感想をボソリと吐いて捨てやがった。
「勘がいいな」
「ったりめーだ。コチトラ伊達に鍛えちゃいねえぞ」
 対抗して、不敵に笑って凄んでやる。意味合い違うが。
 て、今コイツ、チェって舌打ちしなかったか!? チェって!?
 嫌な冷や汗を、腕で拭う。何気に間合いを詰めて来んじゃねえ。
 前傾姿勢でジリジリ引きつつ、隙を窺う癖っ毛を睨みつける。
「──おい、来んなよ? こっちに来んじゃねえ!」
「だあって、俺、寂しいもん」
「そんなに構って欲しけりゃ、てめえの女房に構ってもらえや。こっちを巻き込もうとすんじゃねえ!」
 癖っ毛は何気にジリジリ前進しつつ、ブツクサ文句を垂れやがる。
「だって、あれ以来、エレーンの奴、ちっとも触らせてくんないんだもん。──分かんだろ? 俺のセツないこのキモチ。あれじゃあ、せっかく嫁もらったのに、俺、なんにもイイことな──」
「どうせ、あんたが悪りィんだろうが。なんか嫁を怒らすようなことでもしたんだろう」
 そうだ。ぜってーコイツだ。コイツがなんかやったに決まってる!
 しかし、癖っ毛はヌケヌケと。
「失敬だなあカーシュ君。俺はなんにもしてねーぞ? 正真正銘、無罪潔白。なのに、エレーンの奴、毎晩毎晩部屋から締め出しやがってよ〜。お陰でこっちはどんだけキビしくセツない夜を──! しかし、いっくらなんだって、ああいう態度はねえってもんだろ。せっかく嫁もらったのに、それじゃあ俺だけイイことなんかなんにも──」
知るかよ!? だからって、無関係な他人を身代わりにしようとすんじゃねえっ!
 さりげなく間合いを詰めんなよっ!?
 緊迫した拮抗状態を保持しつつ、(……まさか、コイツ、妙な性癖でもあるんじゃねえだろうな……?)との嫌な疑惑が色濃く膨らむ。
 野犬の如くに唸りつつ、断固、固辞・死守!の崖っぷちスローガンの下、「こっちに来んじゃねえ!」光線バリバリ全開で威嚇してやれば、「や〜れやれ」とわざとらしく発音して上体を引き起こした癖っ毛は、軽く肩をすくめて、ズボンのループに両の指を引っ掛けた。(い〜や! 騙されるもんか! コイツはフェイントかます気だ。そうだ。そうとも。まだまだ油断はならねえ!……えんどれす……)と固く身構えてるこっちの前で、ぶらりと足を踏み代えて、遠く西の彼方を眺めやる。
「俺は今、止まれない。だけど、カーシュはすっげえ怒ってて──だから、何らかの手を打ってくれるだろうと思ってた」
 思わぬ真面目な面だった。
 ガラリと一変したその様に、拍子抜けして上体を起こしかける。癖っ毛がクルリと振り向いた。
 口の端を不敵にひん曲げ、にまっと笑う。特別な仲間にでもするような悪ガキの面で。その顔に、不意に悟る。
 
 か、からかいやがったのか……
 
 顎が抜け落ちるほどに、絶句した。
 
 ……馬鹿野郎。
 危うく、背ぇ向けて、逃げ出すトコだったじゃねーかよ……
 
 癖っ毛に、悪びれた様子は全くない。
 
 ……完璧に遊ばれてんなオレ。
 ずっしり重たい自覚と共に、脱力の溜息を深くつき、片手で顔を引っ掴む。
 真面目に付き合うと、馬鹿をみる。まったく、コイツは掌(てのひら)返すようにコロコロと。しかし──
「……なんてえ奴だよ。あんたは、まったく!」
 つまり、こっちの行動まで織り込み済みだったって話かよ。
 ああ、まったく、なんて奴だ。そんなことまで、ちゃっかり計算していやがったとは。あんなにいじましく狼狽えてたくせに。
 敗北感に塗れて、ぐったりと項垂れた首を振っていると、指の隙間の端っこで、癖っ毛が大きく息を吸い込んだのが見えた。
「信じてた」
 ……あ?
 今度は何だよ、唐突に。
「俺はカーシュを信じてた。だから、動かず待っていられた」
「……」
 て、照れるじゃねーかよ。
 そういうことを、本人を前にして言うんじゃねえ……
 思考が停止し、返す言葉もありゃしねえ。しかし、よくも恥ずかしげもなく、そんなクサイ台詞が次から次へと吐けるもんだなコイツ。
 まったく呆れた奴だった。こっちの出方をチャッカリ読んで、先へ先へと手を打ってくる。油断も隙もあったもんじゃねえ。
 けれど、不思議と悪い気はしない。コイツの保険に使われたってのに、それでも不思議と許せてしまう。
 そんなに悪気のない顔で笑うから。
 
 突如、顔を上げた癖っ毛が、「ラル〜!」と大声で呼ばわった。
 荒れ野を眺めた視線の先に"司令官"殿のスラリとした姿を見つけたらしい。ふと振り向いた色男が、小首を傾げ、足を止めて待っている。笑顔を作った癖っ毛は、早速そっちに駆けて行き──て、フットワーク軽いなおい。ぶん殴られたばっかのくせに。
 それをツラツラ見ていたら、ふと、当初の目的を思い出した。
 そそくさと、件の場所探しに立ち戻る。あの小煩い癖っ毛なんかには間違っても見つかりたくないので、さりげなく、そーっと踵を返し、そっちとは逆方向へと足を踏み出しかけ──
「ん?」
 動きを止めた。
 今、何かの気配を感じたのだ。
 周囲の物音に、耳を澄ます。辺りの木立に、ゆっくり視線を巡らせる。
 梢がサワサワ鳴っていた。
 遠くから聞こえて来るのは、内海で唸りを上げる風の音、のんびりした馬の嘶き、"司令官"殿を捕まえた癖っ毛の親しげな話し声、そして、部下どものたてる、いつもと何ら変わらぬ日常のざわめき──
 そこにあるのは、何れも聞き慣れた音だった。その中に入り混じった微かな違和感の在りかを慎重に探る。だが、極力、神経を研ぎ澄ましても、もう何も捉えられない。
「──気の、せいか」
 強張った体の緊張を解き、知らぬ間に前屈みになっていた肩を、ゆっくりと引き起こした。改めて周囲を見回しながら、後ろ頭をポリポリ掻き、腑に落ちない思いで首を捻る。今のは、単なる気のせいだったろうか。何かの気配を感じたのは。
 そこには、誰もいなかった。
 
 
 
 
 

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