■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章 5話6
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気が付けば、戦場の北端まで移動していた。
目の前に広がっているのは、何ら変わり映えのしない、喧騒に沸く午後の戦場。見るとはなしに眺めやりながら、今の嫌な感じを咀嚼する。
腑に落ちない。
「──そういや、あの癖っ毛は、」
ふと、あの領主のことが気になった。
こういうのを虫の知らせと言うんだろうか。すぐに、そっちに踵を返した。
戦場の北から癖っ毛のいる雑木林南まで、足早に戻る。混乱の背を押し返し、混雑を掻き分けながら、前に進んだ。
やがて、喧騒と土埃の向こうに、癖っ毛の姿が遠く見えてきた。だが、どういう訳だか、一人きりだ。付けておいた護衛がいない。
「──何やってんだ、馬鹿野郎!」
アレを一人にして、腕の立つ奴が襲って来たら、どうすんだよ!?
護衛の怠慢に舌打ちして、戻る足を更に速める。
その時だった。その軍服の姿を見つけたのは。
のんびりと戦場を眺めていた癖っ毛の背へと、一直線に向かっている。まったく、護衛のいない、こんな時に限って──!
とっさに叫んだ。「──大将っ!」
癖っ毛が、ふと、こっちを見た。──と、同時に、軍服が大きく踏み込んだ。
振り上げた剣が、横薙ぎに走る。
「うわっ!?」
癖っ毛は、とっさに仰け反った。丈高い野草の向こうに沈没する。
「──お、おいおいっ!?」
思わぬ光景に、ギョッと竦んだ。あの軍服、結構な腕だ。いや、そんなことより、癖っ毛は、
──癖っ毛は、どうした!?
駆ける足を一層速めて、慌てて現場に急行する。混雑を掻き分け、前の奴を突き飛ばし、蹴り飛ばし──慌ててそっちに目をやれば、地面に仰け反った癖っ毛は、だが、すぐにムックリと起き上がった。
──よし。まだ動いてる!
情けなく尻餅こそ、ついちゃいるが。
ひとまず、安堵の息をつく。間一髪、逃れたらしい。相手の勢いに押されて引っ繰り返っただけのようだ。転んだ拍子に頭でも打ったか、上体を起こし後ろ手を付いた癖っ毛は、顔をしかめて、ゆるゆる首を振っている。
だが、安心してはいられなかった。
転がった癖っ毛目がけて、次の刃が打ち下ろされる。
続け様に繰り出される軍服の刃。それを右に左に身を捩って避けながら、癖っ毛は持ち前の機敏さを発揮して、辛くも攻撃を凌いでいる。
こっちも、出来る限り速度を上げた。
駆け急ぐ視界の中央で、青軍服の横顔が舌打ちしたのが見えた。癖っ毛は肩で息をつき、逃げ延びた地面から、精一杯、軍服を睨み上げている。それを冷めた視線で眺め下ろして、軍服は、掌に峰をポンポン打ち付けて軍刀を弄び、再び癖っ毛へと歩を運ぶ。追い詰めた獲物を殊更に弄るような、ゆったりとした足取り。小首を傾げ、薄ら笑いさえ浮かべて見下ろすその頬には、手馴れた余裕めいたものさえ感じられる。
──なんだ? いやにガラの悪い野郎だな……?
"軍服"のくせに。
そっちに急行しつつも、腑に落ちない気分で首を捻る。何かしっくりこない。
経験上、分かる。ああした職業軍人ってヤツは、普通はもっと折り目正しいものだ。生業こそ荒っぽいが、根っこのところは真っ直ぐで、街で暮らす"普通の"連中と、そう大きくは変わりない。そう、こんな乱戦に陥って尚、一対一の刀剣試合を要求してくるような生真面目で微笑ましい輩だ。しかし、それに引き換え、あの男は──
あれは壊れちまってる。あれではまるで、何の足枷もない日雇いの傭兵だ。野卑で荒くれたあの態度が、公権力を示す公明正大な"制服"には、何処か決定的にそぐわない。
駆け急ぎつつも、密かに首を捻っていると、癖っ毛は投げ出した白龍刀を引っ掴み、怯むことなく立ち上がった。
素早く退いて間合いを取り、すぐさま白龍刀を両手で構える。地面に転がったもんだから、頭から枯れ草塗れ、全身土塗れの惨めな有様だ。だが、目は、決して臆しちゃいない。
腰を抜かしちまったかとヒヤヒヤしたが、それほどヤワでもなさそうだ。癖っ毛までは、あと少しの距離。今にも増して加速する。
癖っ毛は、立ちはだかる青軍服を睨み付けている。その左頬に一筋の赤が走った。横一線から、ツー……と赤い血が滴り落ちる。どうやら、避け切れてはいなかったらしい。シャツの左上腕も、すっぱり裂けてヒラヒラしている。狙いを定め、青軍服の右足が動いた。
「──危ねえっ!」
間一髪、癖っ毛の手首を引っ掴む。思い切り後ろへぶん投げた。
ようやく現場に到着し、すぐさま正面に滑り込み、こっちの体を盾にした。対峙した青軍服を睨みつけ、白龍刀を片手で構える。
割って入られ、青軍服は何故か面食らった顔で停止した。──と、その顔を憎々しげに歪めて、忌々しそうに舌打ちする。
妙なズレを感じた。さっきも不審に思ったが、こういうキチンとした軍服にしちゃあ、何だかコイツ、いやに、ふてぶてしくないか……?
不意に、牽制していた軍服が引いた。
軍刀を引っ下げ、素早く退却、身を翻し喧騒の只中へと紛れ込む。こっちとやり合うつもりはないらしい。それに構わず、こっちも癖っ毛に駆け寄った。
「──おい、大丈夫かよ」
とりあえず、安否を確認する。
だが、投げ飛ばされて、又も尻餅をついた癖っ毛は、
「余計な真似すんなよなっ!」
「あ?」
何故だか、開口一番、癖っ毛から抗議される?
この状況がイマイチ理解出来ずに、ポカンと呆けた。なに怒ってんだコイツ。気が動転して、ワケ分かんなくなっちまってるのか?
しかし、不服げな癖っ毛野郎が、口をトンがらかして言うことにゃ、
「もうちょっと、やってりゃ、勝てたのに!」
ヒクリ、と、頬が引き攣った。
「──あのなあっ!」
だったら、今、無様に地べたを這いずってたのは、いったい、何処のどいつだよ!?
言うに事欠き、何たる言い草。しかし、あまりの無謀さに、言い争う気力が、急速に失せる。にしたって、あれで、まだ勝つつもりでいたのか。つーか、今のは、向こうの実力の方が全然上だろ。頬っぺた斬られただけで済んだのは、それこそ奇跡に近い幸運だ。
だが、命拾いした癖っ毛は、不満気に口を尖らせる。
「ヤバくなった途端に助けが来るんじゃ、俺まるっきり使えねー奴みたいじゃん! ヒトの戦いに手ぇ出すなよっ!」
そのクソ生意気な言い分には、さすがに、こっちもムッとした。
「そーかよ。だが、そういう寝言は、もちっと腕を上げてから、ほざくもんだぜ、
腕を組んで、せせら嘲笑ってやる。すると、癖っ毛も、ムッと目を瞠り、
「俺は、女子供じゃない!」
すぐにギャンギャン喚いて噛み付いてきた。
「手なんか借りなくても、俺一人で出来る! 第一そんなのフェアじゃないだろ! 俺は正々堂々と戦いたいのっ!」
お前なあ……。
正々堂々と戦って、それで、おっ死んじまったら、どうしようもねえだろ。
人間なんてものは、生き抜いてナンボだ。"美しい死"なんてものは、所詮は戯言、儚く虚しい幻想だって。
「さっき、カーシュだって、俺のこと、中々やるなって言ったじゃねーかよ!」
ああ、コイツにはもう何も言うまい。
まったく。ちょこっと褒めてやったくらいで、増長しやがってよ。
「──だからな、そういう評価は相対的なもんなんだよ。だから、相手が変わりゃあ、それなりに変わ──」
「なんだよそれは! いい加減だな! 今になって汚いぞ!」
「……」
なんで、そんなに吠えんだよ。あーあー、これだから育ちのいい野郎ってのは。
周囲の大人から "いい加減なこと" は一切言われず、ここまで育ってきたらしいな。しかし、そもそも、いい加減なもんだろ、世間なんてもんはよ。
相手をするのがかったるくなって、額を掴んで溜息をついた。
多分、コイツには幾ら言っても無駄だろう。下から上を見上げてる奴には、力の差がどれだけあるのか分からない。
ふと、それに気が付いた。癖っ毛の顔を、マジマジと見る。
……なんだ。"ポーズ"かよ。一応、男としての矜持はあるらしいな。
そして、深々と溜息をついた。
膝が笑ってんじゃねーかよ。痩せ我慢しやがって。
見栄を張るのも、たいがいにしろ。
そうこうする内、癖っ毛に付けておいた護衛の野郎が戻ってきた。何がそんなに気になるのか、自分の後ろを振り向き振り向き、地面に唾を吐きかけ、やって来る。──と、こっちのムッとした顔を見つけたんだろう、途端にアタフタと飛び上がり、チョップの形にピンと伸ばした両手を振って、猛ダッシュで駆けて来た。
「何をしている! コイツに付いていろと言ったろう!」
開口一番、盛大な渇を入れてやる。当然だ。
「──ああ、すいません、班長」
申し訳なさそうにそう詫びて、護衛は、バツの悪そうな顔で後ろ頭を掻きながら、自分の肩越しを振り向いた。
「妙な野郎がいたもんで、一応退(ど)けとこうかと思いまして、つい──」
「そんなものは、放っておいていい。その内、そこらの誰かが片付けるだろ」
「──なあ! カーシュ!」
突如割り込む癖っ毛の声……?
呼ばれて「なんだよ」と足元を見れば、胡座(あぐら)のままの癖っ毛が、話に割り込まれて焦れたのか、こっちを睨みつけていた。グイと腕を組み、駄々っこみたいにプリプリしている。まったく、いっぱいいっぱいのくせに虚勢なんか張りやがって。──あ、さては、さっき、こっちがちっと黙ったもんだから、説き伏せたとでも勘違いしていやがるな?
案の定、待ち構えた癖っ毛は、憤然と口を開いた。
「俺の話、ちゃんと聞いてるー? 今だって、カーシュが邪魔してなけりゃ、あの後、俺が挽回して、今頃は俺が攻勢に──!」
「ああ、そう」
夢と希望に溢れた実のない与太話をぶった切り、白けた気分で踵を返した。
あほらし。
ちっとも堪えてやしねえじゃねーかよ。
ああ、心配してやって損した。
見回りに出た。
得物の峰で肩を叩いて、雑木林沿いにブラブラと歩いた。
ふと、今の場面を思い出して、げんなりと溜息をつく。まあ、癖っ毛や色男に軍服が集中するのも無理はない。なにせ、他の奴らを相手にするより、数段手軽だ。そろそろ、何処かに隠しておくか。──いや、言われて素直に隠れるような、そんな大人しい連中じゃないか……
北端まで歩いて、折り返す。
戦況は、今までと変わりない。
お日様ぽかぽか、いたる所でワーワーギャーギャー、そして、捕縛チームは伸びた軍服をズルズル引き摺り……まあ、相変わらず長閑なものだ。そう、のんびりやってるその様は、何処といって変わりない。
ふと、何かを感じて足を止めた。
癖っ毛のいる右手を見れば、軍服と打ち合う癖っ毛の背後に、素早く駆け寄る青い影──!?
「──又かよ!」
舌打ちして駆け寄った。
又も、癖っ毛は一人きりだ。何処に行ったか、あの護衛の姿が何処にもない。そして、嬉々として打ち合いをしている癖っ毛が、気付く気配は、まるでない。
そいつが振り被った寸でのところで、思い切り脇腹を蹴飛ばした。吹っ飛ばされた軍服は、たたらを踏んで体勢を崩し、しかし、すぐさま立て直して、喧騒の波に紛れ込む。
不審に思う。ただの軍兵にしちゃあ、いやに軽い身のこなし……?
そいつが消えた方向を、首を捻って眺めていれば、一旦姿を消した今の軍服が、視界の端を素早く掠めた。
再び、癖っ毛狙って斬りかかる。
とっさに強く地面を蹴った。
辛くも滑り込み、別の青軍服と夢中で打ち合っていた癖っ毛の右肘を、シカと掴んで、力任せに投げ飛ばす。その僅か数瞬後、元いた場所を正確に抉り、逃がした胸元スレスレを掠めて、鋭利な切っ先が横薙ぎに走った。
さっきの奴か?
すぐさま、そっちを素早く振り向く。だが、気配は、もう何処にもなかった。
そいつは姿を消していた。今のは──?
「痛ってーな」
癖っ毛の声がした。
「何すんだよ、いきなりィ……」
ふと、足元を見れば、弾き飛ばされた癖っ毛は、思い切り尻餅を付いていた。何が何やら分からぬ顔だ。その顔を見て、考える。
……気のせいか?
目を返して、雑然とした戦場の様子を見回した。
北に目を向ければ、あの"司令官"殿は、相変わらず、呆れた顔の護衛を退け、真っ当な刀剣試合に励んでいる。あっちの護衛の欠伸(あくび)混じりの顔を見るまでもなく、特に襲撃を受けているようでもなさそうだ。癖っ毛の顔立ちが他と違うのが狙われる理由だというのなら、何故、あっちは、ああも何事もない? 襲撃される条件は、向こうもこっちも同じ筈。そう、──
なんだか、癖っ毛ばかりが狙われているような──?
「……嫌なものが、混じっていやがる」
知らぬ間に、舌打ちしていた。
真っ当な打ち合いを邪魔された癖っ毛は、プリプリしている。まだ大した傷は負ってない。頬っぺたが少し切れてるだけだ。肩越しに様子を確認し、目を戻した。
癖っ毛が狙われている。これは、もう間違いない。そして、恐らく今のは同一人物。
確信が、耳元で囁いた。
──今の奴、仕留めておいた方が、いい。
「立て」
「──なんだよそれぇ!」
胡座(あぐら)で見上げた癖っ毛が、俄然、抗議して、食ってかかってくる。腹立ち紛れに振り向いた。
「馬鹿野郎! さっさと立て!」
「あ、馬鹿って言った? 今、俺のこと馬鹿って言ったな?──あのなーカーシュ、知ってるか? 馬鹿って言う奴が、本当は一番馬鹿なんだぞー ?」
「なんでもいいから、さっさと、そこから立ちやがれ! そんな所に、へたり込んでる場合じゃねえってんだよ!」
「なにそれ!? どういう態度だよ! いきなりヒトのこと突き飛ばしといて、詫びの一言もナシかよっ!」
途端に、癖っ毛が文句を言う。だが、こっちの不機嫌が伝わったのだろう。結局は、不貞腐った様子で立ち上がった。辺りを見回し、そこらの暇そうな奴を呼びつける。
「ここで待ってろ」
「え?」
口を尖らせ、服をパタパタやってた癖っ毛が 怪訝な顔で見返した。
「いいか、やたらと動いたりすんじゃねえぞ。──いいな!」
有無を言わさず言い渡し、「なんスかー? 班長―」とやってきたそいつに、癖っ毛の護衛を言い付けた。すぐさま、襲撃者の跡を追う。
あの軍服は、半分逃げ腰の他の奴らとは、明らかに違う。無駄のない滑らかな動きで、執拗に、的確に、癖っ毛だけを狙ってくる。
──あれを放置するのは、危険だ。
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