■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章 interval 〜 同床異夢 〜
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interval 〜 同床異夢 〜
しかし、困ったことに、現実問題──
三人は、深々と溜息をついていた。
突如壊れた白皙の上司殿は、やる気満々なのである。「危ないから、あんたはやめとけ」と何度も言ったが、どう言って諭しても、聞く耳持たぬ馬耳東風の構え。いや、それどころか、あの後、クレスト公と仲良く語らい、嬉々として今後の相談なんかもしていた模様……。そして、なんといっても、ここが肝心要の点なのだが、あんなもんでも上司は上司、逆らうことは許されない。ああ、哀しき宮仕え哉。官吏の世界に生きる者達の、これが非情にして過酷なる掟ってヤツである。それにしても──
どうして、《 遊民 》達には、国軍がこっちに向かって来ると分かったのだろう? 何処にも、そんなものは見えやしなかったのに。
突然ざわめき始めたかと思ったら、険しい顔で立ち上がり、荒れ野の南を一斉に睨みつけた。その剣呑な有様は、さながら飢えた狼の群れでも見るような──
円陣を解いてのっそり出て来た例の赤毛ザンバラが、皆を見回して吠えたかと思ったら、回りの《
遊民 》達も、それに習って次々遠吠えを上げ始め、アレヨアレヨという間にバタバタ四方に散っていき……
頭上から、心地良い木漏れ日が降ってくる。
小鳥が長閑(のどか)に囀る雑木林。なんで、こんな所にいるのかといえば、あの恐い《
遊民 》二人に、有無を言わさず連れ込まれ、大木の裏に押し込まれちまったからである。
そりゃあ、ビクビクまごまごしていた初めの内は、言われた通り、ちんまり大人しく隠れてもいたさ。だがしかし、しばらくしたら、尋常でない馬の嘶きが上がり、続いて大きな喚声なんかが上がっちまったもんだから、つい「何事だ……?」と出て来てみたら、そうしたら、なんと、あっちの荒れ野で、開戦しているようではないか。
色鮮やかな軍服を纏った国軍 vs あの恐い顔の《 遊民 》軍団。怒号だとか、悲鳴だとか、馬の嘶きだとか、不穏で乱雑な物音が、てんこ盛りで耳に飛び込んでくる。
──という訳で、
雑木林の茂みにコソコソ隠れて膝立ちになり、三人は、こんもり茂った枝葉の隙間から、荒れ野の様子をマジマジと見学していたのだった。
隠れた茂みを片手で押し退け、盗み見用の穴の先から荒れ野の様子を見ていたロルフが、隣のオットーを振り返る。
「凄いな。僕、こんなの初めて見たよ」
「──ていうか、あの連中、ガラ悪すぎ。なんか追い剥ぎみたいじゃね?」
オットーは率直にのたまった。少々呆れたような顔つきだ。その又隣で、両手で枝葉を掴んだカルルが、素直な感想を追加する。
「痛そうだねえ……」
そう、何故なのだろう。ドカッだとか、バキッだとか、何が起こっているのか、あんまり想像したくないよな音が、やたらとたくさん聞こえてくるのは。
((( うわっ! 野蛮…… )))
ケダモノのようだ。
三人は、アングリと口を開ける。──とはいえ、滅多に見られぬ光景でもあるので、前のめりの六つの目は、しっかり釘付け。
《 遊民 》軍団が優勢なのだろうか。全般的に、軍人の方が逃げ回っているように見受けられる。これまで培ってきた認識では、《
遊民 》というのは、華美な衣装に身を包み、芸妓団を率いて各地を回る流浪の民──つまり、玉乗りピエロや占い師
なんかのことを言うのだが、何というのか、これはもう、無力でいたいけな旅人に、集団で襲い掛かる追い剥ぎだとか、山賊だとかの襲撃現場を目撃している気分に近い。
綺麗な青の軍服が、見るも無残にボロボロだ。コソコソ隠れた葉陰に取り付き、三人は引き続き、その壮絶な光景にマジマジと見入る。
((( すっげえ。《 遊民 》軍団…… )))
えげつない。
品行最悪。悪逆非道。
──それにしても、だ。
すぐそこで、ケチョンケチョンに甚振られているのは、
集団で囲まれた挙句に、みんなに足蹴にされているのは、
荒れ野の端から端まで、諸手を上げて逃げ回っているのは、
馬の手綱を死に物狂いで引っ張り、しかも、自分の方が先頭になって走っちまってるのは、
あらゆる外敵から国境を守る、国内屈指、天下無敵の、カレリアが誇る国境軍の──
((( 筈なんだけどなあ……? )))
何かの間違いなんじゃなかろうか。誉れ高い国軍が玉乗りピエロよりも弱いというのは。
こんな情けない有様で、果たして国防は大丈夫なのか? といささか不安になってくる。確かに、今は一応、ディールは敵である訳だから、これで、自分達の都合の方は、バッチリOK問題なしの筈なのだが、なんだか、そこはかとなく腑に落ちない。
三人それぞれ複雑な心境で首を捻りつつも、ついついうっかり((( よし! やれ! そこだ──っ! )))と拳を握って見学し、一通り状況を把握したので、膝を払って立ち上がる。
そう、暢気に見物なんかしている場合ではないんである。なんたって、官吏たる自分達には、しなければならないことがあるのだ。
木漏れ日落ちかかる静かな雑木林を、三人は横一列に並んで歩き出した。──と、ふと、顔を見合わせる。前方に、奇妙なものを発見したからだ。
その手前で足を止め、互いの顔を見る。しばらく、そうして戸惑っていたが、やがて、ロルフが意を決した顔で進み出た。「あ、あのぉ〜……?」
「──おや。見つかっちまいましたか」
頭上から降ってきたのは、意外そうな、けれど、大して気にしていなさそうな声。
そう、そいつがいるのは、木の上だった。
《 遊民 》の一人だ。細身の体躯に、サラッとした茶髪。何処か狐を連想させる、いやにすっきりした顔の若い男。靴紐でも締め直しているんだろうか、前屈みになり、足元に取り付いて何かしている。あっちはあんなに大騒ぎなのに、なに一人だけ、こんな所でのんびりのほほんとしてるんだか。そんなことしたら──
"輪"が乱れちゃうではないか。
協調の心は、大事である。キリッと厳しい顔を作って、ロルフは、もう一度呼びかける。「そんな所にいて、いいんですか?」
木の上の男からの答えは、こうだった。
「ハンチョウサンが何とかするでしょ? あの人達、ああいう"力仕事" 得意だから」
全く我関せずの態。顔も上げやしない。
「「「 "ハンチョウサン"って何 」」」
耳慣れぬ語句に、三人は揃って首を傾げた。だが、木の上の男は、軽く肩を竦めただけで、答えるつもりはないようだ。
三人は、腑に落ちない思いで、互いの顔を見合わせる。この男、なんだか、まるっきりの他人事だ。さっきは、獣みたいに吼えまくってたくせに。そう、あの魂揺さ振る熱き雄叫びは、いったい何処へ行ってしまったのだ?
頑丈そうな枝の付け根で、細身の《 遊民 》が、蹲るようにして身を屈めていた。なにぶん下から見上げているので、何をしているのかまでは見えないが、何か作業
をしているようで、金属音らしき硬い音が、ガチャガチャと上から聞こえてくる。
何処かで、鳥が鳴いていた。
ひんやりと気持ちのいい木立の静寂。一方、東の荒れ野からは、ワーワーギャーギャー、怒号やら、悲鳴やら、色んな物騒な音やらが、ひっきりなしに聞こえてくる。──って、この温度差は、なんなんだ? 彼らには、もしや、今日はオフだとか、何かの当番だとか、部外者には分からない何か複雑に入り組んだ微妙な事情かなんかがあるんだろうか? とっくに開戦している荒れ野に向けて、今度は、オットーが指を差す。
「でも、いいんですかぁ? あっちは、あんなに大騒ぎですよ? なのに、あなただけ、そんな所で、のんびりと──」
「あんた方、三つ子?」
「「「 え? 」」」
三人は、面食らって瞬いた。
蹲っていた足元から顔を上げ、木の上の男は、荒れ野に向けてヒョイと顎をしゃくる。
「あんまり周りで騒がないで下さいよ? 見つかっちまうでしょ、あっちのカッカした単細胞どもに」
「「「 …… 」」」
" たんさいぼう "?
なんて不届き&見下した言い草だ。自分だって仲間のくせに。
ヒソヒソと顔寄せ合った三人は、口を尖らせ((( やっぱりな…… )))と確信する。
──コイツ、絶対、サボリだ。
唐突に、木の上のサボり魔が、ニュッと片手を突き出した。
グーにした手を、パッと開く。その途端、何かがドスンと降ってきた。
……"どすん" ?
三人は、ギョッと飛び退った。遅まきながら、アタフタと散る。
恐る恐る戻って、ソロソロそっちを覗き込めば、"それ"は転がりもせずに、ズンと地面にめり込んでいる。片手で持てるほど小さな物だが、結構な重量があるようだ。てことは、つまり、これって──
((( 凶器じゃん…… )))
ザ……ッと、三人は顔色を失くした。
今更ながら、どっと冷や汗。しかし、あんまりといえば、あんまりだ。頭にぶつかってたら、きっと死ぬ。
男の暴挙に唖然と口を開け、三人は、木の上のサボり魔をマジマジと仰いだ。それに構うことなく当人は、依然として前屈みの体勢で、引き続きガチャガチャやっている。「ゴメン」でもなければ「悪い」でもない。それにしたって、あっちでは、凄まじい戦闘が始まっているのに、本当に参加しなくていいんだろうか?
気遣わしげにキョロキョロ見回し、カルルが堪りかねて、木の上を見上げた。
「あの、本当に行かなくていいんですか? あっちで何か、やってるみたいですよ? ほら、みんな、あんなに──」
「お構いなく。ちゃあんと仕事はしてますから」
「……しごと?」
「そう、仕事。だから、邪魔しないで下さいね」
やんわりとそう言い、木の上のサボり魔は、又もニョキッと、片手を突き出す。
ギクリ、と三人は身構えた。
いつにも増して素早い動きで、反射的にサッと身を引く。
案の定、木の上のサボり魔は、さっきと同じように、グーにした手をパッと開いた。そして、やっぱり、何かがドスンと落ちてくる。
さっきと同じ物らしい。
((( ……な、なんなんだ? これは? )))
落下地点に恐る恐る近寄り、三人は、頭をくっつけて覗き込んだ。
下草に埋もれた"それ"は、黒いベルト状の物体だった。穴が幾つか空いていて、端の方に留め金がある。さっきのガチャガチャは、これをいじっていた音らしい。しかし、見たこともない形だ。材質は金属のようだが、用途はさっぱり分からない。((( なんだ? これ……? )))と見ていたら、
「ああ、それ──」
頭上から、どうでも良さげな、尚且つタイムリーな声が降ってきた。三人揃って、キョトンと見上げる。
「盗らないで下さいね。俺のっスから」
「「「 ……。(要るか、こんなの) 」」」
作業はそれで済んだのか、木の上のサボり魔は、蹲っていた背を引き起こした。縮めていた左脚を投げ出し、かったるそうに寄りかかる。そして、器用にダラリと枝に寝そべった。降りて来る様子は、全くない。
三人は、顔を見合わせた。じゃあ、さっき言ってた"仕事"というのは、木の上で昼寝をするってことなのか?──いや、どう見ても、サボっているようにしか見えないが。そして、どう見ても、今、向こうで乱闘騒ぎに精を出している《 遊民 》達の仲間のようにしか見えないが?
枝の上を見上げて、三人は、怪訝に首を捻る。コイツは仕事だと言い張るが、何かを見張っているようでもない。しかしまあ、……
そんな(どうだっていい)ことを幾ら考えてたって仕方がないので、三人は、無視して行き過ぎることにした。
再び、テクテクと歩き出す。
ああいう無精ったらしい輩は、あんまり好きではない。一人がサボれば、その分の仕事が、他の者の肩に須らく圧し掛かってくるのだ。常日頃から、下っ端官吏という悲哀漂う立場上──つまり、逃げるに逃げられないポジションにいるもんだから、他人から(特に上から)厄介事を押し付けられる迷惑さ加減たるや、よぉ〜く身を持って知っている。そうだ。みんなが一生懸命やってる時に、ああいう不真面目な態度は、絶対、良くない──!
「──あ、そうそう」
サボり魔の声だ。
三歩歩いた途端に、呼び止められる。内心ムッとしつつも「何の用だ?」と見上げてみれば、木の上のサボり魔は、自分の口前に、指を一本突き立てた。
「俺がここにいるってことは、あっちの人達には内緒っスよ」
……口止めか?
「約束っス」
そして、妙に真面目に駄目を押す。口振りこそ飄々としてるが、しかし、目はちっとも笑ってない。有無を言わさぬ奇妙な迫力──って、
((( 何気に眼(ガン)をくれるなよ!? 恐いじゃないか!? )))
三人揃って、ギョッと引く。
顔を引き攣らせた三人が、恐る恐る見上げていると、一瞬豹変した木の上のサボり魔は、又、ポテリ……と幹に寄りかかった。クワッと開けた大口を、片手で扇いで、欠伸(あくび)なんかしてる。
……変な奴。
一転、のらくらした顔だ。妙に鋭い今の睨みが嘘みたいに、幹にのんべんだらりと寄りかかっている。
得体の知れぬサボり魔から目を離さずに、三人は、胡散臭げな顔でジリジリと後退した。どこか割り切れない心境ながらも、(サボり魔の樹を、念の為、大きく迂回しながら)歩き出す。サボり魔に、動きは全くナシ。──というより、見ちゃいない。興味は完全に失せたようだ。それにしても、──
三人は、密かに首を捻る。
ああいうチャランポランな態度は、如何なものか。あっちでは敵味方入り乱れての乱闘騒ぎになっているというのに。なのに、あいつは一人だけ加勢もせずに、こんな所で、のんびりまったり昼寝して──
((( いいのか? それで? )))
大いに疑問だ。
まあ、《 遊民 》軍団は優勢だから、人手はあんまり要らないのかも知れないが。
「──ああ、ちょっとちょっと」
通り過ぎた頭上から、又も等閑(なおざり)な声がする。「今度は何だよっ!?」と見上げれば、
「あんまり、あっちに行くと、危ないっスよ?」
「「「 …… 」」」
(何を今更当たり前な忠告を)どうでも良さげに追加して、木の上の変てこりんなサボり魔は、戦闘に沈む東の荒れ野を、欠伸(あくび)混じりに指差してくれたのだった。
疎らに生い茂る木立の間を、三人はテクテク歩いていた。
そう、なんで、こんなことに巻き込まれちまってるんだか、もう、さっぱり分からない。
この理不尽さについて、三人はつくづく考える。もしや、日頃の行いが悪いのだろうか……?
ふと、前方にある、その気配に気がついた。目にも鮮やかな青の色彩──
二人の軍人だった。熱心に話し込みながら、こっちに向かって、やって来る。
三人はコソコソと踵を返した。行きがかり上、多分、軍人は敵なのだ。相手が、まだ気付いてないのが救いだが──いや、気付かれた!?
ギョッと、三人は飛び上がった。
案の定、鉢合わせした軍人の顔が、険しく歪んで豹変し、こっちに向けて駆けて来る。
物騒な気配が、出し抜けに迫る。
「「「 う、うわっ! く、来るな!──こっちに来るなあっ! 」」」
もちろん、大慌てでユーターン。逆方向へ全力疾走。
だが、まだ幾らも行かぬ内に、派手な下草の音がした。何かが転げるような音──!?
先行していたロルフとオットーが、ギョッと肩越しに振り返る。
──カルルだ!?
早速、転んでしまったらしい。ずっと遅れがちで、今も一番後ろを走っていたカルルが、案の定、両手を投げ出し、頭から地面に突っ込んでいる。
とっさに戻りかけるも、二人は、向かって来る軍人の姿に、たたらを踏んで踏み止まった。息を詰め、目を瞠るその前で、すぐさま距離を詰めた軍人が、手にした抜き身を振り上げた。無防備な背中目がけて、荒立った凶刃が襲いかかる。
「「 ──カルルっ!? 」」
二人は、同時に息を呑んだ。けれど、足が凍りついてしまって動けない。
忌々しげな舌打ちが、聞こえた。
顔を覆った指の隙間から恐る恐る様子を窺えば、カルルは辛くも難を逃れていた。とっさに転がって、かわしたらしい。
二人同時に、ほっと胸を撫で下ろす。だが、軍人は、再び剣を振り上げた。
(( ──うわっ!? 今度こそ駄目か!? ))
とっさに、硬く目を瞑る。
首を竦めた二人の耳に、ザクリ……と何かを抉る音。
「──コイツ! チョロチョロと!」
苛立たしげな罵倒が、聞こえた。
恐々そちらを見てみれば、腹立たしげな軍人が、地面から刃を引き抜いたところだった。どうやら、今のは、剣が地面に突き刺さった音らしい。
仕留め損ねて苛立ったのか、軍人は、剣を続け様に振り下ろす。カルルは泣きそうな顔でアワアワしつつも、その都度コロリコロリと切っ先をかわして、地面の上を這いずりながら、ゴロゴロ転げ回って逃げている。
グサグサと、鋭い刃が突き立った。けれど、内心ヤキモキと、もどかしげに見つめながらも、二人には助けてやることはおろか、近寄ることさえ出来はしない。
相棒の不手際を見かねたか、後ろの軍人が舌打ちして動いた。スラリと剣を引き抜いて、地面に転がったカルルに向けて、ツカツカと歩み寄る。
「──さあ、そろそろ観念しな」
相棒の逆側に立ちはだかり、目を見開いたカルルの逃げ道を塞ぐ。その蒼白な顔の真横には、地面に突き立った鋭い刃──
「これで終わりだ!」
憎々しげに言い放ち、大きく剣を振り被った。
その時だった。
「──まったく、しょうもねえ客人だ」
一陣の風が割り込んだ。
聞き慣れぬ声だ──そう何処かで思ったその刹那、軍刀を振り上げた二人目の男が、不自然な体勢で、横に吹っ飛んでいた。カルルを甚振っていた軍人が、怪訝に顔を振り上げる。振り向き様、その男も真横に吹っ飛ばされる。最初に飛んでいった軍人は、地面の上に蹲り、腹を押さえて呻いている。
二人はハッと我に返った。取る物も取り敢えず、カルルに駆け寄る。
カルルは、茫然自失の態だった。息をするのも忘れた様子で、目を大きく見開いて、転がったままガタガタと震えている。硬直しているカルルの体を、二人は慌てて助け起こした。
蹲る軍人二人とカルルとの間に、太陽を遮る大きなものがある。三人は、恐る恐る仰ぎ見た。それは、背を向けて立つ一人の男だ。逞しい肩に長刀を置き、吹っ飛ばした軍人達の様子を、小首を傾げて眺めている。あの赤いザンバラ頭、何処かで見たことあるような……?
三人同時にパチクリと目を瞬き、彼らは顔を見合わせた。そう、あれは、もしや──
「「「 ──お、──お、お──っ!? 」」」
プルプル震える三つの人差し指で、男の背中を指し示す。着古して薄汚れたジャンバー、肩にかかる赤いザンバラ髪! そう、あれは──!
「「「 おやつ係っ!? 」」」
待ってたぞっ!?
狂喜乱舞。
そう、昨日クラッカーをくれた、無駄に逞しい、あの"おやつ係"ではないか!?
肩越しに振り向いた赤毛ザンバラは、何故だか若干不思議そうな顔をしたが、蹲った軍人二人に顎をしゃくって、ニィッと笑った。
「なんだ、お前ら。こういうのは駄目か」
「「「 バツですっ!!! 」」」
即座に、顔前で両手を交差させ、三人揃ってブンブン頷く。
その時、吹っ飛ばされた軍服の一人が、首を振って、むっくりと上体を起こした。赤毛ザンバラの背後に素早く忍び寄り、この隙を突いて、再び刃を振り被る。
襲い掛かる強暴な刃──!
三人は、ハッと目を見開いた。
──おやつ係、危うし!
一瞬のことだった。
叫ぶ間もなかった。
振り上げた刃面に雑木林の木漏れ日を弾いて、鋭い刃が無防備な背中に襲いかかる。
けれど、赤毛ザンバラは、「あァ……?」と顔をしかめたかと思ったら、振り向き様、無造作にそれを蹴り飛ばした。如何にも片手間、鬱陶しいといった顔だ。剣さえ抜かない。
あっさり出戻った青い軌道を目で追って、三人は呆気にとられて瞬いた。
((( つ、強えぇ…… )))
おやつ係。
目を丸くして、ただただアングリと口を開ける。
予定が狂ったらしい軍人達は、舌打ちしながらジリジリと引いたが、赤毛ザンバラがギロリとそっちを睨み付けると、ビクリと面白いほどに飛び上がり、すぐさま慌てて踵を返した。クラッカーをくれたあの時にも、そりゃあ後光が差して見えたものだが、こんな時だから尚のこと、山賊のような粗野な姿が、尚さん然と光輝いて見える。
「おう、大丈夫かよ、お前ら」
無造作に呼びかけ、赤毛ザンバラがノシノシと歩いて来た。逞しい腕をヌッと伸ばして、カルルとオットーの頭を、それぞれ両の掌でムンズと掴む。その手の重みで、二人の頭がズンと沈んだ。
「そんな泣きそうな面すんなよ……」
赤毛ザンバラは、両手で鷲掴んだ二つの頭を、ポンポン叩いて宥めている。
「な、泣いてなんかないっ!?」
ムッと見上げたオットーが、頭上の手を振り払った。口を尖らせて憤然と抗議。今にも食ってかかりそうな勢いだ。
「……そりゃあ、悪かったな、お役人サマ」
赤毛ザンバラは苦笑いしながら、詫びを入れた。
しかし一方、軍人に散々苛められ、既に半泣き状態だったカルルの方は、
「おっ、おっ、おやつ係ィ〜!!!」
最早、我慢も限界だったか、ヒシッと胴にしがみ付いた。
これには、さすがに驚いたようで、赤毛ザンバラは、ギョッと顔を引き攣らせ、更に、たじろいで半歩引いた。胸に縋る旋毛(つむじ)を眺め下ろして、唖然と口を開ける。
しばし、そうして、しがみ付くカルルを見ていたが、あまりの号泣ぶりを見かねたか、どこか困ったように目を彷徨わせると、頬を緩めて苦笑した。
「……おいおい泣くなよ、男だろ」
ピーピー泣いてるカルルの頭を、ゴツイ手でグリグリ撫でくり回して慰めてやる。
いつもは場を仕切るロルフであるが、今回は全く出番がない。そんな二人を交互に見やって、呆気にとられて固まっている。その隣では、腕組みしたオットーが、プリプリしながら口の先を尖らせている。こっちは、いたく矜持を傷付けられた様子だ。
やがて、赤毛ザンバラは、カルルの肩をポンと叩いて、軽く二人の方へと押し出した。
「お前ら、どっか別の場所に隠れていろや」
木立の先の荒れ野を眺め、林の奥へと顎をしゃくる。
三人は互いの顔を見合わせた。
そういう訳には、いかないんである。その好意と忠告は、喉から手が出るほど有り難いんであるが、しかし如何せん、抜き差しならぬ大人の事情というものがある。
こうは見えても、上席徴税官の近侍 。あの奇妙にヤンチャな"司令官"殿を、敵の魔手から断固お守りせねばならない崇高な使命があるんである!
高揚する使命感と共に硬くゲンコを固めて誓ってる間にも、赤毛ザンバラは逞しい片腕をブンブン回しながら、「さあて戻るとするか!」と、やる気満々で歩いて行く。
パッと振り向き、思わず一歩、進み出た。
……ああ、おやつ係ってば。
せっかく来たんだから、ちょっとくらい休んで、しばらく守ってくれたらいいのに。
あまりに素っ気ない退場だ。
ジタバタオロオロ狼狽えつつも、未練たらしく、熱い視線をジィ……っとその背に送ってみる。しかし、もちろん、ちっとも分かってもらえない。
三人の肩が、しょぼん、と下がった。勤勉な赤毛ザンバラは、もう戦線復帰する気らしい。
しかし、どうにも諦めきれずに、縋る視線で、尚も尚も念を送る。
赤毛ザンバラが、ふと足を止めた。三人の顔がパッと輝く。さては、熱い想いが通じたか──!?
と思いきや、
赤毛ザンバラは、忌々しげに舌打ちした。長刀の鞘でポンポン自分の肩を叩きつつ、人っ子一人いない静かな木立を、グルリと大きく見回している。
「──おい、ザイ!」
唐突に、大声で呼ばわった。
腹の底に響く、ぞんざいな呼びかけだ。驚いた鳥達が、高い木立で、バタバタと慌しく羽ばたいた。そして、三人は、
──"ざい"って何?
彼の発した奇妙な呪文に、互いの顔を見合わせていた。
しかし、赤毛ザンバラは、じぃっと見上げる怪訝な視線には構うことなく、大きな声で続けて呼ばわる。
「暇なら、こいつら見ててくれ!」
三人は首を捻った。
だって、周囲には誰もいないのだ。なのに何故だか 無人の木立に呼びかけてるし。
((( こいつも、なんか変だ…… )))
ちょっと引く。
もしや、あの赤毛ザンバラは、森の精霊さん相手に、お話出来る奴なのか……?
しかし、そんな疑わしげな目付きには一切構うことなく、赤毛ザンバラは大きな体を大儀そうに屈めて、鬱蒼と茂った藪に分け入った。
両手でガサガサ枝葉を掻き分け、雑木林からスタスタ出て行く。その先にあるのは、荒っぽい喧騒の続く戦場の荒れ野──。ロルフが、ポツリと呟いた。
「行っちゃったね……」
戻って来る様子は、ない。
又も置き去りにされた三人は、ポケッと突っ立ち、しばらく、それを見送っていたが、やっぱり、赤毛ザンバラは帰って来ない。
三人それぞれ溜息をつき、仕方がないから諦めた。そして、仕方がないから、どっか行っちまった聞き分けのない上司の姿を、再び捜索することにする。
静かな木立の中を、再び、テクテク歩き出す。
何かを吟味するように、じっと前を見つめたまま、ロルフがポツリと呟いた。
「あいつは、いい奴だ」
食べ物くれたし。
三人同時に「「「 異議なし 」」」と頷く。満場一致で、評価が確定。
その隣で、不貞腐れ気味に俯いていたオットーも、言葉を押し出すようにボソリと呟く。
「……あいつは、ヒーロー だ」
助けてくれたし。
これ又、三人同時に「「「 異議なし 」」」と頷く。
「すごぉく強かったねえ」
ほれぼれと賞賛し、慰めてもらったカルルは、満面の笑みだ。
三人は、それにも「「「 異議なし 」」」と頷いて、口には出さねど、それぞれの胸の内で、きっちり合意に達したのだった。曰く、
((( 一の僕(しもべ) にしてやろう )))
ああいうの居ると、心強いし。
しかし、まあ、それは、さておき──
誰かのお腹が、クー……と鳴る。
三人は互いの顔を見た。もう、お腹がペコペコなのだ。
昨日、合流直後に、木陰でぐったりへばっていたら、今の"おやつ係"がやって来て、クラッカー入りのズダ袋をくれたのだが、間の悪いことに、悪い領主と姑息な上司に飛び入り参加で分捕られ、分け前が大幅に目減りしてしまったものだから、もう欠片も残ってない。──いや、そもそも、おととい街を出てからというもの、なあんにも食べていなかったのだから、初めから、あれっぱかしで足りる訳がなかったのだ。
不憫な腹はクークー鳴いて、危機的状況の改善を訴える。頭だってクラクラする。ああ、腹ぺこ状態も最早限界──
「──そうだ」
ふと、ロルフが顔を上げた。
「……なんだよ? ロルフ」
「どうかしたの? ロルフ」
二人から、それぞれ目を向けられて、ロルフはおもむろに振り返る。何を思いついたか、キリッとした顔つきだ。二人の怪訝な顔をそれぞれ見て、ピンと、人差し指を突き立てた。
「僕に、良い考えがある。カレリアの軍は、ラトキエの管轄だろ? だから、何か紙さえあれば──」
三人はゴソゴソ三つの頭を寄せ合った。そして、しばし、ゴニョゴニョと内緒話。
やがて、
「──という訳だ」
自信満々、ロルフが話を締め括った。
「でもよぉ、ロルフ」
腕を組んだオットーは、首を傾げて、何処か胡散臭げな顔だ。
「そんなこと、勝手にしちゃ、マズいんじゃね?」
「何を言うんだ、オットー」
発案者ロルフは、心外そうに振り返る。
「今は緊急時じゃないか。僕らには、上席徴税官殿を守ってやらなきゃならない重大な任務があるんだぞ? それには、食料調達は必須だよ。──で、どうだい、カルル。出来そうか?」
「うん、多分ね」
コクリと頷き、カルルは二人の顔を順繰りに見て、にっこり笑った。
「じゃあねえ、固い木の枝探してきて。出っ来るだけ太いヤツね!」
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