■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章 5話8
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〜 招かれざる客 8 〜 ( カーシュ視点 )
剣戟の音が轟いた。
とっさに、たたらを踏んで、足を止めていた。
大勢に踏み荒された視界の先には、生憎と土埃が立ち込めていて、瞬きもせずに見入っていたのに、何が起きたか分からない。
「どう……なった……?」
しばし呆然と立ち尽す。だが、眺めやった視界の中央に、打ち合いをしている気配はない。それだけは確かだ。
遠のいていた戦場の騒がしい喧騒が、気の緩んだ耳に戻ってきた。不自然に止まっていた時間が、再び緩やかに動き出す。
「──とうとう、仕留められちまったか」
呆然と、独り言を紡ぐ。
あの軍服との実力差を考えれば、それが自然な流れってもんだろう。癖っ毛が幾ら機敏でも、所詮は素人。あんな手練に勝てる訳がない。
声に出したことでキリがついちまったようで、底なしの徒労感が、ずっしりと両肩に圧し掛かってきた。動き難い片手を持ち上げ、ノロノロと顔を拭う。こうとなっては、全てが徒労、この戦いは、全くの無意味だ。
戦闘は、依然として続いている。騒然とした周囲の音が、虚脱した耳に虚しく響く。とっくにケリがついちまったってことを、軍服確保に未だ精を出してる部下どもは、知らない。
腹立ち紛れに地面の石を蹴り飛ばし、苦い溜息と共に、ガリガリと頭を掻いた。遥々こんな所まで来たってのに、これで全部、フイになっちまった──。
「……やべえ、よな」
淡々とした隊長の顔を思い出し、一人ごちた。奮闘の続く周囲を、意味もなく見回す。
任務失敗。このお粗末な顛末を、何と報告したものか……。何とはなしに目をやれば、例の不気味な軍服は、止めを刺そうとするでもなく、依然として、そこに留まっていた。全く動きがないところをみると、やはり、一撃で斬り捨てたのか──
いや、
怪訝に、それを見返した。腑に落ちない思いで首を捻る。
「あれは──」
怒号飛び交う人の背の向こう側、癖っ毛がいたあの辺りに、──つまり、こっちに背を向けた軍服の前に、何か黒い影のようなものがある。
吸い込まれるように、足を向けた。
"それ"に、じっと目を凝らす。速度を上げて近付くにつれ、視界を塞ぐ土埃が薄まっていき、その正体が徐々に明らかになってくる。
それは、人影だった。
あの軍服の前に、細身の男が立っている。小首を傾げ、手にした長刀の峰で、手慰みに肩を叩きつつ──。そいつの顔には、見覚えがあった。のっぺりした細面に、色素の薄い茶色い髪。飄然とした狐目の男。あれは──
「ザイ──」
"鎌風のザイ"。
ギョッと目を見開いた。思わず、左右を確認する。
「なんで、あいつが、あんな所にいる」
今の今まで、周囲には誰もいなかった。いなかった筈だ。なのに、どうして──!?
いったい、何処から湧いて出た!?
あのザイが、軍服と対峙していた。
軍刀を構えて腰を落とし、前傾姿勢でジリジリと隙を窺う軍服を、特別牽制する様子もなく、突っ立ったまま小首を傾げて眺めている。軍服に向けられているのは冷淡な目。あたかも、相手の実力を値踏みしてでもいるような。
速攻で、地面を蹴った。
駆け急ぐ先で、乱雑に揺れ動く視界。よく見りゃ、ザイの後ろの草むらに、付き上げたズボンの尻と腿裏が見える。ザイが、視線だけを肩越しに投げた。
「ウロチョロすると、危ないっスよ?」
だが、当の癖っ毛は、それどころではないらしい。四つん這いの体を揺らしてジタバタしている。どうも、茂みに突っ込んだ拍子に、頭が抜けなくなっちまったようだ。ふと悟る。
──ザイの野郎に、吹っ飛ばされたか。
「生憎、ちょっと立て込んでましてね」
ザイの声がした。癖っ毛に話し掛けているらしい。
「すみませんが、しばらく、そのままでいて下さい」
気負いない口調で、そう言うと、ザイは、こっちに視線を戻した。
「──だから言ったじゃないスか、班長サン」
突然呼ばわれて、面食らう。
腹立たしげな、というより、何処か呆れたような声。こっちの姿は、目に入っていたようだ。ザイが、目だけで一瞥する。
「くれぐれも用心するように」
言い放ったその時には、ザイは白龍刀を振り切っていた。
出し抜けに攻撃されて、固まっていた軍服が、大きく、素早く飛び退る。ザイとの間合いを辛うじて取った。
振り抜いた姿勢から上体を戻して、ザイは「へえ」と僅目を見開く。
「中々反応いいっスねえ」
感心したような、のんびりした感想。再び得物の峰で、タイミングを計るように肩を叩く。
邪魔された青軍服が、忌々しげに舌打ちした。更にその場から飛び退り、手近な喧騒へと紛れ込む。跳ねるような素早い動き。それに弾かれ、いつの間にか突っ立って見ていたこっちも、反射的に我に返った。
「──邪魔だ! どけっ!」
前を塞ぐ肩を掻き分け、遅ればせながら駆けつける。
逃げ去る軍服を追うでもなく、得物を肩に担いだザイは、ニヤけて突っ立ったまま動かない。いや、到着と同時にスイ──と動いた。
「はい、交代」
気楽にそう言い、足を踏み出す。
「後は、そっちで頼みます」
肩先に並んだ擦れ違い様、振り向きもせずに、そう言った。サバサバとした素っ気ない口調。
ザイの歩みに伴い、風が動く。ふと、ザイが今、軍服を追わなかった意図に気が付いた。こっちが到着するまで、癖っ毛を保護していたらしいのだ。
意外な気がした。そんなことには、これっぽっちも関心なんかは、なさそうなのに。そして、その一方で、あまりに素っ気ないザイの態度に、こっちは少々面食らった。
「──ザイ!」
ザイが、かったるそうに足を止めた。だが、ただ、そこで止まったというだけで、返事をするでもない。振り向こうともしない。
呼び止めはしたものの、こっちも言葉が出なかった。礼を言うというのも、違う気がする。そもそもコイツは、こっちの配下だ。まあ、形ばかりの期間限定ではあるんだが。
掛けるべき言葉が、見つからない。ザイは足を止めて待っている。さっさと話せというように、面倒臭そうに溜息をついた。
忌々しい思いで、舌打ちした。
「──さすがに速いな」
結局、口から出たのは、それだった。率直な感想。
「そいつは、どうも」
ザイは背中で、社交辞令を放(ほう)って寄越した。
どうでも良さげな、ぶっきらぼうな口振り。そうした賛辞は、聞き飽きているのだろう。自分の分担分はやり果せたと言わんばかりに、止めていた足を、再び踏み出す。あの軍服が逃げちまったら、とんと興味が失せちまったらしい。まったく、愛想の欠片もありゃしねえ。
欠伸(あくび)混じりの、かったるそうな足取りで、ザイはさっさと引き上げて行く。向かう先は、さっきまで潜伏していた雑木林か。──さては、あの野郎。又、引っ込むつもりでいやがるな? まだ終わった訳じゃねえんだが。
飄々としたザイの背中を、苦々しい気分でしばし見送り、唐突にハッと気付いて、振り向いた。
茂みに突っ込んだ尻が、ジタバタしている。本人は奮闘努力中のようだ。
癖っ毛の肩を掴んで、グイと引く。──ザッと草葉が擦れる音がした。
「──痛てえよっ!」
情けない抗議と同時に、スポン、と頭が茂みから抜けた。
引っ張り出してやった癖っ毛は、そのまま後ろに尻餅をついた。ただでさえウェーブの利いた頭には、枯葉やら小枝やら何だかよく分からない正体不明の細かいゴミやらが絡まって、全身土塗れの無様な有様だ。片脚を立て、もう一方の脚を地べたにだらしなく投げ出して、ポカンと口を開けている。茫然自失しているのか、呆けたような顔。
「──おい癖っ毛! 怪我はねえか!」
肩を掴んで強く揺さ振り、すぐさま状態を確認する。癖っ毛が、む? と顔を見た。
「……カーシュ」
ポツリと名前を口にする。小首を傾げた癖っ毛の、頬に走った鮮やかな赤線──。それが目に入った途端、不意に、何かがプツリと切れた。
「おい! 何とか言えや! 訊かれたことに、さっさと答えろ!──どうなんだよ! 大丈夫なのかよ! 何処も何ともねえのかよっ!」
矢継ぎ早に問い掛けて、土塗れで座り込んだ癖っ毛の全身に、大慌てで視線を走らせる。点検がてらアチコチ軽く叩いてもみる。されるがままになりながら、癖っ毛は何故だか、訝しげに小首を傾げている。こっちを、じっと見つめて、口を開いた。
「くせっけって言った?」
──あ?
なんだって?
そして、出し抜けに口の先を尖らせた。
「今、俺のこと、確かに "癖っ毛"って言ったよなっ!?」
「……」
て、そっちかよ!?
一瞬、唖然と言葉を失い、そして、ガックリと頭を抱えた。
だが、こっちの脱力なんかはなんのその、癖っ毛は憤然と喚き散らす。
「ヒトが一番気にしてることを! そーゆー特徴だけで他人を呼ぶかな普通!? すっげえ失敬! しかも、なにそれ "まんま"じゃねーかよ!」
お気に召さなかったらしい。
そりゃあ、こっちも、いつもの呼称がうっかり口から出ちまったが、しかし、たった今、命を狙われたってのに、そっちの方が気になるってのは、どうなんだソレ?
「この頭のお陰で、俺がいつも、どんだけ苦労してると思ってんだ! 俺だって別に、好きで癖っ毛やってる訳じゃねーんだぞ。なのに──!」
癖っ毛は、地面に胡座(あぐら)をかいたまま、ギャーギャー喚き立てている。──と思ったら、ふと顔を上げた。首を伸ばして、辺りをキョロキョロ何やら忙しなく見回している。そして、
「──あーっ!? アイツ、いなくなってるー!」
今の "アイツ" ってのは、多分、ザイの野郎のことだろう。何かと思えば、あいつを捜していたらしい。
「もー! カーシュといい今の奴といい、どうして皆してポンポンポンポン俺のことばっか突き飛ばすかな──!?」
プリプリ怒った口振りは、厄日だとでも言いたげだ。いや、厄日どころか──
もの凄い強運の日だと思うが?
一気に気が抜け、ゲンナリと溜息をついた。
まったくコイツは、今日一日で何度命拾いしたと思ってる。
「……さっさと立て」
だが、こっちの言うことなんか何にも聞いちゃいない癖っ毛は、
「もーっ! どこ行った! 今の失敬な奴は! 絶対捜し出して俺と同じ目に遭わせてや──」
「いーから、さっさと立ちやがれっ!」
頭が痛くなってきた。
「だってよ! カーシュ!」
あらぬ方向をビシッと指差し、癖っ毛は憤然と抗議する。
「今の奴、俺のこと思いっっ切り突き飛ばして行ったんだぞ! なのに謝りもしねーでよ! 挙句に"ウロチョロすんな"って、どーゆー神経だよアレ!」
「……」
アホたれが。
今、そんなにピンピンしてられるのは、いったい誰のお陰だよ……?
「あの野郎が、いきなり俺のこと突き飛ばすから、お陰で俺、茂みに頭から突っ込んで散々な目に──!」
──そうか。
ふと、悟った。
いきなり弾き飛ばされちまったもんだから、茂みに頭を突っ込んでいたコイツには、今のやり取りが全く見えていなかったのか──
なるほど、道理で平気でいられる筈だ。確かに、襲撃された時には、こいつはあの軍服に背を向けていたし、ザイの動きは、一通り見ていたこっちでさえ分からなかったくらいに滅法速いし、ましてや、あの軍服は、すぐに風をかっ食らって逃げちまって、ほんの二度ばかり刀を振っただけの僅かな間のことだった。
今日は、色んな奴からアッチヘコッチヘ散々突き飛ばされているせいか、癖っ毛は、不機嫌この上なく不貞腐れた顔だ。ブンブン人差し指を振り回し、ピーチクパーチクピーチクパーチク……
それにしても、煩い。
あんまり煩いので、片手を伸ばして、癖っ毛の胸倉掴み上げ、ズイと顔を近付けた。
「……今は、それどころじゃねえだろう。なあ、分かるよなあ? ご領主様よ」
そう、遊びの時間はお終いだ。あの変てこな"司令官"共々、林の中にぶち込んでやる。
顔を間近に引き寄せ、凄んでやれば、
「お、おう──っ!」
癖っ毛は速攻、コクコク無闇に頷いた。片頬ヒクつかせた引き攣り笑いで。
その後、不審な青軍服は、二度と癖っ毛の前に現れることはなかった。
そして、降って湧いた迎撃戦は、無事に終りを告げたのだった。
死者は、なし。
怪我人、多数。
これ全て、ディールの側の被害である。
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