■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章 7話1
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「「「 荷を検めさせてもらう 」」」
「は?」
こんな所で検問か?
「……連中、度胸あるよな〜」
「まったくだ。よくも、ああも平気な顔で、あんな無茶な真似が出来るもんだぜ。性懲りもなく」
丈高い野草に潜み、交渉の続く街道の様子を、コソコソヒソヒソ覗き見しているのは、刈り上げとバンダナの二人組である。イソイソと出かけたラルッカ隊を見つけ、その後を、こうしてコッソリ尾行けて来たんであるが、二人とも既に冷や汗交じり。
盛んに小首を傾げている補給部隊の戸惑い顔の前で、ラルッカ隊の面々は、胸を逸らして踏ん反り返り、補給品リスト( 彼らにしてみれば「おすすめ調達品カタログ」 )と思しき帳面片手に、さも尤もらしい大きな顔で、「あーでもない、こーでもない」と欲しい品々を選り分けている。更には、傍らに控える屈強な用心棒達を顎で使って、選んだ品を別の荷車に移すよう、偉そうに指図なんかもしちゃう始末。
ところは 《 トラビア街道 》路上脇。
内陸を東西に貫き、国境の街トラビアと商都カレリアとを結ぶこの道は、実に、ここカレリア国の命綱である。──と、何か妙な気配でも感じたか、刈り上げが、ふと隣の茂みを振り向いた。きょとんと目を瞬く。
「……何してんすか、班長。こんな所で」
「お、お前らこそ」
刈り上げとバンダナは、顔を見合わせた。茂みを鳴らしてヌッと出て来た赤毛ザンバラが、よ〜く見知った顔だったからだ。
この班長、日頃から、それはそれは色んな所に、ひょっこり出没したりする、たいそう傍迷惑な御仁である。泣く子も黙るいっぱしの"人斬り"であるから、眼光鋭く、結構恐いご面相、なので、ヤバい事をしている時なんかに、いきなり出て来られた日には、味方でも、ちょっとビビったりする。因みに、この班長の怒りをテキメン買う要注意カテゴリーは、"弱い者苛め"の項である。例えば、戦後の街角などで、異性と(一方的に)仲良しになろうとしている場面なんかが見つかろうものなら、即刻ぶん殴られて、ケチョンケチョンに踏んづけられ、挙句に伸されること請け合いである。もっとも、当人の顔が恐いので、助け起こそうと手を差し伸べた途端、パニくった女から無様にパンチを食らうことも、ままあるが。
一度暴れ出せば、手に負えない。だが、頭の作りは基本的に大雑把に出来ているらしいので、見つかりさえしなけりゃ、意外と安心だったりもする。要は、周囲が全く目に入っていないことが多々あるんである。因みに、最近この彼が、林に篭って、密かに何かしているようだが、それについては、概ね皆の知るところである。無論、誰も表立っては言わないが。
いつの頃からそこにいたのか、背中を丸めて覗き見していたこの赤毛の不審者は、どうやら、この二人とご同類であるらしい。刈り上げとバンダナが興味津々、じぃ……っと眼差しを注いでいると、如何にも渋々仕方なし、といった感じに口をへの字にひん曲げて、そっぽを向いて口を開いた。
「……ヘマでもされたら困るからな」
照れ隠しのつもりでいるのか、怒ったような、不貞腐ったような、つまり、周囲がリアクションに困る中途半端な顔だ。
そう、ここに集った彼ら三人は、現場は一体どんな按配なのか──あの"ラルッカ隊"が、どうやって補給部隊を誑かすのか、それを見にやって来たんである。もちろん、本人達には、絶対内緒で。
野草に潜む彼らの額に、汗が線を引いて滴り落ちる。土地柄、トラビアは商都よりも暑さが厳しい。そのトラビアに大分近付いているのだから、暑さは更に増している。
そして、陽炎立ち昇る炎天下の街道では、只今強奪の真っ最中。そちらに目を向け、先に潜んでいた刈り上げが、草ぼうぼうの辺りを見回し、つくづく……といった感じで首を傾げた。
「しっかし、分からねえよな、あの補給部隊の連中も。なんで、ああもあっさり、あの連中に荷を引き渡すかね〜」
「まったくだ。紙切れ一枚見せられただけでよ」
「──紙切れ?」
彼らと同じく街道を胡散臭そうに見ていたカーシュが、ふと、その言葉を聞き咎めた。刈り上げが、肩をすくめて振り返る。
「ええ。さっき、あのラルッカ隊の野郎どもが、何かの紙切れ見せてたんですがね、そしたら、偉そうに踏ん反り返ってたあっちの官吏ども、いきなりコロッと態度変えちまいやがって。そりゃあもう、あっさりと警戒を解いて──なあ?」
「……紙切れ、官吏……そうか、権限委譲か!」
「はあ? けんげんいじょう?──なんです、そりゃあ」
バンダナが隣と顔を見合わせた。だが、勝手に了解したらしいカーシュは、腕を組んで、一人ウンウン頷いている。
「──なるほど。そうか、そういうことか。考えたな、あの連中」
「班長、どういうことっすか〜?」
軸足を踏み替え、二人は怪訝に目を向ける。
「ああ。つまり、カレリアの軍は、本来、公家筆頭ラトキエの管轄にあるってことだ」
「……はあ? そいつが、どうかしましたか」
彼らは、キョトンとしたままだ。じれったそうに、カーシュは舌打ちした。
「だから! それなら軍務は、本来ラトキエが取り仕切って然るべきもんだろうが。だが、トラビアは遠いから、遠隔地にある国境軍の事務については、ディールに権限を委譲している──つまり、軍関係の指令書には悉(ことごと)くラトキエの"印"が使われてるって話だ」
「「 はあ、それが? 」」
「──お前らなあ、あの三人が何者なんだか考えてみろよ。日常的にラトキエの書類を取り扱う、事務連絡の専門官だぜ」
「……じゃあ連中、あの紙切れに細工を?」
「例えば、あれに "返品連絡" と書いてあったら、どうだよ」
「──あ!? それで向こうの連中、あの紙見て、あんなに素直に……」
二人同時に、ギョッと犯行現場を振り返る。カーシュは大きく頷いた。
「腕っ節じゃ敵わねえだろうが、官吏同志のやり取りなら、書類さえ作っちまえば、どうにでもなる。連中は多分、そこに目を付けたんだろうさ。だから、ああも堂々と」
「「……そ、それじゃあ、つまり、あの補給部隊に見せてるヤツも……」」
「十中八九、偽物だ」
からくりを見破り、カーシュ班長、うむ、と頷く。
バンダナが、溜息混じりに頭を掻いた。
「……滅茶苦茶だな、あの連中。バレりゃあ、後ろに手が回るぜ」
「ま、こんなご時世だから、良いも悪いも、あってねえようなもんだがな」
「つまりは、公文書偽造って訳ですか。──でも、バレたら一巻の終りですよ? ほら、荷馬車を守ってる用心棒、ありゃあ、どう見たって堅気じゃありませんやね。シャンバールから雇った傭兵ってとこでしょう」
「しかし、すげえ度胸だな。選りにも選って、補給部隊を誑(たぶら)かそうなんてよ。ウチでいや、あの"調達班"を騙くらかそうってのと同じことだろ」
「「 む!? 」」
三人同時に無言になる。
ど派手なリーダー率いる、あの面々を想像してみたらしい。矜持をかけた荷を掻っ攫われて、怒り狂った面々に、地の果てまで追っかけ回される図……
「寿命が縮むぜ」
くわばらくわばら……と唱えつつ、バンダナが、我が身を抱いてブルリと身震いした。
「前線にとっちゃ、補給部隊ってのは生命線っすからね。悪くすりゃあ連中、あの場でバッサリあの世行きですよ」
「いや、知らねえから出来るんだろうさ。何せありゃあ、頭ん中に花咲き乱れる万年平和なカレリア人だからよ」
「「 うーーーん…… 」」
刈り上げが、腕組みで、つくづく溜息をつく。
「そんなに腹減ってたんすかね〜、あの連中」
ふと、バンダナが顔を上げた。
「ねえ、班長。指令書は作ったにしても、あの連中、紙とかペンとかはどうしたんすかね」
そんなもん持ってましたっけ? と首を捻る。彼らの様子を引き続き食い入るように見つめているカーシュが、煩そうな顔で舌打ちし、「そりゃ、お前、」とぶっきらぼうに手を振った。
「んなもん、そこらの文具屋で買って来たに決まってんだろ」
そりゃそうだ、と一瞬納得しかける刈り上げとバンダナ。
しかし、ひゅるる……と潮風吹き行く街道を眺め、
「「 街の、文具屋で? 」」
そう、このところの彼らの生活拠点は、概ね雑草しかない荒れ野である。
「ああ、そうだよ! 街の文具屋、で……ん?」
三人は、無言で顔を見合わせた。ようやく、そこに気付いたようだ。
だって、あのラルッカ隊は、生粋のカレリア人、何かと人目を引く《 遊民 》などではない。だから、街の者に混ざっても、何ら問題は発生しないし、街中を大手を振って歩いていても、だあれも気付きもしないのだ。文具屋に行ったんなら、紙を買う金があるんなら、わざわざ街道くんだりまで行ったんなら、なんで、
──なんで、いっそ、そのまま飯屋に入らないんだ?
まっこと不思議な連中である。
兎にも角にも、商都を出てから四日の後、彼らは目的地トラビアの、東の端っこに辿り着いていたのだった。
【 トラビアの夕陽 】
ここまで来れば、目的地は、もう目前。元気ハツラツ、いざ往かん!
ところが、である。
「──痛ってえっ! 砂が目に入っちまったぜえ!」
ほうほうの態で、林の中に逃げ込んだダドリーは、大声で喚き立てつつ、服をバタバタと払っていた。
トラビア近郊の林の中である。ダドリー同様、草原から避難して来た大勢の《
遊民 》達で、ワイワイガヤガヤ賑わっている。
「あーあー、頭から服から砂だらけ、靴の中までザっラザラだぜ……」
片脚だけでトントン飛び跳ね、脱いだ靴を逆さにして振りながら、ダドリーはブツクサと口を尖らせる。
「立ってるだけで、砂がバラバラバラバラぶち当ってきやがって、もー痛ってえのなんのってよお! なんなんだよアレぇ……」
「《 サージェ 》さ」
ダドリーは、「あー?」と涙目で振り向いた。肘で幹に寄りかかり、口端で煙草を銜えたまま、カーシュが歯を剥き出して笑っている。
「はあ? なに? "さーじぇ"?」
「──なんだ癖っ毛。お前、んなことも知らねえのかよ」
カーシュは少々呆れた顔だ。
「何それ。ん……あれ? でも、その名前、なんか何処かで聞いたような?」
頭をバサバサ払って砂を取っていたダドリーは、ふと動きを止めて首を傾げる。慣れた様子で寛いでいるカーシュは、紫煙を吐き出し、相手の胸元へと顎をしゃくった。
「外套の名前だろ」
「あー、あの風除けの長いマントのことか、長旅に出る時なんかに着るヤツ」
「元は砂嵐の名前だが、コイツを避ける用途で使られた外套の方を、いつの間にか、そう呼ぶようになっちまったらしいな」
「……へえ〜」
癖っ毛の頭をブンブン左右に振りながら、ダドリーは、両手で頭をガシガシ掻き回している。指を突っ込み、耳の砂までほじくる始末。大木の幹に腕を組んで寄りかかり、カーシュは目を眇めて、茶色い砂嵐の向こうを眺めやる。
「この時期、この辺りでは、酷でえ砂嵐が巻き起きる。こうなると、一寸先も見えなくなっちまう。慣れない奴は、難儀する」
そう、ダドリー達一行は、目的地トラビアまで後一歩の距離にまで迫りながら、慮外の《
サージェ 》発生 の為に、付近の林の中に閉じ込められていたのだった。
「コイツは四年に一度、とある時期から三十日の間、毎度きっかり同じ時刻に始まる。だがま、こいつは肩慣らしってことだな。本格的な発生期はもっと後だ。本番だったら、こんなもんじゃ済まねえ。にしても運が悪かったなあ癖っ毛。今年は丁度、発生期だ」
「へえ、詳しいんだな、カーシュ」
「《 サージェ 》の発生場所は、主にシャンバールだからな。俺達の根城はアッチだからよ。そして、コイツは西から東へ移動する。つまり、俺達はもう、シャンバールで散々経験してきたって寸法だ。にしても、この辺りの地面は乾燥してて、細かい砂まで巻き上げちまうから、向こうより、ちっとばかり厄介だがな」
「……ふ〜ん、そーゆーもんなんだ?」
へえ? と目を瞬いて、ダドリーは林の端へと歩いて行った。吹き荒れる砂嵐を、顔を突き出し、シゲシゲと眺めている。
しばらく、一人でそうしていたが、何を思ったか、ひょいと片脚を持ち上げた。そのまま外へと踏み出して行く。
あっという間に、ダドリーの体が、茶色い強風に呑まれるように弄られる。そして、案の定、その途端、
「──うっわあ! 痛ってえっ!──たっまんねーな! あー、やっぱ全然見えねーやっ!」
痛い痛いと小躍りするダドリーに、カーシュは心底呆れた目を向けた。
「あほんだら。何してんだ、お前は、まったく」
"馬鹿"という言葉にはテキメン反応を示すので、その使用は周到に避ける。
上着を持っていかれぬよう両手でシッカと掻き抱きながら、ダドリーが、強風に負けじと怒鳴り返した。
「何って──決まってんだろっ? せっかくだから、実地体験してんのっ!」
「……。あーあー騒ぐな。口ん中に砂が入るぞ? にしたって、どうして自分から、わざわざ砂塗れになりに行くかな」
何してんだか、とカーシュはげんなり額を掴む。砂嵐の向こうから、「なーっ! カーシュぅー!」と懲りずに呼びかけてくる声がした。
「もし、こんな所を進むとなったら、そいつら、すっげえ苦労するよなっ!」
「……あー? ったりめえだろ、そんなこと」
「 "三十日の間、同じ時刻から始まって、毎日変わらず "ね」
何のつもりかダドリーは、吹き付ける砂に当って、涙目でピョンピョン飛び跳ねつつも、《 サージェ 》の発生条件を、指折り数えて確認する。
「だから、さっき、そう言ったばかりだろうが。──まあ、しばらくすりゃあ収まるさ」
カーシュは、やれやれと肩をすくめた。
防風林に避難して尚、風を孕んだ服の裾が、バタバタと喧しく音を立てている。指先で紫煙を燻らせながら、《
サージェ 》で遊ぶ物好きな雇い主の姿を、苦笑いで眺めやった。
砂嵐の向こうには、目的の地トラビアの外壁が聳えていた。その高く分厚い堅固な壁の向こうには、トラビアの街が広がっている。
今日の、この荒っぽい事態を引き起こした三大公家の一つ、ディールが領有する国境の街だ。
トラビアは交易の街、商都カレリアに次ぐ、カレリア国第二の都市だ。国の玄関口でもあるこの街は、隣国シャンバールと国境を接し、このトラビアのすぐ向こうには、シャンバール国トラザールの街が広がっている。
隣国シャンバールの領土は広く、土地は豊かで資源も豊富だ。その潤沢な利権を巡り、かの国は、国の東西に分かれ、万年、戦に明け暮れている。もっとも、今は停戦中であるのだが。
左手には《 トラビア街道 》、逆側には、切り立った断崖と、激流渦巻く緑の内海。そして、正面には《
黒い森 》と呼ばれる国境の山々が聳え立つ。
大陸を東西に分断する形で、あたかも人間の浸入を拒むかのように立ち塞がる《 黒い森 》。隣国と渡り合うほどの強い武力を持たないカレリアにとって、この《 黒い森 》は、長年、防波堤の役割を果たしてきた。しかし、それは、その峻険な威容のみを指しての比喩ではない。確かに、その存在だけでも、侵攻の足を止めるに十分ではあるのだが、西からの略奪者が、この国に踏み込もうとしない最たる理由は、別にある。この森には《 バクー 》が出るからだ。
《 バクー 》とは、この《 黒い森 》のみに生息し、人をも喰らうと恐れられる獰猛な肉食獣の名前である。鋭い爪と、白く長い毛皮を持つこの美しい獣達は、テリトリーの森が侵害されると、即刻、過敏に反応を示し、侵入者に対して情け容赦なく牙を剥く。成獣ともなれば大熊と見紛うほどの巨躯を持ち、しかし、山中を駆ける足は、意外にも速い。テリトリーは《
黒い森 》全般に及び、その行動は、狩りに入った黒豹の如くに敏捷で、集団で襲い掛かられれば、人間などは一溜まりもない。その為、如何な戦慣れした軍隊といえども、
迂闊に山中に立ち入ることが出来ない──つまり、国境の森に棲息する《 バクー
》の脅威が、図らずもカレリアの防衛に一役買っているということだ。
もっとも、《 バクー 》は、人間を好んで捕食する、という訳ではない。他の野生の獣同様、やはり《
バクー 》も基本的には人間を嫌うので、人間の側がチョッカイさえ出さなければ、向こうも手出しはして来ない。ましてや、人間の匂いのする人里などには決して寄り付こうとはしないから、人間達は、《
黒い森 》に隣接したトラビア等の都市で暮らして尚、襲撃される脅威に怯えることなく、そして、街の放棄に追い込まれることなく、それぞれ平和な生活を、日々営んでいられるのだ。
酔狂な領主は放っといて、カーシュは、部下達の様子を見回りに出ることにした。木立の中をブラブラと歩けば、避難してきたどの顔も、いたってのんびり寛いだもの、何の異変もありはしない。まあ、どうせ砂嵐が晴れるまではカンヅメだ。それなら時間もあることだし──。
「……"あれ"の場所でも探すとするか」
そおっと辺りを見回して、カーシュは仲間達の喧騒から抜き足差し足で遠ざかった。
後ろの仲間を振り向き振り向き、木立の奥へとソロソロ進む。しばらく行って、ほっと胸撫で下ろし、そして、その目を進行方向に返し──
ザッ、と梢が大きく鳴った。
右肩に何かがぶつかってきた。それの重みと生き物の息遣い、布地の感触。
素早く白龍刀の柄に手をかけた。
だが、ピクリと手の甲を震わせて、とっさに抜刀を踏み止まる。瞬時にして強張った全身の力をゆっくりと抜き、カーシュは深く脱力した。
「……勘弁してくれや。危うく斬っちまうところだぜ」
ゆるゆると首を振り、嫌な冷や汗を腕で拭う。寸でのところで、体重が軽すぎると気付いたのだ。細い腕で首にしがみ付いている"それ"を、肩の上から引き剥がし、ひょいと両手で持ち上げた。
「どこのガキだ、お前は」
小さな襲撃相手のあどけない顔に、とりあえず、めっ! と叱ってやる。
「……あれえ? あのおじちゃんじゃないぃ?」
甲高い声で小首を傾げたのは、年端もいかぬ少女だった。
カレリア人だ。肩で切り揃えた真っ直ぐな黒髪、白い肌、年の頃は、五、六歳といったところか。危うく斬り捨てられていたところだなどとは全く夢にも思わないらしく、ドッと脱力したカーシュとは対照的に、桜色の頬を、ぷうっと元気に膨らませている。
「もお! すぐに戻ってくるって言うから、まってたのにぃ。──あ、そうだ! ねえ、おじちゃんなら、わかるかなあ」
「何が」
一見不機嫌そうだが、カーシュは依然、脱力中である。いや、「あー、ヤバかった〜……!」と実感が湧いてきた今だからこそ尚更、返って心臓がバクバクしてきた模様。
そんなことには一切構わず、無邪気な少女は、ガックリと項垂れた赤ザンバラを、小首を傾げて覗き込み、小鳥が鳴くような可愛らしい声で、自分の話を勝手に続ける。
「あのねえ、"まっすぐな道が、ありましたー。途中で曲がる道は、ありませんー。ただ、ひたすらに、まっすぐ、まっすぐ進みます。でも、気がついたら、いつのまにか、もとに戻ってしまいましたー。さあて、これはなんでしょお?"──おじちゃん、答え知ってる?」
「……ああ?」
突然、謎掛けを挑まれるも、何のことやら分からない。誰かと間違われたらしい、ということだけは、しっかり分かった。いや、そんなことより何より、
「ここで何してんだよ、お前」
パステルカラーで彩られた向こうの世界の話には、とってもついてはいけないので、カーシュは、現実に話を戻す。これからの予定を思えば、こうした子供の存在は、色々な意味で、如何にも邪魔だ。
「だから、おじちゃんを待ってるんだってばあ」
「たく。こんな所にガキ一人で置き去りにしやがって。とんでもねえ親戚だな」
「親戚じゃないよ? 知らないおじちゃん」
「……。知らないおじちゃんに、くっついてったら駄目だろが?」
どうした訳だか、カーシュ班長、見知らぬ子供に、説教なんか、する羽目に。
ここで遊んでいたということは、この辺りの子どもなのだろうが、やはり、《 サージェ 》に閉じ込められてしまったか──。林の外の茶色い砂嵐を見やって、カーシュは、つくづく溜息をついた。それにしたって、どうして、いきなり頭の上から降って来るのだ?
隙間風に梢を揺らす傍らの大木を、恨めしげに眺めやる。
嫌な胸騒ぎがした。
とかく子供は不吉なのだ。これが現れるのは、大抵、嫌なことが起こる前触れだ。そう、どういう訳だか、子供に会うと、碌な目に遭わないのだ。
そんな輩と一緒にいても、あんまり良いことはなさそうだ。なので、ポカンとしているオカッパの少女に「さっさと帰れよ?」と言い聞かせ、自分はクルリと踵を返し、脱兎の如くに走り出す。
カーシュは、そそくさ逃亡を図った。
彼らと少し、場所を離れて、同じく林に避難して来たラルッカ隊の三人がいた。
三人は、しばらく、ガヤガヤざわめく《 遊民 》達を、手持ち無沙汰な様子で、遠巻きにして見ていたが、
「君達は、本当に《 遊民 》なのか?」
近くを通りかかった《 遊民 》に擦り寄り、ロルフがさりげなく声をかけた。それに続いてオットーも、
「でも、そのわりには、なんか、すっげえ地味だよな」
「ねーねー、それでも興行の時には、歌ったり、踊ったり、お芝居したりなんか、するんでしょう?」
いつの間にか掴んでいた男の服をクイクイ引っ張り、人懐こい満面の笑みで小首を傾げているのはカルルである。
「──しねえよ、そんなもん」
進行方向を塞がれて、取り囲まれた男は、あからさまに鬱陶しげな顔だ。一応、応えはしたものの、その横顔は、如何にもぞんざいで無愛想。
それまでは結構ビクビクしていたラルッカ隊であるが、どうやら《 遊民 》というものに、俄然、興味を抱いちまったようなのだ。
なんたって、この三人のようなカレリア人の認識では、《 遊民 》とは即ち、芸妓で身を立て各地を回る、明るく華やか、そして、愛想の良い流浪の民のことであり、徴税で出向く際には、大抵、頭に"馬鹿"がつくほど丁寧な応対を受けるから、常にヘコヘコ媚びへつらってるようなイメージがある。不良の溜まり場、彼らの根城の《 異民街 》にさえ踏み込まなければ、それほど危険な輩ではない。そして、見た目こそ、ちょっぴり恐いが、"これら"も一応、あの《 遊民 》と同じ種類である筈なのだ。
なのに、ここにいる連中ときたらば、気さくに笑いかけてくるどころか、いつも何処か不機嫌そうで、挙句に「あっちに行け」と手まで振られてあしらわられる始末。そもそも、この上なく無愛想で……。
つまり、ギャップが著しいんである。
そこんところが、単純に不思議なんである。
そして、ラルッカ隊の三人は、至極当然な疑問に突き当たる。
((( でも、お前らは《 遊民 》だろう? だったら何してメシ食ってんだよ? )))
数に物を言わせて捕まえた男を、ラルッカ隊はグルリと取り囲んで放さない。
背の低い三人からにじり寄られ、子供のように澄んだ瞳でじぃっと殊更に見つめられ、更には、如何にも不思議そうに一斉に目を瞬かれ、通りすがりの不運な男は、周囲を見回し、困った顔で舌打ちした。
「踊りも芝居も関係ねえって。俺達は《 ロム 》だからな」
「「「 ろむ? 」」」
ようやく答えを一つ引き出して、三人はパチクリと目を瞬く。聞き慣れない単語だ。
「──だから、お前らが言ってんのは、《 バード 》のことだろ」
「「「 ばーど? 」」」
未知なる単語を、又も息もぴったりに復唱し、三人は互いの顔を見合わせた。そして、彼らの疑問を代表し、ロルフが小首を傾げてシミジミと訊く。
「どこか違うのか?」
「──ああ、全くの別物だよ」
そう、彼ら《 ロム 》は、傭兵稼業がその生業。華々しい歌や踊りなんかとは無縁の武力集団なんである。そんなもの見りゃ分かりそうなものだが、先入観の根強い三人は、納得出来ずにいるらしい。
ロルフの質問の意図が「それらは何ぞや?」であったことは明白だが、男には、それ以上(そんな面倒くさいことを、キチンと)説明する気は(サラサラ)ないらしく、勝手に検討を始めた三人の横から突破し、包囲網からの脱出を図る。
取り残されたラルッカ隊は、そそくさと逃げて行く男の背を無言で眺め、三人一緒に首を回して、大分見慣れてきた荒くれた雰囲気の《 ロム 》達を眺める。
そして、三人三様、思い思いのポーズで首を捻った。
訊いたら、謎が深まった……
更なるドツボに嵌ってしまい、ラルッカ隊は、うう〜む……と、三人揃って唸ったのだった。
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