■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章 7話6
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街門を守る軍兵の列の後ろから、男が一人歩み出た。
銀ぶち眼鏡の、四十絡みの男だ。取り急ぎ駆けつけたらしく、オールバックにした黒髪が、一筋、額にかかっている。
落ち着き払った口振りだ。着用している制服も、兵卒のまとうそれとは違う。あわてて道をあけられたところをみると、この部隊の副官というところか。
銀ぶち眼鏡の副官は、まずは上官を目線で捜し、安心させるようにうなずいた。人質の子供を見、なぜか、わずかに眉をひそめる。
拳を握って凝視しているダドリー=クレストを振り向いた。
「まずは、我々の指揮官を解放して頂きたい。要求を飲むのは、それからだ」
意外にも、穏やかな口振りだ。
呆然としていた件の兵士が、我に返って子供をかかえた。その首に、改めて切っ先を押しつける。
指揮官を連れてくるよう、カーシュは「──おい!」と顎をしゃくった。野戦服の人込みの中、縄で拘束された指揮官が手荒く引っ立てられてくる。
まったくとんだ番狂わせだった。人質にするはずの指揮官が取引材料に化けるとは。
「──どうする、癖っ毛」
カーシュは小声で目配せした。
奥歯を噛み締めた横顔は、時を忘れたように動かない。ダドリーは無言で副官を睨んでいる。いや、
硬直していた癖っ毛が動いた。
制止する暇もなかった。草原を突っ切り、なまずヒゲの指揮官に駆け寄る。
その肩を引っつかみ、手荒く向かいへ突き飛ばした。
「行け!」
愕然と、カーシュは目をみはった。「──な!? 癖っ毛!」
いや、たじろいだのは、その場にいた全員だろう。駆け引きも交渉もせず、先方の要求通り、あっさり手放したというのだから。
指揮官は転げるように駆け戻り、我に返った兵たちが、ただちに保護し、回収した。
ダドリーは苛々と腕を組んだ。
「さあ、これでいいだろう。さっさと子供を解放しろよ」
縄を解かれた指揮官は、制服についた皺を払い、痛めた腕をさすっている。
憎々しげに向き直った。「あと一つ」
「──なに!?」
指揮官は不敵に口元をゆがめる。「子供の身代わりになってもらおうか。そう、ダドリー=クレスト、貴様だよ。ならば、放してやらぬこともない」
「──俺、が?」
愕然と、ダドリーは立ち尽くした。
意地の悪い値踏みの視線で、指揮官はそれを眺めまわした。
「ふん。情報通りだな」
勝ち誇ってせせら嘲笑い、後ろ手にして、ゆっくり歩く。
「どうしたものかと思案したが、神は我々をお見捨てにはならなかったようだ。──しかし、まさか本当に飛びこんでこようとは」
ふと、ダドリーは顔を上げた。「──どういう、意味だ?」
「弱小領家の当主などには、知る必要のないことだ」
兵士の手から、指揮官が子供をぶんどった。その首に、手ずから刃を押し当てる。
ふと、カーシュは眉をひそめた。向こう陣営の様子がおかしい。
兵たちが戸惑っているように見受けられた。方々で目配せし、どことなく落ち着きがない。一気に優勢に立ったというのに。
子供を捕えていた先の兵士が、どこかおどおど顔をあげた。「あ、あの、指揮官殿、これ以上は必要ないかと。第一この子は──」
「うるさい! 兵隊風情が口を出すな!」
片手で子供を抱えたままで、指揮官は勝ち誇った目を向ける。
「飛んで火に入る夏の虫とは、貴様のことだよ、ダドリー=クレスト。お前、この子供が気がかりらしいな」
指揮官に刃を押し付けられて、子供は怯えて泣きじゃくっている。
「悪いなァ、あんたに恨みはないんだが、ちょっとこっちに付き合ってもらうぜえ?」
ダドリーはギリギリ奥歯を噛んだ。
溜飲を下げた指揮官は、ふん、と鼻を鳴らして目を細める。
「しばらくは、我々にお付き合い願いましょうかな、ご領主さま。もっとも、いざという時には、我々の盾になってもらうがね。それにしても、ノースカレリアのご領主さまがこんな所で手に入るとは。まったく良い土産ができたものだ」
強く握り締めたダドリーの拳が、小さく打ち震えている。
「──馬鹿な真似は、するなよ癖っ毛」
カーシュは小声で釘を刺した。
「ああ、逃げたりするなよ、ご領主さま? 貴様が逃げれば、子供は殺すぞ?」
すかさず大声で念を押し、指揮官は殊更に子供に刃を押しつける。怯えて小さく泣きじゃくっていた子供が、火がついたように泣き出した。
「さあ、どうしたダドリー=クレスト。子供の命など惜しくはないか?」
「わかった! よせ!」
ダドリーがあわてて踏み出した。 「よせ。──頼む、やめてくれ。盾が要るなら俺がなる。だから、その子には手を出すな!」
「──馬鹿野郎っ!」
カーシュは一喝、ダドリーの腕を引き戻した。
「国の命運とガキ一人、同じ天秤にかけるつもりか!──どうしちまったんだ。お前らしくもねえ! 一度は商都を見捨てた男だろう!」
得物を抜かりなく構えつつ、苛立たしい思いで吐き捨てる。
ダドリーは口をつぐんだままだ。唇を噛み締めて立ちつくし、子供の泣き顔を見つめている。
カーシュは声を押し殺した。「俺たちに、後はねえんだよ。今、乗りこむっきゃねえんだよ! わかってんのか、捕虜を始末しないできたんだぜ。いずれ奴らが垂れこんで、国軍が大挙して押し寄せる。──ここでお前がしくじれば、商都は間違いなく陥落するぞ。お前だって、ただじゃ済まねえ。自分の命が惜しくないのか。領民の命が惜しくないのか。そんな馬鹿な真似をしてみろよ。お前とつるんだ俺らはどうなる! 一緒にお縄になるんだぞ!」
ダドリーは苦しげにうなだれて、浅い息をひとつついた。「……悪い、カーシュ。でも、俺は」
「冷静になれ! ダドリー=クレスト! その先言いやがったら、ただじゃおかねえぞ!──おい、立場をわきまえろ。お前はノースカレリアの領主だろう。あいつらだって、何もガキなんぞ殺しやしねえ。どうせ口先だけのハッタリだよ。なのに何を躊躇する。この連中さえ下しちまえば、あとは何の問題もない。すぐにだって片がつくさ。カレリアの守りの国境軍を、俺たちはいなして来たんだぞ。こんな弱卒とは比べものにならない、はるか格上の連中だ」
ダドリーは地面を睨んでいる。やはり、どうしても頷こうとしない。
たまりかね、その肩を揺さぶった。「おい! 聞いてんのか、癖っ毛やろう! ガキに構わず攻めるんだよ! そうすりゃ、まだ勝ち目はある!」
「うっせーなっ! 黙ってろっ!」
顔を振りあげて、ダドリーが叫んだ。
癖っ毛の頭をゆるゆる振る。
「俺が行かなきゃ、あいつが泣く」
カーシュは大きく嘆息した。
唾を吐き捨て、腹立ちまぎれに草を蹴る。「たく! なんて真似をしてくれやがる! この最後の最後の正念場で、てめえで勝負を投げちまうとは!」
ダドリーの胸倉をつかみあげた。
「あーあー、これだから素人は嫌なんだ! 十分に勝てる戦だぜ! それをドブに捨てるような真似しくさって!」
ダドリーはおもむろに押しのけた。
背後の味方に、片手を振って合図する。
──臨戦態勢、解除。
「結論は出たかな?」
指揮官はにやにや笑っている。
向かいの指揮官を睨みつけ、ダドリーは敵前へ歩み出た。
草原を渡る夕刻の風が、ダドリーの癖っ毛を撫でていた。
前だけを見た横顔が、赤く夕陽を浴びている。
誰もが固唾を飲んでいた。ダドリーはゆっくり足を運んだ。だが、敵陣に向かう足どりには、寸分の迷いも躊躇もない。
おびえて泣きじゃくる少女の前まで辿り着くと、ダドリーはゆっくりと膝を折った。泣きじゃくる顔を覗いて、小さな頭に手のひらを置く。「ごめんな、恐かったろう」
「──おにいちゃんっ!」
少女が弾かれたように飛びついた。
それを両手で受け止めて、ダドリーは懐に抱きしめる。
「この大馬鹿野郎がっ!」
足元の地面に、カーシュは得物を叩きつけた。その荒々しい物音は、終わってしまった戦場に、いやに虚しく尾を引いた。夕暮れの草原が、凪いだように静まりかえる。
ふと、耳を澄ました。
蹄の音が聞こえる。複数──いや、大群だ。馬群がこちらに向かっている。
身構えた時には既に遅く、それはまたたく間に大きくなった。
新たな蹄音の地響きが、日暮れの草原になだれ込む。夕暮れに沈む青褪めた木立の向こうから、"それ"は唐突に現れた。
数百もの馬だった。騎手はいずれも、青と白の色鮮やかな軍服。
カレリアの国軍。
「──なぜ、こんなに早く国軍が」
場は、騒然とどよめいた。
数百の騎馬隊が怒涛のごとくなだれ込む。この新たな襲来で、一気に修羅場に引き戻される。
一行は、潰走した。
突じょ形勢が逆転し、一転あわてて逃げ道を探す。
警備隊と援軍の、挟み撃ちに遭っていた。押し寄せた軍兵に、カーシュはねじ伏せられながら、顔をしかめて目を凝らす。
降って湧いた騒乱の中、だが、ダドリー=クレストは、まだ、こちらに背を向けたままだ。懐深くに少女をかかえ、何事かなだめすかしている。
ようやく駆け出した少女の背中をしゃがんだまま見送って、踏ん切りをつけるように膝を叩いた。
大儀そうに立ちあがる。
「……負けちまった、な」
天を仰いだ横顔は、そんなふうに呟いたろうか。夕陽に染まったその肩は、開け放たれた街門の先を眺めている。
夕陽を浴びたトラビアの街。人々が行き交う日暮れの街並み──。
蒼闇せまる門前で、ダドリーは指揮官に目を向けた。
「取引に、応じる」
はるか西の稜線の、ねぐらへ帰る鳥影が黒い。
燃え立つような赤い陽が、今まさに暮れようとしていた。
*2007.12.24 第2部 2章 完結
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