■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 1話2
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胸が、早鐘を打っていた。
喉が張り付いて、声が出ない。体が竦んで動けない。誰だろう。
いつから、そこにいたのだろう。上背のある筋肉質な気配。しっかり腕を捕えた手。
一つ、その手が肩を叩いた。
金縛りの呪縛が解ける。声にならない悲鳴をあげて、あわてて転げ出、振り仰ぐ。
「──え?」
絶句で、エレーンは固まった。
「よ、こんにちは」
面食らった顔つきで、彼が手を引きあげた。闊達そうな精悍な顔。陽に焼けた茶色の短髪。そして、赤い、あのピアス。
「……バパさん」
傭兵隊の首長の一人、バパと呼ばれるあの人だ。なぜ、そんな偉い人が、こんな所に……
──てか、一体どこから湧いて出た!?
人の気配など、なかったのに。
首長はさりげなく周囲に目をやり、その目を戻して、腕を組んだ。
「どこへ行くんだ? この先は崖だぞ」
「……は、はあ。いえ、あの、あたしはなんていうか……あたしは別に、崖なんて……」
我に返り、エレーンはしどもど弁解する。説明したい気持ちはあるが、分かってもらえるとは思えなかった。暴力的なまでに凄まじい、あの異様な衝動を。
静かな木立に、首長は視線をめぐらせる。「ああ、方向が分からなくなっちまったか」
「……え?」
「無理もないか、あんたみたいな女の子じゃ。この森は、そういうことがまま起こる」
エレーンはしどもど誤魔化し笑った。この先に、海があるのは知っている。
「気をつけな」
首長が腕を組み、向き直った。
「このまま南下を続ければ、もっと危ない場所がある。霧が万年立ちこめて、慣れている奴でも難儀する。悪くすれば遭難だ。なにせ磁石も利かないからな」
早速の注意に、はあ、とエレーンはうなだれる。
ぎゃ!? と即座に飛びのいた。
きょとんと首長が、片手を所在なげに浮かせている。
「で、何してるんだ? こんな所で」
肩の上から手を引きあげ、ガシャン、と何かを地面にほうった。
夏草に転がったそれを認めて、とっさにエレーンは目をそらす。
よっこらせ、と膝を折り、首長はその横にあぐらをかいた。「ちょっと休憩」
微笑って、すばやく片目をつぶる。
「こんな可愛らしい、話し相手もいることだしな」
はあ? とエレーンは突っ立った。勝手に"憩い仲間"に仕立てられているような……?
首をかしげたかたわらで、しどもど膝先を盗み見た。首長が無造作に投げ出した──
「ああ、こいつか」
首長が気づいて苦笑いした。
「恨みを買う商売でね。こいつがないと、いざって時に、自分の身が守れない」
使いこまれた白っぽい柄が、すでに薄黒く変色している。
「あ、でも──ケネルは、あの──」
しどもどエレーンは釈明しつつ、鞘ごと抜いた首長の得物を、落ち着かない気分で盗み見た。
とうに、それには気づいていた。ここでは一人の例外もなく常時帯刀していることに。けれど、苦手だ。だって、あれは、鳥獣を狩るための道具などではない。
その凄惨さは、想像して余りある。傷つける相手の痛みを承知で、効果と効率を計った上で、人が人を傷つける図──。
「あの、ケネルって案外ぼうっとしてて、だから、こういうの持ってても、そんなに恐そうじゃないっていうか──あの、顔だって別に恐くないし、だから、その……」
「あいつが 好き か」
「──。はあっ!?」
ぎょっとエレーンは振り向いた。何を言い出す、この親父!?
構わず首長は顎を出す。「だから、ケネルが好きかって」
「──ちっ、ち、ちっ……」
驚きすぎて言葉にならない。ぶんぶん両手を振りまわし、きっ、と顔を振りあげた。
「違いま(す──)」
「やめときな」
面食らって、首長を見た。
「ろくなことには、ならねえから。大体あいつは、そんな風には見ちゃいない」
「だ、だから、それは違うって──っ!」
「ま、そう気張りなさんな」
首長は腕を突き伸ばし、どうでも良さげにあくびする。「今からそんなじゃ、もたねえぞ」
ごろり、とそのまま寝転んだ。
「え?──あ、あの──ちょっと、あのっ?」
呆気にとられてエレーンは見おろす。
(なんで寝るかな!?)
いきなり地べたに。
組んだ両手を枕にし、足を組んで目を閉じている。この行動は理解不能だ。もしかして、
……自由人なのか?
エレーンは顔をこわばらせ、ちんまり膝を抱えていた。ああして地面に寝られては、自分だけ突っ立っているわけにもいかないし……。
そう「帰る時には起こしてくれよ」なんて気軽に頼んでくれちゃったもんだから、どこにも行くことができないのだ。強制されたわけではないが、この首長の言葉には、有無を言わさぬ重みがある。
遠くで、茂みが鳴っていた。
ざわざわ、ざわざわ……。いつものようにウサギや鳥が来たにしては、音が少し大きいような? もしやファレスが、痺れを切らして捜しにきて──いや、物音の方向は複数だ。
組んだ手を枕にし、首長は隣で寝そべっている。ずっと目を閉じたままだ。耳でも澄ましているように。
どこかの枝で、小鳥が飛び立つ。
ブーツの先で夏草がそよぐ。自分の方から誘っておいて、首長は何も喋らない。
「あ、あの〜……」
さすがに気まずくなってきた。エレーンはぎこちなく笑みを作って、首長の顔を覗きこむ。「バ、バパさんて、お洒落なんですねー。男の人なのにピアスしてるしぃー」
「──これか?」
ちら、と首長が横目で見た。「これはな、俺の奥さんのヤツ」
「わあ、もらったんですかあ? 仲いいんですね」
(本当は、どうでも良かったが)エレーンは揉み手で、お愛想笑い。
照れたように首長が笑った。「ちょっと、別の女ん所に行ったらさ。馬乗りになられて、ブスッとな」
……はあ、とエレーンはたじろぎ笑った。浮気を知った彼女から、怒りのピアスをぶっ刺されたらしい。
「い、痛かったでしょう」
「泣いた」
こっくり首長はうなずいた。痛かったらしい。
とはいえ、その奥さんも、よくも挑みかかったものだ。相手はたくましい傭兵なのに、逆襲されたら、どうするのだ。
「あ、あのぉ〜。そしたらやっぱ、仕返ししたとか……」
「まさか。相手は女だぞ?」
首長が面食らった顔をした。
「けど、やっぱ、そんなことされたら──」
「女を叩くなんざ、男じゃねえよ」
きっぱり、首長が語気を強めた。「男は強い奴しか相手にしない、そういうものだ」
「あ、バパさんて強いんだ?」
「見ての通りな」
エレーンは引きつり笑いで氷結した。さっき、ピアス(如き)で泣いたとか言わなかったか?
「男の力は、女よりも強い」
淡々とした首長の声に「……え?」とエレーンは振り向いた。
「女を殴っても仕方がないだろ」
ほうり投げるように首長は続けた。
「暗黙の了解ってのが、男にはあるんだ。男は男しか相手にしない。女と張り合おうなんて奴は、まずいない。ああ、そこらの動物だって、草木と張り合おうとはしないだろ?」
(……く、草木?)
己を指さし、エレーンは片頬ひきつらせる。そういえば、あの二人も──ケネルとファレスも、何かというと仲間外れにするが──。
両手を枕に寝転がったまま、首長は空をながめている。
「拳の向かう先は、関心の在りかだ。焦点が合っているということは、そいつの実力は、そこだということ。逆にいえば、そいつが拳を下ろした時点で、そいつの程度が確定する」
(……あ、いや。そーゆーのは、別にどーでもいいんですけど)
関係ないし。
首長は構わず、先を続ける。
「ただ黙って立ってるだけで、強い奴は吹っかけられる。男ってのは、自分の程度を見極めたい生き物だからな。となれば、なるべく強い奴と当たりたい。だが、時間も体力も無限にはないから、対決相手は限られる。上限が決まれば、下限も決まる。つまり、そいつの下限を見れば、実力が自ずと分かるってことだ。大抵、上には関心があっても、自分より下にはないからな。つまり、どんなに見た目が強そうでも、弱い奴ばかりにすごむなら、その程度の実力です、と自ら白状したようなもんだ。そういうのを"男の風上にも置けない"という」
「へ、へえ〜? そうなんだ〜!」
息継ぎの切れ目をようやく見つけて、エレーンはなんとか合いの手を入れる。会話には極力参加したい質である。
ひょい、と首長が振り向いた。
「うん、たぶんな」
「……え゛?」
エレーンは絶句で引きつり笑った。なんだ、その適当な返事は。
当の首長は、大口あけてあくびした。「ま、男とは呼べんような臆病者には、縁のない話だろうが」
「けど、そしたら、そういう人達はなんていうの?」
「そういうのはな──」
にっこり首長が振り向いた。
「"負け犬"ってんだ」
すばやく片目をつぶって見せる。
ぱっ、とエレーンは目を逸らした。どぎまぎ高まる胸を押さえる。何か、妙に魅惑的だ。そういや、結構なおじさんのくせに、端整で凛々しい顔立ちで……!
(こ、こういう人は、女性をリードするのも上手いんだろうなあ……)
思わず、鼻息荒く想像する。
「あんたがどれだけ我がまま言っても、ケネルも叩こうとはしないだろ?」
はたとエレーンは我に返った。
う〜ん、と上目使いで思案する。「ケネルの方はそうだけど……でも、あの女男は、時々殴りたそうな顔してるけど──あー、そっか。やっぱああいう(=女みたいな)顔だから?」
「──あいつが何をしているのか、あんたは本当に知らないんだな」
ぱちくり瞬き、振り向いた。
首長はなぜか苦笑いしている。訊いてみたが、応えてくれない。笑ってとぼけているばかりだ。
「……なあんだ」
エレーンは笑って、伸びをした。「バパさんて、もっと恐い人かと思ってたー」
「恐い?」
あぜん、と首長が絶句した。
困ったように笑いつつ、寝転んだ肩を引き起こす。「──参ったな。あんたみたいな若い娘に、そんなことを言われたのは初めてだ」
おもむろに膝を立て、その上に腕を置く。ちら、と賢そうな目を向けた。
「なぜ、そう思ったんだ?」
「……え……だって」
ぎくり、とエレーンはたじろいだ。
予期せぬ視線の鋭さに、思わず、しどろもどろになる。「あの、みんながゲルに集まった夜にも、バパさんが来るまで待ってたし、馬で走る時とかも、いつも先頭を走ってるし──」
首長はわずか目を細め、注意深く聞いている。顔つきこそ、いつものように穏やかだが、視線には厳しいものを含んでいる。
「だから、あの……だって先頭って、一番強い人がやるものなんでしょ? だから、あたし──」
「部隊の配置から序列を割り出した、というわけか」
首長が苦笑いして身じろいだ。
「まったく、よく見ているな。なるほどアドの言う通り、怯えた獣は敏感だ。しかし、こうも見境がないと、少しばかり厄介だな。──だがな、部隊の一番は、残念ながら俺じゃない」
え? とエレーンは見返した。「だけど、それじゃ──」
「決まっているだろう? ケネルだよ。だから、あいつが隊長なんだ」
首長が草に手をついた。背を逸らし、又、ごろりと横になる。
「……でも、ケネルよりも年上の人が、ここにはあんなに大勢いるのに」
エレーンはどうも腑に落ちない。
「なのにケネルが隊長とかって。だって、それじゃあ、バパさんやアドにも(偉そうに)指図しちゃったりするってことでしょ? そういうのって嫌じゃない? ムカつかない?」
くすり、と首長が苦笑いした。「格が違うさ」
「カク?」
そうだな、と視線をめぐらせ、腕を持ちあげ、指をさす。
「あの樹の所まで、何秒で走れる?」
むっ? とエレーンは振り向いた。見ればなるほど、木立の中でひときわ目立つ、白い樹木がそこにある。
「あ、言っとくけど、あたし、足は速いわよ?」
ふふん? と首長に顎を出す。「実はあたし子供の頃は、"カモシカのエレーン"って呼ばれてたのよね〜」
「ほう。そいつは頼もしいな。で、どれくらいで行ける?」
首長は面白そうな顔つきで、ニヤニヤ眉をあげている。
「そうねえ〜。あそこまでなら──」
むかっとしつつも値踏みして、くい、と顎を振りあげた。
「十秒弱ってとこかしら」
本当は、十秒以上は優にかかるが……。でも、どうせ「走ってみろ」なんて言われない。
ちら、と首長が横目で見た。
「へえ。そいつは立派なもんだ。もっとも俺なら、八秒あれば十分だが」
──って自慢かい!?
エレーンは口をとがらせ、指をいじった。「だ、だからそれはぁ〜、バパさんの足が、人並み外れて速いってことでしょぉ〜。なによ、普通はそんなに速くないもん……」
「もしも、七秒きれる、としたら?」
あぜん、とエレーンはまたたいた。「──まっさかあ。無理よ、そんなの。だって、そんなことできるわけな──」
「ケネルだよ」
「……え?」
「奴なら、楽に七秒きれる。ああ、ファレスとウォード、あの二人もそうだったな」
先に示した白い樹木を、首長はおもむろに眺めやる。
「俺らと奴らじゃ、能力が違う。とっさに引き出せる最高値がな。普通の奴なら十秒のところを、七秒ぽっちでやれるなら──」
意味ありげに目を据えた。
「世界の全てが止まって見える、と思わないか?」
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