CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 1話4
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 そうよ。
 あたしはいつだって、お出かけの服で待っていたのに。
  
「──ごめんな、エレーン。急に商談が入ってしまって」
 
 困ったように覗きこむ、あの大好きな父の顔。
 黒の外出着の足元には、いくつもの旅行鞄。 
「すばらしく大きな黒耀石が、ノースカレリアで出たんだよ。お父さんよりも、ずっと大きな石なんだぞ? あのタダ=サイテス先生が、フェイト像を造りたいと仰って。──ああ、知っているかい? エレーンは。先生は高名な芸術家で、こんな大きな彫刻を、これまでも、いくつも手がけていて──」
「……おたんじょうびなのに、あたしの」
 口を尖らせ、横を向く。
「……なあ、エレーン。おじいちゃんがいるだろう?」
 頭に、大きな手のぬくもり。
「エレーンはおじいちゃんが大好きだろう? 一緒にケーキを食べていたらいい。お仕事が片付き次第、父さんも飛んで帰ってくる」
「ノースカレリアは、とおいもん」
 レースのついた真っ白な靴下。
 バックルの靴もピカピカだ。お気に入りのビーズのバッグも、タンスの奥から出してきた。
 なのに──
「なあ、エレーン。困らせないでおくれ。おみやげ、たくさん買ってくるから」
 
 ……違う。
 おみやげが欲しいんじゃない。
 
「おじいちゃんと一緒に、いい子でお留守番をしておいで。──そうだ、プレゼントは何がいい? 今日はお前のお誕生日だもんな? 今年はお父さん、奮発して──」
 
 プレゼントが欲しいんじゃない。
 あたしが本当に欲しいのは──
 
「……なあ、いい子だから聞きわけておくれ。そんな顔をされたら、心配でお仕事に行けないだろう?──すぐに片付けて戻ってくるよ。お仕事が済んだら、パーティーだ。──な? それがいい。でかいケーキに蝋燭つけて、鳥も丸ごとこんがり焼いて、それから──」
「もういい! いつもいつも、おしごとおしごとって! おとうさんは、いつも──!」
 バタン、と部屋のドアがひらいた。
 スカートの裾をひるがえし、凛と女が入ってくる。つややかな黒髪を結いあげて。
「あなた、馬車がきましたよ。いつまでも何をしていらっしゃるの? 早く荷物を運ぶよう、サムたちに言いつけて下さいな」
 ふと、目を返して瞬いた。「あら、まあ、エレーン」
 父の苦笑をちらと見て、すぐに事情を察したらしい。よそいきの服を着こんだ母は、しなやかな白い手を額に当てた。
「んもう。又なの? 中々いらっしゃらないと思ったら。──また、この子に捕まっていたのね。本当に、エレーンには甘いんだから」
 溜息まじりにやってくる。
「いいこと、エレーン。お母さんたちはお仕事なの。だから、わがまま言って困らせないで。──あら、どうしたの? この子ったら、そんなにおめかしして」
 絨毯に膝を折り、不思議そうに覗きこむ。
「……あらあら。なにを拗ねているのかしら、わたしの大事なお姫様は」
「だって、おかあさん! きょうは、あたしの──!」
 ふわり、と頭を抱きしめられた。
「いい子ね、エレーン」
 
 ……いい匂い。
 母さんの香水の。
 大好きな、母さんの匂い。
 
「あなたには笑っていて欲しいのよ。きれいな服で、美味しいものを食べて。わたし達はね、あなたのために働いているの。だから、あなたも聞きわけて、いい子でお留守をしていてちょうだい。──ね、お願い」
 
 喉の奥が、熱かった。
 胸が破れてしまいそう。
 
「……でも、きょうは、……あたしの……」
「愛しているわ、エレーン」
 にっこりと華やかな、大好きなあの微笑み。
 髪をなでられ、頬ずりされ、逃げる間もなく抱きしめられる。
「わたしのかわいいお姫様。あなたが世界で一番大事よ。だから笑っていてちょうだい。ね、そんなふくれた顔をしないで。かわいいお顔が台なしよ?」
 なだめるように頭をたたいて、母はおもむろに立ちあがる。
 せかせか、その背がドアへと向かう。いつものように。
 
 ──行かないで。
 だって、本当に欲しいのは──
 
 困った顔で母を見て、父は床に膝をつく。
 抱擁しようと伸ばしたその手を、思わず、とっさに払い除けた。
「……きらい」
 驚いた顔で、父が止まった。
 
 そうだ、嫌いだ。
 だって、ちっとも、そばにいない。ちっとも一緒にいてくれない。いつだって──
 
「……行って、くるよ」
 ゆっくり父は、その手を引きあげ、悲しそうな顔で立ちあがった。
 まだ何か言いそうだったが、母の声に急かされて、溜息まじりに踵をかえす。
 ノブに手をかけ、しばしためらい、父は弱々しく微笑んだ。
「エレーン、いい子でお留守番をおし。すぐに帰ってくるからね」
 飴色のドアが、バタンと閉じる。 
 ……いつだって、
 
 いつだって、いつだって、いつだって、
 そう言って、行ってしまうのだ。
 一番欲しいものは与えずに。
 階下のあわただしい物音が、ドアの隙間から入りこみ、閉じた扉の向こう側で、足音が忙しなく遠のいた。
 硝子灯のきらめく高い天井。
 がらんとした広い部屋。レースの寝具で統一された、真っ白で清潔な寝台には、たくさんの、おみやげのぬいぐるみ。いつも、部屋には一人きり──
 握った手のひらに、力がこもった。
「──おとうさんなんか、」

 だいきらい!
 
 
 

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