CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 interval 〜矜持〜 
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 窯の置かれた中央の土間が、白々と日差しを浴びていた。
 朝のゲルはひっそりとして、動くものは何もない。
 土間の南に、畳まれた寝具。番犬・・が使ったものだろう。土間を挟んで北側の寝具それは、まだこんもりと膨らんでいる。その下に、枕をかかえた黒髪を確認。
 土足で絨毯を踏みしめて、件の標的に近づいた。
 ぐっすり眠っているようだ。手足を縮め、うつ伏せで毛布にくるまっている。気取られた様子は全くない。枕に伏せたそのまつ毛は、まだピクリとも動かない。
 寝床の横で膝をつき、眠りこけた肩を仰向けた。あの番犬・・は日課の見まわり、不在であるのは確認済み。女が抱きしめた枕をとりあげ、うなじに手を滑らせる。
 仰向いて閉じた瞼、薄くあいた薄紅色の唇。腕に髪のしなかな感触。一つ、二つと襟元のボタンを外していく。はだけた肌が旭光に白い。
 すばやく首に指を滑らせ、中指にチェーンを引っかけた。女がむずかるが構うことなく、ぐっと指に力をこめ──
「何をしている」
 ぎくり、と飛びあがって振り向いた。
 
「お、降ろせーっ! ここから降ろせーっ!」
 辛うじて動く爪先で、俺様はじたばた暴れる。
「何しやがんだコラ! 降ろせ! 早くここから降ろしやがれっ!」
 ファレスはつんつん縄を引っ張り、くくりつけ具合を確認している。
 俺様の方は見向きもしない。
「……な? 降ろせって。頼むから」
 やむなく懇願。猫なで声で。
「俺がいないと、困るだろ? 物資も手元に届かなくなるし、第一その縄、届けてやったの俺だろう?──おいっ! 聞いてんのかよ! こんなことして、ただで済むと思ってんのか! 吊り目! 冷血漢! 人でなしーっ!」
 ファレスは着々と作業を進める。
 縄を離した手をはたき、三白眼で首尾をながめた。
 ぶらん、と宙ぶらりんで、俺は揺られる。視界は逆さま。体は縄でぐるぐる巻き。そう、俗に言う「逆さ吊り」
 身をよじる都度、逆さの髪がバサバサ揺れて──むむ? このザラザラ聞こえる摩擦音は……
 ──ぅぎゃあああ!? こすれる! 傷つく!
 俺の大事な宝ものたちがっ!
「なっ、何を勘違いしていやがんだ! 」
 ギッと、ファレスにガンくれた。
「断じて俺は、ふしだらな真似なんぞ、していたわけじゃ──!」
 抗議の途中で、ぅぐっ──と詰まって口を閉じた。
 奴の無言の半眼から、そろり、と目がそれるのは、なぜなのか。
 いくら暴れても縄が解けないことを確認すると、ファレスはあっさり踵を返した。
 一切、見向きもせずに歩み去る。この後こっちがどうなろうが知ったこっちゃないって足取りだ。
 そして、小鳥さえずる爽やかな朝の草原には、
「……あんの……冷血野郎が……っ!」
 逆さ吊りの俺様が、ぶらん、と虚しく取り残された。
 
 狭霧がゆっくり、なだらかな草原を這っていく。
 早朝五時の、一面の原野。椀を伏せたような白いゲルが、ぽつり、ぽつりと沈む中、夏草は青く夜露に濡れ、家畜も未だまどろんでいる。助けを呼ぼうにも、見渡す限り、人っ子一人いやしない。いくら羊飼いが勤勉でも、そりゃ、こんな朝っぱらから歩いてやしない。 
「お? 何してんだ、調達屋」
 勢い余って、一人でくるくる回っていた俺は、すがるように目をあげた。
「い、いい所にきてくれたっ!」
 宙吊りでくるくる回りつつ、ぶんぶん揺れて、じたばた足掻く。
「パパ! 早く降ろしてくれ! 頭に──頭に血が昇るーっ!」
「ははーん。ファレスの仕業だな」
 残虐非道の犯行現場に、ひょっこり顔を出したのは、誰あろう、かの首長だった。一隊を率いる短髪の首長パパ。
 バパは苦笑わらって歩みより、ふ〜む、と顎に手を当てる。
「さては、ちょっかい出したな、姫さんに」
「……な、なんのことだか」
「そうなんだよな。俺もいく人、そうやって部下を吊るされたことか」
 俺のカラ口笛に構うことなく、バパはげんなり嘆息する。「たく。なんだと思ってるんだ、他人の部下を。そもそも、あいつは日ごろから──」
「おいっ!? しみじみ語ってる場合かよ!」
 わしわし揺れて、熱烈アピール。
「なんでもいいから、早くここから降ろしてくれっ!」
 ちっとも分かっていないようだが、ただ今、逆さ吊りの俺様には、この一分一秒が実に切実な問題なのだ。
 バパは「そもそも物資が無駄だろが……」でぼやきを中断、「……ん?」とようやく振り向いた。
「──お、悪りぃ悪りぃ」
 絶対コイツ、俺の存在 忘れてた な?
 ともあれ、これで駆け寄ってくるか──
 と思いきや、なぜだか目の前で立ち止まる?
「そういや」
 しれっとバパが首をかしげた。
「寝酒を切らしているん(だが──)」
「わかったっ!」
 コクコクうなずき、俺は即答。
「わかった! わかったから! 何だってくれてやるから、早くここから降ろしてくれっ!」
 人の弱みに付け込んで、すかさず要求をねじ込んでくるところが、実に質の悪い男だ。
「お、そうか、悪いな」
 バパは白々しくも微笑んだ。ちっとも悪いとは思ってなさそうなツラで。
 とはいえ、これで、やっと助かる。
 短刀を抜いてバパは近づき、手にした刃を無造作に振りぬく。
「じゃあ、交渉成立な」
 ぶつり、と荒縄が断ち切れて、ごいんっ! と火花が目の前で散った。
「──のおおおおっ!?」
 顔から地面に激突し、俺は奥歯を食いしばる。
「痛てえじゃねえかよっ! もちっと優しく助けろや!」
 つか、命綱切るかよ、逆さ吊りの奴の!
 額を押さえた手の下に、案の定むくむく、たんこぶ隆起。
「おい! 今、頭から落ちたぞ!」
「言われた通り、降ろしたろ?」
「体支えるくらいはするだろ普通っ! 致命傷になったら、どーすんだ! あんたの助け方には労わりがねえよ労わりが!」
「でもなあ、うちの部下でもねえのに」
「──部っ!?」
 あまりの言い草にあんぐり絶句、すぐさま正気を取り戻した。
「部下でなけりゃ何をしてもいいのかよ!? あんたの理屈どっか変だぞ!? 曲がりなりにも首長だろうが! 大勢を束ねる頭目が、そんな心の狭いこと言ってていいのかよ! "人類皆兄弟"って、ありがてえ言葉を知らねえのか!」
「──たく。うるせえ奴だなあ」
 バパがうんざり顔をしかめた。
 そっぽを向いて、耳までほじくる。「こっちは助けてやってんだぞ。暑苦しい顔でつべこべぬかすな」
「──あつくる……?」
 危うく復唱しそうになって、俺はあわてて先を呑みこむ。なんて失敬なことを言うのだ、この類まれな色男に。
「なんにせよ、良かったじゃねえかよ」
 ぐるぐる巻きの俺様を、バパが靴裏で蹴転がした。横にしゃがんで、縄に短刀を食いこませる。「こんなお遊び程度で放免で」
「これのどこがお遊びだっ!?」
あいつが誰だか・・・・・・・知らねえわけでもねえだろう」
 一瞥をくれたパパの含みに、俺はとっさに言葉に詰まった。
 苦々しい思いで、舌打ちする。「──"ウェルギリウス" かよ。縁起でもねえ」
 目をそらした脳裏を刹那、戦馬を駆る姿がよぎった。荒れた戦場を睥睨する、禍々しくひるがえる髪──。
 ぶつり、と音がし、縄がバラけた。
 腑に落ちなさに、首をかしげる。いやに手ぬるい。あの血も涙もない冷血漢にしては……?
「アドでなくて良かったな」
 かがめた肩をバパは起こして、しみじみ俺を見おろした。「アドが知ったら、こんなもんじゃ済まねえぞ」
 俺は縄の切れ端を、脇へどける。「──ああ、カーナの件かよ、例のガキ」
「ほう、さすがに鋭いな」
「奴のあのツラ、あんたも見たろう」
 あぐらで短刀を引き抜いて、足首をしばった荒縄撤去に取りかかる。「例の妾宅の裏路地で、客の泣きべそ見た時の」
「とにかく、たいがいにしておけよ。アドに知れたら一騒動だ。何を狙ってるんだか知らないが」
 服についた土くれを払い、俺はバパに目を向ける。「あんたもあっち・・・の味方かよ」
 にっこり、バパは微笑んだ。
「敵が多いな、お前さんも」
「つまりは全部、あっち・・・側って話かよ」
 俺は顔をしかめて舌打ちする。「一体何がどうなってんだか。雁首ならべて脅しやがって。あのウォードまでとは驚きだぜ」
「──ウォードが?」
 バパが面食らって振り向いた。
 顎をなで、パパはどこか複雑そうな顔つき。「……へえ。ウォードがお前を、ね」
「ああ、あん時ゃマジで驚いた。とぼけた面して、あの野郎」
「脅しだけで済んだのか?」
「──ま、まあな。いつ刺されるかとヒヤヒヤしたが」
「なんで、あいつ、刺さなかったんだろうな」
「俺が知るかよっ!? そんなこと!」
「こいつは真面目に気をつけた方がいいな」
 バパが表情を引き締めた。
「奴にはしばらく近寄るな。ウォードが相手じゃ、何が起こるか予測がつかない。ああ、うっかり殺られねえよう気をつけろよ。備品が来ないのは、こっちも痛いし──」
「シャレになってねえよそれ!? つか、あんた備品の方が大事かよ!?」
 曲がりなりにも仲間じゃないのか!?
「ウォードに理屈は通用しない。敵と見なせば、ただちに敵だ」
 バパは肩をすくめて、腕を組んだ。
「ヒトと"世界"の境界が、まだ曖昧なままなんだ。ヒトを確たるものとして認識していない。だから他人がどうなろうが、あいつは痛痒を感じない。お前も百も承知のはずだろ」
「──まあな」
 確かに、相手が仲間であろうと、奴にはなんの担保たてにもならない。
 バパがにやにや目を向けた。
「いっそ、手を引いたらどうだ。今なら、ウォードに言い聞かせてやってもいい」
 俺は苦虫かみつぶす。「──そういうわけにはいかねえだろ」
「なんで」
「ここで引いたら沽券に関わる」
「死んだら、元も子もなくなるぜ?」
 バパが軽く嘆息した。「何をこそこそ嗅ぎ回っているんだか知らないが、そんなに報酬カネがいいのかよ」
「当然だ。どれだけの難関だと思ってんだ」
「雇い主も雇い主だ」
 バパはガリガリ頭を掻く。
「お前に積むような札束があるなら、そいつでどうとなり、すりゃあいいのに。そもそも、そうまでして欲しい物なんざ、この世にどれほどあるかねえ。まして相手は、あんな堅気のお嬢ちゃんだぜ」
「満更そうでもねえんだよなあ……?」
 思わせぶりにチラ見して、ふふん、と俺はほくそ笑む。
 ほう? とバパが意外そうに目をみはった。「というと?」
「それが、胡散くせえ話でよ」
 周囲に視線を走らせて、俺はバパに声を潜める。「いや、ここだけの話。嘘か本当か知らねえが──」
 はた、と気づいて、振り向いた。
 至近距離の眼前に「うんうん、それで?」 と興味津々バパの顔。
「き、企業秘密だ!」
 パパから、どぎまぎ肩を引く。危ねえ危ねえ冗談じゃねえ。うっかり気を抜くと、すぐこれだ。素知らぬ顔でさりげな〜く水を向けてきやがるから、こいつは実に質が悪い。
「なんだ、残念」
 バパが笑って肩を引いた。そう言うわりには、ちっとも残念そうでもないのが憎たらしい。
 ちら、と俺は一応うかがう。
「協力するつもりはねえんだろ?」
「当然」
「──たく、やっぱり八方塞がりか」
 肩を落として、首を振った。「やりにくいったら、ありしゃしねえ。今回は一体、どうなっていやがる。ケネルは恐ええし、ファレスは吊るし、あのウォードの野郎まで、何気に脅してきやがるし。アドはアドで娘絡み、あんたはあんたで……」
 はたと気づいて、バパを見た。
「そういや、なんで "あっち側" なんだ?」
 俺か? とバパが小首をかしげた。
「俺は女性の味方だからな。お前とあの子なら、あの子をとるさ。大体、まだ死にたかない。連中を向こうに回そうなんざ、お前の正気を疑うぜ」
 がっくり、俺は肩を落とした。「──だよな」
「このヤマは降りろよ。誰が見たって分が悪い。なにせ相手は"戦神"だぜ。奴にヴォルガで挑まれて、勝てる自信がお前にあるか?」
「こっちも後には引けねえんだよ。なにせ"依頼の品がこの世に在るなら、なんであろうが調達する" のが、この俺様のモットーだからな。たとえ一度こっきりでも、例外作るわけにはいかねえよ」
「なるほど」
 あっさり、バパは引きさがった。片手をあげて、ぷらぷら振る。
「だったら精々、後継の・・・育成に励んでくれ。支障が出るのは、こっちも困る」
「……。そういうとこ、あんた、マジで冷てえよな」
 きょとん、とバパが振り向いた。
 首を巡らせ、俺が吊られた樹を仰ぐ。
「お前を仕留めるつもりなら、今のは絶好の機会だが?」
 ずさっ、と俺は、顔を引きつらせて飛びのいた。
「た、助かったぜバパ! お、俺はもう、行くからよっ!」
 問答無用で話を切りあげ、朝の原野にそそくさ踏み出す。嫌な冷や汗びっしょりで。
 そう、実は、この俺こそ、結構な額の賞金首。
 そして、実にあの首長は、誰もが認める強者つわもの中の強者。腕を買われて、ウォードの世話を任されたほどの。
 つまり、先の状況は、あの抜け目ない首長にすれば、小遣い稼ぎにはもってこいの……
 パパから早足で離れつつ、ヒリつく手首を俺はさする。「……おー、痛てえ。くそっ、あの野良猫の野郎が!」
 そうだ。この黄金の指が、駄目になったら、どうしてくれる。見てみろ、この鬱血した手首を。見るも無残な赤線が──!
 愚痴っていたら、ふつふつ怒りがぶり返した。
「まったく正気の沙汰じゃねえ! こんなことまでするかよ普通。ケネルの野郎もケネルの野郎で、何気に脅してきやがるし! どいつもこいつも小娘一人に腑抜けやがって!」
「本気で言ってるんじゃないだろうな」
 足を止め、振り向くと、木陰に腕組みでもたれたバパが、苦笑いを向けている。
「なんだ。そいつはどういう意味だよ」
「あの連中が、そんな可愛らしい理由で動くと思うか? ウォードの方はともかくとしても」
「だったら、なんだってんだよ」
「決まってる」
 にやりと面白そうにバパは笑い、思わせぶりに目を細めた。
「大方、魂胆があるんだろうさ」
 
 
 

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