CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 2話1
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 昼の樹海の奥深く、泉のほとりで、水音がしていた。
 藪からそれを盗み見て、中年の男が差し招く。忍び足で現れたのは、長身のニキビと小男だ。二人に中年は目配せし、曰くありげに顎をしゃくる。「見ろよ、女がいるぜ」
「こんな樹海に女かよ」
「──そういや、口コミにあったっけな。女を連れ歩いているらしいって情報が」
 泉のほとりから目を離さずに、中年は片手で懐を探った。
 取り出した紙を振り広げ、紙面に目を走らせる。無造作に持ち歩かれたものらしく、紙は薄汚れて皺だらけだ。
 小男が焦れたようにその袖を引いた。「なあ、黒い髪だぜ、あの女。例の条件にぴったりだ」
「けど、あれが盗人・・かよ。どう見たって堅気じゃねえかよ」
 中年は渋り、すごむように目を返す。「堅気なんかに手を出してみろ。下手すりゃ、こっちが引っ張られるぜ」
「構うもんかよ。あの連中とつるんでんだ。要はアレも、お尋ね者ってこったろ。大体、関係ない奴が、なんで今頃、人里離れた樹海にいる?」
「──しかしなあ」
 中年の態度は煮え切らない。慎重になるには理由があった。今回の標的は、場数を踏んだ現役の傭兵。すごめばすぐに逃げ出すような堅気を脅すのとは勝手が違う。しかも、相手は──
「なあ! 連中が目の前通過するのを、指をくわえて見てろってのかよ!」
 痺れを切らして、小男はせっつく。「手ぶらなんかじゃ戻れねえだろ。元手がかかっているんだぜ」
「そうとも、コイツは裏情報ウラだからな」
 黙って聞いていたニキビ面も、たまりかねて後押しする。
 三人はいわゆる賞金稼ぎ、手配書に載った悪党を捕らえ、日々の暮らしを立てている。とはいえ、カレリア国ここでは、盗賊やら火付けやらの小悪党が大半で、大掛かりな捕り物でも、窃盗団の狩り込みくらいが精々だ。賞金の上限も知れている。
 その点、裏情報は割がいい。雇い主の大半は、人的軋轢のある・・・・・・・成金長者。むろん大っぴらにはできかねる、個人的な・・・・依頼が大半だから、捕まれば当然、犯罪人として投獄される。だから、腕に覚えがあるか、食うに困った者でもなければ、そんなネタには手を出さない。だが、お上の網にはかからない、旨い話が紛れこむことが稀にある。
 そうした案件を仲介するのが「書き売り屋」と呼ばれる、その手の・・・・拠点だ。商都のような大都市では、膨大な数の商店に紛れて、路地裏に居を構えている。だが、地方の町村には拠点がないので「情報屋」が回ってくる。そうした商品の大抵は商都発の情報で、遠隔地になればなるほど、鮮度が落ちるのは如何ともし難い。だが、今回の報は、珍しいことに北から・・・来た。
 情報屋の話によれば、大陸北端の地方都市ノースカレリアで、所属不明の軍勢が、国の軍隊をねじ伏せたという。往々にして胡散臭い裏情報にしては、確度の高いネタだった。なにせ大がかりな戦闘だ。目撃証人には事欠かず、敗走兵からの裏付けも取れた。それによれば、謎の軍勢の正体は、隣国の遊民であるらしい。
 それ即ち、大物入国の一報だった。
 なんといっても蛇の道は蛇。騒乱の戦場を荒らしてまわる、お尋ね者の存在は、予てより薄々聞き及んでいた。隣国シャンバールの傭兵であるため、実力については定かではないが、今回の賞金の出所は、富貴あり余るシャンバール王家・・だ。
 普段のみみっちい賞金などとは桁の違う話だった。しかも、標的は複数で、手荒な真似も問題ない。なにせ相手は国に属さぬ遊民風情だ。勢い余って殺したとしても、訴えられる心配もなければ、罪に問われることもない。
 カレリア国の賞金稼ぎは、この朗報に色めきたった。
 隣国の大物賞金首が揃って姿を現すなど、一生に一度出会えるかどうかの、奇跡にも近い幸運だ。噂は噂を呼び、彼らの同業、賞金稼ぎの間を、一陣の風のごとく駆け抜けた。
 
「なあ! こんな国じゃお目にかかれねえ賞金首だぜ。どいつも三千(トラスト)は下らねえ。そんな破格の賞金首が、のん気に原っぱに寝そべって、日向ひなたぼっこしてんだぜ?」
 舌舐めずりで小男は促す。
「こんな好機は二度とねえよ! なんでこんな片田舎にいるのか、そんなことは知らねえが、今なら、どいつもダレきってる! どれか一匹でも引っ張れりゃ、一生遊んで暮らせるぜ」
 馬足は意外にも速くはないが、ここで二の足踏んでいれば、馬群は南下し、遠ざかってしまう。群れが商都に近づくにつれ、同業者も増加する。獲得競争の激化は必至だ。
「──よし」
 渋っていた中年が、ようやく頷き、目配せした。
「あの女、人質に取れ」
 
 
 昼の樹海を、ファレスは苛々と駆けていた。
「──どこへ行った!」
 舌打ち、視線を走らせる。すでに移動した後なのか、木立に怪しい気配はない。
 原野で休憩に入った時に、キラリ、と光が閃いた。
 樹海できらめく光の反射。ああした類いは見慣れている。次にくるのは、おおかた奇襲だ。
 それ自体は珍しくもないが、部隊は原野で休憩中。あの堅気の目前で、泥仕合を始めるわけにはいかない。
 単身、樹海に踏みこんだ。
 世話はケネルに押し付けたから、客については問題ない。ケネルにしては珍しく、なぜかずい分渋っていたが、まさか放り出しはしないだろう。後顧の憂いは、速やかに断つ。妙な輩・・・が踊り出る前に。
 樹海に異変をうかがえば、右手で藪がざわめいた。とはいえ、ここは大樹海。その深い懐の先端は、商都近郊まで優に及ぶ。つまり、居場所の見当もつけないで、足取りを追うのはいかにも無謀だ。
 やむなく舌打ちで諦める。踵を返した視界の端で、キラリと光が閃いた。
 濃淡ゆれる梢の中、気配に神経を研ぎ澄ます。
 すぐさま踏みこみ、藪を掻いて獣道を進む。木立が徐々に明るくなる。
 視界がひらけた。
 緑豊かな木立の向こうで、白く平坦な鏡面が、きらきら日ざしを弾いている。森の中に湧き出た泉だ。
 その左のほとりに、目がいった。冴えない風体の男が三人、立ったまま円陣を組んでいる。後ろ暗い相談なのか、声を潜めて険しい顔。ためらうことなく、ファレスは踏みこむ。
「おい! そこで何をしている!」
 ぎょっと三人が振り向いた。
「お、女のように髪の長い──遊民の、男──?」
 あからさまに顔色変え、おろおろとたじろいでいる。案の定だ。
「「「 ウェ、ウェルギリウス!? 」」」
 面食らって、ファレスは動きを止めた。
「──俺を知っているとはな。見たところ、シャンバール人ではなさそうだが。──まあ、それならいっそ話が早い。抵抗しないで質問に答えろ」
「来るな! こいつがどうなってもいいのかよ」
 怪訝にファレスは足を止めた。
 一番奥にいた長身のニキビが、自分の懐を顎でさす。「連れがどうなってもいいのかよ」
「──連れ?」
 手前にいた中年が退くと、ニキビの全身が現れた。顎でさした胸板には、布で口をふさがれた女。若い娘だ。小柄な細身に黒い髪。手荒くニキビに引っ立てられ、苦しげに爪先立っている。もがく首にはナイフの切っ先──。
 ファレスはようやく合点した。先の反射の正体を。だが、今ひとつ分からない。連れがどうのとニキビは言ったが、通常、部隊に女は置かない。いるとすれば、あの客だが、今はケネルと原野にいる。
 見たこともない知らない女が、ニキビの腕でもがいていた。黒の膝丈ワンピース。胸には金のアクセサリー。あの服装は町の女か。それがこんな樹海深くにいるとは、誘拐でもされたのか──。
 いや、とファレスは見返した。いや、あれは遊牧民・・・だ。同族ならば気配で分かる。服と化粧で化けてはいても。とはいえ、それなら、なぜ、あんな成りをしているのか。家畜の世話には不向きだろうに。
「おい、そこを動くなよ。一歩たりとも動くんじゃねえぞ」
 中年が目を据えたまま、懐から紙を取り出した。振り広げて、紙面を一読。しげしげ紙と見比べる。「こいつァ驚いた。本物かよ」
「──なあ、おい。ガセってんじゃねえだろうな」
 ナイフを構えた小男が、隣の中年の袖を引く。「こんな細っこいのが、本当に五千(トラスト)の賞金首かよ」
「とっ捕まえて照会すれば、ガセかどうか、はっきりするだろ」
 手荷物のザックを中年は漁り、捕り縄を下げて向き直った。見せつけるように横に張る。
「大人しくしていてもらおうか。連れを痛い目に遭わせたくはないだろう?」
「お前にゃ悪いが、いい金になるんでね」
「シケたこそ泥追っかけるより、よっぽど金になるってもんだ。隣国となりの大陸を横断するのは、ちっとばかりホネが折れるが、なあに、元はとれるってもんよ」
「へっへっへ。きれいな顔した兄ちゃんじゃねえかよ」
 女に刃を宛がいながら、ニキビが嘲笑って舌舐めずりした。「カモの方から、のこのこ出向いてくれるたァなあ。しかも、こ〜んな美人ときた。こいつは夜が・・楽しみだぜ」
 揶揄してゲラゲラ三人は笑う。
「そろそろ、いいか?」
 三人が面食らって振り向いた。
 木幹からファレスは背を起こす。首を回して踏み出した。「だから、御託は終わったかよ。まったく、よく喋るネズ公だぜ」
 草木が激しく打ち鳴った。
 人が叩きつけられる激突音。宙を舞った女の髪が、さらり、と揺れて収まった。
 もぎ取られた人質の娘が、目を見開いて口元をつかむ。前傾の肩を、ファレスは起こす。
 あぜん、とニキビが見あげていた。太い木根に両腕でもたれて。
 中年と小男も呆気にとられ、へたり込んだニキビをのろのろ見おろす。何事もない目の前のファレスと、どうやら殴り飛ばされたらしいニキビの顔とを、あんぐり口をあけて見比べている。いつの間にか、二人の場所が入れ替わっている。
 じろりとファレスに睨まれて、すくみあがって飛びのいた。
 あわてふためいて藪に飛び込み、転げんばかりに逃げていく。
 バキバキ枝が踏みしだかれ、草木が乱暴に掻き分けられる。かすかなわめき声が聞こえてきた。早速、責任のなすり付け合い。「──だから、よそうと言ったんだっ!」「今更なんだよ!」
 その声で居場所が知れた。
 東に向かって逃げている。部隊とは逆の、崖のある方角──。
 ファレスは注意深く軌跡をながめた。逃走の途中で、三人は散り散りになったらしい。
 まだ、ファレスは動かない。部隊から遠ざける意図もあるが、主な理由は、運搬の手間を省くためだ。
 少し遅れて、おもむろに足を踏み出した。
 まずは出遅れたニキビを追うべく、そちらの方角へ地を蹴った。
 
 一仕事終え、部隊が休む原野へ戻る。
 泉のほとりで見つけた賊は、海に叩きこんで始末した。むろん、殺したわけではない。そんなことをしたところで一カレントにもならないし、そもそも、この国ここではご法度だ。気になったのは、中年が持っていた自筆のメモだ。
 事細かに記されていたのは、部隊の主だった者の特徴だった。そして異名と、人相、風体。つまり、連中が書き写してきたのは、手配書の内容らしい。だが、なぜ、こんな他国で出まわっているのか──。
 陽射しの遮られた昼の森。空気はひんやりと湿っている。
 北方の樹木は丈があり、ただでさえ薄暗い。足元には苔むした倒木、枯葉、ぬかるみ、足場が悪い。ファレスは忌々しげに舌打ちする。あの不愉快な出来事が、不意に頭をかすめたのだ。
「──あのジジイ!」
 降り積もった枯葉を蹴り飛ばした。あのすれ違い様の囁きが、耳にこびり付いて離れない。
『 保護しておいた。心配ない・・・・
 あれでは慰撫されたも同然だ。
 言って聞かせるような真摯な声音が、心を逆なで、苛つかせた。確かに声は荒げたが、取り乱していたのではない。客が姿を消したくらいのことで。クレスト領家の奥方エレーン──。
「──たく! どこまで世話をかけやがる!」
 あの能天気な顔を思い出し、無性に苛立ち、心がざわめく。
「まったく、なんで崖になんか……」
 客を標的まとにした輩に気づいて彼女を保護したあの首長は、気がかりな報告をももたらしていた。東に・・向かっていたというのだ。カレリアの大陸の東西は、断崖絶壁で・・・・・成っている。
『 危ないぞ、あの子。もう少し気をつけて見ておけよ 』
 首長の声がよみがえり、苛々ファレスは草を蹴る。
「……今度は身投げでもする気かよ。ふざけやがって」
 拳を握り、眉をひそめて歯ぎしりする。
 ふと顔をあげ、空を仰いだ。今、靴の上を影がよぎった。
「鳥──?」
 翼を広げて滑空していた。大きな、白い鳥が一羽。何かを探しているように。
 足を止め、思わず見入る。くっきり青い夏空に、翼を広げた白い鳥──こんな構図を、以前にもどこかで見なかったか。やはり、あんな白い鳥を──
 ふと我に返り、舌打ちして踏み出した。あんな鳥など、いくらでもいる。
「あっ!」
 かすかな声を聞き咎め、ファレスは怪訝に足を止めた。こんな森で、人の声──?
「──まだ、いたのか」
 相手を認め、溜息まじりに目を向ける。
 いつの間にか、泉の場所まで戻っていた。町の女の成りをした、先の娘が立ちあがる。
 ふわり、と豊かな裾が舞い、ほっそり白いその足に、巻きつくようにして収まった。まだ二十歳そこそこだ。忌まわしい襲撃現場など、一刻も早く立ち去りたいだろうに。
 ファレスは無造作に足を向ける。
「なんの用だ」
 居残っていたということは、戻りを待っていたのだろう。
 娘は胸で手を握り、見るからにおどおどした様子。気後れしたようにうつむいて、紅の唇をわななかせ──。ふと、ファレスは見返した。刹那よぎった淡い既視感。こんな女をどこかで見た。前髪のない広めの額、肩をおおう長い黒髪、白い顔に大きな瞳──
 娘が顔を振りあげた。
「わ、わたし、あなたにお礼を!」
 ファレスはいささか拍子抜けし、律儀なことだ、と足を止めた。
 娘は急いでポケットを探り、紙幣を数枚、握って突き出す。「あ、ありがとうございました! あ、あの、これを!」
「──要らねえよ、そんなはした金。さっさと帰れ」
 構わずファレスは歩き出す。何年そうして持ち歩いていたのか、紙幣はどれも皺くちゃだ。
 世羊飼い風情には大金だろう。一夜の遊興で消えるような額でも。
 興味を示さないと見てとるや、娘は走って、足を向けた先に回りこんだ。肩から下げた布袋をまさぐり、拳のまま、あわてて差し出す。
 五指をひらいた手のひらに、青々とした数枚の葉。面食らって、ファレスは見た。
「──受け取れねえよ。世界樹の葉なんざ」
 世界樹はいわゆる万能薬だが、自生する木は希少で貴重だ。移植も量産もできないために、世間一般には無名だが。
「でもっ!」
 娘は頑として譲らない。どうあっても引かない様子で、もじもじ顔を赤らめている。
 執拗な理由に今さら気づいて、ファレスは持て余し気味に嘆息した。近頃ずっと原っぱで、客も頓着しないから、すっかり忘れ果てていたが、出会った女は大抵こう・・だ。
「そこをどけ」
 肩を押しのけ、辟易として行きすぎる。
 ふと、ファレスは足を止めた。
 ふわり、と甘く、何かが香った。何かの花を煮詰めたような──。香水などに興味はないが、原料の方に覚えがある。
 耳の奥で・・・・、梢が鳴った。
 さわさわ、さわさわ風にそよいで。青銅の卓と、銀のじょうろ。夏の木漏れ日。妾宅の庭──。
 あの・・笑みが脳裏をよぎり、北方の空をファレスはながめる。「……広い額に、長い髪、か」
「あ、あの?」
 軽くよろめいた小柄な娘が、怪訝そうに覗きこむ。
「──これでもいいか」
 ファレスは軽く息をつき、小柄な娘に向き直る。
 泉のほとりで木立がひらけ、強い日が射していた。芝もお誂え向きに乾いている。
「欲しいものなら、ないでもないが」
 さりげなく視線をめぐらせて、ファレスは娘の肩を抱く。
礼を・・する気は、本当にあるか?」
 
 
 

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