■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 2話2b
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目を見開いて硬直していた。
向かってきたのは分かっているが、足が萎えて動けない。
「──危ねえっ!」
地面に叩きつけられた。
冷たく湿った草の感触──はっ、とエレーンは目を開ける。今の、ざらりと嗄れた野太い声は……
草をむしって顔をあげ、転げた地面から飛び起きた。
──あの人だ。
戻りが遅いのを心配し、探しにきたに違いない! すぐさま振り向き、助けを求め──
あわてて駆け寄り、膝をついた。
歯を食いしばったその顔を覗く。「──アド!?」
黒い蓬髪がうずくまっていた。腕をつかんだ彼の指から、鮮血が滴り落ちている。
「ア、アド、腕が……!」
おろおろエレーンは顔を覗く。おびただしい出血だ。
首長が蓬髪を振りあげた。
目をすがめて向かいを見、あわてて飛びのいた覆面の包囲を、訝しげにながめている。
ふと、気づいたように振り向いて、無精ひげの口端で微笑った。
「大丈夫だ。利き腕じゃない」
つまり、負傷したのは左の腕──。慎重に膝を立て、首長はおもむろに立ちあがる。
それだけのことで、覆面が一斉に後ずさった。
そのまま包囲は動かない。首長に圧倒されている。牽制の視線は据えたまま、すらり、と首長は短刀を抜く。「ケネルの所へ戻っていろ」
「──でもっ!」
「大丈夫だ。ここは俺が食い止めるから。あんたはただ、走ればいい」
「けど、アド!」
首長を見あげ、エレーンは懸命に首を振る。「そんなことしたら、アドが──」
「心配いらねえよ、俺のことなら」
首長が横顔で苦笑いした。「さ、早く行け」
「だけどアドは、そっちの腕も──!」
はっとエレーンは口を押さえた。それを敵に知らせてはいけない。領邸を襲撃した一件で、首長は利き腕も痛めている。
そわそわ首長の顔をうかがい、だが、面食らって見返した。
落ち着いている。五人もの賊に囲まれているのに。
取り囲んだ覆面を、首長は静かに見据えていた。威嚇するでも、相手の挑発に乗るでもない。あのひどい出血というのに、痛みなど感じていない顔。もしや、首長は
……やせ我慢してる?
エレーンは落ち着かない気分で唇を噛んだ。助けを呼んだ方がいい。自分がいても、役には立たない。むろん、それは分かっている。けれど、この場を離れれば、首長を見捨てることになる。
どんなに全力で走っても、集合場所までは距離がある。ケネルと共に戻った頃には、首長は果たしてどうなっているのか──。
たやすくそれが想像できた。次に戻ってきた時の、血にまみれた夏草を。血の海に倒れ伏した、この首長の変わり果てた姿を。そう、あの時と同じだ。戦後の道端に積みあげられた、あの青い軍服と──。
ぞくり、と背筋に怖気が走る。知らず、それを掻き抱く。お守りにしている翠石を。
首長は追い立てるように顎をしゃくる。「早く行け」
「でも……!」
エレーンはおろおろ立ち尽くした。縋る思いで見まわすが、人の気配はどこにもない。
強く奥歯を噛みしめて、手の平の翠石を握りしめる。
(──お願い! 助けて!)
高い梢が風にそよいだ。
森はひっそりと静まっている。手の石に、変化はない。ただ固く静まっている。
微かな失望を噛みしめて、眉をひそめて目をあけた。
覆面の包囲に、動きはない。仕掛けるのをためらっている。首長の眼光に気圧されているのだ。だが、両腕の利かない首長には、対峙を維持する以外の選択肢がない。
(──どうしたら)
エレーンはじりじり唇を噛んだ。自分だけだ。身の振り方を選べるのは。
自分がとる行動が、首長の命を左右する。どうすれば彼を助けられる──!
じり……と向かいが身じろいだ。
踏ん切りをつけたようににじり寄る。
「──だ、だめ! やめて……」
制止し、あわてて振りかえる。
──アド!
「あァ? なんだァ?」
どこかで、しゃがれた声がした。
怪訝そうな男の声。不意にガサガサ藪が鳴った。気配がこちらにやってくる。
覆面たちの気がそれた。辺りを見まわし、声の主を探している。とたんに落ち着きをなくした様子──
そうか、とエレーンは息を呑んだ。きっと、来たのは仲間ではないのだ。つまり、これは天の助け。今の声はこちらの
──味方!
ざわめく藪を、期待をこめて凝視した。
がさり、と大きく藪が鳴る。青くかがやく草木が割れ、布が宙に現れた。帽子のツバだ。そして、華やかな羽根の先が──
え゛──とエレーンは二度見した。
ひょい、と男は足を持ちあげ、一段低くなった開けた草地へ、がに股気味に降りてくる。警戒するでも臆すでもない。ふんぞり返った痩せっぽちの胸。大きな帽子。縮れた黒毛。その編んだ髪先には、色とりどりのビーズがじゃらじゃら。そして、奇抜なあの衣装──。
げんなりエレーンはうなだれる。
(どうせ来てくれるなら、別の人のが良かったな……)
そう、一触即発・緊迫したこの場面に、これほどふさわしくない人物があろうか。散歩の続きの足どりで、首長の横へとぶらぶら歩き、面倒くさげな顔つきで、覆面に目をすがめている。調達屋ジャック=ランバート。
それにしたって今の今、なんで、あのチョビひげなのだ。静かな森で瞑想にでも耽っていたのか? ヤモリのごとく、じぃっと貼りつき、木陰に潜むような趣味でもあるのか?
ど派手で毒々しいあの手の服は、素朴でのどかで真っ当な森には決定的にそぐわない。いや、けど、だからといって、都会的なセンスだとか、そんな滅相もないことが言いたいわけではないのだが。
でかい態度でふんぞり返り、今日も根拠なく偉そうだ。だが、コイツ強いのか? いや、本当にまじで強いのか? 今は場合が場合なだけに、そのあたり、かなーり重要だ。
「──おう、頼む」
首長が目だけを調達屋に向けた。「この子をケネルに届けてくれ」
「──だ、だめよ、そんなの!」
エレーンはあわてて首を振る。「そんなことしたら、アドが一人に──」
「いいから、あんたは早く行け。ここは俺がどうとでもするから」
じゃらり、と髪のビーズを鳴らして、調達屋が首長を見た。
「助けが要るか?」
じれったそうに首長は舌打ち。「要らねえよ。一人で十分だ」
「だそうだ。さ、行くぞ」
「……は!?……て、えええ〜っ!?」
むんず、とつかまれた腕を見返し、エレーンはあわてて足を踏ん張る。
「えっ? えっ? えっ? だ、だってそんなっ!? あんた、なに言ってんのっ!」
てか、なんてあっさりしてるのだ!?
調達屋は構わず腕を引く。なんの躊躇も頓着もない。その背と首長を交互に見、エレーンは口をパクつかせる。「だ、だって!? だって!? だって!?」
──おのれチョビひげ仲間ではないのか!?
ぐっ、と調達屋が引っぱった。「ほれ、行くぞ。何してんだ」
「嫌よっ!」
キッ、とエレーンは睨めつけた。
振り向き、首長に手を伸ばす。「やだ! やだ! やだ! アドぉーっ!」
「──こら、ふんばるな! とっとと来いってんだよ! ほら!」
ぐいぐい調達屋は腕を引っ張る。じたばた手を振りまわし、エレーンは全力で抵抗した。
「嫌だったら嫌 っ! 嫌〜だ〜っ!」
ついでにあんたの変な香水の匂いも嫌だっ!
「大人しくしてろや!? あァん!?」
苛立った様子で振り返り、羽根つき帽子が、ぎろりとすごむ。
だが、さして怖くない。かの武力集団にあって尚、断然見劣りするのが調達屋。胡散臭さと奇妙さにかけては、他の追随を許さないが。
薄っぺらな胸板を突き飛ばし、急いで首長に駆け戻った。
「──アドっ!」
ぶつかるようにしてしがみつき、無傷の腕に取りすがる。靴先で、シッシと帽子を牽制。
ふと、首長が振り向いた。
やんわり肩を、首長の腕が押しのける。「ほら、向こうへ行ってろ、大丈夫だから」
「やだ! アドと一緒にいる! あたしだけ逃げるなんて、できないもん!」
「──"できないもん"って……あのなあ……」
無精ひげの横顔が、困ったように苦笑いする。
ぐい、と腕が再びとられた。
なによ! と見れば案の定、羽根つき帽子の調達屋だ。ちょっと牽制を怠った隙に、また割り込んでき(やがっ)たらしい。面倒くさげな態度のくせに、このチョビひげ、存外にしつこい。
苛立ちに任せて、振り払う。
ぐっ、と手応え。外れない。
意外にも、がっちりつかんでいる。ぶんぶん振りまわすが、ほどけない。
きぃ──っ! とエレーンは苛立った。この忙しいのに、まじで邪魔な奴だ!
「なあにすんのよっ! 放しなさいよっ!」
気に留めた風もなく、調達屋はぐいぐい腕を引っ張る。
ふんぬ──っ!? とエレーンも踏ん張って、全力でそれを引っぱり戻す。梃子でも首長から放れぬ所存だ。右手で首長にしがみつき、左腕を帽子に引っ張られ──
ピン──と一列に張りつめた。
三人しばし硬直状態──。むう、とエレーンは調達屋を見た。ならば仕方ない奥の手だ。そう、まさに奥の手。研ぎ澄ました両手の爪。
バリッ、と手の甲を引っ掻いた。
ぎょっ、と引いた調達屋に向け、ぶんぶん更に振りまわす。
「──こ、こら! よせ! お、俺は、お前の味方だろうがっ!?」
すっとんきょうに帽子は叫び、ひょいひょい爪から逃げまわる。だが、手やら顔やら引っ掻かれ、さすがに本気を出したらしい。ふんぬ、と首長から引っ剥がした。
両手を帽子が、片手でまとめて引っつかむ。
「──ちょ、ちょっと! あんた、なにすんのよっ!」
焦れた舌打ちで、首長が目配せ。「おう、早く連れていけ」
「おうよ。ま、頑張れや」
いともあっさり、調達屋は応じた。見た目通りに薄情な奴だ。
顔をしかめ頬をさするその顔に、ぐぬぬ、とエレーンは拳を握る。
「あんた、まさか本当〜に、アドを置いてく気じゃないでしょうねっ!」
「なんてこたねえだろ、この程度。早く行こうぜ」
「──あんたって人は〜〜〜っ!」
飄然とした羽根つき帽子に、エレーンは顔を振りあげた。
「あんた、それでも男なの!? 怪我人おいて自分だけ逃げるって、一体どーゆー神経よっ!」
確かにこのチョビひげは、さして強そうには見えないが、そして実際その通りでもあるのだろうが、でも、しかし、だからと言って(=いくらこいつが戦力外でも)ここで見捨てて逃げていいのか?
──いいや! よくない!
「こんの卑怯者っ! よくも言えたわね、そんなこと!」
あいにく両手がふさがっているので、せめて罵声を浴びせかける。
帽子の羽根をぷらぷら揺らし、調達屋は構わず引きずっていく。痩せっぽちでも男は男。腕力は普通にあるらしい。
「ちょ、ちょっとお! 止まんなさいよ! 止まんなさいってば! まだ、ひとが話してるでしょ! こら! チョビひげ! こっち向けっ!」
二本の轍を地面に残して、ずるずる前傾で引きずられる。帽子の縁から生えたビーズを、むう、とふくれてエレーンは見る。そうかい。ならば仕方ない。手は利かないが、足なら自由だ。
甲が変な形にふくらんだ怪しい色の調達屋の靴を、もてる全力で踏んづけた。
……ん? と帽子が目線を下げた。
「あ゛―っ!?」
一拍おいて万歳三唱。意外と鈍いなこの男。
「──アドっ!」
帽子の肩を突き飛ばし、息せききって駆け戻った。
ぐんぐん視界に近づく肩に、エレーンは精一杯、両手を広げる。守らなくっちゃいけない、あの人を。助けなくちゃいけない、あの人を。
今度はあたしが──!
首長が気づいて、蓬髪を振り払って振り向いた。
「──出てくるな!」
目をみはった驚いた顔。
突き伸ばした手の先を、エレーンは辛くもすり抜ける。見捨てたりしない絶対に──。絶対に。絶対に。
絶対に!
「あんた、邪魔ー」
前のめりの胸下が、ぐっ、と何かに強く押された。
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