■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 2話3
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着地間近の爪先が浮いた。
後ろ向きに押しのけられる。
流れ去る木立の中、白い何かが抜き去った。
脇をすり抜け、ザン──と草地に着地する。
白くかがやく長袖シャツ。ふわりとなびく薄茶の髪。ひょろりと長身の青年が、背を向けて立っている。
あぜん、とエレーンは口をあけた。「……ノッポ君?」
見舞いに来てくれた、あのウォードだ。ケネルが「近づくな」と諌めた相手。なぜ、彼がここにいるのだ?
そう、今の今まで、誰も近くにいなかった。(チョビひげじゃない味方を捜して)何度もしつこく確認したが、なんの気配も本当になかった。でも、それなら、
──一体どこから湧いて出たのだ?
呆気にとられて、きょろきょろ見まわす。「な、なんで、ノッポ君が──」
「"なんで" って」
当然の口調で、白い背が返した。
「オレのこと、呼んだでしょー?」
ぽかん、とエレーンは口をあけた。──いや、呼んでない呼んでない。一度たりとも呼んでない。むしろ、思い出しもしなかった。なのに、なんで彼を呼──
ふと、奇妙な既視感がよぎった。似たような言葉を聞かなかったか? ほんのつい先日に。短髪の首長と森にいた時、ケネルがそこへやってきて、そして、ケネルが不思議そうにいわく、
『……呼んだか?』
「ちょっと持っててー」
のんびりとした声がした。白いシャツの彼の声?
「おう」
ぎょっ、とエレーンは振り向いた。耳元であがった、甲高くしゃがれたこの声は……
「──チョビひげ!?」
いつの間にか、真後ろにいた。動けないよう抜かりなく腕をつかんでいる。そういや、ウォードがすれ違った時、押しのけられたと思ったが、ならば、あれは──
あぜん、と白シャツの背中を見返す。彼は自分を投げ返したのか? いや、蓬髪の首長と調達屋の間は、大人の身長で三人分の距離はある。そんなことが果たしてできるものなのか……
キラリ──と何かが日ざしを弾いた。
突っ立ったウォードの手の先だ。鞘を抜き払った鋭利な短刀──。
「ノッポ君……」
エレーンはうろたえ、戸惑った。わずかに見える横顔の輪郭。どんな表情を浮かべているのか、長い前髪でよく見えない。だが、口角は冷ややかに吊りあがっている。
危ない、と思った。
賊の方が、だ。
薄く笑った横顔が、野生の獣を思わせた。ひしひし全身から伝わってくるのは、獲物に飛びかかる寸前の、ためらいのない純粋な
──殺意。
なすすべもなく凝視する。
白いシャツが身じろいだ。
長い足が、草を蹴り──
「ウォード!」
白シャツの肩が、すばやく止まった。吼えたといった方がふさわしいほどの制止。ざらりと嗄れた野太い声。あれは──
白いシャツが、背中で尋ねた。「なにー? アド」
「殺すな」
ウォードが怪訝そうに振り向いた。
「──なんで、だめー?」
目線で、首長は強く諌める。
無言でウォードは小首をかしげ、ふと、思い出したように空を見た。「……あー。"タマゴ"」
ガチャン、と惜しげもなく短刀を捨てる。
「そうすると、ちょっと面倒だなー」
少し不服そうに頭を掻いて、ぶらりと覆面を振り向いた。
「悪いねー。ちょっと痛いかも知んないよー?」
鳥のさえずりが、小さく聞こえた。
森はのどかで穏やかだ。あんなことが、あったというのに。
連れてこられた木陰の根元で、エレーンは呆然とへたりこんでいた。
後始末は、淡々と続いている。五人は覆面を剥ぎとられ、縛りあげられ、草原の中央に集められている。皆、どこにでもいるような中年の男だ。目付きは悪いが、これといった特徴もない。殴られたその顔が、ひどく腫れていることを除けば。
先の光景がよみがえり、エレーンは震える手で肩を抱く。
まだ耳の奥で鳴っている。せっぱつまった覆面の罵声が。殴られてあがる悲鳴とうめきが。体が叩きこまれた夏草の音が。
まだ、震えが止まらない。あんなに近くで乱闘を見たのは初めてだ。いや、あれはもはや乱闘でさえない。逃げ惑う者が次々捕らわれ、一方的に殴られていく。暴力に支配された、容赦のない圧倒的な光景。あからさまな敵意を持って、人が人を殴りつける図──。
賊はウォードの敵ではなかった。
ウォードの速さはすさまじく、覆面はいずれも、ただの一撃で草に沈んだ。
始めの覆面を殴り飛ばしてから、散り散りになった残りの賊が、全員地面に伸びるまで、ものの五分とかからなかった。その差は歴然、あれではまるきり大人と子供だ。刃物をふるう五人に対して丸腰だったというのにだ。
誰も加勢はしなかった。蓬髪の首長も、調達屋も。むしろ累が及ばぬようにと、樹の裏に避難させられた。
木陰で、首長は乱闘を見ていた。その隣で調達屋も。覆面五人が地面に転がり、顔をしかめてうめくに至って、首長と調達屋はおもむろに動いた。五人を引きずって中央に集め、無造作に、手際よく縛りあげていった。ちなみにその間ウォードはといえば、さっさと木陰に引きあげて、ぼうっと空を眺めていた。すでに興味を失った顔で。
額の汗を腕でふき、首長と調達屋が引きあげてくる。
賊の処分を相談しているのか、何事か淡々と話している。どちらも普段と変わらぬ顔つき。いつの間に処置をしたのか、首長の左上腕が、黒っぽい布で縛ってある。──いや、黒く見えるのは血液だ。
うろたえ、エレーンは首長を見た。何事もない顔つきだが、あんなに血がにじんでいる。いや、平気でいられるはずがない。絞れるほどの出血量だ。少しでも位置がずれていれば、首長の命は、きっと、
なかった。
どくん、と胸が大きく震えた。
キン──と耳鳴りが深部を貫く。のぼせた頭で立ちあがり、賊の方へとふらふら歩いた。座りこんだ地面から怪訝そうに目をあげたのは、中央にいたあの覆面──。
「──なっ、なんで、そんなことすんのよっ! あんたたちはっ!」
首長を斬った賊の頭を、激情に駆られて何度も叩いた。手が萎え、力が入らない。それでも夢中で拳を振るう。「あたしがあんたに何かした? アドがあんたに何かした? なのに、あんなひどいこと──!」
振りあげた手を、つかまれた。荒げた息で振りかえる。
「その辺にしておけ」
「──だって、アド!」
「もういいって。十分だ」
蓬髪の首長が苦笑いした。「さ、戻ろう」
「……だって、この人のせいじゃない」
荒く息をつきながら、エレーンは焦れて拳を握った。ふてぶてしい男に指をさす。「みんな、この人のせいじゃない! この人のせいで腕を怪我して──!」
「むしろ、あんたの方が効いたがな」
「……え」
あたし? とエレーンは目をみはって己をさす。自分が何をしたというのだ? 彼を害することなど何ひとつ──はた、と首長の右肩を見た。
「──あっ、あの、ごめんなさいアド! でも」
調達屋と小競り合いをしていた時に、斬られていない首長の腕に、とっさにしがみ付いてしまったが、そういえば無傷な右肩も、首長は痛めていたではないか。
背にまわされた首長の腕に促されて歩きつつ、あわてて首長を振り仰ぐ。
「あ、でも、違うの。アドの腕を痛くしようなんて、そんなこと、あたし全然──」
元いた木陰に辿りつき、首長が根元に腰を降ろした。その前にエレーンはひざまずき、しどもど首長の顔を覗く。
「ご、ごめんね、そんなに痛かった? でも、アドが怪我してるのに、あの薄情なチョビひげが、早く来いって引っぱるし。でも、そしたらアドが一人になって、だから、あたしだけでも守らなくちゃって、あたし思って、だから──」
「守る、か」
首長が軽く息をついた。「あの時にも、そう言ったな」
無精髭を叩くようにして、頬に手のひらを滑らせる。「どうして、そんなに、いつでも必死で、俺らを守ろうとするんだかな」
「あたし、アドの邪魔をしようなんて──だけど──だって、あの時は──」
「"出てくるな" と言わなかったか?」
首長が嘆息で遮った。
たまりかねたような怒気が伝わり、エレーンはしどもど口をひらく。「だって──」
平手で、頭を抱きすくめられた。
「なぜ、あんな無茶をする!」
野太い叱責に、びくりと竦んだ。大きな懐に埋まりつつ、うつ伏せた蓬髪を呆然と見る。「……アド」
「ウォードが来なかったら、どうするつもりだった」
首長の鼓動が速かった。頭をつかんだ手のひらから、ぶ厚く硬い胸板から、かすかな震えが伝わってくる。脱力したような重みがかかった。
「……勘弁してくれ。寿命が十年縮んだぜ」
首長の思わぬ動揺に戸惑い、エレーンは唇を噛みしめる。胸が押し潰されたように苦しくなる。
「──ご、ごめんなさい」
浅い息で、ようやく言った。こみあげた熱で、胸がつまる。「こ、恐かった……」
「もう大丈夫だ。な?」
大きな手がしっかりと、体を包んでくれている。
「……恐かった」
本音が口からこぼれ出た。今更ながら怖気が走り、必死でこらえた涙があふれる。
「──恐かった! 恐かった! アドぉっ!」
抱きかかえた首長の首に、エレーンは強くしがみついた。
「じゃ、部隊に知らせてくるからよ」と調達屋は原野へ戻っていった。
捕えた賊を見張りつつ、首長は木陰で喫煙している。そして、少し離れた木陰に、幹にもたれたあのウォード──。エレーンはぎくしゃく近づいた。ぎこちなく笑って長身を仰ぐ。
「さ、さっきはありがとね、助けてくれて。……あの、それでね、ノッポ君……」
もじもじしながら返事を待つが、ウォードは何か返すどころか、こちらの顔を見もしない。
「あ、あの、ね。その……」
しどもどエレーンは引きつり笑った。彼といると、どうも緊張する。見舞いに来てくれた時もそうだっが、あたかも誰もいないかのごとく、きれいさっぱり相手を無視する。ケネルもかなり無口だが、それでも振り向くくらいはする。
微妙な沈黙で間がもたず、そわそわ彼を盗み見る。
改めて見ても、つくづくきれいな顔立ちだ。子供のようにすべすべの肌。まつげの長さは驚くほど。男性にしては髭が薄くて、なめらかな肌をしているからか、どこか繊細そうな印象で──
「なにー?」
唐突にウォードが返事をした。
「──あっ──う、ううん!」
しどもどエレーンは笑みを作る。またか。今日も絶妙なフェイント。
「す、すごいね、ノッポ君って! さっき、すごお〜く格好よかった!」
ガラス玉のようにきれいな瞳で、ウォードはじっと見おろしている。
「……あ、あのぉ〜?」
だが、やはり返事はない。
「あ……えっと……そのぉ〜……」
小鳥のさえずりが、辺りを包んだ。
木々の梢が、さわさわ鳴る。後ろ頭を幹にもたせて、ウォードは空を眺めている。すっかり興味をなくしたか、もう目も合わせてくれない。
エレーンは引きつり笑って彼を見た。
「つ、強いんだねーノッポ君って! ナイフ持ってて五人もいたのに、み〜んな一人でやっつけちゃって。ノッポ君ってば優しそうだから、あんなに強いなんて、あたし、ちっとも知らなくて──」
「エレーンさー」
唐突にウォードがさえぎった。ひょろ長い腕を持ちあげて、たまりかねたように髪を掻く。「あんまりオレには、近寄らない方がいいと思うよー?」
あぜん、とエレーンは見返した。「な、なんで……?」
「なんでも」
「お、怒った?」
「──別にー」
ウォードが肩を引き起こした。そのまま草地を歩き出す。「じゃあねー」
「はっ?……えっ? えっ? あたし、今、何かした?……あのっ?」
あたふたエレーンは声をかけた。だが、足は止まらず、振りかえらない。
「……ど、どして?」
あっけなく取り残されて、呆然とエレーンは突っ立った。
部隊のいる原野に向かい、ウォードはぶらぶら歩いて行く。先に帰るつもりらしい。その背はもう見向きもしない。もしかして、彼に
──嫌われた……?
愕然と、エレーンは立ち尽くした。
はあ〜……と気が抜け、へたり込む。「……もおぉ〜。あたしが何したっていうのよぉ……」
うなだれ、しょげて膝をかかえた。ゲルで休んでいた時に、お見舞いに来てくれたから、てっきり好きな方に属していると、実は密かにうぬぼれていたのに。
「……えー。でもさー。だったら、あれはなんだったのよぉ〜。あの花とかウサギとか〜……」
ぶちぶちいじけ、指で地面をぐりぐり掘る。
ふと、かたわらに目をやった。なにか来る──そんな気がしたのだ。
間をおかず、にゅ……っと手が藪から突き出た。
ぱちくりエレーンは目をまたたく。手が、がさがさ藪を掻き、足が茂みを踏み越える。
目をみはって息をつめた。
「──おう。いやに早ええな、ケネル」
先を越したのは首長だった。無精ひげの口元に、新たな煙草をくわえている。「途中で会ったのか、調達屋と」
「調達屋? いや」
怪訝そうにケネルは応え、不思議そうに見まわしている。「いや──誰かに呼ばれた気がしてな」
しきりに首をかしげ、釈然としない面持ちだ。すでに半分涙目で、エレーンはわたわた立ちあがる。
「──ケネルっ!」
あたりに視線をめぐらせていたケネルが、ぎくり、と硬直、身構えた。
「聞いて聞いてっ? 今あたし大変な目に──っ!」
エレーンは構わず、わしわし駆け寄る。
む? と口を尖らせた。
「……。なんで逃げ腰?」
「──いや。なんとなく」
がさり、と左の藪が鳴った。
エレーンは目を向け、ぽかんと瞬く。「あれ? 誰かと思えば、女男……」
つかつかファレスは近づいて、高く片手を振りあげる。
ぱん! と鋭い張り手の音が、ひらけた森に響き渡った。
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