■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 2話7
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「……男なら、よかったのにな」
溜息まじりの、男の声。
語りかけるような口ぶりなのに、たぶん、これは独り言。
誰かが、遠い所で喋っていた。途切れ途切れのその声は、ふくれた意識に邪魔されて、大きくなったり、小さくなったり──。
誰だろう。落ち着いた声だ。無条件に安心できる。親の庇護下にいるように。
この声を、知っている。とても、よく知っている。そんな気がする。
「すぐに……たから……ようなものの……」
苦々しげに声は続ける。
「……んなに気になるか、バリーの奴……」
"バリー"というのは誰だろう。どこかで聞いた名前のような──
意識が、急速に浮上した。
重たい瞼をこじ開ける。間近に、深緑の薄汚れた布──休憩時に敷く防水シートか。すぐにそれと分からなかったのは、それがあまりにも近すぎて、赤く日ざしを浴びていたから。
シートの向こうに、草地が見えた。そして、足を投げた深緑色のズボン。それから黒い編みあげの靴。腰を降ろしたその人は、後ろ手をついて座っている。
誰だろうと顔をあげ、だが、身じろいだだけで目を閉じた。
ひどいめまいで目がまわる。すさまじい頭痛と、激しい吐き気。体がだるくて仕方ない。それでもなんとか手を伸ばし、シートについた手の甲に触れる。
ふと、彼が振り向いた。
「気がついたか」
「……あたし……なんで、こんな所に……」
どうしたのだろう、喋りにくい。
辺りは、もう夕方だ。夕陽を浴びた原野一面、がらんとしていて、誰もいない。馬もいないし、話し声もしない。ケネルと自分の二人きり。
「あんたを襲った賊の仲間が、まだ残っていたらしい」
……賊?
ああ、あの覆面の──。
「大丈夫だ。少し、気絶していただけだから」
肌寒いほどの、風が吹いた。
夕陽の草海が、ざわりとなびく。肩を毛布で包まれている。馬の背に敷いていた毛布で。
「……みんな、は?」
「移動はここで取り止めた。ファレスが今、付近のキャンプに、寝床の交渉に行っている。場所が決まり次第、俺たちも向かう」
いつもより、ゆっくりとした口調。どことなく、ためらいがちな。何かを確かめるように、ケネルが覗いた。「気分はどうだ」
「気持ち、悪い……頭が、すごく痛くて……」
やっとのことで訴えた。頭がガンガンして割れそうだ。
「──そう、だろうな」
一瞬ケネルは言葉につまる。
「そのまま横になっていろ。その内、症状も収まるだろう」
痛む頭の片端で、やりとりをぼんやり反芻する。そうか。あれで全部ではなかったのか。覆面の仲間が、まだ近くに──
ぎくり、と全身が身構えた。
とっさに肩を引き起こし──だが、すぐにシートに突っ伏した。
ずきん、と割れるように頭が痛んだ。吐き気が込みあげ、目がまわる。生きた心地もしなかった。鼓動が速く、息が乱れる。だって、指輪──
── あの指輪は!?
指の先が、小刻みに震えた。万一、失くせば、
──大変なことになる!
ごくりと唾を呑みこんで、左の手をおそるおそる探る。
固い、金属の感触があった。左の手の、薬指に。
(……ぶ、無事)
息を、細く吐き出した。
震える唇を、軽く噛む。夕陽を浴びた無人の原野を、ケネルは無言でながめている。
後ろめたさを、急に覚えた。あの彼にさえ、隠し事をしている。こんなに良くしてもらっているのに。
彼を信用しないわけではなかった。だが、このことは誰にも知らせるまい。この指輪のことだけは。だって、気づいてしまったら、
──誰かがその絶大な価値に。
見渡すかぎりの草海を、夕陽が鮮やかに染めていた。
そこにある全てのものが、あいまいな薄蒼に包まれる。ケネルの横顔の輪郭だけが、いやにくっきり、はっきり見える。どうしたのだろう、いつもよりも難しい顔。
その袖に、手を伸ばす。
「……ねー、膝枕がいい」
なぜだか無性に人恋しくて。
でも、本当は諦めていた。そういう甘えた要求は、ケネルは大抵無視するから。
ケネルが目を向け、体をひねった。
こちらの頭を片手で持ちあげ、頭の下から枕を抜く。両脇を持ちあげ、ケネルの腿に頭を降ろす。
思わぬ振る舞いにうろたえた。どうしたのだろう。今日のケネルは不思議なほど優しい。
枕にしていた丸めた布が、無造作に放り出されていた。見覚えのある、くすんだ色合い──ケネルの上着だ。ならば、自分の上着を丸めて枕を──
「すまない。こっちの手落ちだ」
珍しく、ケネルが謝った。けれど、意味が分からない。あの覆面に襲われたのは、別にケネルのせいじゃない。
横たわった腕に、重みがかかった。
ケネルが腕を叩いてくれている。夕陽の原野をながめたままで。ゆっくりと。同じ間隔で。なだめるように。小さな子供をあやすように。
心が静まり、落ち着いた。
人の温もりを感じると、なぜ、こんなにも安らげるのか。大きく無造作なケネルの手──。
だんだん瞼が重くなる。
「眠いなら、眠っていい。寝床には、こっちで運んでおく」
無断で森に行ったのに、ケネルは文句の一つも言わない。理由さえも尋ねない。ただそばにいて、腕をなでてくれている。
ケネルのそばは、呼吸が楽だ。子供のままでいられるから。
「……心配を、かけるなよ」
途方に暮れたような声だった。ケネルにしては珍しい──。
勝手に森に入ったのだ。ファレスならば、怒るだろう。目を三角に吊りあげて。
けれど、これはわかって欲しい。そばにいるのが嫌なんじゃない。女の子は、仲間がいないと、死んでしまう生き物なのだ。共感してくれる相手が必要なのだ。一人きりでは不安になって、足がすくんで動けなくなってしまう。
草海をそよがせ、夕風が渡る。
ケネルの腿に横たわった頬に、夕風が少し冷たかった。
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