■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 3話2
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「んねえ、見て見て?」
「……」
「ねーねーねー! ねーってばあっ!」
「……」
ほらほらほらあっ! とエレーンは腕を突き伸ばす。
ケネルは手綱をさばきつつ、行く手を淡々と見つめている。いつものごとく反応なし。
くいくい袖を引いてみるも、それでも、やっぱり反応なし。
彼の視界でうろちょろし、お手々なんかも振ってみる。
それでも、ケネルは反応な──
「あっそお! そーなんだ。そーいう態度とっちゃうわけえ?」
むぅ、とエレーンはぶんむくれる。
「いーわよ別に。だったら、あたし、みんなの前で呼んじゃうもんっ!」
片手を頬に、大きく息を吸いこんだ。
「ケネ(ぴー)──っ!」
ぱっ、とケネルが口を押さえた。
片頬引きつらせて振りかえる。
「君の話を聞こうじゃないか」
たいへん友好的な態度である。
遠 音 〜とおね〜
左の腕をポリポリ掻いて「あのねえー」とエレーンはケネルを仰ぐ。
「かゆい。蚊に食われた」
「だから?」
間髪容れずにケネルは返す。意地悪しているわけではない。隊長は今忙しいのだ。なにせ馬の運転中。
むう、とエレーンはふくれっ面。
「ケネルー! かゆいー! すんごく、かゆいー!」
じたばた騒ぐ。全力で。
「爪でバッテンでもつけておけ」
ケネル隊長けんもほろろ。隊長は今、馬の運転で忙し──
「ケネルぅ〜……」
その懐に寄りかかり、エレーンはしょぼくれて顔を仰ぐ。
しばし動かず、じぃっ、と凝視。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……。あー! もうっ!」
むんず、とケネルが腕をとった。
額に「怒」を貼り付けて、ぷっくり腫れた虫刺されに、ふみふみ×をつけていく。こらえきれずにケネルの負け。
「痛いぃー! もっと優しくぅ〜っ!」
「……む」
ぶんぶん首振るエレーンの毛先に、ビシバシ顔を叩かれて、ケネルはぷるぷる手綱の拳固を震わせる。
だが、はたと気づいて、優しく×をつけ直す。なにせ、部下との移動中。「ケネぴー」などと呼ばれた日には、隊長の威厳はこっぱ微塵……
馬を並べて駆けながら、ファレスは隣を盗み見た。
客はにぎやかにじゃれながら、今日もケネルで遊んでいる。ファレスは怪訝に首を傾げた。
「──変だよな」
まだ、きのうの今日というのに。
なにか反応がちくはぐだ。危機感というものが、まるでない。何度も森で襲われて、連れこまれそうになって尚、ああも、のほほんといられるものか? 大体、あんな目に一度でも遭えば、
「──どんなボンクラにでも、わかりそうなものだがな」
自分が狩りの標的になっている、くらいのことは。
客は、相も変わらずやかましい。あんな目に遭ったというのに、なぜ、平気で喋っていられる。ぺちゃくちゃ一人で。そんなことなど忘れた顔で──。
客はいつものふくれっ面で、ケネルに文句を垂れている。頬を両手で引っ張られ、ケネルは驚愕顔でじたばたしている。鈍感を絵に描いたような男だが、今度は何を言ったんだか──。
ふと、ファレスは顔をしかめた。馬上で客とやり合うケネルに、苦々しく舌打ちする。
『 お前は知っているはずだと思ったがな 』
──どうして、ああも喋るのか。
先日ほうられた、ケネルの謎かけ。あの男は、いつでもそうだ。仄めかしておいて、肝心な答えをはぐらかす。
指示事項は別として、ケネルは何も強要しない。自ら考え、自ら動く、そう相手に仕向けていく。当人は自己の判断だから、誘導されたことに気づかない。意思に基づいた結果と捉える。
結果、ケネルは動かない。懸案事項を各自に振り分け、丸投げしてしまうから、自分の手は常に空き、常に自分は余力がある。考えてみれば、怠慢だ。他人をせっせと働かせ、自分は高みの見物を決めこむ。手の空いた分だけ、まるきり別のことを考えて。まったくもって質が悪い。上に立つ者の器量といえば、それまでの話だろうが──
ふと、ファレスは空を仰いだ。
つ、と頬をかすめた水滴。空は晴れているが。
「──通り雨、か」
常なら無視する程度だが、いかんせん今は、ひ弱な客を連れている。
ケネルが振り向き、案の定、停止の指示を出す。
ややあって、ばらばら降りはじめ、樹海に寄せて馬群を止めた。
豊かな樹海の傘の下、急きょ、部隊は雨宿り。
「──たく。今度は雨かよ」
客を連れて木陰に入り、ファレスは溜息まじりに腰を降ろした。「まったく。ちっとも進みやしねえ」
日程を組んだ都合上、頭の痛いことこの上ない。
またもケネルと引き離され、客は口を尖らせている。
腫れは、すっかり引いたようだ。元通りになっている。まるで何事もなかったように。
不思議なほどの回復力だ、とファレスは密かに感心する。ずっと気絶していた当人は、ゆめ気づきもしなかったろうが、ゆうべ客の唇は、薬物で真っ赤に腫れていた。きのうの一件で用いられた、著名な吸入麻酔剤のせいで。
現場に落ちていたハンカチに、その薬に特徴的な甘い微香が残っていた。分量と吸引時間を誤れば、死に至ることもある劇物だ。即効性で知られるが、実は全くの誤りで、これをわざわざ用意した、連中の誤算もここにある。
犯人の目星はついている。
客を保護した木立の先で、散り散りになって逃げゆく顔に、あの特徴を見咎めた。あれは、蓬髪の首長アドルファスの配下、二班の長とその一派、いわゆる札付きの連中だ。だが、現行犯で捕えたわけではない以上、うかつに苦情はねじ込めない。
今回は穏やかならぬ狼藉のため、さすがにケネルの耳にも入れたが、これはいかな隊長といえども、手出しできない聖域だ。
配下の監理・懲罰については、各隊の首長に権限がある。隊員個人を取り仕切るのは、首長の腹心の役どころ。アドルファスの部隊では、本来カーシュがこの位置だが、あいにく同行していない。とはいえ首長は、日々の些細な雑務には立ち入らないのが通例だ。
そもそも特殊な生業上、通常、この手は黙認の範疇。今回ばかりを騒ぎ立てれば、難癖をつけたとも受け取られかねない。他人の領分を侵さない、これは組織運営における暗黙の了解だ。
捜していた当の客は、風道から左に入った大木の根元に、突っ伏した格好で転がっていた。薬を嗅がされ、目を回したらしい。揮発性が極めて高いこの薬は、皮膚からも吸収され、中毒症状を引き起こす。ただちに上着で包んで身体を暖め、薬を押し当てられた口の周囲を、近くの湧き水で洗浄し、呼吸困難を起こした客に、救急措置を施した。
ぼんやり意識を取り戻した客に「取りこぼした残党の仕業」とケネルは説明したようだが、そんな苦しい与太話を、なぜ、ほいほい信じるのか不思議だ。現場への到着が遅れれば、とうてい無事では済まなかったろうに──。
強くなった雨足が、一面の夏草を叩いていた。
樹海の豊かな傘の下、馬から下りた面々が、低く広くざわめいている。
ふと、ファレスは、人ごみの先に目を凝らした。
怪訝に、腕時計に目を落とす。定時連絡にはまだ早いが──。
ぺちゃくちゃ一人で喋っていた、黒髪の客に目を向けた。
「しばらく、向こうに行っていろ」
短髪の首長と話をしているケネルの方を顎でさす。
むっ、と客が口をつぐんだ。
「えええー!? なにそれ。すんごい失礼なんですけどっ!」
顔じゅう口にして、キンキンわめく。だが、足はそわそわ立ちあがる。
常なら倍返しの反撃はかたいが、言い返すのもそこそこに、背までの黒髪をひるがえした。
ケネルに向かってわめきつつ、そそくさ背中が駆けて行く。「ねー! 今の聞いたあ? 女男ってば、あたしのことを──」
十分離れたのを見計い、ファレスはおもむろに腰をあげた。
先に認めた人影へ歩く。舞い戻った客を見て、ぎょっと後ずさったケネルの顔が見えるようだが、そっちは無視で放っておく。あの途方もないお喋りを押しつけられて、ケネルには迷惑千万だろうが、奴の姿を認めれば、こっちの用向きは分かるはずだ。
野戦服の人ごみの中、一人だけ異なる旅装の男。
「おう、ここだ。ワタリ」
うろついていた馴染みの部下が、振り向き、ただちに駆けてくる。街道の町と部隊をつなぎ、情報を届ける連絡員ワタリ。
寛いだ部隊に一瞥をくれ、ファレスは部下に目を据えた。
「動きが、あったか」
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