■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 3話3
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もえぎ色の葉先を弾いて、雫がまるく零れ落ちる。
空は澄み、何事もなかったような青空だ。
一時、煙るほどに降り敷いた雨は、草木を潤しただけだった。やはり、通り雨であったらしい。
「──間違いねえのか、その話」
ファレスは木陰で腕を組み、飛報をもたらした連絡員のワタリを見た。「どういうことだ、今になって。連中の狙いはなんなんだ」
「わかりません。ですが、確かな情報です。鳥師の話も一致していますし」
「何を考えているんだ、連中は。あんな辺境、今さら落としたところで何がある──」
ふと、口をつぐみ、すばやくワタリに目配せする。
ファレスは怪訝に目を凝らし、額をつかんで脱力した。
(なんのつもりだ。あの阿呆……)
視界の端を、黒髪がよぎった。
真面目な顔で報告する、ワタリの体の向こう側だ。ひょいひょい左右から顔を出しては(こっちこっちィ!)と手を振っている。のほほんと笑う能天気な顔──
苛ついた舌打ちで、ファレスは無視した。
ワタリはぱちくり瞬いて、ぽかん、と口をあけて突っ立っている。「……あの、なにか」
「いや」
憮然とファレスは返事をした。
(──たく。何しに戻ってきやがった!)
あわてて両手を振りまわし、ぴょんぴょん客は飛び跳ねて、何とか注意を引こうとする。知らない男がそばにいるから、近寄ろうとはしないものの──
頬に手を当てた口だけが、ゆっくり無音で動いている。
(なんの用だ!)
苛々目線でファレスは問うた。あの口の形、最初は「や」──
" やっほー♪ 女男ぉ! "
読み取った途端、沸点を超過。
ぎろり、と客を睨めつけた。
「もちっと向こうに行ってろや! あァ!?」
ぎょっと、ワタリが後ずさった。
戸惑い顔で汗を拭き拭き、しきりに首を傾げている。
当の客が、ふくれっ面でやってきた。「えー、だってえ!」
「だってじゃねえ。なんの用だ」
口をとがらせ、後ろ手でうつむく。ふてくさって小石を蹴った。「──別に、そうゆうんじゃないけどさぁ〜」
「──あァ?」
つまりは、暇 潰 し だということか?
ふるふるファレスは拳を握る。
鬱陶しいこの客を怒鳴り飛ばしたいところだが、無理にも心を落ち着かせる。
状況的に、今はまずい。下手につついて、万一アレを聞かれでもしたらコトだ。あの 負け犬 呼ばわりを。
この男は連絡員。情報収集も任とするから、この部隊だけでなく、様々な場所に出入りする。つまり、あることないこと尾ひれがついて、あっという間に知れ渡る。
ワタリの横を大きくまわって、客がそわそわ駆けてきた。
ぴた、と引っ付き、顔を見あげる。「──ねー、女男ぉー!」
腕をつかんで、ぶんぶん両手で振りまわす。
あまりに幼稚な我がままに、とっさに絶句で打ち震えていると、客はぐるぐる周りを回って、せっつくように袖を引く。
(早く行こうよ)の意思表示。
「女男ってばあ!……ねー……ねー! ねー! ねえっ!」
それだけでは飽き足らず、口を尖らせて駄々をこね、強引に注意を引こうとする。
あぜんと客を見ていたワタリも、さすがに困惑した面持ちだ。(どうします?)と上目遣い。確かに、よそ者にうろちょろされては、業務にてきめん支障をきたす。
ファレスは盛大な溜息で、客のふくれっ面に向き直った。「済んだら行くから、あっちへ行ってろ」
「えーっ! だってえー。行ってみたけど、ケネルは──」
「だってじゃねえ! 何度も同じことを言わせるな!」
むっ、と客が口を尖らせて拳を握った。文句たらたら不満顔。だが、ファレスは譲らない。
どうあっても覆らないと見てとるや、
「だったら、いいもん! 女男のばかあ!」
ぷい、と黒髪を振り払い、元来た道へと駆け出した。
一礼して歩き出した連絡員の見慣れた背中を、眉をひそめてファレスはながめた。
「北カレリアに向けて、行軍中の部隊あり、か」
これでは何を置いても、馬を飛ばしてくるわけだ。
思案にくれつつ、集合場所へと引き返す。とりあえず、ケネルの耳に入れねばならない。それなら、ついでに客も引き取れ、一石二鳥で用が済む。
連絡員が持ってきたのは、寝耳に水の報告だった。
かの地ノースカレリアに向け、行軍する部隊があるというのだ。だが、一体どちらの兵だ。
ラトキエか、それともディールの兵か。どちらも同じ青と白の軍服姿で、外見では見分けがつかない。ラトキエが反撃に転じた以上、ラトキエと見るのが妥当だが、丸腰だったラトキエが軍を持っている説明がつかない。
そうだ。そもそも話がおかしい。時間的にも、状況的にも、根城を突かれたラトキエに、軍の翻意を促す余地など、どこにもなかったはずなのだ。
仮に、北上部隊をラトキエとするなら、編成可能な構成は、ラトキエの私兵と、商都に割り振られた警護兵、ディールが急襲した際にラトキエ側に寝返った部隊。他に駆り出し可能な戦力があるとすれば──
ふと、馴染みの輩を思いつく。
「──ああ、賞金稼ぎを活用したか」
職業軍人でないというなら、ああした連中くらいのものだ。荒っぽい真似ができるのは。
賞金稼ぎとラトキエ領家、一見、大きく隔たっているが、両者の間にはつながりがある。
賞金稼ぎが捕獲した賞金首の受け渡しは、カレリア国の首都、商都カレリアで行なわれる。その窓口になっているのが、この国の治安維持を管轄するラトキエ領家だ。
ラトキエとすれば、賞金稼ぎは下請けにあたる。使い立てるなど造作もない。むしろ、日々実践で鍛えている賞金稼ぎは、下手な兵士より腕は上。利用しない手はないだろう。
だが、それだけでは役者が足りない。圧倒的に数が足りない。敵は、ほぼ一国分の軍隊だ。そんな寄せ集めの戦力だけで、対抗するのは無理がある。
ならば、北上部隊はディールの兵か。
あの商都からの撤退劇が、ラトキエを欺く芝居なら──商都から撤退したと見せかけて、どこかで潜んでいたのだとしたら。
北の戦力の奪還が成れば、ディールは南北二つの戦力で、商都を挟撃することができる。
敗走の芝居を打ったのは、隠れ潜む反勢力を、この機に一掃したいがため──。そうした計画なのだとすれば、大陸北方などという鄙びた辺境くんだりから、無理に兵を調達しようとした、あの奇行も頷ける。
元より、カレリアには兵が少ない。まして、大規模な政変に担ぎ出せるような余力など。
領民に害を及ぼさず、北側の戦力を増強するなら、クレスト治領は又とない調達先だ。折しも豊穣祭の開催時期で、どさ回りの旅芸人が幌馬車を連ねて結集している。捨て駒にするには、うってつけの。
だが、事情は当初とは一変した。
ディールの誤算は、対応に苦慮したクレスト側が、北の天幕群──指令棟に助けを求めたことだろう。
駐留中の傭兵部隊が、それを受けてクレストに加勢し、ディールの兵を蹴散らした。結果ディールは、兵の調達にしくじった。むしろ北へ遣わした遠征部隊さえ、予期せず失う痛手となった。
北上部隊をディールとするなら、目的は捕虜の奪還だろうが、こちらの参戦を知った今、強行するとも思えない。だが、仮に敗走兵が、部隊の移動を──街が無防備なのを知ったとしたら──。
この行程には注意を払い、目立たぬよう部隊を二分し、早朝、人目に立たぬよう出立した。行程の進路も、街道ではなく、内陸の原野を選び──それでも、これだけの大人数だ。綻びがないとは言い切れない。事実、盗人やら賞金稼ぎやら、賊徒がうるさく追走している。もっとも、あれは特殊な例だが。
北で壊走した軍兵が、商都に到着した時には、味方は商都を放棄している。
そこには、自ら誘き出した敵の戦力が犇いている。味方の戦力は、その向こうで仕掛ける機会をうかがっている。予定通りに。
そのディール本隊が、北からの友軍の合図を待って、時間稼ぎをしているなら、反撃に出たはずのラトキエが、未だ商都近郊に留まっている不可解な状況も頷ける。
だが、挟撃するなら、北側の戦力が圧倒的に足りない。遠征部隊のあらかたを捕縛された後なのだ。となれば、兵の調達が不首尾に終わり、孤立無援で取り残された、北の残兵はどう動く?
今回、不意打ちされたラトキエには、クレストを攻める理由がない。
そもそも、クレストにかまける余裕があるなら、急務であるトラビアへ、戦力を割り振って然るべき。
ならば、やはり、ディールの再襲とみるべきか──。
「──引き返す、か?」
いや、ケネルは引き返すとは言わないだろう。ノースカレリアがどうなろうが、元より関知するところではない。むしろ、特定の領家に力添えするなど、あり得ない話だ。まして相手が、あのクレストでは尚のこと。今回クレストに与したのは、いわば異例中の異例の珍事。客の要請に応じたのは、あくまでケネルの一存だ。
クレスト領土、ノースカレリア。街には現在、八十からの残留組が居残っている。だが、残留組を取り仕切るギイが、クレストに付くとは考えられない。
壊走兵を掻き集め、再び北を襲撃すれば、ディール側の兵隊は、残留組を上まわる。街の素人連中に、傭兵の相手は無理だから、ディールは今度こそ目論みを──悲願の民兵調達を、達成することになる。
雨あがりの北空を仰いで、ファレスは苦々しく柳眉をひそめる。
あの同じ空の下、片田舎の戦後の街が、今も、のどかに憩っている。行軍のことなど、何も知らずに。
集合場所まで戻ってくると、野戦服の大群が、樹海の木陰で寛いでいた。
耳慣れた賑わいの中、視線をめぐらせ、ケネルを捜す。先に追い払った客の顔も。
ぷりぷり戻って行ったから、今頃は大方、ケネルの腹にでも乗っかって、罵詈雑言の限りを尽くしているだろう。憩っていたところを奇襲され、ケネルの方はいい迷惑だろうが。
「……。どこだ?」
ファレスは舌打ちで見まわした。意外にも、ケネルが見当たらない。普段なら苦もなく──むしろ、向こうから目に飛び込んでくるのに──。
やむなく端から見てまわる。
ふと、それを見咎めた。
木陰の群れの中ほどに、ちょっとした人だかりがある。その中央にケネルがいた。防水シートに手をついて、足を投げて話している。
「──どうなってんだ?」
実に珍しい現象だ。ケネルの周囲が賑わうとは。
二人の首長とウォードを除けば、普段なら、誰も近寄らない。ケネルの方でも、追い払おうとするでもなし。
「バードの女でも来てるのか?」
どことなく雰囲気が浮わついている。何をあんなに集っているのか。
近付くにつれ、人垣の様子が見えてきた。ケネルの手前に、誰かいる。ほっそりと小柄な、旅装の後ろ姿。あれは──
「クロウ、か?」
面食らって見返した。
鳥師クロウ。駐留場所ではまず見かけない、珍しい顔だ。だが、そこだけ明るい色彩は──あの客の姿は見当たらない。
「──ここじゃねえのか」
いささか拍子抜けしてつぶやいた。
ならば、と懇意の首長を捜すが、やはり、中々見つからない。居場所が遠いか、埋もれているのか、似たような身形の大群の中、容易く個人を見分けられない──。
「たく! どこ行きやがった! あの阿呆!」
ファレスは苛々と舌打ちした。ここ最近、こうも手間取ったことなど、なかったはずだが──。
ふと、その理由に気がついた。
ケネルなり首長なりを、捜さずとも見つけられたのは、近くにアレがあったればこそだ。あのけたたましい音源が。
つまり、音源そのものが消えた、ということか?
「──また、うろちょろしやがって!」
苛立ちまじりに大きく嘆息、ファレスは舌打ちで見まわした。
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