■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 3話5
( 前頁 / TOP / 次頁 )
戸惑い、ファレスは目をそらす。
だが、すでに遅かった。
びくり、と薄い肩が震えた。
茂みの向こうで背を向けて、客は無言で立っている。文句を言うでも言い返すでもない。
そらした視線の片隅で、気配がごそごそ身じろいだ。いや、何をしているのかは、見ずとも分かる。今頃あわてて顔をぬぐっているだろうことは。
「──悪りィ」
間の悪さに、忌々しい思いで舌打ちする。
胸が、嫌な具合にざわついた。日頃のふてぶてしさの、かけらもなかった。もろく、か弱く、頼りない。客はあんなに小さかったか?
肩は、あんなに華奢だったか? 手足は、あんなに細かったか?──今垣間見た光景が、困惑した脳裏をよぎる。背を覆う、うつむいた黒髪。白い腕がもちあがり、か細い指が頬をぬぐって──。
ああも周囲が賑わっていては、ケネルに近寄ることなど、できなかったろう。
どちらの首長も配下と一緒で、気後れして近づけず。ならば、と風道に引き返しても、定時連絡は終了し、こちらも場所を移動した後。だから、一人で
──逃げてきた。
やりきれない思いで顔をしかめる。ようやく、今にして合点した。追い払ったあの時に、一瞬見せたあの表情。驚いたような、傷ついたような、そして、途方に暮れたような──。あの客にしてみれば、あわてて捜しまわって、やっと見つけた自分の居場所。だが、駆け寄ろうと伸ばしたその手を、こっちは無下に振り払った。
脳裏で辿った光景に、古い記憶が重なった。
赤い落日。大人ばかりが群れ歩く、日暮れの寂れた天幕群。一日をやり果せた安堵感。気怠い喧騒。蒼い帳にすべてが包まれ、肌寒くなり始めた薄暗い道で、どこかへ消えた母親を、ひとり必死で捜しまわった、怯えにも似た遠い日の焦燥──
「──たく。なんのつもりだ、あのタヌキ!」
世話役を命じた男の顔を思い出し、顔をしかめて小さくごちる。趣味の悪い見世物──とんだ茶番だ。
向かいの茂みが、大きく鳴った。藪を掻き分け、あの黒髪がこちらに出てくる。もう、気は済んだらしい。
そわつきながら一瞥すれば、客はうつむき、目をこすっている。案の定の光景に、ファレスは辟易と舌打ちした。
(──だから嫌なんだ、女ってのは)
下らないところで、どうしようもなく手がかかる。早い話が面倒くさい。持ち前の認識を新たにしつつ、いささか持て余して天を仰ぐ。「──。なあ。おい、さっきはよ」
「もう、参っちゃったわ。だって──」
「だから悪かったって言ってんだろ!」
苛々さえぎり、相手の恨み言の口をふさぐ。
ファレスは気まずく舌打ちした。「話が、長引いちまってよ。手早く片付ける気では、いたんだが」
ゆめ思いもしなかった。今日に限って、ケネルが鳥師を呼びつけようとは──。
客は物憂げに立ち止まり、ぐずぐず目をこすっている。ファレスは憮然と目をそらす。
体中が、むずむず疼いた。それを発散するために、無為に下草を蹴りつける。あの音が、脳裏で鳴っている。
常に耳の奥底で、いつからか鳴り続けている音がある。
どこにいても、何をしても、音は常にそこにある。密やかでうるさいざわめきは、ある時には小さすぎ、ある時には大きすぎ、意識を向けようとした途端、雲散霧消してしまう。押さえつけた指の隙から、するりと逃げゆく逃げ水のように。
空虚な追いかけっこの顛末は、あたかも己の影法師。捕まえることは決してできない。足元に在るのはわかっていても。
音が、不意に跳ねあがった。
普段は低いくすぶりが、一気に飛散、拡張し、羽音のようなざわめきが頭の中を覆い尽くす。高く、低く、それはうねって、うるさいくらいに膨張し、頭の中を占拠する。
耳障りなあの音に、思考がすっかり遮蔽される。そのもどかしさに、苛立ちばかりがいや増しに募る。
刹那、激しい衝動に駆られた。
──客を懐に引きずりこんで、いっそ、あの口ふさいでやろうか。
うつむき、目をこすっていた黒髪が、ぱくぱく口を動かした。
「×××××」
怪訝に、ファレスは客を見る。つむじの下から、小声が漏れた。
「メ、イタイ」
拍子抜けして見返した。「……め?」
もしや、今のは「目」が「痛い」か?
「もー、さっきから、とれなくってえ」
──とれない?
目が?
指で目尻をぬぐいつつ、客は口を尖らせる。「なんかさー、入っちゃったみたいなのよねー。目に砂が」
ファレスは顔をゆがめて固まった。客は涙目で文句を垂れる。
「んもー。これだから未開の地っていうのはぁ。ほら、あたしってば都会派じゃない? こーゆー所って向いてないのよねえ。だって、道はぐちゃぐちゃだし、ずるって滑って転びそうになるし、茶店とかないし、蚊とかいるし、虫とかいるし、蛇とかいるし──あー! もーっ! まだとれないっ! 砂のやつぅ!」
「……。てめえ」
ファレスはわなわな拳を握る。
「あれ? そーいえば」
客が顔を振りあげた。
散々こすって潤んだ瞳で、きょろきょろ木立を見まわしている。「なんでいんの? あんたがこっちに。──あ、なに? もしかして、あたしのこと迎えにきてくれたり?」
しげしげ見あげたその顔は「なんか用?」だとか「何してんのー?」だとか、そんなようなことを言いたげだ。
にまっと笑い、ぽん、と気楽に腕を叩いた。「やー。お迎えご苦労」
「紛らわしい真似してんじゃねえっ!」
ぎょっと客がたじろいだ。
「なっ──なによなによ、どしたのよ。なんで、あんたが怒るのよ? てか、なんで、あたし、怒られてんの? あたしが一体、何したっていう──」
「やかましい! 何度言ったらわかるんだ! 一人で森をふらつくな! 俺に無断で姿を消すな!」
ぽかん、と客が口をあけた。むっ、とふくれて腕を組む。
「はあ? どーやって断れってのよ! どこ捜しても、あんたいないし。大体、あんたが言ったんでしょうが、あっち行けって! だから散歩してたのに、どーしてあたしが、怒られなくっちゃなんないわけ!?」
「言ったろうが! 勝手に森には入るなと! 危ねえ獣がうようよいんだよ! 一体何を聞いてんだ!」
「なあによ! 口を開けば危ない危ないって! あんただって、いるじゃん、ここに!」
「てめえと俺を一緒にすんなっ!」
ぷい、と客がそっぽを向いた。
両手を振って、ぷりぷりしながら歩き出す。見向きもしない黒髪の背中で「なにそれ横暴! もー信じらんないっ!」と聞こえよがしにあてつける。
ずかずかファレスもついて歩く。
「たく! 本当にてめえはろくなことしねえな! その背中斬られた時にも、考えなしに飛び出しやがって!」
むっ、と客が、髪を払って振り向いた。
「だから! 何度おんなじこと言わせんの! まさか斬られるとか思わないしっ!」
「──だからっ! だったら、どうなると思っていたんだっ!」
「んもー。あんたってば、ほんと信じらんない。なによ、女男の怒りんぼ。あんたってほんと、わけわかんないっ!」
「てめえにだけは、言われたかねえよっ!」
高い梢が、さわさわなびく。
昼の樹海の泥道に、静かに木漏れ日が降りそそぐ。陽がたゆたい、風が涼やかに吹き抜ける。
「なんで性懲りもなく、歩きまわりやがる! 襲われたばっかりだってのに!」
「だあってえ」
「だって、なんだ!」
「もう捕まったでしょ? 強盗は」
「──それは、そうだが」
ぐっ、とファレスは返事につまった。ふふん、と客がすかさず見やる。「なら、気にすること、ないでしょ別に。あんたって案外 小心 ね」
ぎりぎり、ファレスは歯噛みした。
「──。たく! 畜生! 道悪リィなっ!」
舌打ちで、水溜りを蹴り飛ばす。先の森での一件には、深入りしたくない事情がある。
ちなみに今ので"負け犬"スキルが、確実にランクアップしたはずだ。
「ぐっちゃぐちゃじゃねえかよ! 地べたがよっ!」
「知らないわよそんなことっ! そんなの、あたしのせいじゃないぃーっ!」
ぷい、と殊更にそっぽを向いて、客はずんずん歩いていく。実に小憎らしく、刺々しい態度だ。
「──おい、そこのミンミンぜみ!」
ファレスは苛立ちを押し殺す。「その態度はねえだろう。そもそも、事の発端は、いつでも、あんたが、勝手に──」
ぎろり、と客が肩越しに睨んだ。
「ふんっ!」
ぷい、と背までの黒髪を払って、すたすた勝手に歩き出す。
「──てっ、てんめえ──じゃじゃ馬ぁ〜!」
ぶちり、と何かがブチ切れた。
「てめえ、ちょっと、そこ座れや!」
びしっ、とファレスは地面を指さす。部下なら到底ありえない態度だ。
「──て、こら待てっ! 待てっつってんだオタンコナス!」
客はすたすた、勝手に我が道を歩いていく。
「てめえは何を聞いてんだ! 勝手に行くな、と今言ったばかり──て、聞けっ! 話を!」
両手の拳をぶんぶん振って、客はぷりぷり歩いていく。足を止める気配もない。
ファレスはわなわな絶句した。完璧にナメられている。客は余裕で無視の態度。もう、返事もしやしない。あっさり通過で置き去りにされ、副長の威厳はこっぱ微塵。
もっとも客は部外者で、いわゆる実効範囲外。権力ピラミッドの三角斜面で、日々睨みをきかせる副長でも、ひらひら気ままに飛びまわる蝶々なんかが相手では、捕まえるだけでも至難の業。まして、そんな心許ないもの、しかと捻じ伏せるには難がある。
「──勝手にしろ!」
とうとう、ファレスは怒鳴りつけた。いや、怒鳴っていたのは初めからだが。
ぴた、と黒髪が足を止めた。
半身ひねって、くるりと振り向く。なぜか口を尖がらせて、ずい、とふくれっ面で腕を組む。
「なによお、ついてこないでよお。あんた、あたしの追っかけなワケ?」
「──同じ方向だろうが! てめえとは!」
あまりにも憎たらしいから、大人を縦に並べて三人分、きっちり開けて歩いてやる。機嫌をとる義理などない。
どこかで、蝉が鳴いていた。
雨でぬかるんだ風道には、大小様々の水たまり。濡れそぼった茶色の落ち葉が、いくえにも敷きつめられている。
小柄で華奢な客の背は、すたすた勝手に歩いて行く。ふてくさって見向きもしない。
後について行きながら、ファレスはむかむか客をながめる。
(たく! なんて神経の図太い女だ)
なぜ、ああも平気でいられる。
今こうしている間にも、敵の捕虜になった自分の亭主が、危機にさらされているだろうに。亭主の顔など、とうに忘れてしまったか?
振り向きもしない女の背を、つくづくファレスはながめやる。トラビアへ連れて行け、とケネルを泣き落としたのは誰だというのか。女というのは、つくづく不思議な生き物だ。一見か弱そうに見えるのに、何を考えているのか、得体が知れない。
深い樹海に風が吹き、高い梢がさらさら鳴る。
音が、耳に戻っていた。いつからか鳴り続けているあの音が。
ファレスは不愉快な気分で舌打ちする。無数の羽虫が羽ばたくような、何かが軋んでいるような、耳ざわりな嫌な音。いつの間に居付いてしまったのか。これを拾ってきたのは、どこだったか。
見るともなしに客をながめて、ふと、ファレスは眉をひそめた。
(……こいつ、いやにうるせえな)
奇妙な雑感に囚われる。かつて見ていた光景が、だが、確かに見ていたはずなのに、"何"であるのか分からない。焦れったく、歯がゆく、もどかしい。嫌な感じに胸がくすぶる。
『 知っているはずだと思ったがな 』
声が、淡々と脳裏をよぎった。引っかかったままの、ケネルの謎かけ。
『 あの客が、どうしてああも喋るのか 』
ファレスは苦々しく舌打ちする。「──知るかよ、俺が。そんなこと」
方々にできた水たまりに、晴れた青空が写っている。黙々と歩く行く手には、雨に叩かれた茶色の泥道。さっき客は、うつむいて目をこすっていた。砂が目に入った、と──。
なにが、そんなに引っかかるのか。勝手に光景を反芻している。あれは勘違いのはずだった。泣いているように見えたのは。だが、理屈の上では納得しても、頭のどこかが納得していない。
思えば、初めから変だった。あの客の言動は。気丈を超えたはしゃぎっぷリ。忘れてきた痛み止め。いつもどこか上の空。謂れのない、あの癇癪──。
先の雨に暴かれて、土の匂いが、むっとする。
沿道の緑が、雨に打たれてうなだれている。あたり一面に光る露。大気が溶けた雨の匂い。先の雨で湿気った服が、肌に張りつき、気持ちが悪い。
通り雨。湿った空気。濡れそぼった樹海の木立。雨を含んだぬかるんだ道……
──ぬかるんだ?
はっ、とファレスは息を呑んだ。
高い梢が、さわさわ鳴る。
「──あの意地っ張りが」
客の背中に目を据えて、眉をひそめて舌打ちした。
「飛んでくるわけ、ねえじゃねえかよ。こんな雨あがりに──」
砂なんか。
オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》