■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 3話6
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さんさん、降りふるうららかな陽。
上下に揺られる、規則正しい振動。よだれの垂れそうな惰眠から、ふっと唐突に引き戻される。
「ねー。ケネルぅ〜」
「……」
上目使いで呼びかけるも、ケネルは今日も無反応。
もっとも手綱を握りつつ、ひくりと頬が引きつったが。ぱたぱた手のひらで顔を扇いで「あのねえー」とエレーンは寄りかかる。
「なんか、暑っつい、さっきから」
ケネルは無言。いつものごとくに。
あたかも聞こえていないような素振りであるが、しかし、そんな訳がないんである。なにせ、ぴったり張りついたこの近距離。そう、隊長の得意技、ひとよんで必殺「知らんぷり」作戦発動中。知らんぷりさせたら天下一品。世の中広しといえども右に出る者なし──と周囲を唸らせるほどの御仁である。
エレーンは構わず、ぐいぐいケネルのシャツを引っ張る。「んねーケネルぅ〜、ケネルってばぁ〜」
「……」
「むっ!?──ちょっとお! 返事くらいしてよ! ねーっ! ケネルぅ!」
「……」
「ねーってばあっ!」
「……。殺す気か」
むぎゅっ、と引っ張られて首が絞まり、ケネルが渋々声を発した。
そう、なにせ奥方様は、返事をするまでしつこく呼ぶ。ちなみに、耳元で絶え間なくわめかれて根負けしたのも事実だが、一番の理由が何かといえば、むに──っと頬を又も引っ張られそうになったからだ。
ケネルは何気に身を引いて、顔をゆがめて警戒している。そろそろ実害が出そうな雲行きだ。
「もー遅いぃ〜!」と文句を垂れているふくれっ面に、心底渋々目を向けた。「なんだ」
「だから、あっついぃ〜!」
「まだ、ここは北方だ。暑いというほどの気候では──」
「でも、あっついもんっ!」
これ見よがしに顔をぱたぱた、エレーンはじたばた抗議する。「あっつい! あっつい! あたし、あっついぃ〜っ!」
「我慢しろ。夏が暑いのは当たり前のことだ」
ケネルがつれなく、そっぽを向いた。ちなみに、つれない態度とぶっきらぼうな口調は、この隊長の仕様である。
「やだっ!」
むっ、とエレーンはふくれっ面。
「ねー! あっついぃ〜! あっつい! あっつい! あっついぃ〜!」
ぴーちくぱーちく大合唱。グーに握った拳固を振って、ぐるぐる回りかねない勢いで。
はぁ〜、とケネルは天を仰いだ。しばし、うんざり駄々っ子をながめる。
肩を落としてうなだれた。
「──ファレス。休憩にする」
馬から降りて、荷物を漁り、ケネルは馬体にかがみこむ。
「ねー、ケネルぅ〜。お風呂ぉ〜」
「オフロ?」
怪訝に目線を振りあげる。「風呂がどうした」
「だからあ〜! あたし、お風呂に入りたいぃ〜!」
むくり、とケネルは肩を起こす。
「またかー!? あんたはー!」
ひくり、と頬を引きつらせて一喝。
「トラビアの方はどうすんだっ!」
そうだ。のんきに風呂になんぞ浸かってる場合か。あわれ囚われの領主はどうなる!?
「だあって、頭とか洗いたいしぃ?」
いじいじ髪をいじりつつ、エレーンは口を尖らせる。「なんかベトベトして、嫌なんだもん」
「だったら、次の休憩で洗え。川の近くで止めてやる」
「えーっ! 川ぁ!?」
ふくれて、エレーンはぶんむくれる。
「そんなの嫌だもん川なんてぇ! あたし、洗濯物でも野菜でもないもん! 大体、川でなんか水浴びしたら、絶対あたし風邪ひくもんっ!」
「今は夏だろうがっ!」
そう、紛うことなく今は夏。わざわざ川に繰り出して、水浴びしちゃう季節である。
ぷい、とエレーンはそっぽを向く。
「やだっ! ちゃんとお風呂がいい! あたしのお肌デリケートだもん!」
「……。(嘘をつけ)」
ケネルは顔をゆがめて口をつぐんだ。背中を軍刀で斬りつけられて、ピンピンしているのは誰だというのだ。
中断していた作業を再開、ケネルは馬に放牧用の足枷を取りつける。
「あのねえ、ケネル、あたしねえ〜」
「──こら。馬の後ろに立つな。蹴っ飛ばされるぞ」
「なら、温泉行きたい! あたし、温泉っ♪」
馬を放して立ちあがり、ケネルは呆れ顔で腕を組む。「どうして単なる思いつきで、我がまま放題ぬかすんだ。あんたが急げと言うから、こうして──」
「この辺にもあるんでしょー? ね? この近くの森の中に。だからさ、んねっ?」
「──聞けよ! 話をっ!」
顔じゅう口にして、両手を広げる。「ねー! 温泉っ! 温泉っ! 温泉っ!」
「だめだ!」
怒号の一喝でケネルは却下。すたすた原野を歩き出す。
むぅっ、とエレーンは口をとがらせ、わたわた歩いて横に並ぶ。「なによ意地悪っ! いーじゃないっ!」
「だめだ。無謀だ。論外だ」
ぷぷいっ、とケネルは横を向く。
「あっそお!」
世間一般ではこの台詞、「はい、わかりました、さようなら」との了解を含む決別の意思表示だが、彼女の場合はさにあらず。
「いーもん! だったらあたし、言っちゃうもんっ!」
息を吸い込み、片手を頬に、大きく口をこじ開けた。
「ケ(ネぴ―)──」
「だめなものは、だめだっ!」
発声と同時に口を封じて、ケネルは密かに拳を握る。(よし、勝った──!)
ちなみに、腹から声を出すのがコツである。
「あんたな。森の中の温泉が、どんな場所だか知っているのか」
ちら、と思わせぶりに連れを見た。
「虫 が出るぞ?」
ぎくり──とエレーンは氷結した。
かくゆう昨日の深夜にも、アレと遭遇したばかり。
カサカサカサ……とゲルの暗がりに黒い虫。そして即座にエレーンは、ゲルの丸壁をぐるぐる疾走。とばっちり食うのはケネルである。悲鳴と罵声を浴びせられ、阿鼻叫喚の地獄絵図の中、家具の裏手を逃げまわる敵と、明け方近くまで闘った。
「森だからな。うようよいるぞ? 虫もいるし、蛇もいる。なんなら蛇と混浴するか?」
むう、とエレーンは引きつり黙った。そう、なにせ露天風呂。草葉でうごめく有象無象の数たるや、ゆうべの黒虫の比ではない。
「どーして、そーゆーいじわるなこと言うかな!?」
せめて、拳固で睨めつける。
「ケネルのいじわるっ! ケネルの石頭! ケネルの、ケネルの──( 似たような罵倒が、いっぱい続く )──!」
はい、終了〜と手をはたき、ケネルはすたすた歩き出す。
「ねーねーねー! でもさー! やっぱさー!」
シャツの後ろを引っ張って、エレーンもぶちぶちついて歩く。ちなみに、白いズボンのその尻には、くっきり茶色く乾いた土。早速、転んできたらしい。
「いーじゃん! いーでしょ!? ねーねーねーっ!」
うららかな原野にぐるぐる回る、追いかけっこ集団発生若干二名。
「──んもーっ! なんで、だめなのよー!」
「なんでも何も、負傷しているだろ、あんたは背中を」
「平気だってば、そっちは全然! お風呂なら何度も入ってるし」
ぎょっ、とケネルが振り向いた。「──嘘をつけ」
「嘘じゃないぃっ!」
ふんっ、と踏み出し、エレーンは対抗。
ケネルはまじまじと見おろした。
あ、さては──と腕を組む。
「医者の指示くらい、大人しく聞け!」
「入っていいって言われたもんっ!」
あぜん、とケネルは瞬いた。「……医者が、そう言ったのか?」
「そーよ?」
「本当に許可を──」
「そーよ!」
「本当に医者が許可したのか? あんたが 脅迫 したんじゃなくて?」
「──もー。だからあ〜! しつこいケネル!」
エレーンはじれて拳を握る。
「さっきから、あたし、そう言ってるでしょ。大体お風呂は入っとかないと、汗臭くなっちゃうし。──もーほんと失礼しちゃうぅー。あたし、そんなに不潔じゃないもん」
ぽかん、とケネルは立ちつくす。
戸惑い顔で目をそらし、眉をひそめて舌打ちした。「──ウの奴!」
「なに? 今なんてったの?」
覗きこまれて、ぎょっ、と飛びのく。「──別に。それより、何ともなかったのか、湯になんか浸かって」
「もお! だから平気だって言ってんでしょー?」
得体の知れぬものでも見るような目つきで、ケネルはしげしげ顔を見ている。
はた、と気づいて首を振った。
「──いいや、だめだ。そんなもの。露天の水なんか、何が湧いてるか知れないんだぞ。万一それで化膿してみろ。取り返しがつかなく──」
「だあって、あっついから汗かいたもんっ! ドロドロの道歩いたから、汚れちゃったもんっ!」
「あんたが勝手に行ったんだろうが!」
そうだ。誰もそんなこと頼んじゃいない。
「でっもお〜。街を出てから、全然お風呂とか入ってないしぃ。だから、頭とかペタペタになっちゃってるしぃ──」
ぐい、と頭を引き寄せて、ケネルはくんくん匂いを嗅いだ。
「大丈夫だ。まだ臭くない」
「く、くさ──!?」
エレーンは頬をひくつかせて絶句した。「なに!? その、まだってえ……!?」
「さっ。休憩だ休憩」
すたすたケネルは木陰に歩く。
ちら、と肩越しに振り向いた。「……少しは大人しくしていてくれよ」
むう、とエレーンはケネルを見据えた。
「絶―対っ、あたし、温泉に行くっ!」
「いいじゃねえかよ、行かせてやれば」
快活な声が割りこんだ。
ふと、エレーンは振りかえる。
「──ああ〜、バパさあん」
とろけそうに顔を赤らめ、へらへら途端に笑み崩れる。
バパはぶらぶら近づいて、樹海の豊かな緑をながめる。「付近にあったろ。ほら、きれいな源泉が。あれは中々お勧めだぞ。確か、少し戻ったあの先を右に──」
ぎょっ、とケネルが見返した。「──あ、いや、それは」
「おすすめっ!?」
きらん──! とお目々がきらめいた。
「いっや〜ん! 行きたあいっ! あたし、そこ行ってみた〜いっ!──ね! ね! おすすめおすすめっ!?」
「だめだ」
ケネルはしかめっ面で首を振る。
「げんせんっ♪ おすすめっ♪ たっのしみぃ〜♪」
「だめだ」
「いーでしょ? きれいだって!」
「だめっ!」
ぷい、とケネルはそっぽを向いた。
「えー!? どしてよケネル。ねっ? ねっ? ねっ!? だあって、ほらあ! あたし今、怪我人してるとこだしさあ!」
「……」
「行きたあーい! 行きたあーい! そこ行きたあーいっ!」
キンキン声に顔をしかめて、ケネルは溜息まじりに目を向ける。「急ぐんじゃなかったのか」
「いいじゃねえかよ、少しくらいは」
ケネルの渋い仏頂面を、苦笑いでバパは見る。
「この子は俺たちとは違うんだぞ。こんな夏場だ。何日も湯浴みができないんじゃ、若い娘には辛いだろう。少しはその辺りも察してやれよ」
ぴょん、とエレーンは首長の首に飛びついた。「んーっ! バパさん大好きぃっ♪」
「──おいおい、そうくっ付くな。きれいな服が汚れるぞ」
苦笑いの頬にすりすり頬ずり。じりっ、と涙目で後ずさる。「バパさん。おひげ痛ぁい……」
「だから言ったろう、くっ付くなって。服だって、埃と汗で汚れているし」
「こんなに、しょっちゅう寄り道していちゃ、いつまで経っても、辿り着けやしないぞ」
憮然と、ケネルが腕を組んだ。「ただでさえ遅れが出ているのに」
「まったく、お前は、頭が固いな」
──なにおう!? とケネルが拳固を握って振りかえる。
にやにやバパが顎を出した。「"ケネルのイジワルぅ〜ん♪"」
「──あんたまで、なんだっ!」
「先はまだまだ長いんだ」
穏やかに、バパが目を向けた。「骨休めしたって、バチは当たらんだろ」
「だが、背中に傷が──」
「ふさがってんだろ傷なんか。どけだけ経ったと思ってんだ」
「──いや、だが」
「切り傷に効くぞ? あそこの湯は」
ぐっ、とケネルが反論につまった。
「知ってるだろうが、お前だって。この辺りの遊牧民も、湯治場として使っている」
「──それは、そうかも知れないが」
「何がそんなに問題なんだ」
ついに、バパが呆れた顔でつくづく見やった。「それに、のんびり湯にでも浸かってくりゃあ、いい気晴らしになるってもんだ。ああ、それとも──」
ちら、と探るようにケネルをうかがう。「何かあるのか?」
「何かって何が」
「だから、まずい事情とかさ」
「──別に」
憮然とケネルは言い返し、忌々しげに視線をめぐらす。「俺は、さっさと先へ進みたいだけだ。──ファレス!」
「えーっ! 女男ぉ?!」
ぎょっ、とエレーンは目をみはった。
ギッとケネルが目を向ける。「選り好みをするな!」
「でっもーおっ!」
「でも、じゃない! 我がままを言うな! あいつと行け!」
「えええーっ!」
ぶちぶちエレーンはふてくさった。
ちらと目を向け、ぱっと首長にしがみつく。「なら、あたし、バパさんがいいっ!」
「だめだ。首長はそんなに暇じゃない」
むず、とケネルは首根っこつかみ、べりっ、と邪険に引っぺがす。
ぷい、とエレーンはそっぽを向いた。「なら、ケネルにする」
「……あ゛?」
「だったら、あたし、ケネルがいいっ!」
わなわな拳を震わせて、ケネルが顔を振りあげた。
「駄々をこねるな! あんたはガキか! ファレスと一緒に行ってこい!」
「やだっ! 絶対やだっ! だって、あいつ、あたしのこといじめるもんっ! ケネルがいいっ! ケネルが来てっ!」
「──いい加減にしろ! 俺は寝るっ!」 ←注・寝不足
「おう。とっとと行くぞ」
冷めた声が割りこんだ。
え゛、とエレーンは振りかえる。
あの見慣れた長髪が、くわえ煙草でながめていた。今話題の副長ファレス。
「な、なによ、あんたっ。いつから、そこに……」
とっさにたじろいだその前に、にこりともせずに、ファレスは近づく。
「ケネルの気が変わんねえ内によ」
……む? とエレーンは口をつぐんだ。
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