■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 4話9
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「……なんで、コイツがここにいるんだ?」
翌早朝、鳴き交わす朝鳥達の清々しい呼び声で目覚めた寝床で、ケネルは( 又かよ…… )と懐の異物を見下ろしていた。仰臥の肩下に頭を預け、胸の上全面にもたれかかって大の字で寝ている奴がいる。誰憚ることなく両手を伸ばし、ヨダレを垂らさんばかりに大口開けて。
「たく、どうりで寝苦しいと思ったぜ……」
欠伸(あくび)の溜息でケネルはごちる。呼吸を行う胸の上に事もあろうに人の頭と上半身が乗っていた、というのだから、当たり前といや当たり前の話だが。
そう、そこにいたのは誰あろう、北側の寝床で寝ていた筈のクレスト領家の奥方様である。ケネルの腹から脚を覆い隠しているのは、繊細なレースや薄いフリルがたっぷりとあしらわれたお姫様仕様の真っ白いネグリジェ。もっとも、このドレープたっぷりのロマンチック・テイスト満載ナイトドレスはいささか夢見がちな自己陶酔のキライがあって、悪くすると同性から失笑を買っちまいそうな代物であるが。因みに無頼を誇るケネルではあるが、こういう甘々ドレスは嫌いではない。むしろ好き。
掛け布のめくられた空っぽの寝床を、寝起き眼(まなこ)で眺めやり、ケネルは己の上の安らかな大口を見下ろした。室内を見回し後ろ頭をボチボチ掻く。奥方様は両手両脚のびのび投げ出し、実に堂々とした熟睡っぷり。あたかも枕代わりにされているかのような感がある。もっとも、そうした傍迷惑な事情の一方、明け方、布団でぬくぬくしていた寝起きのケネルが(
なんか、いつもより、あったかい…… )と寝呆けた感想を抱いていたのも救いようのない事実であるが。
構わず上半身をムックリ起こせば、肌触りの良い白い寝巻きがサラサラと心許なく滑り落ち、ドレープの中の本体だけが膝の上へとずり落ちる。寝ている本人にしてみれば体勢が大きく変わった筈だが、それでも目覚める様子はカケラもない。ふわりと軽い夜着の裾が膝の上まで捲れ上がっていた。実に悩ましい風情である。と更にその上、熟睡中の居候が、うーん……と煩そうに寝返りを打った。ゴロリ、と横臥で横たわる。伴い、腰のフリルがふわりと払われ、「く」の字に折り曲げた二本の脚が至極唐突に、にょきっと出現。見るとはなしに目を向けて、ケネルの視線は、ピタ、と釘付け。起伏に富んだ実に魅惑的な曲線である。透けるように薄い純白のフリフリにベスト・マッチ。そして、
「……いちご、だな」
ケネル隊長、しっかり確認。凝視しつつも、うむ、と頷く。結構真面目な顔つきで。フリルの下から際どく覗くは、すらり、と伸びた滑らかな脚。常時露出されている顔や腕とは事情が異なり全く日焼けしていないから、妙に生っ白く生々しい。このロマンチックな寝巻きにしても元がフリフリであるだけに、もう、こうなるとアレだ。まるっきりベビードールというヤツで──。
そうして時を止めて三秒後、はっ、とケネルは我に返った。寝巻きの体を引っ抱え、周囲の無人をキョロキョロ確認。無論こんな朝っぱらからギャラリーなんかが居よう筈もなく、鳥声が微かに聞こえるだけの室内は爽やか過ぎるほどに静謐で、朝の清らかにしてピュアな光に満たされている。額の冷や汗を腕で拭って、ケネルは、ほー……っ、と息をついた。凝視していただけではあるが、悪事が見つかっちまった心境である。寝巻きの裾を、むんず、と掴んで爪先に向けてぶん投げた。そう、思えば、ふわふわ揺れるこの寝巻きこそが全ての乱調の元凶なのだ。因みにこういうアレは嫌いではないが。
「……誘惑すんなよ」
ケネル隊長、口を尖らせ、膝上にクレーム。もっとも、大口開けてガーガー寝ている本人にその気がないのは明らかだが。すやすや眠る膝の上の寝顔はまったく無防備そのもののだ。他人様の腹を枕にし、投げ出した両腕を左右の腿に持たせかけ、安心しきっている様子。それにしても、こうも何度も寝床に潜り込んで来るとはこの女……。いささか疑問が湧いてきて、ケネルは首を傾げて眺めやる。こやつ、いったい、
ここを何処だと心得ておるのだ?
危惧も矜持も十分にある自覚たっぷりのケネルにすれば、こうもあからさまに侮られると、少々複雑な心境である。もっともこれは、巷で袖引く妖艶な女達とは違って目の前チョロチョロされようが至近距離でじゃれ付かれようが、おいそれとはヤバい気分にならないのが救いといえば救いだが。そう、敢えて括れば昨日のガキどもと同じ部類。──内心でそれを確認し、ケネルは、うむ、と頷いた。そう、そういう切迫した事態は精々、
( 三日にいっぺんくらいだな…… )
熟睡している両腕を自分の左肩に引っ掛けて、もたれかかった軽い体を背負い上げるようにして引き摺り上げる。両の膝裏を左腕で支え、空いている右手で背中を支えて、いわゆる子供抱きの体勢で立ち上がる。ケネルはすたすた歩き出した。向かう先は、言わずと知れた北側の寝床だ。
己の陣地への侵入者を、今日もセッセと本来在るべき場所へと運ぶ。昨晩、" とある事 " をしていた彼女を寝惚けて引っ張り込んだ所業など爪の先ほども覚えていない今朝方のケネルである。夜気に冷えた絨毯を踏みしめ、中央に設えられた土間を迂回し、正しい寝床に辿り着くと、半端に捲れ上がっていた上掛けを「たく。寝惚けてんじゃねーよ」と爪先で脇に蹴り退けた。行儀は悪いが生憎と、両手が荷物で塞がっているんである。柔らかな夜着の体を下ろすべく、ひんやり冷たい北側の寝床にケネルはゆっくり片膝をつく。肩に担いだ脇を持ち、しな垂れかかってくる正体のない体を引き剥がして、左手で支えた寝巻きの脚を冷えた寝床に伸ばし置く。さっさと寝かせてしまおうと、左腕に寝入った彼女の寝顔を振り向いて──
動きを止めた。
支えた左の腕(かいな)の中で、彼女は首を落として仰向いていた。両の瞼は閉じられて、軽く口を開けている。直毛の前髪が零れ落ち、傷一つない額が覗いた。過剰なほどに様変わる日頃の表情が剥ぎ取られると、顔本来の造作がよく分かる。絶世の美女と賞賛するほどの容姿でもないが、見るに耐えぬほどにお粗末だという訳でもない。かつて領家の使用人に選抜されただけのことはあり、まずまず整った顔立ちと言えるだろう。たいていのカレリア人の女がそうであるように卵形の顔で彫りはそれほど深くなく、肌は白く、きめが細かい。もっとも、このところの移動で真夏の日差しに晒されているから、出会った当初に比べれば大分日焼けはしているが。目覚めている時に感じるほどには生意気そうな顔でもなかった。目元のきつい同族の女達に比べ、カレリア女はやや童顔に見えるせいか、いつぞや副長が言っていたように、こうして大人しく眠ってさえいれば可愛い顔に見えなくもない。そう、己の膝に細い腕を持たせ掛け、無心に眠りこける素直な顔を見ていると、遊び疲れた幼い少女のそれのようにも見えなくもない。
軽く口を開けた頬っぺたを人差し指で突付いてみれば、煩そうに眉をひそめて懐側に顔を背けた。直毛の髪がサラリと揺れる。起きる気配は全くない。ケネルは表情を崩して苦笑いした。それにしても、こうもあっけらかんと眠っていると、形容し難い奇妙な気分になってくる。それを敢えて言葉にすれば「余裕」というのが近いだろうか。そう、正体もなく眠りこけた無防備な相手に対して、今、自分は圧倒的な優位にいるのだ──。
軽い体重を左腕で支えて、ケネルは引き寄せるようにして身を屈める。腕(かいな)の中にはしなやかな髪と柔らかな体温。寝入った頬に唇を寄せる。ラトキエの反撃を知らせる為に深夜の居室に赴いたあの晩、彼女はこの自分の前でだけ弱みを見せた筈だった。助けてくれ、と泣くつく先は常にこの懐だった。これまではいつだって、危なかしい足取りではありながらも己の足だけで立っていたのだ。なのに世話をさせた副長にまで泣きついたことが気に食わない。
滑らかな肌の感触を味わうように、ケネルはそっと目を閉じる。力なくシーツに落ちた彼女の左手の薬指には婚姻した証であるところの真新しい銀のリングが光っているが、彼ら《 遊民 》達の関心はそうしたことにはごくごく薄い。
目の前の異性が " 法的に " 誰のものであろうが、彼らには何ら関わりのない話だ。結婚とはつまるところ、管轄の役所へ " 届出 " し、社会的な" 承認 " を受けることであるが、何処の国にも属しておらず、故に何処の国とも国交がなく、カレリア国法の保護下にもない彼らには法令遵守の義理はない。無論これは彼らが際限なく獣のように無節制だということを意味するものではない。集団に属していれば、それなりの社会性は当然あるが、国というものには所属しない彼らには、さして興味も関心も引かない話だというだけのことだ。在るのは常に一対一の互いの意思。必要なのはそれのみだ。そして《 遊民 》と呼ばれる集団の歴とした一員であるケネルにしても、そうした認識の例外ではない。
ケネルは仰向いた頬に頬摺りした。顔を僅かに傾けて軽く開いた桜色の唇へと啄(つい)ばむようにして唇を寄せる。だが、触れたか触れぬか、その間僅かを残したところで、ふと目を開けた。
我に返って、ぴくり、と顔を強張らせ、ぱっと顔を振り上げる。優しくも怪しい抱擁から一転、ぶん投げるようにして寝床に落とすと、すぐさますっくと立ち上がり、ゲルの戸口へあたふた向かった。布団の組の上掛けを腹に掛けてやるのも省略して。
ここにいるのが誰であるのか唐突に思い出したようである。履くのに手間取る編み上げ靴を爪先だけでぞんざいに突っ掛け、取る物もとりあえずゲルを出る。冷えたフェルトを片手で押しやり、戸口を慌しく潜り抜ける。
「──あ、危ねえ」
ゲルの壁にピタリと張り付き、ケネルは、はー……、と脱力した。己で己がさっぱり信じられない今日この頃である。もしかすると、昨日、調子に乗って珍しく子供を構ったものだから、あの時のフレンドリーなノリが体のどこかに残っていたのかも知れない。もっとも、アレはあれらの年端もゆかぬガキどもとは違う。どんなに気安くじゃれ付いて来ようが、懐の中に潜り込んで来ようが、可愛がるにも限度がある。そんなことは百も承知だ。その筈なのだが──。
気分を落ち着けるべく晴天を仰いで深呼吸。突っ掛けた靴先で草地の地面をトントン蹴って、足を靴の中に入れようとして、ケネルはふと気が付いた。
「……サンダル?」
左の足は自分の靴だが、右足に突っ掛けているのは茶色のくたびれたサンダルだった。恐らくはゲルの住人が気を利かせて靴脱ぎ場の片隅に用意しておいてくれたものなのだろうが。やれやれと頭を掻いて、ケネルは背後のゲルを振り向いた。こんな時になんたる失態。今の今で中に戻る気にはなれないので、戸口の前にコソッとしゃがみ、フェルトの隙間から腕を伸ばして己の靴の在りかを探る。
ゴソゴソ靴を取り出して、ケネルはやれやれと立ち上がる。足首のスナップを存分に利かせて突っ掛けたサンダルをフェルトの下へ見事滑り込ませることに成功すると、サンダルを脱ぎ捨てた靴下の右足を履き慣れた靴の中に突っ込んだ。上向いた桜色の唇を脳裏のどこかで思い出しつつ、トントン蹴って足を入れる。
「たく。いったい何の拷問だ……」
一人ごち、一際大きく息を吐く。ああいう "形状 " のものが手近にあると、ほぼ無意識の内に惰性でスリスリしてしまうというのだから、まこと厄介な性(さが)である。出て来たついでに顔でも洗うか、と頭を振り振り歩き出す。その時だった。
「うっす!」
ギクリ、とケネルは動きを止めた。硬直したまま横目でゆっくり様子を窺う。そこにいたのは案の定、
「……あ、ああ。ファレス、早いな」
ケネル隊長、朝の挨拶。
「そうか? 別にいつもと一緒だろ」
草原の向こうで、自分の腕時計に目をやったのは、かの長髪の副長である。何の関心もなさげないつも通りの無愛想な返答。長い片脚に体重を預け、ベルト通しに指を引っ掛け、伸ばしたままの左手には何が入っているのか大きな茶色の紙袋を下げている。何事にも動じぬふてぶてしい態度も、何処か不機嫌そうに見える端整な顔も、普段と何ら変わりない。もっとも、如何な副長といえども壁に取り囲まれたゲルの内部が見える筈もないのだが。心情的に後ろ暗いケネルは、普段通りのその様にようやく胸を撫で下ろす。やって来る相手へと無頓着に振り向いた。
ファレスは無人の原野を威嚇睥睨するようにジロジロ柄悪く見回しながら、ぶらぶらとした足取りで近寄って来る。顔はそっぽを向いたまま。
「──なあ、ケネル。アレの目くらましの方法なんだがよ、いっそのこと《 マヌーシュ 》に──」
だが、言葉の途中で前を向きケネルの顔を見た途端、何故だか、ピタ──と足を止めた。
「お前、……それ……」
唖然と口を開け、ぱちくり瞬く。次の瞬間、人差し指で指差した。
「なんだよお前っ!? その面(ツラ)はっ!」
細身の体を「く」の字に折って腹を抱えてゲラゲラ笑う。副長ファレス、びっくり仰天・大爆笑。
ケネルは、ぽかん、と立っていた。突如笑われ、怪訝を通り越して、いささか不愉快そうな顔つきだ。
「ツラ?──俺の面がどうかしたか」
だが、大ウケ中の副長ファレスは涙目で笑い転げている。憮然と突っ立つケネルの肩にやっとのことで辿り着き、ひーひー身を捩りながらケネルの腕を引ったくった。「ちょっと来い、ケネル」
爆笑中の副長ファレス、既にひくひく痙攣混じり。対照的にケネルは憮然。
「なんだよ」
「──いいから来いって!」
そのまま近くの井戸まで引っ張って行き、雑な造りの石柵の中から、水入りの桶をガラガラと笑いながら引っ張り上げる。ファレスは「は、腹痛てえ──!」などと笑いこけつつ、木桶の中の水面目掛けてケネルの肩を押しやった。呼吸困難寸前で、もう口で説明するのもシンドイらしい。理由の分からない不機嫌ケネルは「何すんだよ……」とぶつぶつ口を尖らせる。それでも、さすがに気にはなるらしく差し出された水面を「いったい何だ」と覗き込んだ。澄んだ井戸水の水面に、覗き込む己の顔が写っていた。そう、それはいつもの見慣れた顔ではあるが、
「……やられた」
ケネルは、ガックリ肩を落とした。確かに、笑い転げられても無理はない。何せ、ひょい、と覗き込んだ左頬には、
真っ赤な線で「 バカ 」の文字。
マットで艶やかな質感はマジック等の筆記用具ではないだろう。そう、ルージュのようだ。とくれば、この犯人はアレしかいない。それ以前に、ゲルの同房はアレしかいない。
ケネル隊長、一本取られる。へこんだケネルの珍しい反応に、鎮火中の笑いがぶり返したか、ファレスはゲラゲラ大笑い。「アレの仕業か。いいザマだな。──ええ? ケネル」
ケネルは項垂れた首を緩々振る。予期せぬ大逆襲である。眠っていてさえ侮れない。こうもキッチリ間髪容れずにやり返してこようとは。しかも、今の不埒な行状を非難するように「
バカ 」ときた。しかし、現実的に考えれば、これが仕返しなどである筈がない。彼女が完璧に熟睡していたのは思い出すまでもなく明らかだ。となると──。
はー……と深く嘆息し、ケネルは丸首の綿シャツの裾を掴んだ。一気にそれを脱ぎ捨てて手近な木の枝に引っ掛ける。上体を屈め頭を下げて、手桶の水を頭から被った。「たく。そんなに根に持っていたのか」
両手でガシャガシャ掻き回すようにして髪を洗う。「まったくもー……」と口を尖らせ、残った水で顔も洗う。無論、左の方を念入りに。再び水を汲み上げて、身を屈め、肩から腕へと井戸水をかける。枝からシャツを取り上げて、顔と頭とをそれで拭く。タオルの代わりにしているらしい。
「今度は何して怒らせたんだよ」
ケネルの水浴びを傍らに立って眺めつつ、ファレスは呆れた顔である。シャツで体を擦っていたケネルは「ん……?」と顔を上げて振り向いた。
「教えない」
ぷい、とツレなくそっぽを向く。
「おい。なんでだよコラ」
ファレスは腕を組み、半眼で凄む。ケネルは、うんにゃ、と首を振り、
「どうも、お前は口が軽くて信用出来ん」
そして、上半身裸の体をタオル代わりのシャツでゴシゴシ……。ファレスは不審な顔である。「なんだよ、それは。唐突に」
「お前、アレにバラしたろ」
「何を」
「覚えがあるだろ。"星読み"」
「──星読み、だァ?」
ファレスは上目使いで記憶を探る。「……ああ、そういや、そんなことも言ったっけな」
心当たりはあるらしい。ほーれ、みろ、と横目で眺めて、ケネルはすすいで絞った綿シャツを背中に叩き付けるようにして左の肩に引っ掛けた。「お前に喋ると、みーんなアレに筒抜けだ」
投宿先のゲルへと向けて、すたすたツレなく歩き出す。何故だか機嫌が良くないらしい。しかし、ファレスに何かしたような覚えはない。トゲトゲしたケネルの背中を、ぽかん、としつつも見ていると、広大な草原の中ほどに旅装の男が現れた。ゲルへと向かうケネルに呼びかけ、慌てた様子で駆けて行く。慌しく走る右の片手で手提げの紙袋が揺れているから、調達班の下っ端らしい。日用品の補給は昼飯時に手渡しするのが通常なのだが。こんな朝っぱらから、ご苦労なことだが、呼び付けられでもしたんだろうか。意外にも人使いの荒いらしい隊長ケネルは「お、来たか」と旅装を振り向き手提げ袋を受け取ると、戸口に下りたフェルトを払ってゲルの中に戻って行った。
「……なんなんだ、あの野郎」
ファレスは首を傾げて舌打ちした。副長ファレス、副長なのに情報シャットアウトの意地悪を食らう。しかし、隠されれば気になるのが人情というもの。そもそもこの副長は、知らないことが一つでもあると気持ちが悪くて落ち着かない質である。もっとも、彼らのバトルの原因などどうでもいいような些事ではあるが。まあ、教えてくれない、というのであれば、勝手に調べるまでである。さて、それなら聴取先はどうするか、とファレスが周囲を見回していると、
「何やってんのー?」
腰の辺りで声がした。複数の気配、子供の声だ。なんなんだ、と見下ろせば、左手側の草原で歪な木刀を手に手に下げたハナタレ小僧が若干三匹──もとい三人、胡散臭そうに見上げている。一番左のハナタレが肩に担いだ木刀でとんとん肩を叩きつつ、値踏みするように細い首を傾げた。「おじちゃん、タイチョーの部下の人ぉ?」
「部下だァ?」
むっ、とファレスは顎を出す。だが、間違いではない。いや、紛れもない事実である。今のやり取りの後だけに改めて特定されると忌々しいものがあるのだが、「まあな」と返して向き直った。左端のハナタレがすかさず続けて訊いてくる。「なん番目の部下ぁ? 4番目ぇ?」
彼らの関心はランクらしい。ファレスはいたいけな子供に向き直った。そして、
「ぁんだとクソガキ。なんでいきなり4番目だよ」
いつものように柄悪く凄む。この副長は相手が子供だろうが容赦はしない。しても、唐突に格落ちしたもいいところ。一から三は選ばせてさえもえらない。左端のハナタレは二人の仲間に目配せし、得意満面言い返した。
「だって1番目から3番目はぼく達だもん。なら、次は4番目でしょ?」
如何にも当然といった口振りだ。それでも、なけなしの慈悲心を発揮して一番ランクの高いところから訊いてやったつもりらしいが。小生意気なガキんちょを見下ろして、ファレスは挑戦的に腕を組む。「ガキのくせに部下きどりかよ」
左端のハナタレが、むっ、と見上げた。
「 " きどり " じゃないもん! ぼく達ちゃんと本物だもんっ!」
「へえ? 本当かよ〜?」
副長ファレス、意地悪く対抗。「ほお?」と見下げてせせら笑う。因みに、こういうことをさせると妙にサマになる奴である。左端のハナタレが真っ赤な顔でゲンコを握った。
「だって、タイチョーと作戦会議したんだ! タイチョーとやくそくしたんだ! ちゃんと " 男のやくそく " したんだ!」
「ねーっ!」と細っこい首を傾げ合い、三人組は結束を固める。小さな拳でシッカと握った木刀を、ほらね──! と揃って突き出した。「だからぼく達、強くなるって決めたんだ!」
彼らはいたって大真面目。隊長であるところの " ケネル " の仕様を早速真似してみたらしい。そう、まずは形からだ。
「……ふん。" 作戦会議 " ねえ」
細っこい足を踏ん張ったケネルをリスペクトする子分どもを、ファレスはシゲシゲ眺めやる。呆れ果てたその顔には( なに遊んでんだアイツ…… )と書いてある。つまり、ここにいるガキどもは、ケネルの所にやって来た見知らぬ同輩の姿を見つけて早速「格」を問い質してきたらしいのだ。あわよくば自分達が勝手に作った序列の中に組み込んで膝下に置こうとの魂胆で。もっとも、この男が相手ではいささか無謀な試みだが。そう、大人げないこの副長は、例え相手が子供であろうが己のテリトリーは譲らない。
「あ、でも、ウチには《 ガーディアン 》もいるからなあ」
今度は右端のハナタレがふと気付いたように顔を上げた。
「《 ガーディアン 》はタイチョーまぜないで5人だから──あ、そうするとおじちゃん、9番目か」
「……そーかよ」
言い返す気力も失せ果てて、ファレスは脱力と共に額を掴む。副長ファレス、更に格落ち。《 ガーディアン 》の名を誇らしげに口をしたところをみると憧れを抱いているような節さえあるが、その《
ガーディアン 》の一員が今目の前に居ようなどとは夢にも思っていないらしい。ああでもない、こうでもない、と順位を検討する子供らは、みんな真剣、大真面目。
「ねー、でもさー、このおじちゃん強そうには見えないよ? もっと下の方じゃない?」
「そっかー。なら23番目くらい?」
副長ファレス、いったい何処まで落ちるのか。もっとも、その " 23番目 " にしても、どんな根拠があるのか不明だが。ファレスはやれやれと嘆息した。「──そんなことより、お前らよお」
小柄な肩に左右の腕を差し回し、有無を言わさず円陣を組む。ずい、と顔を突き出して、突然グイと引っ張り込まれて「……なんだよ?」と仰いだ幼い顔をグルリと一巡見回した。
「一つ訊く。俺の質問に簡潔に答えろ。お前らだったら知ってるな」
副長ファレス、事情聴取を開始する。稚(いとけな)い幼児を相手にいつもの如くの高圧的なお願い。珍客の情報に通じているのは得てしてこういう子供らだ。それをファレスは自らの体験でよく知っている。そう、好奇心旺盛な子供らは覗きと立ち聞きのエキスパートだ。
三人はキョトンと聞いていた。そして、
「タイチョーがけんかしてる原因?」
問い質されて、幼い顔を見合わせた。くるり、と振り向き右端が言う。「……あー。もしかすると "あれ" のことじゃないかなあ」
案の定、心当たりがあるようだ。うんうん頷き、左端も同意。「けっこう怒ってたしね、あの人」
「なんだよ、"あれ"ってのは」
ファレスは顎をしゃくって更に促す。「おらおら隠し立てするとタメになんねーぞ」と無言の内にも凄んで脅し、更に念入りに事情聴取への自発的協力を要請する。左の子供が振り仰いだ。
「昨日、作戦会議した時にさ、タイチョー、あの人だけ仲間外れにしたんだよ。だから、たぶん、あれだよ」
「……あ? 仲間外れ? ケネルのヤツ、なんだってわざわざそんなことを」
ファレスは腕組みで首を捻る。実はしょっちゅう常日頃、己も平気でしていることだが、それについては考えが及ばぬようである。ファレスは更に顎をしゃくる。「で、作戦会議の内容は。ケネルのヤツはなんだって?」
「うん、あのねえ、タイチョーがね。──あ、これ他の人には絶対言っちゃダメだからね!」
口元に「シィ──!」と指を立て、左端はキョロキョロ辺りを見回し周囲の無人を念入りに、そして真剣に確かめる。
手にした荷物を地べたに下ろし、どれどれナンダ? と早速上体を屈めるファレス。柄悪くしゃがんだその耳に、確認作業を済ませた左が、よいしょ、と背伸びで口を寄せた。「今、ゲルに来てる
おばちゃんに、絶対 " おばちゃん "って言うなって」
「なんで」
ぶっきらぼうにファレスは反問。むっ、と見返した左端が口の先を尖(とん)がらせて言い返した。
「知らないよ! でも、これを破ると、すごく恐ろしいことが起こるんだ! タイチョーがぼく達に言ったもん!」
「……なんだ、そりゃ」
世界が滅亡でもするってか?
あまりのアホらしさに、ファレスは「あ?」の顔で一時停止。だが、脇で控える右端も大きく頷き援護に入る。
「だから、おじちゃんも、ぜったい、あの人に言わないでよっ? ぼく達みんな、内緒にするって、タイチョーと約束したんだからねっ!」
不真面目な態度がミエミエだったか「 絶対ダメだからねっ! 」と念押しされる。何せこれはタイチョーと彼らとの機密事項。一大秘密プロジェクト決行中、他言は厳禁なんである。こうしてバラした時点でアウトであるが。
ファレスはげんなり背を起こした。ドッチラケのその顔には( なんだ、そんなことかよ…… )と書いてある。そして、声に出しても、わざわざ言う。「んだよ、くっだらねえ」
脱力の溜息と共に、や〜れやれと立ち上がる。その途端、
「──ねー、おじちゃん! ぼく達これから特訓なんだけど!」
足元で甲高い声が喚き立てた。見れば、今寄せ集めたガキんちょが三人揃って訴えるように見上げている。
「だってぼく達、タイチョーの部下なんだからさ、やっぱちゃんと強くなんないと」
三人揃って少々迷惑気な顔である。手にした木刀をそわそわ眺め「ねー、もう行っていいー?」と窺うような上目使い。見回りと職務質問にはもう飽きてしまったらしい。因みに当初あれほど拘っていたこの長髪の不審者の順位についても、どうでもよくなっちまったらしい。女のような長髪だから遥か格下の
" 戦力外 " とでも位置付けてスルーでやり過ごすことに決めたのかも知れない。情報提供の礼も言わずに、ファレスは無造作に手を振った。
「分かった。解散。──ま、精々気張って特訓しろや」
解放された三人が、途端、奇声を上げて散って行く。特訓の筈だが和気あいあい。ファレスは地べたの荷物を拾い上げ、彼女の休むゲルを眺めて怪訝そうに首を捻る。「んなことくらいで
" バカ " ってか?」
釈然としない面持ちである。ケネルが発した寝言のことなど、この副長は露知らない。
手提げの紙袋を左の肩に背負い上げ、解せない顔で歩き出す。ぼんやり眺めるその脳裏を、ささやかな疑問が、ふと過ぎった。
もしも、ケネルが、取り澄ましたあの顔で、うっかり方々歩き回っていたとしたら?
笑える。──いや、そうじゃなくって背筋が冷え冷え凍りつく。そう、実に危ないところ、あながち実現せぬとも限らぬ想定だ。仮に、あのまま気が付かず、部隊が駐留する野営地の方へでも赴けば、即刻後々の物笑いの種。となれば、長年に亘りコツコツ積み上げてきた指揮官・総大将たる者の威厳たるや、ただの一発で木っ端微塵に……?
「……すっげえダメージ」
足を止め、ファレスは愕然と呟いた。つくづく、といった顔つきで、静まり返った丸いゲルを眺めやる。やがて肩を竦めて歩き出した。いやに実感の篭った感想を誰に言うでもなく、ぼそり、と零す。
「女って恐ええ」
ルージュは女の武器である。
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