CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 4話10
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 朝鳥さえずる穏やかな早朝のゲルの中、えも言われぬ微音が響く。中央の土間に背を向けて、エレーンは首を縮め身を固くしてビクビク正座で座っていた。俯いた顔を赤らめて両腕をピンと突っ張って、ぎゅぅぅぅ──! と拳を膝の上で握っている。真後ろに立っているのは上半身裸のケネルである。
 俯き加減の耳元で、ぞり、ぞりり……と音がする。エレーンは僅かに身じろいだ。身構えた背筋がぞくぞくしてきて堪らない。微かな振動が伝わるその都度、背中が堪らなくムズムズする。出来ることなら、すぐにもここから逃げ出したい。耳の後ろや首筋なんかは元よりテキメン弱いタチ。サワッと何かが項 (うなじ) を撫でて、一際、ぞわわ、と総毛立った。
「──ちょ、ちょっとお! ケネル!」
 堪らずケネルを 「──ストップ! たんまっ!」 と押し退ける。エレーンは肩を抱いて身を引いた。
「どうして、そんなに勿体つけるかなあ! くすぐったいじゃないぃー!」
 口を尖(とんが) らせて文句を言い、右後ろのケネルを睨む。半裸の上体を引き起こし、ケネルは軽く肩を竦めた。「そんなこと言われてもな」
「あ、もしかしてえ、」
 クイ、とエレーンは顎をしゃくる。「ケネル、本当は面白がってんでしょー」
「そんなことはない」
「嘘よ! 絶対面白がってる!」
「面白がってない」
 顎を突き出しケネルは否定。足を踏み替え、あのなあ、と呆れたように向き直った。「" ゆっくり、やれ " と言ったのは、そもそもあんたの方だろう」
「だってえ! 雑にやってガチャガチャになったら嫌だもんっ!」
 むぅっ、とエレーンはゲンコを握る。ケネルは辟易したように嘆息し、静かな室内を見回した。持て余した顔で後ろ頭を掻く。「なら、俺にどうしろと?」
「だからあ、丁寧にやってよ丁寧にっ!」
「──まったく、あんたは注文が多いな」
 言うなりケネルは、頭の天辺を片手で掴んだ。くりっ、と顔を前に向け、再び背中に屈み込む。背に流れる黒髪を引っ張るようにして軽く引き、利き手の右手には切れ味鋭い抜き身の刃。銀の刃先が動く都度、剥き出しの土の地面に髪がハラハラ散り落ちる。散髪中なんである。
「肩までね! 肩までだからねっ! それ以上切ったら承知しないわよ! 切り過ぎちゃったら取り返しがつかないんだからあ!」
 バッ、と後ろを振り向いて、エレーンは厳重に念を押す。そわそわ動く黒髪の頭をケネルがグイと固定した。
「じっとしてろよ。危ないだろう。あんたは本当に落ち着きがないな」
 何を隠そう、使用しているのは切れ味鋭い真剣である。
「……ね、ねえ、ケネル。せめて何か着てからにしてくんない?」
 膝の両手を意味なくそわそわ開閉し、エレーンは赤面でドキドキ俯く。そう、顔を上げられない理由はここにもあるのだ。一たび服を脱ぎ去ると、ケネルの右の上腕には青い入れ墨が入っていた。あられもない半裸の姿はとうてい直視は出来ないが、逸らした視界に辛うじて入る二の腕に彫られた入れ墨は否応なしに目を引いた。賭博場にたむろするヤクザ者のような彫り物だ。そうしたものを見慣れぬ目には、如何にも粗野に、刺激的に写る。無頼を誇る裏社会の烙印を意図せず垣間見てしまったようで。しかもケネルは一見物静かな好青年風で、見るからに荒くれたアドルファス達群れの者とは雰囲気等にも開きがあるから、そうした落差は尚のこと大きい。もっとも平然とした当人に気にした様子は皆無だが。目を逸らした頭の隅でしっかり半裸を意識しつつも、エレーンはブチブチ文句を垂れる。
「……も、もうっ! そんな格好で目の前ウロウロしないでよ。気になるでしょー?」
 けれど、当のケネルは、うむ、と頷き、
「別に寒くない」
「そーじゃなくって! 恥ずかしいでしょ!」
「構わない」
「──だからっ! あんた 、じゃなくってっ!」
 見ている方がこっ恥ずかしいってヤツである。エレーンは、ジロリ、と背後の顔を振り向いた。「もしかしてケネル。さっきから、わざとやってんでしょー」
 乙女の勘は鋭いのだ。そう、この男、わざとやってる節がある。だが、
「わざとじゃない」
 ケネルは、いんや? と首を振る。二の腕を持ち上げ、クイクイ動かし、
「こっちの方が動き易い」
「そんなこと言ってると風邪引いちゃうわよ」
「でも、こっちの方が気持ちいい」
 エレーンは苛立ちのゲンコをググッと握った。
「昨日はちゃあんと着てたでしょ! あれはどこへやったのよ!」
「さっき洗ったから、もう、ない」
 ああ、あれね、と頷いて、ケネル隊長、しれっと返答。しかし顔には既に 「 めんどくさい 」 と書いてある。
「着替えくらいは持ってきてんでしょー? せめて、それを着てからにするとかさあ!」
「──うっせえな。いいだろ別に」
 足を踏み替え、ケネルが面倒臭げに舌打ちした。淡々とした日頃にそぐわぬ少々乱暴な態度である。因みに、彼の着替えは先日誰かさんに吐かれて使用済み、替えのシャツは発注中。更には今朝逃げるようにしてゲルから転げ出ちまったもんだから、洗った顔やら体やら着ていたシャツで拭いちまい、そのまま洗濯したんである。よって現在、在庫はゼロ。
「今は取り立てて必要ないし、髪を切るにも支障はない、、、、、
「ケネルにはなくても、あたしにはあんのっ!」
 エレーンは、キィ──っ! と苛立った。
「もお! どーして、わかんないかなあ!」
 うら若き (?) 乙女の恥じらいが。
「どーして、そんなに無神経なのよ! どーして、そんなに鈍感なのよ! だいたいシャツがなかったら、今日一日どうする気よ!」
「さっきのヤツがその内乾く」
 そっちの方は大丈夫、とケネル隊長、うむ、と頷く。エレーンは絶句で引きつり黙った。絶対わざとやっている。
 結局まんまと言い包められ、いいように我を通される。
 しかーし!
 これしきで降参してやるような、そんな奥ゆかしい奥方様ではないのだ。エレーンは、むくれて絨毯を睨む。
「んもおー! せっかくここまで伸ばしたのにさあ! すっごい我慢して伸ばしたのにさあ!」
 抗議を示して取り敢えず毟 (むし) る。絨毯を。
「だいたい、なによお。なーんで、あたしまで、みんなと同じ格好にしなくちゃなんないワケえ? あたし、ケネルの部下とかじゃないのにぃ!」
 ケネルが大きく嘆息した。「──あんたに頼みがあるんだが」
「なに? ケネル」
 語尾に被るほどのフライング気味な返答。彼の方から話し掛けてくるとは実に珍しいことである。絨毯毟りは急遽中断。エレーンはあたふた振り仰ぐ。更には両のお目目でぱちぱち瞬き、「 え、なにケネル? なにケネル?」 と己でぶった切っておきながら中途半端な言葉の後押し。興味津々仰いだ顔を、ケネルは深く澄んだ黒瞳でじっと真摯に見下ろした。「少し黙っててくれ」
「ムリよおそんなの」
 奥方様、即答である。
 
 
「──う゛〜っ!」
 身悶えしそうなこそばゆさに、エレーンはひたすら耐えていた。とっさに拒絶はしたものの、何せこれは他ならぬケネルからの " お願い "。なので、一応努力する気にはなったんである。しかし、己が膝小僧をひたすら見つめ、じぃっ、と殊勝に項垂れてると、手持ち無沙汰に空いた頭がアレやコレやと考えてしまう。因みに目下頭を占めてる関心事は、
( 誰よお? ケネル。クリスってえ! )
 そう、聞き捨てならない昨夜の寝言──" あんた誰よケネルの彼女? " 疑惑──この一件につきるのだ。そして、一旦思い出したら止まらない。
( クリスって誰?クリスって誰?クリスって誰?クリスって誰?クリスって誰?クリスって誰? クリスって誰?クリスって誰?クリスって誰?クリスって誰?クリスって誰?クリスって誰?クリスって誰?クリスって誰?クリスって誰?クリ── ( えんどれす ) ── )
 只今、無言の頭の中を( クリスって誰? ) が無限に増殖、加速をつけて充満中。むむぅ……と唸ったエレーンの頭を、昨夜来の件の懸念が、ぐるんぐるんと回り続ける。もう、気になって気になって仕方がない。もちろん当人には訊けないが。だって、そんなことをした日には、寝言をちゃっかり聞いてたことが、一発でケネルにバレちまうではないか。首を縮め、正座の膝に手を突っ張り、チラと上目使いに探ってみれば、刀を使う当のケネルは何事もなげな涼しい顔。
 途端に忌々しい思いが湧いてくる、エレーンは、ジトリ……と冷ややかに睨んだ。それにしても、何故にこんな羽目になっちまっているのか。そう、何故にケネルに散髪されるなどという奇妙な話になっちまったのか……?
 思い起こせば、本件は、今朝方、ケネルが紙袋を下げて、草原から戻って来たことに端を発する。そう、あの紙袋こそが全ての元凶だったのだ。
 手渡された袋の中身はどうしてなんだか男物の衣類一式。因みに日頃ケネル達が着ているような無骨な感じの地味〜なヤツだ。これでどうせよと言うのかと思ったら、なんとケネルは、今後外出時には必ずこれを着用すべし、などという横暴極まりない命令を一方的に言い渡してくるではないか。もちろん理由は訊いたとも。けれど、そっぽ向いた横暴ケネルに、むにゃむにゃむにゃ……と誤魔化され、結局のところ分からずじまい。もちろん、いたいけで可憐な乙女としては、んな可愛くもない地味〜な格好は嫌である。なので「 持参のお出かけ着が気に入っているんである! あっちの方がいいんである! 」 と断固抗議をしたのだが、ケネルの石頭は胡座(あぐら) の腕組みで座り込んだきり正当な言い分を聞こうともしない。ケネルは意外と頑固なヤツで一度言い出したら絶対にきかない。それは、このところの同行で身に染みて知っている。仕方がないから渡された服を着てはみた。( ホント、ケネルってば横暴なんだからあ! ) と、聞こえるように感想を述べつつ。
 服は案の定ブカブカだった。ブッカブカのズッルズル。シャツの袖もズボンの裾も幾つか折り返さないと手足が出ないし、ベルトなんかも穴がなくって、ケネルに、よいしょっ! と大雑把な片結びで胴をふん縛られる無残な有様。だから、ベルトの両端が歩くたんびにぷらぷらする。いや、そもそもの話が無理だろう? 初めから全く無理なのだ。何せカンペキ男物。
 ケネルは、ふ〜む、と顎に手をやり、前から横から後ろから小首を傾げてチェックを重ね止まった片足に重心を預けて、しばしシゲシゲと見ていたが、何を思ったか突如 「 お? 」 の顔になり、手荷物の鞄の前にしゃがみ込んだ。袋の底をゴソゴソ漁って、何のつもりか白いタオルを出してくる。 ( そんなもん、何に使うのよー? ) と不満たらたら見ていたら、こっちの項(うなじ) に投げ回し、肉体労働をしているおじさん達のように首をぐるぐる巻きにするではないか。更には髪に両手を突っ込んでグッシャグシャに掻き回しやりたい放題やらかすと、ケネルは少し離れて再び眺め、
「……やっぱり、ダメか」
 何がダメなんだか、はあ〜……と深く嘆息した。項垂れた首を緩々振って玉砕したように肩まで落とす。そして、更には耳たぶを引っ張ったり、バンザイさせたり、"タカイタカイ"をしてみたり、と数々の細かい無礼を働いた末に言ったのだった。
「悪いが、そいつを切ってもいいか」
 ケネルが顎で示した先には背中までやっと伸びた髪。もちろん、イヤだと断った。世間的にも髪は女の命である。けれど、卑怯なケネルは横目でチラリと流し見て、
「行程中は " 俺に従え " と言ったろう?」
 横暴の極みである。
 けれど、断ったら即刻捨てて行かれそうな勢いだったので、心底やむなく仕方なくしょうがないから承諾したのだ。それでこんな訳の分からない事態に陥っているという次第。そう、どうしてなんだかケネルのヤツは男装させたいらしいのだ。
 まあ、髪なんてものはすぐ伸びる。お披露目の祝宴も無事に終了したことだし、そろそろ切り時かなとも思ってはいた。そもそも、ほんのついこの間まで肩までの長さのオカッパ頭にしてたのだからショートカットに抵抗はない。むしろ散髪代が浮いてラッキーだ。しかし、ここで看過出来ない大問題が一つある。身形に構わぬこのケネルが、服のまんまで布団に寝転んじまうこのケネルが、地べたに平気で座っちまう粗雑なケネルが、美的センスに溢れているとは、どうしても、どうしても思えないことだ! 
「──ねえー。ホント〜に変なアタマになってないぃー?」
 文句いっぱい口を尖らせ、エレーンは牽制含みでギロリと睨む。この問いかけの目的は 「まさか大丈夫でしょうねえ? 変なアタマになってたら、あんた、ただじゃおかないわよ! 」 との確認込みの脅しである。度々振り向く頭を掴んで、ケネルは、ぐい──と、強制的に前を向かせた。
「任せろ。信じろ。大丈夫だ。俺の祖父の祖父は散髪屋だった」
 うん、確かそうだった、とケネル隊長、ご先祖様の家業を披露。エレーンは、む? と振り向いた。「嘘でしょ」
「嘘だ」
 ケネル隊長、きっぱり肯定。"舌の根の乾かぬ内"とは、まさにこのこと。そして、両者の間に、ひゅるるん……と吹き荒ぶ隙間風。
「ケネルってば、マジ信じらんなあい!」
 溜息を大きく吐き出して、エレーンはブチブチぶんむくれた。「どーして、いきなり、こんな変なこと思いつくかなあ! お気に入りの可愛い服いっぱい持ってきたのにさあ! 着てないヤツもまだいっぱいあんのにさあ!」
 そうしてトゲトゲしている間にも、静かなゲルには密やかな音がそりそり、そりそり、そりそり……
「──あ、もしかしてケネルって」
 ふと何かに気付いたように、エレーンは一つ瞬いた。バッと振り向く。
「自分のアタマくらいは、いつも自分で切ってるとか?」
 一発逆転、微弱な可能性思いつきに賭けてみる。あんまり聞かない話ではあるが、けれど、絶対にあり得ないなどといったい誰に言い切れるであろうか。いーや、誰にも断定は出来まい! 引き攣った頬に怪しい笑みを浮かべつつ、己の妙案にぶんぶん首肯。ケネルがふと手を止めた。
「床屋へ行くに決まってるだろ」
 案の定のツレない返答。
「……あーそう」
 希望、散る。あっさり散る。やっと灯ったか細い炎が横から吹き消されちまった心境である。エレーンは、むー……と虚しく苦虫噛み潰す。小さく溜息を吐き出して文句の続きをぶちぶち垂れた。
「んもお! いったいぜんたい何なのよお。あたしの服の何がそんなに気に入らないワケえ? あ、それともケネルって、こういう格好ヒトにまでさせるのが趣味なワケえ? お揃いの服がそんなにマジで好きなワケえ? だいたい髪の毛なんか切らなくたって、今のまんまであたし十分 可愛い じゃないよ。なのに、なあんで男の格好なんかさせたがるかなあ!」
危ない、、、からだ」
「……え?」
 エレーンはぱちくり瞬いた。ケネルの言わんとする意味が今ひとつ答えとして結び付かない。相手の怪訝な反応に、ケネルはふと気付いたらしい。軽く息を吐き出して、もう一度率直に言い直した。
「あんたを守る為に必要だ」
「……え、なに?」
 エレーンは、振り返ろうと身じろぎした。だが、直後、ケネルが屈めた背筋を引き起こした。「──まあ、こんなもんだろう」
 抜き身の刃を鞘に収めて、肩に残った髪を、ハイ、おしまい、とタオルで払う。エレーンは、ピクリ、と片頬を引きつらせた。とうとう " 髪形 " が完成したのだ。後ろのケネルを恐る恐る振り向く。「……で、できた?」
「ああ。もう動いていいぞ」
 ケネルは土間の地面で自分のズボンの前面をばたばたタオルではたいている。ぎゅうぅと拳を握り締め、エレーンはすっくと立ち上がった。ゲルの姿見にあたふた飛びつく。北壁に立てかけてある大きい鏡だ。すぐさまクルリと後ろを向いて壁の姿見に背を向ける。持ち上げた右手には握り締めてて生温くなったコンパクト。蓋を開いて二つの鏡面を合わせ鏡にし、ゴクンと唾を飲み込んでコンパクトを覗き込む。真剣この上ない面持ちである。
「──ああっ!? なにこれぇっ!?」
 エレーンは、ビシッと罪なき姿見を指差した。短くなった黒髪をぶんぶん左右に振り広げ、そして、
「ひっどーいケネルっ! あんなに " 肩までね! " って言ったのにぃ!」
 とりあえずは相手の手腕を如何なく罵倒。自家散髪の通過儀礼ってヤツである。そうして、更に詳細なチェックに入る。
「あー! やっぱ肩から1.5センチも上になってるぅ! だっから、ヤダって言ったのにぃ!」
 ギャンギャン騒ぐ。涙目で。しかし、ケネルは取り合わない。
「だいじょうぶだかわいいから」
 ケネル隊長、台詞棒読み。抑揚も気もない乾いた音色。因みに、今、口をついた 「 かわいい 」 の単語は彼女の先程の発言からとっさに拾って来たらしい。
 しかーし!
 そんな等閑(なおざり) な慰め如きで、この一触即発・剣呑な事態がすんなり収まる道理がないのだ。
「いってんごセンチもおーっ! いってんごセンチもおーっ! だいたい、なによこの毛先! すっごいギザギザ、テキトーじゃん!」
 奥方様は即行詰め寄る。ストレートの髪の毛はそういうの特に目立つんである。けれど、己さえ認知してない呪文のように 「 かわいいかわいい 」 と唱えるケネルは、
「いいの! これで!」
 ツレなく却下。断固たる腕組みで「 ハイ、おしまい 」 と横を向く。
「良くない! 断じて良くない! マジで良くなあいっ!」
 すたすた歩き出したケネルを追いかけ、エレーンも ( コラ逃がさないわよ! ) とズボンのベルトをグイグイ引っ張る。生憎とそれしか掴むところがないんである。部屋中ぐるぐる歩き回る変てこりんな追いかけっこ集団 ( 構成員 約二名 ) が突如出現。
「わざとでしょー! 絶対わざとやったでしょー!」
「まさか」
 ズボンのポッケに両手を突っ込み、ケネルはヒョイヒョイ逃げ回る。
「嘘よ嘘! 正直に本当のこと言いなさいよー! ヒトの頭こんなツンツルテンにしちゃってさあ! どーしてこんな意地悪すんのよ!」
「意地悪じゃない」
「意地悪だもん! 絶対これは意地悪だもん! それに、なあんかこないだからネチネチ一人で怒ってるしさあ!」
「怒ってない」
「怒ってるーっ!」
「怒ってない」
「うっそー! 絶対ケネル怒ってるもーんっ!」
「怒ってねえっつってんだろ!」
怒ってまっすぅ! 絶対絶対怒ってますぅー!」
「刈り上げにされなかっただけマシだと思え」
「──か、刈り上げぇ!?」
 出し抜けの変化球に、エレーンの声が裏返る。
「ど、どーゆーセンスしてんのよ! マジ信じらんなあいっ!」
 背中の直後にスタスタ付いて歩きつつ、エレーンはジタバタ喚き立てる。もう、とことん目一杯力の限りに。
「いったい、どーしてくれんのよ! こんなグチャグチャにしちゃってさあ! 責任とってよ責任!」
「……責任?」
 ケネルがやれやれと振り向いた。小首を傾げて、ふむ、と見下ろす。視線の先には、がるる……と咬みつかんばかりに唸り声を上げるエレーンの顔。だが、ケネルは、ふい、と明後日の方向へ目を逸らし、
「無理。俺は髪は切れるが、伸ばせない」
 おどけたように両手を上げて、更にはふるふる首まで振る。おちょくりきった態度である。ケネル隊長、やっちまったモン勝ち。エレーンは、むむぅ……と二つのゲンコを震わせる。そして、
「信じらんなあい! ケネルの鈍感! ケネルの無神経! ケネルのケネルの──」
 グイ、と顔を振り上げた。
ばかあっ!
 
「──うっせえなあ」
 別の声が割り込んだ。
「何の騒ぎだ、朝っぱらから」
 辟易したような物言いだ。両手の人差し指で抜かりなく耳栓していたケネルの首を両手でグイグイ締め上げて、腕にガジガジ咬みついていたエレーンは、「──んが? 」 と顔を上げ、振り向いた。戸口に誰か立っている。片手でフェルトを持ち上げて、もう一方の左手には茶色い大きな紙袋。軽く首を傾げてる。そして、つくづく呆れ果てた顔。
「あ、女男」
 捕まえたケネルを、ぽい、と投げ捨て、エレーンはバタバタ駆け寄った。「見てよお女男っ! ケネルってば酷いのよお!」
 ピーピー泣きつく。そう、靴脱ぎ場に立っていたのは、かの副長ファレスである。エレーンは早速「 ほらほらほらね! 」 とケネルの悪逆非道を訴える。けれど、ファレスは、
「何が」
 ぶっきらぼうにツレナイ返事。──どころか、足元の靴に背を屈め、編み上げの紐を緩めてる。見てさえいない。だが、エレーンだって黙ってなんかいないのだ。「 んもお! あんた、ちゃんと聞きなさいよー 」 と屈めた背中に乗りかかり、そのまま体をぶんぶん揺する。聞くまで続ける所存である。靴を脱ぐ作業の傍ら、ファレスは如何にも等閑(なおざり)に付け足した。「──なんだってんだよ、まったくよお。又ケネルに襲われたのか? それとも仲間外れにされたのか?」
「……なんで、お前が知ってんだ」
 突如会話に割り込んできたのはケネルの呆気にとられた声である。 「 ……ん? 」 とファレスがそちらを見やれば、一仕事終え己の陣地で胡座(あぐら) をかこうとした矢先、ケネルが半端な中腰で停止している。今朝方の一件で少々疚しさの残るケネルとしては、特に前者の選択肢について実に微妙なタイミング。そして一方、そんなことなど努々知らぬファレスの方も、秘密裏に情報収集してきた後者の選択肢に反応し、背中を、ひくり、と引きつらせる。
 両者の間で時が凍てつく。( コイツ、もしや……? ) と互いの肚を探り合う嫌〜な沈黙が発生。だが、疑心暗鬼の息苦しい危地をいともすんなりあっさりと解除せしめてみせたのは、誰あろう、かの奥方様の発言だった。
「はあ? あんた、なに寝惚けたこと言ってんのよー。そーんなんじゃないわよ。ほらあ、あんでしょー? 変わったトコが!」
 エレーンは「 ほーらね、ほーらね! こっちよん! 」 と大問題の頭を突き出す。だが、ファレスは鬱陶しげに身を引いて、グリグリ押し付けてくるエレーンの旋毛(つむじ) を面倒げに一瞥し、
「あんだよ。どっか変わったか?」
 ずぼらで無神経な爆弾発言。むっ? と、エレーンは顔を上げた。
「ちょっとお。あんた、あたしの味方じゃなかったのォ?」
「あ゛ァ? なんの話だコラ」
 取り敢えずは凄んで応え、ファレスは( あコラ。やんのかコラ。チョーシのってんじゃねえぞコラ ) と威圧的に顎を突き出す。そして、
「妙な話を勝手に捏造すんじゃねえ」
 如何なる同盟を結んだ覚えも彼にはサラサラないようだ。エレーンは、ずい、と詰め寄った。
「えー! 信じらんなあい。もう忘れちゃったのお!?──だからあ! あんた、こないだ言ったじゃない。あの温泉で、あたしにさあっ!」
 ファレスが片手で押し退けた。とりあえずは、ゲルの中に上がろうと、脇をすり抜け足を踏み出し、ふと、きょとん、と振り向いた。
「──なんだあ? お前、そのカッコ」
 やっと気付いたようである。
 
「……ふーん」
 ファレスは男装で固めたエレーンの成りを上から下までシゲシゲ眺めた。小首を傾げて、つくづくといった顔。そして、率直な感想を一言。「短足」
「ぁんですってえ?」
 足首で折り返して尚、爪先の出てないずるずるズボンで、エレーンは、むんっ! と足を踏み込む。こと他人様の神経を逆撫でることにかけては、この副長は天下一品の腕前である。エレーンはすぐさま床を蹴る。こうなったら頭突きで突進。だが、突っ込んできたその頭を突き伸ばした片手で難なく掴んで、ファレスはケネルを眺めやる。怪訝な視線だ。もの問いたげな無言の問いに、ケネル当人は肩を竦めて簡潔に応えた。
「"木は森に隠せ" というからな」
「──ああ、なるほど。そういうこと、、、、、、か」
 エレーンを眺めるケネルに倣って、ファレスも、ふむ、と目を返す。「にしたって、これじゃあな」
「……な、なによお? あんたまで」
 頭を片手で突っ返されて、エレーンは、じり……と身を引いた。だが、ファレスは構うことなく数歩離れ、自分の顎に手を当てて腑に落ちない顔で首を捻っている。
「なんか変だな。サマにならねえ。頭(=髪) は幾分マシにはなったが、そもそもコイツ、この体格だからな」
 ケネルも見やって、わざわざ口出す。「いや、頭も十分変だろう」
「あ゛!?」 
 ギッと、エレーンは振り向いた。何処の誰がこんな髪型あたまにしたというのだ。ぱっと目を逸らした隊長ケネルとギロリと睨む奥方様。しかし、水面下で諍う両者に構わず、ファレスは思案するように腕を組んだ。
「これじゃあ一発でバレちまうぜ。服にモロ着られちまってるしよ」
 ファレスは真面目な顔つきである。
背丈タッパはねえし、肩幅はねえし、胸板は薄いし、──まあ、体格のことは今更どうしょうもねえんだが、なんかコイツ、全体的に作りが小さ過ぎんだよな。目鼻立ちのパーツもちんまりしてるし」
「ち、ちんまりぃ──!?」
 エレーンは絶句で己の顔を指差した。ものすごーく侮辱された気がする。
「なにそれ失礼!? あたしの顔のいったいどこが、ち、ち、ちんまりしてるって──!?」
「といって、付け替える訳にもいかんしな」
 しかし、ケネルも、うむ、と、真面目な顔で同意を示し、困ったもんだ、と首を振る。ケネル隊長、匙投げる寸前。二人とも言いたい放題の暴言である。元より口の良くない連中ではあるが。
「──ああ、首の辺りじゃねえ?」
 ふと、ファレスが顔を上げた。「あの細っこい首が露出してるのが拙いんじゃねえか」
 顎をしゃくって胡座(あぐら)のケネルへ目を向ける。しっくりこない最たる点をなんとか特定したらしい。
ちんちくりんな 顔の方は何をしたところでどうしようもねえが、あれさえなんとか出来りゃあ少しはマシに──」
「ちんちく──!?」
 唖然としつつもエレーンは、俄然反駁の口を開きかけ──
「俺もそう思って、タオルで隠してみたんだが」
 ダメだった……とケネルは無念そうに首を振る。虚しい徒労を思い出したようだ。抗議の間もなく話を流され、エレーンは不完全燃焼である。
「だっから、あたし、初めからヤダって言ってんじゃないよおー。そもそも無理に決まってんでしょー? こんな格好あたしがするのお―!」
 ぶいぶい文句を言い募る。( そんなの、あたし知らないもん! そんなの、あたしが悪いんじゃないもん! ) と、ぷいっと、そっぽを向いて膨れっ面。
「ま、なんにせよ、同じ成りをさせたりすりゃあ、差異が尚のこと目立っちまうな」
 ブチブチいじけて絨毯をむしり始めたエレーンに、ファレスはツカツカ歩み寄る。
「こんな不恰好じゃ返って目立つぜ。おいコラ、じゃじゃ馬。コイツに着替えろ」
「──なによっ!?」と振り向いたその肩に、ファレスは持参した手提げを押し付けた。
 
 
「ち! あのクソアマよお」
 後ろ頭を片手で擦って憎々しげに振り返り、ファレスは舌打ちで柄悪く毒づいていた。着替えを渡した件の彼女に 「 さっさと着替えろ 」 と言ったらば、グーでポカリと殴られて、ゲルから追ん出されてしまったんである。ゲルの外の戸口横。丸い壁際に突っ立って、男二人は日向ぼっこしていた。お姫様が中で着替えをしてるんである。晴れ渡った空を仰いで、ファレスは「 んだよ、イチイチ面倒臭せーな。これだから女ってのはよ── 」 とブツブツ言いつつ紫煙を吐く。そして、
「……ケネル、腹減った」
 朝飯エサを食いに来たんである。
「もう少し待てよ」
 ケネルも、ぽ、ぽ、ぽ……とドーナツ型に紫煙を吐いた。立ちん坊で仰いだ早朝の空に真っ白い雲が流れゆく。今日もいい天気になりそうだ……
 ぽい、と放り出されて数分後、ゲルの中から 「 もう、いーわよぅ 」 との許可の声が聞こえてきた。二人はだらけた背中を引き起こし、束の間の手慰みを踏み消した。下りたフェルトを片手で払い、頭を屈めてゲルにモソモソ入室する。その途端、
「いっやーん! 何これ!? すっごい、かわいいーっ!」
 ゲルの北側から甲高い声。両手を広げ、後ろを振り向き、一人でくるくる回っているのは誰あろう、かのエレーン嬢である。満面の笑みのエレーンは素朴な木綿のブラウスに足首までの長いスカートという清楚な装い。色目こそは若干地味だが、フレアの裾には細やかな刺繍が幾つもたくさん付いている。布地に散ってる図柄は全て、手の込んだ手刺しの刺繍である。ぶっすうとしていた今しがたとはうって変わって、奥方様は大はしゃぎ。
「何これ何これ!? 民族衣装?」
 これほどまでに手のかかる品は、町でもそうそう手に入らない。輝くような笑みを向けられ、ファレスはやれやれと腕を組んだ。
「コイツは 《 マヌーシュ 》 の女の普段着だ」
「そうか、《 マヌーシュ 》 の」
 反応したのはケネルである。隣を怪訝に振り向いた。「だが、そんなもの、お前、いったいどこから」
 もちろん町では売ってない。このキャンプにしても、女は一人もいなかった筈だ。
「──あ、ああ。いや、ちょっとな」
 ファレスは返事を濁して目を逸らした。そそくさエレーンに向けて歩き出す。入手先については何故だか言いたくないらしい。エレーンはスカートのフレアを振り広げ、くるり、くるり、と体を捩って右から左から自分の後ろ姿をキャッキャとはしゃぎながら覗いている。
「ねー、でも、なんで分かったのー? これ、あたしのサイズにすっごいピッタリなんだけどー?」
「当然だろうが、あんぽんたん。使えなけりゃあ意味ねえだろうが」
 鼻歌混じりの賞賛に、ファレスは軽く溜息をつく。つまるところ二度手間なんぞはご免である。実務面を担った者は得てして要領に長けている。確実に仕事をこなさなければ己に跳ね返ってくるからだ。この副長にしても、それは然り。この辺り調達班の下っ端に「 衣類一式! 」 と大雑把な発注をキッパリかけた杜撰(ずさん)なケネルとは大違い。腕組みで見ていた副長ファレスは長いスカートに顎をしゃくって、自信満々有効な利用法を伝授する。「みろ。これなら、パンツ下ろしても分からねえ」
「ぱ──っ!?」
 ギョッとエレーンは凍結した。「 ぱ 」 の形で口を開け、そのままあんぐり全面硬直。
「糞しに行く時、こいつを着ていりゃ、ケツ出さなくて済むだろが。だからもう、森の奥まで潜んじゃねえぞ」
「ク……!? ケ……!?」
 復唱しかけて、エレーンは愕然。又も飛び出す問題発言。しかし、ファレスは気にも留めずに、満足したらしい彼女のスカートをつくづく眺め、己の首尾を再確認。
「おいコラ、ジャジャ馬。俺の機転に感謝しろよ? こんなくっだらねえモン、わざわざ持ってきてやったんだからなあ」
 副長ファレス、己の手柄を如何なく披露。「あ? 感謝しろよコラ。分かってんのかコラ。" ありがとう " はコラ」と鼻高々の偉そうな態度で感謝と賛辞を強要しつつも、両手を腰に得意満面踏ん反り返る。元より他人の事情には目聡いファレス、彼女の不便も察したらしく何処からか調達してきたようなのだ。これでも一応、野良猫なりの優しさの表明ではあるらしい。
 しかーし!
 世の中、皆が皆、おんなじ価値観を持っているとは限らない。
「──あんたって、どーして、そうデリカシーがないのよっ!」
 ああ、惜しむらくは野良猫の自由奔放なガサツさである。ようやく再起動したエレーンは憤怒のマークを額に張り付け、わなわな拳を握り込む。確かに、指摘の中身は事実ではあろうが、内容が内容であるだけに、あんまりはっきり言うのも考えもの。だが、乙女の機微など気にも留めない唯我独尊・副長ファレスは「つーか、てめえはそもそもよー、」とつくづく呆れ果てた顔つきで己が道を直進する。
「どーしててめえは、ケツの線がプリプリしてる、ぴったりのズボンばっか穿いてくんだよ」
「どーしてあんたは、そーゆーイヤラしい物の見方しか出来ないのよっ!!!」
 因みに、今話題になっているのはいわゆる只のスリムパンツである。
「んだとクソアマ! 文句があるならソイツを返せよ! さっきの無様な格好より、まだ幾分かマシだろが」
 ケネルがチラと諍いを見やった。胡座(あぐら)の肩をソロリと傾け、傍らの床に片手をつく。そして、そろそろ腰を上げ、
「あんたの体型、、ならイケると思ったんだがな」
「どーゆー意味よっ!?」
 エレーンはギロリと振り向いた。「──揃いも揃って、あんた達はーっ!」
 おちょくられ続けて幾星霜、沸々と煮えたぎった怒りが密やかな禁句についに爆発。
「んもー怒ったっ! 待ちなさあいケネルっ!」
 エレーンは地を蹴り、ケネルに突進。しかし、対するケネルも一足飛びに、ひょーい、と飛び退き、元いた場所からすっ飛んで撤退。そして、部屋中ぐるぐる歩き回る変てこりんな追いかけっこ集団 ( 構成員 約二名 ) が又も出現。
「なにそれ失礼! すっごい失礼! あたしが大人しく言うこと聞いててあげれば、あんた達ってばやりたい放題言いたい放題!」
 取っ掛かりのベルトを捕まえようと、エレーンは両手を振り回す。しかし、ケネルもひょいひょい器用にその手を避ける。寸でのところで捕まえられずに、エレーンは、ぐっ、と、拳を握った。
「待ちなさあいケネルっ! こらケネルーっ!」
 ひょい、とケネルが左へ避けた。その直後、ごんっ! と轟く凄まじい音が。
 誰もが想定外の奇妙な音だ。先行していた隊長ケネルが ( あ、しまった…… ) の顔で半裸の肩越しに振り返る。そこには驚愕の顔で立ち止まり、「 あ……あ……あ……? 」 と言葉にならない訴えを発して両手で額を押さえるエレーンが。
 いきなり進路を変えられて棚に激突したらしい。茫然自失でケネルを仰ぎ、とたとたケネルに歩いて行く。勢い余った突発事故で感情が未だ追いついてはいないらしいが、条件反射か涙目である。ぶつけた額にはタンコブがむくむく……
「……よしよし。痛かったな」
 呆然と見上げる頭に手を置き、ケネルは平手で左右にナデナデ。エレーンはぱちくり瞬いて、一転「 ひーんっ! 」 と泣きついた。ケネル隊長、「 俺が悪かった 」 と珍しく陳謝。
「なあに遊んでんだ、お前らは」
 呆れた顔で見ていたファレスが堪りかねて嘆息した。「おい。これから外に出る時には、必ずそいつを着て出ろよ」
 しかし、エレーンは只今猪突猛進中なんである。余念なく全力でケネルにしがみ付いている。ファレスは短くなった黒髪を「 あ? 聞いてんのかコラ 」 とクイクイ引き剥がすようにして引っ張った。それをバッと勢いよく奪い返して、エレーンは 「 もう! 引っ張んないでよ! 」 と不届き者を睨め付ける。
「いいかオタンコナス」
 ファレスは改めて目を向けた。「今後、外に出る時には、そいつを必ず着るんだぞ? いいな、分かったな」
 そして、その向こうのケネルをチラと見やる。「同族の女なら俺達が連れ歩いても不自然じゃねえ。だろ」
「──なるほどな」
 ケネルは小さく苦笑いした。
「なに? " なるほどな " って」
 ばっとエレーンが顔を上げ、二人の顔を交互に見やる。
「んもう。さっきから二人して、なんだっていうのよ。ひとに男の格好させたり、民族衣装着せてみたり──あ、仮装大会とかあったりするワケ?」
 男二人はチラと素早く見交わした。ケネルが軽く身じろいで最小限の言葉で質問に応える。「別に」
「あ、でもさあ、結局こういう女の子の格好をするんなら」
 スカートのフレアを見下ろして、エレーンはケネルを振り仰いだ。「別に、髪の毛とか切る必要なかったんじゃないの?」
「……ん?」
 見下ろしたケネルは、きょとん、と瞬く。直後、空気が凍りついた。
 
 嵐が吹き荒れ三分後、胡座(あぐら)のケネルが 「──ファレス 」 と隣を振り向いた。半裸の腕を 「 ここ 」 と指差し、
「咬まれた、腕」
 ケネル隊長、患部をなでなで。今回は初めから捕まっていたので、とっさに逃げられなかったんである。ファレスは呆れて嘆息する。「……お前が悪い、ケネル。そんな成りで、、、、、、、ウロついたりするからだ」
 ケネルは腕を持ち上げて不都合はないか点検中。そして、
「あ、歯形ついてる」
 今度こそ、ファレスは額を掴んで沈没した。「見て?」と言うので見てやれば、ケネルの二の腕の入れ墨の上に如何にも歯形がついている。しかも、二つの歯形が見事バッテンの形で交差しているから、あたかも「済み印」でも押されちまったかのような白々とした感がある。この入れ墨は《 ガーディアン 》の証たる《 ブラッド・ソウル 》、本来であれば畏怖の象徴である筈なのだが、物が物であるだけに制圧でもされちまったかのような実にシュールな趣きがある。そして、ここにいるのは、いやしくも " 戦神 " の名で呼ばれる男──の筈である。
「なあに、はしゃいでんだ、てめえはよ」
 ファレスはしみじみ嘆息した。「あんなもんからかって遊んでんじゃねえよ」
 
 
 ゲルの前には、元気な怒鳴り声が響き渡っていた。昨日やって来た子供らの声だ。出立する隊長のお見送りに来たのである。ケネルに心酔する子供らは、本日は自前の木刀を持参。ゲルの戸口を出た途端、ケネルとエレーンは参上した子供らにワイワイ取り囲まれていたのだった。
 目を輝かせた子供らから、特訓が云々──、部下が云々──と、怒鳴るような報告を聞いていると、ゲル右手の壁の陰から「──タイチョーさんっ! 」 と可愛らしい声が呼びかけてきた。物陰から飛び出したのはサンダル履きの華奢な子供だ。とっさに身を乗り出したケネルの膝に、あたふた転がり込むようにして駆け寄った。
「……お前も、見送りに来てくれたのか」
 激突してきた華奢な肩を片手でしっかり支えてやり、ケネルは顔を綻ばせる。昨日構ってやった盲目の少女だった。顔を擦り付けるようにして脚に両手でしがみ付いている。ケネルは華奢な背中に屈み込み、ひょい、と腕に抱き上げた。チラ、と隣を盗み見る。そこにいたのは案の定、ギリギリと唸り声を上げ始めた黒髪の連れ。ケネルは、クルリ、と少女の笑顔に振り向いた。
「お前は本当に良い子だな」
 ケネル隊長、頭をナデナデ。だが、少女は不満らしい。
「 " お前 " じゃないもん、プリシラだもん!」
 ぷぅっと頬を膨らます。
「……そうか」
 ケネルは苦笑いで言い直した。「プリシラは本当に良い子だなー。お前は顔に 落書き したり しないもんな?」
 小首を傾げて、「 なー? 」 とにこやかに少女を覗く。頭をナデナデ頬っぺにチュ。更には隣の顔をチラチラ見ながら「ぷりしら〜ぷりしら〜 」 とわざとらしく鼻歌連呼。因みに驍名馳せる " 戦神 " の顔に落書き出来る豪気な奴など世の中広しと言えどもそうはいない。
「──む!?」
 エレーンは、もちろん、カチンときた。実にあてつけがましい態度である。ケネルに負けじと、むんずっ! と手近な細腕を引っ掴む。「──わっ!? 」 と驚愕の悲鳴を上げて後ろ向きに引っ張り上げられてきたのは、昨日の件の " 三番目 " 。グイと懐に引きずり込んで両腕でムギュッと抱き締めつつも、ギョッと見上げたその頬に無理やりスリスリ頬摺りする。
「んまあっ! この子ったら、わざわざ、あたしの為に 見送りに来てくれるなんてえ〜?」
「……えっ?」
 " 三番目 " は、きょとん、と眼(まなこ) を瞬いた。さっきから、ずーっとここに居た筈である。そもそも見送りのメインは心酔している " タイチョー " の方なのであって──
 しかーし!
 この奥方様は、そんな甘ちょろい口答えは許さないのだ。「あ、あの、ぼくね……」 と訂正しかけた稚(いとけな)い口を有無を言わせず、ずい、と遮り、
「あんたってば、ほーんと可愛いんだからあっ!」
 ケネルに対抗、引き攣りおののき後退る頬っぺにチュバ・チュバ・んーチュバ♪ 切羽詰った奥方様、今にも食っちまいそうな勢いである。びくっと震えた " 三番目 " は真っ赤になって俯いた。 そういう免疫はないようだ。
 ──っぽん! とタコ口を頬っぺから引き剥がし、エレーンは右手の甲を頬に当て 「 おーほほほ! 」 と引きつり顔で高笑い。対するケネルも ( むむっ、やるな!? ) と思ったか口の先を尖らせる。
 両者剣呑に角突き合わせ、「 なんだよ 」 「 なによお!? 」 とバチバチ火花を散らし合う。密やかな諍い突如勃発。
「あ、あのっ!──あのねっ!」
 か細く慌てた声がした。苛立った二人が 「──あァ!? 」 と不穏に振り向けば、声の出所はエレーンの腹から足元辺り──そう、ダシに使われた、あの" 三番目 " である。
「……あ、あのね、なまえ、……ぼくのなまえ……」
 真っ赤な顔の"三番目"はエレーンの顔をもじもじ仰ぎ、酸素が足りない金魚のようにパクパク口を開閉している。だが、グイっと顔を振り上げると、意を決して言い切った。
「ぼく、ケイン っていうんだっ! おばちゃんっ、、、、、、!」
「……ぬっ?」
 
( あ、ばか…… ) とケネルが口をパックリ開けたが遅かった。次の瞬間、「──むっ!? 」 と振り向いたエレーンの拳がケインの脳天に目一杯めり込んだのは、
 
 言うまでもあるまい。
 
 
 
 
 

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