■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 interval 〜街道にて〜
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開け放った窓からは、町からの涼風が吹き込んでいた。荷造りを終えた間借りの室内は、こざっぱりとしてガランと広く、何処か余所余所しく白々としている。
「──ああ、ミゲルさん、いらっしゃいましたか」
投宿先の引き戸の向こうに、その姿をふと認め、クロウは微笑んで目を向けた。同室のワタリ共々出立の用意は整えてある。ミゲルと呼ばれた旅装の男も、室内で寛ぐクロウを見て、ああ、と気さくに笑みを向けた。「どうも。お久し振り」
ミゲルは肩掛けの大荷物を大儀そうに足元に下ろし、旅装の懐を探りながら、片付いた室内へ踏み出した。立ち上がったクロウに何やら差し出す。
「《 ルルカ 》 の詳細と名士の名簿。大まかなところは、まとめてあります」
二つ折りにした数枚の書類だ。
「助かります。それでは、こちらも」
クロウも用意していた書類を取り出し、引継書を交換する。書類をパラパラ捲って記載内容に目を通し、二、三の不明点を確認し合う。どちらも手慣れた事務的な動作だ。
「──確かに」
クロウは検(あらた)めた書類を元の通りに二つに折って、上着の懐へしまい込んだ。後任のミゲルに目を向ける。「それでは、ここは頼みます。要員補充が間に合わなくて、ミゲルさんには急なお願いで申し訳ありませんが」
「いえいえ、仕方がありませんよ。急な話でしたからね、今回は。──しかし、お互い災難ですよね。町の勝手がようやく分かりかけてきたところだというのに」
ワタリは窓辺で背中を向けて喫煙している。旅装のその背をそっと窺い、ミゲルは苦笑混じりに声を潜めた。「《 ロム 》って奴は人使いが荒い。あっちへ行け、こっちへ行け、と好き放題に言ってくれますからね。今に始まった話でもありませんが。しかし、その都度引っ張り回されるこっちの方は、まったく堪ったもんじゃない。──だが、ま、精々楽しませてもらうことにしますよ、この街でもね」
折り畳んだ書類を軽く振り、ガランとした部屋を見回しながら、新たな塒(ねぐら)へと慣れた身ごなしで踏み込んで行く。
「じゃあ、ワタリ。わたし達もそろそろ──」
窓から外を手持ち無沙汰に眺めていたワタリが、「……お?」と振り向き、手慰みの煙草を窓の外へ弾いた。背負い袋のストラップを足元から引っ張り上げ、左の肩へと担ぎ上げる。「んじゃ、後は宜しく頼むわな」
部屋中央で突っ立ったミゲルの肩を愛想良く叩いて、木賃宿の廊下へブラブラ出て行く。クロウも苦笑している後任の同業に一礼し、長身の連れの後に続いた。豊穣祭開催前から長逗留していた木賃宿を交代する。昼下がりのこの時間、涼しい廊下には人っ子一人いない。壁一面に続く腰窓からは、疎らに人が行き来する街道の様子が遠く見える。裏路地を駆け抜ける甲高いはしゃぎ声。近所に住む子供らだろう。慎ましやかで平和な午後。日差し溢れるのどかな光景を、クロウは見るともなしにぼんやりと眺め、誰に言うでもなく一人ごちた。「──まったく。敵の多い人だな」
粗末な踊り場の大窓からは、眩しいほどの陽光が降り注いでいた。昼の陽に白けた木造りの階段をギシギシ音をさせて下りていき、シンと静まった無人の帳場を通り過ぎ、ひんやり暗い玄関を出る。戸外は明るい日差しに満たされていた。クロウは路地の向かいを仰ぎやる。
「行くよ」
大木の枝葉がガサリと蠢めいた。濃色の緑梢をガサガサ揺らして何かが唐突に飛び出してくる。それは派手な羽ばたきと共に、青い大空へと飛び立った。漆黒の鳥だ。大きさと色からして鴉のように見えなくもないが、よくよく見れば、それとも違う。彼らの間で
"青鳥" と呼ばれるその鳥は、大きく空を旋回し、クロウに向けて鋭く降下、左の肩にバサリと留(と)まった。
「待たせたね、ジゼル 」
クロウは優しく微笑みかけた。従順に寄り添う鳥の胸を、白く繊細な指先で労わるように撫でてやる。枝葉に隠れ大人しく待機していたのは、クロウの使役する鳥"ジゼル"である。
ポカポカとのどやかな均しただけの土道へ出る。カレリア国の首都・商都 《 カレリア 》 と 《 ノースカレリア 》 とを結ぶ幹線道路 《 カレリア街道
》 である。この間には主だった街が五つばかりある。 中でも特に栄えているのは、中間に位置する 《 ルクイーゼ 》 の街だ。
《 ルクイーゼ 》 はクレスト領土の南端に位置し、カレリア北方地方への玄関口をも担っている。商都に近い立地上、華やかな影響を色濃く受けて結構な賑わいと活気を見せるこの街は、歩道が一面、煉瓦で綺麗に舗装され、店舗が立ち並ぶストリートは人々で溢れ、石造りの立派な商店も数多い。観光客が多く、従って人の出入りも頗る多い。だが、一たび街を出て北上すれば、華やいだ都会の雰囲気は払拭されて、急に長閑に──悪く言えば、急に景色が寂れてくる。後はただただ延々と、日がな一日、陽に晒された土道と、緑輝く退屈な田園風景が待ち受けているばかり。路傍には、商店どころか野草しか生えていない。
この《 ルクイーゼ 》─《 ノースカレリア 》間には、主だった街が二つある。《 ノースカレリア 》に近い方から《 ロデリア 》と《 ラデリア
》、因みに、二人が向かう《 ルルカ 》の町は、《 ラデリア 》─《 ルクイーゼ 》間に位置する小さな町だ。
逆に《 ルクイーゼ 》から商都へ向けても、主だった街は二つある。ここから先はラトキエ領家の領地であるが、《 ルクイーゼ 》に近い方から《 エルマ 》と《 ベルリア 》。何れの街も、街道沿いの地の利があり、大いに恩恵を受けて栄えている。《 ルクイーゼ 》から商都 《 カレリア 》への道筋には、多数の店舗や宿が犇き、娯楽も多く、常時、大層賑わしい。この辺りの位置関係は、商都を中心として興隆・発展を遂げた経緯(いきさつ)で、少々密集している感がある。又、商都から大陸の端まで南下すると、《 レーヌ 》という漁業で栄える海辺の避暑地に突き当たり、《 レーヌ 》までの中間地点には《 ロマリア》という名の閑静な学園都市もある。
因みに、商都 《 カレリア 》と国境・《 トラビア 》を結ぶ幹線道路は、特に《 トラビア街道 》 とも呼ばれており、街道沿いの主だった街は、商都に近い方から《
ノアニール 》《 ザルト 》の二つである。《 ノアニール 》はラトキエの領有地、《 ザルト 》はディールの領有地で、どちらも街道沿いに位置する賑わしい都市だ。
ディールの領有地は、主に、国境の《 黒い森 》に沿って展開しており、《 トラビア街道 》沿いにある街は、この《 ザルト 》一つだけである。だが、ディールは、国境の森を南下した場所に、鉱山の街《
コルタ 》を領有しており、こちらは、カレリア国第二の国境でもある。もっとも、国境といっても、《 コルタ 》の規模は、国の大動脈たる幹線道路から大分外れた支線沿いに位置する立地上、ディール領家が邸宅を構える《
トラビア 》の比ではないのだが。
"鳥師"達は要衝の街々に目立たぬように潜伏し、そこを拠点に周辺各所の情報を集め、使役する鳥を各々使って、草原を南下中の《
ロム 》の本隊へと伝えている。主要な街の間隔は、馬で一日も飛ばせば事足りる。無論、そうした間隔は常に一定に保たれているという訳ではなく、《 ルクイーゼ
》─商都 《 カレリア 》間より、《 ルクイーゼ 》─《 ノースカレリア 》間の方が遥かに長い。三領家を面積だけで比べるなら、国土の二分の一弱を領有するクレスト領家が一番広い、といえるだろう。もっとも、土地の中身を吟味するなら、手付かずの樹海と広々とした農地、そして、牧草地を含む雄大なる原野に大半が占められている、と但し書きを付けるのが公平というものだが。
「……ノースカレリア、か」
足を止めた肩越しに北方の青空を眺めやり、ワタリは我知らず呟いた。北上部隊の存在については副長を介して伝えた筈だが、本隊に動きは特別ない。隊は止まらず、引き返さない。つまりは、あの街の住人を、
「──見捨てる、か」
「見捨てるでしょうねえ」
哀れむような同意の声が横から出し抜けに割り込んだ。隣を歩く小柄で細身で美麗な"鳥師"だ。怪訝にそちらに目をやれば、クロウは前を見たまま淡々と続けた。「こっちには差し当たり、メリットってもんがありませんしね」
ワタリは小さく嘆息する。
「まったくツイてねえ連中だぜ。居残った奴らは、まさか又、軍服のお相手をさせられるとは夢にも思わなかっただろうによ」
「ギイさん達も、とんだ貧乏くじを引いたものですね」
" ギイ " とは居残り組を率いる首長の名である。本件に関する連絡は同時に入れてあるにせよ、こうなると、捕虜を拘留している彼らの元へ北上部隊が押し寄せるのは火を見るより明らかだ。同情的なクロウの慰労に、だが、ワタリは事もなげな口調で素っ気なく応じた。「まあ、向こうに居残った連中も、そんなものは適当に捌(さば)くだろうがな」
この状況は渡りに船と、さっさと無関係を決め込んで肩の荷を降ろすに違いないのだ。つまり、交渉に出向いた北上部隊に捕虜の身柄を引き渡し、そして、晴れて自由の身。何せ隊を率いるギイという男は、実にテキトーな怠け者だから。ふと、クロウが振り向いた。「あのお姫様は、まだ知らないんでしょうね」
「自分の街だぜ? んなもん知ったら半狂乱だろうぜ」
ワタリは呆れて肩を竦めた。「副長もバラす気なんかサラサラねえだろ。あの姫さんが来た途端、報告中断させられたしよ」
「しかし、隊長さんもフォローなしとは手厳しい」
ノースカレリアの話らしい。
「まったくだな。留守居を仰せつかった連中は、本隊が根城を出払って、これでやれやれ一安心、さあて羽でも伸ばそうか、ってな具合に一息ついたとこだったろうによ」
「甘くはないですねえ、世の中は」
「甘くはないねえ、世の中も、隊長も。そうは問屋が卸さないってか」
大きく腕を突き伸ばし、ワタリは欠伸(あくび)をしながら伸びをした。道端で揺れる草花には、白い蝶がのんびり纏わりつきながら戯れている。《 ノースカレリア
》襲撃の衝撃が未だに尾を引いているのか、道往く人影は、平時に比べて、ずっと疎らだ。
ジゼルを肩に留(と)まらせたまま、クロウも大きく伸びをした。「そんなに大事なんですかね、あのお姫様が」
日頃そつないこの"鳥師"に似合わず、意外にも放り投げるような辛辣な口調だ。長身の背を少し屈めて、ワタリは怪訝に隣に訊いた。「お前、姫さんに会ったことあったか?」
ふと、クロウが足を止めた。チラと目だけを素早く動かす。「いいえ? なんで、そんなことを訊くんです」
研ぎ澄まされた鋭い視線だ。
「──あ、いや、」
しどもど戸惑い、ワタリはとっさに笑って頭を掻いた。「いや、なんか、……お前、よく知ってるような口振りだったからよ……」
クロウは素っ気なく付け足した。「見かけただけですよ、あの時にね」
普段の物柔らかな口調に戻っている。今しがたの棘(とげ)は既にない。
「隊長さんに呼び付けられて、わざわざ向こうに出向いて行って──。ワタリさん、あなただって同行していたじゃありませんか」
「まあ、な。そいつは、そう、なんだがよ──」
ワタリは我に返って舌打ちした。こんな小柄な連れを相手に思わず怯んでしまった自分自身が面白くない。忌々しげに前を向きかけ、ふと思い出したように瞬いた。クルリ、とクロウを再度振り向く。
「そういやお前、隊長とどういう関係なんだよ。ご指名で "ついて来い" だなんて普通じゃないぜ」
以後、クロウを同行するよう、隊長直々のお達しがあったのだ。因みに、問い詰めるワタリの口調にはどこか非難がましい響きがあるが、あの隊長殿にすっかり心酔してしまったワタリのこと、多少の焼きもちは仕方があるまい。当のクロウは相も変わらず、興味なさげな欠伸(あくび)混じり。ワタリはムッとしつつも探りを入れた。「隊長に対する口のきき方も、ぞんざいというか馴れ馴れしいというか、どっか不遜な感じだしなあ……?」
腕を組み、不躾な視線でジロジロ観察。こういう柄の悪さは往々にして伝染(うつ)るもの。つまりは、あの上官譲りである。
「おい、クロウ。お前に心当たりはないのかよ」
前方の道を見やったままで、クロウはしみじみ呟いた。「──まあ、あの人にとっては、さぞや大切な存在でしょうからねえ、わたしは」
ぎょっ、とワタリは引き攣った。一足飛びで距離を取り、牽制顔でジリジリ後退。サラリと言ってのけたがこの"鳥師"、密やかな噂が色々囁かれていることもあり、全く冗談には聞こえない。容姿が美麗であるだけに、いやに奇妙な現実味がある。因みにワタリは、どんなに隊長に心酔しても至って健全な性向の持ち主、ソッチの方の気は皆無である。
「"切っても切れない縁" てヤツですよ」
「……へ?」
ワタリは頬を掻いて首を傾げた。今ひとつ意味が分からない。クロウは前を見たまま、やはり平然としたものだ。コソコソ戻って身を乗り出し、美麗の連れに恐る恐る確認。「お、お前さあ、それって、どういう──」
「さてと、ワタリさん、わたし達も行きましょうか」
急に話題を切り上げられて、ワタリは眼(まなこ)を瞬いた。「い、行くって、どこへ」
戸惑い顔で頭を掻いて、街道の周囲をキョロキョロ見回す。まさか、どこぞの宿へでもシケ込もうってな魂胆じゃ──!?
「何を寝惚けたことを言っているんですかね、この人は」
クロウはしげしげと呆れた顔だ。「そんなもの決まっているでしょう」
ジゼルを肩に乗せたまま、ニコリと前を振り向いた。
「次の町 《 ルルカ 》へ、ですよ」
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