■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 5話5
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体を投げ出し、必死でケインに覆い被さる。地面で肘を強かに打ったが、構ってなんかいられない。両手で地を這い、ケインを抱え、無我夢中で覆い隠す。
「……お、……おばちゃん……っ!」
体の下で、華奢な温もりが身じろいだ。両手でしがみ付いてくる。泣きじゃくる柔らかい華奢な体。震える子供を片手で抱いて、憤然と顔を振り上げた。
「何をするの! ノッポ君!」
目に飛び込んだ太陽が、逆光の刃をギラリと弾く。
「エレーン。そこ、どいてー」
ウォードは押さえ付けたケインから、少しも注意を逸らさない。見下ろす顔に、硝子の瞳に、躊躇の揺れは全くない。
「だったら先に、この子の顔から手を放して!」
「でも、手ぇ放したら、オレの頭粉々になるしなー」
「……え?」
ギクリ──と、エレーンは居竦んだ。だが、物騒な懸念をサラリと漏らして、当のウォードは無頓着に言う。
「" こっち " で恐い奴って、オレ、あんまりいないけどー、コイツのことだけは恐いと思うよー?」
……こんな子供が?
まじまじ見返す。だが、ウォードは相手の疑問に構わない。
「早くどいてー。邪魔なんだけどー」
「ど、どかないってばっ!」
ハッと我に返って、ケインに、ヒシッとしがみ付く。
「でもさー、そこにいると、エレーンの背中にも刺さっちゃうしー」
「──いや! だからっ!──そーじゃなくってっ!」
あんた、あくまで刺す気かい!?
彼の中には中止の選択肢はないらしい。腕の中で、ケインが震えて泣きじゃくっている。懐に強く引っ抱え、鋭くウォードに目を向けた。
「やめなさいウォード! こんなに怯えているのが分からないの!」
チリチリと焼け付くような苛立ちと、込み上げる恐怖を叩きつける。
──何故、こんなことになっているのか。
初めから、ウォードの手には迷いがない。心臓が苦しい程に鳴り響く。自分の息づかいが遠く聞こえる。緊張で頭に血が上り、頭がぼうっと膨張する。凶刃は空中で停止したままだ。ウォードに動きは全くない。この獲物を逃すつもりはないようだ。確信がある。この場を少しでも動いたら、きっと、あの手をためらうことなく振り下ろす──。
「どうしても刺すって言うんなら、」
渇いた喉が張り付いた。声が震えないよう自制するので精一杯。全力で相手を威嚇した。
「あたしの体ごと刺しなさい!」
ウォードに揺らぎは、やはり、ない。目を逸らすでもなく顔を見ている。あまりにまっすぐ見つめてくるので、不覚にも怯みそうになってしまうが、グッと堪えて、ここは何とか踏み止まる。感情の窺えない硝子の瞳で、ウォードは、しばらく見ていたが、
「……エレーン、怒った時だけ、オレの名前呼ぶんだもんなー」
白けた顔で小さくごちて、溜息混じりに確認した。「どうしても、どかない気―?」
「あ、当たり前でしょっ!?」
上げてた頭を慌てて下げた。すぐさまバリアーを張り直し、徹底抗戦の意思表示。ウォードが、やれやれと短刀を下ろした。やっと諦めてくれたらしい。だが、ホッとしたのも束の間で、
「しょーがないなー。なら、頭潰すかー。でも、そっちの方がもっと痛いと思うけどなー」
「──ノッポくんっ!?」
声が裏返って、やっぱり悲鳴。小首を傾げた硝子の瞳が、試すように窺った。「やっぱり、エレーンも怒るんだー」
「え?」
「前にウサギの頭潰したら、オレ、母さんにこっぴどく叱られたからさー」
世間話のような呑気な口調だ。ひくり、と頬が引き攣った。
「も、もしかして、今のは冗談だった、とか?」
ジトリ、と非難の眼差しで、本当のところを訊いてみる。果たして、ウォードは微笑って顔を見返した。
「そっちは、ぜんぜん本気だけどねー」
「……」
──やっぱ、滅法、本気かい!?
内心バンザイで、あたふた悲鳴。
ビクリ──と、ウォードが強張った。何かに鋭く弾かれたように、パッと後ろに大きく飛び退く。直後、とん、と肩を突かれた。下からだ。
「……ケイン?」
子供を庇った胸の下へと、怪訝に思い目を返す。とっさに息を飲み込んだ。
ケインの下の地面がない。小さな体が横たわる狭い周囲そこだけが、ポッカリ背景が抜け落ちている。あるのは歪みうねった空白のような白い面。泣きじゃくるケインが寝返りを打った。いや、空白に頭を押し付けるや否や、スッと中に入り込んだ。
身を翻した小さな体は、水中にでも潜るようにズブズブ空白に沈んでいく。
「──ケ、ケイン!?」
戦慄が走った。頭は判断の全てを停止する。目を見開き凝視したまま凍り付き、受け入れ難いこの光景を、食い入るように、ただただ見つめる。
瞬く間の出来事だった。残る背中を、するリ、と呑み込み、地面はすぐに蘇った。
「……消え、た?」
のろのろ体を引き起こし、へタリ、と尻を落として座り込む。地面は何事もなく沈黙している。たった今、己の目で見たことが信じられない。だが、殊更に目を凝らしても、そこには、やはり何事もない、何の変哲もない硬い地面があるだけだ。
「逃げられたー」
はっ、とエレーンは我に返った。キン──と響いた金属音に前方の藪を振り向けば、ウォードが短刀を収めたところだ。
「横からあんたがゴチャゴチャ言うから、逃げられたじゃん」
長い脚をぬっと動かし、ウォードがのっそり戻って来る。
「オレ、一応 《 ガーディアン 》 だからさー。ああいう " 先祖返り " は見つけ次第やっとかないとー」
「せんぞ、がえり?」
「まあ、いいかー、どっちでも」
隊のある草原方向を遠く見やって、どうでも良さ気に小さくごちた。「ケネルも見逃したみたいだしー」
「え?」
「どうせ、すぐにいなくなる」
……どういう意味?
「どうかしたんスか」
聞いたことのない声がした。
ガサガサと藪を割り、一人の野戦服が近付いて来る。年の頃は二十代後半、切れ長の目の痩せた男。知らない顔だ。こちらの顔を見た途端、何故か忌々しげな顔をする。いや、非難混じりのあの表情、前にも何処かで見たような……?
野戦服は藪からこちらへ歩きつつ、ウォードの姿をそこに認めて面食らったような顔をした。何事か口を開きかけ、ふと自分の足元に目を向ける。「──コイツは、」
訝しげな呟き。今、何かを蹴飛ばしたらしい。男はゆっくり顔を上げると、突っ立ったウォードに顎をしゃくった。「コイツはあんたが?」
ウォードは、いつものように、のんびり応えた。「違うよー、ザイ。オレがやろうとしたのは子供の方―」
「子供?」
「逃げられたけどねー」
ザイと呼ばれた野戦服は静まり返った木立を見回し、怪訝そうに首を捻っている。ウォードの言う「子供」というのがこうした森には場違いで、上手く想像出来ずにいるのだろう。しかも、それを「やろうとした」と言うのだから、腑に落ちないに違いない。あの切れ長の目のせいか、どこかキツネを連想させる男だ。それに、あれは何だろう。靴に何か黒っぽい金属──。クルリ、とザイが振り向いた。「怪我、したんスか」
「え?」
急に矛先を向けられて、エレーンは、あたし? と指差した。理解出来ないウォードの話には早々に見切りをつけたらしい。言われて、手足をふと見やる。
( あたし、死んだー!? )
ギョッと両手を上げて後ずさった。
「な、な、なんで? なんで、あたし、こんなことになってんの!?」
顔面蒼白。あわあわ見回す。知らぬ間に服が血だらけになっている。真っ赤に彩られた幾何学模様が、おどろおどろしいこと、この上ない。俯いた拍子に落ちてきた顔横の髪が視界に入った。
「なにこれ!? ガビガビ!? 髪の毛まで!?」
驚愕の涙目で、アチコチ慌てて引っ張ってみる。そんなことしたって取れやしないが。ザイがジロリと一瞥した。「どこか斬られましたか」
「いやっ! あたし、斬られてないし! たぶん全然斬られてないしっ!」
両の拳をグッと握って、エレーンは力いっぱい首を振る。ザイは淡々と応じた。「それなら良かった。そいつは返り血って訳ですか」
「……かえり、ち?」
ぽかん、とザイを見返した。耳慣れない言葉だ。
「にしても、どうしたってんです、このザマは」
かったるそうに首を回して、ザイは周囲を見回している。「そこいら中に、派手に血飛沫飛んでるし」
物騒な言葉にギョッと引いた。血飛沫ってことは、つまり、誰かが大怪我したとかいうことか? なら、草ぼうぼうでよく見えなかったが、さっき踏ん付けた濡れた地面は血溜まりとかいうヤツなのか? でも、怪我って誰が?
「さすがに、あんたがやったとは思わないが、」
おもむろに足を踏み替えて、ザイが訝しげに目を向けた。「ここで、何があったんです」
口調こそ淡々としているものの、恐いくらいに鋭い視線だ。まともに顔さえ見られない。そこには有無を言わさぬ強制力がある。思わず気圧され、たじろいだ。
「──あ、──やっ、あのぉ〜──い、いきなり、男の人に襲われて──」
それでも、こんな時にも頭を掻きつつ、ついついうっかり、お愛想笑い。場違いなこと甚だしいが。こっちをじっと見やったままで、ザイの方はニコリともしない。やはり、淡々と訊いてくる。「そいつにその顔、殴られたんで?」
「う、うん、そう……それで、その人、あたしのこと斬ろうとして、あたし、そこに座り込んじゃって──あ、でも、大丈夫! あたしは全然大丈夫なんだけど。あ、それで、その、──」
惨めな程にしどろもどろだ。邪険な視線に晒されて生きた心地もしやしない。ザイは眉をひそめて聞いている。言葉に詰まると、顎をしゃくって促してきた。「で、その男は、どうしたんです」
エレーンは小さくなって俯いた。
「……き、消え……ちゃって……」
「消えた?」
案の定ザイは、苛々と聞き咎めた。僅かばかり語気を強めて、不審な顔で問い質してくる。
「" 消えた " ってのは、どういう意味です」
「……う……あ、だから、あの、……」
ジロリと見られて言い淀む。さりげなく視線を脇に逃して、エレーンはそっと嘆息した。ケインは自分が " 消した " と言っていた。けれど、子供の話を鵜呑みには出来ない。そもそも、こんなに恐い顔されていちゃ、夢みたいなそんな話、とてもじゃないが言い出せない。──でも、ケインも文字通り
" 消えた " ではないか。自分の真下で忽然と。
「──あ、いや〜、あの〜──なんて言ったらいいのか、そのぉ〜──」
なら、襲撃してきた物盗りも、ああやって " 消した " ということか? でも、それなら、どこへやったのだ? あの男のことだけじゃない、ケインはどこへ行ったのだ? それに周囲に飛び散った血飛沫は──。
「き、気がついたら、もう、いなかったっていうか、どっか行ったみたいっていうか──その、──」
多分ケインの話はしない方がいい。この男、なんか恐いし信用出来ないし、いや、誰にも話さない方がいい。ウォードから聞いた限りでは、問答無用の襲撃動機は個人的なことではないらしいし。もし、この男がそれを知ったなら、騒ぎがもっと大きくなる。そうしたら、ケインは──。
「つまりは、どういう話ですかね」
ザイが堪りかねたように口を挟んだ。「あんたは、ここで見てたんでしょう」
「う゛……。だ、……から……っ!」
畳み掛けられ、ぐっ、と詰まる。ザイは、じっ、と見たまま微動だにしない。進退窮まり、エレーンは、むぅ……っ、とザイを見る。無愛想なその顔に、ついついうっかりガンくれた。
( なによおキツネ男! そんなトゲトゲしちゃってさあ! なんか、あたしに恨みでもあんの!? )
ザイは委細構わず訊いてくる。
「なんで、あんたを斬らなかったんです」
ああ、ニコリともし(やがら)ない。
「だ、だからぁ〜」
なんで、そんなに恐い顔をするのだ。平和に行こうよ人生は。
「目ぇ開けた時には、もういなくなってたって、あたし、さっきから言っ──」
「だから、どうして。何か理由があるでしょう。どうして急に、いなくなったりするんです」
ピシャリと言い分を跳ね付けられて、グッと詰まって、たじたじと引く。取り付く島もありゃしない。嫌われてるように思うのは、こっちの被害妄想か?
キツネ男の追求は厳しい。まともな答えを聞き出すまで、ここから解放しない気だ。にしても、つっけんどんなこの口調、尋問みたいで息が詰まる。酸素不足の金魚の如くに、ぱくぱく喘いでザイを見る。
「そりゃあ、あたしは、ここにいたけど、でも、そんなの、あたしにも訳わかんな──!」
スッ、と目の前が塞がった。ふと見上げた木漏れ日の視界に、日差しを遮る直線の肩。至近距離には白シャツの背──? 薄茶の髪が、ふわりと靡いた。
「ノ、ノッポ君?」
目の前に立ちはだかったウォードの腕に何気に後ろに追いやられ、面食らって首を傾げる。無言で背けた白シャツの背は、どいていろ、と言わんばかりだ。長い片脚に重心を預け、ズボンのポケットに手を突っ込み、ウォードは小首を傾げてザイを見ている。そして、
「オレがやったー」
「……え?」
一瞬、頭が真っ白になる。胡散臭げに眉をひそめて、ザイもおもむろに見返した。
「さっき訊いた時には、あんたじゃないと言いやしませんでしたかね」
怒気を孕んだ冷ややかな当てつけ。
「さっきはねー」
相手の不機嫌を物ともせずに、ウォードは答えを翻す。ギョッ、とエレーンは凍り付いた。
( ひえぇっ!? ノッポ君っ!? )
何してんのっ!? こんな恐いキツネ相手に!
なんでか、めっきり抗戦モードだ。平然としている腕に縋って、遅まきながら、あわあわ仰ぐ。もしかして意地悪ギツネと対抗する気か!? いや、おん年十五の少年に齢(よわい)ン百年も生きていそうなキツネの相手は無理だろう!
( ──ちょ、ちょっとぉ! ノッポ君ってば!)
やめよーよ!
ポケットに突っ込んだ右腕を、お愛想笑いでさりげなく、だがその実、持てる全力で(ふんぬ──っ!)と引っ張る。仰け反り返って力を込めるも、しかし如何せん、すくすく育ったウォードの体は押しても引いても微動だにしない。ああ、十五歳相手になんという情けない有様……。
仕方なく、そぉ……っと向かいを窺えば、ザイは堪りかねたように足を踏み替え、かったるそうに向き直った。それなら申し開きを聞こうじゃないか、と、そういう意図であるのだろう。こう言っちゃなんだが結構恐い。だが、ウォードに説明する気はないらしい。感情の窺えない冷めた眼で、やはり飄々と見返すばかりだ。相手の出方を無言で窺い、双方、冷ややかに対峙する。
(そ、それ、まずいってぇ〜……!)
二人をドキドキ見比べながら、エレーンは全身冷や汗まみれ。しばしザイは、口を噤んで眺めていたが、苦々しげに舌打ちすると、乾いた口調で淡々と尋ねた。「"しばらく殺生厳禁 "ってヤツ、上から聞いてませんかね」
鋭い視線でジロリと威嚇し、棘が入り混じった剣呑な皮肉。
「ち、違う! 違うの! ノッポ君じゃないから!」
慌てて話に割って入る。切れ長の目だけが、こっちを見た。振り向けた視線に鋭く射抜かれ、言った傍から、ギクリ、とたじろぐ。早速怯みそうになってしまうが、しかし、しかしである。このいたいけな十五歳を守るべく、ここは断固死守して、俄然対抗すべきである。そう、
──あたしが助けてあげないと!
臆病風に吹かれた心は、グッと奥に押し込めて、毅然と顔を振り上げる。
「違うから! ノッポ君は何もしてないから! た、たまたま、ここを通りかかっただけで──」
「分かりました」
ほんの二言三言で、ぶっきらぼうに遮られた。ザイは辟易とした顔でウォードを見返し、ウォードに対して、いともあっさり指示を出す。「先に、この人と戻って下さい」
「え?……あの、でもぉ〜……?」
どういうこと?
エレーンは、チラと、ザイの顔色を窺った。一応分かったとは言ったけど、こっちの言い分を信用したか、そこんところはかなーり怪しい。ザイは素気なく追い立てる。
「処理と報告は俺の方でしときます。人が来ますよ。さあ、早く」
何かの物音を聞きつけたらしい。長い前髪下の切れ長の目で、素早くウォードを窺った。「こんなところが見つかっちまっちゃ、あんたも色々マズいでしょ」
ウォードがブラリと踵を返した。「悪いねー、ザイ」
「貸しといたげます」
何故だか話はついたようだ。なら、さっきの睨めっこはウォードの勝ちってことなのか? 当のウォードは居残す相手に頓着せずに、さっさと藪を歩いて行く。はっ、と、エレーンは我に返った。だが、その背とザイとを交互に見やって、立ち去り難く右往左往。
「え? え? え? でも、あれは、本当〜に、ノッポ君がやったとかじゃなくって〜──て、ちょっと待ってよノッポくんっ!?」
ウォードは振り向きもせずに、ぶっきらぼうに歩いて行く。ぶらぶら歩いているだけなのに、歩行ペースは意外と速い。エレーンは慌てて追いかけた。あんな恐い見知らぬキツネと二人っきりで取り残されたら、それこそ堪ったものではない。ふと不思議に思う。何故だろう、体が楽だ。あれだけ賊に殴られ蹴られて体はボロボロの筈なのに、何故か動ける。何故か走れる──。
「も、もう! 待ってって言ってるのにぃ!」
ほぼ小走りで追いかけて、長身の横にやっと並んだ。シャツの腕に手を伸ばす。「置いてかないでよ、ノッポ君っ!」
ギクリ、と、その手を引っ込めた。ポケットから突き出た左の腕が横に一筋切れている。意外にも筋肉質な肘の下。もしや、ケインにやられたのだろうか。でも、ケインは何もしていない。事の始めから終りまで藪を見つめて立っていただけだ。困惑しつつも、ウォードを仰ぐ。「──ね、ノッポ君、腕が、」
ウォードは前を見たまま目もくれない。怪我のことなど意に介さず、長い脚で藪を蹴り分け、どんどん歩いて行ってしまう。冷たい態度に気後れしつつも、気を取り直してついて歩いた。重たい沈黙が気詰まりで、おずおず顔を覗き込む。「──あ、ありがとね。ケインのこと、かばってくれて」
ウォードの返事は、やはり、ない。進行方向を見やったままだ。ただ感情の窺えない硝子の瞳が、ほんの僅か、細められたような気がする。そこに微弱な苛立ちを感じ取り、あたふたウォードを振り仰ぐ。
「た、助かっちゃった、ザイって人と話してくれて! あたし、あの人初めてで、なのに、しつこく訊いてくるし、あの人なんか強引で、頭ごなしに突っ掛かってくるし、ああいう恐そうな人って、あたし、あんまり得意じゃな──」
「これで、いいんだろー」
「……え?」
胸を射抜かれた。とっさに足が凍りつき、息を呑んで立ち尽くす。ウォードは、足さえ止めようとしない。
木々をざわめかせて、風が吹いた。漏れ降る木漏れ日を浴びながら、白いシャツの長身の背が、風道に向けて歩いて行った。
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