■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 5話6
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「……はー。又、怒らせちゃった」
一人ぽつねんと取り残されて、エレーンはげんなり溜息をついた。ああ、不覚……と肩を落として、とぼとぼ一人で歩き出す。痛めつけられた体の随所が、思い出したようにズキズキ痛んだ。憮然と去ったあの横顔。どうしようもなく気が沈む。
ウォードが何を考えてるのか、分からない。ついさっきまでケインと敵対してたのに、他人にそれを訊かれれば、自分がやった、と相手を庇う。それこそ手の平返したように。それとも、ザイの態度が気に触って反抗してみただけなのか。
「反抗期、かあ……」
難しい年頃だ。遠い過去に覚えがある。十五歳──大人でもなく子供でもない。あの頃、世界は単純で、正義か悪か、ただそれだけに分かれていた。今にして思えば些細なことが、一々神経に引っ掛かり、全ての大人が下らなく見えた。世の中全てが忌々しくて、いつでも何かに苛ついて、突っ掛かってばかりいた。そもそも、青春なんて戯言は、外野が勝手に羨むものだ。渦中にいる当人にすれば、気楽なものでも輝かしいものでもない。日々が怠惰でつまらなくって、真綿にすっぽり包まれてるみたいに、いつでも、どこでも息苦しくて。払っても払っても、しつこく纏わりついてくる得体の知れぬ霧のように。そんな日々が無限に続くと思ってた。変化していく体に対する戸惑いと、自制できない苛立ちと。いっぱしの大人のつもりではいても──。
ガサリ、と藪が大きく揺れた。進行方向、左の藪だ。全神経をそばだてて、慌てて意識を振り向ける。息を殺して見ていると、鬱蒼と生い茂る木立の向こうに、無造作に歩く人影が見えた。長い髪を振り払い、苛立ったように方々見回し、慌てて歩くあの姿──。
「おんな、男……?」
藪を掻き分ける足を止め、ファレスが長髪を払って振り向いた。丈高い野草の向こうで、訝しげに眉をひそめて立ち尽くし、ツカツカこちらへやって来る。
「──お前!?」
ピタリと歩行の足を止め、驚愕の顔で息を呑んだ。「斬られたのか!」
「き、斬られてない! 斬られてないって!」
ギョッと否定し、すぐさま慌てて首を振る。ファレスは唖然と立っている。馴染みの顔を見ていたら、じわり、と何かが込み上げた。
「──お、女男〜!」
居ても立ってもいられずに、両手を振って、一心に駆け寄る。絶句で立ち尽くした懐に、地面を蹴って飛び込んだ。
両手でしがみ付いて、ぅわんぅわん泣く。とりあえず。ファレスは無言で立っている。いつものように文句を言うでも、鬱陶しがって引き剥がそうとするでもない。視線は前に向けたまま腕を自然に下に下ろして、無言でそこに立っている。ただ下ろした腕の先の手は拳を握っているようだ。普段はガサツなこの彼の、異様なほどの静けさが何か奇妙に思えたが、今は構っていられなかった。
「女男女男女男〜!」
必死で強くしがみ付く。我慢していた恐怖の波が堰を切って押し寄せて、今更ながら体が震えた。張り詰め続けた緊張の糸が、プツン、と唐突に切れてしまったようだ。
「──誰にやられた」
押し殺した声が落ちて来た。一瞬、何のことやら分からない。怪訝に思って見上げれば、ファレスはやはり、森の奥を眺めている。ギクリと、体が居竦んだ。酷く険しい横顔だ。声こそ荒げはしないものの、殺伐とした雰囲気に軽口を叩くことさえ憚られる。
「……あ、あの、」
意外な反応に背筋が凍った。目をさえ向けずに、ファレスが低く呟いた。「お前と同じ目に遭わせてやる」
ぞっとするほどの冷たい声。気圧され、とっさに目を逸らす。ヒシヒシと伝わってくるのは日頃の開けっ広げなぞんざいさからは想像も出来ない酷薄さ。とっさにたじろぎ、俯いた。「……い、いいの、もう」
「──あ?」
ファレスが怪訝に見下ろした。その視線から逃れるように目を逸らす。「い、いいの……もう、いなくなっちゃったし……」
柳眉を吊り上げ、ファレスが吼えた。
「何がいいんだド阿呆が! 面ァパンパンに腫らしやがって!」
ニュッ──と藪から片手が突き出た。遠く丈高い野草の海を、何かが無造作に掻き分けている。踏み込む足取りは急いでいるのか乱暴だ。どんどんこちらに近付いて来る。ガサリと藪が分かれた拍子に、よく知る横顔が垣間見えた。
「……ケネル?」
エレーンは思わず呟いた。何かを探しているらしい。藪を掻き分け、あちこち見回し、ケネルは珍しく焦った顔だ。何があったか、ひどく慌てている様子。ふと、こちらを振り向いた。
「──あんた」
途端、唖然と口を開けて絶句する。まじまじ見やって、そして、尋ねた。「どうした。そんな厚ぼったい顔をして」
不思議そうな顔だ。チラと隣のファレスを見る。無言で容疑を被せられ、ファレスがギロリと睨み返した。「俺じゃあねえよ。この服見てみろ」
「服?」
ケネルが眉をひそめた。生い茂った藪を掻き分け、一直線に近付いて来る。丈高い野草に邪魔されて、服まで見えていなかったらしい。ケネルの足取りはすこぶる速い。石やら窪みやら段差やら障害物が満載の筈だが、そんな物などモノともしない。丈高い野草の波を割り、ケネルの上半身が現れた。足を止めて一瞥するなり、驚いた顔で息を呑む。「あんた、それ──!」
ツカツカ近付き、指で髪先を無造作に摘む。物問いたげに振り向いた。
「あ、ううん! 違うから!」
エレーンは慌てて全否定。「これは全っ然違うから! あたし、どっこも斬られていないから!」
ケネルは珍しく険しい顔だ。背を屈め小首を傾げるようにして顔を覗き込んでくる。「なら、この有様は、どうしたんだ」
「あ、この血は、別にあたしの血っていう訳じゃ──」
「なら、その顔は」
ケネルが静かに問うてくる。澄んだ黒瞳でじっと見られて、じわり、と熱いものが込み上げた。
「……うっ……ケ、ケネルぅ〜……!」
隣のファレスはポイと打ち捨て、すぐさまそっちに乗り換える。どういう訳だか今日の野良猫、なんだかいやに恐いから。
「ぅわあん! ケネルケネルケネル〜!」
泣き直しとく。とりあえず。ピーピー泣いてしがみ付いた胸が呼吸と共に上下した。ケネルが溜息をついたらしい。うつ伏せた頭に手が置かれる。「本当に、斬られてないんだな」
無造作な労わり。耳に届いたのは、いつもの落ち着いたケネルの声。
「……うんっ……うんっ! ケネル……!」
何故か、とても、ほっとする。ケネルの声を聞くだけで力が抜けて安心出来る。だが、
「ピーピー泣くな! まだ終わった訳じゃねえ!」
ガサツな野良猫は未だピリピリ不穏である。
「おら! さっさと言えよあんぽんたん! 誰にやられた!」
「──わ、わかんない」
たじろぎつつも、エレーンは緩々首を振る。ファレスが苛々と唾を吐いた。「なに寝惚けたことを言っていやがる! てめえが殴られた相手を訊いてんだよ!」
「……だってぇ」
エレーンはおどおど首を傾げる。出し抜けに「誰」と言われても、あんな男は本当に全く知らないんである。そして、ケインのことは話せない。磐石な避難場所は両手でしっかり確保しつつも、懐からチラと目を上げて、
「し、知らないおじさん」
仕方がないから正直に申告。
「──あァ?」
ファレスの額に憤怒が浮かんだ。わなわなしつつも、ぐっと握ったゲンコを震わせ、
「馬鹿か! てめえは!」
えらい剣幕。
「そんなんじゃ、どこのどいつか分からねえだろうがっ!」
「な、な、なんで、あたしに怒鳴んのよっ!」
攻撃の矛先が真逆である。
「特徴を言えよ特徴をっ!」
この苛々ピリピリカリカリ感では、何某か答えを聞き出した途端、猛ダッシュかけて即行いなくなること請け合いだ。エレーンは両手でケネルに引っ付き(
むうー、あたしは被害者なのに〜…… )とブチブチ口を尖らせる。ちょっと不貞腐った上目使いで、イジイジしながらファレスを見る。言っても無駄だと思うけど、危ない輩はとっくにいないと思うけど、あんまり煩いから言ってやる。
「だからあ〜。なんかムサいおっさんでぇ〜、ジャンバー着ててぇ〜、刃物持っててぇ〜、ヒゲちょっと伸びててぇ〜」
「あほうっ!」
物情騒然。
「ジャンバー着て刃物持っててヒゲ生やしたジジイなんて、どんだけいると思ってんだっ!」
「──だってえっ!」
「だってじゃねえだろ! このスカタン!」
( なによお、ホントのことだもん…… )と、エレーンはやっぱり、ぶちぶちぶちぶち。もそもそ準備を整えて、ぷい、と懐に面伏せた。
「──ケネルぅ〜っ!」
安全地帯にそそくさ避難。「ん……?」と見やった部外者ケネルにヒッシと張り付き、顔をグリグリなすりつけ、懐深くに潜り込む。更には、なんでか恐い野良猫目がけて糾弾の人差し指をビシッと突きつけ、
「女男がいじめるぅ〜っ!」
メソメソ半べそ。こっちとしては慰撫とか希望。褒められて伸びるタイプである。
「んだとお? こんのバカ女がっ!」
憤怒の符丁をペタペタ貼り付け、ファレスはイラっとゲンコを握る。だが、防壁確保に(半ば強引に)成功し気が大きくなったエレーンは、ずい、と顎を突き出して一転豪気に怒鳴り返す。
「バカじゃないぃーっ! あたしはバカじゃありませんんーっ!──あのねえ知ってるぅー? バカって言う人がほんとは一番──」
「やかましいっ! 四の五の言ってねえで、さっさと吐けっ!」
だが、勇猛果敢に言うだけ言って、エレーンは、巣箱に、ぷい、とトンズラ。無論、ギロリと見やった副長ファレスも手をこまねいて見てはいない。片手で髪をグイと掴んで無下に手元に引き戻す。グイグイ髪を引っ張るも、しかし髪の毛の主は、突っ立ったケネルに両手でシッカとしがみ付き、脚に足まで抜かりなく掛けて「離すもんかあ!」と立て篭もる。ぶんぶん首振りイヤイヤしているオカッパ頭を、ファレスは「あ?」と険しく見やり、
「ナメてんのか、てめえ」
作戦変更。ゲンコを持ち上げ、無防備な後ろ頭をグーでポカポカ。
「吐けコラ。やんのかコラ。どこ行ったコラ」
続けて頭をポカスカポカスカ。仁義なき戦い、勃発。副長ファレス、自主規制、解除。
「──ちょおっとおっ!」
ついに、エレーンは振り向いた。
「そんなポカポカ叩かないでよっ! あたし、バカになっちゃうじゃないぃーっ!」
叩かれた後ろ頭を片手で押さえて、ぷりぷり恨みがましく険悪に抗議。ヒートアップしていく攻防を、隊長ケネルはチラチラ交互に盗み見て、間違っても巻き込まれたりしないよう一人日和見を決め込んでいる。一方、ケチョンケチョンに怒鳴りつけられ只今バトル真っ只中の奥方様ことエレーンは、砦の懐にシッカと両手でへばり付き、足では密かに「あっち行ってよ!」と野良猫のヤツに蹴りを入れ、「なあにすんのよっ!」とピリピリ反撃。だが、ガンをくれる野良猫に諦める素振りは微塵もない。エレーンは黒髪を払って振り向いた。
「なによっ! そんな怒んないでよっ! 恐い顔して一人でガミガミ怒鳴っちゃってさあ! 普通に訊けばいいでしょー普通にっ!」
ギッと涙目、ついには癇癪。窮鼠に噛まれ反撃を食らったファレスの片頬が、ひくり、と険悪に引きつった。沸々煮えたぎる不穏な憤怒を、なけなしの自制と節度と共に細く長く吐き出して、握ったゲンコをわなわな剣呑に震わせる。目を三角に吊り上げた。
「てんめえ〜じゃじゃ馬ぁっ! 寝惚けたことぬかしてんじゃねーぞコラ! 人がせっかく親切に──!」
「だって本当に知らないもんっ! 特徴なんて別にないもん! 別に普通のおじさんだもん!」
「ネズミっスよ」
素っ気ない声が割り込んだ。たたらを踏んで見返せば、痩せた野戦服の男が一人、南の藪から歩いて来る。さっき現れたキツネ顔──ザイとかいう無愛想な男だ。話に割って入られて、ファレスは面食らって言葉を呑む。鋭く視線を振り向けた。「ネズミだァ?」
ファレスは憎々しげな不機嫌な顔。だが、血塗れた服に顎をしゃくって、ザイには怯んだ風もない。
「ええ、ネズミの仕業っス。すいません副長。ちょっと、近くで斬っちまったもんで」
ファレスが忌々しげに舌打ちした。「──ま〜だ、いやがったのか! ネズ公が!」
ザイはぬけぬけと報告する。
「そのお客さんを、ぶっ叩いてるとこ見たもんで、こっちで処理しておきました」
「──ああ」
叩き潰すべき生贄の獲物を予期せぬ方面から取り上げられて、ファレスは面白くなさげに渋々頷く。肩透かしを食って憮然とした面持ちだ。
「じゃ、俺はこの辺で」
ザイが素っ気なく踵を返した。「あっちの始末、してきますんで」
「──おう」とファレスは苦々しげに手を上げる。ガサガサ藪を掻き分けて、ザイは今来た森へと戻って行った。
現場に一人戻ったザイの、無造作に掴んだ左手は、黒い布袋を引き摺っていた。
地面を擦る底の方は何かでぐっしょり濡れていて、彼が歩いてきた通り、下草に赤い道を作っている。
「──頭が一コに、足二本」
一面生い茂る野草の海を眺めつつ、無人の森を、ザイは歩く。野草の中にそれを見つけて、ぶっきらぼうに足を向けた。下草の中に手を伸ばし、くの字に曲がった太い指を、二本の指先で、ひょい、と摘む。
「腕一本、追加っと」
持ち上げたそれを、何の感慨もなく布袋の中へと投げ込んだ。「──後は、」
目を返した視界の先で、何かが鋭く反射する。大分離れた右手の奥だ。
「ああ、あんな所に引っ掛かっていやがった」
ザイはそれを認めて足を向ける。大木の幹、目の高さに刃が一本突き立っていた。その柄を握る厳つい右手を短剣の柄から無造作に外して、袋の中へと放り込み、樹幹に残った刃を引き抜き、淡々と無表情で眺め下ろす。「碌な得物じゃねえな」
一人呟き、やはり布袋の中へと放り込む。ザイは辺りを見渡した。「胴体はどこへ行っちまったんだ」
散々付近を捜してみるも、やはり何処にも見当たらない。結局適当なところで捜索を打ち切り、後片付けに見切りをつけた。
「回収終了」
重くなった袋を引き摺り、東の崖へと歩き出す。
「たく、なんて力だ化け物が。発破でも食わせたみたいにバラっバラにしちまいやがって。あんなもんに近くをうろつかれていちゃ、」
梢から落ち降る木漏れ日だけが、無人の森にチラチラ揺れる。ザイはボソリと呟いた。
「やり難くてしょうがねえ」
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