CROSS ROAD ディール急襲 第2部3章 6話5
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 足元に屈み込んだ短髪の首長に、ぶかぶかの靴下を履かせてもらいながら、エレーンは、えぐえぐ泣きじゃくっていた。
 靴下の持ち主は、このテントの主アドルファス。裾下の裸足を見てとった彼が、使い込んだザックの中から替えの靴下を出してきて 「 これ履いてろ 」 と貸してくれたんである。無論、サイズは全く合わないが。因みに、ペッタリとへたり込んだエレーンの肩には、重量感ある分厚い上着。両手でシカと抱きかかえているのはテントの備品、収納状態の寝袋シュラフである。
「──そう、いつまでも、いつまでも泣くなって。命まで取られた訳じゃないだろが」
 ぴいぴい泣いてるエレーンを見やって、世話を焼いてる短髪の首長が持て余したように嘆息した。エレーンは、右の踵(かかと)を持ち上げられ、思い切りサイズの合わない馬鹿でかい分厚い靴下に爪先をクイクイ突っ込まれながらも、ずびずび鼻を啜りつつ、そして、うえっうえっ泣きベソかきつつ訴える。「……だ、だって、……だって、だってえ……!」
 しかし、大して中身はないのであった。
「ほい、終わり。──そら、そっちの足も出してみな」
 装着し終えた右足をテントの床に放り出し、バパは、残るもう一方の足に取りかかる。しかし、生憎とエレーンは、只今、靴下どころではないんである。脚を伸ばしてへたり込み、短髪の首長のされるがまま。
「──ほらよ、紙」
 短髪の首長に差し出されたそれを 「 あ゛、う゛ん゛、あ゛り゛か゛と゛…… 」 と受け取って、エレーンは、ぢーんっ! と鼻をかむ。丸めた使用済みをポイと投げ捨て、すぐさま筒状寝袋シュラフを両手でシッカと抱きかかえた。
 装着作業もあらかた済んで、バパは、しゃがんで見ていたが、「まったく、靴下くらい、自分で履けねえかなあ……」ともっともな感想をぼやきつつ、やれやれ世話の焼ける、と立ち上がった。
 元いた左の居場所に戻り、緩い胡座(あぐら)で座り込む。立て膝の上に腕を置くと、えぐえぐやってる右手を見やって、短髪の頭をボリボリ掻いた。
「もう大丈夫だって。そんなに、いつまでも泣かなくたってよ……」
 若干面倒そうな声音である。筒状寝袋シュラフにしがみ付き、エレーンは、抗議の目を向けた。
「だって見られたもんっ! 胸えっ!」
 利き手を離して振り回し、ぅぎゃんぅぎゃんバパに食ってかかる。
「……あのなあ、あんた、胸ったってよ、」
 白けきったバパの目は ( それっぱかしよ…… ) と失敬で非情な感想を、正直この上なく述べている。
「見えやしねえよ。サラシでぐるぐる巻きにしてあんだろ?」
 そして、思いついたように付け足した。「──あ、ほら、むしろ格好いいぞ。女博徒みたいでよ」
 即席・女博徒エレーンは、怒りに拳を、ぐぐっ、と握って呑気な無礼者を睨めつけた。
「ひどい! バパさん! サラシじゃなくって包帯だもん!」
 ギッと目を剥き、身を乗り出して憤然と抗議。そこは違うでしょー! と、ぶいぶいクレーム。
「……ああ、そうですか」
 バパは、溜息と共に沈没し、短髪の項(うなじ)をゆっくり撫でた。
 逆らうつもりはないらしい。
 
 二大派閥の一方を統べる、もう一人の長、アドルファスのテントである。
 とっさについた嘘八百で辛くも窮地を凌いだバパは、胡散臭げな彼らの手前、引き合いに出した彼らの大将アドルファスの元へと避難していた。
 薄暗いテントの中、一人で蹲っていたアドルファスは、珍客の痛ましい姿を見て、驚いた顔で立ち上がった。すぐさま床から上着を取り上げ、泣きじゃくる肩を慌てて包み、短髪の首長から事情を聞いた。経緯を聞いている間中、二人を唖然と見比べていたが、一段落つき居場所をそれぞれ定めると、どっかと腰を下ろすなり、難しい顔で腕を組み、それきり押し黙ったまま喋らない。
 天井から吊られたランタンが、薄暗い揺らめきを放っていた。
 テントに転がり込んだ客達は、予備の寝袋シュラフを床に広げて、座布団代わりに敷いている。テントの最奥に、未だえぐえぐやってる奥方様、入口を入って右側に、いささか飽きた様子の短髪の首長。そして、胡座(あぐら)のバパの向かいには、逞しい腕を硬く組み、沈思しているアドルファスの顔がある。因みに、鎮座ましますその様は、あたかも仏像か何かのよう。
「──もう泣くなって。いーじゃねーかよ、無事だったんだからよ」
 お手上げ状態バパの顔には、内なる心境が正直に ( 面倒くせーな ) と書いてある。筒状寝袋シュラフをシッカと抱えて、エレーンは、その顔を睨めつけた。
「なによお! バパさんだって、全然他人事ひとごとじゃないんだからね! そもそも、バパさんトコのキツネが先にぃ──!」
「キツネ?」
( って誰のことだ? ) と、バパは、はて、と首を傾げる。
 エレーンはここぞとばかりに身を乗り出して、ザイの所業を一切合財言い付けた。そう、だだっ広い雑木林を散々逃げ回ったあの顛末を。無論、口は挟ませない。
 ほぼ強制的に、事情をとくと聞かされて、バパは、眼(まなこ) を瞬いた。
「──ああ? ザイの野郎に追っかけられた?」
 話をかいつまんで復唱し、表情のみで ( あんたがぁ〜? ) と何気に失敬な確認を追加。つくづく疑いの目を向けられて、エレーンは、むぅっ……と詰まりながらも、「んもー! ちゃんと躾けといてよね、あのキツネぇー!」と、人差し指でジタバタ指差す。
 バパは閉じたテントの入口を見やって「──たあく、あの野郎」と一人ごちつつ肩をすくめた。「分かった。あんたに近付かないよう、ヤツには俺から言っておく」
 だが、頬を膨らませたエレーンは、その程度では収まらない。ぷりぷりバパに目を向ける。「本当ぉーにぃー?」
「……なんだよ、その目は」
「だあって、バパさんってば、なんだかなあ〜? バパさんって強いんじゃなかったのお? なのに、なによ、さっきのあれは。脅迫なんかしちゃってさあ。言うこと聞かなきゃ言い付けてやるぅ〜って、あれじゃあ、まるっきり、" 虎の威を借る狐 "じゃん!」
 バパは、肩をすくめてエレーンを見た。「……俺に当たりちらすなよ」
 けれど、エレーンは、むー、と膨れてジタバタ暴れ、そっぽを向いた短髪の後ろ頭に、しつこく更なる追い討ちをかける。
「やっぱ、あたし、もっとカッコよく助けて欲しかったあっ!」
 バパは嘆息しながら項(うなじ)を撫でた。「──無茶言うな。怪我でもしたら、どうするんだ」
「え?」
 息を呑み、エレーンは唖然と振り返る。ならば、こちらを危ない目に遭わせないようにと、敢えてあんな姑息な芝居を──?
 キラキラ潤む熱い視線を感じたか、バパがふと振り向いた。
「あ、俺が」
 主語を付け足し、己を指差す。
「……あー、そお」
 エレーンは、むぅっ、と固まった。期待の名残りで、顎を前に突き出したままで。
 熱き想い、急速にしぼむ。どうも釈然としない決着である。バパがプラプラ手を振った。
「勘弁してくれ。こっちは俺一人だぞ。対する相手は大人数、しかも力の有り余った若いヤツばっかじゃねえかよ。そんなのに迂闊に手ぇ出してみろ。野犬の群れに仕掛けるようなもんだぜ。まともにぶち当たったら、あっという間に袋叩きに──」
 そして、エレーンが ( ああ、なんて情けない…… ) とブチブチ苛々している前で、実にあっさりと締め括った。
「そんなに、おじさんをこき使うなよ。" 終わり良ければ全て良し " って、よく言うだろ?」
 自分の利き腕を持ち上げて 「近頃めっきり、体力が落ちてきちまってなあ……」 と、クイクイ力瘤を作ってみる。急に確認したくなったらしい。
 けれど、エレーンは、そんな事なかれでは割り切れないんである。口を尖らせ、膨れっ面で、バパを見た。
「でもおっ! もっと早く助けてくれればいいのに! ヒトが捕まってるの知ってるくせに、バパさん、のんびり話なんかしちゃってさあ! どうせなら、もっと颯爽とぉ!」
「──ああ、わかった、わかった」
 バパがかったるそうに身を乗り出した。右の腕が無造作に伸びる。
「そうギャンギャン噛み付くな、もう恐かねえから、、、、、、
「……え?」
 ビクリ、と、エレーンは強張った。頭に置かれた無骨な手──? 恐る恐る上目使いで見上げれば、バパはその手をポンポン叩く。小さな子供をなだめるように。
「な?」
「……バパ、さん」
 エレーンは文句を呑み込んだ。立て膝の上に腕を戻して、バパはテントの入口を眺めやる。「道すがら知らせをやったから、すぐに連中も駆けつけるだろ。もう少しの辛抱だ──」
 その慰撫の言葉が終わるか終わらぬかのことだった。
 押し殺した声がした。
「誰にやられた」
 凄みのある野太い声。ギクリと居竦み振り向けば、声の主は、ずっと押し黙っていたアドルファスだ。考え込んでいた目を開けて、床の一点を睨んでいる。
「……え、……あの……」
 相手の思わぬ険しい顔に、エレーンは、とっさに口ごもった。元々ご面相が強(こわ)いので、見た目は大して変わりはしないが、大岩のようにどっしり構えた全身から、内心で煮え滾る激しい怒りが、ヒシヒシと溢れんばかりに伝わってくる。
「どいつだ。俺んとこの若いのだろう」
 少しいがらっぽい声で重ねて尋ね、ゆっくり、こちらに目を向ける。
「……え……や、でも、あの……」
 エレーンは、膝に俯き、もじもじ、もそもそ返事を濁す。あの男は、皆にバリーと呼ばれていた。それは覚えているけれど、
「あ、でも、あたし、他の人の名前は、よく知らないし……」
 言い付けたいのは山々なのだが、事が事なので、あまり、おおっぴらにはしたくない。だって、内容ことは強姦未遂だ。そんな醜聞が周囲に知れたら、どんな顔して歩けばいい。
 アドルファスのこの様子じゃ、話を聞いた途端に、怒鳴り込みに行きかねない。けれど、それでは騒動になる。内緒でとっちめてもらえば、それでいいのだ。だから、今は穏便に──
「バリーの野郎だ」
 ギョッと、エレーンは飛び上がった。
 慌てて見やれば、かったるそうに眺めていた、あの短髪の首長ではないか。
( なんて余計なことを──!? )
 平然とした涼しい顔に、わなわな怒りのゲンコを握る。まったく、ちっとも分かってない。乙女の恥じらいだとか機微だとか、全然ちっとも分かってない! バラすにしたって時期ってものがあるだろう!?──そうよ!
 
 大ごとになったら、どーしてくれる!?
 
 慌ててアドルファスを、取り成すように窺った。
「……あ、あのぉ……アド……?」
 こんな時、何気に、えへら、と笑っちまうのは何故だろう? 
 案の定、眉をひそめたアドルファスは、前にも増して険しい顔だ。なんとかフォローをしなくては──! 
 一人密かに焦りつつ、けれど、こうまでキッパリ名指しされれば、最早、修正の道などあろう筈もなかった。エレーンは両手を振り回し、一人ジタバタ空回り、無音の口をパクつかせる。
「──" 俺の娘 " が聞いて呆れる」
 バパが小馬鹿にしたように吐き捨てた。頭の後ろで手を組んで、かったるそうに寝転がる。
「よお、アドルファス。下っ端風情にてめえの贔屓(ひいき)をいいようにされて、黙って捨て置くつもりかよ。しかも、てめえの膝元、目と鼻の先でだ。天下の " 砕王 " もナメられたもんだぜ。それともヤキが回ったか」
「──バ、パパさんっ!?」
 エレーンは、ギョッと目を見張った。どーして煽るかな!? この人は!?
 短髪の首長にギッと振り向き ( 黙っててよっ!? ) とガンくれる。だが、まともに見やったその途端、彼の纏う雰囲気に呑まれた。
「……薄々お前も勘付いてんだろ。連中の、近頃の傍若無人は目に余る。裏じゃあ、やりたい放題だ。そろそろ、この辺りが正念場だろ」
 物言いこそは飄々としているが、バパは恐いほど真っ直ぐにアドルファスを見ていた。普段の穏やかさは、いつの間にか消え失せて、今、真顔に近いその顔にあるのは、殺伐とした表情だ。促すように顎をしゃくり、胡乱な上目使いで、アドルファスを見た。
「気概を見せろよアドルファス。これじゃあ示しがつかねえだろ」
 凄みを利かせた押し殺した叱咤。
 思わず弾かれ飛び上がり、エレーンは寝袋シュラフにしがみ付く。そして、ジリジリ身を引き、空恐ろしく豹変したバパからビクビク後退。柄悪し。この上なく。どっかの悪党の元締めのようだ。いや、事実、彼は首長だが──。
 二大派閥の両雄が、無言で睨み合っていた。
 顔つきも、雰囲気も、穏和な普段とはガラリと違う。重く立ち込めた沈黙の中、エレーンは小さくなって縮こまった。二人の顔を盗み見ながら、成す術もなくハラハラおろおろ狼狽うろたえる。自分は、明らかに場違いだ。これまでの状況に鑑みれば、逃げるに逃げられぬ立場であるが、居てはいけない禁断の場についついうっかり紛れ込んでしまったような、得も言われぬ居たたまれさを感じる。
 ふと思いつき、右隣の顔色をコソコソ揉み手で窺った。
「……あ、あのぉ〜アド? こ、これは違うから、ね? 顔、腫れてるのは、さっきの人がやったって訳じゃ──」
 せめて言っとく念の為。そう、皆に言われないのが不思議だが、顔が無残に腫れているのは、昼間ジジイの盗賊にビンタを食らったせいなのだ。だが、
「──かばうこたねえよ、俺んとこの若いのだからって」
 アドルファスの野太い声が苦々しくフォローを遮った。大岩の如くに鎮座していた筋肉質の逞しい体が、胡坐(あぐら)の膝をゆっくりと崩す。
 ランタンの灯りを遮って、ぬっ、と、アドルファスが立ち上がった。
 
 
 
 
 

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