CROSS ROAD ディール急襲 第2部3章 6話6
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 テント開口部の折り返しを跨ぎ、入口シートを片手で払って、アドルファスが憤然と出て行った。ジッパーの上げられた入口シートがはためく向こうで、筋肉の隆起する大きな背中が雑木林の宵闇に消える。寝そべった横目でそれを見届け、バパも、おもむろに身を起こした。
「面白くなってきたな。俺達も行こう」
 いそいそ笑顔で立ち上がる。
「……い、" 行こう " って……バパさん!?」
 エレーンは、あんぐりとバパを仰いだ。短髪の首長、又も豹変。いやに乗り気だ。
 意外にも楽しげな反応に、エレーンは、唖然と顔を見返す。バパは、《 書き売り 》の上に乗せてある自分の編み上げ靴 を無造作に取り上げ、テントの入口に両脚を投げ出して腰を下ろした。鼻歌で靴を履いている。はっ、と、エレーンは、正気に返った。
「な、なに言ってんの!? なんでアドにあんなこと言うワケ!? 大ごとになったら、どうすんのっ!?」
 ゲンコを握って、ぶんぶん首振る。 いーや! なるって! 絶対なるって! だってアド怒ってたもん! もんのすごっく怒ってたもん! なのに挑発していた当人は、鼻歌混じりって、どーゆーこと!?  つーか、何故にこの人、そんなに楽しそうなのだ? さっきまで、あんなに恐い顔して凄んでたくせに──! 
 非難の眼差しを感じたか、靴に両足を突っ込んだ背中が、クルリと肩越しに振り向いた。だが、きょとん、と首を傾げた当人は、
「平気だろ? 問題ねえよ。アドが、、、部下をしめるってんなら、外からの干渉にゃならねえし 」
 臆することなく、しれっと返答。エレーンは、唖然と絶句した。どういう人なのだ? この人は。というか、抜き差しならないこの状況に、いったい誰が追い込んだというのだ? だが、そうこうしている間にも、バパは、靴紐を締め上げ立ち上がる。
「そもそも首長の庇護下に手を出すなんざ、言語道断、不届き至極だ。どっちが上か、この際ハッキリさせとかなきゃな」
 入口シートを片手で持ち上げ、頭を屈めて戸口を潜る。不敵に笑った横顔は、予期せぬ精悍な顔だった。何かを狙うように眇められた目──。
 ゾクリ、と背中を撫でられる。つられて思わず踏み出した足に、唐突に何かがぶつかった。床にゴロンと転がったそれを、とっさに見やれば 《 書き売り 》に乗せていた自分のブーツだ。
 ぼけっ、と見入っていたことに気がついた。イケナイ妄想を追い払うべく頭をぶんぶん強く振り、蹴飛ばしたブーツを拾い上げ、そそくさ入口にしゃがみ込む。今、口説かれたら、絶対おちる。向こうにその気は多分ないが。
 ぶかぶかの靴下を履いた足を、靴の中にグイグイ捻じ込む。当のバパは、密かな焦燥などは意にも介さず、さっさと外へ出て行ってしまった。早くしないと置いけぼりを食らってしまう。
 アドルファスは、どうしたろう? 随分気色ばんで出て行ったけれど──。あの殺伐とした足取りは、危惧を抱くには十分だ。そう、現(うつつ)を抜かしている場合じゃないのだ。
 嫌な予感をヒシヒシと肌で感じ取り、エレーンは、気合を入れ直す。雲行きが怪しくなってきた。大騒動発生の気配。ハラハラ脈打つ胸騒ぎのままに、テントの入口を続いて潜った。
 
 夜風が体温を吹き浚う。
 闇に沈んだ草むらで、虫が静かに鳴いていた。エレーンは、ふと、アドルファスのテントを振り返る。短髪の首長と転がり込んだ時には、見ている余裕はなかったけれど──。
 それは、夜に紛れて蒼闇の中に沈んでいた。室内を照らしたランタンの灯りは、意外な程に漏れ出ていない。側面に切られた天窓から、灯りが僅かに見えるくらいだ。よく見れば、シートが二重になっている。まるで布団が掛けられたように大きなシートにテントがすっぽり覆われているから、外側のシートが遮光の役割も果たしているのかも知れない。
 木立に囲まれた夏の宵。黒梢先の濃紺の空には、三日月が冴えた光を放っている。雑木林は、暗かった。蒼黒く深い木立の先で、小さな赤がチラチラと踊る。方々で炎を熾しているのだ。歩く左手に、白っぽい地面らしきものが垣間見えた。雑木林を分かつ木立の切れ目があるようだ。道を越えた向こう側にも、小さな明るい炎の赤が、ポツリポツリと広範囲に亘って点在している。遠くからの話し声が、不意に時折、耳元を掠める。木立の間を蠢く気配──。
 暗さに次第に目が慣れてくると、一抹の違和感をふと覚えた。目の前に広がる静かな夜陰の光景に、おぼろげながら腑に落ちないものを感じるのだ。異変を探って、しばらく凝視し、ようやく理由に気がついた。深い木立の黒影の中に、テントが多数犇いている。けれど、それらはことごとく地面に低く這う形で設置され、林立する樹幹に隠れ、丈高く生い茂った野草の海に紛れている。天井の高さは、精々お腹に届くかどうかといった程度のものだから、室内は恐らく、大人が辛うじて横になれるだけのスペースしかないだろう。その存在は、極めて見分け難い。シートの黒っぽい色とも相俟って、黒く塗り潰された暗がりの背景に、すっかり溶け込んで同化している。目を凝らして殊更に注視しなければ、輪郭さえも見えてこない。それらは何れも、大きなアドルファスのテントとは、大きさも形状も全く異なる。やはり、首長は別格ということだろうか。首長には部下が大勢いるから、集会の用途も兼ねるのかも知れない。
 短髪の後ろ頭のジャンバーの背が、木々に覆われた薄暗い道の先を歩いていた。凪いだ風の月下の道を、バパは、ブラブラとした足取りで、何の気負いもなく歩いて行く。ぶかぶかの靴下が、ブーツの中で窮屈だ。腿の中程までも丈のある重たい上着の襟元を、両手でシッカと掻き合せ、エレーンも急いで後を追った。
 木立を渡った冷たい夜風が、テントで暖められた体の熱気と、恐慌に近い興奮状態を奪い浚っていく。頭が冷えて改めて見やれば、その背が一瞬、見知らぬ他人のもののように思えて、エレーンは、ふと戸惑った。
 彼に近付くのに二の足を踏む。いつも気安く話しかけてくれるから、ついつい忘れてしまいがちだが、あの首長とは個人的に親しい間柄でも何でもないのだ。今しがたのテントの中でアドルファスが居たように、他にも誰かがこの場に居るなら、躊躇も頓着もしないのだけれど──。
 気後れした。内心戸惑い、異性を意識して緊張する。後ろを歩くか、隣に並ぶか、ちょっと迷って、エレーンは、結局、隣に並んだ。
「──あ、あの、ありがと、バパさん。助けてくれて」
 遅まきながら礼を言い、内なる気まずさを悟られぬよう、努めて笑顔で話しかける。
「俺なら、嫁にはやらんがな」
 ぶっきらぼうに、バパは応えた。けれど、あまりにも唐突で、まるで脈略のない返答だ。エレーンは、不意を突かれて困惑した。戸惑い、右手を振り仰げば、当人は、暗い道の先を眺めたままだ。
「ケネルを追って来たんだろう?」
 踏み出す足が強張った。予期せず飛び出したかの人の名前──。
 エレーンは、密かにたじろいだ。冷や汗をかきつつ、そろーり、と隣を盗み見る。そんなこと言ったろうかこの彼に? 助けてもらったあの時は、動転していたものだから、ただただしがみ付くのに精一杯で、何を訴えたのか覚えてない。
( えー? 言ったっけ? むー、言ったかもしんない──あ、でも、やっぱ言わなかったかも……?)
 ギクシャク固まり、密かに必死で検討する。この点、実に重要である。それを認めてしまったら、例の " 変態女 " 事案まで芋づる式に発覚すること請け合い……。
 全身、嫌な冷や汗タラタラだ。進退窮まり、エレーンは、密かに、むむう……と唸る。それを後目(しりめ)に、バパは、続けた。
「あんたがどれだけケネルを好いても、俺が親なら、あいつにはやらん。絶対に」
 断固たる口調だ。
 は? と眼(まなこ)を瞬いて、エレーンは、おずおず隣を覗いた。「も、もしかして、バパさんて、ケネルのことが、嫌い、とか……?」
 由々しき疑惑が急浮上。実は内部分裂の危機だったのか──!? 
 だが、足を止め「……ん?」と見下ろした当人は、
「まさか」
 疑惑を、軽く一笑に付した。カラカラと笑い飛ばして歩いて行く。
「嫌いな奴の下で体を張ってやるほど、俺は、間抜けなお人好しじゃない。ヤツは、命を預けるに足る相手だよ」
「……はあ」
 ふむ、と、顎に手を置いて、エレーンは、それについて考えた。別に不人気なのではないらしい。でも、それなら、何がそんなに問題なのだ? そういや前にも副長のらねこに、ケネルだけは駄目だ、ときっぱり釘を刺されたことが──? あ、さては、なんかあるのか、あの男? 水虫だとか。
 ふと、隣の空白に気がついた。
「──あ、待って! バパさん!?」
 ついつい熟考していたら、いつの間にやら取り残されそうになっている。ぶらぶら歩く短髪の背を、エレーンは、慌てて追いかけた。親切なのかと思ったら、意外とドライだ。あの首長。
「ねえ、なんで、ケネルって、そんなに──?」
 追いつき仰げば、バパは、ふっ、と表情かおを曇らせた。「──あいつは、なんていうのか、」
 躊躇するような横顔が、黒梢の先の夜空を仰ぐ。
危ねえ、、、んだ」
 
「──たあく! なんの用だよ! てんめえ、バパ!」
 苛立ったような呼びかけの罵声が、不意に会話を遮った。
 左の茂み、暗闇の先だ。ガサガサ、パキパキ、枯れ木や下草を踏みしだく音。
「こんな夜更けに呼び付けやがって。くだらねえ用なら張っ倒すからな!」
 毒づいているのは、日頃よく知るあの声だ。険のある物言い、柄の悪い悪態、ふてぶてしい口振り。いつにも増して機嫌が悪い。嫌な予感にザワリと背中を撫でられて、エレーンは、恐々振り向いた。
 蒼と黒との雑木林を背景に、一人の細身の黒影がぶっきらぼうに歩いて来ていた。梢から漏れ降る月光に、直線的な長髪が、いやに美しく照らし出される。だが、持ち主の様子がどうかといえば、ぶすっと愛想のない三白眼で、憮然とした額には憤怒の符合が複数個。
 枯れ枝を忌々しげに蹴り飛ばしているのは、眉の細い端正な顔。掻きやる茂みのざわめきと共に、不愉快そうな悪態が、不貞腐った口調で苛々と続く。
「アレとの睨めっこが、やーっと終わって、さあ、これから街道に出るかって時によ! いったい何の嫌がらせだ! そもそも、てめえは、いつだって──って、」
 踏み出す足を、ふと止めた。苦虫噛み潰して上げられた視線が、みるみる驚愕に見開かれる。
 無礼にも人差し指を突き付けた。
「お、まえ……?」
 どうやら言葉をなくした様子だ。声を呑んだままで立ち尽くしている。そして、あんぐり氷結、愕然と停止してから、たっぷり数秒が経った頃、
「じゃじゃ馬あ!? なんで、てめえがそこにいる!?」
 開口一番、予想通りの驚愕の一喝。眦(まなじり)面白いほどに吊り上げた。因みに、コソッと隣に隠れてみたが、やっぱり見つかっちまったらしい。( ああ、絶対また、なんか言われる…… )と、エレーンは、ちょっぴりブルーが入る。案の定、ファレスは、ズカズカ藪を蹴散らして、一直線にやって来た。まだ何も言わない内から、既に物凄い剣幕だ。
 到着するなり、強く両肩を掴まれる。上目使いで俯いてた顎が弾みでガクンと振り上げられ、顔を至近距離でシゲシゲと凝視される。だが、はっ、と何かに気付いた様子で、ファレスは、慌しく膝を折った。両腕を掴んで捕えた体を右に左に振り動かし、引っ繰り返して背中まで覗き、スッと地面から立ち上がった途端、掻き合わせていた上着の前立てに、止める間もなく手を掛けた。
 躊躇(ためら)うことなく引き開けて、更なる驚愕に目を見開く。
「──お前、」
 ファレスが息を呑んで見返した。何事か言いかけるも、上手く言葉にならないようだ。力の抜けたその手から上着をすぐさま奪い返して、エレーンは、慌てて目を逸らした。不躾な不意の行動に、とっさに反応すること叶わずに、強く唇を噛み締める。
 かける言葉をなくした様子で、ファレスは、唖然と立っている。口の悪いこの男にして、罵るでも毒づくでもない。その常にない戸惑った様に、胸に熱いうねりが突き上げた。身に染み付いた習慣で、とっさにそれを堪えるけれど、もう我慢は出来なかった。
「──女男!」
 地面を蹴って、掴みかかるようにして懐に飛び込む。その場に愕然と突っ立ったままで、ファレスは、半歩押されて受け止めた。
「馬鹿野郎。どうして、お前は……」
 頭上で漏れ出た乾いた声が、力を失い、ふつり、と途切れた。呆然と見下ろす気配がする。脱力した手を肩に感じて、ますます強くしがみ付く。言葉に窮したその先を、やっとのことで探し当て、ファレスが苦々しげに続けた。「──どうして、そんな成りで、うろついたりするんだ」
 僅かな憤りとやりきれなさ、そして、やり場のない苦渋が口調の端々に滲んだ声。背中に緩く回した腕が、慈しむように体をいだく。大きな利き手が、後ろ頭を掴み取る。冷たい頬が頬を擦り、長くしなやかな薄茶の髪が、頭の重量を伴って、肩に覆い被さった。
「──ああ、大丈夫だよ、なんともねえから」
 声が、堪りかねたように割り込んだ。
 飄然とした場違いな声だ。縋りついた胸板が、それに気づいて身じろいだ。ファレスがのろのろ顔を上げる。傍らのバパを振り向く動作で、長くしなやかな直毛が、仰いだ頬をサラリと撫でた。
「なに、派手に見えるが、見た目だけだ。怪我一つしてねえよ」
 慰撫の態勢はそのままに、ファレスは、柳眉をひそめてバパの顔を見返している。事情が飲み込めずにいるらしい。バパは、肩をすくめて説明を続けた。
「無事だよ、ピンピンしてる。服はちょっと破けちまったがな」
 ファレスが訝しげに目を戻した。困惑したその顔が( どういうことだ……? )と訊いてくる。エレーンは、努めてにっこり肯定した。
「あ、うん! バパさんに助けてもらったから!」
 そう、早く安心させてあげないと!
「……なんとも、……ねえのか……?」
「うん! 平気!」
 可愛らしく見えるよう小首を傾げるオマケ付き。エレーンは、一人悦にいる。ああ、あたしってば、なんて良い人なのかしらん。バパの口が ( あ、ばか ) の形に開いたようだが、気づいた時には遅かった。
「……なんで、それを、さっさと言わねえっ!?」
 怒りに打ち震える不気味極まりない低音から、急速に高まる大音量。
 宵闇の雑木林に、ゴン──! と打撃音が轟いた。うるうる涙目で脳天を押さえて、エレーンは憤然と振り仰ぐ。「──なあにすんのよっ!? 痛いじゃないっ!?」
 不服である。心外である。不本意である。
 わなわな震える拳を握って、ファレスが眦(まなじり)吊り上げた。
「紛らわしい真似してんじゃねえ!」
「──はあっ!? なんで!? なんで、あたしのこと怒るワケえ!? なんで、ぶつのよ! 暴力反対!」
「やかましいっ!」
 ファレスがギロリと振り向いた。
「おい、クソジジイ! てめえもてめえだ! いつまですっ惚けて見てんだよ!」
 忌々しげな視線をギッと振り向け、人差し指でバパを糾弾。ぽかん、と「……俺か?」と見返したバパは、白けた顔で頭を掻いた。
「……知らねーよ。そっちで勝手に盛り上がってたくせによ」
 肩をすくめて踵を返す。( もう、どうとでもしてくれよ…… )と呆れた背中は語っている。
 軽く往(い)なされ、ファレスは、赤面で固まった。もちろんゲンコを食らったエレーンだって、ぶたれた頭を両手で押さえて、ブチブチ文句を量産するのだ。
「んもー! あんたってマジで信じらんない! すーぐ暴力とかふるっちゃってさあ! なによ! 野蛮! ケダモノ! 人でなし! あんたってば、いっつもそう! いっつもいっつもいっつもいっつも──!」
 ヒクリ、と片頬引きつらせ、ファレスがギロリと振り向いた。
ざけんな! てめえが全ての発端じゃねえかよ! いつもいつもいつもいつも──! どーしてそんなに次から次へと問題まき散らして歩くんだ!」
「なにそれ!? 横暴!? あたしのせい!? あたしが何をしたっていうのよ!? 」
 即刻、反論、鋭い詰問はさりげなく無視して、エレーンは、ぷい、と踵を返した。緊急避難わだいてんかんは得意である。グーで拳を硬く握り、頭上から湯気を立てんばかりに両の眦(まなじり)吊り上げて、ファレスがズカズカついて来る。
「なんで分かんねえんだアホンダラ! てめえがそこに居る、、ってだけで、野郎にとっちゃ問題なんだよっ!」
「──はあっ!? あんた何言ってんの!? だったら、あたしにどーしろってのよ! 消えろってゆーの!? 居なくなれってゆーの!? 透明人間になれっての!?」
「ウロチョロするなっつってんだっ!」
「なにそれ失礼っ!? あたし、ウロチョロなんてしてないもんっ! あたしはウロチョロなんてしてませんんーっ! なんっにも あたしはしてないのに、あんたってばクドクドクドクド──! だいたいねー! こーゆー時は慰めるのが先でしょ普通ぅー!?」
てめえで勝手に来たんだろうが!?
 喧々諤々(けんけんがくがく)言い合いしている間にも、ぶらぶら歩くバパの背は、蒼い夜陰に紛れていく。テントを飛び出したアドルファスの姿を捜しているのだ。エレーンは、むぅー、とファレスを睨み、ぷい、とあからさまに顔を背けた。短髪の首長の固そうな背中を、両手を振って追いかけながら、更なる繰り言を追加する。
「だいたい、なによ。なーんで、あたしのせいなワケえ? 悪いのは、誰が見たって、あっちじゃん。なのに、女男ってば、いっつも、あたしのことばっか、勝手に悪者にしちゃってさあっ!」
「お前が悪い」
 すぐさま、キッパリと返された。有無を言わさぬ断定口調だ。肩までの黒髪を翻し、エレーンは、憮然と振り返る。途端、ギクリ、と固まった。
 真っ向からの、思わぬ直視がそこにあった。少しも逸らさぬ冷ややかな正視。思わず立ち尽くした腕を掴んで、ファレスがおもむろに口を開いた。
「この馬鹿が。そんな格好でうろつくヤツが、どこにいる。少しは立場を弁(わきま)えろ」
 意外にも落ち着いた声だった。戒め嗜める断固たる口調。真顔だ。
「な、な、なによお……」
 エレーンは、戸惑いに駆られて目を逸らした。悔しさと反抗が喉元にまでせり上げる。けれど、反論することは出来なかった。こちらを気遣う真摯さが、そこには確かに在ったから。
 けれど、予期せぬ相手にやり込められて、面白くないことに変わりはない。掴まれた腕を振り払い、「バパさーん!」とあてつけがましく呼びかけて、その背に向けて踵を返す。怒った顔を殊更に作って、傍から離れようとしたその時だった。
「──てめえで " 買ってくれ " と誘ってるようなもんだぜ」
 吐き捨てるような苦々しい独語が、すれ違い様、背後から聞こえた。
 
 
 
 
 

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