■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部3章 6話8
( 前頁 / TOP / 次頁 )
根元から生い茂った逞しい若木を、突き出た片手が掻き分ける。藪を割り、姿を現した人影が、開けた雑木林を怪訝そうに見回した。奇妙に緊張した薄闇の中、月光に照らし出された数人の野戦服が、渋い顔で立っている。左の端から、不機嫌そうな長髪の副長、黒い蓬髪のアドルファス、短髪の首長バパ。そして、その他多数の部下達が、肩や腰を押さえて下草の中に座り込み、顔をしかめてうめいている。明らかに一悶着あった様子、尋常とは言い難い光景だ。
「──何事だ、いったい」
「よう、ケネル。遅かったな」
嫌味がましい不躾な声に、ケネルは、無造作に振り向いた。案の定、視線の先では、血気に逸った副長が、苛立った目を向けている。けれど、今しがた到着したばかりで事情が飲み込める筈もなく、ケネルは、訝しげに見返すばかりだ。ファレスは、不敵に見返して、蓬髪の首長アドルファスへと顎をしゃくった。
「いいところに来た。首長が " ヴォルガ " をご所望だぜ」
「──" ヴォルガ "を?」
ケネルは、面食らった顔で口をつぐんだ。居並ぶ渋面を左の端から、ゆっくりと見回していく。
「行程中は厳禁だ。百も承知の筈だろう。どうして、いきなり、そんな話に──」
ケネルは、いささか呆れた顔だ。右端のバパまで視線で辿り、不服顔のファレスに目を戻そうと、身じろぎ、足を踏み替えて、
「──あんた!?」
弾かれたように振り向いた。
「どうして、あんたがここにいるんだ! 誰と来たんだ? 一人で来たのか?」
今にも指差さんばかりの驚きようだ。無論、詰問相手は、借り物のゴツい上着に包まった、一人場違いなエレーンである。因みに、今更そんな事を言うあたり、バパの陰に隠れてしまって見えていなかったものらしい。眼(まなこ) を驚愕に見開いたケネルは、やっとシッポを掴んだ顔、散々方々を捜し回ったらしい彼の事情を ( ここに、いやがったな〜!? ) と、ありのまま雄弁に物語っている。夜虫鳴く雑木林を慌てたように見回して、厳しい顔で語気を強めた。
「怪我した体で出歩いて、熊にでも襲われたら、どうするんだ。あんたのことだ。どうせ何の用意もしないで、着の身着のまま出て来たんだろう。まったく、そんな薄着でうろついて!」
任務完遂の反動か、はたまた悲願達成の揺り戻しか、ケネル隊長、珍しく多弁だ。
「夜の森林は危険なんだぞ。自分の上着はどうしたんだ。獣避けの灯りは──」
「ケネ、ル……」
呆けたように見つめたままで、エレーンは、トタトタ近付いた。吸い込まれるような歩き方、ケネルをヒタと凝視したまま、広げた五指をピンと伸ばして、
「ケネルのばかあっ!」
びったん、と轟くビンタの音。
覗き込もうとしていたケネルの頭が、一転後ろに仰け反った。潔く振り抜いたパーの手が、高々と月空に上がる中、一同、ギョッと後退る。
雑木林が時を止めた。微妙な沈黙が立ち込める。ややあって、それぞれが密かに目配せした。戦神ケネル、皆の前で詰られ、ぶたれる。
叩かれた頬を片手で押さえて、ケネルは、唖然と見下ろしている。その顔を、エレーンは、唇を噛み締め凝視した。
「──みんなケネルのせいなんだからあー!」
地を蹴り、懐に飛び込んだ。
「もーっ! 恐かったんだから恐かったんだから恐かったんだからあ〜!」
ぅあんぅあん泣いて、オイオイメソメソ訴える。
小言の途中でビンタを食らって逆襲され、挙句しがみ付かれた当のケネルは( なんで、俺がぶたれんのー? )と、さすがに納得し難い顔。けれど、どんなに首を捻ろうと、彼には分かる筈のない難問である。エレーンは、俯いた顔を両手で拭って、えぐえぐあぐあぐ泣いている。豪気な野戦服一同は、あんぐり停止、奇妙な具合に固まって、事態の推移を、固唾を飲んで見守っている。ケネルは、軽い溜息で頭を掻くと、しがみ付く頭をポンポン叩いて、軽くなだめて引き剥がした。背を屈め、小柄な相手に合わせて膝をつき、うつ伏せの顔を下から覗く。点検するように全身を眺め、ふと気付いたように、無骨な上着の前立てを退けた。革の前立ての先に覗くは、白い寝巻きの裂かれた胸元──。
ピクリと僅かに眉をひそめて、ケネルが怪訝に見返した。しばし、唖然と絶句して、
「……なるほどな。それで " ヴォルガ " という訳か」
上着の前を元に戻して、ケネルは、ゆっくりと立ち上がった。既に事情を悟ったらしい。ファレスの険しい態度を見、殴られた頬を擦って座り込んだバリーを見、一同の渋い顔を端から順に見回して、一人短く苦笑いする。「──随分と退屈しているようだな」
「 " なるほどな " じゃないでしょー!」
「……ん?」
ケネルが視線をふと下げた。苦情の出所は、ほったらかしにされたエレーンである。むぅー、と頬を膨らませ、ケネルのシャツの胸元を、むんず、と片手で引っ掴んだ。
「なあに呑気に笑ってるワケえ!? あたし、すんごい恐い目に遭ったのにぃっ!」
ガクガク揺さぶる。思うがままに。
俗に言う「胸倉掴む」の体勢である。因みに、あまり柄が良いとは言えないこの技は、かの粗暴な副長仕込み、見よう見まねってヤツである。もっとも、ケネルに対して威圧するには、背丈が少々足りない為に、ぶら下がる形にしかならない、という、のっぴきならない難があるが。
「あんたは十分元気だろ」
片手でシャツをもぎ取って、ケネルは、すげなく受け流した。ケネル隊長、つれない反応。なにせ顔見た途端に、ビンタを食らった御仁である。無論、エレーンだって黙っちゃいない。
「──なによそれえっ!?」
両目を三角に吊り上げた。
「ビリッケツで来たくせにィ!」
ケネルの顔をビシッと指差し、相手の不手際を抜かりなく糾弾。咬み付かんばかりの抗議である。けれど、ケネルは、
「自分で勝手に来たくせに」
クイと顎を突き出して、きっぱり核心を突いてくる。舌でも出しかねない勢いで。
「──う゛!? だ、だって、それはケネルが──!」
けれど、エレーンは、反論に窮した。あの手に汗握るスリリングな、そして、秘めやかなる夜道行については、弁解の余地はないんである。何せ単なる人違い。
「──で、でも! " 大丈夫か? " くらい訊いたらどうよ!」
ケネルは、ふむ、と、それを見やった。そして、
「" 大丈夫か? "」
しれっ、と必殺おうむ返し。
「──遅いぃー!?」
エレーンは、きぃっ、と癇癪、じたばた地団駄。そして、前傾姿勢でケネルを睨む。爆発しそうな不安と動揺、今にも駆け回りそうな恐慌を抱えて、人知れず、じっと、我慢をしていたんである。ケネルでなんとか発散しようと、ずっとずっと待っていたんである。ところが、どうだ。あんなにも待ち侘びた頼みの綱だというのに、ちっとも労わってもらえない。いや、それどころか、軽くスルーされてる有様だ。ビンタは、まずかったかも知れないが。
自業自得でドツボにはまり、エレーンは、むむぅ……と唸って考える。でも、そもそも、こうなったのは誰のせいだ? ケネルのせいだ。みーんな、ケネルのせいなのだ。こんな可哀相な怪我人を、ゲルに一人でほったらかして、隣に遊びになんか行くから悪い! なのに、当のタヌキときたらば、自分だけ涼しい顔して、みんなと普通に喋っちゃってさあ──!
積りに積もった鬱憤が、発散出来ずに尚のこと溜まる。つれないケネルに顔を振り上げ、利き手の五指をピンと伸ばして、
「う゛〜! ケぇ〜ネぇ〜──!」
ふっ、と、標的が掻き消えた。ぶん、と振ったエレーンの利き手がスカっと虚しく空を切る。──と間髪を容れずに、ケネルが再び現れた。その手がエレーンの肩を素早く掴む。と思う間もなく、体の向きをクルリと変えて、トン──と前方へ押しやった。
されるがままにクルクル回され、エレーンが、はっ、と気づいた時には、たたらを踏んでバパの懐へと突進していた。「お……?」と見やった短髪の首長は、すぐさま軽く身を屈め、飛んできたエレーンの体を、腕を広げて受け止める。バパが呆れてケネルを見やった。「──あっぶねえな。いきなり投げるな」
「悪い。頼む。見ててくれ」
ケネル隊長、有無を言わさぬ事後承諾。因みに、只今の二度目の襲撃は、ひょい、としゃがんで避けた模様。肩をすくめたその顔には、( そうそう何度も、ぶたれちゃたまらん )と内なる心情が書いてある。けれど、いいようにパスされたエレーンの方は、不完全燃焼もいいところ。怒りの拳固を、ぐぐっ、と握り、憤然と顔を振り上げた。「ちょっと! ケネ──!」
「あんたはどう思う、バパ」
素気なく足を踏み替えて、ケネルがババの顔を見た。只今の懸案事項 " ヴォルガ "についての相談らしい。ジタバタ手足を振り回し「放しなさいよー!?」と暴れる胴を、逃がさぬように片手で抱えて、バパは、事もなげに返答した。
「──そりゃあ、そっちの島の話だろ? 俺の関知するところじゃねえな」
「あんたに異論はないんだな」
「ないね」
ケネルの念押しに肩をすくめて、バパは「──だがよ、」と続けた。「やはり、行程中はまずいだろう。浮かれ騒いでいる最中に、外から仕掛けられたら目も当てられねえ」
「対処は確かに遅れるな。つまり、実施には無理がある、というのが、あんたの意見ということか。このところ、ネズミの動きも活発だしな──」
「なんで、俺には訊かねえんだよ」
苛立った口調が割って入った。ずっと憮然と聞いていたファレスだ。ケネルは、おもむろに振り向いて、素気ない口調で率直に応えた。「お前には訊くまでもなさそうだからな」
ファレスが鋭く目を向けた。
「カレリアのネズミ如き、ビクつく必要はねえだろうが。──やるなら今だろ。今すぐだ! おっさんの言う通りに進めていたら、ズルズルなし崩しに立ち消える。フケようたって、そうはいかねえ!」
「……そう言うだろうと思ったよ」
ケネルは、やれやれ、と頭を掻く。ファレスが堪りかねたように舌打ちした。
「こんな話を持ち出したところで、所詮は行程の最中だ。" ヴォルガ " なんぞ、初めから出来る訳がねえ。そう踏んだからこそ、敢えてこうして持ち出した──つまるところ、コイツをどうにかしようなんて気は、初めからサラサラねえってことだ。そもそも、そこの腰抜けオヤジに──」
地面に唾を吐き捨てて、傍らのアドルファスを忌々しげに睨め付けた。
「バリーをぶっ叩けるのかよ!」
喧騒の熱気を吹き浚い、場が一瞬にして凍りついた。見えない何かに呪縛されたかのような重い沈黙が立ち込める。一隊の首長を「腰抜け」呼ばわりとは穏やかではないが、激昂に任せた暴言を、誰一人として諌めようとしない。目を逸らすどの顔も、心なしか渋い表情だ。腹立ちを弾みで叩き付けたファレスは、一足遅れて我に返り、失態を悟ったように舌打ちした。
「──悪りぃ。おっさん」
短い謝罪でアドルファスの肩をぎこちなく叩き、ばつ悪そうに目を逸らす。アドルファスも、少しくぐもった低い声で「……いいさ、別に」と短く受けた。
エレーンは、おろおろ見回した。軽く溜息をついたきり沈黙したままのケネルを見、眉をひそめたアドルファスを見、苦々しい顔のファレスを見る。いかにも不自然な光景だった。場は、奇妙に静まり返り、誰も口を開かない。身じろぐことさえ憚られるような重苦しい雰囲気だ。最後に放たれたファレスの言葉が、彼らの禁忌に触れたらしい。でも、それは──
( ……なに? どういうこと? )
重く濁った沈黙の中、エレーンは、怪訝に首を傾げた。いやに含むところのある言い方だった。あれでは、まるで、アドルファスには、バリーに気兼ねしなければならない弱味か何かがあるようだ。あのバリーが特別な存在であるかのように。
ファレスが、やっと身じろいで、仕切り直すように息を吐いた。ケネルに目を向け、おもむろに口を開く。幾分トーンダウンはしたものの、先程の苦情を再開した様子だ。
「……ね、ねえ、バパさん」
エレーンは、目立たぬように顔を上げた。後ろから拘束しているバパの袖を引っ張って、こそっと小声で訊いてみる。「なんで、女男は、あんなことを」
「──ん、ああ、ヤツはバリーの親父を殺めちまったからな……」
バパは、彼らを見やったままで、心ここに在らずの苦々しい顔だ。だが、独り言に近い等閑(なおざり)な返事は、その内容の陰惨さで、聞く者を驚愕させるに十分だった。
エレーンは、唖然と仰ぎやる。予期せぬ話に、頭が、すぐにはついていけない。そもそも、バリーはアドルファスの部下だろう。それでは話がおかしくないか? そんな抜き差しならない事情があるなら、恨んでいるのだろうアドルファスに──親の仇の男なんかに、何故、大人しく従っているのだ?
「あ、ねえ、バパさん。アドは、なんで──」
更に追求しようと顔を上げ、バパが、ふと目を返したその時だった。
「──とにかく!」
苛立った声がした。重い口調で話していたファレスだ。一時収まった憤りが、再びぶり返してきたらしい。慌てて見やれば、案の定、ファレスが、一人気炎を吐いている。
「" ヴォルガ "をやるなら、俺にやらせろ。俺がきっちりケリをつける。代理なんか立てるまでもねえよ。俺がそいつを、直(ちょく)にこの手でぶっ潰す」
ケネルは、臆せず見返した。
「手出しは無用だ、ファレス。──もっとも、釘を刺すには、少し遅かったようだがな」
現に、周囲には、暴行を受けた野戦服達が、方々に転がり、恐々やり取りを見上げている。ファレスが舌打ちで睨み付けた。
「──なんだよ、文句があるのかよ。こいつらをシメて何が悪い。こいつは俺の領分だ。隊の客分に手なんぞ出しやがって。その上、そこのイカれた野郎とくる!──おう、ケネル。例の薬はこの野郎の仕業だぜ。樹海に入るこいつのツラを、俺がこの目で見てんだよ! それをこの熊オヤジ、白々しく、かばい立てなんかしやがってよ! ジジイの肚はみえみえだろ。話をずっと先送り、このままうやむやにしようって魂胆だ! だから、俺が──」
「これはアドルファスの問題だ」
鋭くケネルが一蹴した。
ぐっと詰まって、ファレスは、顔を振り上げる。不穏に凄むその様に、下草に転がった野戦服らが、見るからにオロオロとケネルを見た。二人の上官を交互に見やり、様子を窺うどの顔も、どこか怯えた面持ちだ。けれど、ケネルは、なだめるでも取り成すでもなく、ただ淡々と見返しているばかりだ。
屈辱的に遮られ、ファレスは、咬みつかんばかりに険しい形相。それでも、何も言い返しはしない。地に向け伸ばした腕の先、力の篭った固い拳が、憤怒の度合いを示して震えた。
「……だから、てめえは手緩いってんだよ!」
腹立たしげに舌打ちすると、ファレスは、輪から外れて踵を返した。傍らのアドルファスを鋭く睨め付け、一人憤然と歩いて行く。あからさまに不貞腐った足取りだ。靴先に当たる枯れ枝を、力任せに蹴り飛ばし、鋭く幹に弾かれた枝が、短く乾いた音を立て、くるくると高く跳ね返った。樹木に八つ当たりしているらしい。闇に紛れゆくしなやかな長髪の背を眺め、ケネルは、無造作に振り向いた。「──これで、いいな」
確認した相手は、同じく見送っていた苦い顔のアドルファスだ。
「──ああ、恩に着るぜ。あれの言い分も分からんじゃないが、奴さん、だいぶカリカリしていたからな」
いがらっぽい苦笑いでそう応え、アドルファスは、長髪の後ろ姿へと顎をしゃくる。
「あれに目ぇ付けられたら、みーんなカタワにされちまわ。なに、バリーには、俺から言って聞かせる。後で、向こうにも詫び入れて──」
「それはそうと、アドルファス」
ケネルが素気なく口を挟んだ。
「ただ打ち合うだけってのも、芸がないと思わないか」
唖然と、バパがケネルを見た。
「──おいおいケネル。まさか、お前さん、本当にやろうってんじゃねえだろうな」
「俺は、副長から、そう聞いたが?」
涼しい顔で受け流し、ケネルは、面々を見回した。
「実施に際して、別段支障はないだろう。本来、この国は非戦国だ。気忙しく賞金稼ぎが仕掛けてくるような息が抜けない土地柄じゃない。カレリアのネズミに出来ることなど、所詮高が知れている。現に、日常的なチョッカイは、歩哨が排除しているし」
「──おい待て、ケネル。話を間に受けるなよ。行程中は原則禁止の筈だろう」
驚いたバパが語気を強める。ケネルは、淡々と目を向けた。
「そう、" 原則 " 禁止だ。つまり、状況に応じて柔軟に対応すべき余地がある。しかも、今回の上申者は慣例を心得る首長の一人、この不文律を知りながら敢えて申し出たというのなら、事情あってのことだろう。俺も報告を受けた以上は、真剣に検討せざるを得ない。但し、これが不文律であることについては何ら変わりのあるところではない。よって、"
ヴォルガ " 開催にあたり、条件を一つ追加する」
戸惑うバパの制止を振り切り、ケネルは、毅然と言葉を連ねた。
「アドルファスがバリーに敗れた場合、即刻、首長交代とする」
愕然と、一同は、振り向いた。あまりに唐突な宣言だ。だが、当のケネルは、意にも介さず泰然自若。普段と変わらぬ落ち着いた声音で、絶句した面々を見回した。
「何を驚く。当然だろう。部下より弱い首長なんかに、いったい誰が従える」
アドルファスが苦々しげに舌打ちした。困惑の隠せない面持ちだ。この話を持ち出したのは、他ならぬ彼ではあるのだが、提示された条件が条件だ。それを呑むには、さすがに躊躇があるらしい。戸惑うアドルファスを気負いなく見やって、ケネルは、反応を窺うように腕を組んだ。
「どうした、アドルファス。それが、あんたの希望だろう。それとも、やっぱり取り下げるか?」
挑戦的な物言いに、アドルファスが、ムッと目を向けた。
「──わかったよ。それでいい。そいつも一興、俺の方は、承知だぜ」
「そうか」
アドルファスの苦りきった返答を、ケネルは素気なく了承し、ついでバリーに目をやった。「お前の方に、受ける気はあるか」
「……お、俺っすか?」
突然矛先を向けられて、バリーは面食らった面持ちだ。ケネルは、苦笑いで見下ろした。
「お前も一度くらいは、首長と手合わせしたいだろう? 自分を指揮する上官が、どの程度強いか知りたくはないか。これは誰にでも出来ることじゃない。しかもアドルファスを討ち果たせば、一足飛びで、お前が首長だ」
「……俺が、首長に?」
「隊を率いる野心があるなら、又とない機会だと思うがな」
チラ、と目を上げ、バリーは、困惑したように目を逸らした。眉をひそめて口をつぐむ。思案を巡らせているらしい。だが、結局は、苦笑いで首を振った。「──勘弁して下さいよ、隊長。なんで俺が、頭(かしら)と手合わせしなけりゃならないんすか。そんな親父の頭をぶっ叩くような真似、俺には──」
「時にアドルファス。腕の方はもういいのか?」
ケネルが唐突にアドルファスを見た。「確か、利き手を捻っていたろう」
バリーの頬がピクリと動いた。ケネルの顔を訝しげに仰ぐ。
「──ケ、ケネルっ!?」
ギョッと、エレーンは、見返した。いや、その場にいた誰もが、だ。唖然と見つめる一同の顔を、エレーンは、焦って窺いながら、親指の爪をヤキモキと噛む。さっきから、彼らは「ぶっ叩く」とか言っていた。きっと何かの「勝負」をするのだ。ならば、こんな所で訊いたりすれば、アドルファスが不利になるではないか。少なくとも、バリーは、今、明らかに反応を示した。
けれど、一方、弱点をバラしたケネルは、これまでと変わらぬ涼しい顔。
( ──んもうっ! ケネルのバカたれっ! )
エレーンは、ギリギリ拳固を握った。猛烈に腹が立ってきた。意地が悪いにも程がある。どうして、わざわざ、暴露するような真似をするのか──!?
「さてと、どうする」
ケネルが足を踏み替え、返答を迫った。
「お前の方に、その気はないか。自信がないなら、逃げてもいいぞ」
いやに挑発的な物言いだ。むっ、と、バリーが見返した。
「──俺は、頭(かしら)の仰せとあらば、従いますよ」
案の定、不愉快そうに吐き捨てて、苦々しげに目を逸らした。
「そうか。ならば、決まったな」
ケネルが組んでいた腕をゆっくりと解いた。チラ、と隣に目を向ける。「真面目にやれよ、アドルファス」
片手を持ち上げ、ぽん、と軽く肩を叩く。アドルファスが呆れて見返した。
「何を今更。てめえでそういう風に仕向けたんじゃねえかよ」
逞しい腕を持ち上げて、蓬髪の頭を、やれやれ、と掻く。「──まあ、いいさ。俺も満更、その気がなかった訳でもねえんだ」
ケネルが、にんまり顔を見た。「だろ?」
「……まったく食えねえ野郎だぜ」
アドルファスは、ケネルと苦笑いで話している。バパは、無言で彼らの様子を眺めていたが、
「──逃げ道を塞ぎやがったか」
視線はそちらにやったまま、苦々しく呟いた。
「奴さん、これで引っ込みがつかなくなったな。もっとも大義名分が出来たから、アドも気兼ねなく打ち込める、か。──どっちにしても、どさくさに紛れて、なんてことしやがる、あの野郎」
バパは、毒気を抜かれてごちている。エレーンは、呆然と眺めていた。目の前でやり取りされた彼らの話は、さっぱり訳が分からない。けれど、一つだけ自分にも分かることがある。アドルファスは、腕を痛めているのだ。それも、片方だけの話じゃない。両方だ。それで、どうやって「勝負」なんかしようというのだ──!?
「──ケネルっ!」
緩みかけていたバパの手を、気付いた時には振り払っていた。ぶつかるようにして全力で飛び込む。
「だ、だめよ! そんなの、やっちゃ、だめっ! だって、アドは腕が──!」
ふと、ケネルが振り向いた。懐を「ん……?」と見下ろして、( ──あ!? また来たなっ!? )とすぐさま警戒、ぷい、とつれなくそっぽを向く。そして、
「本人がやる、と言っている」
しれっ、と返答。
「──だ〜か〜らあ〜! そーゆーことじゃなくってねー!」
固めた拳を、わなっと握って、エレーンは、顔を振り上げた。
「フェアじゃない、って言ってんのよっ!」
爪先立って食ってかかる。人差し指で耳栓していた抜かりないケネルが、嘆息しながら振り向いた。
「あんたには関係ない。部外者だろう」
「あたしだって仲間だもん!」
「仲間じゃない。客分だ」
憎たらしくも、わざわざキッチリ訂正の上、チラと横目で( あんたには関係ないの! )とスルーする。エレーンは、ぬぬぅ……!? と見返した。
「だめっ! だめよっ! そんなの、だめっ! 絶っ対にだめえっ!」
実力行使で、ぶんぶん首振る。頭がもげて飛んでっちゃいそうなほど。
だが、ケネルは、喚き散らすその胴を、片手でひょいと引っ抱え、「あ? なにすんのよっ!」とギロリと睨む抗議の口を、乾いた手の平で満遍なく塞いで、難なく抵抗を封じてしまう。自分に集まる一同の視線を、ケネルは、端から見回した。
「" ヴォルガ " の開催を、特別に許可する。存分にやれ。丁度いい暇潰しだ」
エレーンは、目を瞠って、ケネルを仰いだ。
( ──ケ〜ネ〜ル〜っ!?)
ジタバタ暴れる。全力で。だが、拘束した手は、ビクともしない。噛み付いてやろうと思ったが、そっちのプランも無駄だった。押さえつける手がデカ過ぎて、口が手の端っこまで辿り着けないのだ。頬を押し付けられたケネルの胸が、発声に伴い振動した。
「但し、行程中につき、降参の時点で終了とし、" 無制限 " の使用は厳に禁じる。──おい、そこの!」
遠巻きに見ていたバリーの一派を、ぞんざいな口調で呼びつけた。
「総員に伝えろ。歩哨を除いて直ちに集合。場所は野営地中央。対戦相手はアドルファス、バリーの両名だ」
(──う゛〜っ! ケネルってばっ!)
塞がれた口で、もがもが足掻いて、エレーンはケネルに必死で抗議。だが、ケネルは、片手で反抗を封じたままで、こちらの抗議は無視して続ける。
「即刻、場所と明かりの用意をさせろ。準備が整い次第、両名の " ヴォルガ " を執り行う」
ケネルの発した号令が、宵の野営地を駆け抜けた。
オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》