CROSS ROAD ディール急襲 第2部3章 6話11
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「……なによおー。やっぱ行く気になった訳え? あたしが言った時には、絶対降りねえ、ってゴネてたくせにぃ」
 重たい背後霊を背負いつつ、エレーンは、ぷりぷり雑木林を歩いていた。広場で何かやるらしいので、見に行くのだ。
「召集かけられちゃ、否も応もねえよ」
 周囲を無駄に睥睨しつつも、ファレスは、のたのた、かったるそうに歩く。
 彼らのやり取りが終わる頃には、エレーンは、ぐったりと疲れていた。脇下からの脱出を試みて、ずっと奮闘していたのだが、どうしても、どうやっても、結局出られなかったのだ。仕方がないから、脱出するのは諦めた。だが、
「──ねー、あんた、すんごく重たいんだけどー!」
 エレーンは、もちろん不貞腐っている。一方、ファレスは、相も変わらず肩に覆い被さったままだ。
「気にすんなよ」
「気にするわよ!」
 不満爆発。肩から退く気はないらしい。
「重いー! 重いーっ! そんなに乗っかって来ないでよー!──んもう! あんた、全然力入れてないでしょー!?」
 エレーンは、カリカリ隣に噛み付く。そもそも、こうもぴったり引っ付かれちゃ、歩き難いことこの上ない。「……あー?」とのっそり体を動かし、ファレスがかったるそうに顔を覗いた。
「あんだよ。体重かけたら、こんなもんじゃないぜ。試してみっか?」
 そして、おらおらおらあ──と意地悪く脱力。ずっしり体重が降って来て、エレーンは、ぐぬぬ──!? と踏ん張った。急な重みに膝が落ち、薄暗い野草に足がめり込む。
「ほーらな?」
 ぜえぜえ睨み上げた肩の上、ファレスは、平然と肘をつき、エレーンの頭をぺちぺち叩く。更にトドメとばかりに、頭のてっぺんに顎を乗せた。エレーンは、怒りに打ち震える。なんという小馬鹿にした態度であろうか。
 即行、頭上を振り払い、黒髪を払って、そっぽを向いた。プリプリしながら、暗い道を歩き出す。
 木立に夜が立ち込めていた。木々がしめやかな精気を放つ。夜の樹林は、謎めいて不思議だ。昼には、鳥や獣に凌駕され、気配を消している木々達が、日が落ち闇が立ち込めるにつれ、黒い枝葉をひっそり伸ばして、世界を怪しく呑み込んでしまう。それには誰も抵抗出来ない。昼に草を蹴散らして、幹を齧り、実を食い尽くして狼藉の限りを働くどんな獰猛な獣であっても。主客転倒の逆転現象。今、世界の主は木々達だ。
 踏み出した足の靴底で、びちゃん、と小さく水音がした。水溜りを踏んだらしい。賑やかな言い合いが過ぎ去って、不意に静寂が訪れる。一歩、足を踏み出す毎に、下草を踏む音が大きく響く。ケネルに連れられ随分長く歩いて来たが、この辺りは、テントがたくさん犇いていたさっきの場所から大分離れているようで、人けなく、ひっそり静まっている。周囲に目を凝らしても、黒い木々が広がるばかりで、草木に埋まるテントは見えない。
 言葉が、ふっつり途切れていた。目的地に向かって、黙々と歩く。一面、蒼と黒とのシルエット、それほど過密でもない木立の中は、漏れ降る月光で薄明るい。動くものは何もない。ただ梢からの一条の光の中、ゆっくり蠢く夜霧が見える。冷たく湿った清涼な空気。見渡す限りの黒い木立と蒼い空。木立がゆっくり呼吸する。立ち込める夜気の匂い。密やかな植物の呼吸。木立の底に薄く沈む白い夜霧。二人っきりだ。人っ子一人ない──。
 木立の静寂に、すっかり閉じ込められていた。視界に動くものは何もなく、意識は隣に集中する。右上辺りにある顔を、エレーンは、そっと盗み見た。ごつい上着、意外にもガッシリとした逞しい首と黒の綿のランニング。サラリと長い滑らかな髪。端整な横顔、強い力を持つ双眸、真っ直ぐに前を見る茶色の瞳──。
 目的地へ向かうファレスの足取りに、揺るぎはない。長髪と細い眉、細身の体で美麗な印象だけが残りがちだが、とんでもない思い違いだ。意外にも逞しい骨格も、他の者より余程荒っぽい言動も紛れもなく男性のもの。少し伸び始めたランニングが、所々汗ばんでいた。あんな大立ち回りを演じたのだから当然か。如何に北方の夜とはいえ、季節は夏だ。少し体を動かせば、汗くらいは、すぐにかく。そう、しらばっくれる狼藉者を前に、首長達が二の足を踏む中、彼は、一人で懲らしめてくれた。こちらの仇討ちをしてくれた。得する事なんか何もない。多分、立場が悪くなっただけだ。
 感じ方も、生き方も、自分とは異なる未知なる性。細身で端整な見かけでも、腕づくで捻じ伏せられるような、そんな甘い代物じゃない。主義主張も好みもある実体の詰まった人間だ。しかも、恐らくは獰猛な部類の──。皮膚の下に息づく荒い気性が、近くにいると、はっきりと分かる。先程の乱闘騒ぎが思い出された。ひと度、戦場の土を踏めば、この手が人を殺めるのだろうか。
 真後ろにあるのは、硬く引き締まった平板な気配。減らず口は叩いても、ファレスは、手柄話は一切しない。戦場で何をしているのか、触れようとはしない。
「──たく、寒くねえのか、そんな成りで」
 ぶっきらぼうに声をかけられ、エレーンは、とっさに口篭った。
「あ、……ううん大丈夫。アドが上着、貸してくれたし」
「──そうか」
 ファレスは、こちらを見もしない。ただ黙々と足を運ぶ。微かに煙草の匂いがした。今、意志の強そうな横顔からは、何の感情も読み取れない。何を考えているんだろう、と、ふと、それが気になった。
「──あ、さっきは、ありがとね。女男」
 エレーンは、恐る恐る隣を仰いだ。
「何が」
「だから──あんた、さっき、あたしの為に、あんなこと」
「──ああ?」
 普段の調子でかったるそうに応じたものの、ファレスは、言葉を詰まらせた。しばし、面食らったような、戸惑ったような、くすぐったそうな顔をしていたが、
「──つけ上がんな。そんなんじゃねえ」
 困惑したように言い捨てて、不機嫌そうに目を逸らした。軽く舌打ち、忌々しげに呟く。「──俺はてめえの仕事をしただけだ」
「あー、そお」
 むぅっ、と、エレーンは、頬を膨らませた。これだ。せっかく素直に礼を言ったのに。ツン、とファレスから顔を背けて、再びぷりぷり歩き出す。緩く風が吹き過ぎて、夜の木立がざわざわ鳴った。
「──ねー! 今のおっちゃん、なんか、ちょっと、お酒臭くなかったー? でも、いーワケ? あーゆー不真面目な態度でー」
 話のついでに、ちゃっかり持ち出して言い付ける。ちょっぴり羨ましいんである。
「──ああ、催事の時には全面解禁だからな。飲酒さけも賭博もあっちの方も」
「あっちって何よ」
 奥方様、間髪を容れず。
 とっさにグッと言葉に詰まって、ファレスが、かったるそうにそっぽを向いた。「──いいだろ、なんでも。お前、そういう時だけは耳聡いのな。──にしたって、前倒しし過ぎだ。がっつきやがって、あの野郎」
 酔っ払いロジェのことらしい。彼らがいなくなってから、今更、文句を言っている。エレーンは、ほくほく振り仰いだ。
「ねえ女男! あたしも飲みたいっ!」
 そう、飲酒解禁。利用しない手はないではないか。ファレスが「ああ──?」と態度悪く見やった。そして、
「あほう。昼にボコられたばっかだろうが」
 すぐさま眦(まなじり)吊り上げた。軽い舌打ちで続ける。
「昼にてめえがどんな目に遭ったか、もう忘れちまったか? ここで酒なんぞかっ食らってみろ。たちまち血行が良くなって、ただでさえ膨れたそのツラが、ますますパンパンに腫れ上がるぞ。──ったく! 誰がそのツラ、冷やしてやったと思っていやがる! やっと、少しは引いてきたのに──」
 ふと、ファレスが足を止めた。
 文句の途中で、いきなり停まったものだから、覆い被さられているエレーンも弾みで後ろに引っ張られ、顔が肩に激突した。
「──んもーっ! なんで、いきなり止まるのよー!?」
 むかっ、と肩から顔を上げ、エレーンは、不満タラタラ振り仰いだ。勝手に寄り掛かっているくせに、身勝手この上ない男だ。だが、微動だにしない相手をそこに見つけて、文句の続きを引っ込めた。
「……女男?」
 暗い地面に視線を落として、ファレスは、柳眉をひそめて立っていた。困惑したような、ためらうような顔。普段はふてぶてしい態度の彼の、こんな様子は珍しい。
「どうしたの?」
 だが、問い掛けられても、ファレスは無言だ。何か様子が変だった。俯いた顔を覗くべく、エレーンは、体を捻ろうと身じろいだ。その途端──
 ぐい、と、強く腕が取られた。視界がガクリと引っ繰り返り、黒梢を揺らす紺碧の夜空が、視界に一瞬写り込む。気付いた時には、ファレスの肩が目の前にあった。体を掬い上げるようにして背に回した片腕が、左の二の腕を強く掴んで、真正面から向き合わされた態勢だ。ファレスは、無言で見下ろしている。この状況が何であるのか頭が理解をするより早く、ファレスの右手が持ち上がり、出し抜けに顎を掴まれた。
 端整な真顔が、真正面から迫る。至近距離だ。
「──なっ、なっ、なにすんのよっ!?」
 とっさに足掻く。力の限り。だが、右腕は体の間に挟まれて、掴まれた左腕は上がらない。足は、いつの間にか爪先立ちで、体を支えているのが精一杯。
「な、な、何する気よっ!?」
 せめて、あわあわ言い返した。この密着体勢は、もしや、あの──!?
( き、き、きっ──!? )
 ──キスかっ!?
 エレーンは、驚愕に目を瞠った。なんでいきなり大パニック。ファレスが苛立ったように舌打ちした。
「──おい、動くな」
 無茶言うな! てか、なんてムードのないヤツだ!
 ファレスは、凝視でこちらを見ている。
「見せてみろ」
「な、な、何をっ!?」
「ツラだよツラ!」
 エレーンは、きょとん、と動きを止めた。
「……は?……"つら"?」
 どうしてか、顔を見たいらしい。
 梢から漏れ降る月光に照らして、ファレスは、捕えた顔を右に左に傾ける。されるがままのエレーンは、いつ、何が起こるかと、体をガチガチに強張らせ、内心ビクビクもんである。なにせ、この野良猫は、突如、凶暴に変身する。ファレスは、珍しく真剣な顔だ。あまりに間近で見つめてくるので、目のやり場にたいそう困る。エレーンは、首をすくめて目を閉じた。ふと、ファレスが手を止めた。とまどったような間があった。だが、しばらくして、再び顎を持ち上げる。
 ためつ眇めつ顔を眺めているようだ。ファレスの手の平が頬を包む。乾いた指先が頬を撫で、額に無造作に滑り込む。その手が前髪を掴んで掻き上げる。滑らかな包み込むような感触は、意外にも肌に心地良い。軽い緊張が溶けていき、気分が緩やかに寛いで、そのまま微睡(まどろ)んでしまいそうになる。気が緩みかけたその刹那、何かがサラリと鼻先を掠めた。額に柔らかな感触が落ちる。頬を掠る労わるような、慰めるような、少し硬い皮膚の感触。手の平や指先ではないような──?
 ふと、エレーンは、目を開けた。と同時に、親密な空気が大きく動いた。
「──やっぱり、そうか。どうなってんだ」
 怪訝そうな呟き。見れば、ファレスは、しきりに首を捻っている。ぶっきらぼうに解放されて、エレーンには訳が分からない。ドギマギ首を傾げて訊き返した。
「や、やっぱりって──いったい、何が " やっぱり "よ?」
 足を踏み替え、ファレスは、少し改まった顔で見返した。
「腫れが、すっかり引いている、、、、、
 眉をひそめた真顔。腑に落ちない表情だ。
「……え?……そ、そお?」
 意外な言葉に、エレーンは、ぽかんと瞬いた。小首を傾げて、己の顔をぺちぺち触る。今、ファレスがしたように。生憎と、ここには鏡がないのでシカと視認は出来ないが、そう言われれば、そんな気もする。顔が腫れてて、夕飯の時には、あんなに食べ難かったのに、今は、痛くもなければ鬱陶しくもない。そう、今にして思えば、ここの彼らの反応も奇妙だ。賊から襲撃を受けた後は、群れとは別行動を取っていたから、突然、顔を腫らして現れたら、もっと驚いて良い筈だ。なのに、指摘した者は、誰一人いない。
「──あ、あらあ! あたしも満更捨てたもんじゃないわねっ!」
 とっさに、照れ笑いで顔を上げた。なんか嬉しい乙女心。そう、こんなに回復が早いとは。だが、何が不満か「……あー?」とかったるそうに見やったファレスは、ぷい、と憎たらしく、そっぽを向いて、
「元々顔が丸っちいから、今まで、ちっとも気づかなかったぜ」
「あんたって何気に失礼よねっ!」
 間髪容れず、エレーンは、ぷりぷり言い返す。まったく、最悪の物言いである。仕様だが。
 ファレスは、やはり、不躾な視線で、ジロジロ胡散臭そうに眺めている。そして、しきりに首を捻った後に、
「どーなってんだ、てめえ」
 疑問を言語化。怪訝そうな顔。
「──知らないわよっ!」
 エレーンは、膨れて見返した。そんなこと訊かれたって困る。だが、ファレスは、やはり納得いかないようで、
「早過ぎんだろ、いくらなんでも」
「──だから、知らないってば!」
 肩までの黒髪を憤然と払って、エレーンは、拳を振って歩き出した。
 結構道を戻った筈だが、蒼霧たゆたう周囲の景色は、出発地点と大差ない。草木に紛れたテントも見えない。集合場所は、まだ先のようだ。
「……ところで、ねー、女男」
 しな垂れかかる腕を引き、エレーンは、隣のファレスを仰いだ。「" ヴォルガ "って、なに?」
 実は、ずっと、一人、蚊帳の外に置かれていたんである。ファレスが呆気に取られたように視線を落とした。
「お前、そんなことも知らねえで、ちゃっかり話にじってたのかよ。あのお喋りジジイから聞いてねえのか?」
「そんな暇なかった」
 うむ、と、エレーンは、頷いてみせる。ケネルを阻止しに行ったからである。すぐに口を塞がれたが。
 ファレスは、呆れたように、まじまじと顔を見ていたが、軽く溜息をついた後、面倒そうに舌打ちした。「──" ヴォルガ " ってのは、俺達の間のケリをつける方法だ。対立する双方に、譲れない事情がある場合、互いの矜持を賭けて木刀で闘う 」
「あ、なあ〜んだ。木刀の試合か〜」
 先日世話になった遊牧民のキャンプで、小さな子供が手に手に棒っきれを振り回し、嬉々として遊ぶ姿を見かけている。ああいうお遊びに毛が生えた程度の娯楽なら、気を揉むこともなかったか。暗がりに集った一同が、深刻な顔で大真面に話していたから、どんな決闘が始まるのかと内心ビクビクしていたが──。だが、エレーンが、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間で、
「過去に三人ばかり、くたばったヤツがいるがな」
「え──!?」
 ギョッとファレスを見返した。「──で、でも、あんた今、木刀って!?」
「木刀だって、人は殺せる。もっとも、同胞殺しをする奴なんざ、滅多なことじゃ出ねえがな」
 素気ない返事に血の気が引いた。エレーンは、内心狼狽した。彼らはもしや、こんな野蛮で危険な遊びを、日常的に行っているのか? それなら、もしや──
「も、もしかして、その犯人って、あの人達の中にもじってるとか!?」
 同行者達がいるであろう暗く静まった木立の先を、今更ながら泡食って見回す。ファレスは、口を閉ざしたままだ。柳眉をひそめた横顔は、戸惑っているようにも逡巡しているようにも見受けられる。日頃すぐに切り返してくる口数の多いこの彼にして、こうした煮え切らない態度は珍しい。意外な反応を示されて、エレーンは、怪訝に首を傾げた。
「な、なによ、女男。どうかした?」
 ファレスは、苦々しげに目を逸らした。つられて、エレーンも覗き込む。
「女男?」
「──お前の知らねえ男だよ」
 思いあぐね、無理やり押し出したかのような返答は、微かに入り混じった苛立ちと、やるせない響きを持っていた。
 
 
 
 
 

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