CROSS ROAD ディール急襲 第2部3章 6話12
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 薄暗い木立から、道に出た。
 頭上の梢が取り去られ、月光がじかに降り注ぎ、乾いた土道に黒い影が伸びる。広大な樹林を横断し、切り通しの道が出来ていた。乾いた土道はガタガタで、荷馬車のものだろう歪な轍(わだち)が地面に疎らに残っている。自然が創った林道は、遊牧民の草原と町村犇く街道を繋いで、抜け道として機能してもいるらしい。
 深い木立の高枝で、梟(ふくろう)が秘めやかに鳴いていた。夜の静謐を際立たせる深く不思議な鳴き声を聞くとはなしに聞きながら、星影を仰いでブラブラ歩く。
 風が立つ。樹林を渡るサラサラとしたそよぎ。静かだ、とても。大陸北方の日没後は、夏だというのに肌寒い。
 物寂しい月下の道を、ファレスと二人で歩いていると、耳に明瞭な声が飛び込んできた。近付いて来る人声と足音。前方からだ。音源は、すぐに黒い影の塊となり、仄白い月影の中、数人の姿が浮かび上がった。
 野戦服の集団だった。五、六人ほどもいるだろうか。中央の男は、ランニングの首に白タオルを引っ掛けた湯上りのような格好で、右隣の連れと話している。顔にタオルを押し当てた者、顔をしかめて腰や頬を擦っている者──皆、憮然とした面持ちで、何やら盛んに息巻いている。──と、対向しているこちらの存在に気付いたらしい。一同を引き連れた中央の男が、ふと足を止めて振り向いた。憤慨しきりの連れ立つ者も、それに倣ってかったるそうに小首を傾げ、透かし見るように目を眇める。視線に含まれる威嚇と牽制──。
 虚を突かれた間があった。
 金縛りのような沈黙が落ちる。清々しい木立の夜気が、そこだけ、どよん、と重く淀んだ。
「──ふ、副長っ!?」
 全員がはっきり息を呑んだ。雷に打たれたように縮み上がり、前のめりの与太った姿勢をアタフタ正す。湯上り男の右目の周りに見事な青タンが出来ているから、ファレスに殴られた面々らしい。バリーの顔は交じっていない。ファレスの顔色をビクビク窺い、動揺したように目配せしている。中央で踏ん反り返っていた湯上り男が、左右と後ろから小突かれて、オドオドこちらを見返した。
「──あ、あ、あ、──あの、副長?」
 緊張の隠せぬ上擦った声。つい今しがたの不遜な態度も何処へやら、一転へいこら頭を掻きつつ、ファレスの機嫌を上目使いで窺う。
 もたれた肩から顔を上げ、ファレスが「──ああ?」と見返した。世間様一般では、ここは「なんですか?」と問いかけるのが相当だろうが、この野良猫が口を開くと、どんな言葉も大抵ガラ悪く変化する。案の定、湯上り男は、ビクリと竦み上がったきり、奇妙な媚び笑いで停止している。だが、ファレスが仏頂面のままなので、呼びかけた手前、ギクシャク片手を持ち上げて、けれど目線はさりげなく逸らして、ボソボソ言いつつ後ろ頭を掻いた。
「──あ、いや、あのぉ〜──さ、さっきは、その、す、す、す、」
 モタモタしている上滑りした態度に、ファレスは、苛立った様子で眉をひそめる。そして、
「うせろ」
 三白眼で、ギロリと威圧。一同、弾かれたように飛び退いた。
「……す、す、すいませんしたっ!」
 そそくさと一礼し、我先にと踵を返す。今来た道を泡食った様子で駆け戻る。あたかも天敵にでも出くわしたような実に潔い逃げっぷり。一心不乱、余念なし。こちらの視界から消えるまで、脇目もふらずに全力疾走。一度として振り向きもしない。
 逃げうせた背中をぷりぷり指差し、エレーンは、眦(まなじり)吊り上げた。
「ほらあ! 見なさいよー! あんたが、みんなに、あんなことするからあー!」
 あの慌てっぷりは、陰口を叩いていたに違いないのだ。ファレスは、うんざりと見返した。「──ああ? なんだってんだよ。また蒸し返す気かよ、てめえは」
 人差し指でエレーンの額にデコピンし、かったるそうに、そっぽを向く。たいそう嫌そうな顔つきで。実は、ファレスが拗ねて立て篭もってた大きな栗の樹の下で、散々うぎゃんうぎゃん噛み付いてやったばかりなんである。何せ、近頃特に「暴力反対」をスローガンに掲げる「正義の人」のエレーンさんである。確かに、彼らの心無い仕打ちには実質的に泣かされもしたが、でも、だからといって、いきなり一方的に面倒無用で、ぶん殴っても良い、という理由には決してならない。そう、あんな無体な暴力をみすみす見逃す奥方様ではないのだ。もっとも、あの蛮行もどきの制裁には、心中密かに熱い喝采を送りもしたし、樹によじ登った野良猫に逃げ場がないのを織り込んで、ケネルに置いてけぼりを食らわされた腹いせに、是幸いと鬱憤晴らしに乗じていた側面も否めないこともないのだが。というか、あの説教の大部分は、そっちの要素で出来ていたが。ファレスは、溜息混じりにそっぽを向いた。「うっせーなあー。どーだっていーじゃねえかよ、そんなこたあー」
 態度悪く肩に腕置き、耳の穴をかっぽじる。まるで他人事、無関心という、ぐうたら尚且つ無責任な態度である。
「あのねー。ぶつことはないでしょー? ぶつことは。注意をするなら、口で言えばいいじゃないよ」
 けれど、ファレスは、大欠伸(あくび)。
「たく、なんだってんだよ、あれっぱかし。一人きっかり二発ずつだぜ」
「に、二発ずつ、って……あんたねえ……」
 エレーンは、あんぐり口を開けた。もう呆れて物も言えない。はあ……と深く嘆息し、項垂れた首を緩々振る。そして、ぬっ、と目を上げて、
「嘘でしょ」
 等閑(なおざり)この上ない欺瞞デタラメを看破。あんなに手当たり次第にぶん殴っておきながら──! だが、当のファレスは、大したことでもないように、無頓着に伸びをする。
「嘘じゃねえよ。──てか、てめえの機嫌をとって何になるってんだ」
 む? と口を突き出して、エレーンは、不服の顔で固まった。実に憎たらしい言い分であるが、確かに、言われてみれば、その通り。ならば、本当のことなのか? 各員入り乱れた混乱の現場で、一人当たりの殴打数まで勘定していたという話。恐らくは公正を期する為に。
 ぽかん、と見返し、エレーンは、シゲシゲ不機嫌そうな横顔を見た。
( ……やるじゃん )
 だてに幹部の椅子に座ってはいないらしい。自分の主張が退けられるや否や、腐ってどっかへ雲隠れしちまうような、そして更には、よじ登った樹の上から、すっかりヘソ曲げて降りても来ない、こんな野放図な乱暴者でも。
 へえ……と思わず感心しかけ、だが、はたと、エレーンは、我に返った。( いいや! 騙されてなるものか! )と、ぶんぶん首を横に振り、追求の決意を新たにする。腕を組み、ずい、と顎を突き出した。
「じゃあ、さっきのアレは何なのよー? " どっちの耳だあ? " とか凄んじゃってさあ!」
 そう、あっちの重大な疑惑がある。ノラクラしていたファレスの頬が、ピク、と小さく引きつった。
「あんた、絶対、本気だったでしょー!」
 怯んだ様子に勢いを得て「ほーら、どーよ? これなら、どーよ!」とここぞとばかりに揺さぶりをかける。ヤツは、さりげなく明後日の方向へ目を逸らし、
「……んなこたねーよ」
 ボソリ、と不機嫌そうに否定した。しかし、ここで逃してなるものか! ずずい、と、エレーンは、再び乗り出す。
「本当―にぃー?」
 ヤツのしっぽを掴むべく、下から掬い上げる疑惑の眼差しで見てあげる。むむむっ? と身構えた野良猫は、ぷぷい、と追及から目を逸らし、否定の代わりに、ちっ! と柄悪く舌打ちした。
「本気だった」容疑、真っ黒である。
 内心密かに勝ち誇り、エレーンは、ほーれ見たんさい、と、ジトリと興醒め。ファレスは、そっぽを向いて居心地悪そうな顔。けれど、暴力過剰な野良猫は、とっちめてやった方がいい。他人の矜持に構うことなく、ああも好き放題に振る舞っていたら、あらぬ恨みを買いかねない。
 ファレスが負け惜しみのように舌打ちした。「──あの程度ぶん殴ったところで、懲りるような連中じゃねえよ」
 
 木立の狭間の白々とした道の果てを、黒い人影が不意に突っ切る。空気が俄かにざわついてきた。切り通しの左右にも、林立する樹影の中を、横切っていく人影がある。向かうは何れも同じ方向。" ヴォルガ " の行われる会場だ。
 人通りが多くなってきた。けれど、肩には依然として、ファレスの腕が乗っている。エレーンは、ギロリと振り向いた。
「あんたねー。ホント、マジで、その手そろそろ退けときなさいよ? こんなところを見られたら、みんなに何言われるか分かんないでしょー?──ほらほらあ! 自分の足でチャッチャと歩く! さっき暴れて疲れちゃったわけえ?」
 だが、ファレスは、どうでも良さげに大欠伸(あくび)。「そんなんじゃねえよ」
 エレーンは、苛立って肩を揺すった。
「──んもおっ! だったら何よなんなワケ? なんで、いきなり、そんなにあたしにくっ付いて来んのよっ!」
「お前、" ここ " が何処だか分かっているか」
 かったるそうな口調を改め、芯のある声で、ファレスが問う。エレーンは、辟易して振り向いた。
「なによー、又それえ? あんたといいキツネといい──。それ、あんた達の間で流行っでもいんの? なんで、みんなして、おんなじこと訊いてくんのよ。今、どの辺りにいるのかなんて、あたしに分かる訳がないでしょー? 街道使ってないんだし、町に泊まる訳でもないんだし、標識なんかどこにもないし、ていうか、あんた達、そんなことも考えないで、あんなに馬を飛ばしてたワケ? すっごい無謀! すっごい無計画! もう信じらんない!」
「……てめえの頭の中には、どこか別の大宇宙が、でっかいトグロを巻いてるらしいな」
 右肩がずっしり重たくなった。ヤツが頭を乗っけてき(やがっ)たのだ。見れば、急な頭痛にでも襲われたのか緩々頭を振っている。「重いってば!」と肩を揺すって睨みつければ、ファレスは、眉をひそめて舌打ちした。「たく、このド阿呆が。てめえが連中にどう見えていると思う」
「どう、って──」
 出し抜けに奇妙なことを問いかけられて、エレーンは、詰まって瞬いた。それについて、ふむ、と上目使いで考える。「そーねー。敢えて言うなら仲間とか?」
 ファレスが、うざったそうに振り向いた。「こらテメエ。なに勝手に、こっちの仲間に入ってんだよ」
「なによー? 何で入っちゃダメなわけー?」
 エレーンは、心外も露わに振り向いた。「だあって、こんなに毎日一緒に居るのよ? そろそろ仲間に入れてくれたっていーじゃないよ」
 奥方様は、実はちょっと傷付いている。何せ、本件却下は、本日二度目。一度目はケネル、二度目がコイツ。つくづく、といった感じで脱力し、ファレスが長く嘆息した。「そんなこと誰も思っちゃいねえよ。──いいか、ジャジャ馬。敢えて括れば、お前は」
 言い聞かせるように言葉を切った。
「" 女 " だ」
 
 指定された集合場所には、見慣れた野戦服の面々が、既に大挙して集まっていた。日の暮れた林道は、大勢の男達で賑わっている。数人一塊の一団が雑談しながら行き来する。夜だというのに暗くはない。炎が焚かれているからだ。
 月光に照らされた幅の広い林道に、頑丈な丸太を三段ほど積んだ大きな井桁が出来ていた。そこで盛大に炎が焚かれている。そうした薪組みのかがり火は、少し離れた人込みの先にも設えられているようで、夜空へ燃え猛る炎の揺らぎに、周囲にいる者だけが赤くユラユラと照らし出されている。多くの野戦服が飲み物片手にワイワイガヤガヤ寄り集い、寛ぎ、ざわめき、いやに楽しげな雰囲気だ。そう、これって、
「……キャンプ、ファイヤー?」
 エレーンは、ぽかん、と見回した。剣呑な試合をするのではなかったのか? 相談していたケネル達の真剣な顔とファレスから訊いた話とで、もっと殺伐としたドロドロしたものを想像していたのに。
 しかし、実際には、かがり火が焚かれた開放的な雰囲気の中、野戦服達は各々寛いだ様子で歓談し、或いは、会場となる林道を気楽にブラブラ行き来している。皆、気負いない笑顔で、なんだか楽しそうな雰囲気だ。さながら祭か何かのよう。
 かがり火から程遠い右手の木立の暗がりに、アースカラーのテントが一つ、ひっそり目立たぬように沈んでいた。木立の黒影に紛れるように密かに群れを成していたあの小さなテントではない。さっき世話になったアドルファスのテントと似たような造りだ。連絡に来たセレスタンも、そんなようなことを言っていたから、多分あれが短髪の首長が寝起きしているテントなのだろう。
 意外にも盛り上がった試合会場の雰囲気に呑まれて、不覚にも気持ちが弾み出す。内心ちょっぴりウキウキしながら、エレーンは、物珍しげに見回した。暗い筈の林道は、賑やかな喧騒に満ちている。
 ふと、肩に視線を感じた。
 突き刺すような強い視線だ。とっさに足を止め、怪訝に後ろを振り返る。だが、そこには、楽しげに行き来する人込みが、依然としてあるばかりだ。
( ……気のせい? )
 戸惑いながらも改めて捜すが、これといって異変はない。皆、何かの作業をしているか、近くの仲間と話しているか──。こちらを見ている者はない。どうにも腑に落ちないものを感じる。だが、焦れたファレスに「おら、行くぞ」と急き立てられて、首を捻りつつも目を戻した。
 パチパチ弾ける音を立て、かがり火が高く燃えている。赤く揺らめく炎の照り返しを受けながら、背の高い野戦服の中を、ファレスと二人ぶらぶら歩く。エレーンは、キョロキョロ見回した。試合会場まで辿り着き、目は、早くもあの姿を捜している。肩にはつかない黒髪と、吸い込まれそうな深い黒瞳──。一刻でも早く、ケネルに会いたい。どこだろう? ケネルは。
 胸がそわそわ波立った。今すぐケネルに会う必要がある。だって、あんな恐い目に遭ったのに置いてけぼりを食わされたのだ。胸に芽生えた微かな不安を、早く押しやってしまいたい。ケネルの顔を見れば、安心する。近くにいることが分かっただけで、ホッと安心できるのだ。けれど、
( ……いない )
 ケネルは、いない。ここには、いない。なんとなく、それが分かった。似たような野戦服ばかりが暗い中に犇いていても、見つけられない訳ではなかった。ケネルは、確かにいない、、、のだ。気落ちして足を踏み出し、ふと、奇妙なことに気が付いた。そういえば、ケネルも全く驚かなかった。腫れが引いてるこの顔を見たのに。
( そんなに、あたしに関心ないの? )
 言いようのない寂しさを感じた。いや、「寂しさ」というより「不安」といった方が実情に近い。閑散として空っぽな気持ち。いやに遠いざわめきが、体をやんわり包み込んだ。陽気に浮かれる人込みで、夜の会場は賑わっている。ふと気付いて、首長達の姿も捜してみたが、彼らの姿も、やはりない。ケネルと一緒にいるのだろうか──。
 腕を、いきなり掴まれた。
 はっ、と我に返るが、振り返る間もなく、強い力で引っ張られる。
「──わっ!?」
 たたらを踏んで、足を、とっさに踏ん張った。けれど、体が大きく傾く。何がなんだか分からない。グイ──と強く引き戻された。
「てめえ。勝手に、どこへ行く」
 はっ、と見やれば、ファレスだった。エレーンは、しどもど見回した。「ち、違うもん! あ、あたしは、なんにもしてないもんっ! 今、誰かが、あたしの腕を引っ張って──!」
「──引っ張られただァ?」
 エレーンは、憮然と指を差す。だが、そこには、相も変わらぬ賑わう人込みがあるだけだ。ファレスは、かったるそうに見ていたが、軽く顎をしゃくって、歩き出した。
「たく、しょうがねえな。ちったあ、てめえで用心しとけ」
 
 キャンプファイヤーの炎に向かい、ファレスと二人、喧嘩しながらブラブラ歩く。人込みをやり過ごして歩いて行くと、奇妙なことに気がついた。全体的に黒っぽい野戦服の色彩の中、明らかに異質な軽やかな白が入り混じっている。エレーンは、怪訝に目を凝らす。男の肩にしなだれかかり、笑顔で品を作る細い体躯。肩から羽織った透けたショール、胸を大胆に開けた裾の長いくたびれたドレス──? 
 隣を慌てて引っ張った。
「おっ、おっ、女男っ! あれっ! あれ見て──!」
 あたふた、彼女らを内緒で指差す。その筋の女と、すぐに分かる。全部で何人いるだろう。五人? 十人……? 唖然と見回している間にも、薄暗い藪からホクホク立ち戻る女もいる。──て、
 屋外で営業活動か!?
「なにあれっ!? いいの!? あんな(ふしだらな)こと、させといて!?」
 ファレスが「──ああ?」とかったるそうに目をやった。
「催事の時は全面解禁だと言ったろうが」
「で、でも!? いくら無礼講でも限度があるでしょ!? だって、あの女(ひと)達は、明らかに、その──そ、そ、そっち方面の──( ごにょごにょごにょ )──!」
 そう、どこから見ても正真正銘、カンペキ娼婦の軍団ではないか!? エレーンは、眦(まなじり)吊り上げた。
「いったい、これは、どーなってんのよっ!」
 試合をするんじゃなかったのか!?
 動揺も露わに、ぶんぶん首振り、けれど小声で喚き散らしていると、ファレスがチラと見下ろした。「ひがむなよ」
 ……なんの話だ? 
 なによー? と凄んで見返せば、ヤツの目線は、こっちの胸元……?
「ひ、ひがんでないぃーっ!?」
 ファレスは、かったるそうに頭を掻いた。
「ほっとけよ。いーじゃねえかよ、強姦してる訳じゃなし」
「そっ、そっ、そーゆー問題じゃないでしょー!? い、い、いくらなんでも、あんなフシダラなことを堂々と──!」
 生理的にダメである。
「も、もう! 信じらんないっ! あの女(ひと)達もあの女(ひと)達よ。こんな所でおおっぴらに──いったい、どういう神経してんのよ!」
 ファレスが面倒そうに見返した。「アレもお前も、大して変わりゃあしねえだろ」
「──変わるわよっ!?」
 驚愕に目を剥いて、エレーンは、憤然と噛み付いた。けれど、ファレスに取り合う気配はない。それどころか、隣をブラブラ歩きつつ、物色の視線で周囲を見回し「お? いい女〜……」とかやっている。口笛吹きそうな勢いで。
 野戦服の肩に手を置いて、なまめかしい女達がつかず離れず男達を笑顔で誘っていた。けれど、商売物の大切な肌には、巧みにかわして触らせない。誘われ、乞われて、男が笑顔で足を向ける。女と連れ立ち、木立の暗がりへ消えていく。逆に、そちらの方から戻って来る者──。いったい、何人の娼婦 が紛れているのか。今まで何処にもいなかったのに。そう、いったい、どこから湧いて出た? 街道から離れたこんな雑木林の林道に──。
 開いた口が塞がらない。こんな誰もいない林の中に生息している筈などないから、街道から馬を駆り、各々やって来たということか? あの丈の長いフリフリドレスで?──まさか! だいたい、なんで彼女らが、ここで催しがある事を知っているのだ? 唖然と辺りを見回せば、道の外れの沿道に、弁当配給時にしばしば見かけるチョビ髭配下の頑丈な荷馬車が、数台無造作に停めてある。ならば、彼女らは、あれに乗って、ここまでやって来たと考えるのが妥当だろう。つまり、あの弁当配りのお昼ご飯調達部隊は、あんなもの、、、、、まで調達するということか? てか、
 ──なに運んでんだ!? チョビ髭軍団!?
 二の腕まで肩を抜いた大胆なドレスに、透き通った薄い肩掛け。さりげなく腕で押さえたショールの下は、白く肌が透けている。──いや待て、もしや透け透けショールのあの下は──
 それを悟って、エレーンは、ギクリと凍り付いた。胸の部分の生地が、ない、、
 半乳状態? いや、全乳モロにはだけてないか!?
( な、なんちゅう格好してんの…… )
 エレーンは、赤面で絶句した。商魂逞しいとでも言えばいいのか。
 女の一人が、チラ、と素早く一瞥をくれた。あからさまに忌々しげな視線だ。唖然と硬直で見ていたエレーンは、弾かれ、ギクリ、と竦み上がった。今や、こちらの存在を完全に認識したらしい彼女ら娼婦軍団は、敵意も露わに睨み付けてくる。刺々しくも鋭い敵視の意味が、不意に、はっきり読み取れた。
 ──なによ、あの女、邪魔っけねえ!
 いくつもの忌々しげな威嚇が、鋭い棘のように突き刺さる。冷え冷えとした邪険な空気を感じ取り、エレーンは、むむう……と、たじろいだ。商売の邪魔だと思われたらしい。でも、対抗しようにも、味方はいない。ファレスに訴えても無視するし。一般常識に照らして見ても、決して変な主張はしてない筈だが、多勢に無勢では分が悪い。エレーンは、すごすご撤退した。けれど、やはり納得がいかない。仕方なく、一人ブツクサ文句を言った。
「……ねー。でもさー女男。あーゆーのは、やっぱ、ちょっとマズいっていうかさー……ここにはノッポ君だっているんだしー。だってほら、あの子まだ未成年でしょー? あーゆーのは、やっぱ、ちょっと……( 文句は続くよえんどれす )……」
 本当に言いたいことはそれではないが、件の彼を引き合いに出して、大幅な譲歩と共に苦情を持ち込む。ふと、エレーンは、顔を上げた。そういえば、どこにいるのだろう、十五歳のあの彼は。ここまでの道中では、見かけていない。辺りが暗くて、見つけられないだけかも知れないけれど──。
 胴に、唐突に気配を感じた。
 はっ、と気付くも既に遅く、突然グイと引っぱられ、人込みに体が引きずり込まれる。
( ──またっ!? )
 エレーンは、慌てて振り向いた。
( いったい、なんの悪戯よ! )
 強い力だ。引っ張り方に容赦がない。強い勢いに足を取られ、腰が後ろに持ち上がる。掴まろうとした手が空を切る。このままじゃ体が、
 ──もっていかれる!?
「返せ、こら!」
 のめって振り回した右腕が、むんず、と鷲掴みで引ったくられた。不躾な胴の手が、ぱっと引っ込む。慌てて後ろを見返すが、めいめい行き交う人波で、誰の仕業か分からない。ファレスも隣で忌々しげに睥睨している。と、面倒そうな舌打ちで、ギッとこちらを振り向いた。そして、眦(まなじり)吊り上げ開口一番、
「ボケっとしてんじゃねえ!」
「──はあっ!?」
 こっちに怒鳴るかコノヤロウ!? エレーンは、ゲンコで見返した。
「なによっ! あたしが悪いって言うの!?」
 心外である。不服である。被害者である。
「用心しろと言っただろうが! ウカウカしてると、かっ攫われるぞ!」
「なにそれ横暴どーやってっ!? 痴漢してきたの向こうじゃん!?」
「──たあくトロ臭せえ女だな。なんで、そんなに隙だらけなんだ!」
 ファレスは、悪態を吐き捨てる。不貞腐って歩を運び、いつにも増して不機嫌そうな顔。乱暴に掴まれた腕を擦って、エレーンも口を尖らせた。まったく野良猫は横暴だ。
 双方そっぽを向いたまま少々険悪に歩いて行くと、梢の下の沿道に、人だかりが出来ていた。林道の左──アドルファスのテントがあった側だ。何をしているのか、野戦服の背でごった返している。弁当の配給時のような賑わいだ。見れば、木陰の人込みの片隅に立ち、賑わう全体を見渡して采配を揮う男がいる。あれは──
 ピラピラのフリルシャツに幾何学模様の長い上着、細身の黒いパンツに、先端が変な形に尖がった赤い革靴。そして、何より毛先にビーズを多数編み込んだ個性的なジャラジャラ頭。あれは──。
 そう、痩せっぽちの体躯を偉そうに仰け反り返らせたあの勇姿は、
「……チョビひげ」
 エレーンは、絶句で突っ立った。白い羽根飾り付きの真緑の帽子が、ひときわ際立ち目を引いた。どこから湧いたか知らないが、催し物を仕切る為に張り切って出張って来たらしい。つまり、アレがいる、ということは、犇く背中の向こうにいるのは、やはり、件の弁当配給軍団ということだろう。そういえば、人込みを掻き分け中の方から出て来る者は、手に手に茶色のラベルの黒いビンやら薄緑のビンやらを下げている。そう、言わずもがなの、酒である。
 物欲しそうな視線に気付いたか、ファレスが「行くぞ」と腕を引いた。立ち止まった足を踏ん張って、エレーンは、ぶんぶん指を振る。
「女男ー! あたしもおー! あたしも、なんか喉渇いたあ!」
 ファレスがかったるそうに舌打ちした。
「たく浮かれてんじゃねえぞオタンコナスが。こっちはてめえのお陰で、とんだ貧乏くじだってのによおー。 よりにもよって、そんなピラピラした成りで出て来やがって──」
 げんなり、と首を振り、だが、ふと、何かに気付いたようにピタリと停止、クルリとこちらを振り向いた。ひょい、と顎を前に突き出す。そして、
「お前は喉が渇いたな?」
 どこか無理のある奇妙な確認。てか、何故にオウム返しで復唱するのだ?
「うん。今、そー言ったでしょ? あたし」
 エレーンは、うむ、と頷き、全面肯定。
「そうか、だったら、しょうがねえよな」
 珍しくも寛容な態度で、ファレスは、わざとらしく頷いた。そして、
「何かアルコールじゃねえもん、持って来てやるよ」
「……え?」
 エレーンは、ぽかん、と見返した。なんという好意的な返答であろうか。親切すぎて、なんか怪しい。腹に一物ありそうだ。しかし、態度は確かに不審であるが、親切にしてやる、というのであれば、文句を言えた義理でもない。むしろ歓迎。お祭気分に誘われて、エレーンは、いそいそ踏み出した。「──あ! いい! あたしも行くっ!」
 だが、ハッと弾かれたように見返したファレスは、
「てめえは動くな! 一歩もここを動くんじゃねえっ! いいなっ!」
 振り向き様にギロリと一蹴、完全停止を言い渡す。立ち往生で膠着し、エレーンは、たじろいで首を傾げた。「……な、なんで、そんなに怒るのよ?」
 二歩、歩いただけである。しかし、何がそんなに不都合なのか、ファレスは、手近な人込みに腕を突っ込み、むんずと腕を引っ掴み、「ちょっと来い」とズルズル引き出す。
 たたらを踏んで、ひょい、と出て来たのは、ツルツル頭の金ピアス──さっき連絡にきた件のセレスタンその人である。たまたま通りがかった歩行中、急に腕を引っ張られ、有無を言わさず吊り上げられて、何が何やら分からぬ顔。ファレスは、混雑している沿道に向け、顎の先を軽くしゃくった。
「すぐに戻る。その間、お前がコイツを見ていろ。いいな!」
 偉そうな態度で、厳重に監視役を申し付ける。セレスタンは、足を踏み替えて、きょとん、とこちらを見下ろした。やはり、きょとん、と目を戻す。「俺が取ってきましょうか? わざわざ副長自ら出向かなくても、」
 皆まで言わせず、ファレスがギロリと目を剥いた。そして、
「俺が行く! 余計なことを言うんじゃねえ!」
 頭ごなしに、えらい剣幕。気を利かせて怒鳴り飛ばされたセレスタンは、困惑しきりで周りを見、ツルツル頭を掻いている。けれど、彼に選択の余地など、ありはしないんである。結局は「……いいっすけど」と、ぼそぼそ腑に落ちなさそうに頷いた。
 シカとそれを確認すると、いやに乗り気な副長ファレスは、ぽかん、と見やったエレーンに向かい「ちょっと待ってろ」と巻き舌混じりに凄みを利かせ、そこに突っ立つセレスタンに「食うなよハゲ」とぞんざいこの上なく釘を刺し、そして、自分は、そそくさ沿道へ踵を返した。副長ファレス、取りに行く気満々。行き来する野戦服を忙しなく足早にすり抜けて、長髪揺れる細身の背中が混雑の喧騒に紛れて行った。
 
 
 
 
 

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