CROSS ROAD ディール急襲 第2部3章 6話15
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 地鳴りのような音を立て、中央にたむろしていた幾十もの編み上げ靴が、ドヤドヤと一斉に押し寄せて来た。北側沿道にいたエレーンも、あれよあれよという間に埋もれてしまい、視界は一気に「肩」と「後頭部」と「夜空」一色──。というのも、長髪無愛想な隣の連れが、居場所を移動し(やがら)なかったせいだ。
「──ねえ。見えなくなっちゃったんだけど、あたし〜?」
 不満タラタラ、エレーンは、隣のランニングを引っ張った。だが、ファレスは、動かない。 後からやって来た者達に目の前無遠慮に塞がれて、そのままそこに居座られても文句一つ言うでもない。気色ばんで押し退けるでもなければ、後ろへ退くよう吠えるでもない。
「ねえってばあっ! 見えない! 見えない! 見えないぃーっ!」
 だが、押しても引いてもビクともしない。ファレスは、ざわつく会場を見渡して、開催前の上擦った空騒ぎを沈着な面持ちで眺めている。あたかも設営や段取りに手抜かりはないか確認してでもいるように。
 場所取りに関心はないようだ。アピールするも取り合ってもらえず、エレーンは、渋々引き下がった。ケネルに劣らず野良猫も、中々頑固なところがある。加えてヤツは我がままだ。それにしても、珍しい事もあるものだ。日頃の尊大な態度からすれば、コイツこそが最前列で見物したがりそうなものなのに。そう、メンツだの威信だの体面だのと食えない事柄にやたらとこだわる " 威張りん坊 " のくせしてさ。もっとも、急な雪崩に呑まれはしたが、ふてぶてしい野良猫の奴が勝手に肩で休憩していて、重たく狭苦しい左の脇下に挟まっていたものだから、被害らしい被害はなかったけれど。
 ブチブチごちつつ背伸びをしながら、人垣の隙間に目を凝らす。けれど、見えない。見える訳がない。なにせ周囲と自分とじゃ身長差があり過ぎる。視界はひたすら見物客の背中背中肩背中……。不意に観衆がどっと沸く。ガヤガヤザワザワざわめいて、ピーピー囃す口笛が聞こえる。気分が高揚してきた模様だが、一人蚊帳の外のエレーンには何が起こっているのか分からない。むむぅ……と膨れっ面で見回して、うむ、と大きく頷いた。こうとなったら、実力行使だ。
 顔を傾け、うんしょ、と腕を突き伸ばし「ちょおっと、ごめんなさいよ〜?」と前の脇腹をコチョコチョくすぐる。すぐさま数人が飛び退いて、向こうの地面がようやく見えた。よし。視界確保成功。狭くて細長い隙間だが、ムサい背中を延々見続けるよりマシだろう。因みに、左右に飛び退いた前列諸氏は、軽い舌打ちで迷惑そうにガンくれてきたが、ファレスの存在に気付いた途端、ギョッとそそくさ回れ右。よし。計算どーり。
「──おい」
 ファレスがかったるそうに振り向いた。むむっ、今の、まさか見てたのか!? 
 内心ギクリと振り向いて、( しょーがないでしょー!? あんたが動かないんだからー! )と思い切り反抗的な態度で挑んでやったら、
「お前、そろそろ、いい加減にしとけよ?」
「なにが?」
 エレーンは、ぽかん、と見返した。ファレスは、思い余ったような、何かを我慢してでもいるような、それでいて、こちらに言い聞かせでもするような、奇妙に複雑な表情だ。
「正直に吐け。今なら特別に勘弁してやる」
「だから、なにが?」
 勝手に慈悲をかけられたようだが、とんと意味が分からない。しばし不審の面持ちで、ファレスは、胡散臭そうに沈黙したが、やがて、疑わしげに確認した。「……お前じゃねえのか?」
「だから、なにが──っ!?」
 あまりにチグハグな応答に、苛立ち指数急上昇。( さっさと用件言いなさいよねー! )と、エレーンは、念を込めて顔を見返す。ファレスは、応えの真偽を見極めるように、じっと様子を見ていたが、ジロジロ全身くまなく見回し、舌打ち一つで目を逸らした。
「ぬ……?」
 ヤツのランニングの腹を掴んだままで、エレーンは、パチクリ瞬いた。どうも様子が変である。 なんかソワソワしているし、怪訝そうに振り向くし、モゾモゾ身じろぎしたかと思えば、突然顔を振り上げてキョロキョロ周囲を見回してみたり、ふ〜む……と首を傾げてみたりと落ち着かない事この上ない。
「……どーかした?」
 又、お腹でも痛いんだろうか。( ささ、相談に乗ったげるわよん? )と、にっこり袖を引いてやる。ファレスは「あァ……?」と横柄な態度で見下ろした。そして、
「──なんでもねえよ」
 眉をひそめて、かったるそうな舌打ち。実に嫌そうな顔だ。
「なによお、ヒトがせっかく親切にィ〜……」
 ブチブチ言いつつエレーンは、人垣の先へと目を戻した。銀星瞬く黒天の下、二つの大きな井桁かがり火に挟まれ、円形の闘技場が出来上がっていた。人垣の厚みは、木立の迫った沿道側が若干薄い。道の中ほどに設えられた二つの大きな井桁と共に、背の高い照明かがり火が、道の両側を等間隔に取り囲んで夜空に赤を揺らしている。多数の火炎に照らし出されて、夜の林道は昼のように明るい。──と、視線が一点へと吸い寄せられた。ヒクリと頬が鋭く引きつる。「ぬっ?」と見咎め一瞬後、「あーっ!?」とそちらを指差した。
「ケネルってば、あんな所にぃ!?」
 向かいの沿道、真ん中付近だ。そう、どこへ行ったかと思ったら、南側・最前列の倒木に、一人だけ偉そうに座っているではないか。しかも、向かって右側の沿道には、件のドレス軍団がズラリと端まで犇いてキャイキャイ笑いさざめいてるし。ケネルは、視線をさりげなく逸らして、意地でもこっちを見ようとしない。絶対気付いた筈なのに。
 食い入るようにジットリ見つめて、エレーンは、ぬー、とぶん膨れた。凝視の視界で、ケネルが身じろぐ。左端の女が話しかけてきたようだ。何をもちかけられたか、苦笑いで手を振っている。だが、女は、素早くケネルの腕にしがみ付き、だだをこねるように首を振る。
( なに!? あの女はーっ!? )
 ぐぬう……と睨み、エレーンは、ギリギリ歯噛みした。チョッカイかけてる怪しからん輩は、長い髪を結い上げた白っぽい紫のドレスの女──て、さっきの女か!?
 ──あんなもん、即刻排除してやる!
 ケネルは嫌(や)だって言ってんじゃん!
 ムクムク込み上げた決意さついを胸に、ふんぬ──っ! と足を踏み出した。いや、踏み出そうと動いた途端、グイ、と引きずり戻された。只ならぬ殺気と共に「なあにすんのよっ!?」と振り向けば、言わもがなの隣の野良猫。こちらにギロリと目を据えて、
「どこへ行く」
 問うた。この上なくシンプルであるが、声の調子がそこはかとなく険しい。不覚にも「う゛──!?」と気圧されて、エレーンは、ぶちぶち上目使い。
「──えー、だからあー、ちょっと、あっちのケネルんトコにィ」
「バカかてめえはっ! 真ん中突っ切るバカがどこにいる!」
 皆まで言う前に怒鳴られた。怒りの符丁をペタペタ貼り付け、ファレスは、不穏な形相だ。──いや待て。言い分は分かる分かるとも。しかし、こっちも急いでいるのだ。迂回する暇なんか、どこにもないのだ。そうとも緊急事態発生なのだ。早くしないとケネルが毒牙に! そう
 ──即行直進コレあるのみ! 
 交互に見やってソワソワ足踏み、じれったい思いでケネルを指差す。「だってえ! ケネルが──!」
「" だって " じゃねえだろっ!」
 ファレスが眦(まなじり)吊り上げた。「輪ん中入んのはご法度だ! 何べん言ったら分かるんだ!」
「……はあっ!?」
 んなことアンタ、いつ言った──!? 
 ゲンコが、ゴン──! と降ってきた。傾いだ頭を両手で抑えて、エレーンは、涙目で振り仰ぐ。なんでぶつのだ!? 無礼者! ヒトの頭をいったいなんだと──!? かったるそうに舌打ちし、ファレスが偉そうに腕を組んだ。
「いいか、" ヴォルガ " の結果は言わば " 神意 " だ。コイツの結果が真偽の全て。全てのケリがこれでつく。よって、何人たりとも手出しはならねえ。まして悶着に無関係なヤツが無節操に割り込んで水さしてみろ。勝負を汚す事になる。 それをてめえはズカズカと──」
 そして、後から言うな的ルールの説明がくどくど続く。それが彼らの流儀らしい。が、そんなこと、エレーンにはどうだっていいのだ。そう、そんな事よりケネルである。爪先で地面を苛々叩いて、エレーンは、そわそわ向かいを見る。こんな事してる間にも、ケネルがひょっこり立ち上がり、ひょこひょこくっ付いて行くんじゃないかと、ヒヤヒヤやきもき気が気じゃない。人垣の先を見据えれば、相も変わらぬ黄色い嬌声。件のドレス軍団がキャイキャイ鬱陶しくはしゃいでいる。因みに、一団右手の端っこが一際ルンルンしてるのは、もしや、金勘定に勤しんでるのか……? 
( むむ、やるな…… )と不覚にもたじろぎ見ていると、左手側が大きく動いて、慌ててそちらに目を戻した。ケネルの肩に侍った女が、「いーっ!」と舌を出している。ドレスの裾を引っ掴み、何故だかツンと踵を返した。
( ──よっしゃあ! )
 両手で拳をグッと握って、エレーンは、内心で快哉を叫ぶ。ケネルに体よく追い払われたらしい。そうだ。神聖なる木刀試合を開始しようってこの時に、そんな不届きな事で何とする。さっきケネルは「" ヴォルガ " の行方を見届ける」とか偉そうな事をほざいていたが、真面目にやる気はあるらしい。よし。
 よしよしよーしっ!
「──という事だ。理解したな?」
 両目をパチクリ瞬いて、エレーンは( うむ……? )と声を仰いだ。そういや、すっかり忘れていたが、隣がまだ喋ってた。ファレスは、腕組み解いて身じろぎし、ぬっ、と顔を突き出した。
「二度とするなよ、わかったな」
 どーしてなんだか真面目に言って聞かせる顔だ。となれば、何かは知らんが是非もなし。
「うん、わかった」
 こっくり大きく頷いて「あいわかった」と素直で健気な良い子の態度。その甲斐あってか、実のない説教から案外早く解放された。向こうの様子を食い入るように見つめていたから神妙に聞いているものとでも勘違いしたのか、まあ、なんでもいいやソッチはヤレヤレ。
 ハタと気付けば、ファレスが説教を締め括ったところだった。さてと、それでは様子見をば──と人垣の先に目を戻す。エレーンは、ヒクリ、と引きつった。今度はケネル絡みではない。変なものが見えたのでもない。微妙にゴソゴソ落ち着かないのだ。
 その、腰下辺りが。
 眉を八の字に硬直し、むむ……っ? とギクシャクそちらを見やる。方向的には、紛うことなき右隣──
( ──あんたねーっ! )
 頭一つ分は上にある長髪流れる端整な顔を、エレーンは、むかむか振り仰いだ。そっりゃあ、こ〜んな可愛い女の子とぴったり体が密着してたら思わずムラムラきちゃうのも分かんないでもないけどさ、それにしたって──! 怒りのゲンコをふるふる握って、ギロリ、とファレスを睨め付ける。
「なあにモゾモゾしてんのよっ! やらしいわねっ!」
 ちょおっと気ぃ抜くと、すぐコレだ!
 絶句で長髪翻し、ファレスが「──な゛っ!?」と振り向いた。告発されると思わなかったか、ヤツはたいそうビビった様子。ジロリと見やって、エレーンは、ふんぬ、と前傾姿勢。勢いに押された後傾姿勢で、ファレスが顔を引きつらせた。「ば、ばっきゃろう! 誰がてめえのケツなんか──!」
「あ、"ケツ"って言った? あんた今、"ケツ"って確かに言ったわね?」
 してやったり。
 語るに落ちたな野良猫野郎! グイと胸を指で押し、ビシッと鋭く糾弾した。
「どーして、あんたが知ってんのよっ! あたし "ケツ"なんて 一っ言も 言ってないのに!」
 案の定、う゛──と絶句で引きつるファレス。
「どーしたのよー! 言えるもんなら言ってみなさいよー! どーして知ってんのよ "ケツ"なんてえっ! ほらほらほーらっ!」
 声を大にして大いに詰め寄る。ここぞとばかりに。だいたい、夜陰に乗じ混雑にかこつけ、痴漢を働いてやろうだなんて見下げ果てた根性だ。不埒千万、不届き至極、こういう輩はガツンと言って懲らしめるに限る。そうだ! ここで立ち上がらんで何とする! 降参するまで迎撃するのが全国各地津々浦々か弱き乙女の為なのだ! こういう卑劣漢を見逃せば、ますます図々しく付け上がる!
( 泣き寝入りなんか断じてしないぞ! えいえいおー! )と一人勇ましく旗を振る。徹底抗戦の構えである。騒ぎを聞きつけ、周囲が怪訝そうに振り向いた。ファレスは、忌々しげに舌打ちし、周囲を睨んで牽制しつつも、体裁悪そうに聞いている。慌てた様子を冷ややかに見やって、エレーンは、ふふん、と嘲笑ってやる。不埒な真似なんかするからだ。──と、ファレスがギロリと振り向いて、赤面激しく振り上げた。そして、
「"ケツ" "ケツ" 言うなっ! みっともねえっ!」
 ガナる。力いっぱい。
 エレーンは、パチクリ瞬いて、「──え゛っ?」と顔を見返した。なんでなんだか、えらい剣幕。全く予期せぬ逆襲である。理由は皆目不明だが。
 
 ファレスがキレて一分後、追求と検証を重ねた結果、ヤツの容疑は、あっさり晴れた。濡れ衣だったと判明したのだ。決め手はヤツの手の位置である。左手はこっちの肩の上──これについては己自身が証人なので、何ら疑う余地はなし。そして、自己申告の"右手inポケット"事由に関しても、この不良の野良猫は、日頃からやさぐれた態度で歩いているので、概ね無理なく納得出来る。もっとも、左手で肩を抱いた体勢で、右手を左隣の尻の位置まで差し回すのは、体勢的に無理がある。てか、普通に立ってても届かない。従って、ヤツに犯行は不可能なのだ。因みに、さっき、あからさまに赤面したのは "ケツ" に反応しての事らしい。釈然としない決着ではあるが、そういうふうに言われてしまえば致し方なし。もっとも、文句はしっかり垂れる訳だが。曰く──なあんて紛らわしいヤツなのだ。あれしきのことで怒るなんて変なところで敏感だ。そーよ。もっと柄の悪い小汚い言葉を自分は平気で言うくせに。にしたって、こっ恥ずかしいったらありゃしないうっかり勝ち誇って騒いじゃったじゃないよそれもこれもあの紛らわしいリアクションのせいだいやそもそもの元凶はヤツだろうそーよあんたが先に言ったんじゃないよ、
 ──"ケツ"って。
 エレーンは、一人ブチブチ言いつつ、人垣の隙間に目を戻した。白熱スポット・イベント会場の見物を再開。今、もっと急務なのは、アドルファスの方である。ケネルの左、居並ぶ野戦服の人垣の手前に、件のバリーの姿が見えた。苦々しげな表情で、革の上着を脱いでいる。視線の先にアドルファスがいるのだろう。うんしょ、と首を突き伸ばし、右へと視界を動かせば、逞しい体躯の黒い蓬髪。半袖の下に少しだけ見える、左腕の包帯が胸を射た。
「ア、アド……!」
 思わず注視し、息を呑んだ。こちらを庇って斬られた腕だ。服に隠れて見えこそしないが、あの右肩の生地の下にも──。
 彼から借りた重たい上着を、知らず掴んで掻き寄せる。人垣からの声援に、アドルファスは、快活に応えている。苦悶も弱音も微塵も見せない。今こうしている間にも、腕は痛い筈なのに。
 何事もない、いつもの笑顔かおが、余計に不憫で痛ましい。絶対、無理をしてるのだ。腕を刃物で斬られているのに、痛くない筈など、ないではないか。それでも、皆の前では、弱音は吐けない。
 ──どんなに腕が痛くても。
 じっと見つめてエレーンは、両手を強く握り締める。バリーは今でも、恐らくアドルファスを恨んでいる。さっきケネルが負傷の話に触れた時、バリーは明らかに反応を示した。ならば、この試合は、積年の恨みを晴らすことが出来る千載一遇の稀少なチャンス。みすみす見逃す筈がない。アドルファスを見やるバリーの顔が苦々しげに見えるのは、気のせいなどではないだろう。もしも、アドルファスの身に何かあったら──
( どうしよう。あたしのせいだ…… )
 緊張が急にせり上げて、ゴクリ、と唾を飲み込んだ。胸がドキドキ煩く騒ぐ。口から心臓が飛び出しそう。楽しげに盛り上がった雰囲気に呑まれて、肝心な事を忘れてた。
 こんな事、やっぱり、させちゃいけない!
「──女男っ!」
 焦燥に駆られて振り向いた。「とめてっ! アドをとめて女男!──やっぱ駄目よ! こんなの駄目よ!」
 ファレスが振り向き、怪訝そうにこちらを見る。その上着を、エレーンは、力任せに引っ張った。
「あんた一応偉いんでしょ? 副長なんでしょ? だったら、さっさと止めなさいよっ! あんたの持ってる権限でさあ!」
「……なんだよ、その"権限"ってのは」
 ファレスは、胡散臭そうに身を引いた。「お前、俺の話を聞いてたか?」
 何を考えてのことなのか、まるで見当違いの問いかけだ。ノラクラした反応に、苛立ちがいっそう加速する。エレーンは、会場を指差した。
「どーでもいいから早くとめてよ! ねえ早くっ!」
 足を踏み替え、ファレスがマジマジと見返した。一刻を争う大事だというのに、さっぱり、やる気のない様子。案の定、
「必要ねえよ」
「──なに言ってんのっ!? アドは怪我をしてんのよ!?」
 エレーンは、カリカリ言い返した。阿吽(あ・うん)で通じぬズレ加減と温度差が、実にじれったく、もどかしい。ファレスは、会場を平然と見やって、取り合う気配はまるでない。
「理由はどうあれ、てめえの部下にやられるようじゃ、一隊なんぞ束ねられねえ。下にナメられたらお終いだ。群れの統率が保(も)たねえよ。──ま、何にせよ、ああいう思い上がった勘違い野郎は、ここらでいっぺん、シメとかねえとな」
 言うなり、声を張り上げた。
「おうアドルファス! 負けやがったら承知しねえぞ!」
「──な゛っ!? あんた、なんで煽んのよっ!」
 このバカ猫!? 事もあろうに、脅迫もどきの激励エールとは!?
 趣旨とは真逆の暴挙である。エレーンは、ギリギリ胸倉掴む。ランニングの首がちょこっと伸びただけだったが。「──おう!」の声に振り向けば、人垣の隙間にアドルファスの笑顔が見えた。木刀を無造作に突き上げている。今の声援に応えたらしい。
「あんたって、どういう神経? マジ信じらんないわねっ!」
 ギッと睨んで、ファレスの足を踏ん付けた。又も直前で避けられたが。
 開幕前の会場は、ざわざわガヤガヤざわめいている。ファレスは、かったるそうに小首を傾げて、会場の様子を眺めている。──と、長髪流れるその肩に、バサリ、と何かが覆い被さった。ファレスの首を引っ抱え、親しげな笑みで顔を覗く。「よお、副長! どっちに賭けた」
「……分かってんだろ。一々聞くな」
 ファレスは、柳眉をひそめて煩そうな顔だ。悪ふざけの相手に凡その見当はついているようで、突っ立ったままで振り向きもしない。唐突な奇襲に若干ビビッて、エレーンが唖然と見上げれば、親しげに肩を組んできたのは誰あろう、かの短髪の首長ではないか。会場に投げた視線を戻して、バパは、楽しそうに窺った。「つまり?」
 確たる答えを促され、ファレスは、うざったそうな顔。
「──だから、タヌキの野郎と一緒だよ」
「つまり、お前も、アドルファスが勝つ、と見る訳だ」
「そういうあんたも同じだろ」
 面白くもなさそうに眉をひそめて、ファレスは、不貞腐った仕草で舌打ちする。沸き立つ会場に視線を戻して、バパは、いつもの通りに朗らかに笑った。
「そりゃあな。ヤツを誰だと思っているんだ。腐ってもあのアドルファスだぜ。腕を多少捻っていようが、下っ端風情に潰されるタマかよ。もっとも、下馬評は四分六でバリーだがな。奴さんの腕の不調を、ケネルがバラしやがってよ」
「……へえ?」
 ふと、ファレスが目を戻した。「ケネルが、ね」
 意外そうな面持ちだ。シゲシゲとバパを見返して、考え込むように眉をひそめている。バパがふと動きを止めた。何かに気付いた様子で「あれ?」と瞬き、視線を下げる。途端、弾かれたように見返した。
「──あんた、まだ、いたのか」
 唖然と口を開けて驚いた顔、さっきのケネルとおんなじだ。エレーンは、ムッと見返した。確かに暗いし、皆と似たようなジャンバー着てるし、上背のある面々に旋毛(つむじ)の先まで埋まっているから、気付いてくれなくたって仕方ない。しかし、──しかし、である。一つ大きな疑問がある。
 ──どうして皆して、そんなにヒトを邪魔者扱いするのだ? 
 エレーンは、ぶんむくれて( " まだ " ってなによー……? )と不服顔。だが、文句の口を開くより早く、バパが弾かれたようにファレスを見た。「おい! どうして連れて戻らない。もうすぐ" ヴォルガ " が始まるぞ」
 非難混じりの相手の口調に、ファレスは、面倒そうに柳眉をひそめて、長髪の頭を等閑(なおざり)に掻いた。「──ああ、ケネルの野郎がポカやらかしやがってよ。俺まで、こっちに呼び付けやがった」
 バパは、唖然と絶句して、念を押すように訊き返した。
「ケネルが、か? 珍しいな」
「──たく、どうかしてるぜ、あの野郎」
 ファレスも、かったるそうに同意する。会場の向かいに視線を投げて、バパは、やれやれと嘆息し、短髪の頭をボリボリ掻いた。「……しょうのない奴だな」
 エレーンは、ソワソワしながら聞いていた。話が一段落したのを見計らい「どきなさいよー! ほらほらほらあ!」と不甲斐ないファレスを押し退けて、右隣のバパへと向かう。あたふた顔を振り上げた。
「お願いバパさん! アドをとめて!──ね、お願いっ!」
 困った時のバパ頼み。平身低頭、ここぞとばかりに拝み倒す。( なにとぞナニトゾどーぞヨロシク )とじっと見つめて訴えかけると、バパは、困ったように苦笑い、会場へと視線を投げた。
「──おい、アド!」
 おお、なんと頼もしい。早速、諫めてくれるのか? エレーンは、喜色満面振り仰ぐ。さすが首長、神様のようだ。グータラしているどっかの野良猫とは大違い──。ホクホクそちらに目をやれば、蓬髪の首長が踏み出す足をふと止めて、怪訝そうに振り向いたのが見えた。バパが足を踏み替える。そして、
「存分にやれ! のぼせた天狗を叩き潰せ!」
 んん……? とエレーンは、固まった。今、何が起きたのか、とっさに頭が理解出来ない。三秒後、バパの顔を愕然と仰いだ。首長のくせに、案外呑気だ──て、
 そーじゃなくって!?
「──バパさんっ!」
 バパは、笑って振り向いて、こちらの頭に手を伸ばし、手の平で天辺をポンポン叩いた。「大丈夫。格下なんかに負けやしねえよ」
「でも──!」
 反論しようとした途端、グイ、と首根っこ掴まれた。嫌な予感に苛まれ、そろり、と右手に目をやれば、言わずもがなの野良猫だ。眦(まなじり)吊り上げた額には、憤怒の符丁が複数個──。
「チョロチョロすんなっつってんだろ!」
 声を荒げて聞き飽きた一喝。即刻、引っ張り戻されて、あっという間に元いた位置。つまりはヤツの肩の下。エレーンは、膨れっ面で抗議した。
「チョロチョロじゃないぃー! あたしは今、バパさんと話を──!」
「しかし、乱暴な真似をする」
 ボソリと、右手から独り言が聞こえた。ファレスの向こうのバパからだ。ファレスの図体を「よいしょ……」と押し退け首をそちらに突き出せば、バパは、周囲の様子を見回して、会場の向かいを苦々しげに見やっている。「懲らしめるにしたって、やり方ってもんがあるだろうによ」
 どうやら、ケネルのことらしい。ファレスがバパを見返すと、バパは、往生したように頭を掻いて、足を踏み替え舌打ちした。
「まったく、どうかしているな。ここは、曲がりなりにも開戦国だぜ。上の二人が遣り合えば、戦力低下は免れない。軍が出張った緊急時に、万が一にも首長を潰される訳にはいかねえってのによ。向こうの隊まで面倒みろなんてトバッチリは、俺は真っ平ご免だぜ」
 ファレスが肩をすくめて向き直った。
「そんなこた先刻承知だろ。おっさんの方が負けるなんざ、ヤツは端から考えちゃいねえよ。大方、てめえが煩わされるのが面倒になったもんだから、バリーの上のおっさんに、責任取れって話だろ。交代云々の条件あしかせは、手抜き防止の方便だ」
「確かに、煩い野郎を隔離するなら、" ヴォルガ " で潰すってのは、うってつけだがな。あんな条件を突き付けられてちゃ、アドだって、まともに相手をせざるを得ねえし、アドの豪腕でぶっ叩かれりゃ、ヤツもしばらくは動けんだろうし」
「診療所にぶち込んどけば、世話も監視もしてくれるぜ」
 投げやりな口調で、ファレスも賛同。
「一石二鳥か。──それにしたって、涼しい顔してあの野郎、そんなに気に障ったか」
 バパは、苦々しく向かいを見ている。やっと、話が途切れたようだ。
「……ねー! ねえぇーっ!」
 エレーンは、すかさず口を挟んだ。( ほーらね? 実は、あたしもここにいるしぃ〜? )と己の存在を無理やり売り込み、ファレスのシャツをクイクイ引く。
「ねーどうして? アドが勝つとか、どうして普通に思うワケ?」
 どうやら二人は、アドルファスの勝利を前提として話をしている模様だが、アドルファス負傷中・誰が見たって不利だろう?──の更なる大前提がある中で、何故にそういう結論になるのか、エレーンにはさっぱり分からない。
「だいたいケネル、そんなこと言ってなかったじゃん。なのに、どうして──」
「馬車がある」
「え?」
「だから、そこに馬車があんだろ」
 ファレスがかったるそうに薄暗い沿道へと顎をしゃくる。エレーンは「……だから何よぉ」とそれを見た。そんなことは言われるまでもなく分かってる。例の彼女らを運んで来たアレのことでしょ? うざったそうなファレスの顔には(ったく。一々トロくせーなテメーはよ!)と無礼この上なく書いてある。だが、それでも一応は説明した。
「馬車は動けねえ負傷者を運ぶ為のもんだ。遠い街道の診療所までな」
「……あ、そーなの?」
 のっけから不正解。対抗意識は早くも失速、エレーンは、そろりとファレスを促す。「──でも、それが?」
「アドは、診療所には入れない。行ったところで門前払いだ」
 エレーンは、ぽかん、と瞬き、荷馬車を見た。「でも、あんた今、負傷したら運ぶって──」
「だが、患者がバリーの野郎なら、診療所の連中は、一も二もなく受け入れる」
「なんで、そうなるのよ」
 何を言ってるのか分からない。
「バリーは掛け値なしのシャンバール人だ。受入拒絶なんかした日には、下手すりゃ大ごとになっちまう。カレリアとシャンバールは友好国だからな。──にしたって、ケネルの野郎。あてつけがましく、あんな馬車もんまで用意させやがってよ」
 バパも、やれやれ、と肩をすくめる。「さしずめアドへの圧力ってとこだな」
 エレーンは、ぽかん、と二人を見た。彼らは了解事項を端折るので、時々意味が分からなくなる。( 圧力ってナニ? )と内心で問うたのが通じたか、ファレスがランニングを引っ張られる前に、ぶっきらぼうに説明した。
「" 診療所送りになるまで、バリーの野郎をぶちのめせ " ってこった 」
 ギョッと、エレーンは、見返した。
「な、何言ってんのっ! ケネルがそんなこと言う訳ないでしょっ!?」
 あたふた、一応ケネルを庇う。ファレスは、呆れた顔で顎をしゃくった。
「言ってんだろ。現に荷馬車がそこにあんじゃねえかよ」
「……で、でもぉ〜……ケネルは、そんな……」
 そういう不穏当な推測は、抵抗があって受け入れ難い。
「──そうか。だから、あの野郎、」
 ファレスが、突然、苦笑いした。「アドに引導を渡す気か」
 何かを合点した面持ちだ。だが、あまりに無脈略で意味するところが分らない。腑に落ちない思いで見ていると、ファレスが素気なく意訳した。
「ヤツに勝てなきゃ " 引退しろ " ってこった」
「──引、退?」
 あまりに突飛な結論に、唖然と見返した時だった。高音がざわめきを貫いた。
 口笛?──いや、指笛だろうか。その音が響き渡るやいなや、会場のざわめきが引いていく。仲間の声援に応えていたアドルファス、バリーの両名が、それを機として足を止めた。対戦相手へと向き直り、手にした木刀を持ち上げる。距離を置き、互いを眺めやったまま、反時計周りに円を描いて、ゆっくり慎重に歩き出す。エレーンは、おろおろ見回した。
( ど、どうしよう。始まっちゃった…… )
 今のが開始の合図だったらしい。
 
 
 
 
 

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