CROSS ROAD ディール急襲 第2部3章 6話16
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 ついに " ヴォルガ " が始まった。
 相手の動きを窺っているのか、どちらも中々仕掛けようとしない。そろりそろりとした慎重な足さばきに、否が応にも緊張が高まる。エレーンは、固唾をのんで振り向いた。
「ね、ねえ。もしも、アドが負けたら、……どうなっちゃうの?」
「──あー? おっさんの方が潰れたらー?」
 ファレスは、うざったそうな顔。ちょっと考え、ぶっきらぼうに返事を寄越した。「──だから、ヤツと首長を交代すんだろ?」
「そうじゃなくってっ! だって、さっき、アドは診療所には入れないって!」
「ああ、そっちの話かよ。──そうだな。そうなったら、そこらのキャンプにでも放り込んでくしか手はねえな」
「" 放り込む " ってなに!?」
 ギョッと、思わず見返した。「け、怪我してるのに見捨てて行く気!? 手当てするお医者さんだって、いないのよ!? それを──!?」
 アドルファスは診療所で養生出来ない──今、そう言ったばかりではないか! だが、ファレスの応えは素気ない。
「動けねえ怪我人ヤツは足手纏いだ」
「──あんたねえっ!?」
 視界の端で、何かが動いた。
 慌てて見やれば、黒い蓬髪。獰猛な獣が狙った獲物に飛びかかるような、俊敏で凄まじい破壊的な気迫──。
 アドルファスだ。
 とっさに構えたバリーの利き手の木刀が、夜空高くに弾かれた。バリーは、後ろ向きにたたらを踏んで、後退った足でバランスを崩す。尻餅をつきかけるも片膝を付き、辛うじて身を起こしたままで踏み止まる。すかさず打ち掛かる逞しい蓬髪。
 人垣の会場がドッと沸いた。慌てて振り上げた顔面目がけて、アドルファスの木刀が真っ向から襲い掛かる。既にバリーはアドルファスの手中だ。抗う動きが鈍過ぎる。いや、凄まじい迫力に気圧されて凍り付いてしまっているのだ。目の前の獲物を仕留めるべく、風を切って唸りを上げるアドルファスの鋭い軌道。逃げられない──。
 その時だった。
「と、止めた……!?」
 会場がどよめいた。二つの影が止まっていた。打ち下ろされた木刀を、バリーが手の平で挟んで受け止めている。
「す、すごい……」
 両目を丸く見開いて、エレーンは、呼吸を止めていた。人垣からのざわめきに、はっと唐突に我に返る。慌ててファレスを振り向いた。
「あの人、今の、止めちゃった! あれって、真剣白刃取りってヤツなんじゃ──!?」
「……"真剣"じゃねえがな」
 ボソッ、とファレスは、欠伸(あくび)で訂正。何故だか、こいつだけテンション低し。まあ、確かに、紛うことなき"木刀"ではある。だが、名称なんかは、なんだっていいのだ。
「ど、ど、どうしよう女男っ! あの人すごい! アドの攻撃、あんなに簡単に止めちゃうなんて!」
 たった今まで、あんなピンチだったのに。ファレスが「あァ──?」とかったるそうに見下ろした。「──そうじゃねえ。今のは、おっさんの方が、、、、、、、寸止めしたんだ」
「え゛?」
 エレーンは、ぽかん、と隣を仰いだ。何を一人で的外れなことを。今の、自分だって見てたじゃん。関心なさげな横顔だ。会場に向けて指を差す。「でも、みんなだって、あんなに盛り上がってるし……?」
 促され、ファレスも無頓着に眺めやった。
「ったく。雁首並べてしょうがねえなあいつらは。あんな虚仮脅し(おけおどし)にまんまと喜びやがってよ」
 ファレスは、やはり白けた顔。全く眼中にないようだ。隣と会場を交互に見やって、エレーンは、口をぱくつかせた。「でも、今、確かにあの人が、ぱしっ、て……?」
「ああいうのには、斬りかかる側に、、、、、、、技量が要る」
 面倒そうに眉をひそめて、ファレスは、きっぱり言い切った。「んなこと誰に出来るもんかよ、大道芸じゃあるめーし」
「──でも、」
「あんまり簡単に沈めちまってもバリーの野郎が不憫だから、せめて花でも持たせてやろうって、おっさんのしみったれた情けだろ。にしたって、なんだってんだよ、あのサービス満点のスタンドプレーは」
 ケッと吐き捨て、横顔でぼやいた。「──やる気満々じゃねえかよ熊ジジイ。あんなにウダウダ渋ってたくせに」
 エレーンは、首を傾げつつも目を返した。どうにも腑に落ちない回答であるが、そっちの方面はカラキシなので、反駁出来そうな材料がない。
 アドルファスが打ちかかった体勢で、二人はピタリと停止している。やがて、アドルファスが不敵な笑みで圧し掛かった木刀を引き上げた。バリーも取り落とした得物を拾い上げ、慌てた様子で立ち上がり、アドルファスから距離を取る。
 仕切り直しをするようだ。アドルファスは、木刀で肩をゆっくり叩いて、前傾姿勢で睨み付けるバリーの様子を、困ったような苦笑いで眺めている。さて、どう料理したものか、と思案を巡らせてでもいるような。ファレスが断言したように、優位にあるような振る舞いだ。小首を傾げて眺めやるその姿は、悠然としていて、自信に満ち溢れている。けれど、ふとした動作で僅かに顔をしかめたのを、凝視していたエレーンは見逃さなかった。刹那浮かんだ苦悶の表情。会場に詰め掛けた大勢の部下達。あれが彼の見栄なのだとしたら──?
( 痛いの、我慢、してるんだ── )
 確信が胸を突く。エレーンは、唇を噛み締めた。彼の腕の負傷については、誰より事情を知っている。右の腕は、飛び出した自分を避けて捻ったのだ。左の腕は、自分を賊から庇って斬られたのだ。足元に蹲った逞しい蓬髪──あの衝撃と驚きは、忘れようにも忘れられない。強く抑えたアドルファスの指の隙間から滴り落ちていく赤い血液──。
 胸の両手に力が込もる。胸が痛む。気持ちがざわめく。黙って見てなんかいられない!
「──だめよ! やめてっ!」
 気付いた時には、声を張り上げて叫んでいた。
「アド! だめよ! 無茶しないで!」
 アドルファスが歩みを止めて振り向いた。肩に置いた木刀を下ろして、怪訝そうに見回している。
 彼に気付いてもらえるように( こっち! こっちぃ──! ) と飛び跳ねながら大きく手を振る。努力の甲斐あり、すぐにこちらを見つけたらしい。アドルファスが驚いたように目を瞠った。──と、何かがその頬を鋭く掠める。
 バリーだ。
「──ひ、卑怯者っ!?」
 エレーンは、ギョッと引きつった。なんてヤツ!? なんてあざといヤツなのだ! 今ちょっと、タンマしてたトコなのに!? 
 攻撃の気配を察知したらしく、アドルファスは、体を逸らして切っ先を避け、辛くも攻撃を受け流した。エレーンは、憤然と振り返る。
「なにアイツぅー!? 信じらんないっ!」
 バリーを指差し、断固、糾弾。だが、ファレスは、興味なさげに欠伸(あくび)なんかしている。しかも言うに事欠いて、
「よそ見なんか、する方が悪いぜ。てか、お前、おっさんの足引っ張んなよ」
「──あたしのせいっ!?」
 予定外のお小言だ。エレーンは、愕然と指差した。それにしたって、あの男〜!
 卑怯なバリーに目を据えて、憮然とそちらに足を踏み出す。だが、一歩歩いたその途端、グイ、と引っ張り戻された。肩までの直毛を振り払い、イラッと右手を睨み上げれば、そこにいたのは眦(まなじり)吊り上げた隣の野良猫。先だってのカリカリ感が、前にも増してヒートアップした様子。グルリと不穏に振り向いた。
「チョロチョロすんなっつってんだろ!」
 腰に手を当て、仁王立ちで通せんぼ。
「──はあっ!? なにそれ!? あたしが、いつ!?」
 爪先立ちで食ってかかる。ものっすごい心外だ。チョロチョロなんか、していない。ちょっと足を踏ん付けに行こうと思っただけだ。
 
 闘技場の試合の方は、歓声に包まれて続いている。ファレスは盛んに身じろいで、気忙しくアチコチ視線を投げている。下から仰ぐ横顔は、柳眉をひそめた仏頂面。そのくせ肩に置いた腕だけは、どんなにもがいても退けようとしない。膨れっ面でヤツを見た。「──ねえ! やっぱダメでしょこんなのは!」
「なにが」
 ファレスの態度は、ぶっきらぼうだ。何がそんなに気になるのか、どこか、心ここに在らずの様子。もどかしい思いで食ってかかった。
「だいたい、なんで、いきなり、こういう話になっちゃうわけ? 意味わかんない! あんな事しなくたって話し合いで解決すれば──」
 長髪流れる横顔は、賑わしい会場を眺めている。口をつぐんだ彼の柳眉が僅かにひそめられている事に、この時は慌てていて気付かなかった。
「そうよ! こんな危ない真似しなくても、もっと穏便に、公平にさあ!」
「誰が裁く」
「……え?」
 飛躍の意図が汲み取れず、面食らって口篭った。思わぬ落ち着いた声だ。会場の様子を眺めたままで、ファレスは、続けた。
「双方、言い分を引き比べたとして、誰が真偽を裁くんだ。下した裁きが正しいと、確かな保証がどこにある。それで収まりゃしねえからこそケリつけようとしてんだろ。そもそも、どこへ持ち込もうってんだ。この国の屯所か、領主の所か、それともシャンバールむこう役所まどぐちかよ」
「……そ、それは」
 息が止まった。浮ついた怠慢さを、予期せずピンポイントで突かれた気分だ。
 明らかにこちらの不注意だった。指摘されるまでもなく知っていた筈だ。彼らは訴え出るべき " 国 " を持っていない──。
 言わせてしまったのは、他ならぬ自分だ。案の定、ファレスは、乾いた口調で現状を辿った。
「そんな機関もん、俺達の中には端からねえよ。弱い奴は強い奴に従う。普段はそれで十分だ。強い奴の往く道が、そのまま俺達の法律みちになんだよ。それが不服で白黒つけたきゃ、てめえで落とし前をつけろって話だ」
 ああいうふうによ、と中央に向けて顎をしゃくる。指し示したその先には、木刀を持って対峙する二人の男の荒々しい姿。たじろぎつつも、エレーンは、せめて言い返す。
「で、でもっ! 何でもかんでも暴力で解決するだなんて、そんなの変よ馬鹿げてる。だって、」
「──お前なあ」
 ファレスが少し呆れた様子で見返した。
「一隊を率いるおっさんが、なんで見世物もどきの余興なんかで晒し者になってると思ってんだ。おっさんは、お前の名代だろうが」
 そこを突かれて返事に詰まった。エレーンは、むむう、と俯いて指の先をイジイジいじる。「そ、そ、それは、まあ、そーなんだけどー……で、でもぉ……あれはぁ〜、あたしのせいっていうよりかぁ〜、不可抗力っていうかぁ〜、なんていうかぁ〜……」
「元はといえば、全部てめえで撒(ま)いた種じゃねえかよ」
「う゛……」
 あっけなく止めを刺された。原因と結果だけを見るならば、確かに事実ではあるけれど。
( うう……。こんな野良猫にまで言われてしまった…… )
 なんか凹む。ケネルに続きコイツにまでも「お前のせいだ」と言われてしまった……。因みに、同じ事を言われても、ケネルの言葉は素直に聞けるが、コイツに言われると無性に腹が立つのは何故だろう。むむむ……と睨んで一時撤退、こそこそ会場に目を戻す。
 激しい攻防が始まっていた。いや、バリーの一方的な攻撃だ。声をかけたあれ以来、アドルファスは、バリーからの攻撃をただただ木刀で受け流している。繰り出す攻撃を悉(ことごと)くかわされ、バリーは、じれったそうな、もどかしそうな、忌々しげな面持ちだ。
 開始当初の荒々しさから、アドルファスの様子が一変していた。バリーの動きを睨んだままで、最小限の体の動きで、攻撃を慎重に避け続けている。相手から片時も目を逸らさぬ黒い蓬髪の無精髭に、時折もどかしげな表情が入り混じる。日焼けした逞しい腕で額を流れる汗を拭き、どこか苦しげに顔をしかめる。何かと必死で戦ってでもいるような──。
 ぐるりを取り巻く幾つもの木組みのかがり火が、パチパチ弾けて燃え盛る。あたかも闘いを煽るかのように。
 エレーンは、そわそわ見回した。やはり、いても立っていられない。そもそも馬鹿げた試合なのだ。怪我人が戦う謂れはない。あんなふうに無理をさせれば、負傷した腕は悪化する。なら、一刻も早く取り止めた方がいい!
「──ね、ねえっ! やっぱ、もう、とめた方がいいわよ! やっぱり腕が痛いのよ! だってほら、あんなに逃げてばっかいるじゃない!」
 だが、ファレスは、又も挙動不審だ。ソワソワ後ろを見たかと思えば、バッと突然振り向いたり、チッと舌打ちしてみたり。さっきから一人で、いったい何をしてるんだか──。キョロキョロしているランニングを、焦れて思い切り引っ張ると、煩そうに目だけを向けて、明らかに片手間な舌打ちで、ぶっきらぼうに応えた。「──どうせ、また遊んでんだろ?」
「違うわよっ!?」
 お前のその目は節穴かい!? 足を踏ん張り、力任せにグイグイ引っ張る。こうとなったら、ちょっとくらい首が伸びちまったって構わない。腹からランニングを取り返し、やっと、ファレスがこっちを見た。かと思ったら、盛大な溜息をわざとらしくついて、タルそうな態度で耳をほじくる。
「じゃあ、ヤツの出方を窺っているか、力の程度を見極めているか、大方そんなところだろ。一撃で潰しちまっちゃ、観ている方だって、つまんねーしよ」
「女男っ!」
「──そもそも無理だぜ、今更よ」
 かったるそうに言い切って、抗議を無下にはね退けた。
「こうなっちまっちゃ、ケネルでも無理だぜ。" ヴォルガ " は、とうに始まっている。当事者二人が同意した時、即ち開始だ。そして、一たび始めたら、なん人たりとも手出しは出来ない。終わるのは、全てのケリがついた時、一方が気絶するなり降参するなりして、てめえで勝負を降りた時だ」
「──なにそれっ!?」
 どうして言わない、
 
 肝心なことを──!?
 
 観衆が沸く。火の点いた狂騒が加速する。渦巻く興奮、巻き起こる歓喜、熱狂に拳を振り上げる人々。全てを覆い尽くす大歓声。人いきれと熱気でクラクラする。会場のアドルファスは、先と変わらず、スレスレで攻撃を避けながら、こちらをチラチラ盗み見ている。
「──ばかに動きが鈍いな 」
 怪訝そうな独り言が、朦朧とした耳を不意に掠めた。あの短髪の首長の声だ。
「いつまで様子を見ているつもりだ。一撃食らわせりゃ片付くだろうに」
 いつも余裕の、かの首長にしては珍しく、焦燥の入り混じった面持ちだ。顎をゆっくりと撫でながら何事か考え込んでいる様子。
「──そうか」
 ふと、合点したように小さく呟き、顎の手を離して顔を上げた。目だけ動かし一瞥する。「あの子か原因は」
 エレーンは、カチン、と、見返した。何? そのあてつけがましい言い方は──!
 何故だか、又も非難されてるらしいのだ。あの優しい彼だけは、こっちの味方と思っていたのに。賑わう会場を眺めやり、バパは、腕を組んでいる。難しい顔で苦々しげにごちた。「──どうするケネル。誤算だぜ」
 憮然と口を尖らせて、エレーンは、ぷりぷり盗み見る。
( あっそ! どーせ、あたしのせいですよぉーだ! )
 ケネルもファレスも彼までも──!
 バパは「しょーがねーなー」と頭を掻いて等閑(なおざり)な調子で声をかけた。「──おい、ファレス。しばらく、この子と散歩でもして来い」
 だが、ファレスは苛々ソワソワ、丁度その時、逆側に振り向いたところだった。そして、
「ったく! どこのどいつだ、さっきから! 気安くケツに触んじゃねえっ!」
 眦(まなじり)吊り上げ、後ろを牽制。すぐさまアチコチ見回して、胡乱な顔で下手人の足取りを追っている。
( けつ……? )
 エレーンは、唖然と見返した。なんか機嫌が悪いと思ったら、痴漢の撃退に忙しかったらしい。 さっきからの挙動不審の理由を、事ここに至って、ようやく合点。にしたって、二人並んで立っているのに "向こうに"行くってのは、どうなのだ? 悪鬼の如くの形相で( てんめえ〜どこだ〜!? )と周囲をギンギン睥睨している隣のファレスを眺めつつ、腑に落ちない思いで( どーゆーことよー? )と不貞腐る。バパが面倒そうに舌打ちした。「……しょうがねえな肝心な時に。これだから綺麗な顔した兄ちゃんってのはよ」
 ぼやきが聞こえた。──と思ったら、クルリと振り向き、目が合った。短髪の頭を、ひょい、と下げ、唸りを上げるファレスの様子を上目使いでチラと窺い、内緒話するよう手招いて
「──こっち来な。ちょっと、そこいらデートしよう」
 顎をしゃくって素早くウインク。
「え……?」
 エレーンは、ドギマギ動揺した。突然過ぎるお誘いである。胸に手を当てカッカと赤面不覚にも。にしても、何を言い出すのだこんな時に。だが、返答している暇などなかった。
 バパが上半身を乗り出した。腕を伸ばして、こちらの手首を素早く掴む。ゲッ!? と硬直している暇もなく、手繰り寄せるように引っ張られ──と、バパのその手がムンズと上から引っ掴まれた。頭上に落ちかかる影を仰いで、腕を伸ばした前屈みのバパが、ん──? とゆっくり顔を上げる。
「てめえ、どこへ連れ込む気だ」
 不穏な顔のファレスである。掴んだ腕を突き放されて、バパは、じれったそうな舌打ちで身を起こした。「──ご挨拶だな。そんなんじゃねえよ」
「なあにが " そんなんじゃねえ " だ」
 ファレスは、ぞんざいに吐き捨てた。南側沿道へと顎をしゃくる。「遊び道具ならアッチにあんだろ。凶暴女そあくひんがいくらでもよ!」
 何故だか必要以上にトゲトゲしい口調だ。意図的な悪意さえ籠っていそうな? バパは呆れた顔で腕を組む。「──やっぱり、お前か。さっきの騒ぎは」
 やれやれ、と頭を掻いて嘆息した。「──いや、お前は捕り物ソッチで忙しいようだからよ、俺が代わりに、ちょっと、そこいら、この子とぶらついて来ようと思ってよ」
 ファレスは、険しい目を据えて、疑わしげな、胡散臭げな、険悪な腕組みで立ちはだかっている。そして、
「その手は食わねえぞ。エロじじい!」
 むっ? と、バパが聞き咎めた。
「そいつは聞き捨てならねえな。お前に " エロじじい " 呼ばわりされる筋合いはねえぞ。こんな原っぱにいるってのに、夜な夜な街道くんだりまで繰り出して、三日に上げず通いつめてる野郎によ」
「……なんで、てめえが知ってんだよ?」
 ファレスは、怯んだ。実に嫌そうな疑心暗鬼の顔である。二言三言で攻守逆転、バパは、ふふん、と見やって哀れむように続ける。
「言っておくがな。俺は、預かり物に手出しするほど不自由なんかしてねえぞ。むしろ、そいつはお前の方だろ。まったく、教えて欲しいもんだよな〜。どうやって交渉しくどいたら、"あっち"が生業のお嬢さんから 肘鉄なんざ食らうんだか」
「──な゛っ!?」
 ファレスが顔色失った。わなわな絶句で突っ立ったすぐには反論も叶わぬその顔には( どこで見てやがったこのジジイ!? )と内なる彼の驚愕が洗いざらい書いてある。バパは攻撃の手を緩めない。
「大方、お前がガッついて、余計なことでも言ったんだろう。だから、相手のお嬢さんが怒っちまって、バッチーンってよ──」
「テメーにゃ関係ねえだろうがっ!?」
 ついに、逆毛を立ててファレスが逆上。剣呑そのもののその顔には( それ以上言ったらぶっ殺す! )と固い決意が述べてある。指摘はあらかた図星のようだ。裏情報を持ち出して一撃でファレスを仕留めたバパは、余裕綽々顎をしゃくる。
「そもそも、だ。どうせ遊ぶなら、もっと豊満で妖艶で床上手なよ──」
 ファレスが苛々と遮った。「" エロじじい "の好みなんざ、誰も訊いちゃいねえよ」
「いや、好みというなら、──ほら、いたろ? あの静かなお屋敷によ」
 だが、不躾な阻止は全く無視して、バパは、思わせ振りに目を向ける。「お前らは目の仇にしていたようだがな、あの娘なんかは、かなりイイ線──」
 その先は、片手で囲ってコソコソ耳打ち。ファレスは憮然とした顔で聞いていたが、言い分を一通り聞き終わると、たじろいだ顔で見返した。「──あれの具合がどうだかなんて、てめえは知らねえだろうがよ 」
 何故だか失速、反撃にキレがない。何を聞いたか、ファレスはトーンダウンして苦々しげな顔。対照的に、バパの顔は楽しげだ。ふふんと笑って、したり顔で顎を撫でた。「いいや、分かるね。ありゃあ、きっと飛び切りの、よ、それも、かなりの床上──」
「ジジイ! 二度とあいつの話をすんじゃねえっ!」
 ファレスが眦(まなじり)吊り上げ遮った。憤然と拳を握って飛び掛りそうな形相だ。ピリピリきているその様に、バパは、短く苦笑い。「食いついてきたか。図星かよ」
「──あァ!? どういう意味だコラ」
 一瞬返事に詰まって声を荒げ、だが、短気な野良猫にしては珍しく、なんとか抑えている様子。どうやら、そっちの方面には踏み込みたくない事情があるらしい。
 言われっ放しで引き下がらずを得ず、ファレスは、さすがに面白くなさげな顔だ。だが、相手にいいようにおちょくられ、我慢が出来るような野良猫ではなかったらしい。辛うじて自分を抑えつつ片頬不穏にヒクつかせていたが、「へえ〜?」と一言冷やかされた途端、ブチリ──と何かがぶち切れた。
「マジでムカつくジジイだぜ。さっきから一人でゴチャゴチャとよ! おう! ちょっと出ろやコラ!」
 顎をしゃくって剣呑に凄む。パキパキ指を鳴らして威嚇する事も忘れない。
「上等。俺の方は構わんぞ?」
 バパも不敵に笑って腕を組んだ。顔こそ笑っているものの、こちらも密かに向かっ腹を立ててた模様。" エロじじい "発言が忌諱に触れたか? 
 ひょんな事から、泥仕合、勃発。前傾姿勢の二人の男が喧々諤々火花を散らして睨み合う。紛うことなきマジである。バパがチラとファレスを見た。
「なら、賭けの賞品は何にする?──ああ、俺が勝ったら、あの娘を貰う、負けたら二度と手は出さないってことでどうだ」
「──ぬかせ。それじゃあ、俺の方は丸損じゃねえかよ」
 ファレスは、憮然と言い返す。
「そうでもない、と思うがな?」
「自信満々だなジジイのくせに」
 胸を逸らして立ちはだかり、剣呑この上なく対峙する。
 ずずい、と顎を突き出した。
 
 一方、喧嘩の発端エレーンは、
( ホント、どーしょもないわね男って )
 角つき合わせた下らんいがみ合いはうっちゃって、とっくの昔に離脱を果たしていたのだった。
 頭上でゴチャゴチャやってたようだが、五十歩百歩のみみっちい罵り合いなんぞにかまけているよな暇はない。そうだ。そんなコトして遊んでいるよな場合じゃないのだ。言い合いに夢中の腕の下から( ハイお疲れ〜 )と抜け出して、自作の隙間にとっとと戻り、「ハイどいてどいて〜」と人垣掻き分け、目を戻す。
 そこでは、白熱した試合が続いていた。顔を庇うアドルファスの腕を、バリーの木刀が激しく弾く。苦痛に顔を歪めるアドルファス。叩かれた腕を押さえて庇い、離脱しようと踏み出した足がよろめく。すかさず素早く間合いを詰めて、バリーがアドルファスに襲い掛かった。
 会場が沸き返った。どよめき、熱狂し、拳を振り上げ、口笛で盛んに囃し立てる。バリーの攻撃の容赦のなさに、エレーンは、息を詰め、目を瞠る。前列の背にドンと押された。前に出ようと、もがき、押し戻し、力の限り突き飛ばす。けれど、すぐに押し戻されて、一歩も前へは進めない。誰も彼もが高揚し、何も見えなくなっている。目の前の試合にのめり込んでいる。
 手前に見えるはバリーの背中。アドルファスは、防戦一方だ。後退り、踏み止まり、攻撃を木刀で受け流し、疲れてきたのか、地面の窪みに足を取られて急によろめく。アドルファスは、右に左に体を傾け、バリーの攻撃を避け続けている。
「や、やめて──もうやめて、アドってばっ!」
 けれど、渦巻く歓声に掻き消され、声は、全く通らない。喉を嗄らして叫んでも、彼の元まで届かない。何も届かない。何一つ。
( どうしよう )
 止まらない。
 親指の爪をハラハラ噛んだ。誰も二人を止めてくれない。アドルファスの逃げ回る姿を面白がって見ているだけだ。こんなに大勢の人がいるのに。腕を痛めてること知ってるくせに。
 ──これじゃあ、リンチだ。
 喧騒の底に渦巻く陰湿な感情を見た気がした。慎重に隠された胸の奥底、恨み、妬み、羨望、嫉妬──。ありとあらゆる不の感情がドス黒く渦を巻いて淀んでいる。誰も彼もが寄って集って、普段指図を受けている豪腕の首長が惨めに逃げ惑う姿を見る事、憂さ晴らしをしているのだ。束の間まやかしの逆転現象、そこにあるのは確たる隠れ蓑ルール。一たびゲームを始めたら──
 
 " なん人たりとも、手出しは出来ない "
 
( ──なぶり者にする気だ )
 拍動が一気に早まった。何故、こんな事になっているのか分からない。囃し声、沸き立つ歓声。あらゆる音が膨張し、頭の中が朦朧とする。目は、荒く息つくあの蓬髪に釘付けだ。最後に見た出掛けの父の悲しげな顔が、何故かしきりに脳裏に浮かんだ。
 アドルファスの体が、大きく後ろに仰け反った。避け損なって捻った体が土の地面に投げ出され、こちらに背を向け蹲る。バリーが木刀を振り上げた。
 会場が大きくどよめいた。場が熱狂で沸き返る。目いっぱいに収縮し、膨れ上がった期待と興奮──。
 堰を切り、歓声が弾けるように破裂した。
「……やめて」
 ふと振り払われた長髪が、視界の隅を刹那掠めた。けれど、表情までは分からない。足が強く地面を蹴った。体を素早く傾けて、二歩で人垣をすり抜ける。視界が不意に大きく開けた。燃え立つかがり火、沸き立つ円形闘技場。何も視界に入らない。捉えているのはただ一つ、包帯の見える左腕、蹲った蓬髪の後頭部──。
 蓬髪の首に飛び付いた。顔が肩に激突し、勢いがつき過ぎた足と胴とが、しがみ付いた首を支点に前へと激しく振り回される。アドルファスが体を瞬時に強張らせ、勢いに押されて尻餅をついた。体を硬直させて視線を下げ、だが、何があったか、すぐに蓬髪を振り上げた。バリーの利き手の木刀は、既に打ち下ろされている。
 目を瞑る。息が止まる。勢い付いた木刀は、止まらない。
 反射的に首をすくめた前髪が、不意の突風に舞い上がる。鋭い風切り音が耳を掠めた一瞬後、凄まじい爆音が轟いた。
 
 
 
 
 

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