CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 interval 〜 紳士達の午後 〜
( 前頁 / TOP / 次頁 )


 
 
 燕尾服姿の執事が恭しく頭を下げて下がってしまうと、腕組みで壁にもたれた女は、堪りかねたように背を起こした。
「ちょっと、どういうことなのさ。的の周りにいる連中、聞けば只の賤民風情じゃないらしいじゃないか。しかも事もあろうにシャンバールの賞金首ごろつきだァ?──冗談じゃないよ。危うくこっちが串刺しになるところさ。肝心要の要諦かんどころで抜け抜けとダンマリを決め込むなんて、いったい、どういう了見だい」
 肩下の薄茶のストレートヘアが、動作に伴いサラリと揺れる。女は黒革のパンツスーツに、やはり黒革のロングブーツという、ほっそりした体に沿う素気なく粗暴な出で立ちだ。抗議を受けた中年の紳士は、取り繕うでもなく、窓辺で後ろ手にして佇んでいる。
 重厚なカーテンの下ろされた静かな午後の居室には、壁一面の大窓から麗らかな陽光が降り注ぎ、ひっそり静まり返っている。広い室内には、二人の他に誰もいない。眼光鋭い長身の女は、豪華な生花が活けられた白磁の花瓶から赤い薔薇を一本抜き取り、つまらなそうに眺めやり、入れ墨のある白い手首をしなやかに返して、クロスの掛かった卓の上へと溜息交じりに置き伏せた。
「あの用心棒どもは、どうしたんだい。姿が見えないようじゃないか。あんた、あの女の所へ、幾人刺客をやりゃあ気が済むんだい」
 険のある目で約束が違うとばかりに一瞥する。中年の紳士──恰幅の良い館の主にはさして慌てた風もない。
「なに万一の保険というやつだ。しかし、大勢で仕掛けて小娘一匹仕留められんとは。口ほどにもないとは、このことだな」
「生憎と、相手がやたらと手強いもんでね。おまけに、誰かさんが差し向けたトロ臭い阿呆どもが的の周りを小煩くうろついている、とくる。まったく邪魔っけだったらありゃしないよ」
 小馬鹿にしたような雇い主の嫌みに更なる嫌みで応酬し、女は紳士をジロリと睨んだ。
「分かってんのかい。そこらの金持ち片付けるのとは、こいつは訳が違うんだよ。ヤツらはバリバリの玄人だ。下手にあんなもんに仕掛けた日にゃ、こっちの方が袋叩きさ。野営の時さえ歩哨がきっちり見回って蟻の這い出る隙もありゃしない。的の方にも、目付きの鋭い俊足の男が常時張り付いていやがるし」
 やれやれと嘆息して続けた。
「聞けば連中、大した賞金首くび揃いだそうじゃないか。今、連中の所には賞金稼ぎが殺到してるよ。それがこっちに知れた途端、男どもは目の色替えて " 狩り " に鞍替えしやがる始末さ。そりゃ、あの小人数の中に一千からの首がゴロゴロしてるってんだから、喉から手が出るほどのお宝の山さね。どうせなら、ケチな貴族に、、、、、、顎で使われるより、よっぽど割りがいいって話だ。──もっとも、あたしに言わせりゃ、揃いも揃って身の程知らずの馬鹿者揃いもいいとこだがね。ありゃあ紛れもなく人殺しが合法な国の、、、、、、、、、軍隊さ。ゴロツキ風情と侮ると、あんたも手痛いしっぺ返しを食らうよ。現に、賞金稼ぎも同業も、既に何人も消えている」
「それで、お前はおめおめ引き下がったということか」
「──いいや。こっちもこれで食ってる身でね。だが、移動時は馬群の中央で、おいそれとは近づけないし、休憩時には誰かしらが常時鼻先で見張っている。といって、夜襲は無理だ。野営地なんかにゃ、とてもじゃないが近づけない。だが、そうこうする内、ようやく好機が巡ってきた。連中、退屈して宴会を始めやがったのさ。早速騒ぎに乗じて潜り込んでやったんだが、しかし、男ってのは、なんでああも馬鹿なんだか。娼婦に化けてやった途端、いとも簡単に潜り込めちまうってんだから、呆れるのを通り越して笑っちまったよ。で、混雑に紛れて的を連れから引き離してやろうとしたんだが、どうにも埒があかなくてね。仕方がないから、そのまま腹ァ引っ捕まえて背中かっ斬ってやったんだが、」
「で、首尾は?」
 冷たい色を瞳に宿して、紳士はせかせか話を促す。女は片足に重心を預けて腕を組み、思わせ振りに小首を傾げた。「さあてね。どうなったと思う?」
 紳士が憮然と苛立った。女は両手を広げ、肩をすくめて、
「ピンピンしていやがった 」
 不首尾を示して首を振る。紳士は面食らった顔つきだ。「──どういうことだ。まさか、そんな事が」
「さあてね。案外、分厚い鎧でも着込んでるんじゃないのかい」
「鎧?」
「あんたは知らないだろうけど、戦地なんかじゃよくある話さ。あれでも要人の端くれだから、周りに押っ着せられでもしたんだろ。場数を踏んだ連中だから、防具の予備くらいはあるだろうしね。もっとも、そんなもん背負しょって、よくもあれだけ動き回れるもんだと感心するが」
「つまり、しくじった、という訳か」
 紳士は不愉快そうに鼻を鳴らした。太鼓腹を反り返らせて、太い指でドアを指差す。「ならば、何を油を売っておる。取って返して仕留めてこんか。ほれ、さっさと──」
「ごめんだね」
 女は言下に遮った。「斬っても斬れないんじゃ、どうしようもないだろ。それに的の方はともかくとして、物騒な輩がどれだけいると思ってんだい。的は鉄壁、守りは万全、命が幾つあっても足りやしないよ」
 紳士は憮然と吐き捨てる。
「前金は渡してある筈だ。そこをどうにかしてこんか。こちらにも引けん事情があるのだ」
「意地も矜持も、命あってのモノダネだろ。引き時を見極めないと、早死にするよ」
「あの小娘をのさばらせる訳にはいかんのだ!」
「聞こえなかったかい? あたしは真っ平ごめんだと言ったんだ」
 女はうんざり手を振り、歩き出す。「たく。これ以上、あたしにどうしろってんだい。うかうかしてたら、こっちが餌食になっちまうよ。ま、あそこの隊長はいい男だったから、あの顔拝めなくなっちまうのは惜しいがね。──ああ、前金の方はもらっとくよ」
「ふざけるな! 不首尾に金が払えるか!」
 退去しかけた足を止め、女は冷ややかに振り向いた。
「的は何の後ろ盾もない、、、、、、、、平民上がりじゃなかったのかい?──たく、あれのどこが丸腰だってんだい。こいつは情報虚偽の違約金さ。ま、別の口がありゃ、又声をかけとくれ」
 冷ややかに睨め付け、辟易したように踵を返す。「──ローズ」と紳士が女を呼んだ。肩越しに振り向いた女を眺めて、曰くありげに目を細める。「もう少し、ゆっくりしていかないか。降りるというなら、この後は空いているんだろう?」
 女はおもむろに腕を組み、値踏みするように目を眇めた。「いいのかい? あたしは、、、、高いよ」
「言ってみろ。幾らだ」
「五百万」
 紳士は鼻を鳴らして渋い顔をした。
「いい気になるなよ、ゴロツキ風情が」
 女は小馬鹿にしたように鼻先で嘲笑う。「……ケチだねえ。金持ちのくせに」
 踵を返して扉のノブを引きかけ、思い出したように振り向いた。「──ああ、前金分、忠告しといてやるよ、サザーランドさん」
 腕組みで壁に寄りかかる。
「やたら同業をつぎ込んで羽振りが良さそうで結構だが、あの内の誰か一人でも口を割ったら、あんたの身元、一発でばれるよ。本当に分かってやってるんだろうね」
 紳士は憮然と背を向けた。
「それがどうした。《 遊民 》なんぞ恐れるに足りんわ」
 女は呆れた顔で見返した。
「ああ、そうかい。だから男は馬鹿だってんだよ。せっかく忠告してやろうってのにさ。賞金稼ぎに夢中になってる馬鹿共もそうだが、あんなもんに張り合おうだなんて、あんたらの正気を疑うね。精々報復されないよう気をつけるこった。にしたって──」
 辺りを憚るように一瞥し、窓辺の背に目を返す。
「あんたら、いったい、どうなってんだい。聞いた話じゃ、別の貴族も似たような指令を出しているそうじゃないか。覇権争いの時だって、こうまで大っぴらじゃなかろうに、大枚叩いて総動員たァ正気の沙汰とは思えないね。小娘一人潰すのに、何故そうまで躍起になるのさ」
 ルイ=サザーランドは不愉快そうに鼻を鳴らす。「──知れたこと。平民上がりの分際で、我らを愚弄するとどうなるか、」
 大窓から中庭を睨んで、憎々しげに吐き捨てた。
「とくと思い知らせてくれるわ」
 
 
 白けた居間から、静かな午後の廊下へ出る。潜った扉を肩越しに睨んで、女は腹立たしげに罵った。「暇人が。たく胸クソ悪い。女を何だと思っていやがる!」
 腹立たしげなしかめっ面で出口に向けて足を踏み出し、ふと足を止め、口をへの字にひん曲げた。拳を固くわなわな握り「あんのオカマ野郎〜!」と震わせる。今の罵倒で別口の災難の記憶までも呼び起こしてしまったのだ。それは乱痴気騒ぎの件の晩のことだった。標的にようやく隙ができ、いざ仕留めんと踏み出したところ、長髪の男に腕を掴まれ、せかせか藪へと逆戻り。挙句その無礼者は、あろうことか、こう言ったのだ。
『 ケツ出せケツ! 急いでんだよ! 』
 女の頬が、ひくり、と引きつる。
「──あんの女の敵が〜!」
 額には怒りの符合が複数個。眦(まなじり)吊り上げ、ギリギリ歯軋り、今更ながら地団太を踏む。
「畜生! グーで殴ってやりゃよかったよ!」
 舌打ちで廊下を蹴り飛ばす。「たく! どいつもこいつも!」
 進行方向に目をやって、黒革のロングブーツの足をふと止めた。青年が一人、壁で腕を組んでいた。ほっそりしたフロックコート、肩に着くほどの長めの髪、上品な顔立ちの優男──。女はからかうように目を細めた。
「おや、誰かと思えば、ラッセルさんとこのお坊ちゃんじゃないのさ。いや、失礼。今や押しも押されもせぬご当主様か」
 青年が壁から背を引き起こした。女を見やって、にっこり笑う。「これはひょんな所でお会いしますね」
「そこで何してんだい」
 女は舌打ち、忌々しげにジロリと睨んだ。「盗み聞きとは行儀が悪いね。貴族様のする事じゃないと思うけど?」
 青年はやはり飄々と笑った。
「そちらこそ人聞きが悪いですね。私はサザーランド卿とは懇意です。今日はご機嫌伺いに参上しただけですよ。しかし、先約がおありのようでしたので、話が済むのを、こうして行儀良く、、、、お待ち申し上げていた次第です」
「──ふん。ああ言えばこう言う。まったく食えない男だね」
「で、どうです、仕事の、、、調子は」
 青年は涼しい顔だ。悪びれた風は全くない。女は憮然と手を広げた。
「どうもこうもない。散々さ。依頼人が条件の肝を伏せてたってんだから、話にも何もなりゃしないよ」
「つまり?」
 青年は微笑って促した。女はさばさば肩をすくめる。
「聞いてたんだろ。降りたのさ。二百ぽっちで命までくれてやれる義理はないんでね。──たく、あの業突く張りが! 高々数万の前金のことでガタガタみみっちいこと言いやがって」
 閉じた扉を不機嫌に睨んで、長い廊下に踵を返した。フロックコートの青年の前を、女は素気なく通り過ぎる。
 その腕が強く引き戻された。睨んで振り向く女の耳に、エルネスト=ラッセルは囁きかける。「それなら、こっちと組まないか」
 女は面食らって凝視した。あまりに唐突な仕事の打診だ。薄く微笑って、青年は見返す。
「あなたの腕を高く買いたい。私はケチなことは言いません。当方の依頼を受けるなら、こちらの五倍お支払いしましょう」
「……ふん、一千ってわけ」
 胡散臭げに目を眇め、女は相手を値踏みする。
「どうです。見合わぬ額ではないでしょう」
 青年は小首を傾げ、余裕綽々の面持ちだ。女はしなやかな腕を組み、柳眉をひそめて算段する。
 結論が出るまで長い時間はかからなかった。
「面白そうじゃないか」
 ふっと微笑って、青年の顔を見返した。
「その話、詳しく聞かせてくれるかい」
 
 
 
 
 

( 前頁 / TOP  / 次頁 )  web拍手

 


オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》