CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 7話1
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 波打ち際に佇んで、波の満ち引きを見つめている、君の静かな背中を見た。
 波は繰り返し繰り返しやって来て、佇む足元に打ち寄せる。
 腕を伸ばして、"それ"を掌に掴んでも、波は握り込んだ拳の中に、どっしりとした砂だけを残して、握った指の隙間からサラサラ逃げ去り、戻って行く。
 
 いつでも何かを引っ掻いている短刀は、足場の存在を確かめる道具。
 いつでも何かを傷つける刃は、世界との距離を測る不可欠の手段。
 君は、何を望む?
 
 広げた五指から、溢れ降る陽光。
 掴めるかな。
 掴み取れるさ。
 世界は、君の手の内にある。
 
 
 
【 恋敵02 】
 
 
 梢から漏れ降る午後の陽の中、北へと流れる夏雲を眺める。懐から取り出した小箱を振って、あまりの手応えのなさにグシャリと潰し、バパは何度目になるか既に分からぬ欠伸(あくび)をした。持参した煙草も既に空になってしまった。向かいのテントに動きはない。
 暇である。あの二人から距離を取り、大木の木陰に陣取って編み上げ靴の脚を組み、腕枕で寝転がる。テント脇の木陰には、中から出てきたケネルとファレスが不景気な顔で喫煙している。あんな所にうっかり混じれば、気疲れすること請け合いだ。あちらこちらの木立の向こうでは、テントをぐるりと遠巻きにして、暇を持て余した見物組が興味津々、けれど間違っても近寄ることなく戦々恐々覗いている。ところで、少し離れた大木の裏にウロウロそわそわ単独で潜み、爪先立ってテントを眺めるいじましい輩の姿がある。実のところ、その存在にはずっと気付いていたのだが、声をかけると面倒なので、敢えてほうっておいたのだ。だが、暇潰しの煙草もいよいよ切れた。となると──。バパは素気なく声をかけた。「無駄だぞ、セレスタン。副長はノンケ、、、だ」
 風の流れを著しく無視した木立の藪の不自然な揺れが、呼びかけを境にピタリと止まった。しばし藪はバレバレな沈黙を守って息を潜めていたのだが、ややあってガサリと音を立て、続けてガサガサ梢の先を震わせた。
「……そんなんじゃないっす」
 口を尖らせ頭を掻きつつ、歩み出たのは特徴のある禿頭の、ひょろりとしたTシャツ姿。黒サングラスの向こうから、テントをチラチラ盗み見ている。バパは素知らぬ顔で肩をすくめた。
「そうか? このところ、やたら周りをウロついているようだがな。──おい、勘弁してくれよ。アドんとこのがヤツに潰されたばかりだってのに」
「──いや、だから。俺もノンケですって」
 セレスタンは引きつり笑いで否定して、のどかな午後の雑木林に、ざっと視線を巡らせた。「──何してんすか、こんな所で」
「まあ、ちょっとな」
「暇なら、こっち来りゃいいじゃないすか。ロジェがカードのメンツ捜してましたよ」
 あっち、と木立の先を指す。バパは溜息で肩をすくめた「──いいよ、俺は」
「でも暇でしょ?」
「暇だな」
「だったら、なんで、こんな所で転がってんです。カシラらしくもない。腹でも痛いんすか」
「まあ、色々あんだよ、こっちにも。──ああ、お前、持ってねえ?」
 怪訝そうに見下ろす黒サングラスを仰いで、バパは人差し指と中指を軽く伸ばして無心する。意味するところをすぐに察して、セレスタンは「──ああ、ちょっと待って下さいね」とひょろ長い上体を斜めに捻り、ズボンのポケットをごそごそ探った。ややあって所望の品を「どうぞ」と差し出す。バパは「サンキュ」と一本取って嗜好品の先に早速点火、脚を組んだ編み上げ靴の先っぽを銜え煙草でブラつかせる。「──ああ、お前ちょっと行って、テントから俺のザック持ってきてくんねーか」
「あー、例の愛読書、、、っすね」
 実に察しの良い禿頭の弟子は、すぐに頷き目当ての品を特定する。因みに大人の絵本、、の意であるが。セレスタンは怪訝そうな顔をした。
「取って来るのはいいっすけど、テントすぐそこじゃないっすか。なんで自分で行かないんです?」
 この首長は日頃からマメな方なのだ。バパは欠伸(あくび)で肩をすくめる。
「副長が入れてくんねーんだよ」
 件のテントの隣には、長髪のあの番人が今も憮然と張り付いている。セレスタンは頭を掻きつつ「──あー、そういや」とそれを見やって、ふと気付いたように見返した。「じゃあ、中はカラってことっすか? いいんすか、誰も付いてなくて」
 中に詰めていたケネルもファレスも、今は休憩で外に出ている。無論、テントの所有者バパも然りだ。バパは目尻に涙を溜めた大欠伸(あくび)で応えた。「アドが付き添ってる」
「──向こうのカシラが?」
 セレスタンはまじまじ顔を見返す。情けなさげに嘆息した。
「向こうのカシラは付いてていいのに、カシラは入っちゃダメなんすか。てかアレ、カシラ、自分のテントでしょ。つくづく信用ないっすね」
 やれやれと足を踏み替え、仏頂面のファレスを眺める。「何したんすか、副長に」
 腕枕の顔を少し傾け、バパは思い出し笑いでそちらを見やった。
「" ヴォルガ " ん時に、ちょっと苛め過ぎちまってよ。──あいつ、ムキになって突っかかってきやがって。だが、いくら何でも高嶺の花だ」
 セレスタンは禿頭を傾け、自分も煙草に点火する。「……へえ、本命っすか。珍しいっすね。寝るなら誰でもいいって副長が。で、誰です?」
 紫煙を吐いて、さばさば訊く。横臥した頭を片腕で支えて、バパが楽しげに乗り出した。「覚えてないか。ディールと開戦した時、奴さんがどこ行ってたか」
 セレスタンは「開戦の時ィ……?」と上目使いで考えている。すぐに合点して見返した。「あー、あの綺麗なお姫様のね。でも、あれはお仕事でしょ」
 バパは白けた顔で舌打ちした。「まったく鈍いな、お前は。──いいか、出発する時、あいつ、天幕の裏で何してたと思う」
「何ってなんです?」
 知りませんよ、と、どうでも良さげにセレスタン。
「それがよ、あの捕まえて熱烈な──」
 むく、と、バパが起き上がった。辺りの無人を素早く確認、ちょっと来い、とセレスタンの首を引っ抱え、ごにょごにょごにょ……と耳打ちする。ふんふん聞いていたセレスタンは、事の次第を聞き終えて、途端、瞠目して飛び退いた。
「チューっすか!?」
 ずれた黒サングラスから驚愕した眼(まなこ)が覗いている。バパは「それがよ──」と乗り出した。「あの野郎、むしゃぶりついてやがってよ。にしたって、すぐオッパイはダメだろオッパイは」
 もっともらしく頷いて、あれじゃあ犯罪だろ、と嘆かわしげに首を振る。セレスタンは引きつり笑った。「……副長、チャレンジャーっすね。つかカシラ、見てたんすか」
 ジト目のドン引きで非難がましい冷たい視線。
「相手のお嬢さんが可哀想じゃないっすか、副長はどうでもいいっすけど」
 腰に手を当て、ぐい、と顎を突き出した。
「俺ん時には絶対やめて下さいね」
「そもそも相手の女がいないだろ」
 バパは、しれっと言い返す。「そういう文句は、相手のお嬢さんを見つけてから言え。もっとも、ヤツも逃げられたがな」
「……は? 逃げられたんすか、副長が?」
 煙草を指に挟んだ腕組みで、セレスタンは、へえ〜、珍しい、と件の仏頂面を眺めやる。バパは呆れた顔で寝転がった。
「当たり前だろ。玄人の姐さん相手じゃあるめーし。そもそも女ってのは微妙で複雑にできてんだ。野郎なんぞとは端から作りが違うんだから、うんと優しく労わってやんなきゃよ。それをあの野郎ときたら、あんなぞんざいに扱いやがって。とんでもねえ野郎だ」
「同感っす!」
 キリッと振り向き、セレスタンは、うむ、と禿頭を頷かせる。屈託ない門弟に、バパは少々前言を補足。
「ま、面と向かっては言えねえがな」
「……同感っす」
 う゛──と詰まって、これまた同意。臨機応変な姑息さ加減は、この師にして、この弟子あり、である。セレスタンは煙草を挟んだ利き手で禿頭を掻いて、やれやれと嘆息した。
「なんだ。結局フラれてんじゃないすか副長。──しかし珍しいっすねえ、副長が女に逃げられるなんて」
 バパは寝転がったまま素気なく応えた。
「あの綺麗な面で女に不自由しないで来ちまったからよ、奴さん、堅気の娘さんの扱い方ってもんを、とんと心得てねえんだよな。チヤホヤされて育ってきたのはお姫様の方も同じだろうから、どっちも不器用だろうしよ」
「綺麗なお姫様と王子様の取り合わせって訳っすか。てめえにないモン相手に求めるって言いますけど、あるんですねえ、そういうのも」
「にしたって、いい年こいて、あれはねえだろ。ったく、しょうがねえよなファレスのヤツも。奴さん、あれで頭ん中は幼稚だから、どうしていいか分かんなくて、お姫様の周りを苛々しながらウロウロウロウロ、まるきりウォードと一緒だぜ」
 緑梢先の青空を見上げて、セレスタンはぽっかり紫煙を吐く。「──そんなウブじゃないっすよ副長は。そこのお姫さんとも仲いいみたいじゃないっすか」
 向かいのテントに顎をしゃくって、溜息交じりに項垂れる。バパも同様にそちらを見やった。
「分かってねえな。身内だろ、ありゃ」
「……は?」
 セレスタンが、きょとん、と見返した。バパは素気なく言う。
「高々要人の警護くらいで、ヤツがあそこまで付き合うもんかよ。何事にも無関心で、碌に口さえきかねえ不遜な野郎が、怒ったり、小突いたり、説教したりしてんだぜ? ケネルと番を代わっても、街道からすっ飛んで帰って、じっと我慢して張り付いてるってんだから、まったく泣かせてくれるじゃねえかよ」
 苦笑いして目を閉じた。「あの溺愛っぷりは、親のそれだよ。よちよち歩きの頼りないガキをハラハラ見守る親の目だ。危なかしくて危なかしくてしょうがねえもんだから、ついつい目くじら立てて怒っちまう。ま、身内が言い過ぎならマブダチってトコだな。もっとも、ヤツに言ったところで、意地でも認めやしないだろうが」
「へえ? そういうもんすかねえ?──ああ、なら、隊長もそういう──」
「ケネルは " ケネル " さ」
「……は?」
 セレスタンは小首を傾げて腑に落ちない顔。バパは何を思い出したか、にんまり笑った。
「まったく珍しいこともあるもんだな。だからもう、あいつら、からかうの面白くってよ」
 おじさんは構ってもらえて嬉しいらしい。
「だってよ、何を言っても眉の一つも動かさねえ可愛げのねえ連中が、ムキになって突っかかって来るってんだぜ?」
 セレスタンはギョッと飛び上がった。
「やめて下さいよ。とばっちり、みんな、こっちに、、、、来るんすから!」
 気楽な首長に溜息で釘を差し、セレスタンは文句を言いつつ踵を返した。テントに依頼の品を取りに行くのだ。
 藪を出た禿頭の背が、件のテントに近付いて行く。だが、入口に辿り着くなり、「おい!」と唐突に怒鳴り飛ばされた。眦(まなじり)吊り上げツカツカやって来たのは、休憩していたファレスである。早速見咎められたセレスタンは、ヘラヘラ笑いでテントを指差し事情を説明している模様。ファレスは胡散臭げに腕を組み、ジロジロそれを見ていたが、結局、忌々しげな舌打ちで「さっさと済ませろよ」と言い捨てて、テントに向けて顎をしゃくった。形の良い禿頭をぺこぺこ下げて、セレスタンのTシャツの背がシートを払い退け、入口に消える。
 ふと、誰からともなく顔を上げた。周囲にたむろす者達全てだ。ケネルは僅かに眉をひそめ気配をじっと窺っていたが、大した間を置くこともなく、遠巻きにしていた見物組におもむろに目配せ、顎をしゃくった。彼らは無言で頷き返し、隣と素早く目配せし、機敏な動きで散っていく。バパは横臥で見ていたが、肩をすくめて寝転んだ。
「──まあたネズミかよ。まったく、ここんとこ大人気だな」
 ややあって、方々で藪が騒がしく鳴った。慌てた男の悲鳴が上がる。複数だ。だが、木立はすぐに元の静けさを取り戻す。ケネルは大して反応せず、ファレスも柳眉をひそめて舌打ちしたが、何を言うでもなくそっぽを向いた。
 やがて、テントの入口が、もそり、と揺れて、ひょい、と禿頭が現れた。キョロキョロ左右を見回して周囲を窺っているらしい。安全確認は済んだのか、依頼のザックを盗賊のように肩に引っ掛け、そおっと忍び足でテントを出──
「おいハゲ! ちょっと来い!」
 ギクリ、と脱出の背が飛び上がった。ぞんざいに呼ばわり木陰で顎をしゃくっているのは、言わずと知れた副長だ。セレスタンはがっくり項垂れて、己の不覚に首を振る。だが、指名された以上は逃げられない。ややあって「はい、ただいま……」と元気なく渋々返事をし、とぼとぼ重い足取りで観念したように歩き出す。仏頂面の上官の前で、ザックを一旦足元に下ろし、あらゆるポケットに手を突っ込み、何やら探している様子。それをようやく取り出した途端、ファレスに即刻分捕られ、先のテントに取って返して、再び急いで戻って来た。差し出しているのは水筒らしい。更に何を言いつけられたか藪の奥へと走って行き、ようやく戻ったと思ったら、今度はテントへ駆け込んで、暇潰しと思しき雑誌を一冊テントの中から持ち出して──。しばしそうして、あっちへこっちへ顎の先で使われるがままに、セレスタンは細々と動き回っていたが、やがて、ファレスに「うむ、行ってよし」と手を振られ、素早く一礼、木陰で寝転がったバパの前まで一直線に逃げ戻った。野戦服の脚を折り、バパの隣に腰を下ろして、頼まれたザックを「はい……」と差し出す。
「──お、サンキュ!」
 見る者の涙を誘う献身的な奮闘に感謝と労いの意を表し、バパはにっこり出迎えた。依然腕枕で寝転がったままであるが。セレスタンは肩越しに二人の上官を振り返り、くたびれ果てた脱力の溜息で首を振る。「もー。どーにかしてくださいよ。ちょっと前通りかかっただけで、パシリはさせられるし、煙草は箱ごと分捕られるし、夜も夜で隊長達がカシラのテントに陣取ってるから、いつもの宴会きばらしもできないし」
 因みに行程中は酒色厳禁の筈ではあるが、どんな組織にも建前というものがある。
「あの凶悪さ、なんとかして下さいよ。" ヴォルガ " の時にもバリーのヤツが、危うく耳を削がれそうになったっていうじゃないすか。向こうの連中、あれからずっと大騒ぎっすよ。こっちもそれでビビッちまって」
「ありゃ、向こうが悪い。あっちの天狗がいい気になって、奴さんの領分に手ぇ出したからだ。案の定、収拾がつかなくなっちまったもんだから、アドがケネルの話に乗って、、、、、 " ヴォルガ " でヤツをぶっ潰し、副長の手が届かない所まで逃がして、、、、やった、、、って寸法だ。──まあ、バリーも根は悪い奴じゃないんだが、色々あって、ちょっとヒネちまってんだよな」
 当のファレスは仏頂面で、新しい煙草を開けている。足元には「く」の字に曲がった吸殻の山。本人は先程から微塵も場所を動いてないから、周囲からことごとく強制徴収しているようだ。セレスタンは更にごちる。
「でも、隊長も何気に機嫌悪いんすよ。だって、そっぽ向いて知らんぷりっすよ? 副長にカツアゲされてんの、すぐ隣で見てんのに」
 そうこうする間にも、テント横の木陰の二人は、いつの間にか険悪になっている。ファレスが一方的に因縁を付けているようではあるが、ケネルも淡々とした普段と異なり憮然とした仏頂面。低い声ながらも言い返している様子。そして、ついに双方眦(まなじり)吊り上げ、小競り合い勃発。セレスタンは溜息交じりに首を振る。「苛ついてますねえ、隊長達」
「寝てねえからな、ここんとこ」
 バパは、のんびり大欠伸(あくび)。
「ほら、見て下さいよ、あの吸殻の山。──やっぱ隊長も、お姫さんに夢中ってわけっすか」
 両脚を投げ出したセレスタンは、野草をぶちぶち引き千切っている。
「だから、お仕事だろ奴さんは。女には、もう惚れないさ」
 ふと、セレスタンが振り向いた。
「──ああ。例の " クリス " の一件ですか」
 黒サングラスの眉を、苦々しげにひそめる。「そりゃ、忘れようたって忘れられやしないでしょう。あん時ゃ部屋中、血の海でしたもんね。内臓なんかも飛び散っちまって。死体は色々見ましたが、ああも惨たらしいヤツには滅多なことじゃお目にかかれないっすよ」
「──仕方がねえさ。ヤツの腕は女を抱くには強過ぎる」
 雑誌の紙面をパラパラめくり、バパはふと振り向いた。「──そういや、お前、耳の輪っか、どうしたんだ?」
「あー、これっすか」
 セレスタンは耳たぶに触って小首を傾げる。「副長がやたら引っ張るから、フープはやめてスタッドに したんすよね。てか耳たぶ二つに裂けちまうとこでしたよ。でも、ま、これなら引っ張れないでしょ副長も」
 バパは呆れたように部下を眺める。
「頭に続いて輪っかもか。お前もつくづく災難だな。なんで、そんなに構われ易いんだか」
 セレスタンは深く頷き、大いに同意。
「もーいい迷惑っす。なんで俺ばっか」
「あの尖がった " トサカ " が気に入らなかったんじゃねえか、生意気そうで」
 かつてモヒカン刈りにしていた頭の天辺に、セレスタンは思わずといった感じで、そろり、と手をやる。バパは苦笑いして顎をしゃくった。「でも命拾いしたろ頭ん時には。あの時ヤツが引き戻さなかったら、お前、串刺しになってたぞ」
「……まあ、そうっすけどね、かなり痛かったけど」
 ばつ悪げに口篭り、セレスタンは、仏頂面のファレスを見やった。雑誌を眺めて、バパは微笑う。
「そんなに嫌なら、近寄らなけりゃいいだろう、向こうの連中みたいによ。まったくウチのはどいつもこいつも。副長に吊るされてるの、みーんなウチの部下じゃねえかよ。触らぬ神に祟りなしっていうだろ」
「そういうカシラだって」
 チラと見やってセレスタン。その目を返し小首を傾げて、不機嫌そうな長髪の仏頂面を眺めた。「……なーんか構いたくなるんすよねえ、副長って」
「それはそうと、連中すっかり落ち着いたみたいじゃねえか。移動中に" ヴォルガ " は、正直どうかと思ったが、上手く気晴らし、、、、になったらしいな」
「──あ。ええ、そりゃもう」
 禿頭を指でポリポリ掻いて、セレスタンは「ごっつぁんです」と満足そうに振り返る。ふと生真面目な顔をした。「カシラもそろそろ、トレーシーさんに義理立てしなくてもいいんじゃないすか。差し出口は重々承知ですが、あれから随分経つんだし──」
 開いた紙面を眺めたままで、バパは微笑って聞いている。セレスタンは気まずげに目を逸らし、ふと思い出したように口を開いた。「──そういや副長、女に引っ叩かれたらしいすよ」
 ファレスの仏頂面を盗み見て、口元を囲いコソコソ告げ口。
「" ヴォルガ " の時に、すっげえいい女がいたでしょう。ほら、黒のべべ着た、左の手首にタトゥーのある」
「ああ、今回の一番人気な」
 同様に見やって、バパは笑った。
「どうせヤツが余計なことでも言ったんだろうさ。アレは口を開いたが最後、女の敵に豹変するからな。あんな顔してんだから、黙っていりゃあいいのによ」
「なんでも聞いた話じゃその女、方々で、すっげえ吹っかけてたらしいっすよ。そりゃ確かにいい女だが、五十万とかって信じられます? 俺ら、なんだと思われてんでしょうね。てか、何しに来たんすかね、あの女」
「そりゃ、おめえ、"黒薔薇ローズ"じゃねえかよ」
 異質な甲高い声が割り込んだ。ふと、バパは顔を上げる。奇妙な格好の"調達屋"が、辺りをジロジロ見回しながら、不遜な足取りで歩いて来る。
「──ジャック。珍しいな、お前がこっちに来るなんて」
 二人の目の前で立ち止まり、ジャックは片足に重心を預けて目を向けた。「ああ、せっかくだから、ついでにちょっくら荷物の、、、整理でもしとこうと思ってよ」
 東の木立へと怪訝そうに顎をしゃくる。「で、なんで黄昏てんだ、あのガキは。なんか馬に張り付いてたぜ」
 ふと表情を曇らせて、セレスタンがそわそわ振り向いた。「──カシラ。俺ちょっと、ヤツんとこに行って来ますよ。あんなところを狙われたら一溜まりもねえ。ヤツは急激に体がデカくなっちまったから、成長痛も半端ねえし」
「こんな真昼間からか? 大抵は夜だがな──」
 そちらの方角を訝しげに見やって、パパはジャックに確認する。「それで、どんな様子だった。大分苦しそうだったか」
「いや、溜息なんぞついてたが?」
「──ああ、"あれ"な」
 バパが表情を緩めて苦笑いした。急に笑い出したその顔を、中腰のセレスタンが、面食らって、きょとん、と見返す。「なんすかカシラ。大丈夫なんすか」
「ああ、心配ねえよ。ほっといてやれ」
「でも、カシラ」
「ちょっと今、" お年頃 " なのさ」
 セレスタンとジャックは互いの顔を見合せた。「……オトシゴロ?」
「で、なんなんだ。その"黒薔薇ローズ"ってのは」
 パパは構わず顎をしゃくる。
「何ってお前」
 我に返って、ジャックはやれやれと見返した。
「"黒薔薇ローズ"ったら、今売り出し中の女賊じゃねえかよ。諜報、窃盗、淫売、暗殺、何でもござれの悪党だ」
 今度は、パパとセレスタンが互いの顔を見合わせた。そして、
「まっさかあ! あんな綺麗なねえちゃんが!」
 破顔一笑、声を揃えて「イヤ、ナイナイ」と否定する。今にも「なー?」と頷き合いそうな勢いで。この師にして、この弟子あり、である。呆れた顔で、バパは言う。「そもそも、なんだよ。その安易なネーミングは」
 ジャックはつくづく嘆息した。
「知らねえのかよバパ、同業だろう。さては情報収集怠ってんな?」
「──無茶言うな、ここはカレリアだぜ。テリトリー外だ」
 バパは皮肉に肩をすくめる。「どうせお前も調達の途中で、たまたま仕入れただけだろう」
 ジャックは渋々「まあな」と認めた。すぐに「だがよ、」と続ける。
「一応、気をつけといた方がいいと思うぜ。アレが出たってこた、裏で糸引いてんのは、十中八九金持ちだからよ」
「──分かった。精々気をつけるよ」
 バパは苦笑いで、了解、と応じる。その横で、セレスタンは腕組みで首を捻って腑に落ちなげな顔だ。堪りかねたようにジャックを見やった。「でも、会ったこともないのに、なんで、そいつだって分かるんすか」
 ジャックが、ああ? とかったるそうに目を向けた。
「その女、左の手首に黒薔薇の入れ墨があんだよ。で、ついた通り名が "黒薔薇ローズ"。それに、あん時の娼婦が一人、身包み剥がれて転がされててよ。見つけて助けてやった途端、えらい剣幕でこっちに噛み付いてきやがって。それがもう煩せえのなんのってよ。仕方がねえから宥めてやったが、お陰でこっちは、てんで仕事にならなかったぜ」
「……つまり、慰めて、、、やったわけっすか」
 如何にも疑わしげに ( あんたが〜? ) と見やって、セレスタンはしつこく念押しする。ジャックは、うむ、と頷き胸を張った。
「おう、あったぼうよ! 俺みたいな色男ってのは、こういう時に辛いよな〜。女が放してくんなくてよー。あの女も、特別に格安で、、、いい、なんつって」
 あ? と固まった二人の顔には( 金とられたのか…… )と書いてある。つまり、娼婦の方はきっちりお仕事。転んでもただでは起きない逞しさ、金儲けにかける執念恐るべしである。そっくり返って、なはは、と笑うジャックを見やって、セレスタンは恐る恐る彼女の好意の値段を訊く。「……因みにいくら払ったんすか?」
「おお、それがよ。ま、破格だからな、大きな声じゃ言えないが──」
 ちょっと来い、とバパとセレスタンの首を引っ抱え、ジャックは得意げに耳打ちした。「大きな声じゃ言えないがー」と大きな声で言いふらしつつも優越感に浸りきる。その顔をちらと見やって、二人は上目使いで考えた。今聞いた値段は、あの晩の相場の三倍強だが、ふんだくられた本人には教えないのが、この際、優しさってもんだろうか……?
 ジャックが「じゃあな」と片手を上げた。そのまま若干ガニ股で踏ん反り返って歩いて行く。一頻り自慢したので、たいそう気分が良いらしい。通りがかりの"調達屋"の背を、幹にもたれて見送って、セレスタンは欠伸(あくび)で禿頭を掻いた。
「今の話、やっぱ、なんかの間違いなんじゃないっすか。どうも俺には信じられないっす。だって、まさか、あんな綺麗なおねーちゃんがよ」
 首を捻り、口を尖らせ、一人でぶつぶつ言っている。現に入れ墨の符合があるのに、未だ飲み込めてない様子。バパは、やれやれ、と振り向いた。
「お前は間違いなく、女子供に寝首を掻かれるタイプだな」
 セレスタンは幹に寄りかかり、空にぽっかり紫煙を吐く。「そん時ゃ精々、全力で逃げまさ」
「地の果てまで追って来るぞ? 女はしつこい」
「──ま、それでも、ね」
「素直に斬られてやる気かよ」
 青く広がる空を仰いで、セレスタンはしばらく黙っていたが、
「カシラ。女ってのは、服ひん剥かれたくらいで泣き出しちまう生き物ですよ。そんなものを、まともに殴ったり出来ますか。それに、シャンバールむこうで敵に捕まって、服ひん剥かれて馬で引き回されるより、女の柔らかい胸でくたばる方が、なんぼかマシだと思いますがね」
 むしろ本望っす、と禿頭を撫でつつ照れ笑い。バパは呆れて嘆息した。「まったく、お前は、どうしようもないお人好しだな。それでいいなら、いいけどよ」
「──しかし、ホントどうしたんすかね、ずっと目え覚まさねえってのは。眠り姫じゃあるまいし」
 セレスタンは禿頭の首を巡らせて、テントを見やって話を替えた。バパもぽっかり紫煙を吐く。「今まで呼吸して動いてたこと自体、俺には不思議でしょうがねえがな」
「へ? なんでです?」
 セレスタンが、きょとん、と振り向いた。ふと我に返って、バパは面倒そうに寝返りを打った。「べぇーつにぃー?」
「なんかあるんすか? お姫さん」
「──だから、別にってよ」
 むく、とセレスタンが起き上がった。背けた肩をワシワシ揺さぶる。
「なんかあるんでしょ? だったら教えて下さいよ!」
 黒サングラスの禿頭を乗り出し、じぃっ、と見つめて真剣そのもの。バパは煩そうに眉をひそめて、追い払うように手を振った。「あーもーうっせーな。なんでもねえよ、気にすんな。たく。そんな取って喰いそうな顔すんなよ、お前……」
 辟易したような直属の首長を、セレスタンはしばらく口を尖らせて見ていたが、ゴネても無駄と悟ったか、溜息をついて目を返した。
「──疲れちまったんすかね、お姫さんは。" ヴォルガ " の時には結構元気だったのに。ねーどう思いますーカシラ。──ああ、そういやなんだか、あの時から顔が赤かったような──」
 依然として静まり返った件のテントを一人そわそわ眺めやる。バパはゴロリと背を向けた。腕枕でさりげなく耳栓し、隣のうわ言を無視するも、だが、セレスタンは勝手に懸念を繰り広げる。
「しかし、馬に乗っかって運ばれてるだけで熱出して寝込んじまうなんて、女の人はか弱いっすね。やっぱほら、こっちなんかとは全然作りが違うんすよね。──ねっ? ねっ? カシラ。ねっカシラ」
「うん、そうだな」
 バパはようやく簡単に合いの手。寝転がったままのその態度は、気遣わしげなセレスタンとは対照的にぶっきらぼうなこと、この上ない。
「ああ、やっぱ " ヴォルガ " 見せたのがいけなかったんすかね。そりゃ俺らは楽しいからいいっすけど、女の人に、ああいうのはちょっと──て、カシラ? カシラ? 聞いてます? カシラ?」
「……うん」
 込み上げる欠伸(あくび)を、バパは密かに噛み殺す。セレスタンは、えへら、と禿頭を撫でた。
「いや実は俺ね、なんか彼女に抱きつかれちまったりして── ! でも、ほら、あのは一応奥方様でしょ、あ、でも堅気の女の人っていうのは──( うんうぬんかんぬん )──カシラ。俺、どーしたらいいんすかねえー?」
「知らねーよ」
 ゴロリと更に深く背を向け、バパは、くわっと大欠伸(あくび)。セレスタンがムッと振り向いた。
「もー。なんか冷たくないすか? ねーカシラあ― !」
 ゆさゆさ揺すられ、バパは、やれやれと嘆息する。「──まったく、お前は気楽だな。こっちは、いつカレリアと、戦がおっ始まるんじゃねえかと気が気じゃねえっていうのによ」
 きょとん、とセレスタンが見返した。
「は? 戦? カレリアと、すか? なんでまた──」
 バパがふと、テントの方へ目を向けた。俄かに騒がしくなっている。入口シートから顔を出したアドルファスが、休憩中の二人を手招き、何事か告げている。ケネルとファレスは顔を見合わせ、すぐさま煙草を踏み消して、慌しく中へ入って行く。
「──やれやれ、首が繋がった、、、、、、か」
 バパは脱力したように嘆息した。身を乗り出したセレスタンの横で、ゆっくり上体を引き起こす。ようやく動いた隣の首長に、ふとセレスタンが振り向いた。「──カシラ?」
 バパは煙草を弾いて立ち上がった。
「眠り姫が、お目覚めだ」
 
 
 
 
 

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