CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 7話3
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 ブー垂れて顔を見ていたら、ヤツが苛立って「おらおらおら!」と着替えを勝手に手伝おうとしたので、グーのパンチで即行黙らせ、テントからぐいぐい追い出した。
 入口を睨んでぷりぷりしつつもお出かけ衣装に着替えを終了。くるりくるりと後ろを振り向き、己の全身をシゲシゲ点検。
( むー。さすがに綺麗には取れないか…… )
 誰かが洗ってくれたようなのだが、ふんだんに浴びた血の跡がうっすら染みになってしまった。まあ、模様と思えば、そう見えなくもないような──。ふと、それに気が付いた。脱いだ寝巻きの胸元が、そういえば、きちんと繕ってある。破かれていた筈なのに。あの時弾け飛んだ共布のボタンの所にも、よくよく見れば、木のボタンがついている。でも、そんなこと、いったい誰が……? ふわりと畳み置いた真っ白な寝巻き。その滑らかな生地を指先でなぞる。
「ん?」
 一部、布地がぽっこり膨らんでいる。そこだけ確かな異物の気配。ポケットに何か入っているのだろうか。手を突っ込み、取り出してみる。果たして、広げた手の平の上には、小石大の──。
「……飴?」
 思わぬ物の出現に、唖然と首を傾げる。何だろう、子供にやるようなこの飴は? いや待てよ。確か、これはあの時の──。ふと胸の辺りに違和感を覚えた。とりあえず飴はポケットに突っ込み、お出かけ着の襟元を両手で引っ張り、服の中を覗く。
「──あれ? 包帯が」
 エレーンは、パチクリ瞬いた。いつの間にか、包帯が新しくなっている。ずっと巻きっ放しにしてたから、端が拠れてくすんでいたのに。きっちり固く巻いてある。緩みも弛みも全くない。つまり、寝ている間に、誰かが取り替えてくれたってこと? でも、なんで今更。てか、包帯を解いたということは……?
( げ!? ) と顔を引きつらせ、エレーンはどんより青くなった。
「み、見られたかも……」
 ムネ。
 包帯の下に下着はつけてない。当たり前だが。となると、つまり、この包帯を替えたヤツにバッチリ見られたことになるではないか!? 
 ──でも、そんなこと誰が!?
 心中驚愕して叫びつつ、顔から血の気が引いていく。下唇をわなわな噛み締め、エレーンは我が身を抱いて総毛立った。誰がそんな( 余計な )真似を!
( なによ誰よ!? アド? バパさん? それとも女男? もしかして── ) 
 あわあわ出口をとっさに振り向く。
「まさかケネルぅっ!?」
 なんてことを!
 愕然としつつも踏み出しかけて、エレーンはビクリ、と強張った。
「ケネ、ル……」
 心が騒ぐ。足が勝手に立ち止まる。
「──ケネルは、どこ」
 胸が嫌な感じにざわめいた。ファレスに当り散らした今しがたの、彼の顔を思い出し、出口にあたふた向かいかけ、はた、と気付いて足を止めた。彼の居場所をファレスに聞けば「ケネルの邪魔すんな」とか偉そうに言って、いつもみたいに妨害するに決まってる。夜になれば戻っては来るだろうが、それまで会えないなんて長過ぎる。
( 今すぐ会いたい──! )
 焦って室内を見回せば、入口の逆側で何かが動いた。よくよく見れば、シートがパタパタはためいている。その向こうは疎らに生い茂る緑の地面。
 ──裏口がある!?
 正面から自分の靴を持って来て、ツンツンつんのめりそうになりつつそれを履き、ファレスが出て行ったのとは逆側の右手の裏口に足早に近付く。表の様子を慎重に見やって動きがないのを確認し、裏口シートをそっとめくった。幸いファレスはまるで気付いてない様子。ホッと安堵して目を返す。途端、ギクリ、と飛び上がった。
 裏口シートをめくった向こう、目と鼻の先のすぐ向こうに、人が一人立っていた。
 
 
 エレーンは唖然と口を開けた。
( 綺麗な娘── )
 見知らぬ娘だ。こっそりテントを覗いていたらしい。気の強そうな鋭い目、細かくウエーブの利いた腰までの黒髪、踊り子を連想させる細いが抜群のプロポーション。着ているワンピースが少々流行遅れなのが若干惜しい。瞬時に相手を値踏みして、
( やばっ。メイクしてない…… )
 エレーンは思わず、己の頬に手を当てた。このところ顔に付けているものといえば、日焼け止めクリームを塗り塗りするくらいが関の山。ガサツな野郎どもに紛れているから、ついついうっかり不精になってしまうが、隙なく整えた同性が目の前にこうして現れた途端、急に意識してしまうのは何故だろう。娘はずいと身を乗り出し、こちらの肩越しにテントの中を窺っている。目を返して、ぞんざいに問うた。「隊長さんは?」
「……え?……あ、ケネル?」
 エレーンはしどもど見返した。娘の堂々とした押し出しに、不覚にもジリッとたじろぎ圧倒される。ずいぶん若い。大人びた格好をしているけれど、年の頃は十七、八──いや、下手をすると、もっと下、まだ十五、六といったところか。けれど、小さな体でも迫力がある。凛として胸を張り、常に威嚇するかのような。相手に押されて内心どぎまぎしていると、娘は柳眉をひそめて吐き捨てた。「──こんな女の、どこがいいのよ」
「え?」
 エレーンはぽかんと見返した。一瞬後、はた、と我に返って己を指差し( あたしぃ!? ) と驚愕。
 娘は何がそんなに気に入らないのか、大きな黒瞳で忌々しげに睨み付けている。だが、エレーンには訳が分からない。分かろう筈がない。そもそも紛うことなき初対面なのである。──いや、鈴を転がすようなこの綺麗な声には聞き覚えがあった。そう、どこで聞いたのだろう。たぶん、つい最近のことだ。そう、確か──。
( あっ!? )とエレーンは瞠目した。そう、忘れもしないあの女! 夜更けにケネルを訪ねて来て夜の草原に連れ出した、あの迷惑極まりない非常識女ではないか!? 
 娘の正体が唐突に判明。だが、唐突過ぎて、とっさに反応すること叶わない。動揺に口をぱくつかせるも、娘は全く気付かぬようで、はあ、と聞こえよがしに嘆息した。
「あーあー! そんなにシミだらけにしちゃって!」
「──え、──な、なにっ?」
 娘は不愉快そうな顔つきだ。細い腕をぐい、と組み、ギロリと鋭く目を向けた。
「どーしてくれんのよ、あたしの服!」
「あ?──あっ、ごめんっ!」
 ぎょっ、と我が身を見返して、エレーンはあたふた謝った。この服は彼女からの借り物だったらしい。それにしたって、この挑戦的な態度はないだろう。初対面だというのに。これではまるで憎まれてでもいるようではないか。娘は両手を腰に押し当て、眦(まなじり)吊り上げ、憮然と続ける。
「あんたねえ! それ一着作るのに、どれだけ手間がかかると思ってんのよ!」
「──どうした、誰かいるのか」
 怪訝そうな声が割り込んだ。テントの正面入口からだ。この声は……?
( 女男だっ!? )
 ギクリ、とエレーンは居竦んだ。話し声に不審を抱いて踏み込んで来たらしい。ああ、万事休す。せっかく裏口を見つけたというのに。この娘が立ち塞がってくれてたお陰で、うっかり気を取られてしまったせいで、予期せず出られなかったのだ。まったく、まさかの番狂わせだ。いや、そんなことより、ブーツは既に履いてしまっているから、こっそり抜け出そうとしてたのは一目瞭然。これがヤツに見つかれば……?
( やばい…… )
 冷や汗タラタラ逃走経路をとっさに探して、テントの壁をおろおろ見回す。アタフタうろたえている間にも、ファレスはズカズカ踏み込んで来る。いつものように無駄にアチコチ睥睨し、部屋の間仕切りをかったるそうに片手で払い──。
「ご、ごめんっ! ちょっと退いて!」
 エレーンは娘を押し退けた。どう考えても逃げ道はこの裏口しかない。窓はメッシュで開かないし。
 シートを払って脱兎の如くに逃亡を図る。憮然と睨んだあの娘が取り残されてどうしたか、後の事は分からないが、ファレスに事情を訊かれれば、きっと告げ口するだろう。そうしたら、走って逃げても、すぐ捕まる。なら、どっかにとりあえず隠れとけ! テントの左角を直角に曲がり、忍者の如くにピタ、と背をつけ大の字で張り付く。
「──お、まえ!」
 ファレスの頓狂な声がした。まともに驚いたような呼びかけだ。へえ、珍しい。あの横柄でふてぶてしい踏ん反り返った野良猫が、あんな風に慌てるなんて。 
( なに? あのと知り合いなワケ? )
 そういえば、この服を借りたきたのもヤツだったし──。テントの壁でくるりと反転、エレーンはメッシュの窓に張り付いた。窓の縁から慎重を期して、そうっと、そうっと、そして、ひょっこり顔を出す。だって、あの二人、ちょっと気になる。
 むくむく好奇心が涌いてきて、そろり、と様子を窺えば、件の娘と対峙したファレスは、案の定、変な感じに凍り付いていた。愕然と目を見開いて、口をあんぐり開けて突っ立っている。あの口達者な野良猫にして、絶句で相手を見やったきりだ。微動だにしない。娘の方も両手を胸で掻き抱き、「あ……!」の形に口を開け、ファレスを指差さんばかりに見つめている。二人を交互に( なにしているのだ? )と見ていると、娘が思い余ったように顔を上げた。「──あ、あのっ!」
 大きなお目目をキラキラさせて縋りつかんばかり。──て、なにあれ。あの女。さっきのふてぶてしさはどこ行った!? 打って変わってしおらしい娘は、健気な視線でファレスを仰ぐ。
「あのっ! あれから、ずっと、あなたのことを捜していました!」
 ファレスが長髪を払って踵を返した。強張った顔でテントを突っ切り、片手で間仕切り振り払い、ツカツカ正面出口へ直行する。いつものような全面無視の態度ではない。むしろ、そそくさ逃げ出す感じだ。
「──あん、待って!」
 可愛らしく呼びかけて、娘があたふた後を追った。両手を振って慌しく出ていく。そして後には、
( なんなのー? 今のはー? )
 首を捻るエレーンの前で、無人のテントが、ガラン、と取り残されたのだった。
 
 
 
 
 

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