CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 7話7
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「──驚いたね、熟睡していやがる」
 片手で捲ったフェルトを戻し、バパは舌を巻いたように口笛を吹いた。「どうなってんだ、あのピリピリした兄ちゃんが」
 ケネルは壁にもたれて脚を投げ出し、膝横に置いた雑誌の紙面を眺めていた。「ああして手元に置いておけば、安眠できるみたいでな」と苦笑いして懐を探る。寝静まったゲルの閉じた入口をしげしげ眺め、バパは休憩中のケネルの隣へ、頭を掻き掻きブラブラ歩く。「天晴れだな。いつもながら鮮やかな手並みだ。上手いこと仕立て上げたじゃねえかよ。お姫様の世話係に」
「──"仕立て上げた"とは人聞きが悪いな。俺は妥当な護衛をつけただけだ」
 ケネルは煙草を銜え、顔を傾け点火する。しらけた顔で「妥当な、ね」と肩をすくめたバパを見て、ゲルに顎をしゃくって、しれっと説明。「うっかり、その気になっちまった時、無理強いしないのはヤツだけだからな」
 バパは呆れた顔で腕を組んだ。
「馬鹿言え。アレが一番危ねえじゃねえかよ。三日と上げずに置屋に通うような野郎だぜ。お前だって知ってんだろ」
 ケネルは苦笑いで紫煙を吐いた。「あんた知っているか。あいつが何故、毎晩のように娼家へ行くのか」
「何故って、そりゃあ、お前、」
「" 母親に抱かれて子守歌を聞く為 "」
「……子守歌ァ?」
 バパが面食らって瞬いた。ファレスの昔話を狸寝入りで聞いていたケネルは「──らしいぞ?」と己の推測を披露する。ババは呆気に取られてゲルを眺めた。「──奴さん、マザコンかよ」
 懐に嗜好品を探りつつ「そんな可愛らしいタマには見えねえがな……」と納得し難く首を捻って、ケネルの右隣に、よっこらせ、と脚を投げ出す。「だったら、あの子は " 母ちゃん " かよ」
「いや、そうじゃない。あいつ自身さ、幼い頃の」
 ケネルは笑って付け足した。「"不遇だった昔の自分"を守っている気でいるんだろう。もっとも、ああまでのめり込むとは少々意外だったがな」
 壁を背にして、しばし漫然と夜空を眺める。紺空を埋め尽くす満点の星々。黒く沈んだ草むらで夏虫がリーリー鳴いている。銜え煙草で寄りかかったバパは、頭の後ろで手を組んで一面の星空を眺めている。一服吐き出し声をかけた。「生憎だったなあ。バリーがぶちのめされなくてよ」
 あからさまな含みに、ケネルは眉をひそめて紫煙を吐く。「──何の話だ」
「とぼけんな。──おいこら若造、首長の力量を見くびんなよ。バリーの鼻面に餌ぶら下げて、まともにぶちのめすように仕向けたんだろうが、アドが一枚上手だったな。しかし、さすが功成り名遂げた男だぜ。多少の怪我なんぞ物ともしねえ」
 ヴォルガのあの晩アドルファスは、場を盛り上げるだけ盛り上げた挙句にバリーを一撃で仕留めていた。ゲストがしきりに心配していた修羅場などはついぞなく、名乗りを上げた副長にすれば、タンコブ一つでまんまと逃げられた格好だ。そして、首長と配下との間には、負傷のハンデを負って尚、格段の差がある事を、改めて周囲に認識させた。ケネルは微笑って紫煙を吐いた。「結構な事じゃないか。首長の株が上がるなら、俺としても願ったりだ」
「へえ、そうかい。だが、お前としちゃあ、あの" ヴォルガ"──」
 隣のケネルをチラと見た。
「ヤツを潰すのが目的だったんじゃねえのかよ」
 ケネルはピクリと眉をひそめた。煙たそうに紫煙を吐く。「──まさか。なんで俺がそんなこと」
 バパは何事か気付いた様子で、苦笑いで顎をしゃくる。
「バリーに逃げられた鬱憤を、奴さんで晴らしたって訳かよ」
 バパが示した向かいの木立で、素早く影が引っ込んだ。月光に垣間見えたは、左の頬をぷっくり腫らしたジャックの姿。ピタと張り付いた大木の陰から様子をキョトキョト窺っている。ケネルは僅かに眉をひそめて、右の拳を密かに擦る。「俺は預かり物を取り戻しただけだろ」
 バパは笑って、暗い木立の不自然な影の揺れを眺める。「しかし見上げた根性だな。ぶん殴られて目ぇ回したってのに、懲りずにウロチョロしに来るってんだからよ」
 紫煙を吐いて、鋭く隣に目をくれた。「正気かよケネル、手下だぜ。しかも調達部隊の元締めだ。配給が滞ったら、どうしてくれんだ」
「警告はした。だが、あの通りだ。持ち物が消えればアレが騒ぐ。そうなりゃ後が面倒だ」
 バパは項(うなじ)を片手で叩いて「たく、あの野郎は……」と脱力したように嘆息した。「まったく性懲りもない。何を狙ってんだか知らないが。──しかし、毎度の事ながらタフだねえ。あいつ妙な体力あるよな。まあ、幸いバリーの方は "血ぃ吐いたから念入りに調べろ"って袖の下掴ませておいたから、当分戻っては来ねえだろうがよ」
 揶揄するように当てこすられて、ケネルは憮然とした顔だ。
「俺は問題を処理したまでだ。ファレスのあの様、あんたも見たろう。ファレスとバリーじゃ話にならない。しかも、アレへの思い入れは半端じゃない。良くて半殺し、悪けりゃ嬲り殺し、アドルファスの方が幾分ましだろ」
「なんでわざわざ " ヴォルガ " だよ。逃がす方法ならごまんとあったろ。ヤツを西へ戻すなり、ノースカレリアにやっちまうなり」
「あれはあくまで懲罰だ。現に騒ぎが持ち上がった以上、無罪放免という訳にはいかない。バリーの上はアドルファス。" ヴォルガ " は憂さ晴らしをかねた一石二鳥だ」
「腹いせの間違いだろう」
 ケネルは持て余したように嘆息した。「──勘弁してくれ。あんたはそういう話が本当に好きだな。そもそも領主のもんだろう、あれは」
「理屈の話をしてんじゃねえよ。関係ねえだろ枠なんざ」
 バパがじれったそうに舌打ちした。「丸二日も一睡もせずに寝床につききりなんざ尋常じゃないぜ。あの子を斬ったアドだってんなら、ともかくよ」
 ケネルは疎ましそうに眉をひそめる。「あれでも一応要人でね」
「無鉄砲に傍に侍って、お前がぶっ倒れたら隊はどうなる」
「あんたら首長がいるだろう」
「こっちのテントに篭っていたのは、隊長、副長、そして首長だ。雁首揃えてまんじりともしねえで、こぞってぶっ倒れたら、どうしてくれんだ。俺は一人で尻拭いなんぞ、ご免だぜ」
「問題ないさ。俺はそんなに柔じゃない」
 眉をひそめて嘆息し、バパが鋭く目を向けた。
「お前、何を企んでいる」
「何も」
 ぶっきらぼうにケネルは応える。
「分かっているだろ。トラビアに連れて行くなんざ無謀だぜ。あの様子見たろ。本当に死んじまったらどうすんだ」
 叱咤するように凄まれて、ケネルは降参して手を上げた。「他ならぬあんたが、そんなことを言うとはな」
 追求されて仕方なく、理由を簡単に説明する。バパは胡散臭げに聞いていたが、やがて虚をつかれたような顔をして「なるほどな」と肩をすくめた。どこか呆れたような顔。「……そういや、そんな話も聞いたっけな」
「まったく。あんたは何でも知っているな。──まあ、いい。そんな事より相談がある」
 左脚に体をひねって、ケネルは雑誌を取り上げる。それまで見ていた見開きの紙面を、バパの方へと押しやった。
「いけそうか」
 バパはやれやれとケネルを見、それでも手を伸ばして受け取った。「どれ──」と大儀そうに膝に置き、一服しながら値踏みする。煙たそうな顔で紫煙を吐いた。「Z-AK68SS、か。旧モデルだな」
 目を眇め紫煙を燻らす横顔は、既に考え込むような面持ちだ。
「あんたから見てどうだ。使えないなら量産しても無駄になる」
「──まあ、ザメールに乗り込むってんなら怪しいが、こっちの仕事場はシャンバールだからな」
 満天の星空の下、夏虫が静かに鳴いていた。寝静まったゲルの傍ら、紫煙が白く立ち上る。夜陰に沈む草原を風がさらさら渡っていく。
 しばらくして検討を終え、ケネルが「そろそろ戻るか」と身を起こした。雑誌を丸め、脚の傍らで煙草を擦り消し、引き払うべく準備をする。紫煙をくゆらせ暗い夜空を仰いだままで、「ケネル」とバパが呼び止めた。逆側に捩った身を起こし、ケネルは肩越しに目を向ける。
「お前も生身の人間だからな、何を想おうが、お前さんの自由だ。だが、お前は群れの頭だろう」
 鋭く隣を一瞥した。
「隊を私情で動かすな。短慮は群れの命取りだぞ」
 ケネルは観念したように肩をすくめた。
「了解、首長。分かったよ」
 放り出してあった煙草の箱を引ったくるように拾って立ちあがる。尻ポケットに押し込んで二三歩歩いて足を止め、寝静まったゲルに目を向けた。「その内、寄越せと言い出すかもな」
「……ああ、奴さんの話かよ」
 話が一瞬飲み込めなかったらしい。バパは面食らって言葉を詰まらせ、身を捩ってゲルを見た。「──まさか、ねえだろ。ありゃあ領家の正妻だぜ。いくらファレスが見境なくても掻っ攫えるような代物じゃ、」
「 "理屈の話" じゃないんだろ」
 思わぬ皮肉をぶっきらぼうに返されて、バパは言葉に詰まってケネルを見た。何事かしくじったように後ろ頭を掻いて、静かなゲルを見返した。「……あー、マブダチだと思ってんのは、あの子の方だけってことか」
 いや、参ったね。こりゃあ、あっちの勘が鈍っちまったかな? と一人納得している短髪の首長に、ケネルはげんなり嘆息した。「──なんだか知らんが、まったく、あんたは気楽でいいな」
「そりゃあな。所詮こっちは他人事だ」
 バパが苦笑いで目を向けた。「どうしたケネル。面白くなさそうな顔だな」
「別に」
 短く言い捨て、ケネルはやれやれと歩き出す。ふと瞬いて足を止めた。身を捩り、再びポケットに手を突っ込む。
「どうかしたのか」
「……ああ、いや、……ちょっと」
 怪訝そうに首を捻って、ケネルはゴソゴソ探っている。 バパは溜息と共に一服し、訝しげに眺めやった。「──おいおい頼むぞ、隊長さんよ。打診の書き付けだってんじゃないだろうな。あんなもんが外に出てみろ、悪くすりゃ信用問題だぞ」
「……いや、そっちじゃない……私信だ……」
 目当ての物が見つからないのか、ケネルは体中のポケットを総点検し、バタバタ慌しく探しつつ、しきりに首を傾げている。珍しく焦った顔だ。
「ねえのかよ、大事な手紙か?」
「……ああ、まあ」
 しばしケネルは躍起になって探していたが、やがて諦めたように溜息をついた。



 布が風に翻っていた。
 どっしりとした房の付いた若草色の大きな布。旗のようだ。
 風は凪ぎ、空は晴れて、青空なのにどんよりしている。見渡す限りの広漠たる荒野だ。黒く険しい岩山が聳え、石造りの堅牢な建物が遠く見える。風が吹いた。これは──そう、潮の匂いだろうか。 
 風が砂を浚って吹き抜ける。うだるような暑さだ。人はいない。誰もいない。何事もない気怠い昼下がりの光景。なのに、ひどく心をざわめかせる。ひどく心を不安にさせる。あたかも嵐の前の静けさのような。
 気配がした。人の気配、複数だ。姿はどこにも見えないけれど、、、、、、、、、、、、、、兵士のようなぶっきらぼうな歩き方。
 この光景を知っていた。そう、随分以前から知っている。この後きっと、ああ、、言うのだ。
 案の定、男は連れを振り向いた。
 
「──用意はいいか、クラウン 」
 
 
これ、、だ──! )
 はっ、とエレーンは目が覚めた。眠る度に見続けていたあの夢だ。ずっと輪郭がぼやけていた不安を煽る不気味なあの夢──。
 気がつけば、視界が壁で塞がれていた。暗い。壁に光が遮られ、影の中に横たわっている。顔に何かの影が落ち、周囲はひっそり薄闇の中に沈んでいる。エレーンは怪訝に首を傾げた。何故、こんな所で寝ているのか見当がつかない。確か、仄明るい洞窟の中にいた筈なのに。
 建物の中のようだった。シンと肌寒い暗がりで、虫の音だけが静かに聞こえる。横臥した肩が重かった。何かが載っているらしい。室内は暗くて何があるのかよく見えない。間近な壁の表面は黒っぽい生地であるようだ。じっと目を凝らすと、深く括られた襟ぐりが見分けられた。よくある綿素材のランニング……?
 視線をそろそろ上げてみる。太い首が現れた。緩やかに呼吸する腹の方まで平らな胸、筋肉質な剥き出しの肩、仰け反った首の喉仏。
( ──男っ!? )
 エレーンはぎょっと後退った。向かい合った横臥の腕が左の肩に載っている。
( 誰だー!? こいつはー!? )
 思わぬ事態に顔面蒼白、事態を悟り、冷や汗たらたら。動転しつつも直近の記憶を急いで当たる。もしや酔った挙句の失態か? 目覚めたら、知らない男とベッドの中とかいう巷でよくあるパターンの──いや、最近一滴も飲んでない。誓って全く飲んでない。あのキャンプファイヤーの時でさえ──てか、そもそもこいつは誰なのだ!?
 恐る恐る身を起こし、向かいの相手をぎくしゃく見やる。薄暗い中、目に飛び込んだのは月光に照らされた青白い顔。目を閉じ、口に半開きにした端整な寝顔、床に流れる直毛の長髪──。
「……女男?」
 呆気にとられて呟いた。どうなっているのだ、と肩を揺すろうと手を伸ばし、ふと気付いて引っ込める。
( 疲れてるんだ…… )
 よく眠っているようだ。こちらが起きても微動だにしない。
 天窓から降り振る月光を浴びて、腕がいやに青白かった。寝ている相手を起さぬように大人しくして見ていると、横臥した上側の二の腕に長く白い古傷があるのに気がついた。戦地で負った傷だろうか。跡が未だに残っているくらいだ。かなりの深手だったのだろう。さぞ痛かったに違いない。
 白く大きな傷跡に、指を伸ばして触れてみた。筋肉のついた上腕は思うよりも遥かに固くて、たじろいで手を引っ込める。眠りこけた顔を見て、指先でそろそろ撫でてみた。彼らが暮らすシャンバールは戦地だ。こうした傷を絶えずこさえているに違いない。それでも平気な顔をして──。
 腕が動いた。横臥したファレスが身じろぎ、瞬く間に反転する。逃げる間もなく押し潰されて、エレーンはギョッと引きつった。
( ──なんでいきなり寝返り打つかー!? )
 全力で突っ張るジタバタと。だが、意識のない体はずっしり重くて、持ち上がる気配は微塵もない。筋肉質の体が重い。息苦しくて顔を背ける。ファレスの腕が無造作に背の下に潜り込んだ。体を絡め取るように抱きすくめる。ぎょっとエレーンは竦み上がった。いや、ヤツはまだ眠っている。完璧に眠りこけていた。まして抱きついた相手が誰だかなんて分かっていよう筈がない。なら、
( 誰でもいいのかー!? )
 あたふた足掻く力の限りに。だが、逃げようとすればする程に、無意識の腕には煩そうに力が篭もっていく。抱える腕と圧し掛かる胸板とに挟まれて、右手は全く動かない。左の手で阻止しようとするも、そちらも全く持ち上がらない。暴れた拍子に何かに引っ掛かったらしいのだ。顔を引きつらせてエレーンは焦った。両手が全く使えない。相手は未だ熟睡中。辛うじて動く両足で何とか押し退けようとはするものの、重たい図体に乗っかられ、蹴ろうが退けようがビクともしない。柳眉をひそめ煩そうにうめいて、ファレスが身じろぎ抱き直した。顔が首筋に滑り込む。
( 早まるなーっ!? )
 肌を擦り上げる感触に、ぞわわと戦慄、しゃかりきになってジタバタ足掻く。だが、まったく些細な努力だった。肩を滑ったファレスの右手が無頓着に降りていく。行きつ戻りつ胸の真上を撫でさすり、どうかしたのかピタリと止まった。ファレスが動きを止めている。何が不思議か首を捻っている様子。やがて、その手はもそもそと、不本意そうに移動した。
( て、どーゆー意味よっ!? )
 寝ていて尚、無礼な奴だ。幸い包帯でガチガチに固まってるから、感触とかは皆無だが。むらむら沸き立つ怒りのままに怒鳴りつけてやろうと口を開く。刹那、目的の物を見つけられずにやむなく撤退、脇を滑り降りたファレスの右手が、長いスカートをめくり上げた。エレーンはぎょっと硬直する。固く大きなファレスの右手が膝から腿を無造作に撫で上げ、背中から下着に滑り込む。
「──ちょっとたんまっ!?」
 ズボッと右手を抜き出して、平手で顔面を押し退けた。ぐっと思い切り仰け反ったファレスが「……んあー?」とうめいて見下ろした。そして、
「……あー起きたか」
 口を扇いで大欠伸(あくび)。更には、ん……と気付いて見返して、
「なに変な顔してんだ、おめえ」
 のっぴきならない体勢については、別段感想はないようだ。
 
 ゴロリと横に転がって、ファレスはかったるそうに胡座(あぐら)を掻いた。まだ眠いのか、天井を仰いで大欠伸(あくび)。そして、デカい図体に下敷きにされてたエレーンは、
( ぜっ、ぜえぜえぜえぜえ──っ!?)
 顔を引きつらせた涙目で、ようやくむっくり身を起こす。ヤツのせいで髪はボサボサ、全身よれよれ揉みくちゃだ。
 隅に置かれたカンテラが室内を薄暗く照らしていた。火の気のない中央の窯(かま)。剥き出しの土間。敷き詰められた赤い絨毯。丸い壁には簡素な家財道具とタオルや水瓶。大きな傘の下にいるような薄闇に沈む天井には、月光差し込む天窓の縁から放射状に伸びた細木。
 いつものゲルの中だった。知らぬ間に戻って来ていたらしい。不埒な暴挙をやらかして尚、無自覚でふてぶてしい向かいを見やって、エレーンもぶちぶち、ぶんむくれて座り直す。「……あれ?」と腹部の異変に気がついた。
「……なによお、この紐はー」
 ツンツン引っ張り、「あんたねー」と向かいを睨む。細いロープが腹に結わえ付けられていた。先端はファレスの胴に続いている。ファレスは「あァ?」とかったるそうに見返して、ふんっ、と顎を突き出した。「おめーは、す〜ぐいなくなるからな」
 副長ファレス、盛大に嫌み。そして眦(まなじり)吊り上げた。
「てめえなんかにゃ、そんくらいで丁度いい! 今度勝手にいなくなってみやがれ。おっそろしい目にあわせてやるからなあっ!」
 おどろおどろしい気迫に負けて、エレーンは、むむう、と反論に詰まった。つまりは脱走防止ということらしい。形勢不利なので、ぷい、と離脱、ロープの結び目に手をかける。なら、こんなもん自力で解いてやる。しかし敵もさるもの、結構固くて外れない。そして、ちまちまやっててストレスは最大。苛々しながら密かに舌打ち。
「──ちょっとお! とってよこのロープぅ」
 ついに手足を振り回し、ジタバタうぎゃんうぎゃん強硬抗議。ファレスは腕組みでそっぽを向いた。
「やなこった」
「──んもおーっ!」
 エレーンは結び目にガシガシ挑む。こんな縄で繋がれていたら、まるで家畜のようではないか。まったく失礼しちゃあう! レディーを何だと思っているのだ! 胡座(あぐら)の腕組みでそっぽを向いた張本人は、右手を腕組みからそわそわ抜き出し、グーパーしながら、しきりに首を捻っている。寝ても覚めても無礼な奴だ。何気に無神経な挙動不審を作業の目の端で捉えつつ、エレーンは固い結び目をいじくり回す。
「……なによお横暴。女男の吊り目、女男のでベソ、女男の鬼ぃ……」
 はっ、と目を見開いた。今の由々しき事故のお陰で頭の中からぶっ飛んでいたが、唐突に"それ"を思い出したのだ。そう、今しがた見ていた奇妙な夢を。
「そーだ女男っ! 夢見た夢っ! 変な夢っ!」
 向かいのファレスにあたふた報告。緩い胡座(あぐら)の後ろ手で仰け反り、ファレスは、けっ、とそっぽを向いた。「又かよ、てめえは」
 如何にも気乗りのしない顔。さくっと無下にスルーしようとするので「ちょっとちょっと聞きなさいよ!」と肩を叩いて引き戻し、うざったそうな相手に構わず話し出す。だって絶対変なのだ。何度も同じ夢を見続けるなんて。霧の向こうに薄く見えていた実体が、世界の曖昧な輪郭が、徐々に固まり厚みを増して、ついにはっきり立ち現れた、そんな感じ。得体の知れぬ嫌な気持ちを全部吐き出してしまいたい。もやもや立ち込める胸の不安を残らず吐き出してしまいたい。
 ファレスの反応は奇妙だった。初めの内は、逃げられないから仕方なく白けた顔で聞いていたが、話を全て聞き終わると、柳眉をひそめて怪訝そうに見返した。目を逸らして考え込むようにしばらく黙り、やがて乾いた声で訊き返した。「旗の色は何色だ」
「え?」
 予期せず問われて、エレーンはどぎまぎ面食らう。夢の初めに出てきた、あの立派な旗の事だと少ししてから気がついた。
「……確か、緑、だったと思うけど」
「柄は」
 続け様にぶっきらぼうに問うてくる。どうしてなんだか詰問調だ。
「よく見えなかったけど、……鳥の翼、みたいな?」
「ディールの旗章だ」
 エレーンは唖然と見返した。ファレスは苦々しい口調で続ける。「お前が見たのはトラビア平原。石造りの建物はトラビアの要塞の外壁だ。気付かなかったのか。てめえの国の国境だろうが」
「だ、だってトラビアなんて行ったことないもん。危ないし、観光スポットとかでもないし」
 トラビアは一般人が物見遊山で出かけるような場所ではない。国境の向こうは内戦中のシャンバール、出国可能なのは買い付け商人くらいのもので、街はそうした商人と国境警備の軍人、そして彼らを相手に商売をする商人達とで溢れている。付近の町村の住人も国境勤務の軍人が大半で、後は付近の鉱夫が精々だ。唖然と顔を見ていると、ファレスが訝しげに訊いてきた。「最後に何か言わなかったか」
「え?──あ、確か、" 用意はいいか? "って男の人が」
「そいつの姿は見えない、そうだろ。正確には " 用意はいいか、クラウン"」
 あまりの事に、エレーンはあんぐり口を開けた。「……なんで、あんたがそんな事まで知ってんのよ」
 ファレスは嘆息しながら頭を掻き、ゴロリと寝転がって、かったるそうに脚を組んだ。「俺も見たからな、その光景」
「なにそれ。どゆこと?」
 だらけて寝転んだ相手に合わせて、エレーンは四つん這いで這い寄った。組み手を枕に天井を眺めるファレスを覗く。「なんであんたが、あたしとおんなじ夢とか見るわけえ?」
「──知るかよ、んなもん」
 ファレスが鬱陶しそうに背中を向けた。「つか、こっちの方が訊きてえくらいだ。もっとも、俺のは夢じゃねえが」
 胡散臭そうに眉をひそめて、肩越しにまじまじ見返した。「どーなってんだ、おめー」
「しらないわよっ!?」
 むっ、と口を尖らせて、エレーンは拳を握って言い返す。しかし、やっぱり気にはなる。ひょい、と絨毯から立ち上がり、ファレスを跨いで前に移動。
「ねっ、ねっ、んねえー。どうして、あんたが知ってんのよー?」
 腹這いで足をプラプラし、ファレスの顔をじぃぃっと覗く。ファレスはかったるそうに起き上がり、膝先の顔を、あァ? と見返し、途端ギクリと引きつった。
「なに?」
 エレーンは、きょとん、と首を傾げた。ファレスは顔を強張らせ、うろたえたように左右を見、尻もちの体勢で後退る。
「え? なに。どしたのよ」
「寄るんじゃねえっ!」
 ギロリと睨んで、何故だか凄む。しかし、である。
「……そんなこと言ったってえ〜」
 ファレスがそうして逃げる度、お腹がクイクイ引っ張られ、ひょい、と自動的にくっ付いて行くんである。何せロープで繋がってる。エレーンはぶんむくれて( なによー、あんたがやったんでしょー )と腹の紐を、ほらね、と引っ張る。ファレスは決して目を合わさずに、ずりずり尻もちで後退る。何故だか必死の形相だ。見るからに狼狽、顔を変な風に引きつらせている。てか、なんでそんなに威嚇するのだ? 
 とうとうファレスは壁の水瓶まで追い詰められた。エレーンは怪訝に手を伸ばし「どしたのよー」と肩を叩く。ファレスが舌打ちで振り向いた。忌々しげに手首を掴む。間近に迫る苛立った瞳──。
 ばさり、とどこかのフェルトが動いた。エレーンはふと振り返る。冷えた夜風が吹き込んだ。薄暗い入口が開いている。捲り上げられたフェルトの向こうに、暗く静まった夜の草原。フェルトを退けて頭を屈めて、黒髪の男が入ってくる。あれは、
「……あれ? ケネル」
 ファレスがすっくと立ち上がった。いつの間に抜いていたのか逆手の短刀で己の腹のロープを断ち切り、即座に靴脱ぎ場に直進する。いつにも増して機敏な行動。だが、苦虫噛み潰したような奇妙に強張った面持ちだ。背を屈め靴を脱いでいるケネルの肩に手を置いて、ふと上げたケネルの顔を忌々しげにギロリと睨んだ。
「遅せえよお前はっ!」
 副長ファレス、逆上寸前。開口一番罵倒され、ケネルは、きょとん、と見返している。たらん、と尻尾を垂らしたエレーンと靴脱ぎ場に突っ立つケネルが呆気に取られて見守る中で、ファレスは苛立った様子で編み上げ靴に足を突っ込み、しかし履ききれずつんのめりそうになりつつも、入口のフェルトを片手で払い、あたふた外へ出て行った。
 
 
 
 
 

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