■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 7話13
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無人の草原を踏み荒らす数十もの蹄音が、地響きのように響き渡る。空は晴天、のどかに青い。
馬群に囲まれての移動中である。ケネルは手綱を握って前方を見ている。怪訝そうに振り向いた。「……なんだよ」
馬上の懐で、ぽやっ、と見ていたエレーンは上気した顔をぶんぶん振る。
「う、ううんっケネル! なんでもないっ!」
パカパカ馬を走らせながら、ケネルは首を捻っている。胡散臭そうに盗み見る顔には( 今日はいやに大人しいな…… )と彼の疑問が書いてある。馬上の振動に体を揺らしてケネルの懐にしがみ付き、エレーンは上目使いでチラと見た。
( このケネルがあたしのことを──? )
赤面で懐に張り付き、いやんいやん、と照れまくる。ケネルは肩を竦めただけで、馬群の進行方向を眺めている。
( 全っ然、知らなかった…… )
しがみついたシャツの胸を人差し指でぐりぐりする。澄ました顔してケネルったらも〜。そっか照れ隠しね? て・れ・か・く・し。だから、いっつも、そんな怖い顔してたのね? あたしに悟られないようにっ♪
( もー。ケネルってば可愛いトコあるじゃなあい! )
ああ、でも駄目よダメダメ! だあって、あたしにはダドって人がいるんだものお〜〜!
彼が無性に不憫になって、くい、とシャツを引っ張った。「ごめんね、ケネル」
「何が」
ケネルはぞんざい。目も向けない。
「えー、何がってえ〜」
いや〜ん。そんなこと、あたしの口から言えないわ〜。
「だ、か、ら〜っ!」
でも言う。
「だからー。ほら、あたしってば、ちぃっとも気が付いてあげられなくってえー!」
きゃあああ言っちゃったー!?
ケネルは一瞥、不審顔。怪訝そうに首を捻っている。
「……。( なんの話だ、さっきから )」
エレーンは鼻歌、絶好調。ああ、あたしってば、な〜んて罪作りなオンナ♪
「……。( あ、さては屁でもこいたか、このヤロー )」
「くふっ♪ 」
「……。( 違うらしい……)」
「くふふふふふふふふふっ♪」
「……。( ……不気味なヤツだな )」
( ※反転してご覧下さい )
ケネルは首を捻っている。堪りかねたように顔を見た。
「あんた、今日はちょっと変だぞ。何かあるなら、はっきり言え。( = いつもは耳塞いだって百万倍は喋くるくせに )」
「……えー? だあってぇ〜ん」
「怒らないから。( 今なら ) 」
ケネルは言い聞かせる口調で、うむ、と頷く。エレーンは、にへら、と首を振った。
「ううん、いいの。なんにも言わなくてもっ。だって、わかっているものぉ〜、」
アナタの き・も・ち♪
エレーンははにかみ、いやんいやん、と首を振る。ケネルは絶句で引きつり黙った。しばし不可解な顔で見ていたが、ふと合点したように瞬いて、ひょい、と顔を覗き込んだ。「また具合でも悪いのか? そういや、なんだか顔も赤いし」
言うなり額に手を当てた。「──どれ」
覗き込んだ顔が至近距離。エレーンはぎょっと飛びすさった。だが、ここは馬の上──。
後退った片手が馬の背から、がくん、と滑った。バランスを崩してとっさに何かを引っ掴む。辛くも落馬を免れて、ほっと安堵──と思いきや、毟るが如くに握っていたのはずっと見ていた馬のたてがみ──?
馬が大きくいなないた。地面を蹴立てて立ち上がり前脚で空を掻いている。激しく揺れ動く視界の中で、ケネルが驚いて振り向いた。
「──何してんだ、あんたは!」
驚いた馬を宥めるべく舌打ちで手綱を強く引く。異常事態を見咎めて、ファレスの馬が駆けてきた。馬が暴れてケネルの注意が一瞬逸れる。腕の拘束が刹那緩んで、がくり、と背中が仰け反った。激しく揺られた反動で体が後ろ向きに放り出される。のけぞり返った視界には空と雲と流れ去る地面。
「放すな馬鹿っ!」
振り向いたケネルが目を見開いて手を伸ばした。
そして、それから一分後、吹っ飛ばされた客の体を辛くも横からもぎ取ったファレスは、野草に突っ伏したケネルの後頭部を「……おーい、大丈夫かー?」と忍び笑いで突っついていたのだった。
樹梢さわさわ、木漏れ日ちらちら、恒例の散歩中である。朝食時の話を思い出し、エレーンはにまにま樹海の風道を歩いていた。ふと、右隣の黒サングラスを振り仰ぐ。
「──ねー、なんか変じゃない?」
ポケットに手を入れぶらぶら風道を歩きつつ、セレスタンは銜え煙草で小首を傾げた。「そうすかね」
エレーンは樹海を腑に落ちなげに見回している。「変よ、だって、鳥とかもいないし」
とり? とセレスタンが振り向いた。今来た道を振り向き振り向き、エレーンは首を捻って説明する。「なんか、いつも、あたしの後くっついてくんのよね、鳥とかリスとか兎とか」
はあ、と曖昧に返事をし、セレスタンは禿頭の後ろを掻いている。よくわからない、という顔だ。顔を向こうの樹海に向けて、ふぅー、と長く紫煙を吐いた。エレーンは連れに内緒で顔をしかめる。久し振りの紫煙が煙い。けれど、やめてくれ、とは何故か言えない。ケネルやファレスが相手なら、いくらだって言えるのに。因みに、知り合った当初は率直だったセレスタンだが、日を追う毎に何故だか言葉使いが丁寧になる。ついに今では大抵が敬語。いつも一緒の野良猫がどんどん粗暴になっていっていくのと、その辺りは対照的だ。
「──待ちなァ、ねえちゃん」
エレーンは前方を振り向いた。道の先に男が三人、荒んだ目をして立っている。あの見慣れた皮ジャン姿は馬群にいる同行者らしいが──。何かをクチャクチャ噛みながら、目を眇め、威嚇でもするように胡乱にゆっくり歩いて来る。左から、黒い眼帯の痩せぎす男、いがぐり頭の小柄な若手、額に傷のある厳ついオールバック。チンピラ風の見るからに極悪そうな顔触れだ。喧嘩でもしたのか、どの顔にも頬や目の周りに無残な青痣がある。いや、どこかで見たような面々だ。そう、野営地に迷い込んだあの晩に、ファレスがぶん殴ったアドルファス配下の、
──バリーの仲間だ!?
ぎょっ、と飛び上がって、エレーンはとっさに隣に隠れた。ポケットから突き出たセレスタンの腕にしがみ付き、腹に一物ありげな三人を背中の陰から盗み見る。ぶらぶら歩いていたセレスタンは、片足に重心を預けて立ち止まった。
「どけよ、そこ。通れないだろ」
何事もなく顎をしゃくる。左の痩せぎすの眼帯が口をひしゃげて、へっへっへ、と妙に癇に障る甲高い声で小馬鹿にしたように笑っている。右の体格の良いオールバックが、突っ立ったセレスタンにギロリと凄んだ。「引っ込んでろよ、ツルッぱげ。そっちの女に用があんだよ」
セレスタンは軽い溜息で三人を眺めた。貶されたのに気色ばむでもない。ただ沿道を素早く一瞥した。真ん中にいるいがぐり頭が目を眇めて進み出る。
「たく。そんなシケた乳でよくも誑し込めたもんだよなァ」
出し抜けに因縁をつけられて、エレーンはムッとしつつもたじろいだ。まるで身に覚えはないのだが、立ち塞がった三人から悪意やら敵意やらをビシバシ感じる。見るからに質の悪そうな輩だった。普段なら絡まれただけで竦み上がりそうなものなのだが、何故か恐いと感じない。ふと、その理由に気がついた。もっとずっと柄の悪いヤツをいつも間近で見ているからだ。
いがぐり頭がせせら笑って顎をしゃくった。「頭(かしら)のアレは旨かったかよ」
「──おい、よせ。女郎じゃねえんだぞ」
セレスタンが堪りかねたようにたしなめた。うって変わった押し殺した声だ。ぎょっとエレーンは肩を見返す。セレスタンは庇うように立っていて後ろから仰いでいるから頬の輪郭しか分からないが、道を塞ぐ三人が怯んだようで身じろいだ。もっとも彼は禿頭に黒サングラスという見てくれなので、黙って立っているだけで恐い人に見えるが。右のオールバックが気圧されたように睨み返して、憎々しげに唾を吐いた。
「大将が駄目となったら頭(かしら)かよ! 早速たぶらかすたァ、まったく大した淫売だぜ!」
おい、とセレスタンが右の沿道に顎をしゃくった。すぐに樹海から、ひょい、と顔が現れる。出てきたのは見覚えのある顎ひげ男、次いで手前にもう一人、こちらは生真面目そうな刈り上げだ。僅かに遅れて左の沿道からも二人出た。こっちは酔っ払いロジェとダラダラ男。タンポポ隊の面々だ。樹海から道にガサガサ出てくる。セレスタンが「たく遅せえよ、お前ら」とぼやくように声をかけると、今日はしらふのおっちゃんロジェが頭を掻きつつ黒眼帯の腕を取った。「──悪りぃね、まさか東にいたとはな」
あァ? なにすんだコラ!? と驚いて凄む黒眼帯。だが、おっちゃんロジェは有無を言わさずズルズル沿道に引きずって行く。道を塞ぐ三人が「あァ!?」と殺気立って振り向くも、タンポポ隊は動じるでもなくスタスタ普通に近付いた。恫喝する三人の肩をグイグイ突っ張り、当然の如くに脇に押しやる。三人は顔を引きつらせて凄んでいたが、やがてその輪は左の樹海に退場した。あたかも撤去でもされるが如くに。エレーンは、ぽかん、と見送って、セレスタンの背中をおずおず出、首を傾げて振り仰いだ。「なに今の──」
青タン部隊は。
セレスタンは煙草を投げ捨て、のんびり答えた。「ああ、ブルーノ、ジェスキー、ボリス」
「ぶるーの、じぇすきー、ぼりす?」
「そう」
吸殻を踏み消しながら、こっくり頷く。( だから、そーじゃなくって! )と両手を握って突っ込んでいると、ふと気付いたように、ああ、ともう一度振り向いた。ひょい、と長身の身を屈め、内緒話でもするように小首を傾げ人差し指をピンと突き立て、
「でかいのがブルーノ、眼帯がジェスキー、いがぐり頭がボリス」
──だから! そーじゃなくって!
のほほんと惚けたその顔に、エレーンは脱力気味に拳を握る。何しに来たのか知りたいんである。
三人を道から締め出して手が空いたらしいダラダラ男が、腰に手を当て嘆息しつつ右の沿道を振り向いた。見れば、又も誰かが出てくる。ダラダラ男が「……回収してよ」と肩を竦めてみせた先には、肩までの髪を真ん中分けしたゴツイ顔の知らないおっちゃん。いや、あの顔は以前どこかで見たような……?
( 誰だっけか? )と思い出していると、道に出てきた真ん中分けのおっちゃんは、強制退場させられて未だ樹海の中で凄んでいるらしい青タン部隊の方を見やって疲れたように溜息をついた。気乗りのしなさそうな足取りで、のたのた目の前まで歩いてくる。隣のセレスタンと「あー、どうも……」とどこか他人行儀な会釈をすると、頭を掻きつつ振り向いた。まともそうな人なので「なんの御用でしょうか」と思わず敬語で見上げると、片手でぼりぼり頭を掻いて、皮ジャンの上体を、ひょい、と屈めた。青々した割れた顎がぬっと迫る。
「あのさあ、悪いんだけど、あんまりウロチョロしないでくれる?」
とっさにたじろぎ、エレーンはぱちくり瞬いた。
「……はあ。……あ、でも、おんなじ姿勢で座っていると、なんか体が凝っちゃって、だから……」
「うん。それは分かるんだけどさ」
申し訳なさそうに真ん中分けのおっちゃんは言う。よく知らない人にまで注意され、まじまじ絶句していると、真ん中分けのおっちゃんは左の樹海に踵を返した。疲れたように去って行く。エレーンは呆気にとられて見送った。「……今度はなに」
「アーガトン」
セレスタンが律儀に答えた。
「あーがとん?」
振り向くと、セレスタンは次の煙草に点火したところだ。「そう。向こうの班長、三班の」
よく知らないおっちゃんに何でいきなりあんなこと? と訊いたつもりが詳細プロフィールまで告げられて、エレーンはあんぐり突っ立った。ともあれ、" あーがとん "さんというらしい。それにしても、ちょっと散歩に来ただけなのに、今日は何故だか慌しい。色んなのがわらわら出てくる。ファレスと歩いている時は、こんな事は全くないのに。内心首を捻りつつ、エレーンはふと隣を仰いだ。「ねー、カシラって何? ケネルのこと?」
セレスタンは、ふああ、とあくびした。「──いや。連中は向こうの島だから、向こうの頭(かしら)のことっすね」
彼は短髪の首長の部下だから、彼が"向こう"というのなら、
「アドのこと?」
エレーンはますます首を傾げる。何がなんだかさっぱりである。なんでアドの子分に絡まれるのだ? 何故にいきなり、ああもあからさまに罵られるのか分からない。
「あ、なら " 大将 " って?」
「──さあ」
一瞬黙り、セレスタンは首を傾げる。遅まきながら、はたと気付いて、己の顔を呆然と指した。
「ねー。なんか今、あたし物凄いこと言われたみたいな──?」
卑猥な悪口をいっぱい言われた気がする。セレスタンはそわそわ目を逸らした。「……あー、妬いてんすかね」
「妬いてる? あの人達が? なんで!?」
呆気に取られて振り向くと、セレスタンは困ったように禿頭を掻いている。
「あー……ほら、頭(かしら)のテントで寝込んだ時に、向こうの頭(かしら)付きっきりで面倒みてたっしょ。だから連中、てめえの頭(かしら)取られたみたいで、きっと面白くないんすよ」
「と、取られるって──」
予期せぬ応えに、エレーンは、なんだそれ、と絶句した。ぶらぶら風道を歩きつつ、セレスタンはぽっかり紫煙を吐く。「親父みたいなもんすからねえ、頭(かしら)ってのは」
内心の疑問を聞きつけたのか、そんなことを言ってくる。
「オヤジっていうのは、お父さんってこと?」
「そっすね」
エレーンは密かに首を傾げた。赤の他人にそうまで心酔する心持ちは実のところよく分からないが、つまり、父親が知らない女性と仲良くすると子供が不機嫌になる、みたいな感じか? でも、なんか、そういうのとは違う気がする……。ふと、どうでもいいことに気がついた。「ねえ、それじゃあ本物のお父さん立つ瀬なくない?」
セレスタンは照れたように苦笑いした。「……そーゆーの、いないっすからね、俺らには」
「え? でも」
こうして生まれてきたからは、父と母がいるだろうに。セレスタンはそつなく言い足した。
「実の親ってのは、俺らには普通お袋のことっすよ。決まった女を囲うのは統領んとこか、でかい島束ねる頭(かしら)んとこか、こっちの羊飼いくらいすから。──ああ、さっきの連中にはいますがね」
青タン部隊が消えた樹海を、エレーンは怪訝に振り返る。「さっきのって、今の三人のこと?」
「元は街のヤツなんすよ。シャンバール人でね。理由あってこっちにいますけど」
そして、はっ、と振り向いたと思ったら、「──あ、乳が全てじゃないっすよ」と慌てて手を振り、わざわざぶり返してくれるセレスタン。一気に落ち込み、エレーンはげんなり溜息をついた。「──ねえ、やっぱ、みんな変じゃない?」
今朝から気になっていた事を、もう一度持ち出し訊いてみる。隣をぶらぶら歩きつつ、セレスタンはやはり小首を傾げた。「そうすかね」
こんなもんでしょ、と言わんばかりの横顔が惚けているようにも感じられる。今の宥め方も無理があるし、取ってつけたようで腑に落ちない。三人の憎悪に満ちた眼は、焼きもちなんて可愛らしい理由ではない気がした。そう、変化は彼らに限らない。
空気がはっきり変わっていた。同行者達は以前から余所余所しくはあったけれど、それは手出しして来ぬ壁だった。緩い牽制と軽い反感でできていたそれが、今朝はあからさまに変質していた。遠巻きにして見ていただけの胡散臭げな視線が不快そうになったというか、直截的になったというか、露骨に野卑になったというか──。こちらの存在に明確に意識を向けてくる。はっきり敵意を向けてくる。そうしたあけすけな反感はアドルファス側の周囲に顕著だ。短髪の首長の周囲には元々無頓着そうな感じが多いし。何かが嫌な感じにもやもやしていた。けれど、原因が分からない。目覚めたら、何かがガラリと一変していた、そんな感じ。セレスタンは短くなった煙草を眺め、ぽい、と道に投げ捨てた。「──そろそろ戻りますか、集合場所に」
タンポポ隊が近くにいる事が多くなった。例の旅装の男が訪ねて来てファレスに連れて来られると、皆、手持ち無沙汰そうにしながらも休憩の輪の中に入れてくれる。因みに、ファレスにしょっちゅう会いに来る旅装はワタリという名であるらしい。
散歩を終えて皆が待機する草原に戻ると、黄色い嬌声が聞こえてきた。それだけ異質な甲高い声だから低いざわめきの中で嫌でも目立つ。( なんか、どこかで聞いた声だな…… ) と怪訝に振り向いたその途端、エレーンは、ぎょっと氷結した。
( あの娘!? )
夜分に何度も訪ねて来た、あの小生意気な小娘だ。しかも、甘ったれてじゃれついている相手は、草原で馬の手綱を持ったケネル。何を話しているのか、ケネルは困ったように笑っている。隣に突っ立つセレスタンに構わず、エレーンはツケツケ歩き出した。小娘が気付いて一瞥し、殊更に甘えてケネルの肩にしなだれかかった。
「あたし、隊長さんの馬に乗りたあ〜い」
なんだとお!?
一直線に直行し、エレーンはぐいと顎を突き出す。
「あら、お生憎さま。ケネルんトコはあたしの席なの」
あらあらまあまあ残念ね、と小娘の愚行を笑ってやり、おととい来やがれ、と腕を組む。小娘は、ぷい、とそっぽを向いた。「……必死ね」
「ああら、なんか言ったかしらあ!?」
「べっつに? 馬なら他にもいっぱいあるわよ? そっちに乗れば?」
「あんたねえ! いい加減に──」
「ああーん、この人恐わぁーい、隊長さあ〜ん!」
それまでケネルはボサッと攻防を見ていたが、しがみ付かれて「……ん?」と見下ろし、胸元の頭を平手で撫でた。どうやら、あの手はしがみつく頭は自動的に撫でるように出来ているらしい。チラとこちらを盗み見るも、慌てて明後日の方向へ目を逸らす。いや、ケネルに限らず、休憩中の面々も大して変わらない反応だ。こんなに大勢が見てるというのに、誰も止めに入らない。チラチラ見つつも誰一人として寄って来ない。いや、微妙に視線を逸らして目をさえ合わせようとしないのだ。ケネルには見えないように、ふふん、と嘲笑った小娘は、甘ったれて小首を傾げ、両手でケネルの腕を取る。「ねーねー隊長さん、いいでしょう?」
更には耳元に口を寄せ、感じ悪く内緒話まで始める始末。ケネルは困ったように見ていたが、何やらこそこそ耳打ちされて、やれやれと小娘を見返した。チラ、とこっちの顔を見て、「──ファレス」とぶっきらぼうに呼びかける。
「副長なら、次のキャンプに話つけに行きましたよ」
あそこっす、と男が指差す草原の先には、馬を疾駆するファレスの背。又も脇目も振らずに逃亡か? ケネルは「なんでこんなに早くから……」と溜息で頭を抱えると、「──セレスタン、頼む」と呼びかけた。見れば、少し離れた後方に散歩の友のセレスタンが立っている。惰性で付いて来たらしい。
内心( えーっ!? )と不平を鳴らすも、セレスタンは突然の指名に瞠目し、己を指差し「俺っすか!?」と身を乗り出している。すぐに「あ、んじゃ行きましょうか」とへらへらしながら振り向いた。
エレーンは進退窮まった。ここで( ケネルの馬はあたしの席よっ! )と強行すれば、散歩の友のセレスタンに( あんたはイヤ )と言っているようで気が引ける。( ちょっとお、なんとかしなさいよ〜! )とギロリとケネルを睨んでやるも、当のケネルは、ぷい、と目を逸らして知らん顔。あ、さては、馬から落としたのまだ根に持ってるな?
なんて了見の狭い男だ! ぐぬぬ……と握り拳で睨み付けるも、ケネルは殺気でも感じたか、さっぱり目を合わせようとしない。ぽん、と肩に手が置かれた。ふと、セレスタンが目を向ける。「──あれ、頭(かしら)」
「この子はこっちで預かるよ。今のお前じゃ落としかねねえからな」
短髪の首長が苦笑いで立っていた。エレーンは無論口を尖らせ( なんか変なヤツがケネルの馬に勝手に乗るとか言ってるしぃ〜! ) とぶちぶち目線で訴えた。ケネルに張り付き牽制している小娘を、バパはやれやれと見ていたが、おもむろにこちらを振り向いて「さてと行くか」と腕を取った。この短髪の首長でさえもが小娘の我がままを宥めてくれない。彼らは皆、女同士の諍いには首を突っ込まない事に決めているらしい。
結局、小娘の我がままに押し切られる形で馬群は再び出発した。小娘はケネルに張り付いてこれ見よがしにイチャイチャしている。
( ケネルのヤツ〜! )
絶対目を合わせない顔を、エレーンはギリギリ睨めつけた。短髪の首長の馬に乗り両手で懐にしがみ付きつつ、( あんのタヌキ! 後で絶対とっちめてやる!
)と拳を握って固く誓う。件の名前が不意打ちで耳に飛び込んだ。
「たっまんねえよな。見たかよ、あのケツ!」
「いいよなあ、クリスちゃん」
ギクリ、と心臓が鷲掴まれた。一瞬訳が分からない。それは大群の馬蹄の喧騒に混じって漏れ聞こえた誰かの会話。声の出所をとっさに探せば、右で馬を走らせている男がケネルの馬に振り向いている。視線の先はあの小娘。つまり、
──あの娘がクリス!?
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