CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 8話2
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 午後の穏やかな樹海の木々をがさごそシャベルで掻き分けて、エレーンは肩越しに振り返り振り返り、キョロキョロその姿を捜していた。
( おばちゃん、もりにきて )
 甲高い囁きを聞いたのは、ゲルに着いて荷物を置き、家具で埋まった今夜の寝床をやれやれと見回した時だった。初めは空耳かとも思ったが、シャベルをさりげなく持ち出して、用足しに行くと森に来た。
「あー、ちょっと長いかもしんない。あんた、絶対、こっちに覗きに来んじゃないわよっ!」
 横道に入る風道の岐路点で、毎度の如くにくっ付いてきた野良猫にとくと念入りにお願いすると、ヤツは別段追及するでもなく肩を竦めて後ろを向いた。いつぞやのような腰紐はない。何故だか気が済んだらしいのだ。
 横道を大分入って「──ケイン、どこ?」と小声で呼ぶと、子供特有の素直な髪が、大木の裏からひょい、と出た。
「──おばちゃん!」
 引きずるようなぶかぶかの服で、ケインが両手を広げて駆け寄った。既に泣き顔、腹に顔をなすりつけ、早速めそめそし始める。毎度の抱っこの体勢で途切れ途切れの訴えを聞くと、友達と喧嘩をしたらしい。悪いのは向こうの方なのに、相手のチビっこにどうしても追いつけなくて悔しいのだとかなんとか。メソメソグズグスしがみ付かれて、エレーンは素直な髪をゆっくり撫でた。
「なんで、おじさんに言わないの。悪いのはその子の方なんでしょう」
 ケインがいるキャンプには、大人が幾人もいた筈だ。皆親切そうなおじさんだから、わざわざこんな所に来なくても、仲裁なんかは幾らでもしてくれるのだろうに。「……だって」とケインは口篭り、次の言葉を一瞬ためらい、震える唇を噛み締めた。「みんな、ぼくのことをこわがって、……おとなはだれも、……だれもみないんだよ、ぼくのこと 」
 ようやく言ってしがみ付く。最後の砦というように。胸を締め付けられながら、エレーンは頭を撫でてやった。逃げる気などは毛頭ない。置き去りにされた子供の気持ちは他の誰より分かるから。
 ケインは近頃泣き虫だ。けれど、彼が泣いている原因は些細な諍いだけではないようだった。しがみ付いても良い相手をようやく見つけて、なんとか維持してきた堤防が壊れてしまったようなのだ。それも仕方のないことだ、とエレーンは密かに溜息をつく。彼は母親に会いたいのだ。まだ幼いこんな子供を親から離してしまうのが、そもそも無理な話なのだ。
 突如、けたたましい音がした。キャンプの方角、何かを破壊するような物騒な音。ついで「──なんだ!」と忌々しげな大声があがった。これは風道の方向だ。待機していたファレスらしい。ギクリ、とケインが震え上がった。あたふた怯えたように踵を返す。「──ぼ、ぼく、かえる!」
「……はい?」
 取り乱した豹変ぶりだ。エレーンは訳が分からず見返した。「え……いや、ちょっと待ってよケイン、なんで急に──」
 ケインは足を引きずって脇目も振らずに横道の先に駆けて行く。ぶつかるような勢いで大木の幹に手を叩き付け、止める間もなく飛び込んだ。すぐに樹裏を覗いてみるも、その姿は既にない。
「……もー。勝手なんだからあ」
 自分の方から呼んどいて……とエレーンはやれやれと項垂れる。ファレスの声を聞いた途端だ。さてはあの野良猫のヤツ、キャンプでケインに会った時、早速苛め(やがっ)たな。
( もー。しょうもない野良猫だ…… )と本人がいるであろう風道の先に、ブツブツ膨れっ面で腕を組む。今朝も十五の子供を相手に肉団子の取り合いしていたし。
 ともあれ、キャンプで何かあったらしい。あの物音は尋常じゃなかった。エレーンは踵を返して道を戻った。
 
 宿泊先のそのゲルは、既にキャンプの羊飼い達に遠巻きにされていた。
 中で凄まじい音がした。物が引き倒されるような騒がしい音、陶器が割れる音も入り混じる。誰かが喧嘩でもして暴れているのだろうか。なにか、どこか焦げ臭い。出所を探せば、南壁から煙が上がっている。ケネルとファレスがゲルの戸口にとりついた。
「……ウォード」
 ファレスの背から声がした。ならば、中にいるのはあの彼なのか。最後にとった休憩後、群れと共に去ったから、野営地にいるものとばかりに思っていたが。
 二人の背中の隙間から覗けば、ウォードは両手をだらりと下げて、一人無言で立っていた。不意にふらりと歩き出し、西の壁に身を屈める。だが、すぐに立ち上がり、手に触れた家財道具を薙ぎ払い、忌々しげに蹴り飛ばす。手当たり次第に物を掻き分け、何かを捜しているようだ。だが、それが見つからない事に腹を立て、一人で癇癪を起こしている。
 室内は既に惨状だった。家具はことごとく引き倒され、引き出しが無秩序に開いている。聖画の額は落ちて割れ、鍋や釜は引っ繰り返って散乱している。片隅に四角く積まれていた寝具は中綿が生地からはみ出して無残に打ち捨てられている。掛け布や枕から飛び出た羽根が、移動するウォードに伴って、ふわふわ床から舞い上がる。ファレスのザックは蹴り飛ばされたか西壁の下で横倒しになっていた。開いた口に載せ掛けてあった白いタオルは床に落ち、靴の跡がついている。苛立ち紛れに投げつけた何かが、北壁の水瓶を直撃した。凄まじい破壊音と同時に、破片と水が周囲に飛び散る。
「──きゃっ!」
 エレーンはとっさに首を竦めた。ファレスが短く舌打ちし、ケネルと素早く目配せする。その時だった。
「……いないかー」
 ゲルから虚ろな声がした。
「なんだー。オレ、ちゃんと出来るようになったのに」
 ウォードがブツブツ言っていた。屈めた背を引き起こし、心ここに在らずで彷徨い歩く。天窓の下で足を止め、ふと気付いたように首を捻った。「……そっか、あの日はオレ、」
 それからしばらく口を噤んだ。天窓を仰いだその顔は薄笑いをさえ浮かべている。「あの日はオレ、ウサギ潰したのがバレちゃって」
 取りとめのない独り言が、ふつり、と途絶えた。
 不気味なほどの静寂が満ちた。明かり取りの天窓から、夕刻の穏やかな陽が降り注ぐ。引き倒された炉火だけが南壁でパチパチ爆ぜている。獣のようにウォードが吠えた。
「……ノ、ノッポ君?」
 炎上を始めたゲルの中、ウォードは背を向けて立っていた。カクリ、と首を背に倒し、ゲルの天井をぼんやり仰いだ。
「……思い出したー」
 気の抜けた呟きが、白シャツの背からぽつりと漏れた。
 
 
 
 
 

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