CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 9話2
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 酒場の店主と客達は、迷惑そうに遠巻きにしていた。チラチラ盗み見る視線の先は、店の最奥に陣取って脚を投げ出す柄悪い一角。北壁に三人、卓を挟んだ向かいに二人、金が入れば酒を飲む、懐が寂しくなれば何某か請け負い酒を飲む、そうした自堕落な暮らしを常とする身を持ち崩したゴロツキども、近所じゃ札付きの与太者ども揃いだ。
 薄暗い酒場の片隅で、男達は不景気そうにショットグラスを傾けていた。 周囲を威嚇する鋭い眼光、土埃のついた薄汚い身形、何れも苦虫噛み潰した顔だ。
「──おい、報酬が跳ね上がったぜ!」
 卓を囲む五人の男が気怠い仕草で振り向いた。スイングドアを片手で押し退け、息せききって転げ込んできたのは、右頬に大きなアバタのある小男だ。ズカズカ最奥まで踏み込むも、膝に手を置き、息を喘がせ屈み込んでいる。一同はかったるそうに見ていたが、成功報酬との括りを聞いて、小馬鹿にしたように苦笑いした。「──へっ、コソ泥の方かよ」
 戸口に背を向けた手前の一人がグラスの酒を煽りつつ、酒焼けのダミ声で面白くもなさげに吐き捨てた。「偉いさん方、ついに業を煮やしたか。──ま、そりゃそうか、誰も取り合やしねえからな。何せシャンバールの賞金首が原っぱでちんたら昼寝をしてるってんだぜ。千載一遇のこんなチャンスを棒に振る阿呆がどこにいる」
 北壁の通路側に座っていた、場で一番年嵩の男が、薄汚れた上着の懐から紙切れを一枚引っ張り出した。なおざりに目を走らせ、代わり映えのしない内容を、太い指先でぞんざいに弾く。「二十代女、痩せ型、黒の長髪。強奪品は"銀の指輪"、報酬は二百。始末後、強奪品を速やかに回収、報酬は指輪と引き換え、か。──貴族の邸を荒らし回っているコソ泥だな。色んな所から依頼が出てら。にしても、コソ泥風情を始末しろたァ穏やかじゃねえやな。奴さん、どんな恨みを買ったんだか──。で、どんくらいになったって? 二百二十か? 三十か?」
 興味なさげな面持ちで、五人の男は椅子の背もたれに腕をかけ、気怠そうにそっくり返っている。頭数で割ってしまえば、二百と言ったとて幾らにもならない。つまるところ割に合わない話なのだ。肩で息をついていた小男が「へっ、聞いて驚くなよ」と不敵に笑ってアバタ面を上げた。「ちょっとこい」と指で一同を差し招く。かったるそうに乗り出した面々に、思わせ振りに間を取って、口端を歪ませ見回した。「一千、だとよ」
 一同弾かれ、目を剥いた。
「……おいおい、こいつァ」
 呆気に取られた絶句の中、誰からともなく呟きが漏れた。「……どうなってんだ。的は女のコソ泥一匹だろ。そんなのがシャンバールの賞金首と張るってのかよ」
 成功報酬が一千トラストともなれば、草原に潜伏中のお尋ね者達の懸賞金と比肩する。
「だが、あんな強欲ジジイがなんだって急に」
 アバタの小男が首を振った。「いや、サザーランドんとこじゃない。出所は別だ。俺も小耳に挟んだだけだが」
「おいおい待て待て、例の連中が回りにいんだろ。そっちの方はどうすんだ」
 最奥で壁にもたれて飲んでいた男がひしゃげた笑いで手を振った。「女は群れのど真ん中、、、、だぜ」
 向かいの男が忌々しげに舌打ちし、グラスを卓に叩きつけた。「ち! 結局はそこかよ。たく、上手い所に逃げ込んだもんだぜ女狐が」
「手分けしたら、どうだ?」
 北壁の中央がぼそりと呟く。一同の注目を俄かに集め、はっ、と気付いたように首を振った。「だ、だってよ! 女の方なら何やかやで一人になんだろ。だから、そこを狙って上手くやりゃあ、つまりは一千を、俺達で──」
 一同は顔を見合わせた。ゴクリと喉を鳴らして唾を飲む。
「山分けってことか」
 擦り切れたメモに顔を寄せる。ざわめく酒場のそこだけが奇妙な沈黙に包まれた。
「──始末するのは女一人、か」
 年嵩の男が眉をひそめて目を逸らし、思案するよう顎を撫でた。「凶状持ちなんぞを狙うより、こいつァ案外、割がいいかも知んねえぞ」
 北壁にもたれた男が顔を上げ、アバタの小男を胡散臭そうに見返した。
「おい、小耳に挟んだだけだと言ったな。出所はどこだ、その話」
 アバタの小男は「待ってました」と言わんばかりに口を歪めた。「おう、そこよ。例の女を口説きに行ったらよ、店の親父と上機嫌でくっ喋っていやがって」
「女?」
「黒薔薇ローズよ」
「──ああ、あれか」
「で、なんかあるな、とピンときたから、聞き耳立てたら案の定 " 近々大金が手に入る " ってよ。で、そのターゲットってのが」
「例のコソ泥か」
「おうよ! だから、こいつはまだ、どこにも出回っちゃいねえ話だぜ」
「俺らで黒薔薇ローズを出し抜くか!」
「だが、そんな話はついぞ聞かねえ。こちとら徒労はご免だぜ」
 北壁にもたれた男に水をさされて、アバタの小男は心外そうに振り向いた。「だからよ、ベッドの中で受けたんだろ。相手は黒薔薇ローズだぜ」
「こちとらとは契約不成立じゃねえかよ。提示額は二百だろ」
「いいや。満更そうでもねえんだな、これが。捕り物の条件をもう一度見てみろ」
 怪訝そうな一同に、アバタの小男は目を眇める。「いいか、考えてもみろ。あのケチな貴族が一千出そうって話だぜ。コソ泥一匹始末するのに血眼になるとは思えねえ。つまり、向こうさんの目的は──」
 はっと気付いて、北壁の中央が膝を打った。「そうか、指輪か!」
 我が意を得たり、とアバタの小男は不敵に笑う。
「貴族どもが目の色変えて探し回っている指輪だぜ。支払いの段で渋ったら、指輪ブツをチラつかせてやりゃあいい。いや、やりようによっちゃ一千どころか、二倍も三倍も吹っかけられる話だぜ」
「なら、女をこっちで始末して指輪とやらを持参すりゃ、ローズが受けたその一千──」
 年嵩の男が擦り切れたメモをヒラヒラ振って、にやりと笑って見回した。
「ああ、俺達のもんだ」
 
 
 
 昼休みの草原には、似たような年恰好の似たような野戦服が犇いている。他の誰かであるのなら、容易に捜せはしないのだけれど──。
 少し離れた首長らのシートで、ケネルは何やら話して笑っていた。いつもの実に屈託のない顔で。むむぅ、と拳を握りしめ、エレーンは苛立ち混じりに振り向いた。
「だいたいねー、他の女とイチャつくなんて不誠実よ! ちゃあんと彼女がいるくせに!」
 ふと目が合った瞬間に、慌ててそっぽを向きやがったのだ。
「──それは初耳っすね」
 セレスタンは防水シートに脚を投げ出し、のんびりぽっかり一服している。
 お日様麗らか、お昼の食後のひと時である。エレーンはムシャクシャしながらセレスタン相手に愚痴っていた。このところ、ケネルに遠ざけられているような気がして仕方ない。そう、このところ何やかやで不満鬱積てんこ盛り。とりわけ、クリスの横暴にも何を言うでもない不甲斐ない態度が許せないのだ。エレーンはぷりぷり言いつける。「女なんかいない、とか女男は言ってたけどさあ!」
「ま、そうでしょうね」
 それについてはあっさり認め、セレスタンは空に紫煙を吐いている。エレーンは有無を言わさず振り向いた。「ねえ、あれ絶えぇっ対、かばってるわよねケネルのことっ!」
 セレスタンは「……どうっすかねー」と腕組みで首を傾げている。じたばた両手を振り回し、エレーンは苛々喚き散した。「いくら元カノだからってさあ!」
 はあ? とセレスタンが振り向いた。「ガキなんぞ相手にしないでしょ、隊長は」
それに、それだけじゃないのよねえっ!( ←聞いてない ) ケネルってばさあ! 前にも夜中に知らないひとと! あれじゃあ彼女が可哀想よ!」
 セレスタンは腕組みで首を傾げた。「……いやまあ、……そういうことも、たまにはある、かも……?」
 ぼそぼそ言うも歯切れが悪い。エレーンは苛々「ちょっと何よお」と窺った。普段のセレスタンはどうも飄々としていて掴み所がない。短髪の首長からかばってくれたあの朝のあの頼もしさはどこ行った! 煮え切らぬ態度に業を煮やして、エレーンはキイキイ喚き散す。「もーっ! なんで、あんなに女がいんのよっ!」
「リンゴと柿とみかんなら、姫さん、どれが好きっすか」
「……え?」
 エレーンは面食らって文句を呑んだ。明後日の方向からの唐突極まりない問いかけだが、それでも考え、首を捻る。「んーと、そうねえ、そん中だったら、みかん、かな」
 セレスタンはぽっかり紫煙を吐いた。「俺は全部好きっすね」
「……あーそう」
 事もなげに丸投げされて、エレーンはぷるぷる拳を握る。防水シートに後ろ手を突き、麗らかな空をのんびり眺めて、セレスタンは、ふぅーっ、と紫煙を吐いた。
「ま、敢えて言うならリンゴかな。でも、リンゴは好きだが、樹を持とうとは思わない。店先にあれば買って食う、その程度のもんです」
 エレーンは ( あーそう。だからそれがー? ) と冷たい視線で先を促す。
「樹がありゃ確かに、いつでもたらふく食う事ができるが、毎日水をやらなけりゃならない。そうなると、どこにも行けなくなっちまう訳で。でも、俺らは稼ぎに行かなきゃならねえ訳で」
 セレスタンは首をコキコキ動かし、大あくびで結論した。「だから俺は、樹は持たない。そういうことです」
「……ふーん」
 分かったような分からんような──。なんだそれ、と首を傾げて、はっ、とエレーンは我に返った。果物の話なんぞ、どうでもいい。
「そんなことより、クリスってばさあっ!」
 両手を振り回して訴えると、セレスタンは困ったように苦笑いした。「──そう悪いでもないんすけどねえ」
「なによお。あのの味方なの!?」
 掴みかからんばかりにギロリと振り向く。
「……いや、そういう訳じゃないんすけどね」
 セレスタンはそそくさ目を逸らした。モソモソ背を向ける事なかれな仕草がどっかのタヌキにそっくりだ。さては早くも篭絡されたな? リンゴと柿とみかんなら、全部好きだとかぬかす男だ。退避した肩をむんずと掴んで、ぬっとその上に顎を置き ( ねー聞きなさいよー ) と乗りかかる。
「だって! あのってばさ、ずぅぅぅっとケネルにべったりで! ずぅぅぅっとケネルといちゃいちゃしてさあ! ケネルもケネルよ! ああいう若い子が来た途端、あんなチヤホヤしちゃってさあ!」
 ギャンギャン喚かれた耳を押さえて、セレスタンは肩越しに及び腰の引きつり笑顔。「身柄預かってるから、心配なんでしょ」
「あたしだって身柄預かってるもんっ!」
 エレーンはぶんぶん首を振る。待遇が違うと言いたいのだ。一緒にけなして欲しいのだ。宥めすかすようにセレスタンが微笑った。「もー。姫さんは大人でしょ。あっちはほんのひよっ子なんすから、何もそんなに──」
 ギロリとエレーンは逆毛で睨む。
「なによっ! おばさんだとでも言いたいわけ!?」
「……いえ」
 セレスタンはそそくさ目を逸らした。のらりくらりといなされて、エレーンはぶちぶちいじけ出す。
「そっりゃあ、十代の子には勝てないわよ。パワーあるしお肌だってぴっちぴちのぷりっぷりだし。でも、あたしだって、まだそんなおばさんじゃないもん! だいたい、あのは仲間なんでしょー。なのに、なんであんなに」
「──あ、いや、あれは」
ケネルがそう言ったもんっ!( ←もちろん口は挟ませない ) なのに、ケネルってば、あんなにやいのやいの気ぃ使っちゃってさあっ!」
 セレスタンがぽっかり紫煙を吐いた。「ウチに女はいないんで。こっちの系統じゃないんすよね。ありゃ、どっちかっていうと羊飼いの方のグループで──」
 あっさり細かく訂正されて、エレーンは、ぐぬぬ、と文句を呑んだ。途端、ぴく、と肩を震わせて、禿頭がそおっと目を逸らした。殺伐とした気配を察したらしい。こそこそ背を丸くする姑息な禿頭の後頭部を、エレーンは口を尖らせて、しばし不満たらたらで見ていたが、
「……なによ、チヤホヤしちゃってさあ。なによ、ベタベタしちゃってさあっ!」
 思う存分不満爆発。辛抱なんか出来る筈もないのだ。
「ねーっ! せれすたんんーっ!」
 頭をぽかぽか叩かれつつも、セレスタンは逆側に体を捩って、煙草の灰を、はいはい……と落としている。ついには後ろ手で脚を投げ出し、ぽっかり丸く紫煙を吐いた。「そんなに嫌なら、直に言やいいじゃないすか、隊長に」
 事もなげに「ねっ」と提案。エレーンは、ぐぐぐ、と返答に詰まった。
「そっ、そっ、そーゆー話じゃないのよねえっ!」
 とにかくクリスが気に食わないのだ。
 ファレスの所にワタリが来ていた。このところ頻繁だ。ファレスはその都度、人目を憚るようにして樹海に籠る。「何をしているのだ」と訊いてもみたが、野良猫のヤツは訊いた途端に、ぷい、とそっぽを向くだけで、くすぐり攻撃にも口を割らない。あんまり二人きりになりたがるから、すわ怪しい関係か!? と一時勘繰りもしたけれど、内緒で覗きに行ったらば、一方的にワタリが話し、ファレスは眉をひそめて、それを聞いていただけだった。丁々発止やり合っている時の普段のガサツさとは程遠い、恐いほどに真面目な顔で。まるで別人のような顔つきだった。だから、ワタリが来た時は、なるべく傍には寄らないようにしている。
 一緒に昼食をとったウォードは、少し離れた木の陰で、ぼんやり空を仰いでいた。憑き物でも落ちたように素の顔だ。いつもの微笑みは頬にない。例のひどい成長痛はあの朝を境にピタリと止んだ。以来、ああしてぼんやりしている事が多くなった。暴力をふるわないという約束を、ウォードは律儀に守っていた。皆が携帯している護身刀でさえ、捨ててしまって持とうとしない。「必要ないしー」というのが、その素気ない言い分だった。あの明け方の事件の後に一人ゲルを出たバパは、その足で隣に向かったらしい。そして、待機していたケネルとファレスに告げたのだ。ウォードの身柄を引き取ると。息子として保護する、と。
「ねえ、ちょっと付き合ってえ」
 甘ったれた甲高い声に、物思いが遮られた。いつの間にか誰かが日差しを遮っている。嫌な予感に苛まれ、そろり、とそちらを振り仰げば、膝に手を置き背を屈め、小首を傾げてニコニコしている。エレーンは( うげ…… )と引きつった。クリスだ。
 セレスタンがふと、それを見やった。「どこ行くの」と普通に訊き、クリスは「んもう、デリカシーないわね男って!」と呆れたように樹海を指差す。つまり、用足しに付き合えと言っているのだ。エレーンは引きつり笑いで手を振った。
「あ、いいっ! あたしはいいっ! まだそういう気分じゃないしっ!──あ、後で行くから、お先にどうぞ。あ、誘ってくれてありがとねっ!」
 しどもど断る。断固として。
「いいじゃない。後でも今でも変わんないわよ」
 クリスはにこにこ、実に愛想良く笑っている。ひょい、とセレスタンを振り向いた。「独り占めするなんてずるいずるい。あたしだってお姉さんとお喋りしたいし、見て欲しいものもちょっとあるしー」
「──あ、──やっ、で、でも〜っ!」
 エレーンは引きつり笑いで後ずさる。行きたくない。絶対に。
 さっ、行きましょ、と手近な腕をむんずと取って、クリスがせっつくように引っ張り上げる。エレーンはじたばた抵抗した。あんなに突っかかってきたくせに、手の平返したような懐きよう。いったい、どーゆー魂胆なのだ? 笑顔の裏で密かに攻防を続けていると、禿頭の首を傾けて、セレスタンがしみじみ言った。「へえ、仲いいんすね」
「え゛!?」
 驚愕の眼(まなこ)で、エレーンは振り向く。どこを見ているのだ、このハゲは!? 
 人気者っすね〜姫さんは、とセレスタンは呑気なことこの上ない。にこにこ無邪気な笑顔のその実、結構な力で踏ん張って駄々をこねまくっているクリスを見やった。「まあ、お前が一緒なら大丈夫か」
 セレスタンが軽く手を振った。遠くで数人が立ち上がり、すぐさま風道に入って行く。休憩中ののどかな空気を切り裂いて鋭い音が響き渡った。 ぽかん、とそれを見ていると、セレスタンが振り向いた。近頃愛用ブツ埋め立て用赤シャベルを、ほい、と鼻先に突き出して、さ、行ってらっしゃい、とにっこり手を振る。エレーンは、むぅ……と口の先を尖らせた。最後の砦にまで見放されては抵抗も叶わじ……。
 やむなく渋々立ち上がる。クリスとはマジで険悪なのだが、にこにこ手を振る呑気なハゲに頓着する様子は微塵もない。「女の子は女の子どうし」と十派一絡げにグループ分けされたらしい。( もーあんた達ってなんでそんなに鈍感なのよ〜 )と心中ぶちぶち呪いつつ、長いスカートの裾を払う。
「──ああ、姫さん」
 足を踏み出そうとした途端、セレスタンが呼び止めた。見れば、今しがたと変わらぬ姿勢で草原の先を眺めている。( もーなんの用なのよ〜 )と破れかぶれで見返すと、禿頭の横顔が、ふぅー、と長く紫煙を吐いた。「こないだの " ヴォルガ " ん時の話すけど」
 だしぬけな話題転換に面食らい、記憶の底をあたふた探る。「──あ、ああ、うん。あのアドん時の」
「あんた、やってる最中飛び出してきたでしょ。ああいうのはご法度ですから。二度目はない、、、、、、と思って下さい」
「……え?」
 思わぬ厳しい口調だった。戸惑ってしまい、返事ができずにまごついていると、セレスタンは草原を眺めたままで、ぽい、と吸殻を投げ捨てた。
「俺の話はそれだけです」
 
 草原を肩越しに盗み見しつつ、エレーンはどぎまぎ歩いていた。まさか思いもしなかった。あの、、セレスタンから注意を受けようとは。
 セレスタンは変わらぬ姿勢で木陰にのんびり寄りかかりながら、草原を眺めて喫煙していた。皆、似たような身形だから、一たび傍を離れれば、埋もれてしまって注視しないと見分けられなくなりそうだ。言葉使いは丁寧なのに、有無を言わさぬ威圧感があった。ウォードをかばったあの朝に、短髪の首長との間に割って入ってくれたあの時と同じ、毅然とした物言いだった。普段はのらくらしているし、さりげなくペースを合わせてくれるし、ともすればナメがちになるくらいなのに。
 ケネルにもファレスにもああいう叱られ方はしなかった。その後バタバタした事情もあったが、無罪放免も同然だった。なのに、そうした免罪符とは関係なく、きっちり釘をさしてくる。状態が落ち着いた頃合を見計らい、ついでのように持ち出してくる。" ヴォルガ " の晩の一斉ブーイングを思い起せば彼とて怒っていたのかもしれないが、感情を無闇にぶつけるでもなく、余計な苦情を差し挟むでもなく、不興を態度で示すのではなく、きちんと言葉で教えてくれる。同じ轍を踏まぬよう必要最小限の言葉だけで。意図が明確に伝わるように。
 惚けた顔はしていても、見るべきところはきちんと見ている。言うべきところはきっちり言う。部外者だからとナアナアにはせず確実に線を引いてくる。
( あ、あなどれん…… )
 嫌な冷や汗がたらたら伝った。惚けた顔のあの裏で何を考えていたのかと思い起せば、今更ながら空恐ろしい。町の御しやすい男どもとは何かが決定的に違っていた。ぶっちゃけ、ちょっとやり難い。セレスタンは優しいから、とぬくぬく安心してたのに……。
 いささかへこんで見返せば、クリスは先に立って歩いていた。静かな人けない風道をどんどん奥へ踏み込んでいく。エレーンはげんなり首を振った。
( ……調子のいいヤツ )
 人目がなくなった途端にこれだ。皆が見ている所では「お姉さん」なんて親しげに呼んで、腕とか組んでくるくせに。こっちの方の陰険さは、町の女の子達とそう大きくは変わらない。女相手はいつでも手強い。逞しい後ろ姿を ( ガキでも女は女よね〜 )と微妙な感嘆混じりに見ていると、クリスが肩越しに振り向いた。
「 《 ロム 》 の" ヴォルガ " を邪魔したですって? よくまあ無事で戻れたわね」
「ま、まあね……」
 エレーンは、おほほ……と引きつり笑った。あんまり無事ではないのだが──。なにせ見物していた一同総出で寄ってたかってなじられた。最終的にはケネルに摘み出されたが、罵倒で会場が騒然として、どうなる事かと危ぶんだ。そんな失態、こいつには意地でも言いたくないが。
「──まあね、って、呑気ね」
 クリスが呆れたように嘆息した。「邪魔をしたのが男なら袋叩きに遭ってるとこよ。運が悪けりゃ、あの世行き。女なら、とっくに輪姦まわされてるわ」
「ま、まわ──っ!?」
 ぎょっ、とクリスを見返した。いったいどこでそんな言葉を覚えてくるのだ。てか意味分かって言ってんのか小娘! てか、なんで、そんなとんでもなく過激なことを平気で言ってのけるのだ!? 内心大いに狼狽しつつも年上の威厳を辛うじて保つ。
「そっ、そっ、そんなこと言うもんじゃありませんんっ! 女の子でしょ!」
 クリスは肩越しに肩をすくめただけだった。呆れたような細い背中。まるで相手にされてない。
 ──話を逸らしたい。今すぐに。
 エレーンはそわそわ見回した。クリスの左手で何かが光る。
「あっ、あら〜っ! 綺麗な指輪ね〜」
 よおし、これだ! 誘導せよ! 
 早速食いつき、ぱっと笑顔を振り上げた。「ねーねー、あんた、そんな指輪してたっけー?」
 クリスが慌てて手を押さえた。過剰で意外な反応だ。( なによー、どしたのよー )と見返すと、おどおど肩越しに睨みつけてくる。「な、なによっ! 悪い? 盗んだんじゃないわよ、ちゃんとお金出して買ったのよっ!」
 エレーンは「はあ?」と眉を八の字にして首を傾げた。
「……あのねー、あんたねー」
 げんなり嘆息して片手を振る。「誰も盗ったなんて言ってないでしょー。シャレたのしてたから訊いてみただけじゃない。だいたい、年代物っぽく見えるけど、どうせメッキのバッタもんでしょー?」
「そんなんじゃないわ! 本物よ!」
 クリスが青筋立てて食ってかかる。ムキになる様子がおかしくて、エレーンはぴらぴら手を振った。
「またまたまたあ! 無理なんかしなくていいわよ。あたしだって、いっぱい持ってるもん。なんちゃってイミテーションて人気よねー。最近色んなの出ているしぃー」
「本物だったら本物よっ!」
 ギロリ、と憎々しげに睨みつけ、クリスが、ぷい、とそっぽを向いた。膨れっ面でずんずん手を振り進んでいく。気に障ったようだ。エレーンも ( あーらそお、悪ぅござんしたね〜 ) とぶちぶち口を尖らせて、後に続いてツケツケ歩く。
( なあによ、ツンケンしちゃってさあ〜。せっかく褒めてあげようと思ったのにぃ〜 )
 でも、言っちゃ悪いがチグハグだ。一昔前に流行ったような裾を引きずりそうな乙女チックな服といい、由緒ありげな指輪といい──。手持ちの品を手当たり次第に身に着けてきました、そんな感じアリアリだ。本人は気張っているけれど、そうした努力が空回りしている。だいたい、カジュアルな綿のワンピースに、どこぞの金持ちマダムがするようなシックでゴツい指輪は合わない。百歩譲って本物だとして、そうしたアクセサリーはドレスで正装するような然るべき装いの時に身につけるものだ。それに持ち主の風格が問われるから年齢的にもおかしいし。クリスだって普段なら、羊飼いが着るようなこういう可愛い民族衣装を着るのだろうに。いや、そもそも、こんな勝気な小娘がなんで大人しく羊飼いなどをしているのだ。街で興行でもしててくれれば、ケネルに付きまとうことだってなかったのに。 ( ああ、メンドい…… ) と溜息しつつ、エレーンは暇潰しに問いかけた。
「ねえ、なんで羊飼いとかやってんのー? 踊り子とかのが華やかじゃん。てか、あっちのがよくない? 衣装綺麗だし、チヤホヤされるし、町とかで買い物し放題だし」
 思いつく限り適当に、ほいほい利点を挙げてみる。
「売春婦になれっての」
「ば、売春?」
 とっさに復唱、訊き返した。それらが全く結び付かずに、呆気に取られて、ぽかんと見る。細い背中が呆れたように嘆息した。「あのねえ、あんなに念入りに化粧して、下着同然の格好でヒラヒラ踊るのは何の為だと思ってんの」
「な、何の為って──」
 クリスが肩越しに一瞥した。「男の気を引く為よ」
「……ま、まさか〜、そんな〜」
 たらり、と冷や汗をかきながら、エレーンはどぎまぎ返答に窮する。ものすご―く偏った見方ではないか? だって会場には女もいるぞ? デート中のカップルだとか家族連れとかも平気でいるぞ?
 白けきった空気が立ち込めていた。引きつり笑顔であたふた繕う。「あ、でもさ、お客さんて男の人ばっかってわけでもないんでしょー。やー、なんか勘違いしてんじゃないのかなあ。あれってもっと健全な──」
「あんた馬鹿? 同じショーを見ていても、男と女じゃ見ているところが違うってことよ」
 クリスは鬱陶しげに眉をひそめて、肩にかかる髪を苛々と払った。「あの人達はショーで際どく体を見せて、客の男を誘惑すんのよ。舞台が引けると、客の方から声をかけてくるわ。つまりショーは本業と客引きの一石二鳥よ。薄暗い路地裏で警邏に隠れて客を引くより、その方がよっぽど効率いいしね」
「……" 効率いい " って……あんた、ね……」
 あまりの言い草に絶句した。ふと疑問が口から零れる。「──なんで、そんなに詳しいの?」
 予期せずクリスが返答に詰まった。僅かにためらい、だが、振り向きもせずに憮然と応えた。「──前にちょっと居たことがあんのよ。でも、そんなの別にどうってことないじゃない。あそこじゃ誰でもやってる事よ」
 樹海が大分深まった。生い茂る緑、黒い巨木、垂れ下がる蔦、高い木立をキョロキョロ見回し、クリスは首を捻っている。ここは風道の一本道で道に迷う筈もないから、何かを探しているらしい。可愛いペットでも見せびらかしてくれちゃう気だろうか。
「……ねー、どこまで行くのよ」
 いささかうんざりして訊いてやると、はっと俄かに我に返り、慌てて「こっちよ」と顎をしゃくる。そして、長い髪を憮然と払って、更に先へと踏み込んでいく。歩き続けるのにいささか飽きて、エレーンは手持ちの赤シャベルをぶんぶん投げやりに振り回す。「ねー、どーしたのよー? 一緒に探してあげようかー?」
「う、うるさいわね! 余計なお世話よっ!」
 クリスは、ぷい、とそっぽを向いた。だが、そう言う傍からその顔は ( 変ねえ? 確かこの辺り…… ) と焦りと戸惑いを見事に露呈してしまっている。どうやら当てが外れたらしく、しきりに首を傾げては一人でぶつぶつ言っている。
 赤いシャベルをぶら下げて、エレーンは不貞腐って歩いていた。帰りたいのは山々なのだが、一人で勝手に帰ったりすれば、皆が見ているその前でなんと言って謗られるやら分からない。調子のいいこいつのことだから、泣き真似くらいは平気する。賭けてもいい。なので、素直について歩くしか手はないのだ。澄んだ空気を深呼吸する。溜息で深い木立を見回した。草原の喧騒を遠く離れて、広大な樹海はひっそり静かだ。
 ガサ──と藪が音を立てた。クリスが ( ──あ! ) とあからさまに嬉々として振り返る。エレーンもやれやれと振り向いた。やっと何やらお出ましのようだ。藪があちらこちらで鳴っている。いや、向かいの一方だけじゃない、背後もガサガサしているような──? 
 クリスは胸で手を握り、眉をひそめて戸惑ったように見回している。どうにもチグハグな反応だ。訝しく思い、声をかけようと踏み出したのと、野草が一斉に鳴ったのは同時だった。
 何かが藪から飛び出してきた。険しい面持ちの四人の男。木立の間にちらばって包囲を狭めるように歩いてくる。鋭い眼光、無精髭、嫌な薄笑いを浮かべた口元、皆、薄汚れた皮ジャン姿だ。身形はケネルらと似ているが、旅程を同じくする同行者達ではない。いや、この手の輩には見覚えがある。そう、見るからに荒んだこの風体、手に手に鋭い抜き身の刃──。
( ──物盗りだ! )
 ギョッとエレーンは居竦んだ。
 
 
 
 
 

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