■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 9話10
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「瀕死? そんな訳があるかよ」
未点火の煙草を口に咥えて、ファレスは舌打ちして嘆息した。「そいつはどんな冗談だ」
後ろ手を突いた防水シートに、緑梢を漏れ落ちた木漏れ日が揺れる。穏やかな正午の草原が平坦に青々と広がっていた。茶色の馬があちらこちらで、のんびり草を食んでいる。隣には、シートにドサリと腰を下ろし、脚を投げ出したケネルの姿。
「あれが斬られて負傷したあの晩の騒動を覚えているか。現場に駆けつけた時には出血多量で、一目見て駄目だと分かった」
「勘違いだろ、お前の」
食後の一服に点火して、ファレスは煙たそうに目を眇めた。「貴族なんか殺っちまったらコトだからよ、さすがにヤバイと思って俺も様子は見に行ったが、ピンピンしていやがったぞ。現に翌日、ピーチク街道に遊びに来たじゃねえかよ」
のんびり草を食む馬達を眺めて、ケネルも自分の懐を探る。「俺の血を注いだ。どうせ死ぬなら一か八かで」
「それがなんだ。多少輸血をしたところで、どうにかなるようなもんでもねえだろ」
ケネルは立て膝の上に腕を置き、青い草原を静かに眺めた。
「あった筈の傷がない。殴られても蹴られても少し経つとケロっとして、傷口は消え、腫れは引く。損傷の修復が如何にも早い。俺達以上にだ」
「──おい、それってまさか」
「しかも、日を追う毎に、その度合いは顕著になる」
ファレスが絶句して眉をひそめた。ぶっきらぼうにケネルは続ける。「あれの場合はそれだけじゃない。何か別の力が作用している」
「別の力?」
休憩のざわめきが不意に満ちた。シートについた指の先から紫煙がゆっくり立ち昇る。ケネルが思い切ったように口を開いた。「バパが妙なことを言っていた。ウォードが言うには、あの晩アドルファスに斬られた直後、あれの体が光った、と」
「──何言っていやがる。大方、妙な夢でも見たんだろ。ヤツは元々変だからな」
「俺も見た。そもそも俺が、あのだだっ広い邸内で、数ある似たような扉の内から現場の客間を引き当てたのは、あの強い " 気 " があったればこそだ。今にして思えば、それが恐らく発光した瞬間だろう。──現場に駆け込むと、妾がおろおろ泣いていて、その前の床であれが血塗れで倒れていて、背中で光が揺らいでいた。その淡い光が一際強く明滅した途端、溢れるようだった出血は止まり、消え入りそうな呼吸が戻った。萌黄の光だ」
「緑──」
端的に復唱し、ファレスは考え込むように眉をひそめる。
「覚えがあるようだな」
目の端でそれを見て、ケネルは苦笑いした。「やはり、お前にも見えていたか。たまに妙な顔をするから、そうじゃないかと思っていたが。もっとも、他の者にはまるで見えないようだがな」
樹海の端には、セレスタンと語らう彼女の姿。今は、街の者とは似ても似つかぬ特徴的な羊飼いの成りをしている。屈託のないその笑顔を、ケネルは後ろ手をついて眺めやった。「何かがあれを守っている。事ある毎に萌黄の光が現れて、あれの体を修復している。就寝時、衰弱時、人形の糸が切れるように瀕死の状態に戻った時。本人に自覚はないようだが」
「──それ、バレたらまずいだろ」
ふと、ファレスが見返した。
「妙な光の話はともかく、輸血を境に変になったってんなら、原因は一目瞭然だ。お前の血からこっちの特異体質が辿られでもしたら」
ケネルは淡々と紫煙を吐いた。「治療に当たったのは医師一人だ。そいつさえ始末すれば、表には出ない筈だった」
「"だった"?」
「出奔した。傷の経過を見てすぐに。周囲を念入りに捜したが、以後の足取りは掴めない」
「どうすんだ! そいつ絶対、言い触らして回るぞ」
瞠目して言い募り、ファレスは苦々しげに声を落とす。「そうなりゃ、いい見世物だ。稀少なサンプルを入手すべく医者どもはこぞって追い回し、世間はアレを吊るし上げる。あんな退屈な片田舎じゃ、面白おかしく吹聴されてあっという間に風評の渦中だ。しかも対象は領家の奥方、格好の餌食だろ」
「だから、」
ケネルがチラとファレスを見た。「とりあえず、姿をくらますしか手はないだろ」
「……お前、それで」
唖然とファレスは口を開けた。「それで急いで逃げたのか……確かに、実証できなきゃ、そいつはいい笑い者だが。いや、領家を相手にそんな真似をすれば、悪くすりゃ不敬罪でぶち込まれるか。だが、」
一転、憮然と煙草を咥える。「逃げてどうなる。所詮は時間の問題だろ。俺達に治せる訳じゃなし」
「確かに、俺達の手には余るな」
ファレスが鋭く一瞥した。
「連れて行くか、" 西 " に」
眉をひそめて憮然と続ける。「こうなったら隠しちまうしか手はねえだろ。嫌がるだろうが仕方ねえ。アレの面倒は俺がみる」
「つまり、お前が囲うということか」
「春をひさいで生きるより、軟禁される方が幾分マシだろ」
「一生そうして暮らすのか? 自由に故郷にも戻れずに?」
「晒し者になるよりマシだろう」
ケネルは空に紫煙を吐いた。「心当たりなら、ないでもない」
「──闇医師シュウ、か」
とっさに口をついた件の名前に、ファレスは虚を突かれたように面食らった。だが、すぐに合点した顔になり、事情を咀嚼するかのように、しばらくの間、押し黙る。
緩やかな風が草原をさらった。ケネルは空を眺めている。
「──気合、入れてかからねえとな」
ファレスはげんなり眉をひそめた。「にしても、あの守銭奴の所とは。随分あれを気にかけるじゃねえかよ」
「どっちがだ」
ファレスは面食らってケネルを見た。「……なんだよ、ばかに突っかかるな。何をそんなに苛ついてんだ」
「別に」
ケネルはにべなく紫煙を吐く。ファレスはそれを怪訝そうに眺め、嘆息して頭を掻いた。「で、なんで今更そんな話を」
「お前には、言っておいた方がいいかと思ってな。突然アレに目の前で死なれて、オタついたりしないように」
「──する訳ねえだろ、なんで俺が」
一瞬頬を強張らせ、ファレスは苦々しげに吐き捨てる。ケネルは素気なく追い討ちをかけた。
「動かなかったんじゃなくて、動けなかったんだろう?」
ファレスが射るような視線で振り向いた。「どういう意味だ」
「別に」
ケネルは晴れ渡った空を眺めて、独り言のように呟いた。「……本当は、一日でも早い方がいいんだがな。しかし、無理をさせて死なせちまっちゃ元も子もないし」
ファレスは忌々しげに目を逸らし、休憩にざわめく木陰を眺めた。件の首長の一団を見つけ、苛立ち紛れに舌打ちする。「たく。アドのおっさんも余計なことを。あんな奇行なんかするヤツじゃねえのに、なんだって、よりにもよって、あんなもんを斬っちまったんだか」
「そうだ。そこからして不可解だ」
ケネルは流れ行く雲に目を眇めた。
「全てはあの奇行から始まった」
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