CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 11話2
( 前頁 / TOP / 次頁 )


 
 
 隊の駐留する野営地は、黒梢の闇に閉ざされていた。林の暗がりのテント郡は夏虫の声に包まれている。首長の大テントのシートを払い、ザイが無造作に踏み込んできた。仄暗い入口で身を屈め、靴の紐を解いている。広げた寝袋に寝そべって雑誌を眺めていたバパは、弁当の残骸を壁に寄せ、ザイの為に座る場所を空けてやった。ザイは無造作に入ってくる。
「例の区域に踏み込んで、方角がまるで分からなくなっちまいまして。しかも、ひでえ濃霧でね。で、その時に、気になる顔を見たんですが」
 本日の報告に来たのである。散らかした雑誌を隅に退けつつ、咥え煙草でバパは応じる。「──へえ、誰だって」
「向こうの"コレ"、戻ってますよ」
 ザイは一礼してあぐらで座り、自分の頬を指で引いた。バパは向かいに腰を下して、目を上げる。「バリーか。で、早速やり合ったのか、向こうさんと」
 青あざのある右頬を持ち上げ、ザイは苛立たしげに舌打ちした。「──いえ、こいつは別口で」
「──ふーん」
 腕を伸ばして灰皿を引き寄せ、バパは煙草の灰を指先で落とした。「つまり舞い戻ってきたのかよ。どうなってんだ、わざわざよ。お遊びにしちゃ度が過ぎるだろ」
 上着の懐を片手で探り、ザイも紙箱を揺すって一本咥える。
「ありゃ本気スね。狙われてますよ、あの客人。それと、なんか別のもうろついてます。そっちは多分、女スね」
「"多分"?」
「遠目で確認しただけなんで。張り番放っぽって狩り出す訳にもいきませんしね。まったく小賢しい女狐スよ。こっちとの距離をきっちり見切って、絶対尻尾を掴ませねえ」
「で、そのことケネルには」
「いえ、まだ。隊長は向こうですし、俺を見ると怖がるもんで」
「ま、俺達を見て怖がるなんざシャンバール向こうじゃ別段珍しくもねえが、そいつが人懐こい子猫ちゃんだってんなら話は別だな」
 省略語をそつなく特定、バパは探る目つきで乗り出した。「何か問題があるんじゃないのか、お前の態度の方にもよ」
「どういう意味です」
 未点火の煙草を咥えたままで、ザイは鋭く一瞥する。バパはやれやれと嘆息した。「やっぱりそうかよ。何をカリカリしてんだか。まったく大した人気だな、あの"くるくる頭"のご領主様はよ」
 からかうように片眉吊り上げ、ザイを見る。「あれがそんなに魅力的な奴とはねえ」
「いや、変な奴スよ。少なくとも、領主らしくはないっスね」
 火を点けるべく顔を傾け、ザイは素気ない口調で言う。マッチを振り消し、灰皿に投げ捨て、点火した煙草の持ち手を緩いあぐらの膝に置いた。
「──俺達との共存を考えている、馬鹿馬鹿しいほど本気でね。かつての領主にあんなのはいない」
 バパは苦笑いで口笛を吹いた。「共存ね。若いねえ。どうせペシャンコになるのによ。実際二十歳そこそこの若造か。青いってのか、世間知らずってのか」
「俺は嫌いじゃない」
 ぶっきらぼうにザイは遮る。「あいつは命さえ張る覚悟だ」
 だからこそ、伸るか反るかトラビアにまで突っ込んだんでしょう、と眉をひそめて紫煙を吐いた。
「……ありゃあ"芽"ですよ。貴重な萌芽だ。俺達が日の目を見られるかどうかの。育つかどうかは分からねえが」
「言っておくが、土壌も旗色も最悪だぜ」
 大儀そうに言い捨てて、バパは体を捻って、脇から黒瓶を取り上げた。グラスを二つ片手で取って、それらに酒を注いでいく。目の端だけで試すように一瞥した。「生還すると思うかよ」
 ザイは一服、紫煙を吐いた。「五分五分ってとこスかね。向こうの班長さんが出張ってますし」
「カーシュが?」
 手を止め、バパが見返した。瓶を置き、考えを巡らせるように顎を撫でる。「……へえ。"居残った " ってのは商都の話じゃなかったのか」
「向こうさんは、すぐに戻ると踏んでんでしょ。実際あの人なら、牢を破るくらいはちょろいでしょうし。となりゃ、ついでに雇い主も連れ戻して来ますよ。報酬の件もありますし」
「しかし、あいつも難儀だな。要人の破獄を一人で、かよ」
「一人じゃありませんよ、四人です」
「四人?」
 怪訝そうな視線に、ザイは長く紫煙を吐いた。
「行程の途中で、取り巻き連中が消えていた。アンガ、バサラ、ミルバ──北カレリアに引き上げて以降も、あの三人を見ていねえ。つまり、未だ向こうに居残っている。なら、あの人の指示で動くでしょう。もっとも、街中に入るのに、あそこの抜け道は使えねえが」
「なんで」
「見事に潰れちまってるんで。発破の跡がありましたから人為的スね、ありゃ」
「──よりにもよって、こんな時にかよ」
 バパは呆れたように向かいを見た。「だったら、どうやって街から出るんだ。国境封鎖でシャンバールには出られねえし、今回ばかりはラトキエ側も本気っぽいぞ」
「なんとかするでしょ班長さんなら。門番殺るなり何なりして。それに国軍ったって、相手は素人同然スよ。なら、トラビア平原にさえ出ちまえば、どこへなりとも潜り込める」
「──さあて、そいつはどうだかなあ」
 バパは黒瓶を取り上げる。ザイが怪訝そうに見返した。「あの人だったら朝飯前スよ」
「だって、目的果たしてねえんだろ」
 物問いたげに眉をひそめるザイに、チラと面白げに目を上げた。
「だから、侵攻した目的だよ。カーシュの腕前はともかくとしても、あの領主はどうも一癖ありそうだからな。ほんの数日の行程で向こうの連中は取り込んじまうわ、大事な部下は誑かしちまうわ──で、そいつが " やる " って言ってんだろ。だったら、どうあってもやるんじゃねえのか。ああそうそう、領主っていや、ヤツの女房──」
 ふと思い出したというように手を止め、辺りを憚るように声を潜める。「なんかあの後、瀕死に陥ったらしいぞ。すぶ濡れで戻った直後によ」
 ギクリとザイがたじろいだ。唖然と向かいを見返して、気を取り直すように首を振る。「──まさか。そんな筈はねえ」
「お前、その顔はどうした」
 バパはじっと見つめて顎をしゃくった。ザイはとっさに詰まって目を逸らす。「──あんな狂犬が近くにいるってのに無神経に騒ぐもんだから──いえ、軽く叩いただけっスよ」
 むしろ、こっちの被害のが甚大スよ、と青あざになった頬をさする。
「お前がやったなんて、俺は一言も言っちゃいねえぞ」
 はっ、とザイが顔を上げた。絶句で向かいの顔を見る。
「……鎌、かけたんスか」
 額に手を当て脱力した。バパは笑ってグラスを渡した。「ま、何度かクシャミはしてたから、風邪くらいはひいてんじゃねえか」
「頭(かしら)。からかうのはナシで。趣味悪りィっスよ」
 それを受け取り、ザイは薄茶の髪をぐしゃぐしゃと掻く。自分のグラスを取りながら、バパはおもむろに見返した。「女を手荒く扱うなと常々言ってあるだろう。あれは可愛い顔で笑ってこそナンボだ。苛めて泣かしてどうすんだ」
 灰皿に腕を伸ばして灰を落とし、「にしては妙だな。あの子はそんなこと言ってなかったけどな……」と独りごちて首を傾げる。
「にしたって、もうちっと気ィ入れて見張れねえもんかな。あの子にことごとく撒かれちまってるじゃねえかよ」
「生憎と、女の用足し覗き見するような変態趣味は俺にはねえんで」
 バパはやれやれと嘆息する。やる気がないのは明らかだ。
「嫌々張り付けると、これだからな、お前らは。その斑気、なんとかしてくんねえか。にしたって、相手は堅気じゃねえかよ、情けねえ。いくら近くに寄れねえからってよ。──お、そうだ。そういや《 バード 》上がりがいたっけな」
 ふと思いついたように乗り出した。「あいつ、何か使えねえかな。ほら、なんつったっけな、あいつの名前。お前の方のトラビア組に付けたろう、様子見でよ」
 ザイは「──ああ、ミックすよ」と紫煙を吐く。狼の声音を真似て敵の馬を恐慌に陥れた件の"獣使い"だ。
「で、奴さん、どんな具合だ。使えそうか」
「度胸はそこそこ、特技うりの方も、まあ、そこそこってとこスかね。カノ山を越えた辺りでディールの哨戒と当たった時に、ヤツにやらせてみたんですが」
「へえ、ものは?」
「馬、使ってましたね、あの時は。けっこう芸達者スよ、あいつ。《 バード 》の連中ってのは妙な芸事に秀でているが、実際目の当たりにすると大した手並みだ。さすが、ガキの頃から獣で遊んでいるだけのことはありますね」
「にしても、ものが馬じゃあな。あの子に張り付けるにゃ、ちょっとデカいな。もっと手頃な駒はねえのかよ。鳥とか蛇とか鼠とか、あんまり目立たねえ小型のヤツが」
「さあ。どうスかね……」
 ザイは素気なく「そこまでは知りませんね」と受け流す。バパは呆れ果てた顔でつくづく見やった。「──本当にやる気がねえな、お前はよ。ヤツの技量は見てきたんだろ」
 ザイは横を向いて、かったるそうに紫煙を吐いた。「確かにトラビアでは下でしたが、元々あれはウチのじゃねえんで。衛生班スよ、カルロんとこです」
「……わかったよ、そっちに訊く」
「なら、ウチはこれで放免てことで」
「何言ってんだ。交代もなしに一人で見張りができるかよ。飯や睡眠はどうすんだ」
「カルロんとこに丸ごと持ってきゃいいでしょう、これを期に」
「それとこれとは話が別だ」
「──勘弁して下さいよ。よそ様の部下はやり難いんスよ。カルロだって良くは思わねえでしょうし」
「いいじゃねえかよ、ちょっと借りるくらい。ヤツだって気にしねえさ。こっちに来てから日が浅いから、ミックだって、どこにいようが一緒だろうしよ」
 グラスに口をつけながら、ザイは大きく嘆息した。「なんで、あんなもの、かどわかしてきたんで?」
「人聞き悪いな。あれは客だぜ。そんなんじゃねえよ。にしても、お前が毛嫌いするとは相当なものだな。何がそんなに気にくわねえんだか」
「──そりゃそうでしょう」
 もどかしげに舌打ちし、ザイは横を向いて紫煙を吐いた。「あのくるくる頭はマジで芯から惚れてんスよ。傍で見ていて呆れちまうほど。なのに女の方はあのザマで、雛の刷り込み宜しく別の男にくっ付いて歩いてる始末スからね。ま、あの様子じゃ、隊長の方も満更でもないみたいスけど。つか頭(かしら)もね」
「見ていて飽きねえからな。まあ、お前もそんなこと言わずに宜しく頼むわ」
「──知りませんよ、あんなじゃじゃ馬」
 無造作に立てた膝の上に、グラスを持った腕を置き、ザイは不貞腐って目を逸らす。「俺はもう、あんなののお守りはご免スよ。別の奴を充てて下さい」
「却下だな」
 部下の希望を一蹴し、あぐらのままで、バパは乗り出す。「──なあ、予測不能なあの動きを追っかけられるなんざ、お前の足くらいっきゃねえんだからよ。お前んとこで面倒見てやってくれよ。たく、ガキでもあるまいし腐るなよ。たかが面を踏ん付けられたくらいで」
 ザイが憮然と振り向いた。「──踏まれた訳じゃ!」
「靴底の跡、付いてるぜ」
 ここんとこに、とバパは自分の頬をさす。ぐっと詰まったザイを見て「……図星かよ」と呆れた顔で紫煙を吐いた。ザイは唇を尖らせて横を向く。「──蹴られたんスよ、踏まれたんじゃねえ」
 空になった自分のグラスに、バパは瓶を傾ける。
「あれは稀に見る賓客だぜ。私情を挟むな」
「分かってますよ。クレスト公爵夫人でしょ」
「──いいや、まるで分かっちゃいねえな」
 自分のグラスを横に置き、片肘の横臥で寝転んだ。「まだまだ修行が足りねえな。女の芝居にコロッと騙されちまいやがってよ〜」
「俺が、なんだってんです」
 緩いあぐらで脚を投げたザイは、憮然として言い返す。バパは一服吐き出して、チラ、と思わせ振りにザイを見た。「あの子、夜中に泣いてたぜ。北カレリアの寝床でよ」
「──頭(かしら)見に行ったんスか」
 ザイが呆気にとられて見返した。バパは「おうよ」と笑ってウインクする。膝の紫煙を燻らせて、ザイはしみじみ見ていたが、
「他にする事ないんスか」
「……つけつけ言うねえ。まったく、お前は」
 可愛げねえな、と小さくごち、バパはやれやれと嘆息した。「──まあな。万一あの子に死なれでもした日にゃ、カレリアとの関係が一変しかねねえからな」
 ザイは記憶を軽くさらって「──ああ、そういや」と呟いた。「屋敷で賊に斬られたとかなんとか。だが、取り越し苦労でしたね。軽傷で済んだって話ですし」
「……まあ、そりゃそうなんだけどよ」
 それについては肩をすくめてやり過し、バパはあてつけがましく横目で見た。「泣いてんだよな〜夜中に一人で。いなくなった領主を想ってよ〜。女のああいう姿ってのは出来れば見たくはねえもんだよな〜。まったくもう、痛々しいったらないぜ」
 ザイは苦々しげに目を逸らす。「自業自得ってもんでしょう。どれもこれも、てめえで撒いた種じゃないスか。周りは振り回されていい迷惑スよ」
「しかし、ま、ああ見えて奥方の自覚はあるんだろうな」
 ザイの愚痴はあっさり無視して、バパは天井に向けて紫煙を吐いた。「一晩中泣いているくせに、昼にはけろっとして出てくんだよ。まったく、とんだ意地っ張りだぜ。だが、そういうのも良し悪しだな。一人で取り繕って隠しちまうから、どれほどの痛みを抱えているのか、周囲の誰もが気づかない」
 ザイは辟易としたように顔をしかめた。「今度は一体、なんだってんです」
「あれは、お前が思ってるような性悪女じゃねえと思うぞ」
 グラスを取り上げ、ザイは苦々しげに縁を舐めた。「──何を今更。現に色目使ってんじゃないすか、隊長に」
「嵐の真っ暗な大海で、」
 ザイが怪訝そうに目を向けた。構う事なくバパは続ける。
「嵐の海で揉まれている時、近くに支えを見つけたら、誰でもしがみ付くだろう。あの子の場合は、そいつがケネルだ」
「なら、俺達はさしずめ船床ってとこスか。にしては、副長なんか大した囲い込みようですけどね。床が勝手に自立して風雨を避けてやりますか」
「奴さんのあれは、そんなんじゃねえよ。そうだな、敢えて括るなら、仲のいいお友達ってとこか」
「馬鹿馬鹿しい。女の"オトモダチ"なんざ、ありえねえでしょ。頭(かしら)ってたまに、ぬけぬけと奇麗事を言いますよね」
「……まあな。俺も自分で言ってて、背中がむず痒くなってきたよ」
「とうに懇(ねんご)ろになってんでしょ。まして放蕩三昧の副長じゃないスか」
 片肘で寝転がったまま、バパはグラスを苦笑いで弾いた。
「あれはてめえの女なんて生易しいもんじゃねえよ。ケネル言うところの"不遇だった昔の自分"、言わば、てめえの"分身"ってとこだな」
「……なんスかそれ。また頭(かしら)はおかしな事を。なんだって、そんな話を思いつくんだか」
「あの子が野営地で襲われたあの晩のことを覚えているか。お前がセレスタンを寄越した後に、向こうの狂犬どもと一悶着あってよ」
 ふと、グラスから顔を上げ、ザイが訝しげに見返した。「" ヴォルガ " の前辺りスか。あの後なんかありましたか」
「あったなんてもんじゃない」
 バパは寝転がったまま酒を舐めた。
「ファレスの野郎、向こうの部下どもを一人残らずぶちのめしやがった。お前はケネルん所に知らせに行ってて知らねえだろうが、そりゃあ、えらい騒ぎだったぜ。バリーなんか危うく耳までもってかれるところだ」
「──へえ、そいつは。穏やかじゃないスね」
「それだけじゃない。向こうの首長の言葉尻を捉えて、" ヴォルガ " でシメようとまでしやがった。そうなりゃ半殺しは確実だ。ケネルが割って入って、何とかその場は収めたけどよ」
「ああ、それで。──で、道中ご法度の " ヴォルガ " 開催の運びとなった訳スか。苦肉の策ってやつっスね。しかし、」
 あぐらの膝にグラスを置いて首を傾げる。「ここは曲がりなりにも開戦国スよ。直属ではないとはいえ、兵は大事な手足も同然。それを今、惜しげもなく潰しちまうってのは。高々女一人のことで」
「だから言ってんだろう、あの子はヤツの──」
「"分身"ってんでしょ。わかってますよ」
「……おいおい、俺の正確な喩えを受け流すなよ。そもそも、そっちのがよっぽど厄介じゃねえかよ」
 バパは短くなった煙草を揉み消し、床に放り出してあった紙箱を取る。新たな煙草に点火した。
「女の代えなら幾らでも利くが、てめえの代えは利かねえんだからな。ヤツはもう、望むと望まざるとに関わらず、てめえの中に分かち難く取り込んじまってる。てめえの一部にしちまってる。まったく、あれには驚いたぜ。あの用心深い野良猫が、あの子の横では平気で無警戒に眠るってんだからな。奴さんがああも開けっぴろげにしているのも、あの子と一緒の時だけだ。このところは少しだけ、付き合い易くはなってきたがな。それも、あの子がいればこそのオマケみたいなもんだろ。つまり──」
「つまり、客に対するチョッカイは、てめえに対する攻撃と同義、連中が喧嘩を売った相手は副長だったって話スか。だが、てめえの一部ってのには無理があるでしょう。女は所詮、女スよ」
 そつなく引き取り、ザイは眉をひそめて紫煙を吐く。肘枕で寝そべったまま、バパも天井に向けて紫煙を吐いた。「……そこなんだよな〜。奴さんも難儀なこったぜ」
「そもそも、女は信用しないでしょ、副長は」
「ま、あの子だけは別物だがな。ケネルにしか懐かなかった天涯孤独な野良猫が、やっと手に入れたてめえの居場所だ。だから誰も寄せ付けねえし、誰の手にも渡さねえ。だが、カレリア人てのはおっとりしているからな。豊かな国で平和にのほほんと暮らしているから、精神的に未熟で幼い。成りはいっぱしの女でも、中身はあの"ひよっ子羊飼い"と大差ない。ヤツの思惑なんざお構いなしに、ひょこひょこ歩いて行っちまう。ああも無防備で無警戒なら、誰でも簡単に引っ張り込めるぜ。そんな頼りない仔猫ちゃんに目の前うろちょろされてみろ。そりゃ、ピリピリ逆毛をおっ立てて相手構わず引っ掻いて回るのも道理ってもんだろうぜ。例の" ヴォルガ " の経緯もあるし、副長がそんな風だから、向こうのアーガトン達も総出で火消しに大童だが、いかんせん相手は大人数で、それに加えて誰にでも噛み付くあの狂犬どもとくる。抑えられるかどうかは怪しいな。てより、うちも全然他人事じゃねえだろ。うかうかしてると、ザイ、お前も爪で引っ掻かれるぜ」
 鋭くザイに目を向けた。「身の振り方には気をつけろ。お前が潰されちゃ目も当てられねえよ」
 ザイは不貞腐って「──心得てますよ」と顔を背ける。「にしたって、副長だけって話でもないでしょうに。若い女がいるってだけで、このところ、ちょっとだらしなさ過ぎやしませんか。まさか他の連中も、全部が全部、てめえの"分身"だとか言い出すんじゃないでしょうね」
「──当たり前だ。そんなんじゃねえよ」
 苦笑いで紫煙を吐いて、バパはグラスを取り上げ、酒を舐める。木立を吹き抜ける夜の風の音がした。忍び込んだ隙間風に、ランタンの炎がゆらりと揺れる。
「北に居残った連中が、あの子をかばうのは何故だと思う。若い女だからってのも、もちろんあるが、何もそれだけが理由じゃない」
 指先で紫煙を燻らせていたザイが、ふと目を上げ、窺った。「北で、何かありましたか」
「あったさ、色々とな」
 バパはにやりと笑って身を起こし、脚を引き寄せ、あぐらをかいた。「ディールの北への侵攻は、お前も聞いて知ってんだろ。その時に、あの子がよ──」
 ザイはあぐらの膝に煙草の手を置き、胡散臭げに目を眇めている。しばし口を挟まずに、バパの話を黙って聞いた。指令棟で単身演説をぶった話、約束通り自ら前線に出向いた話、《 バード 》と市民の仲裁に奔走した話、身内の貴族を街中で向こうに回した話。面白そうに、バパは笑う。「無類のお人好しだね、ありゃ。何でもてめえで何とかしようとしやがる。他のお偉い貴族どもよろしく、とっとと逃げときゃいいものをよ。それを一人で引っ被って、結局最後まで踏ん張りやがった」
 ザイは煩わしげに眉をひそめた。「仕事中、そんなもんにウロチョロされたら、邪魔で邪魔でしょうがねえ」
「もちろん、ケネルだって摘み出したさ。だが、あの子も中々たくましくてなあ」
 当時の様を思い出すように、バパは天井を眺めて苦笑いを浮かべる。
「摘み出しても摘み出しても、むきになって戻ってきやがる。ケネルの仏頂面と張り合ってよ。そういや、あの頃から関所破りの常習犯だなあ。しかも、張り番泣かせでな。戻った途端に、ひょっこり道端にいたりすんだよ。戻りが早いの何のって。嘘だと思うなら訊いてみな。残留組なら大抵は、あの子と追いかけっこしたからよ」
 散々あちこち引っ掻かれながらもようやく屋敷に押し込んで、やれやれ、と持ち場に戻った途端、「元気〜?」と道端で手を振られ、ギョッと飛び上がった慌しい日々は、まだそう遠くはない。そして、武器をえっちら持ち出してはチョコマカ逃げ回るお邪魔虫を「──おい、こら、駄目だって!」と追いかけ回した悪戦苦闘のあの日々も。
「そりゃ楽しそうで結構スね」と白けた顔で軽く皮肉り、ザイは不貞腐って紫煙を吐く。「そいつはエラい。つまり堅気が前線から逃げ出さなかったって話スか」
「"前線から" ばかりじゃないさ」
 軽く往なして、バパは鋭く目を向けた。「あの子が逃げなかったのは、俺達から、、、、、だ」
 ザイが怪訝そうに文句を飲んだ。目を逸らし、苦々しげに煙草を咥える。「大方、金持ちの気紛れでしょう。たまに、そういう物好きがいる」
「気紛れなんかで盾突けるかよ、三百殺ってきたばかりの、、、、、、、、、、、副長に」
 今度こそ呆気にとられて見返した。二の句が継げない怯んだ顔に、バパはにんまり笑いかける。
「あの子は逃げなかったぜ、一歩もな」
 呆れた口調で付け加えた。「どころか、副長のツラまで張りやがった」
 床の灰皿に腕を伸ばして、ザイは憮然と煙草の先を擦り付ける。「──無事で済んだのは、相手が女だからでしょう」
「だからって手心加えるような野郎かよ」
 ファレスが若い女に冷淡な事は、隊では周知の事柄だ。口の端で煙草を噛んで、バパはにっと笑いかけた。
「しっかし見ものだったよな〜。てめえより格段に小さい女に、あのウェルギリウスが気圧されたってんだから。ああ、真っ向から噛み付いてたぜ、周りが引くような剣幕でな」
 ザイは嘆息して目を逸した。「噛み付く相手の判断がつかねえ。つまりは馬鹿って事じゃないっスか」
「ま、身も蓋もない言い方をすりゃ、そういう話になっちまうがな。だが、ま、それならそっちと同類だろ」
 もの問いたげにザイが振り向く。バパはグラスを持つ手で軽くさした。「だから、そっちの"馬鹿な"領主とよ」
 ザイが面食らって眉をひそめた。バパは酒を舐めつつ、面白そうに反応を眺める。
「カレリア人自体はさほど友好的とも思えねえのに、似たような奴ってのは引き合うのかね、領主といいあの子といい。現にあの子は、今、強力に引っ張られているからな。主にトラビアの方向に、、、、、、、、
 ザイは黙って紫煙を燻らせていたが、「──つまり、なんスか」と忌々しげに引き取った。「この行程、終点は商都でなくトラビアって話で?」
「つまりはそういう話だろうな」
「俺は、商都に買い物に行くって聞きましたけどね。そもそも、代理の方はどうすんです」
「あの人のことなら心配ないさ」
「──ええ。そりゃまあ、そうスけど」
「今頃はきっと大喜びで、どこぞで羽でも伸ばしているさ」
 バパはあくびをして伸びをした。お気楽な向かいの様子に、ザイは苦々しげに舌打ちする。
「俺は、ああいう軽薄な女ってのは、やっぱりどうも。そのトラビア行きってのだって、あの女が自分で触れ回っているだけなんじゃ──」
「だったらなんで、こんな所にいると思う。怪我した体を押してまで」
 間髪容れずに返されて、ザイは詰まって目を逸らす。バパは真面目な顔で目を向けた。
「断崖に向かって歩いて行ったぜ。泣き出しそうな面してよ。思いつめちまって道の先しか見ちゃいねえ。俺があそこで止めていなけりゃ、そのまま転落したろうさ」
 ランタンの炎がゆらりと揺れて、黙りこくった二人の影がテントの壁に蠢き、踊る。バパは静かに言葉を紡いだ。
「ザイ。闘うってのは、ヤッパを振り回す事だけじゃない。あの子だって闘っていたさ。そして、今も闘っている。そりゃあ、お前の贔屓の領主みたいに名や力こそ持っちゃいないが、あの子なりのやり方で。急襲された街中で、一人であちこち駆けずり回っていたよ。それで俺達の所にまで飛び込んできた。悪名高い《 遊民 》を前に、あの子は一歩も引かなかったぜ。そして、躊躇もせずに助けを乞うた。小賢しい取引なんざしなかったぜ。態度に裏も表もない。"助けて欲しい"とただ率直に訴えた。あの子はどういう訳だか、こっちの"血"に頓着しねえからな。つまり、お前言うところの"芽"ってヤツだよ。だからこそ、儲けもないのにケネルは動いた。反目していた《 バード 》や市民があの子に引っ張られて、、、、、、動いたんだ。褒美も見返りも何もない。なのに現に手を貸している。誰にもできる事じゃない」
 ザイが憮然と目を逸らした。反論できない向かいを見やって、バパはゆっくり紫煙を吐いた。
「だから、言ってんだろう"賓客"だってよ。北でディールとやり合った時に、あの子も体を張ってんだよ。だからこそ、腐った貴族の手下どもに、今になって追い回されている。俺達の立場をかばったが為に、てめえが苦境に陥っているんだ。それを見捨てて、お前は行けるか。北に居残った連中も、恐らくは同じ了見だろうぜ」
「わかりましたよ」
 ザイがぶっきらぼうに立ち上がった。あぐらの首だけ動かして、バパは怪訝そうに仰ぎやる。「おい、どこへ行く。こっちに戻ったばかりだろ」
「決まってんでしょ、てめえの寝床スよ。これじゃあ、うるさくて寝られやしねえ」
 ザイはぶらぶら、辟易としたように出口に向かう。「頭(かしら)も早く寝た方がいいスよ。もう、いい年なんスから」
 バサリと戻ったシートを眺めて、バパはやれやれと肩をすくめた。
「──落ちねえか」
 ごろりと仰臥で寝転んで、腕だけ伸ばして灰を落とす。天井にぽっかり紫煙を吐いて、苦い笑いを口元に浮かべた。
「手強いねえ、鎌風は」
 
 
 
 
 

( 前頁 / TOP / 次頁 )  web拍手


オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》