■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 11話3
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ゲルからセレスタンを追い出して、お気に入りの寝巻きに着替え、クッションを抱えて所定の寝床にぺたりと座る。
「いーわよう」
薄暗い靴脱ぎ場には、煙草をふかすセレスタン。カンテラの炎灯る薄暗いゲルには音もない。
二人きりだ。ガランとしている。薄暗いゲルに取り残されて何やら微妙に気まずいが、靴を履いたまま戸口に座り込んだセレスタンの方は、特別気にした風もない。下ろしたフェルトを時折めくっては、真っ暗な草原に目を凝らしている。外の様子を見ながら喫煙し、何がそんなに気になるのか話しかけても生返事ばかり。あまりになおざりな態度なので、とっておきの不思議な泉の話をしてやった。すると、
「──竜?」
指先で紫煙を燻らせながら、束の間じっと動きを止めて内容を怪訝そうに咀嚼している。いつもは飄然としたこの彼だが、今日はどことなく厳しい顔つき。そして、どうした訳か振り向きもしない。
「……あ、あの、セレスタン?」
何となく気詰まりで恐る恐る窺うと、向こうを向いた口の端に苦笑いらしきものをうっすら浮かべた。そして、
「女の人ってのは想像力が豊かっすねえ〜」
指先でとんとん灰を落とす。反応はそれだけ。
軽く受け流されたらしい。実は、例の泉の話は結構思い切って打ち明けたのだが、やっぱり、というべきか、まるで相手にされなかった。というより、ケネルにもファレスにもウォードにも、誰にも相手にされなかった。もっともウォードはあれ以来、どこか別の次元を遊泳中だが。
つまりは結局、あの禿頭の後頭部に、せっせと話しかける羽目に相なっていたのだった。けれど、それではあまりに張り合いがない。その内眠たくなってきて、はっ、とヨダレをぬぐったら、朝鳥がチュンチュン鳴いていて両手で枕に抱きついていた。
肩には知らぬ間に暖かい毛布がかかっている。見れば、枕元の綺麗な柄の赤絨毯の上に、くっきり白い無骨な靴跡。ということは、この毛布は戸口に座っていたあの彼が──?
どうしても気になるらしき戸口を見い見い、よっこらせ、と腰を上げる飄然とした禿頭が、上目使いの脳裏に過ぎる。要するに土足で踏み入って来たらしい。まあ、文句を言えた義理でもないが。
ふと、それに気がついた。使用済みと思しき布団の山が壁の隅っこに積まれている。どうやらケネルはあの後に、野営地から戻ってきて、こちらで就寝したらしい。
そうこうする内、いつもの面子がバラバラ現れ、朝食を囲む段となる。キャンプの人達が盆を持って笑顔で現れ、こちらも思い思いに絨毯に座り、膳を囲んで丸くなる。右はケネル、左はファレス、向かいにウォード。大皿ではなく、今日は膳だ。自分の前に各々セットし、それぞれフォークを取り上げる。そして始まる朝の食卓──。
前にもまして野良猫が、獲物を仰山盗ってくるようになった。調達先は隣の膳。そして、隣の席はあのウォード。ケネルは黙々と食っているように見えて、おかずに対するガードは固い。野良猫が目をつけたと気づくや否や、皿を何気なく移動する。もっとも、仁義なき野良猫にも、己に課したルールというものがあるらしい。それは、恐らくはこんな感じだ。
──目をつけてから三秒間、獲物の皿に動きがなければ、所有権は己に移動する。
よって、このところ別の世界をさまよっているらしいウォードなんかは、まさしく狩りの良いカモで、あぐらの前の、目の前の皿からガメられ放題という有様なのであった。だが、どういう訳だか野良猫は、ガメてきた獲物をこっちの皿にポトリと置く。そして、
「食え」
この野良猫は、己同様、朝っぱらから山盛りご飯を平らげるのが基本と信じて疑わぬ、いや、それをしないのは怠慢だとさえ心得ている節がある。しかし、か弱きレディーが「腹の皮一枚下は全て丸ごとことごとく胃」という万年欠食野良猫なんかと張り合うなんざ土台無理ってもんである。なので、エレーンは然るべく対応する。
「ちょっとお、あんた、やめなさいよねー」
てか、どーゆー嫌がらせよっ! と口を尖(とん)がらかして諭しつつ、ウォードの皿へと戻してやる。すると、ただちに野良猫は、それをひょいとすくい上げ、こっちの皿にポトリと置く。そして、
「食え」
何故だ。
こうして一本の肉詰めが、三つの皿をぐるぐる回る。そうしてたまに野良猫が、食事の合間に、あんぐ、と大きく口に開け、ぽい、とそれを放り込む。然るべき時を経て干乾び始めた卵焼きなんかも大体同じ運命だ。そしてケネルは我関せずで、もぐもぐガツガツ仰け反り返って食っている──これが、このところの朝食風景の専らなのだった。
ところが、この朝、異変が起きた。問題の献立は肉団子。かつて一騒動勃発した、かの因縁の一品である。調子に乗った野良猫がかくも当然の如くに隣の皿へと手を伸ばし、フォークを突きたてようとしたその刹那、
「……これ、オレんだからー」
己の領分までずりずり引き寄せようとした皿を、ウォードのフォークが、はっし、と押さえた。そのままグイグイ己の領分へと奪還する。あまりの横暴に堪りかねてというよりはむしろ、今そこに迫った危機を目の当たりにし、ふわふわさまよっていた別次元から、急遽帰還を遂げたらしい。何せ、己が道を行く奔放さと一種独特の唯我独尊にかけては、ウォードだって負けちゃあいない。我慢などという選択肢は、彼には初めからないのである。
もぐもぐやっていた向かいのケネルが、それを見て( あ、戻った…… )と瞬いた。一方、強奪を阻止された野良猫は、忌々しげに、ちっ、と舌打ち。そして、
「──たく、しょうがねえな」
如何にも 譲ってやる と言わんばかりの鷹揚で横柄でお仕着せがましい態度である。
ともあれ、野良猫の撤退により、おかず争奪戦の取っ組み合いは、何故か穏和に回避された模様。にしても「俺の皿は俺の皿、隣の皿も俺の皿」を信条に掲げるこの意地汚い野良猫が、素直に返却要請に応じようとは。もしかして、
( また、おなかでも壊してるとか? )
頬っぺた膨らませてもぐもぐやってる野良猫を窺う。なんということ。他人の物でも容赦なく奪うこの意地汚い野良猫が。たった一度のクレーム如きでお行儀良く手を引っ込めるとは、
( ──あ、そっか。アレね )
はた、と理由に気がついた。そう、相手が反応しないのを良いことに、このところ慢心しきって、やりたい放題、狼藉三昧の野良猫である。だから、ついつい勢い余って、
例の " 三秒ルール " に引っかかったらしい。
口を尖らせてテクテク歩き、ピタリと足を止め、パッと振り向く。
「……おっかしいわね〜」
樹海の風道の真ん中で、エレーンは腕組みで首を傾げた。" だるまさんが転んだ! " をする時のように「むんっ!」と気合を入れて振り向くのだが、何故だか、だあれもいないのだ。
土道に木漏れ日のどかに落ち降る中、一同が引き上げた風道は穏やかに静まり返っていた。そういえば、いつもついてくる小鳥やリスの姿がない。いつもは、あんなに賑やかにくっついて来るのに。ふと、昨夜のゲルでの出来事を思い出し、前を歩くクリスの背中を「ねー、ちょっとちょっとー」と引っ張った。
「ありがとお」
クリスが薄気味悪そうに振り向いた。
「……何よ、いきなり」
後ろ手にしてクネクネし、エレーンはえへらへらとにやけた顔を近づける。「ねー、お見舞いに来てくれたんでしょー? あ・た・し・ん・と・こ・にっ!」
クリスが赤面して飛び上がった。
「ばっ、ばっかじゃない! 違うわよ! あたしはただ──」
「ただ、なに?」
意外にもクリスは、口を尖らせ、もじもじ俯く。「だからっ、……もしかして、あいつがやったのかも、って思ったから、だから、あたしは……」
「あいつって?」
ぎくり、と引きつって見返した。クリスは何故か冷や汗たらたらで硬直している。眦(まなじり)吊り上げ、拳を握って振り向いた。「な、な、何でもないわよっ!」
ずかずか拳固を振って歩きつつ( たく! 何が瀕死よ! あのジジイ〜! )とか一人でぶつぶつやっている。 一人で妙に慌しい。エレーンはぱちくり瞬いた。クリスの反応は意味不明だが、色々事情があるらしい。もっとも、訊いたところで、どうせ教えちゃくれないだろうが──。「ま、いっか」と肩をすくめて話を戻した。
「にしても、──へー。ちっとも知らなかったなー」
何故か執拗に目を逸らそうとするクリスの顔を、下から、ひょい、と覗いてやる。「あたしのこと心配してくれたんだー?」
ねーねーねー、あんたって実はいい子じゃなあい? と細い肩をぽんぽん叩き、エレーンは上機嫌でにまにま歩く。クリスは即刻カリカリ応酬、「うざいのよ、おばさんっ!」と拳を握ってすたすた歩く。そして、
「たく。あんたのせいで、隊長さんに取られちゃったじゃないのよ」
ほう、と小さく嘆息した。落胆したような独り言だ。エレーンは「何をー?」と首を傾げる。愚痴を聞き咎められるとは思わなかったか、クリスは「う゛っ」とたじろいだ。エレーンは、すかさず、そそそ……と近づく。満面の笑みでにんまり笑った。
「なによー。なんか悩み事―? もー何でも言っちゃってよー。お姉さん聞いてあげるからー」
ささ、なんでも相談したんさい! このお姉さんにっ! と問題点を訂正しいしい、大判振る舞いで胸を叩く。クリスは警戒の眼(まなこ)でチラと見やって、言おうかやめようかやっぱり言おうか……と見るからに悶々と葛藤している。しばらく口を尖らせて黙っていたが、やがて俯き、不貞腐ったように小石を蹴った。「昨日、野営地に戻る時に、──あたし、隊長さんと話してたんだけど、──その時に、その──」
ふんふんそれでー? とエレーンは促す。「で、なに取られたの?」
「あっ、いや、──だから、その〜──」
どうやら言い難い類いの話らしく、告白の口はたいそう重く、話は遅々として進まない。そこから聞き取った数少ない語彙から察するに、ケネルが不届きにも何かを脅し取ったらしいのだが──。そういやケネルは、昨夜クリスにやたら恐い顔で接していたが、今にして思えば、あれも作戦の内だったとか? ぬぬ、なんという周到なタヌキなのだ……。
いじいじ指をいじくり回していたクリスが、はっ、と唐突に我に返った。一転、眦(まなじり)吊り上げる。
「なっ、何でもないわよっ!」
拳を握って全身全霊で怒鳴りつけ、( 危ねー危ねー…… )と冷や汗ぬぐって踵を返す。そして、トゲトゲしていた今まで以上に、地面を踏んづけ、ずんずん歩く。
乙女心の豹変に、エレーンはぱちくり瞬いた。けれど、今日は上機嫌。こだわる事なく「まっ、いっかあ〜」と気分を切り替え、両手を振ってるんるん歩く。だって、あのクリスがちょっとだけ心を開いてくれたようなのだ。トゲトゲしていたあのクリスが。クリスは我が身を掻き抱き、ぶつぶつ言いつつ歩いている。
「んじゃ、行ってくるねー」
獣道に入る分岐点で、エレーンはにっこり手を振った。はっ、とクリスが顔を上げた。「──あ、ちょっとっ!」
「なに」
エレーンは足を止めて振り向いた。肩越しに、五指を開いて突き出したクリス。前傾姿勢で前足を踏ん張り、身を乗り出した顔を引きつらせている。何故だ。
「……あああ、あのっ……あのっ、……あ、あたし、あの……っ!」
何か言いたい事があるようだ。だが、赤顔するも気負いが空転、口をパクパクするばかり。一体なんの用なのだ。じぃ、とその様を見ていると、クリスが、はたと我に返った。
「な、な、何でもないわよっ!」
たじろいだように身を引いて、たちまち、ぷい、とそっぽを向く。さっきから何かを我慢してるのか? そういうのは体に悪いぞ。ちょっとヤだけど、なんなら一緒に行っちゃうか?
「……もう、なんなのよー。変なのー」
エレーンは肩をすくめて踵を返した。「──あ、そうだ」と思い立って振り向く。
「ねー、ケネルに何か取られたんなら、あたしが取り返してあげようかー? 実は最近、ケネルにはちょっと強いのよねー、あたし」
( よく分かんないけど、昨夜もなんか謝ってたしぃー )と上目使いで算段する。そう、あの低姿勢の様子なら、何とか脅し取ってやれるかも。そんでもって、それを返してやれば、尊敬されること請け合いだ。クリスはツンケン強がってはいるが、案外ウブで単純だ。それほど悪い娘でもないようだし──。一人、ぷくく、と算段し(
あわよくば、お友達になりたいわあ〜 )と振り向くと、クリスが、ぷい、と踵を返した。
「結構よっ!」
「……え゛」
エレーンは面食らって瞬いた。仄かに友好的なムードも一転、いやに刺々しい返答だ。
「そ、そう? いいなら別にいいけどさ」
首を傾げ傾げ、脇道に入る。何が気に触ったのだろう。なんだか怒っているような。そう、クリスが髪を払った刹那、横顔がいやに忌々しげだったような気がする。
鬱蒼と生い茂る獣道を、両手で掻き分けガサガサ進み、用を足して風道に戻る。エレーンはぶちぶち見回した。
「もー、あの子ってば、どこ行ったのよー。そんなに遅くなってないじゃない」
戻ってみると、クリスがいない。同行者達が引き上げた道は、ひっそりとして、のどかに静かだ。ぶちぶち言いつつ、エレーンは歩く。ふと、風道の先に目を留めた。男が一人、道端でしゃがみ込んでいる。ザンバラ髪の皮ジャンの後ろ姿、あの身形は同行者のようだが。
「……あの〜、大丈夫?」
恐る恐る近寄って、うずくまった背中にそっと声をかけてみた。男は腹を押さえている。腹痛で動けずにいるらしい。助けを求めて周囲を見るも、風道にも森にも誰もいない。連れのクリスはへそを曲げて勝手に帰ってしまったらしいし。念のため警戒しいしい、とりあえず、もう少しだけ近づいてみた。
「どうしたの? おなか痛い? ねー、誰か呼んでこようかー?」
ガクリと男が膝を付いた。突き伸ばしたごつい手が、道端の草を毟るようにして引っ掴む。エレーンはぎょっと駆け寄った。「う、うわっ!? ちょ、ちょっと大丈夫?」
うずくまった肩に手を回し、傾いだ体を慌てて支える。無人の小道を、エレーンはおろおろ見回した。「……どうしよう。薬なんか持ってないし……誰かいないかしら」
とはいえ、捜しても無駄なのは分かっていた。用足しと断って森に入ると、同行者達は須らく草原の方に引き上げてしまう。
「ね、ちょっとだけ待ってて。すぐに誰か呼んでくるから」
立ち上がろうとした途端、手首が強く掴まれた。怪訝に思い、その手を見返す。くつくつ笑う声が聞こえてきた。俯いた髪の下からだ。一体何が起こっているのか、とっさの事で分からない。
「……たまんねえよな」
男が顔をおもむろに上げた。「手もなくコロッと引っかかるってんだからよ」
エレーンは息を飲み込んだ。頬の傷に見覚えがある。
「よお、奥方様」
バリーが口端を引き上げ、にやり、と笑った。唖然として、エレーンは喘ぐ。「……そんな……だって、診療所に行ったって……」
「あんたにちょっとばかり用があってよ。ま、そういう訳だから付き合えや」
へたり込んだ体を片手で難なく引っ張り上げる。バリーが強引に立ち上がった。
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