CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 11話6
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 うめいて仰向いた視界では、高枝が青葉を揺らしていた。慌てたような抗議の声が、徐々に木立を遠のいていく。
「……あのガキ、マジでキレやがって!」
 ザイは舌打ちで起き上がった。「まるで当たってねえくせに、なんでこっちには入れてくんだよ」
 忌々しげに頬をさすり、緩いあぐらで脚を投げる。ふと、傍らの布きれに目を止めた。取ってみれば、血塗れのハンカチ。
「──女物かよ、縁起悪りぃ」
 舌打ちで地面に叩きつけた。呼びかけられて、うっすら開けた視界には、奇妙に引きつった顔があった。いやに近くにいると思ったら、これを押さえていたらしい。地面に脚を投げたまま、一気に大きく息を吐き出す。「──畜生、あのアマ。ふざけたあだ名で呼びやがって。これで点数稼いだつもりかよ」
 ぼやけた意識をはっきりさせるべく、首をうなだれ緩々振った。ウォードが連れ戻すというのなら、護衛はしばらく不要だろう。むしろ、こちらは願ったりだ。とりあえず集合場所に戻らねば。見張りの代役が必要だ。気怠い体で膝を立て、ザイは拍子抜けして動きを止めた。足が軽い。軽すぎる。慌てて右の爪先を見た。
「畜生。誰だ」
 案の定、靴がない。苛立って辺りを見回す。あれは大事な特注品だ。高価というばかりでなく、足腰鍛錬用の特殊な仕掛けが施してある。更にそれに手を加え、現在の状態に合わせて微調整まで済ませてある。
 憤りに任せて体を捻り、動きを止めた。靴はあった。すぐ傍に。だが、それは如何にも奇妙な場所だ。本来あるべき足の方とは真逆の位置というのだから。
 ザイは停止し、不審げに眉をひそめた。今起き上がったばかりの地面の上に、履き慣れた革靴がごろりと無造作に転がっている。意図がまるで分からない。誰の仕業だ。こんな悪ふざけを、ウォードがするとは思えない。バリーなどは論外だ。となれば、残る該当者は一人しかいない。何やらゴソゴソしていたあの女、こんなふざけた真似をしでかしてくれるのは、不遜なあの女をおいては他にない。
「──なんのつもりだ、あのじゃじゃ馬」
 忌々しい思いで靴紐をたぐり寄せ、足を乱暴に靴に突っ込む。ふと、その手を止めた。
「枕、か」
 靴を取り去った元の場所を、ザイは面食らって眺めやる。配置の意図に遅まきながら気がついた。枕の代わりにしたらしい。恐らくは、怪我した頭を持ち上げておく為に。
 疑問が氷解した途端、覚醒時に微かに聞いた甲高い呪詛が全く何の矛盾もなく、するり、と視覚に結び付いた。誰もが触れる事さえ躊躇するそれを、よもやそんな用途で使うとは──。
 重たい靴を苦心惨憺脱がして移動し、頭の下に無理やり押し込む小柄な姿が思い浮かんだ。あの珍妙な小動物は、余計なお節介は勝手にやくのだ。あれほど些細な座興でさえも前後不覚に陥って、やたら蹴りつけてきたくせに。
 うるさく呼ぶから目を開けてやれば、案の定、顔が引きつった。頼みもしないのに介抱していた。ビクビクおどおど呼びかけてきた。いつでも逃げ出せるようなへっぴり腰で。言動にまるで一貫性がない。まったくその場の気分次第だ。
 妙な女だ、とザイは思う。高々堅気の小娘のくせに、精鋭を率いて陣頭に立った女。無敵無敗の"戦神"が、己の武運を託した女。つい最近まで街で安穏と暮らしていた庶民だ。特別豪胆な訳ではない。殺し合いの現実を目の当たりにすれば、他の泡食う堅気と同じく我先に逃げ出そうとしたに違いない。だが、それでも現実に、あの女は逃げなかった。理由は一つ。" クレスト領家の内室だから "
「……馬鹿じゃねえのか。気が知れねえ」
 死んじまったら、全てが終わりだ。ザイは軽い溜息で目を閉じる。戦を生業とするこちとらでさえ、生存できる確率を慎重に見据えて計算し、万全の装備で臨んでいるのだ。まして堅気の素人が非武装のまま意地を張るなど正気の沙汰とは思えない。どれ程戦慣れしていても、そんな真似など空恐ろしくて出来はしない。とんでもないことだ。だが、そうした無謀な意地っ張りを、近頃どこかで見やしなかったか。
 今は西にいる筈だ。恐らくはトラビアの牢獄に。友の安否を死ぬほど案じているくせに、一度たりとも振り向かなかった男。高々素人の腕しかないのに、守られるだけを良しとしない男。碌な勝算があるでもないのに、西に向かって進み続けた男。国の傾きかけた命運を押しとどめる為だけに。理由は一つ。" この国を治める領主だから "
「──なるほど。どこぞの馬鹿にそっくりだ」
 あの赤髪の従者もやはり、己の武運を惜しげもなく託した。
 気の抜けた緩いあぐらで、ザイはくつくつ笑っていた。確かに、敵陣に潜り込むという一点に於いては成功したと言えなくもない。首だけ倒して、緑梢の先の空を仰いだ。トラビアへの行程中、隠れ潜んだ茂みの裏で、あの赤毛の班長と聞いた断固たる決意が蘇る。
『 俺が領主でいる内に、必ず和解を取り付ける。数年先になるか、数十年先になるか、今のこの状態じゃ難しいかも知れないが、だが、俺は必ず実現する 』
 " いつの日にか、必ず "
「──期待せずに、待たせてもらいますよ」
 苦笑いで靴を引き寄せ、ザイは爪先を突っ込んだ。靴紐を締め上げ、立ち上がる。そうだ。こんな所で死なれては困る。
 立ち去りかけて足を止め、血濡れのそれをしばし眺めた。枯葉の上から引ったくるようにして拾い上げる。掌を握ってズボンのポケットに突っ込むと、ザイは帰途を眺める頬を緩めて、仲間の待つ草原へと歩いた。
 
 
 
 
 

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