CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 interval 〜街道にてU〜
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 窓の向こうの路地裏を、子供が甲高い声で駆け抜けて行った。正午を回った店内に、常連の姿はごく疎らだ。店の厨房の裏口では、襟元を緩めた白服のコックが壁にしゃがみ込んで一服し、紺の前掛けの白髪の店主は、出口付近の四人掛けの卓で《 書き売り 》を広げて眺めている。昼時の多忙をやり過した店は気の抜けたように閑散としている。昼の営業を終えた扉には、斜めにかかった「休憩中」の木札。次の営業開始は夕方からだ。
 目抜き通りを少し入った路地の一角、ここは九卓ほどの食堂だ。夜には酒場ともなるこの店の棚は安酒の瓶で埋められている。店には三組の客が残っていた。窓のない壁際で《 書き売り 》を眺める男の卓と、その隣の壁際に、身を乗り出して話し込んでいる中年男の二人連れ。そして、窓辺の卓に三人の男。
 午後の緩い陽が差し込んで、窓辺の四角い木目の卓に、木枠が影を作っていた。食器の下げられた天板には、白いカップが三つ無造作に載っている。
 硝子越しの西日が当たる窓際で、三人の男が話し込んでいた。卓の左には大人ほどの観葉植物が壁沿いに据えられており、そちら側には二人の男が座っている。窓側で頬杖をつきカップを退屈そうに啜っているのは少年のように小柄な青年。滑らかな黒髪と繊細そうな美麗な容姿。通路側には、ひょろりとした丸眼鏡の男。ウエーブの茶髪を肩で綺麗に切り揃えている。どちらの身形も、目抜き通りをぶらついている市民のそれと変わりない。
 その対面には、苦虫噛み潰したような仏頂面の黒髪の男が座っている。身奇麗にしている向かいと異なり、こちらはあまり構わない格好だ。深緑の丸首シャツに、所々擦り切れた着古した革ジャン、黒い靴には乾土が白くこびり付いているが、それを気にする風でもない。
 路地に面した鄙びた店の窓越しにも、のんびり行き交う地元民の姿が見受けられる。街道では物々しい軍服を未だ見かける事があるにせよ、ここルクイーゼにも町の活気は戻りつつある。店の壁に据えられた古びた木の看板には、《 銀の匙 》 と書かれたこの店の屋号。
「いないというのは、どういうことだ!」
 話を黙って聞いていたケネルが堪りかねたように詰問した。"鳥師"を総括する元締め・ハジは目を瞑って溜息をつき、窓辺のクロウは涼やかな目をやれやれと向ける。「どうかなさいましたか、隊長さん。今日はばかに不機嫌そうじゃありませんか」
 声を荒げるなんてお珍しい、と肩をすくめてカップを啜る。呆れた顔で往なされて、ケネルは憮然と口をつぐんだ。
 手配しておいた闇医師が行方不明になっている、そう報告を受けたのだった。街に関する事柄は、大陸に広く潜伏する"鳥師"達が受け持っている。そうした事情は件の医師との交渉についても又然り。ケネルは眉をひそめて苦々しげに嘆息した。「──いつからだ」
「さあ」
 ハジはゆっくり腕を組み、「分かりませんね」と首を振る。「なにせ商都の担当が、ふとした気紛れで寄ってみたら、もぬけの殻だった、というような有様でしてね」
「そいつはどこを見ていたんだ!」
 ケネルは苛々と罵倒する。ハジは堪りかねたように目を向けた。
「無茶言わないで下さいよ。あいつらにだって自分の持ち分があるんですから、町医者ばかりを見張っている訳にもいかないでしょう」
「しかし、同じ街にいて、みすみす失踪されるとは──」
「ご意向は先方に伝えてあります。それでも出て行ったというのなら、それは向こうの判断でしょう。監視の指示は出ていませんし、そもそも、この手の事柄は隊長さん方の仕事でしょう。わたし達は畑違いですよ」
 文句があるなら、そちらで人手を割いたらどうです、とハジはやんわり仄めす。ケネルは渋い顔をした。「──事情はわかった。早急に捜し出して連れ戻せ」
「まあ、それも恐らく難しいでしょうねえ。小国とはいえ、捜すとなれば、カレリアは広い。小さな町にいるならともかく、商都みたいな大都市となると、これは相当ホネですよ」
「そんなことは分かっている!」
「わかりました。全力をあげて捜索しますよ、その医者の行方をね」
 ハジは両手をあげて降参した。「なに、何れどこかで見つかるでしょう。こっちは街道中に散ってますしね」
「できる限り急がせてくれ。商都に着き次第、すぐに診せたい」
「何を焦っているのやら」
 呆れたような声が割り込んだ。黙って聞いていたクロウだ。ハジの隣で窓の外を眺めたまま、素気なく言葉を続けた。「あんなに元気そうにしていたじゃありませんか」
 斜め向かいを、ケネルは見やった。「いつ昏睡状態に陥ってもおかしくないのは、お前の方がよく知っているだろう」
「そりゃそうですが──しかし、そんなに心配ですか。高々女一人のことですよ」
 くすり、とクロウは小さく笑った。ケネルがむっとしたように顔を強張らせる。卓を挟んだ二人の顔を、ハジは素早く交互に見た。クロウがいつにも増して挑発的だ。ガタン、と殊更に音を立て、椅子を引いて立ち上がる。
「さてと、そろそろお暇しますよ。お客さんが放ったらかしだ。待たせると、うるさい御仁ですから。──さあ、クロウ」
 ケネルに会釈し、行こう、と目線で出口を指す。さりげなく辞去を促され、クロウはほっそり白い手を組んだ。その上におもむろに顎を乗せる。
「お構いなく。わたしは後で戻ります。副長さんには、よしなに伝えておいて下さい」
 ハジは困ったように眉をひそめた。「──おい、クロウ。隊長さんはお疲れだ」
「ほったらかしにするなど、それこそ失礼というものでしょう。せっかくお出でになったのに」
 白い頬に笑みさえ浮かべて、クロウは平然と言ってのける。涼しい顔で向かいを見たまま、ハジの方には見向きもしない。動くつもりはないようだ。ハジは小首を傾げて見ていたが、「ああ、そう」と白シャツの肩をすくめて歩き出した。「じゃ、俺は店に戻るから。そちらさんはごゆっくり」
 小銭を探してズボンのポケットに手を突っ込み、店の出口にぶらぶら向かう。客の疎らな店内は、ガランと広く、ひっそりとして薄暗い。寛いでいた店主を呼びつけ、小銭を出して会計を済ませ、明るい路地へと踏み出して行く。
 外側に押し開かれた硝子の扉が、ガラン、とやかましい鈴音を立てて、ゆっくり内側に戻ってきた。それを微笑で見届けてしまうと、クロウはやれやれと目を戻した。
「意外でしたよ。あなたが出向いてくるとはね。結果はお知らせしたでしょうに」
 ケネルは苦笑いで煙草を咥える。「──お前は気に食わないみたいだな」
「わたしが嫉妬をしているとでも?」
「不機嫌だろう?」
 クロウはさばさば椅子の背に寄りかかった。「そんな事は言ってませんよ。ただ、珍しいなあ、と思ったものでね」
 脚を組み、向かいの顔を呆れたように眺めやる。
「しかし、そんないじましい真似を、まさか、あなたがするとはね。そんなに気になりますか、あの人が」
 膝で紫煙を燻らせて、ケネルは無言で眺めている。クロウは肘を付いて身を乗り出し、からかうように目を細めた。「内緒で後をついてくるほど?」
「そんなんじゃない」
 ギシ、と音をさせて椅子の背に寄りかかり、ケネルは路地に目を逸らした。
 
 
 
 
 

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