■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 13話2
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「こんばんは〜!」
両手でフェルトを脇に寄せ、ひょっこり笑顔が顔を出す。「あ、もう戻ってたんだ〜!」
「……クリス?」
エレーンは面食らって見返した。ケネルが素早く肩を抱いて、すぐさまクリスを引き込んだ。暗い屋外を困惑したように見回している。「──また、一人で来たのか」
懐を振り向いたその途端、クリスが、ビクリ、と飛び上がった。そそ、と何故か目を逸らす。 フェルトを上げた二人の向こう、暗い夜の草原に、人影が二つ見えてきた。息を切らした様子で走ってくる。月光が照らすあの禿頭はセレスタン? そして、蹴つまずいてのめっているのが体格のいい酔っ払いロジェ。どうやら彼らが当直らしい。転んだロジェが起き上がるのを、やれやれ、と見ていると、手前にいる戸口のクリスが、あれ? というように瞬いた。何が不思議か首を傾げて、しきりにしげしげ見つめてくる。あ、と口を開けて指さした。
「髪切ったでしょー!」
こちらを見たまま足を持ち上げ、もそもそ何気に靴を脱ぐ。横のケネルをそそくさ迂回、何故かバタバタすっ飛んで来た。「うん! そっちのが全然いいと思う!」
ぺったり横に滑り込み、大きく首を縦に振る。紙袋の山に目を丸くして口を開け、はしゃいだ様子で小首を傾げた。「ね、ね、町はどうだった?」
わくわくした顔。好奇心が隠せぬ様子だ。下から覗き込む無邪気な顔に、雑貨屋での諍いが思い出された。人前で店主に怒鳴られたこと。店先でハジに助けられたこと。軒でゆらゆら揺れていた貝殻でできた白い風鈴──。
「ごめん、クリス。……あたし、頑張ったんだけど……」
それだけ言うのがやっとだった。俯いた視界に、一同の怪訝そうな顔が見える。何も知らない皆の顔。いつものように傍にいてくれる人達。無償でここまで来てくれた人達。今の自分を守ってくれる人達。自分の帰りを迎え入れてくれる。でも、自分は彼らの為に、
──何も、できなかった。
喉が詰まって熱をもつ。涙が溢れた。それはすぐにも伝い落ち、スカートの膝にぽたぽた沁みを作っていく。堪えようとしても堪えきれなかった。いや、あの時からずっと堪えていたのだ。ずっとずっと我慢していた。泥棒呼ばわりされたあの時から。
顔を覗き込んだ体勢のクリスが、ぎょっと強張って身を引いた。「──え、ちょっと、あのっ?」と中腰になっておろおろしている。構わずクリスに縋りついた。
クリスは成り行きで受け止めつつも、狼狽しきりで身をよじっている。戸口の三人に助けを求めているらしい。細肩に押し当てた視界の隅に、ケネルの驚いたような顔が見えた。
「──どうか、したのか」
ためらいがちに訊いてくる。戸口で覗き込んだ他の二人も、呆気に取られて立ち尽くしている。エレーンは俯いたまま首を振った。早く顔を上げなければ。クリスが泣かれて困っている。
「……な、なんでもない」
片手でゴシゴシ涙を拭いた。詰まったような熱い息を吐き出して、笑って顔を振り上げる。クリスが成す術もなくガチガチになって硬直していた。その細い肩の向こうで、ケネルと二人が戸惑ったように顔を見合わせている。ケネルが様子を窺った。「あんた、本当に何も──」
「んーん! 何でもない! 今のなし!──そ、そうだ。あれがあったっけ!」
きっぱり殊更に首を振り、エレーンは後ろに身をよじった。左から二番目の紙袋を引き寄せ、中を片手でごそごそ探る。掌サイズの紙包み。袋の中で中身を取り出し、片手に握ってスタンバイ、右横のクリスに振り向いた。「手ぇ出して」
「……え?」
ぽかん、とクリスが見返した。
「ほら、早くぅ」
クリスは胡散臭そうに身を引いて、疑わしげな面持ちだ。警戒しきりで、自主的に手を出してはくれなそう。無造作に下ろした膝横の手を、エレーンは焦れてむんずと取った。「いーから、早く!」
キッとクリスが睨んできた。跳ね返すような反応に、はっ、とエレーンは我に返る。そういやクリスとは険悪だった……。だが、意外にも、じっと沈黙したきりだ。いつもなら即座に払いのけ「ウザイのよおばさん!」くらいは平気で言ってくるのだが……。
珍しく我慢強いクリスの様子に内心で首を傾げつつ、上目使いで窺った。「は、はい。あんたにお土産。あ、気に入るかどうか、わかんないけど」
クリスの広げた掌の上で、グーにした手を、そそっ、と開く。転がり出たのは、赤いプチ宝石のイヤリング。高価な物ではないけれど、可愛かったから買ってみたのだ。クリスが細い眉をキュッとしかめた。唇を引き結んだ強張った顔で、自分の膝を睨めつけている。
( ……やばい )
思わしくない反応だ。馬鹿にすんな! とか怒鳴られたらどうしよう、とエレーンは密かに冷や汗をかく。クリスの俯いた唇が、ためらうようにゆっくり開いた。「……はじ、めて」
「え?」
エレーンは作り笑顔を引きつらせた。何を言い出すかとビクビク観察。もしや、うざいの通り越して怒ったか? 正座の爪先そっと立て、密かに抜かりなく撤退準備。クリスが顔を振り上げた。
「あたし初めて! お土産なんか、もらったの!」
「……え゛」
まじで?
「ありがと、お姉さんっ!」
キラキラ瞳をうるませて、両手を広げて突っ込んできた。むぎゅっ、と首にしがみ付かれて、押し倒されそうになりつつも、クリスを抱えて引きつり笑う。もらった途端に"お姉さん"に昇格かい……。なんという現金さ。
でも、とても正直だ。変に勘ぐることなく心の底から喜んでいる。クリスはまだ、まっすぐな心を持っている。素直で、そして率直だ。
エレーンは苦笑いでクリスを剥がした。「そ、そんなに喜んでもらえるんなら、買ってきて良かったわ。──あ、まだまだあんのよ? ほ〜らね、靴でしょ? バッグでしょ? 帽子でしょ? それからブレスレットにアンクレットにスカーフに──」
包みをぽいぽい袋から取り出す。実は全部自分のだったりするのだが、そんなみみっちい事は言ってられない。だって、「お土産は初めて」なのだ。こんなにこんなに喜んでいるのだ。この常にない良い流れに水を差すのも、そりゃあんた野暮というもの──。作業の傍ら、クリスは息を呑んで見つめている。輝くような笑みで振り向いた。「もらっていいの? 本当にこれ、全部あたしがもらっていいの?」
「あったりまえでしょー、お土産だもん。あんたの為に選んできたのよ?」
ちょっと得意な気分で、エレーンは「どんとこい」と大盤振る舞い。クリスが強張った顔で乗り出した。ずずい、と膝詰め、神妙な顔で手を握る。
「ありがとっ! お姉さんっ!」
上下にぶんぶん振り回す。大真面目に感激しきりだ。
「う、うんっ! いいってことよっ!」
熱烈な勢いに気圧されつつも、エレーンは照れ隠しの赤面笑顔。「あっ、いやいやいや〜! これだけありゃあ怖いもんなしよっ!」と片手を振りつつ太鼓判。その傍らで左上空をチラと見た。てか、ファレスにも礼を言った方がいいかもしんない。散財したのはヤツだから。
歓喜の嵐が過ぎ去ると、クリスは呆然と座り込んだ。広げた土産を見回して、大きく頷き、くるり、と振り向く。
「あたし、これ大事にする! 絶対うんと大事にするっ!」
拳を握って宣言し、はっ、と唐突に動きを止めた。顎を突き出し、何かをじっと見つめている。じぃっと、じぃっと穴の開くほど。視線の先は胸元か──?
「……うっ、わかったわよ」
さりげなく目を逸らしていたエレーンは、脱力して肩を落とした。観念して嘆息しつつ、項(うなじ)のチェーンに手を回す。今流行りのネックレス。目敏い。さすが女の子だ。実は密かに気に入っていたから、何気にこれだけは除けといたのに……。
「これ、結構流行っているみたいよー。店頭にいっぱい出ていたし──」
膝立ちでクリスに進んで、細い項(うなじ)に手を回し、ハートのネックレスをつけてやる。クリスは身を硬くしてじっとしている。「はい、おしまい」と肩を叩くと、ハートの真新しいペンダントトップを恐る恐る掌に乗せた。
「……こういうのが、流行ってるんだ」
気が抜けたように、ぽつり、と言った。怖気づいたような、戸惑ったような小さな呟き。息をつめ、放心したように見入っている。
「──あんたのが似合うわ」
エレーンはそっと微笑んだ。本当を言えば、やってしまうのは残念だが、自分の分はどこかで別のを買えばいい。 クリスは上気した顔で何度も何度も頷いた。「あたし、……あたし、大事にするから……絶対、うんと、大事にするから……」
自分に言い聞かせるように呟いて、両手で胸に押し当てている。誓いを立てるような真剣な面持ち。祈りを捧げる天使のようだ。この子も女の子なんだな、と唐突に思う。
「あ! まだまだあるんだってばっ!」
すっかり嬉しくなってしまい、エレーンは紙袋をガサガサ漁った。他の土産も取り出して、次々クリスに合わせてやる。靴にバッグに帽子にブレスレット──。気分は即席ファションショー。ケネルを含む戸口の男三人は手持ち無沙汰そうに突っ立っていたが、そっちは無視して、キャイキャイ女同士で盛り上がる。
「んー! 似合うぅー! あんたってばすんごい可愛い! お人形さんみたいに可愛いっ!」
「……そ、そうかな」
クリスは真っ赤になって俯いた。
( いや、マジでかわいいんですけどっ! )
俯いた頭をむぎゅと抱きしめ、エレーンはすりすり頬摺りする。クリスはされるがままにじっとして、腕の中から逃げようとはしない。くすぐったそうな、困ったような顔。なんて初心な反応なのだ。この子に何でもしてあげたい。もし自分に妹がいたなら、こんな感じなのだろうか。無性に嬉しくなってきて、エレーンはいそいそ自分の服に手をかけた。「あ、このワンピースも、あんたにあげるねー。あたしもあんたの服着られたから、サイズはたぶん大丈夫だと思うしー!」
実はハジに買ってもらった服ではあるが、この際そんなことは持ってけドロボー。身をくねらせて早速脱ぎかけ、ふとギャラリーに気がついた。
「あ、ちょっとおー! 外に出てよ、ケネル」
両手が既に塞がっているので、顎をしゃくって散会を促す。ケネルは苦笑いで戸口を潜った。
「──わかった。ファレスと話してくる」
まん丸の目で乗り出していた二人も、振り向いたケネルに「はい、終了」と自動的に追い出された。
戸口のフェルトがバサリと閉じて、狭い空間が封鎖された。これでゲルに二人きり。いつものクリスなら、彼らが視界から消えた途端、敵対モードに切り変わるところだが、笑顔に潜む敵愾心は、今のクリスには見受けられない。親密な空気は維持されていた。クリスの態度は変わらない。土産と言われた品々を、笑顔でうきうき見つめている。
エレーンは背中のジッパーを下まで外して肩を抜き、夏服を足元にストンと落とした。それに気づいて、ち、と舌打ち。まるでどこにも取っ掛かりがねえ……。
しかし、そんな今更な話は、この際いいのだ。気を取り直し、「はい」と笑顔で、脱いだワンピースを手渡した。いそいそ服を脱いでいたクリスが、どこかぎこちなく振り向いた。生成りのシンプルなワンピースにそわそわしながら足を入れ、布地をずるずる引っ張り上げる。着るのに多少もたついている模様。むむ……。
何気に殺伐としていると、クリスが眉をひそめて小首を傾げた。「……なんか、きついみたい。胸のとこ」
「あーそお」
無邪気で無心な呟きを冷たい声音でスルーして、エレーンは己の寝巻きを引っ張り出す。ハジの丸メガネを思い浮かべて何となく釈然としないながらも、頭から被って、もそもそ着た。装着完了。実にあっさり。
ワンピースに袖を通したクリスは、両方の手を後ろに回して、そわそわしながら振り返っている。気づいてジッパーをあげてやると、笑顔になって、くるくる回った。ああ、あんなに喜んで。ほのぼのとした気分で、それを眺める。なんて愛いヤツ。なんて買ってやり甲斐のある──ふと、ささやかなプレゼントを思い出した。
「あ、そうそう! もう一コお土産あったんだー。大サービスで、これもあげちゃう!」
満面の笑みで袋から取り出し、じゃじゃ〜ん! と広げて宣言する。
「犬印の腹巻!」
赤の毛糸の腹巻だ。真ん中にどでかくワンコの顔が書いてある。クリスが嫌そうに身を引いた。「……なにそれ」
テンション激落ち。( かっこわるっ ) と言わんばかりの嫌悪の顔だ。
「えー、知らないのー?」
だめじゃん、と口を尖らせ、エレーンは、ずい、と顎を出す。「クリス、あんたねー。" 体裁なんて言ってられないのよー? 妊婦なんだから、体を冷やさないように気をつけないとー
"」
経験ないので勝手が分からず下着屋のおばちゃんに訊いたらば、おばちゃんは顔を突き出し、チョイと手を振り言ったのだ。
「"冷えるの赤ちゃんに良くないよー? わかったー?"」
ぶんぶん指振り、知ったかぶりで抗議をする。下着屋に入ろうとした途端、お供に連れてた野良猫が「ぱんつ買うのかー?」とそれはそれはうるさかったが、ずかずか踏み込む野良猫に店の外で「待て」を厳命、とっとと店から締め出して、大先輩のおばちゃんから膝詰めで教授を受けてきた。つまりは受け売り。因みに " 懐 " が不在だった為、これは泣く泣く身銭を切った。クリスは後ろ手でもじもじしている。斜め上をチラと見た。「……う、うん。わかった」
照れているらしい。困ったようなその顔に、頬が知らずほころんだ。
「……元気な子が産まれるといいね」
若いお母さんを勇気付けるべく、「ふぁいとお!」と拳固で気合のエール。
「うん、……ありがと」
クリスは歯切れ悪くぼそぼそ応えた。どこかばつが悪そうな顔で、赤い腹巻を眺めている。しばらく持て余したように見ていたが、案の定、そっとしゃがんで脇に置いた。どうも、あんまり気に入ってもらえなかった模様。というより、そんなダサい腹巻より、ネックレスの方が気に入ったようだ。何度も何度も何度も眺め、照れたように笑っている。
( この子はかわいいなあ…… )
エレーンはそっと苦笑いした。流行りの服を着たクリスがいた。違和感など、どこにもない。クリスは確かに《 遊民 》だけれど、頬をほころばせる横顔は、町の女の子達と変わらない。まるで、どこも変わりはしない。当たり前だ。すれたような蓮っ葉な口をきいても、この子だって女の子なのだ。お洒落をしたい盛りの、ただの若い女の子。
目の前のクリスがいじらしかった。一挙一動が可愛かった。泣いても拗ねても嘘をついても、この子ならば、いい、と思った。だって、この子は"女の子"なんだから。それが許される年頃だ。そして、こんなにも可愛い女の子なら、ケネルが好きになるのも無理はない。この子には、勝てない。
少し暖まった小さなゲルは、手放しの親密な空気で満たされていた。険悪だったあのクリスと、ようやく打ち解けて笑い合え、気分がいやに高揚している。イヤリングも付けて、鞄も持って──とわいわい笑ってはしゃぎつつ、色々な土産を取っ替え引っ替えする。気の置けない談笑の片隅、エレーンはそっと唇を噛んだ。気分が異様に浮ついた、すわりの悪さを感じていた。
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