CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 13話3
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 一時減退していた食欲は、回復してきたようだった。以前のように三人前までは食わないが、二人前をぺろりと平らげ、彼は手持ち無沙汰そうに、ただそこに座っている。
 部隊の首長の大テントは会合場所も兼ねる為、数人で使える広さがある。そして、現在の居住者は、テントの主・首長のバパと、最年少であるこのウォード、そして、二班の長コルザの三人だ。通常の番付に従えば、本来ここに居るべきは二班の長のコルザではなく、一班の長ザイではあろうが、一班は不規則な任務ゆえ、部隊の人員を実際に束ねているのは年長者たるこのコルザであるという部隊独自の事情がある。そして、内部情報をもたらすコルザと、部隊を仕切る首長との同居は、隊を掌握する上でも、護衛の人員を省く上でも都合が良かった。
 ウォードの同居については、彼の身分がつい先日まで食客であり、部隊で身柄を預かった当初は自活のできない子供であったという是非もない事情による。もっとも、彼の場合の実際は、監視の為といった方が適当であるのかもしれないが。何れにせよ、ウォードは今現在に至る六年の月日を、彼らの手元で過ごしてきた。その特殊な役目上、何かと敬遠されがちな、かの一班の面々に何くれとなく構われながら。
 そして、今夜も三人は、ランタンの灯る仄明るい大テントで、共に夕飯を囲っていた。もっとも、賓客の居る遊牧民のキャンプで夜毎振舞われているような湯気の立った豪勢な夕餉などとは程遠い、折り詰め弁当ではあるのだが。
 バパとコルザはいつものように、よもやま話に興じていた。隊員の様子、古い友の消息、旨い酒の産地の話、留守にしたままの現場の情勢──。ウォードは黙って座っていた。話にはまず加わらない。内容が分からないのか興味がないのか、恐らく理由は後者であろうが。食い終わるが早いか席を立ち、"友達"の所へ行ってしまうのが、これ迄の彼の常だった。それが今日は、未だぐずぐずと居座っている。
 何か用があるらしい、とバパは雑談の目の端で目星をつけていた。案の定、コルザが食い終わるのを見るや否や「どっか行ってー」と痺れを切らしたように追い払おうとする。
 バパの話に素知らぬ顔で相槌を打っていたコルザは、降参するように苦笑いで手を上げ、済んだ弁当を片付けた。突然の我がままにも気分を害した風もない。「なら俺は、カルロんとこにでも行ってくるかな」とわざとらしく言い置いて、横目で笑って席を立った。食事の終了を今か今かと待ち侘びつつも殊勝にもじっと我慢していたらしいこの少年のささやかな配慮に、こちらも気づいていたらしい。勇猛で鳴らした古強者つわものも、この少年にだけは殊の外甘い。長らく寝食を共にして情が移ってしまったのかもしれない。もっとも「ぼうず」と親しげに呼ばれるウォードの方は、どんな他人にも懐かなかったが。
 夜更けのテントは、これで首長とウォードの二人きりになった。だが、ウォードはあぐらで座り込んだまま、じっと床を見つめるばかりだ。中々切り出そうとしないので、バパは何気ない素振りで雑誌を取り上げ、広げた寝袋に寝そべった。緩いあぐらで長い脚を投げたまま、ウォードは口をつぐんでいる。図らずも命拾いしたあのゲルでの一件以降、前にも増して日々をぼんやり過ごしていたが、様子をさりげなく観察していたこの保護者は、微弱な変化に気づいていた。空虚なほどに平板な我関せずの硝子の瞳に、少しずつではあるものの表情らしきものが宿り始めている事に。そして今、彼は混乱しているようだった。
 相手が話を切り出すのを、バパはさりげなく待っていた。だが、要点が上手くまとまらないのか、口に出すのをためらっているのか、ウォードは口を開かない。ちら、と盗み見た目を戻し、「なんの用だ」と水を向けた。
 ウォードは不貞腐った顔で黙りこくっている。風が夜梢をざわめかせる。外の草むらの虫の音が、夜更けの部屋を浸食した。そうしてたっぷり沈黙したその末に、気掛かりであるらしきその事件の顛末を、ぼそぼそ口を尖らせて話し始めた。
 それは昨日の昼の出来事だった。樹海の中での彼女との悶着。事の次第を聞き終えて、バパは広げていた雑誌を無造作に閉じ、苦笑いして身を起こした。
「それで、お前は、なんで、そんなに怒ったのか分からない、と」
 あぐらのままで「こりゃ、潮時かね」と手を伸ばし、放り出してあった煙草の紙箱を取り上げる。ウォードはそっぽを向いたままだ。どうやら、彼女の罵倒に怯んだらしく、だが、他人に気圧された経験など一度としてなかったこの彼には、それがどうにも歯がゆくて、思い返すほどに悔しくて、それで不貞腐っている、とかような次第なのだった。自分の膝に目を逸らし、ウォードは不服げに口の先を尖らせている。「──オレのこと、好きだと思ったんだけどなー」
「なら、なんで後を追わなかったんだ」
 バパは知らん顔して、煙草の先に火を点けた。「あの子を捕えることくらい、お前なら容易くできたろう。お前の方が足は速いし、力だって強い。遥かにな」
 ウォードは言い訳するように口篭る。「──だって、エレーン、なんか怒ってたしさー」
「 " 嫌われるのが怖かった " 」
 むっ、とウォードが顔を上げた。バパは「だろ?」と続けて笑いかけ、向かいの顔を穏やかに眺めた。
「いいか、ウォード。今感じた恐れと不安を、ようく覚えておくんだぞ。この先お前が生きていく上で、最も大切で必要なものだ」
 言葉を吟味するように、ウォードは眉をひそめて黙っている。やがて、目を逸らして溜息をついた。「……オレのこと、嫌いだったかなー」
「──そんな事はないだろうさ」
 この期に及んでそれを考える拙さに、バパは思わず苦笑いした。少なくとも気に入ってはいるだろう。我が身を挺して守ろうとまでしたくらいだ。もっとも、その当人は、何があったか露知らないが。
「……でもー、オレ、ぶたれたしー」
 困惑を浮かべた釈然としない横顔をじっと観察していたバパは、静かな口調で問いかけた。
「いつもの"お姉さん"とは、大分勝手が違うだろう?」
 ウォードがもの問いたげに振り向いた。にやり、とババは笑いかける。「ま、だからこそ、人なんてものは面白い。読めねえ肚の探り合い。これぞ恋愛の醍醐味ってとこだな」
「でも、オレはー──」
 何事か言いかけて口をつぐみ、ウォードは苦しげに言い直した。「オレはこういうのは好きじゃない。なんか、すごく落ち着かないしさー」
 自分の長身を持て余してでもいるように、あぐらの膝に腕を置く。苦々しげな顔つきだ。バパは素知らぬ顔で一服した。「苛々するか。そわそわするか。辛くて苦しくて堪らないか」
 横目で一瞥、紫煙を吐いた。
「やりたくなっちまったか」
 むっ、とウォードが鼻白んだように見返した。
「別に気に病むことはない。どんな聖人君子でも、そこんところの事情は一緒だ。所詮はそういう生き物だからな俺達は。そもそも人なんてものは、てめえの賤しさを自覚して、それで初めて一人前だ」
 顔をしかめた向かいを見やって、つくづくといった風に首を傾げる。「にしても、急に成長しちまったよな、お前は。ほんのつい昨日まで、図体ばかりが馬鹿でかい、ぽやっとしたガキだったのによ。しかし、ま、そうとなったら、すべき事は一つだな。あの子に気持ちを正直に伝えて終わらせて、、、、、こい」
 ウォードが怪訝そうに見返した。意味を咀嚼するようにじっと見つめ、憮然とした顔でそっぽを向く。「──面倒―。なんでいちいち、そんな事しなくちゃなんないのー?」
「そのままじゃ辛いだろう、お前が」
 バパは静かに紫煙を吐いた。ウォードは不服そうに一瞥し、目を逸らして俯いた。珍しく真剣な面持ちで、投げ出した脚の横をじっと見ている。首長からの言い付けを、彼なりに検討しているらしい。しばし、そのままじっとして、やがて、肩を落として息を吐いた。
「無理―」
 息を詰めていて疲れた、とでもいうように、ゆるゆる首を横に振る。
「恐いか、あの娘を失うのが」
 バパは素気なく指摘した。ウォードはもどかしげに頭を掻く。「──そーゆーことじゃなくってさー」
「無闇に恐れることはない。お前くらいの年頃なら、すぐに次が現れる。後でちゃんと慰めてやるよ。玉砕祝いに一杯やろうぜ。だから、当って砕けて終わらせてこい。そうして、そのまま放してやれ。ああ、間違っても、もう無理強いなんかするんじゃねえぞ。それは卑怯者のするこった」
 尖らせた口をじっとつぐんで、ウォードは思いを凝らしている。少しして、脱力したように首を振った。
「……でも、オレは無理―」
 じれったそうに眉をひそめて目を逸らす。「だってオレは、エレーンのことをさー──」
「仕事で現場に出る時に、」
 上体を折って大儀そうに手を伸ばし、バパは灰皿を引き寄せた。「お前、いつも言われるだろう。女子供は手にかけるなってよ。何故だと思う」
「さあねー」
 ウォードはせかせかと、苛ついたように応える。バパは呆れた顔で嘆息した。「少しは考えてから答えろよ。ああ、何も、取るに足らぬほど非力だからって話じゃないぞ」
「なんで今、そんなこと訊くのー? どうでもいいじゃん、そんなことー」
「あいつらはな、ウォード」
 バパは目を眇めて紫煙を吐いた。
「俺達の"未来"を担っているからだ」
 苛ついた動きをふと止めて、ウォードが向かいを見返した。真摯な視線を、バパは捉える。
「人一人を産み出すなんざ、俺達には真似のできねえ芸当だからな。そっちは女の天分で、次の世代を生きるのは、今は幼いガキどもだ。つまりはあの連中が俺達の未来そのまんま、、、、、って話だ」
 目を細めて遠くを眺め、煙草の手を膝に置いた。
「なあ、ウォード。人なんてものは、はかなくて、ちっぽけな生き物なんだ。無事に磐石に生き延びたところで、高々僅か数十年の命だ。だが、種としての " 人 " の命は俺達が死んでも生き延びる。脈々と続いて、この世界で生きていく。これが本当の俺達の"未来"だ。だからこそ俺達は、あの壊れ易い生き物を出来る限り丁寧に、、、、、、、、大切に、、、扱わなけりゃ、、、、、、ならない、、、、。俺の言いたいことが分かるか、ウォード」
 ウォードの頬が、ぴくり、と動いて、虚を突かれたように顔を上げた。鋭い視線で向かいを威嚇し、あぐらを崩して立ち上がる。どうにも気がもめる様子で、狼狽したようにそわそわ歩く。戸口に向けたその足を、ふと止めた。脚横に下ろした両の拳を握りしめ、じっと眉をひそめている。何かをためらっているようだ。やがて、軽く息をついた。
「……バパー。オレ、卑怯かなー」
 途方に暮れたように呟いた。話が当初に立ち戻り、バパはいささか面食らった。「──ああ、さっきの話か。まあ、あの子だって、そういつまでも怒ってやしないさ。真面目に謝りゃ許してくれる。多分な」
「でもオレ、やっぱ卑怯かもー。だってオレ……」
 俯いて緩々首を振り、この世の終わりのように落胆している。思い詰めたような不安そうな横顔。バパは困った顔で苦笑いした。説いて聞かせている間中、彼は一人、そこ、、に留まっていたらしいのだ。件の事件は衝撃的な体験だったらしい。頭から片時も離れぬほどに。返答を気休めと取ったのか、ウォードは踏ん切りをつけるように嘆息し、再び足を踏み出した。
「バパー、オレさー。前にバパが言ったこと、なんとなく分かったー」
 ひょろ長い脚で戸口に向かい、脱ぎ捨てた靴を無造作に履いて身を起こす。戸口シートに手をかけて、動きを止めた。
「オレは、エレーンの " 一番、、 " じゃない、、、、
 踏み出したウォードの目の前で、シートが無造作に払われた。頭を屈めて戸口を潜り、誰かがテントに入ってくる。支給品の革ジャン姿、色素の薄いさらりとした茶髪、俊敏そうな細身の体。外に出ようとしていたウォードと危うくぶつかりそうになり、「──おっと」と機敏に脇に避けた。相手を認めて「よお」と気さくに呼びかけるも、気もそぞろなウォードの方は、左頬を腫らした相手の顔には見向きもしない。心ここに在らずの散漫な様子で外に出て行く。
「──なんスか、ありゃ」
 ザイは怪訝そうに見送った。バパは苦笑いで煙草を咥える。「ちょっと今、オトシゴロでよ」
「つまり、例の客に惚れちまった訳で? で、奴さんは今時分どこへ」
 さして興味もなさそうにぶっきらぼうにそう応え、ザイは上体を折って靴を脱ぐ。あのウォードに殴られた筈だが、別段気にした風もない。バパはあぐらのまま身を捩って、傍らから黒い酒瓶を取り上げた。「相談しにでも行ったんだろうさ、狂おしくも切ない胸の内をさ」
「ああ、例のダチのとこスか」
 首長の茶々は受け流し、ザイは懐を探りつつ、ぶらぶらテントに上がり込む。酒盛りの用意をしていたバパは、壁側に思い出したように手を伸ばした。「ああ、食うか? 一個余っちまっててよ」
 手付かずの折り詰めだ。ウォードの分として用意したが、彼は見向きもしなかったのだ。ザイは「いえ、自分のを食いましたから」とそつなく辞退し、あぐらで無造作に腰を下ろした。煙草を取り出し、早速咥えて火を点ける。「しかし、なんだってまた、あんなのを。いくら、てめえんとこが男所帯だからって」
 よしゃあいいのに、とぼやくザイに、バパは微笑って酒を取り上げ、二つのグラスに注いでいく。
「よせったって止まりゃあしねえよ。恋は理屈じゃねえからな。傍から見れば滑稽でも、本人は至って大真面目なもんさ」
「なに言ったんスか、あの野郎に」
 一服吐いて、ザイはジロリと向かいを見やった。「あんな深刻そうな奴の面は、初めて見ましたよ」
 とくとく軽やかな音を立て、バパは酒瓶を傾けている。ちら、と目だけをザイに上げた。「だったら告白こくれ、って言ってやった」
 ザイは呆れた顔をした。
「何けしかけてんスか。あんた、奴の親代わりでしょ」
「まあ、そうだな」
 ほい、とグラスをザイに手渡す。手を伸ばしてそれを受け取り、ザイは薄い唇に琥珀色のグラスを押し当てた。「わかってますよね。他人ひとのもんスよ?」
 胡散臭げに睨まれて、バパは笑ってグラスを舐めた。
「わかっているよ。むしろ、だから、いーんじゃねえか」
「その " だから "ってのは何です」
 間髪容れずに、ザイは顎をしゃくって説明を促す。
「ん?──いや、だからよ、」
 大儀そうに小首を傾げ、バパはグラスを突き出した。「ほら、あの子は奴と仲が良いし、嫌いってんでもなさそうだしよ」
「無理でしょう、初めから。あの女を幾つだと思ってんです。相手にしませんよ、ガキなんか」
 けんもほろろにザイは却下、バパは思案するように天井を仰いだ。「まあ、そうだろうな」
 ザイは苦々しげに一服する。
「ありゃ人懐こいだけっスよ。頭(かしら)だって、わかってるでしょうに。よしんば好意があるにせよ、男に対するそれじゃない」
 バパは、ふむ、と一考した。「まあ、ガキ萌えが七割、世話焼きの性分が二割ってとこか」
「で、後の一割は?」
 バパは横を向いて紫煙を吐いた。
「好奇心」
 ザイはやれやれと首を振る。「なら、ウォードの方は」
「決まってんだろ。発情が十割」
「玉砕決定っスね」
 ふっ、と短く紫煙を吐いて、ザイは素気なく結論する。共通項が一つもない。
 双方合意に達したところで、バパは一仕事したように伸びをした。「にしても、面倒臭せえもんだよな。野郎のガキってのはこれだからよ。しかし、ま、これも親父の務めってヤツか。やれやれ、まったく柄じゃねえ」
 どうせなら娘の方が良かったぜ、見ているだけでも楽しいし……と何やら一人でぼやいている。ザイはやれやれとグラスを啜った。「相変わらず趣味の悪い。今度はガキ苛めて遊ぼうってんだから」
 とん、とその手を膝に戻し、向かいの首長の顔を見る。
「他にすることないんスか」
「……ツケツケ言うねえ。本当に、お前は」
 バパは苦笑いで紫煙を吐いた。
「いーじゃねえかよ。恋愛ってヤツは、別れを以て完結するのさ」
 素早く向かいにウインクする。「あんた又面白がってるでしょ」とザイはジロリと向かいを睨む。バパは笑ってグラスを煽った。
「あいつも少しはこの手の場数を踏んだ方がいい。奴の成長は驚くほど速い。すぐにも一端いっぱしとして一人立ちする日が来るだろうさ。なら、ガキのまんまの心の方も、図体に見合うように成長しねえとな。悩んで振られて痛い目に遭えば、他人の痛みも少しは分かるようになる。だがまあ、今は、」
 苦笑いして、静まり返った戸口を眺めた。
「しっかり悩めよ青少年。どうせ、すぐに告白こくれる訳ゃねえんだ」
 遠く微かな悲鳴が上がった。テントの外、野営地内だ。誰かが藪を走る音。慌てたような男の罵倒、悲鳴に近い喚き声。ザイは煩わしげに舌打ちした。
「ひっきりなしスね。このところ。ぶん殴って放り出しても、性懲りもなく仕掛けてきやがる。まったく、これじゃあ、きりがねえ」
 ネズミが又かかったようだ。バパも面白くもなさそうに肩をすくめる。
「序の口だろ、こんなものは。この先まだまだ増えるだろうさ。なにせ俺達は南下していて、ネズミどものでかいアジトが、その先のレーヌにあるってんだからな」
 ふと、ザイが見返した。「ああ、商都の南の漁港スか。親玉は確か、オーサーとかいう漁師上がりとか」
「牛耳っているのはオーサーと、その養子のアルノーだ。そいつらが柄の悪い連中を取り纏めて、でかく島を張っている。漁師ってのは血の気の多いのが多いからな。陸に上がっても、似たような無頼漢やら与太者やらが自然と集まって来るらしい。レーヌってのは金持ちの別荘犇くのどかな高級行楽地だが、そいつらのお陰で、裏じゃ一大歓楽街だ」
「"飲む打つ買う"スか。類は友を呼ぶってやつスね。まあ、連中を町から追い出せば、枷のなくなった海賊どもがたちまちのさばること請け合いだから、その質の悪い一角については必要悪と諦めて、放置しているって話じゃないスか」
「いや、このオーサーってのは堅気にも人望があるらしいぞ。話を聞いていると、どうも侠客らしいんだよな」
「ああ、海賊狩りなんかしていたくらいですしね」
 ザイは目を細めて考える。「堅気には手を出さないんでしょう。その割には、こっちには仕掛けてきますけどね」
 バパが考え込むように小首を傾げた。
「どうも、その辺りが解せねえんだよな。確かに俺達は堅気なんかにゃ見えねえだろうが、まだ何もしちゃいねえ筈だがな」
 膝で紫煙を燻らせていたザイが、頭(かしら)、と呼んで目を上げた。
「国軍やっちまってますよ、ノースカレリアと、ノアニールで」
 受け皿にとんとん灰を落とす。懐疑を素気なく訂正されて、バパは肩をすくめて見返した。「そんなに愛国心の強い奴らかねアレが。裏では手配書が回っているにせよ、自国のって訳でもねえんだし、こっちから仕掛けた覚えも更々ねえしよ。相手が人倫を貫く侠客ってんなら、無関係な客にちょっかいかけるってのにも、どうにも納得がいきかねる。昨日のネズミは貴族の手下じゃなさそうだしな。ああ、そういや、レーヌのゴロツキはそいつらだけじゃなかったっけな」
 ふと、ザイが目を上げた。「てえと?」
 バパは凝りを解すように首を回す。
「レーヌにはもう一つ派閥がある。ジャイルズってのがそこの頭で、そっちは元海賊だって噂だな」
「──海賊、ねえ。そんなのが我が物顔でのさばってんスか、この国は」
「大方、下っ端役人に大枚積んで目こぼししてもらったんだろうさ」
「で、無罪放免を手に入れた、と」
 世も末っスね、とザイは横を向いて紫煙を吐いた。
「今じゃ、反オーサー派の町のゴロツキどもを取り纏めて、のうのうと元締めに納まっている。で、オーサーってのが生業の傍ら、海賊どもをこっ酷くシメてきたからよ。今じゃ、その二大派閥が事ある毎に睨み合っているとかなんとか」
「よく知ってますね、いつもゴロゴロしてるのに」
 ふっ、と一服、あてつけがましく紫煙を吐き、ザイは灰を受け皿に落とす。ふと、その手を止めた。
「──ああ、やってますね」
 誰かが腹立たしげに喚き散らしていた。今度は甲高い女の声、隊長の外出に伴い、身柄を野営地で預かったあの羊飼いの少女のようだ。既に夜も更けたというのに、向こうのキャンプに行くんだと駄々をこねているらしい。それを宥めすかしているらしき男の声も聞こえてくる。当直のセレスタンとロジェだろう。バパはやれやれと溜息をついた。
「こうなっちまった以上は、てめえの近くに置いときたいってケネルの気持ちも分からねえじゃねえんだが、これまで通り、こっちに置く方が何かと都合がいいんだよな。ネズミに仕掛けられても対処し易いしよ」
「──ああ、ネズミといや、」
 一服し、ザイは苦々しげに続けた。「客の面が割れちまってますね。あの格好ならイケると踏んでいたんですが。もっとも、街の女の格好てのは男みたいにすっきりしてますから、ハージは裾が長くて、本人はちょっと鬱陶しそうスけど」
 ハージというのは遊牧民の女性用の平服のことだ。バパは大儀そうに項(うなじ)を叩いた。
「そうかといって、あの成りをやめさせる訳にはいかねえな。こっちでさばくネズミの方がまだまだ断然数が多い。そいつらの目まであっちに向いちまっちゃ、こっちは全くうまくない」
「あのまま街にいたらと思うと、ぞっとしますよ」
カレリアこっちじゃ身動きが取れねえからな俺達は。その上、周りがトロ臭い堅気だらけとくりゃ防戦するのもままならない。挙句、むざむざられていたろうさ。この俺達の目の前で」
 会話が途切れ、束の間、静寂が訪れた。夜更けのテントに、ランタンの明かりが不規則に揺れる。グラスを時折口に運び、二人は黙って膝の紫煙を燻らせた。世界を包み込むような虫の音に、聞くとはなしに耳を澄ます。
「──" 嵐の真っ暗な大海で " 」
 ザイがおもむろに口を開いた。バパが怪訝そうに目を向けたが、それに構わず先を続けた。「しがみついた " 支え "に先客がいたら、そいつは一体どうなるんスかね」
「──あの羊飼いのことか」
 眉をひそめてグラスを持ち上げ、バパは苦い顔で縁を舐めた。 ザイも眉をひそめて紫煙を吐く。「やっぱ溺れますかね、嵐の海で。しかし、まさか懐妊とはね」
 考え込むような呟きに、バパも嘆息で肩をすくめた。
「たく、よりにもよって、こんな時によ。ネズミがわんさと出てるってのに。厄介なこったぜ」
「ええ、まったく」
 傍らの灰皿に腕を伸ばして、ザイは短い煙草を擦り付ける。遠く眺めるように目を細めた。
「……これで、よすがが失くなっちまった」
 バパがふと目を上げた。にやにやしながら、へえ、と見る。「やっと効いたみたいだな」
 ほくほくと独語して、向かいの顔を眺めている。
「──なんスか」
 居心地悪そうに眉をひそめて、ザイは新たな煙草を憮然と咥える。バパは企む顔で顎をしゃくった。
「毛嫌いしなくなったじゃねえかよ」
 どことなく得意げな顔つき、自分の手柄だとでも言いたげだ。ザイは肩を落として首を振った。嘆息と共に顔を上げる。
「頭(かしら)って、つくづく幸せな人っスね」
 その前向きな姿勢が羨ましいっス、とあてつけがましく顎を出す。バパは、まあな、と笑って空惚けた。ささやかな皮肉にも動じない。ザイはやれやれと目を戻し、灰皿に向けて腕を伸ばした。「──しかし隊長も、涼しい顔して酷なことをするもんスね」
 指先でとんとん灰を落とし、ふっと短く紫煙を吐く。小首を傾げ、キャンプがある方向の、静まり返った戸口を眺めた。
「てめえに惚れた女まで囮に使う、、、、ってんだから」
 
 
 
 
 

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